はてなキーワード: 青春とは
もろもろで再投稿
『カゲロウプロジェクト』が好きです。すごく好きで、だから映画が公開されると聞いた時はとても嬉しくて、前売りも買って、初日に見に行きました。だから、あの作品をどう捉えればいいのか分からないんです。捉えたくないと言うのもあるのかも知れなくて、あれから何日たっても消化しきれずにいます。「駄作だった」の一言で割りきれないんです。認めたくないんです。いままで好きだったことを、否定したくないんです。そういう話です。
前提として。カゲロウプロジェクトというのは(知っている人も多いだろうけれど)所謂メディアミックス型のコンテンツで、楽曲、小説、漫画、アニメ、それぞれが同じ夏の日を繰り返すルートの一つとして機能しています。ストーリーとしては「目にまつわる能力」を持った少年少女たちが、繰り返される夏の日の謎とその能力について迫っていく~という感じです。ハルヒのエンドレスエイトの設定が細かい感じ、と捉えると分かりやすいです。
小説なんかが発売される前、楽曲しかなかった頃。作者の「じん」さんの手によって投稿された楽曲群の一つ(コノハの世界事情、というボーカロイド曲)にドはまりしました。中学二年生のなんともアレな感性にあの熱い中二的世界観ががっちりはまったというか。それまでろくに曲を聞いたことの無かった私にとって、あのニコニコ動画という友達の知らない場所の、ボーカロイドという大人は知らない「特別」なコンテンツはすごく心を惹きました。それぞれのルートの共通点、明らかになる事実から徐々に全容を割り出す謎解きの感覚、個性豊かなキャラクター。今も好きです。初めて買ったCDも、初めて手を出した二次創作も、初めて買った同人誌も全部カゲプロです。アルバムは何百回も繰り返し聞いて、カラオケに行けば必ず一曲は歌います。SNSもカゲプロを語り合うために始めました。青春全部捧げました。服の趣味がパーカーとジーンズに固まったのも影響受けてます。それぐらい大好きで、多分相当にこじらせてます。私は、そういう人間です。
(勿論、パーカー着てる奴を蹴り飛ばしたりとか絡んでくるとかデマかよく分からない厨とか呼ばれるそういう輩と私は違います(同じに見えるだろうけれど)。ああいう輩のせいで普通に好きな人たちまでひとくくりにされることがすごく嫌でした。)
ある日、アニメ化の情報が明らかになりました。制作会社はシャフトでした。西尾維新さんも好きな私はアホみたいに舞い上がりました。あの大好きなカゲプロのキャラクターがガハラさんと同じシャフ度を!シャフ度をかましてくれる!放送まで毎週1人ずつ公開されていくキャスト、この子の声は誰だろう、とワクワクしながら同じく好きな友人と語り合いました。
そうして始まったアニメ。私は「どうして、こんなにつまらないんだろう」と首をかしげることになりました。
面白くないんです。なんというか、脚本が無理矢理な感じがして、うまく没入できない。ぎこちないというか、詰め込みすぎているというか、無闇に前衛的な表現をして失敗しているように思えました。画面前で、何度もいたたまれなくなりました。これをみている一般の人たちのことを考えると胃がいたくなりました。しかしツイッターに流れてくる意見は肯定ばかりだったから(フォローしてる人がクラスタしかいないんだから当たり前)、私は、己の認識を疑うばかりで、それにうまく返せなかったと思います。
あまりにも無茶が過ぎる脚本に構成で作られたこのアニメを、エンディングから考えるに恐らく最後の繰り返し=トゥルーエンドのルートになったこのアニメを公式と認めたくなかったです。でも、否定したくもありませんでした。
いやにあら探しばかりしてしまう性格だった事をすごく恨みました。ダメだった、という意見を口にすることが自分のせいで憚られるばかりで、盲目になれたらきっと幸せだったのかなと思います。拗らせていたはずなのに、結局私はその程度にしか好きになれていなかったと、そんな風に思いました。だって好きなものは否定したくないんです。大好きで大好きで大好きだっていい続けて二年たって、もうこの頃には私にとってカゲプロ大好きということは義務でした。というか、なんで嫌いって言わなきゃいけないんですか?という感じです。『カゲプロ大好きであることが私』、みたいな。
暫く経ってからまとめサイトの嘲笑う記事をみて、ああ、私の感性は間違ってないんだと思う反面、けれど大好きなコンテンツがおもちゃにされていることにすごい不快感を覚えました。否定したくないし、否定されたくもありませんでした。それが事実なんだとわかっていても。
勿論、良いことも一杯ありました。主人公のシンタローは寺島さん、その相方のエネは阿澄さんが声をつけてくれたし、彼らが動くところをみられました。新しい曲も作られて(dazeというめっちゃかっこいい曲、EDのボーカルはじんさんがよく使うボカロのIAの人が!)、楽曲のアレンジ版ではアニソン歌手のLiSAさんが歌ってくれたり。
でも、やっぱり私はアニメが、カゲプロに自ら汚点のレッテルを貼ったように思えたアニメが嫌いでした。だから、子供ながらに、アニメのDVDを買わないことを唯一の反抗としました(それ以外の関連商品は全部買ってました。ここで一旦、カゲプロに関する私の収集癖が止まったのでそれは良かったです)。
アニメの後、それまでバカみたいに追いかけていたのが多少我に返ったのか、カゲプロに対する熱は冷めていました。逆にラブライブへめっちゃハマりました。曲からハマったカゲプロと同じようにハマりました。クラスでもスクフェス(アプリゲーム)が流行っていて、カゲプロは、時折ちょこちょこ入るカゲプロ漫画の情報を確認、発売する小説を読む程度でした。カゲプロクラスタじゃなくて絶好調にラブライバーでした。まきちゃん。
じんさんは自分の音楽活動に絶好調のようでした。私が好きなのはカゲロウプロジェクトを作ってるじんさんなので、さっぱり興味もわきませんでした。それ以外ほぼ何の動きもない期間が二年くらい続いて、今年。
長らく音沙汰の無かった小説の新刊が出て、舞台となる夏にはいつもよりこったイベント(ニコ生)があって、そこでアニメ二期と映画化が発表された時、久しぶりに己の中の炎が燃え上がるのを感じました。ああやっぱり私はカゲロウプロジェクトが好きだったんだ!と、その時何処か安堵しました。じんさんはカゲプロを忘れていなかった。わくわくが止まらなくて、嬉しくて嬉しくて。ものすごくテンションが上がりました。皆とうらぶとあんスタの話しかしてなかったのに、またカゲプロの話をしていて、その光景によくわからないけどありがとうって思いました。
映画の公開は11月。作画監督を、カゲロウプロジェクト全体のキャラクターを担当している「しづ」さんが務めると知りました。個人的には、しづさんの実力は文句のつけようがないと言っても過言ではないくらい、全てにおいて長けていると思います。シャフトの絵は私はそうでもなかったけれど、否定的な人も多かったので、今度こそ、ととても期待が持てました。
私はこの時点で、映画にたいして「カゲロウプロジェクトの面白い作品」ではなく「カゲロウプロジェクトの違和感を持たない作品」を求めていました。エンターテイメント性ではなく、普遍性をお願いしたかったんです。「最高の作品」じゃなくていい、「いろいろ言いたいことはあるけど、でも良かったと言える作品」が見たかったんです。変なギミックも要らない、無駄な挑戦も要らない、普通の、贔屓目にみられる人なら躊躇いなく面白かったと言えるような。
公開前に投稿された主題歌は控えめに言って最高でした。もう高ぶりが止まらなくて、ヘビロテしまくりました。若干判明していた作画や20分という短さへの不安が瞬間吹き飛びました。これ、いけんじゃないか……?アニメを忘れさせてくれるような、そういう存在になってくれるんじゃないか、と僅かながらに期待して。
容赦なく希望を踏み潰されました。なんだあれ。今でも言葉がないです。あんなクオリティーに1900円とか詐欺じゃねえか。意味のわからないストーリー、メアリースーじみた超展開、観客を置いてきぼりにする視点変更、ファンであることが前提だとしてもあまりにも置いてきぼりな紹介。無駄な4DX、ぶれる作画、絵すらないエンディング。たった二十分すら安定させて持たせられない。かくかくしたキャラクター絵はシャフトの方が数倍増しだと思わざるを得ません。(詳しくはねばーまとめとかとぅぎゃったーとかに物好きがまとめてると思うのでそれを)
一番嫌なのは、それなりを払って、期待して、好きなのに。それなのに、そんな否定的な言葉しかでないことです。認めたくないです。好きなんです。どんなものでもよかったって受け入れたいのに。周りの皆は絶賛しまくりで、私だけがおかしいみたいで、まるで二年半前のアニメ放送時の再現のようでした。
広げすぎた風呂敷は畳むことが出来るんでしょうか。アニメ二期もこのクオリティーなんでしょうか。日にちが経つにつれ不安ばかりが増していきます。なんで私は自分の好きなものが落ちぶれる様をみなくちゃいけないんだ、と変な怒りすらわきそうで、でも、嫌いになれないんです。きっとどんなひどいものを見せられても、イヤになったってキライにはなれないと思います。それくらい好きなんです。今だって好きになりたいと思っています。批判された所を否定したくて、でも否定できないことが一番悔しいです。辛いです。
これからも好きでいたい。でも、好きでいることで幸せになれないのなら、私はなんで好きになってしまったんでしょう。もし、むやみに話を広げすぎて謎すら解明されないまま終わってしまったなら、私が追いかけてきた意味はどうなってしまうんでしょう。今、そう思わせるだけのものがそこにはあるんです。昔は、期待ばかりあったはずなのに。
そんなに金が欲しいんですか?雑で手軽なコンテンツで大量に搾取できればなんでもいいんですか?ふざけるな、といえるような偉い立場じゃないことは分かってます。でも、少しくらい、良いものを提供してくれたっていいじゃないですか。
良かったって言わせてください。好きで良かったって言わせてくださいよ、お願いだから。
辛いのでFGOやります。以上です。
ライアーバードを読んだ。なんかリュウコミックスらしくない物語だったけど、音楽と青春がうまく混ざり合っていたので楽しく読むことができた。
主人公の二人がちょっと鼻につく性格をしているけど、二人の稀有な才能がぶつかり合った瞬間は最高だった。
ただ、BLUEGIANTみたいに、失敗しても次のチャンスが巡ってきて着実に前進していける展開じゃないのが好き嫌いが分かれるところだと思う。
はっきり言って一環と二巻が同時に出てなかったら感想はがらりと変わると思う。二巻を読み終わった時点で、ようやくスタートラインに立ったくらいだからもどかしい思いをしなければならなかった。
その分、三巻への期待は高まってる。またすぐに一歩進んで二歩下がりそうだけど、それでも読みたいって思わせてくれた。
料金は15k。
いや。だって、15kって、高校のバイトでも普通に稼げる額じゃん。肉体労働なら、2日で稼げるわけじゃん。
それで、こんなお手頃に、クラスで1,2番の娘が出てくるってヤバくない?
上位5%くらい。
もちろん、それなりに当たり。5回ガチャして、1回当たる確率のいい娘。
でもさ、それでも10回だよ。
デリヘルってのもあるけどさ。
逆にソープは激安店いくと全くいい女来ない。昔かわいかっただろうおばちゃんがせいぜい。
ソープなら、3万くらいになると、こういう娘が出始めるんだけど、プロっぽくなる。
か、かわええええええええええええ
こちとら、禿げたデブのおっさん。うわ~引いたなああたり~って思ってた。
もう、あった瞬間からすげーの。
嬢 「うわ~肩幅広いですね~何かやってたんですかー?」
俺 「まあ、ちょっと某スポーツを学生時代に、でも今は単なるデブだけど」
嬢 「ええ~触りたいー触っていいー?」
いやいやいやいやいや。
これ、クラス1,2番くらいの女の子ね?俺単なる禿げたデブのおっさんだよ?
おいおいおいおい!!!
イケメンでもなかなかこんなないぞ?
こんな娘買えてしまっていいのかよ?
脱泡ハーブ?じゃない、脱法美少女じゃねーか!!!!ってレベル。
もう、思わず聞いちゃったよ
俺 「こんなかわいいのに、風俗って、ヤバくない?だって読モとかやってておかしくないレベルだよね君。そのレベルが風俗で買えるってヤバくない?」
嬢 「う~ん、でも、もともと持ってるものを有効利用してるって感覚ですし。元々キャバやってたんだけど、こっちのほうがおいしいし。」
俺 「いや~そうなんだー美人ってそういう風に考えてるんだぁ。へえ」
脱いだらまたスレンダーな。裏切らない。
バンドやってたとのこと。俺も昔キーボードやったわ!とか言うと、
いやー。これはダメでしょ。
恋しちゃうだろ、こんなん。
貢いじゃう!貢いじゃう!
最近はイロコイ営業はなくなって、友達営業らしいけど。絶滅寸前のイロコイ営業ってこれかー。シミジミ。
俺の禿げた頭を両手でなでながら、
嬢 「かわいい~」
イケメンが頑張って取り合いして、ナチュラルにイケメンと付き合って噂になってるレベルの女の子よ?
橋本環奈はないけど、AVでのトップレベルは無いけど、読モで上の中くらい。
絶対ステータスに『オッサン殺し』ついてるわ~。パパがいただけあるわ~
わかってる、もちろんわかってる。
嬢はこちらにペースを合わせているが、若干こちらの理解より速いペースで攻めてくる。
河合塾?可愛すぎ?川居すぎ?
もうビンビンですなあ。
用意していたオナホールを出して、オナホールでコキコキしてくれとお願い。
笑顔でOK.
オナホールで美少女にこかせながら、ケータイでエロ画像を見る。
いやあ。出ました出ました。
美少女は空気を読んで、出した後もオナホールを差しっぱなしで会話を続けてくる。
さすがのキャバ嬢。
職場の〇〇さんに似てると言うと、
と、キスしてくる。
これが、15kで買えるとか、どういう非合法なんだ?
ま、その後は普通に帰ったんだけどさ。
『カゲロウプロジェクト』が好きです。すごく好きで、だから映画が公開されると聞いた時はとても嬉しくて、前売りも買って、初日に見に行きました。だから、あの作品をどう捉えればいいのか分からないんです。捉えたくないと言うのもあるのかも知れなくて、あれから何日たっても消化しきれずにいます。「駄作だった」の一言で割りきれないんです。認めたくないんです。いままで好きだったことを、否定したくないんです。そういう話です。
前提として。カゲロウプロジェクトというのは(知っている人も多いだろうけれど)所謂メディアミックス型のコンテンツで、楽曲、小説、漫画、アニメ、それぞれが同じ夏の日を繰り返すルートの一つとして機能しています。ストーリーとしては「目にまつわる能力」を持った少年少女たちが、繰り返される夏の日の謎とその能力について迫っていく~という感じです。ハルヒのエンドレスエイトの設定が細かい感じ、と捉えると分かりやすいです。
小説なんかが発売される前、楽曲しかなかった頃。作者の「じん」さんの手によって投稿された楽曲群の一つ(コノハの世界事情、というボーカロイド曲)にドはまりしました。中学二年生のなんともアレな感性にあの熱い中二的世界観ががっちりはまったというか。それまでろくに曲を聞いたことの無かった私にとって、あのニコニコ動画という友達の知らない場所の、ボーカロイドという大人は知らない「特別」なコンテンツはすごく心を惹きました。それぞれのルートの共通点、明らかになる事実から徐々に全容を割り出す謎解きの感覚、個性豊かなキャラクター。今も好きです。初めて買ったCDも、初めて手を出した二次創作も、初めて買った同人誌も全部カゲプロです。アルバムは何百回も繰り返し聞いて、カラオケに行けば必ず一曲は歌います。SNSもカゲプロを語り合うために始めました。青春全部捧げました。服の趣味がパーカーとジーンズに固まったのも影響受けてます。それぐらい大好きで、多分相当にこじらせてます。私は、そういう人間です。
(勿論、パーカー着てる奴を蹴り飛ばしたりとか絡んでくるとかデマかよく分からない厨とか呼ばれるそういう輩と私は違います(同じに見えるだろうけれど)。ああいう輩のせいで普通に好きな人たちまでひとくくりにされることがすごく嫌でした。)
ある日、アニメ化の情報が明らかになりました。制作会社はシャフトでした。西尾維新さんも好きな私はアホみたいに舞い上がりました。あの大好きなカゲプロのキャラクターがガハラさんと同じシャフ度を!シャフ度をかましてくれる!放送まで毎週1人ずつ公開されていくキャスト、この子の声は誰だろう、とワクワクしながら同じく好きな友人と語り合いました。
そうして始まったアニメ。私は「どうして、こんなにつまらないんだろう」と首をかしげることになりました。
面白くないんです。なんというか、脚本が無理矢理な感じがして、うまく没入できない。ぎこちないというか、詰め込みすぎているというか、無闇に前衛的な表現をして失敗しているように思えました。画面前で、何度もいたたまれなくなりました。これをみている一般の人たちのことを考えると胃がいたくなりました。しかしツイッターに流れてくる意見は肯定ばかりだったから(フォローしてる人がクラスタしかいないんだから当たり前)、私は、己の認識を疑うばかりで、それにうまく返せなかったと思います。
あまりにも無茶が過ぎる脚本に構成で作られたこのアニメを、エンディングから考えるに恐らく最後の繰り返し=トゥルーエンドのルートになったこのアニメを公式と認めたくなかったです。でも、否定したくもありませんでした。
いやにあら探しばかりしてしまう性格だった事をすごく恨みました。ダメだった、という意見を口にすることが自分のせいで憚られるばかりで、盲目になれたらきっと幸せだったのかなと思います。拗らせていたはずなのに、結局私はその程度にしか好きになれていなかったと、そんな風に思いました。だって好きなものは否定したくないんです。大好きで大好きで大好きだっていい続けて二年たって、もうこの頃には私にとってカゲプロ大好きということは義務でした。というか、なんで嫌いって言わなきゃいけないんですか?という感じです。『カゲプロ大好きであることが私』、みたいな。
暫く経ってからまとめサイトの嘲笑う記事をみて、ああ、私の感性は間違ってないんだと思う反面、けれど大好きなコンテンツがおもちゃにされていることにすごい不快感を覚えました。否定したくないし、否定されたくもありませんでした。それが事実なんだとわかっていても。
勿論、良いことも一杯ありました。主人公のシンタローは寺島さん、その相方のエネは阿澄さんが声をつけてくれたし、彼らが動くところをみられました。新しい曲も作られて(dazeというめっちゃかっこいい曲、EDのボーカルはじんさんがよく使うボカロのIAの人が!)、楽曲のアレンジ版ではアニソン歌手のLiSAさんが歌ってくれたり。
でも、やっぱり私はアニメが、カゲプロに自ら汚点のレッテルを貼ったように思えたアニメが嫌いでした。だから、子供ながらに、アニメのDVDを買わないことを唯一の反抗としました(それ以外の関連商品は全部買ってました。ここで一旦、カゲプロに関する私の収集癖が止まったのでそれは良かったです)。
アニメの後、それまでバカみたいに追いかけていたのが多少我に返ったのか、カゲプロに対する熱は冷めていました。逆にラブライブへめっちゃハマりました。曲からハマったカゲプロと同じようにハマりました。クラスでもスクフェス(アプリゲーム)が流行っていて、カゲプロは、時折ちょこちょこ入るカゲプロ漫画の情報を確認、発売する小説を読む程度でした。カゲプロクラスタじゃなくて絶好調にラブライバーでした。まきちゃん。
じんさんは自分の音楽活動に絶好調のようでした。私が好きなのはカゲロウプロジェクトを作ってるじんさんなので、さっぱり興味もわきませんでした。それ以外ほぼ何の動きもない期間が二年くらい続いて、今年。
長らく音沙汰の無かった小説の新刊が出て、舞台となる夏にはいつもよりこったイベント(ニコ生)があって、そこでアニメ二期と映画化が発表された時、久しぶりに己の中の炎が燃え上がるのを感じました。ああやっぱり私はカゲロウプロジェクトが好きだったんだ!と、その時何処か安堵しました。じんさんはカゲプロを忘れていなかった。わくわくが止まらなくて、嬉しくて嬉しくて。ものすごくテンションが上がりました。皆とうらぶとあんスタの話しかしてなかったのに、またカゲプロの話をしていて、その光景によくわからないけどありがとうって思いました。
映画の公開は11月。作画監督を、カゲロウプロジェクト全体のキャラクターを担当している「しづ」さんが務めると知りました。個人的には、しづさんの実力は文句のつけようがないと言っても過言ではないくらい、全てにおいて長けていると思います。シャフトの絵は私はそうでもなかったけれど、否定的な人も多かったので、今度こそ、ととても期待が持てました。
私はこの時点で、映画にたいして「カゲロウプロジェクトの面白い作品」ではなく「カゲロウプロジェクトの違和感を持たない作品」を求めていました。エンターテイメント性ではなく、普遍性をお願いしたかったんです。「最高の作品」じゃなくていい、「いろいろ言いたいことはあるけど、でも良かったと言える作品」が見たかったんです。変なギミックも要らない、無駄な挑戦も要らない、普通の、贔屓目にみられる人なら躊躇いなく面白かったと言えるような。
公開前に投稿された主題歌は控えめに言って最高でした。もう高ぶりが止まらなくて、ヘビロテしまくりました。若干判明していた作画や20分という短さへの不安が瞬間吹き飛びました。これ、いけんじゃないか……?アニメを忘れさせてくれるような、そういう存在になってくれるんじゃないか、と僅かながらに期待して。
容赦なく希望を踏み潰されました。なんだあれ。今でも言葉がないです。あんなクオリティーに1900円とか詐欺じゃねえか。意味のわからないストーリー、メアリースーじみた超展開、観客を置いてきぼりにする視点変更、ファンであることが前提だとしてもあまりにも置いてきぼりな紹介。無駄な4DX、ぶれる作画、絵すらないエンディング。たった二十分すら安定させて持たせられない。かくかくしたキャラクター絵はシャフトの方が数倍増しだと思わざるを得ません。(詳しくはねばーまとめとかとぅぎゃったーとかに物好きがまとめてると思うのでそれを)
一番嫌なのは、それなりを払って、期待して、好きなのに。それなのに、そんな否定的な言葉しかでないことです。認めたくないです。好きなんです。どんなものでもよかったって受け入れたいのに。周りの皆は絶賛しまくりで、私だけがおかしいみたいで、まるで二年半前のアニメ放送時の再現のようでした。
広げすぎた風呂敷は畳むことが出来るんでしょうか。アニメ二期もこのクオリティーなんでしょうか。日にちが経つにつれ不安ばかりが増していきます。なんで私は自分の好きなものが落ちぶれる様をみなくちゃいけないんだ、と変な怒りすらわきそうで、でも、嫌いになれないんです。きっとどんなひどいものを見せられても、イヤになったってキライにはなれないと思います。それくらい好きなんです。今だって好きになりたいと思っています。批判された所を否定したくて、でも否定できないことが一番悔しいです。辛いです。
これからも好きでいたい。でも、好きでいることで幸せになれないのなら、私はなんで好きになってしまったんでしょう。もし、むやみに話を広げすぎて謎すら解明されないまま終わってしまったなら、私が追いかけてきた意味はどうなってしまうんでしょう。今、そう思わせるだけのものがそこにはあるんです。昔は、期待ばかりあったはずなのに。
そんなに金が欲しいんですか?雑で手軽なコンテンツで大量に搾取できればなんでもいいんですか?ふざけるな、といえるような偉い立場じゃないことは分かってます。でも、少しくらい、良いものを提供してくれたっていいじゃないですか。
良かったって言わせてください。好きで良かったって言わせてくださいよ、お願いだから。
辛いのでFGOやります。以上です。
今日11月3日は文化の日。そんな仰々しい名前の日を休日にまでしているのだ、今日くらいは文化的なものに触れねばならぬと思い立ち、カリビアンコムという非常に文化的で洗練されたwebサイトに足を運び、周囲の時間を止めて本当に時が止まっているのかを他の人に触れることで検証するという非常に文化的で貴重な映像を見ることにした。しかし、その非常に文化的なwebサイトを巡っている辺りで何かがおかしかった。画面には文化的なバナー広告やパッケージが所狭しと言わんばかりに自己主張してくるにも関わらず、私の一物はパンツの中では所狭しと自己主張する気配が一切無かった。
異変に気づいてはいたが、それに見て見ぬふりをしながら文化的な映像を入手。ヘッドホンにティッシュペーパーを用意し、さあ準備万端、文化的な活動に精を出してやらんとモニターに向かい合って再生ボタンを押してみるが、やはりおかしい。その映像を何十分も見続けても、核心部分の時間が止まっていることを利用しながら少子化対策活動を行う貴重なシーンを目にしているときも、我が一物の文化的活動は始まるどころかうんともすんとも言わない。一体どうしたのだ。もしかして画面の向こうと同じく、こっちも時間が止まっているのだろうか。いや、そんな訳はない。
嫌な汗が脇にじんわりと湧き出てくる。最後まで見ても、ピクリともしない。なんてことだ。チンチンが、勃たなくなってしまった。
慌ててこれまでコツコツとためてきた文化財コレクションを漁って目を通してみたが、縮こまって萎れたまま、一切動くことはなかった。いつだってそうだ。人は失ってから初めてその大切さに気づく。どんなに強く握りしめてもピクリともせず、その温もりすら感じられない。一筋の涙が頬をつたい、凍てつくような部屋の隙間風が、涙の跡と丸出しの下半身に染み渡る。
ここ数年、パートナーと呼べる女性もいなかったために遊び相手もおらず、我が愚息は誰とも会うこと無く擦り切れたパンツの中に引きこもりっきり。そして私も仕事にかかりっきりで彼に構ってあげる時間もなく、引きこもりは更に加速。お元気ですか?お変わりありませんか?と市の福祉課職員のような週に1度の見守り&地域活性化活動も時間がないために段々と間隔が空いてしまい、ここ数ヶ月ほど目を離していた結果のこれである。実質、孤独死だ。
こんなのあんまりだ。まだ30になったばかりなのに。この世を去るには若すぎるだろう。これからまだまだ楽しいことがあっただろうに…。仕事には意欲を持って取り組めているし、たまの休みはゲームをしながら楽しんでいる。チンチンが勃たなくなって全てが楽しくなったわけでもないし、そうなることもないだろう。でも、高校時代に青春を謳歌できなかったという心残りに加えて、性生活も楽しめなくなるのだ。他の同世代の男女たちが楽しんでいること、人間が長きに渡って楽しんできたことの1つはもうずっと味わえないのだろうなと思うと、残念で無念でたまらない。
でも自分の幼さを実感する日々で、仕事で一人前になるのも、結婚するのもはるかさきだと感じる。
働くのは編集プロダクションなのに上司が70代前で、現代風の出版物を出したい顧客と上司との板挟み。
取引先には見下してくる女もいるし、見下されるのに対して正面から反抗してしまうから、よけい反発されて、なんのために働いているのかわからなくなる。
おもしろい本をつくりたかったはずなのに、ぜんぜんつくれない。
自信をもってなにかを提案することができないし、ストレスから会話のテンポも遅くなっている気がする。
うまくいかなさをすべて自分の幼さのせいにして、自己啓発やらを読み漁ってみたりする思考になるものの、どこかでそんなところに出口はないとわかっているので本気になれない。
でも出口を見つけるには自分の思考が足りないのもわかっていて、立ち往生してしまう。
ぐだぐだぐだ書き連ねたけど、二十代後半の女子は第二の青春ともよぶらしい……。
そういう時期なの?
自分なりの幸せを見つけられればいいとおもいながら、どこかで高望みしてんだろうな。
すてなさい?置かれた場所で咲きなさい?
そんなのわかってるんだ、わかってるけど感情がついていかないんだ。
編集だからって意味のある文章で昇華しようとしてたからだめだったのかな。
こうやって書いたらすこしすっきりした。
ここまで読んでくれてありがとうございました。
今まで彼女ができたことがなくてなんだか異性から、というよりも世界から否定されて生きている気がしてきている。
もちろん原因は自分にあることはわかっている。具体的には、ダサい、存在感や主体性がないことやほとんど無職であることやコミュ障、特に女性や知らない人に声をかけたりかけられたりするとほとんど逃げるような感じになってしまうなど、自分には良い点はない。こんな自分が好かれないのは当たり前である。
だから今まで彼女や異性の友達というのは諦めてきたんだけれど、ここ最近街中でカップルを見かけるたびに、少なくとも自分には無かった青春を謳歌している人はこんなにもいるんだと悔しくふがいなく思えてきた。
『ソラニン』って映画みて、オッサンのハートがイグニッション。
即レスポンス、即土日会おうとのこと。
いやしかしね、俺、もうアラサー。メンバーは20歳前後の3人。
怖くね?
ってかね、熱い思いを語られちゃったんだけど。
ヒモや実家暮らしはダメなんだって、だって、「音楽で食っていくのにそれは恥ずかしいでしょ」
え???
俺の中のデビルが叫んでいるんだ「ヒップホップで食っていくのは無理だ」って。
そもそも、俺、『ソラニン』を見て考えたのは、「こんなデブのおっさんみたいな風貌の奴でも、後輩から慕われてキスされるとかあるの?中年素人童貞卒業しちゃえるんじゃねバンドやれば?」そういう下心しかない。
あの、確かに、友達にはなりたいよ、20歳の若者たちと。飲み会とかカラオケはぜひ行きたい。
でも、申し訳ないけど、バンドは趣味程度でやりたいんだよねえ。
うん。
無理なんだよね。
でもでも、土日に一応面接あるらしい。
タトゥーとか入ってるゴリゴリの若者が着たらひいちゃうんだけど、大丈夫だよね?
あった瞬間、「なんだこのオッサン!?」ってなりそうだけど、大丈夫だよね?
セフレ見つけたり、女の子に惚れさせて風俗で働かせたり、そういういわゆる勝ち組男の青春がしたいだけなんだ。
オッサン、勉強ばっかで安定的な人生で社会の勝ち組になったから、そういうアウトローのおいしいところもかじってみたいだけなんだ。
怖い、土日に会って殺されないか。
いや、殺されるどうこうよりも、若者の熱にあてられて、次の音合わせとか平気で参加しちゃうかもしれないじゃんん。
怖え。
若者の『熱』が怖いぜ。
バンドの内容は、あやふやで、アニソンやるって言ったり、キュウソネコカムとからしい。
バックレる予定満々。
まあ、バックレても話のネタになるし。
毎年楽しみにしてる嵐のアルバムがやっと発売になったので適当に感想〜
とりあえずアリーナツアー入ったので魂は当然のように落選で、あ〜この曲生で拝みたかったってなってます
じゃあ早速↓(※wの使用&後ろ向きな意見もあります ご注意下さい)
01.DRIVE
すごい気だるさが漂ってる曲だな〜。伊豆半島の海沿いの道をオープンカーでたらたら走る嵐が脳裏をかすめた(地味)
80年代〜90年代の曲の雰囲気があって耳馴染みはいいしコーラスとかオシャレ。ただ一曲目のつかみの曲としては地味目な気もする、、
02.I seek
シングルカットの曲だしいろんなとこで歌ってたからやっぱ安心感ある。
03.Ups and Downs
カップリングにありそうなアップテンポな人生いろいろあるぜ曲。
1番も2番もサビ前の大宮の高めの声で曲を引き締めてる(?)のがいい
この曲最初まったく自分的にはピンとこなかったけどラスサビ前の大野くんソロで印象がガラッと変わった
あそこからラスサビに入る時のドラムとか嵐の曲にしては珍しい感じしたんだけどどうなんだろう
太鼓の音聞こえてきた途端耐えきれずにワロタ さすが相葉くん監修の曲だなって感じですごい楽しい
まず曲の入りの電子音が80年代アニメっぽくてすごい好きw個人的にはタッチのオープニングいける
コンサートではコーレス絶対盛り上がるのが想像ついてほんと羨ましい;
歌詞は純粋な(?)ラブソングで「もう一回」からのサビも最高だし早口のとこもたまらない
サビはみんなが応援団服きて前後左右に真顔で手を振ってるイメージしかわかない
去年とは打って変わってこのままもっと的な路線。パブリックイメージの櫻井翔!って感じの爽やかな曲
とにかく"おはよう!"って言いたいめっちゃ評判のいい英語教師って感じ ほんとにサビがかわいいし、底抜けに明るい歌詞で元気になる
いい日ってのは君次第だよ〜的なことを繰り返して言ってくれるのも頑張ろって気分になれるしとにかく朝に聞きたいからあしたは朝聞く!
06.復活LOVE
とにかく山下さんが音にこだわって作ってくださっていてしかもコーラスもギターもやって下さってるとか強すぎ
自分的スルメソング みんなが仮歌の山下さんの歌い方につられてるのが面白い
アリーナでのスタンドマイク持って出てくる演出めっちゃよかった(今更)
最初バラードかと思ったけど結局はすごいアップテンポの軽薄な感じの(褒めてる)ラブソング
これすごいコンサートで盛り上がりそうで行きたかった欲しか湧かないw
盛り上がってんの?とか相葉くんそのもので聴いててウキウキする
相葉くんの曲はfriend shipが不動のno.1だけど毎年変わった曲調のソロを用意してくれてほんとに楽しい…ありがとうございます…(合掌)
ほんとに意外すぎる曲調
PPAPとパーフェクトヒューマンとカンナムスタイルをかけて3で割るとこれになりそうで、とにかく耳にはすごい残る
すごい難しそうな曲だし大野くんの低音から高音まで楽しめる曲ではあると思うんだけど…
大野くんの明るいソロかバラードがまた聞きたいと思ってしまって…すみません
聴き込んでるうちに印象が変わるといいなと思ってます
二宮くんが監修っていうのわかる〜すごいわかる〜って曲
1番のサビの前半部分を相葉くんソロにしたのも面白いな〜って思った
突然のウィスパーボイスで椅子から落っこちたけどほんと二宮くんは曲に表情をつけるのがやっぱとっても上手いなって感じた
11.Daylight
12.愛を叫べ
別ににのあい担ではないけど初披露時のMステのラブ&ピースはリピート不可避だった
13.Baby blue
途中
毎年楽しみにしてる嵐のアルバムがやっと発売になったので適当に感想〜
とりあえずアリーナツアー入ったので魂は当然のように落選で、あ〜この曲生で拝みたかったってなってます
じゃあ早速↓(wとか使ってます)
01.DRIVE
すごい気だるさが漂ってる曲だな〜。伊豆半島の海沿いの道をオープンカーでたらたら走る嵐が脳裏をかすめた(地味)
80年代〜90年代の曲の雰囲気があって耳馴染みはいいしコーラスとかオシャレ。ただ一曲目のつかみの曲としては地味目な気もする、、
02.I seek
シングルカットの曲だしいろんなとこで歌ってたからやっぱ安心感ある。
03.Ups and Downs
カップリングにありそうなアップテンポな人生いろいろあるぜ曲。
1番も2番もサビ前の大宮の高めの声で曲を引き締めてる(?)のがいい
この曲最初まったく自分的にはピンとこなかったけどラスサビ前の大野くんソロで印象がガラッと変わった
あそこからラスサビに入る時のドラムとか嵐の曲にしては珍しい感じしたんだけどどうなんだろう
太鼓の音聞こえてきた途端耐えきれずにワロタ さすが相葉くん監修の曲だなって感じですごい楽しい
まず曲の入りの電子音が80年代アニメっぽくてすごい好きw個人的にはタッチのオープニングいける
コンサートではコーレス絶対盛り上がるのが想像ついてほんと羨ましい;
歌詞は純粋な(?)ラブソングで「もう一回」からのサビも最高だし早口のとこもたまらない
生徒を飽きさせないために、授業中数分程度だがサブカルチャーの歴史みたいな小話をする。
1995年のプレステにおける「ときメモ」。恋愛ゲームの誕生だ。
「ときメモ」はゲームとして非常に出来がよく、可愛い女の子を愛好するグループと、ゲーム性を重視するグループ双方納得する出来栄えだったところに歴史的意義がある。
この均衡を破ってしまうのが、1998年の「センチメンタルグラフティ」だった。
女の子は可愛いが、ゲーム性は糞。かくして萌え派とゲーム性派は永遠に離断されてしまった。
こんな話を、普段歴史を話すテンションと同じように生徒に伝える。
セングラのところで、もちろん笑いが起こる。
しかし、帰ってきてyoutubeで「セングラ」のオープニングを一人でみると、どこか言葉にし切れなかった部分があったことに気づかされる。
あのちょっと長閑で間が抜けたところがある洗練された音楽。暗黒太極拳と揶揄される少女たちの舞踏は、作画自体は大変にいいものだ。
確かにあの頃、このゲームはクソゲーと評されていたように思う。けれど、どこか愛らしいゲームだと、今更ながら思う。そしてそれは17歳には俄かには伝えられない要素だ。
世間のこともあまり知らず、特に何も考えずに青春を謳歌できていたあの頃。そんな時代を今私は懐かしく思う。その時に、想い出すのは「ときメモ」より「セングラ」だ。
これは私の年齢によるところが大きいのだが。
「え、男の?」
「それがどうかしたの」
「ぼくはね、それ以降もたくさんおっぱいを触ってきた。
たとえ女子高生であったとしても、ね」
「何が言いたい?」
「ぼくにとって理想的なおっぱいは、あの同級生のおっぱいなんだ。
そしてそれは二度と感じることの出来ない淡く甘い記憶でもある」
「すべてが、さ」
「すべてが?」
未熟でもなく、かと言って成熟し切っているわけでもない。
高校生になったら見た目は幼くともおっぱいは大人のものと、そう変わらない」
「青春っていうのさ、誰にとっても偏りなんだ。
ぼくたちはその偏りを失って大人になっていく。
そう、ぼくにとっての一番の偏りはあのおっぱいだった。
二度と目にすることも、触ることもできない、あの膨らみが全てだったんだ」
GANTZ:O
どの映像作品も今まで見たことのないような世界を俺に見せてくれた。
キングスグレイブで日本の映画がここまでの3DCGを作れるのかと驚き、そしてその超絶なアクションに興奮した。
シン・ゴジラでは戦車に興奮し、ハリウット映画とは違うヒーロー達の姿を見せてくれた。
君の名は。は極上の恋愛映画を堪能させてくれたうえに、日本中にアニメを見ることを広めてくれた事に感謝したい。
聲の形では青春期のコミュニケーションの難しさや生き辛さを見て大いに共感した。
そしてGANTZ:Oではキングスグレイブとは違った方向性の驚異的な3DCGを見て、また驚かされた。
もちろんレッドタートルもズートピアも傷物語もプリキュアもコナン等の他のタイトルもみな素晴らしい。
そして11/12日アニメ映画としておそらく今年最後の期待作「この世界の片隅に」が公開される。
予告を見ただけで泣いてしまった俺はおそらくこの映画を見て号泣するだろう。
ふと思い出したんだが、中学のとき、交際してもいない女子に突然ディープキスした同級生(男)がいた。
放課後のほとんど人がいない時間帯だったんだけど、その男が突然女子の名前を呼んで振り向き様にディープキス。
その女子は最初混乱したのか白目剥いたみたいな朦朧とした顔(トラウマ級の不気味な表情だった)してたんだけど、
当時の自分は職員室に駆け込んだと思っていたけど、実はそのまま自宅に帰ったらしい。
その後、噂になることを避けるためだったのか、それほどの大ごとにはならず、
その男子は相手女子の親の前でこっぴどく叱られる以外の制裁はなかったようだ。
ただ、少数とはいえ目撃者がいる事件が噂にならないわけがなく、
彼女の家族と教師による配慮に反して、学校中の噂になってしまった。
中学は卒業したけれども、高校はどこか遠くの私立に行ったという話を聞いた。
当時はまだガラケー最盛期だったので、今のようなネットを介した噂の伝播もなく、
ただ、その女子の身の振り方よりも自分が記憶に残っているのは、
ディープキスをした男子が同じ男子同士の間では英雄視されていたこと。スゲーなお前!といった具合に。
一方の女子が青春を台無しにされるレベルの痛手をこうむったことに比べると、扱いの差は明らかだった。
「隙があったんだろうね」とか「もう傷物じゃんw」みたいな被害女子に対する中傷もあった。
この事件から自分が学んだのは、程度の差こそあれ、男性同士は女性へのレイプが自慢になるということ。
そして、女性のレイプ被害は、加害者よりも被害者の方が損失が大きいということ。
男性間の社会にはレイプが「手柄」になり得る空気があって、レイプ被害者にとって同性は大した味方にならない。
だから、女性はレイプ被害者にならないように全力で自衛しなければならない。
ドア付近にもたれかかり、本当に苦しそうにしていた。
その時僕はまだ高校生でなかなか声をかける勇気を持てなかった。
どうしようと視線を泳がしていると留学生っぽいアジア系の外国人と目が合った。
彼も行動に移す勇気を持てずにいるようで、二人は無言のままにうなずきあった。
次は僕の最寄り駅だ。
返事もなく今にも膝から崩れ落ちそうだ。
次の駅で下ろそうと決断したときに、女性は軽く嘔吐した。幸い床が少し汚れた程度だ。
電車が駅に到着してドアが開く。
留学生らしき彼と、両脇を抱えて女性を目の前のベンチに座らせる。
僕が片言の英語とジェスチャーで「it's OK. this is my station.」というと、彼は理解したのか電車に戻る。
火の付いた正義感にまかせたまま駅の階段を改札めがけて駆け下りると、そのままの勢いで駅員さんに言い寄った。
「大変です!女性が苦しそうにしていて!少しもどしてしまっているんです!今、ホームのベンチに座らせています!」
そんな僕の姿を見ても駅員さんは冷静だ。
「はい!!」
言われるがままに勢い良く改札を抜けると駐輪場まで全力ダッシュ。
ところが駐輪場でふと我に返り、あれ?駅員さんと一緒にベンチまで戻ったほうが良かったんじゃね?っていうかここまで全力ダッシュする必要なくね?と冷静な疑問。
その直後、誰もいない深夜の駐輪場で自らの謎の勢いを思い出し、一人真っ赤な顔で頭を抱えてもんどり打ったのは今からもう20年以上の前の話。
その後の一週間程度は掲示板にお礼が書いてないかなんて期待なんてしてねーし。その女性とその後大人なおつきあいなんて妄想とか夜な夜なしてねーし。
私を知らないでを読んだ。素敵。久々に胸躍らされるヤングアダルトが読めた。
扱ってるテーマは結構重いんだけど、コミカルな文章が随所に散りばめられているので、ところどころ笑いながら読めたのもよかった。
ただそれぞれのエピソードがなんとなく散漫としている感じはする。全部しっかり繋がってるんだけど、ひとつひとつが密着していないというか、ぼやーっとしてるような気がする。
でも、最後まで読み進めると、いろいろと振り返りたくなる物語だった。あのとき、言葉の裏では何を思っていたのかなあなんて、想像してみるともっとどっぷりつかれるのかもしれない。
主人公が斜に構えているように見えるので、好き嫌いが出るかも。というか、どの登場人物もどこか尖がっている奴らばかりなので、キャラノベルとしても楽しめるんじゃないかな。
世の中の男VS女問題で、実はそう見せかけて、リア充(というかうぇーい系?)VS草食の場合も結構あるんじゃないかとふと思った。あくまで一部の話です。
まず女子側の問題で、セクハラとか容姿いじりとかの話。具体化したほうがわかりやすいけど、「ちゃんと化粧しろよ、地味なんだからw」とか「○○ちゃんとくらべておまえはブスだなあ~」とか「生理?」とかそういうの。こんなからかいを飲み会でする人は実際のところ年代問わず、大学時代にうぇーいなことをしてきた人々が多いように見受けられる。
で、こういうことに対する文句を、女子側が「男は」と主語を大きくして語る。腹が立つのは全然まったくそんなことをしたことのない草食男子だち。「男は」ってなんやねんと。自分はそんなことしたことないし、むしろ女側にからかわれたりしてるんだぞ、と、憤りを感じる。
男子側の問題についても、実のところ女子とほぼ変わらず、セクハラとかいじりの対象になっている人々がいる。こちらも具体化すると、「童貞?」「彼女いないの?」「きもいw」とかいうのをすごくフランクに言われてきた層。男→女に対するセクハラ発言は性的な不快さが大きいのに対し、女→男のほうが単純に「言い方きつすぎ」の一言かなあと思う。そこまで言う?っていうことを本当にフランクに言うんだよね。同性相手にならそこまで言わないだろ、ということを男(地味)相手になら平気で言ったりする。女側でこういうこと言うのも、いじり=コミュニケーションと捉えがちなリア充よりの女子。
で、こういうことに対する男子側の文句を同じく主語を大きくして語ると、腹が立つのはセクハラされるような地味な女子。「そんな女ばっかりじゃないし!!!」「むしろ男のほうがひどいし!!!」ってなるわけでは、と思う。特に性的なからかいが関わってくると、女子側はひどい…。あと、男→女の場合、先輩ないしは上司というパターンが多く、パワハラにも繋がりやすい。
すべてがすべてではないけど、このようなことを相手に言う人は、性別問わず「ノリがいいこと=よいこと」「ノリがいいこと=いじって笑いをとる」というような青春?時代を過ごしたタイプの人であると思う。
ただそうしたタイプのほうが圧倒的に印象が強いため、被害を受けた人にとっての「女」あるいは「男」のステレオタイプになるんじゃないかな、と思ったりした。
もちろんこれがすべてじゃないのはわかってるけど、男VS女問題に見せかけて、ウェーイVS草食の学校カースト引きずった結構このパターン多いのでは?って思う。加害者になったことない被害にあった人同士が罵り合って、加害者同士は「そんなひどいこと言うひといる^^;?」って言ってたり、あるいは「それもコミュニケーションでしょ…」って言ってたりするっていうやつ。