はてなキーワード: アマとは
オトコに泡吹かせてまで教えてほしいのかこのアマ
この一年、逃げ続けてきた。
高校入試は前日までにどでかい自信がついていた。本番も全然緊張しなかった。なんなら居眠りしたぐらい(3分ぐらいだけど)。合格発表も受験番号があって当然だったから全然怖くなかった。高校は第一志望に受かった。
なんだかんだ理由をつけて勉強しなかった。休日はやって6〜7時間。酷いと全く勉強しなかった。
学校からもらったプリントに「不安になったら今までにやった(数学の問題集の愛称)を積み上げてみなさい。あなたはそれだけやったんだから自信を持ちなさい」的なことが書いてあった。それは私にとって提出期限ギリギリになって必死で写経した問題集たちだった。自分の三年間のサボりの集積を見た。
過去問も取れない。物理と数学は計算とか符号とか式変形でまずミスる。変な答えになるから後の問題が解けない。自分の実力があれば計算ミスもカバーできることは分かっている。でもやってこなかった。
当然の帰結だが、自分の(これまでの愚かさを生み出してきた)楽観主義が太刀打ちできないほどに自信がない。高校受験の強烈な成功体験があるから尚更だ。
滑り止めの私立も行く気がないところしか受からなかった。でも辛いから浪人もしたくない。落ちたら死のうかなとかアホなことも考えてみたりした。
今になって自分の三年間の愚かさを思い知っている。ちなみに勉強していない時間は部活もやっていたがそれも中途半端で、あとはアマプラとネットに費やすどうしようもない生活だった。友達と過ごした時間も楽しかったけど、思い切りたのしめたかというとそうでもなくて、やりきれない?気持ち。
本当に三年間何やってたんだろう。愚か。
パトレイバー2が4DXで劇場公開してる。めでたい。コロナじゃなかったら行ってたなって思って、アマプラでパトレイバー2を見た。
私は押井守が嫌いだ。
詳しいわけではない。
なんで嫌いなのか忘れていた。
パトレイバー2で、第二小隊の息の根を止めたから大嫌いだったんだと思い出した。
テレビ版が好きだった。子供の頃に、毎週土曜日の朝BSで再放送を見ていた。衛星アニメ劇場とかだったと思う。
楽しかった。キャラクターたちがいきいきして、楽しそうだった。みんな笑っていて、いい加減なところがあっても、出動がかかればビシッと警察官なところを見せてくれていた。
勇んで見た。楽しみだった。またあのキャラクターたちの活劇を見せてもらえると思っていた。
劇場版パトレイバー。第一印象は「キャラクターが不細工」押井作品のリアルテイストにかなり寄せられていた。話の内容に、ゆうきまさみの絵だと浮くと判断されたからだろうか。
その時点で、この話はパトレイバーでやる必要があっただろうか。
話はとても面白かった。面白かっただけに悲しかった。映画として面白かったけど、これは第二小隊の物語である必要があっただろうか。
こわごわと、パトレイバー2を見た。
第二小隊は離散していた。
遊馬と野明は篠原重工のつなぎを着ていた。あの埋立地にはおらず、イングラムを「1年前までこれに乗ってた。今はデータ収集をしている物にすぎない」と言い、あんなにアルフォンスアルフォンス、あたしのアルフォンスと言っていた野明が「もういいんだ」と言った。
太田は訓練所の教官になっていた。進士は本庁の総務課長になっていた。残っていたのは、山崎と隊長たちだけ。
熊耳はどうなったんだろう。漫画準拠なのだろうか。正しくどうなったのかは、読み返さないと思い出せない。
映画冒頭12分で、大好きだっった第二小隊が無残に息の根を止められていた。
後藤隊長の「いいわけないじゃないの」に、とても苦しい気持ちになった。
時代が移り変わるときを描いた作品だから、今どきの若者をつつくような話題が出るのは自然なことだ。
でも私は1998年から進んでほしくなかった。いや進むのはいいとして、変わってほしくなかった。
パトレイバー2は変わっていくものを描いている作品だ。でもそれをやってほしくなかった。
後半、それでも変わらないものを描いていたが、それでも変わってしまった。
活劇の中にいたごきげんなキャラクターに、頭を押さえつけて現実を教えてやると言っているように見えた。
大好きなキャラクターたちが目の前で殴られているような気持ちになった。
技術は高かった。面白い映画だった。でもパトレイバー2は第二小隊を終わらせた。
悲しかった。ただただ悲しかった。目の前で惨殺されたような気持ちだった。
私の大好きだったあの人達をよくも殺したな。よくも。
よくも笑顔がすてきなキャラクターたちから笑顔を奪ったな。よくもはりついたゴムみたいな皮膚でぼーっとした表情に描いたな。
よくも明確な終わりをわたしに突きつけたな。
見たくなかったものを見せられた。レビューにはお子様は帰れと書いてあった。大人向けのパトレイバーだと書かれていた。
子供の頃に大好きだった作品に続きがあると知って、喜んでTVシリーズを見直した。コミックスを購入して読んだ。満を持して劇場版を見た。
クリスマスの朝に、サンタクロースはいないんだよって言われたような気持ちになった。
実写の映画は見ていない。押井守はキャラクターのカタキなので見ていない。面白いんだろうか。また寂しくさせられちゃうんだろうか。
映画としては面白い。でもキャラクターをなんであんなに殺して回るんだろう。技術はめちゃくちゃ高い。評価されるのもわかる。でもわからない。
押井守に原作のあるものを触らせないでくれー!大好きなキャラクターを装置みたいに扱われるのはいやだー!
悲しい!つらい!くやしい!何もできない!でも映画はおもしろかった!でも大嫌い!!最悪だ!!!
きらーーーーーい!!!!
と言っても今やってるものを全部見てたわけではなく気に入ったアニメ数本を見ていただけ
それでも今は1本しか見ていない
ひぐらしも、リゼロ好きだけど気が付いたら最初の2、3話で見なくなってた
放送時間が地域によって異なるのは昔から当然のことで特に大きな問題ではない
だから他の地域で放送されていても自分がまだ見れていないことは今までもよくあった
当然、続きは気になるけれど自分が見れるようになるまで1週間程度なのでネタバレを回避しつつ見ていた
だけど最近のスマホは自分の好きなジャンルのサイトを表示してくる
「第何話、考察」ならまだしも、タイトルでネタバレをされるとやっぱり興味が出てきて読んでしまい続きを見た気になってしまい結局、本編は見なくなっていって最後はアニメを見なくなっていた
俺のぼっち歴は相当なもので、プライベートで遊ぶ関係を友達と勘定するならばたぶん中学一年生ぐらいの頃に映画を見に行ったのが最後だ。(クラスで映画を観に行く話をしてるところに俺が空気を読まずに“自分も行っていいか”と訊ねたことでついていく運びになった。今にして思えば、彼らにとっていい迷惑だった)
大学生の頃同じゼミのやつからマクドナルドに呼び出されたことはあるが、どうだろう……友達だろうか…友達ではないな。
なんなら映画を観に行ったときも、俺は観てすぐ帰ったので(楽しくなかったのではなく、普通に映画を観て満足したらすぐ帰りたくなった)そのあとなんやかんやでそのことを突っつかれ、俺はやるせない気持ちになった。「帰るわ!」と言って、特に引き止められずに「ああそう?じゃあまた」と言われたのだからそりゃ帰るよ。
俺は高校も大学も友達と呼べる人間が一人も出来ないまま過ごし、わけのわからぬまま人生の一番自由な時期を、イヤホンが耳に刺さったまま一人で過ごした。
サークルは一時期落語研究会に属していたが、裏方だけやろうと思っていたのに字が汚すぎて題目の名前を書いた紙すら満足に書けず、あがり症のおかげで「時そば」を、客ではなく先輩の前で練習することすら出来ない始末。(なぜか、“枕”という、噺の前にやる些細な無駄話だけは少しだけ達者に話すことができた。20分ほど)どうしたものかと悩んでいたが、ちょうどそのとき部内の人間関係でトラブルが生じ、同級生が一人、先輩が二人やめたところで俺も便乗して辞めた。
暇なときはイヤホンで外界の情報を遮断してなんかしらの曲を聞きながらキャンパス内を徘徊し、たまに構内を出て無意味に一時間ほど歩き通してみたりした。
これで偏差値の高い大学に通っていたとかなら人と違う視点を持ったがゆえの孤立とか格好がつくのだろうが、普通に偏差値の低い大学に通っていたので、俺はぼっちで、しかもバカなだけだった。
どれぐらい偏差値が低い大学かというと、ここを出た某作家が著者略歴にうちの大学ではなく、所属していた他大学のサークルの名前を書いてしまうぐらい偏差値が低い。
とは言え、何も本当に音楽聞きながら歩くだけの学生生活だったわけではない。たまにラーメン屋巡りとかしてたし、ちょいと小銭があるときは雀荘に立ち寄ったり、また、本当に本当~~~に暇なときは、ネットに小説をチョロッッッッッとだけ書いたりしていた。半年に、ほんの六、七行ずつみたいなペースで。
そうしてある日、気付いたことがある。
俺は意外と、少なくとも感想文みたいなレポートを提出して怒られていた同級生よりかは、文というヤツが書けるのでは?と。
それまでは星新一とズッコケ三人組ぐらいしか読んだことが無く、他にはエブリスタでクソみたいな異世界転生系小説を読んであざ笑うというカス以下の習慣しかなかったのだが、それが思いのほか文章力の向上に繋がっていたのだろうか。「こういう文章を書かない」という手本は意外と役に立った。気がする。
エブリスタで小さい賞を取ってアマギフを三千円ぶんぐらいもらったりして調子づいた俺はもうちょっと色々書いてみようと思い、半年に一度ペースで書いていた小説で人と人がどうのこうのするパートに差し掛かり、そこを頑張って、ウィットとエスプリの利いた小気味良い会話文を作ろうとした。
出来なかった。
どうやっても平面的な、話している人間の人格が反映されない、ただの「文」にしかならなかった。読んでいて不気味だった。作品に思い入れのない声優が「あのキャラやってみて」と頼まれ、とりあえず声だけ出してみた。みたいな。あるいは同じ作品で共演する声優同士に、台本なしでそのキャラを即興で演じてみてくれ。と頼んだ時の会話のような…
とにかく形容しがたい、薄っぺらさが隠せない会話になってしまう。
要するに、三人称視点の文はてんでダメだった。『楽しそうな会話』が書けない。
反対に、一人称視点だとけっこう書けた。なのでレポートや論文はヒョイヒョイ書けた。あれは一人称視点で書く文章だからだ。だが小説は別だ。いくら一人称でも話の途中で主人公が人と会話をしなくてはならないときがある。これが本当にできない。
相手がどういう感情で主人公に話しかけているかを考え、主人公の受け答えでどう気持ちが動いて、気持ちに応じてどう対応が変わるかを考えてセリフを作る。すると、何を考えているかわかっている俺から見ればそれに気付かず喋っている主人公が妙にマヌケに思えてきて、そうなるとそのマヌケの一人称視点で綴られている他の文もマヌケな文に見えてくる。そしてどっと気が萎える。
なんのことはない。俺が普段人の感情の機微について推し量るような機会とほとんど出くわさず、機会があっても推し量る能力がないマヌケであり、そのマヌケぶりが主人公に伝染していただけのことだった。
好機を逃さず利用することを中国の故事で『奇貨居くべし』と言うらしいが、機会を利用する能力を養う方法まで故事は面倒を見てくれないらしい。(きかい。と打とうとして“きかお”とタイポしたら予測変換に出てきたので、意味を調べた後使いたくなった)
…とはいえ書かないと続きに進めないので、そこら辺のコミュニケーションパートはなあなあに、サッと流して次に進むのだった。
いろいろな作家の言では、脳内でキャラクター像をしっかり組めばストーリーと舞台の範疇で、頭の中で勝手に動いてくれるそうだが、俺の脳内に居るキャラクター達は揃いも揃ってマネキンばかりだ。俺の思い通りのポーズはとるが、決して動き出さない。
仕方なくマネキンのポーズを手作業でちょっとずつズラして、それを繰り返したものを描写して連続した動きを表現しようと試みるも、そうして出来上がったものは生きた人間の動きとは言い難い、不自然なものに仕上がる。どれだけ細かく刻んだストップモーションアニメも、自立して動く現実の映像のように滑らかにはなってくれないのと同じだ。どうしてもギクシャクする。
東京オリンピック2023が中止決定された1週間後、政府は多額の賠償金の支払いを国内のスポーツ団体にも分割で負担させる声明を出しました。
元々自転車操業だった団体は完全にトドメを刺される形となりました。
同時に、オリンピックがなくなったことで多くの競技でスポンサーが辞退したため、日本国内においてプロアマ問わず多くのスポーツチームが解体を余儀なくされました。
路頭に迷った選手たちを待っていたのは、オリンピック開催失敗の責任は選手個人のアピール不足にあるという政府声明を信じた一部国民による執拗な人権侵害です。
たとえば、元スポーツ選手を雇ったコンビニでは、玄関前にマイルドヤンキーが仁王立ちしたり、トイレでうんこをしてわざと流さない客が急増し、その選手はバイトをクビになりました。
そういったことが各地で起こったことで、食い扶持を失ったスポーツマンが流れ着いたのは反社会的勢力でした。
元々格闘技系の人たちは就職先として反社を選ぶこともあったため、そのコネからまずは格闘家が、更にはそこからスポーツ選手つながりで他の競技の選手も次々反社に取り込まれました。
その後、元スポーツ選手による半グレ組織が各地に乱立し、政府や国民に恨みを持った彼らは積極的に日本という国を滅ぼそうとしています。
彼らの中には利益追求のためでなくこの国に対して破壊行為をすることが目的となってしまった者も多く居ます。
先日も東京都庁に大量の野球ボールが降り注ぎ窓際で働いてた職員が2名亡くなりました。
人通りの少ない道を歩けばサッカーボールを頭にぶつけられ気絶しているうちに財布を抜き取られるのが今や日常となっています。
お願いです。
自宅にハイセンスの55型のテレビが届いた 3年保証の割に最安レベルだから心配だったけど性能や機能も自分程度には全く問題なし
調べたら一般的にYoutubeの倍速再生対応してるテレビ自体がほぼないっぽい
普段TverもYoutubeもアマプラもchrome拡張やらブックマークレットで無理やり広告スキップして2.5倍速くらいで再生してるから、1倍速再生ではどうにもスロー再生に感じてしまう、広告もうざい
リモコンで操作できるのは便利だけど所詮テレビだしかゆいところには届かないなぁ
Microsoftワイヤレスディスプレイアダプター(HDMIケーブルをワイヤレス化する奴)買ってテレビをサブディスプレイ化するか、
もしくはサブ用に中古chromebookでも買ってテレビの動画再生用に運用するかのどっちかだなぁ
普段機とchromecastとかで繋げるのはミラーリングしかできない(=Youtube全画面で開いてるときは他のことできない)から微妙っぽい
同じ大学で同じ学年の彼氏と付き合いはじめてからそろそろ半年になる。しんどいときは励ましてくれるし、誰からも好かれるような愛嬌のある彼氏だ。拗らせたアンチフェミみたいなことを言わないし、なんならアンチフェミのことすら知らないんじゃないかと思う。私には過ぎた彼氏だ。
ただかなり一般教養が怪しい。一般教養と言ってもそこまで高度なものではなくて、義務教育で触れるようなものもあったりする。
ごく簡単な漢字が読めない。挙げればキリがないくらい。この前は納戸が読めなかった。
「こんにちわ」や「〜せざるおえない」みたいな、は?って間違いもよく見る。
イギリスが島国だと知らなかった。なんならどこにあるかすら知らなかった。高校のとき日本史を取ってたからわからないと言ってたけど、イギリスが島国かどうか、ましてやヨーロッパにあるなんてことは取ってる科目に関係なく知ってるものだと思ってた。
だいぶ前に私が最近気になっているアイドルを紹介した。フィロソフィー(グループの名前)って哲学って意味なんだね、と言われた。
大学受験、それもセンターで8〜9割を取らないと射程に入らないような大学の入試を突破してそれはちょっと……と思った。
話もあまり合わないし、最近は動物とご飯の話ばかりしてる。イヌかわいいね〜とかサイゼだね〜みたいな。イヌとサイゼには申し訳ないけど正直会話はまああまり楽しくない。
これは別れた方がいいのではと思うけど、こんなに長く続いた彼氏ははじめてだし、「大学出たら結婚しようね」とまで言われた。
今後彼氏ができるのかわからないし、なんならできるわけがないと思っているので、とりあえずこのままでいるのが最適解なんだろうとは思う。何せ今同じコミュニティにいるので別れた後のことを考えるとめちゃめちゃ気まずい。
アァ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜もうどうしたらいいんだろ キングオブクソザコ意気地無しなので大学卒業後のフェードアウトに期待するしかない 自分ただのレイシストじゃんか 自分最悪最低クソアマだな
ドアマイガーはあれでいいんだよ!
anond:20210210062305 (クラシック曲ガイド) を見やすくしたよ。
§1600年代前半
§1600年代後半
§1700年代前半
§1700年代後半
§1800年代後半
§1800年代終盤から1900年代初頭 (後期ロマン派・印象派音楽)
§1900年代中盤以降 (第一次大戦終了によってロマン主義と印象主義が古くなった時代に真価を発揮した作曲家たち)
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/togetter.com/li/1664833
↑このブコメで賞賛されている表がかなりデタラメなので修正してみた。
とりあえず同じように1600年代から始めます。「オケゲム、マショー、パレストリーナ、ジョスカン・デ・プレがないぞ」とかいう意見もあるようですが、それはもっと以前だから書いていないだけです。
作曲家の「生まれた年」ではなく「主に活躍した時代」で書きます。これに文句を言っている方もおられるようですが、何故かと言うと例えば生まれは1600年代終盤だけれど音楽家として活躍し世に認められたのは1700年代になってから、といったような例があるからです。
「あれは記憶だけで描いてるから素晴らしい」とおっしゃる方もいらっしゃいますが、これも資料などは参照せず、ほぼ脳内の情報だけで書いております。
モンテヴェルディ(みんな知ってる「私を死なせて」)、カッチーニ(「アヴェ・マリア」が有名だが実はソ連の音楽学者ヴァヴィロフの贋作。真作で有名なのは「アマリッリ」)
シュッツ(「ドイツ音楽の父」として有名)、シャイン、シャイト(以上3名は「ドイツ三大S」として有名)
コレッリ(「ラ・フォリア」が有名)
ヴィヴァルディ(「四季」の人)、アルビノーニ(「アルビノーニのアダージョ」が有名だが贋作。真作で一般に有名な曲は無い)、ペルゴレージ(「スターバト・マーテル」が有名)
クープラン(チェンバロ曲で有名)、ラモー(音楽理論とオペラ)
バッハ(名曲多数)、ヘンデル(日本では「音楽の母」などと呼ばれたが女性ではない。「メサイア」「オンブラ・マイ・フ」「水上の音楽」など)、テレマン(「食卓の音楽」で有名)
以上1600~1750年が「バロック音楽」の時代。欧州における「絶対王政」の時代とほぼ重なるという見解があります。
「古典派音楽」の時代。啓蒙思想によって理性が重視され、それが音楽に影響を及ぼした時代です。
チマローザ(オペラ「秘密の結婚」)、パイジェッロ(「うつろな心」)、ボッケリーニ(「女ハイドン」の異名を持つが男性)、サリエリ(オペラの巨匠)
音楽における「ロマン主義」は文学や絵画よりも遅れて1800年代になってから現れます。この時期は古典派音楽からロマン派音楽への過渡期です。
ロッシーニ(オペラ「ウィリアム・テル」「セビリアの理髪師」など)、ベッリーニ(オペラ「ノルマ」など)、ドニゼッティ(オペラ「愛の妙薬」など)
シューベルト(未完成交響曲 D 579、歌曲集「冬の旅」など)
メンデルスゾーン、シューマン、世代的にはワーグナーもここに入る(この時期はオペラ「リエンツィ」「タンホイザー」「ローエングリン」など)
リスト(本人はハンガリー人を自認したが実際はドイツ系オーストリア人で本来のハンガリーの民族要素は無いのでドイツ・オーストリア音楽として捉えるのが正しい)
グリンカ(オペラ「ルスランとリュドミラ」)、ダルゴムイシスキー(オペラ「石の客」)
1848年革命の失敗により、ヨーロッパ音楽の雰囲気も暗くなって参ります。
ヴェルディ後期(オペラ「椿姫」「アイーダ」「オテロ」「ファルスタッフ」など)
ブルックナー(交響曲では4番と7番、8番が有名だが初心者に聞きやすいのはむしろ1番と6番だと思う)
ブラームス、ブルッフ(ヴァイオリン協奏曲第1番が有名)、ワーグナー後期(楽劇「トリスタンとイゾルデ」「ニーベルングの指環」「ニュルンベルクのマイスタージンガー」)
オッフェンバック(オペレッタ「天国と地獄」など。実はドイツ人)、グノー(オペラ「ファウスト」)マスネ(オペラ「タイス」など。「タイスの瞑想曲」)、サン=サーンス(長生きしたので今年没後100年)、フランク(バッハの対位法、ベートーヴェンの劇的構成、ワーグナーの和声を融合した究極の交響曲を作曲したが実はベルギー人)、フォーレ(「レクイエム」「幻想の水平線」)
スメタナ(連作交響詩「我が祖国」その中の一曲が「モルダウ」)、ドヴォジャーク(「新世界交響曲」e-moll op.95 など)
ボロディン(オペラ「イーゴリ公」、交響詩「中央アジアの草原にて」、交響曲第2番など)、バラキレフ(東洋幻想曲「イスラメイ」)、ムソルグスキー(オペラ「ボリス・ゴドノフ」、ピアノ組曲「展覧会の絵」)、リムスキー=コルサコフ(交響組曲「シェヘラザード」など)、チーコフスキー(バレエ「白鳥の湖」、交響曲第6番「悲愴」など)
グリーグ(ピアノ協奏曲、劇判音楽「ペール・ギュント」、ピアノ曲「抒情小品集」、歌曲「最後の春」など)
プッチーニ(オペラ「トスカ(星は光りぬ)」「蝶々夫人(ある晴れた日に)」「トゥーランドット(誰も寝てはいかん)」など)、マスカーニ(オペラ「カヴァレリア・ルスティカーナ」映画「ゴッドファーザー PART III」のあれ)、レスピーギ(交響詩「ローマの松」などローマ三部作)
マーラー(11曲の交響曲と歌曲)、ヴォルフ(ドイツ語歌曲の頂点として非常に有名)
リヒャルト・シュトラウス(交響詩「ツァラトストラはかく語りき」〈映画「2001年宇宙の旅」のあれ〉オペラ「サロメ」〈裸踊りで有名〉「薔薇の騎士」〈少女漫画オペラ〉)、レーガー(変奏曲と室内楽の達人。歌曲も秀逸)
ダンディ(「フランスの山人の歌による交響曲」は初音ミクが歌った冨田勲の「イーハトーヴ交響曲」の元ネタ)、ショーソン(「詩曲」、フランクの影響を受けた1曲だけの交響曲など)、ドビュッシー(オペラ「ペレアスとメリザンド」、交響詩「海」など)、ラヴェル(バレエ音楽「ダフニスとクロエ」、ピアノ協奏曲ト長調など)
フェルステル、ヤナーチェク(オペラ「利口な女狐の物語」、村上春樹のせいで何故か有名になった「シンフォニエッタ」)、スーク(アスラエル交響曲などが有名)
シマノフスキ(「スターバト・マーテル」など)
グラズノフ(ロシア浪漫派交響曲を集大成した作曲家として有名)、ラフマニノフ(無伴奏合唱曲「晩祷」で非常に有名)、スクリャービン(神智学に陶酔した交響曲第4番「エクスタシー」と、「神秘和音」を駆使した妄想ピアノソナタで非常に有名)
エルガー(「威風堂々」が有名だが真の傑作は交響曲第2番)、ディーリアス(「春始めての郭公を聴いて」は英語圏では誰もが知る名曲)、ヴォーン・ウィリアムズ(「田園交響曲(3番)」と「南極交響曲(7番)」が有名だが5番も捨て難い)
ヒンデミット(オペラ「画家マティス」と、その音楽をまとめた交響曲が有名)
シェーンベルク(無調音楽、12音音楽の創始者。彼が最初に12音音楽による楽曲を完成したのが1921年なので今年はシェーンベルク式12音音楽の100周年。まず聴くばきは「ピアノ協奏曲」「ヴァイオリン協奏曲」「弦楽四重奏曲第3番、第4番」)、ベルク(無調音楽、12音音楽に調性音楽的要素を取り入れて聴きやすくした人。オペラ「ヴォツェック」「ルル」、器楽曲では「ヴァイオリン協奏曲」が有名)、ヴェーベルン(12音音楽の究極として有名)。以上の3人は「シン・ヴィーン楽派」として20世紀音楽を語る上で非常に重要です。
いわゆる「6人組」の時代。現在でも有名なのはプーランク、ミヨー、オネゲル(交響曲第2番と第3番はカラヤン盤もあるので聴いて下さい。このほかオラトリオ「火刑台上のジャンヌ・ダルク」も泣けます。実はスイス人)。現代音楽史的により重要なのはメシアン(「トゥーランガリラ交響曲」「世の終わりのための四重奏曲」「彼方の閃光」オペラ「アッシジの聖フランチェスコ」などが非常に有名)。
プロコフィエフ(大人は「ピーターと狼」みたいなガキ向けの曲は聴かず「交響曲第2番」の暴力的激しさにヒャッハーしましょう)、ハチャトリアン(「剣の舞」とかいう曲は子供の頃運動会で聴いたでしょうから、そんなものより「交響曲第2番」でファシストとの激しい戦いを体感しましょう)、ショスタコーヴィチ(世間一般では交響曲第5番が知られていますが、高く評価されているのは4番、8番、10番、14番など偶数番号の交響曲です。真髄はオペラと弦楽四重奏曲です)
20世紀後半以降は省略。
チョコはみんな貰えるかなー?ネコチャン🐈は友チョコをおくったよ。
自分の誕生日のケーキも買ってないのに(昨日イチゴ🍓を食べた)
推しに贈ったって埋もれるだけ。
ネコチャンは自分のために送料無料(誕生月クーポン)の高島屋のギフトで
いいことないニャ。
アマプラで見たけれど、酷かった…なんであんなに人気だったのか分からん
何よりも黒幕であるクレイが死ぬなり改心するなり投獄されるなりの
何らかのはっきりしたけじめがつけられていないのがすっきりしなくて
それと似たような盛り上がり方をしている羅小黒戦記を見た時にはフーシーの最期が可哀相だなと思ったけれど
思えばやった事に対してきっちりした報いを受けていたから嫌いにならずに済んだんだというのを実感した
人におすすめされたやつだったり、ネットでバズってるやつだったり、あとは自分が好きな有名人関連しか、映画に触れるモチベーションが湧かない
いざ映画みようと思ってアマプラめちゃくちゃ(10分くらい)探して結局見ないとかザラ
苦手
・不治の病系
フィクションで悲しみたくない、余命1ヶ月の花嫁とか、ハピエンに見せかけて登場人物の1人が認知症のやつとかも無理
・グロいやつ
怪我で血が出てるくらいならOK、パラサイトはちょっと怖かった、戦争で手足がとかも無理
シーンとした街中でいきなり爆破みたいなやつ。これが無理でアクション映画は結構無理。映画で無駄にハラハラしたくない。
・バッドエンド
フィクションで悲しみたくない、ララランドですらちょっと無理だった、ラブラブランドがいい
・設定が現実とかけ離れてるやつ、複雑なやつ
程度によるけど聞いた情報だけで理解するのが難しいタイプなので、設定を飲み込みきれないまま終わることがよくある。
・胸糞系
よっぽど話が面白くない限り難しい。アナ雪はよかった。映画じゃ無いけどアニメキングダムはちょっと苦手。
最近は話題になったやつしか見てないけど、話題になったやつは面白いと感じることが多いかな
・カメラを止めるな
グロシーンは目を瞑ってる
・プラダを着た悪魔
・ショーシャンク
・ジブリ
・昔のドラえもん
・アナ雪
・彼らが本気で編むときは、
・百円の恋