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2020-07-02

でかパイの多い中華料理

デカパイ文学とはなんなのだろうか?

明治初期に成立したこ文学には令和にもフォロワーが多く、人気ジャンルとなっている。

物語キャラクター性にデカパイを加えるだけで千変万化するこのジャンルへの関心はなおさら高くなっている。

さて作劇の都合上、ここで二人の猟師が登場する。

一人はデカパイで、もう一人はナイチチとする。

ある2人の若い淑女が猟犬を連れて山に狩りに出掛けた。しかし、待てども暮らせども何の獲物も出てこなかった。

まりの山の奇妙さに、案内人とははぐれ、猟犬は泡を吹いて倒れてしまう。

「何の獲物も捕れず、犬も失うとは大きな損失だ」と下山を決意した2人の前に、突然、立派な洋館が現れる。

「ただでうまい料理が食べられそうだ」と腹をすかせた2人は「デカ乳亭」の中に足を踏み入れたのだった。

入った2人を待っていたのは「デカパイ若い人は大歓迎」という看板。これを見たナイチチは「これはセクシュアリティへの差別であり、到底容認できるものではない。裁判にて決を取ろう」といい、腹が減っていたデカパイに連れられる形で踏み込んだ。

進んでも進んでも店の中は広く、なかなか奥までたどり着かない。

そのうちに「髪をとかして泥を落としてください」「鉄砲を置いてください」「服とブラとをお脱ぎください」などの指示が現れた。

「これはよほどエロい人が来ているに違いない」と都合よく解釈し、指示通りにしていく。

しかし、最後の指示は「二人でバージンオイルを塗り合え」というもの

さすがの2人も自分たちレズビアン強要されていることに気づき作品コンプライアンス問題に気付いてガタガタ震えだす。

おしまいには淑女百合を見れなかった猫が喚いて終わると言うものである

こうしたデカパイ小説は30分ほどでかかれることも多いため、荒が多い。

しかし、そうしたあらを愉しめることがデカパイ文学者には求められる資質である

以上。

2020-06-20

anond:20200617112019

同じ状況でも肩身が狭そうにしているかどうかは個人資質などによって異なる。

ある一個人の様子が一見こうだからといって状況がその通りだとは限らない。

2020-06-19

anond:20200619114001

立憲民主国民に期待されてるなんてどこにも書いてないだろ。

安倍政権批判をしたら「野党支持者に違いない」ってのは短絡的すぎるから直しな。

枝野氏が「器」だなんて言ってないけど、「器」みたいな話するなら8年以上やって成果出せない奴が「器」なのか?

野党には国家運営能力はないけど、今の政権にも日本方針を決める資質がないんじゃない?

2020-06-16

anond:20200616110225

本人の資質問題じゃないにしても、現状キモかったり無理ならおんなじだからな。

余暇がまったくないほど学業に打ち込むタイプも、女性と接する機会がないほどホモソーシャルどっぷりなのも、外から見たらまあまあヤバイやつには違いない。

2020-06-15

「耐性がある」のを「鈍感」と看做される事に腹が立つ

周囲が「臭い」だの「喧しい」だの騒いでいる時に「自分はそんなに…平気ですけど…」と言おうものなら、まるで宇宙人に遭遇したかのような顔をされて

「お前は変だ」だの「鈍感」だの「耳掃除してる?」「鼻の穴塞がってない?」だの酷い言葉を浴びせられる。本当に憎たらしいと思っている。

そんな奴等は「耐性が無い」という劣った属性を「感覚が鋭敏」だという優れた資質だと勘違いしているはっきり言えば愚鈍である

奴等は俺が悪臭の中で「アンモニア30%…メチルメルカプタン20%…」と冷静に成分分析している事に全く気付いていないし、

快速列車が目の前を通過しているその瞬間に隣のホームで誰かが懐からパスケースを落とした音を聴いている事も知らない。

2020-06-14

anond:20200614173720

兄弟でも考え方や付き合う友達の傾向は異なることもある。育ち以上に本人の資質

2020-06-12

警官による黒人殺害の原因

黒人差別かって言われると正直厳しいんじゃないかなあ

ググって調べるだけでも黒人前科があったり検視で薬物反応出てたりってのが分かる

けど何故かそこは報道では伏せられてる

みんなも知らなかったでしょ

これって白人であってもがっつり取り押さえられるケースだよね

もちろん差別がないとかそんな話じゃないよ

単に、黒人が取り押さえられて死んだからと言って、それは黒人差別が原因とはいえないってだけ

白人でもアジア人でも同じ対応にならそれは差別じゃないよね

単に警官資質や行き過ぎた取り押さえの問題差別すり替えようとしてるように思える

2020-06-11

死んだ猫の重みを知る人へ

 この世界人間は二つに分けられる。死んだ猫の重みを知っている人とそうでない人である

 数年来の友人に向けてこの文章を書いている。あるいは、見せずにしまっておくかもしれないけれど。


 この話を始める前にまず記憶というものについて書いておきたい。人間にも二種類いるように、記憶もまた二つに分けられる。つまり、忘れても思い出せる記憶と、忘れてしまったきり思い出せなくなる記憶である

 どんな記憶忘却可能性を含んでいて、それがいか尊い記憶であれ、厳然と忘れられうるのである

 とは言え、尊い記憶は大体忘れた後でも思い出せるものだ。例えばそれは親愛なる友人に関する記憶だったり、あるいは情愛を抱いた誰かに対する記憶だったり――そういう類だ。

 これから話す記憶は――意外だと思われる人もいるかも知れないが――恐らく後者に分類されるものである。死んだ猫の重みに関する記憶は(少なくとも僕にとっては)、一度忘れしまえば二度と思い出せない記憶である。つまり、その記憶は僕の人生においてそこまで重要記憶ではないということになる。

 あるいは、死んだ猫の重みを人生最後まで引きずっていく人もいるのかもしれないけれど、僕がこの世界からいなくなる時に、多分、死んだ猫の記憶は僕の傍にはいない。


 人生というのはタフなもので、多くの場合予断を許さない。例えば、猫は前触れなく死んでしまう。そこに救済は存在しない。

 猫は突然死ぬ

 重要命題である

 だからこそ、我々はタフにならなければならない。タフな(きつい)人生に耐える為には、我々自身精神的にタフにならなければならないのである

 して、タフな人生を生き延びるために重要資質とは何だろうか?

 僕が思うに、恐らくそれは一種判断能力である。つまり重要もの重要でないもの区別する為の判断能力である

 この世界において、重要もの重要でないもの比較すれば、前者は圧倒的に少なく、後者は圧倒的に多い。これは考えるまでもなく当然のことである重要ものが我々の前に際限なく溢れ返っているのであれば、我々の人生もっと救済に満ちたものになる筈だからだ。でも、現にそうなってはいない。人生における重要事物は泥の中の砂金と同じである。それは、恐らくは多くの人が感じていることだろうと思う。

 そう、我々が人生を全うする為にもっと重要能力は、数少ない重要物事出会った際に、その重要出来事を迷わず掴み取る能力なのである

 タフな人生を本当に生き切る人間に備わっている素質は、恐らくはそれだ。彼らは汚泥の中の砂金を迷わず掴み取り、幸運の女神の前髪を毟り取らんばかりに握る。僕も、そういう人間になろうと日々心掛けてきた。この世界に溢れ返る物事の中に、ほんの僅かに存在している、かけがえのない事柄。あるいは、溢れ返る人々の中に存在している、かけがえのない人々。そういう人(もの)に出逢えば、できるだけそれを失わまいとしてきた。

 人物だけではない。記憶に関しても同様の態度を取ってきた。

 我々の心の中には無数の記憶存在している。その多くは、断言するに無意味記憶に過ぎない。病院記憶体育館記憶商店街記憶――はっきり言って、その殆ど無駄記憶だ。重要記憶というものは一握りしか存在していない。

 我々の人生には限りがある、その限られた人生の中で、無意味記憶無意味な情愛を注ぐことだけは避けなければならない。情愛を注ぐべき人を選び、情愛を注ぐべき記憶を選別すること――自分にとって重要ものを、重要でないものの中から選び抜くこと――それが本当に大切なことなのだ。だから、我々は、警戒しなければならない。一見重要であるように装っておきながら、実際には全く我々の人生無意味事物……そういうものへの執着を捨てなければならないのである

 書いていて思うが、幾分このような視点には屈折の気配がある。勿論、それは自分でも分かっている。でも、やはり我々の人生は貴重なものであり、貴重でないものと触れ合うことで、その輝きを鈍らせる必要はない――そういう視点が一抹の正しさを備えていることも、また事実なのだ

 はっきり言おう。

 これから語る記憶は、決して僕の人生重要ものではない。むしろ、どうでもいいものなのだと。

 

 大した記憶ではない。

 道の真ん中で白い猫が轢かれていた。静かな初夏の日和だった。

 その肉体の損傷は一見して分からなかったが、恐らく内臓が酷く傷ついたのであろう、鮮血が周囲には広がり、血溜まりを作っていた。既に絶命していた。絶命してからどれくらい時間が経ったのだろう? 正確なところは分からないのだけれど、多分一時間と経ってはいるまい。白い猫はまだ綺麗だった。制限速度の高くない、幹線道路から外れた細い道路だったことが幸いしたと見え、多くの運転手ゆっくりと車を走らせていた。つまり道路の真ん中で横たわる猫を、更に醜く変形させる前に、彼らはハンドルを切ることができたのだ。

 猫は口と目を半開きにしていた。その筋肉運動はとっくに停止している。

 僕は当時学生で、自宅への帰路にあった。青々と晴れた日だった。白い猫の横を自転車に乗って通り過ぎる時、僕は猫のことを横目で見ていた。

 通り過ぎる。

 川沿いの道を走り、こじんまりとしたアパートに辿り着く。駐輪場自転車を停め、アパートの裏手へと回り込むと、階段を上った。

 階段を上る度に、カンカンと乾いた金属音がこだまし、やがて僕は二階の自室の前へと辿り着いていた。

 鍵を開け、扉を開け、自室へと体を滑り込ませる。

 薄暗いアパートの自室はひんやりとしている。

 猫のことしか頭になかった。アパートからその猫のいる場所までは数百メートル距離があって、僕はあらゆる意味当事者ではなかったにも関わらず保健所に連絡をした。住所をある程度正確に伝えて、電話を切った後にキッチン棚を漁り、そこから掃除用のポリエチレン手袋を取り出した。

 再び自転車に乗って猫のところに向かった。数百メートル距離時間はそれほど掛からず、辿り着いた時にも猫は最初のままの姿勢を保っていた。相変わらず見える範囲には傷一つなかった。

 僕は歩道自転車を停めて、車列(鮮血を目の当たりにし、おっかなびっくりハンドルを切って迂回する車列)が十分に途切れたタイミングを見計らって、猫のところに駆け寄った。それで、僕は猫の脚を掴んで、車に轢かれる心配のない路端へと引きずった。

 そう、引きずったのである

 抱きかかえた訳ではない。単に引きずったのだ。鮮血が道路に擦れて跡を作った。猫の頭部がごろりと動いた。

 猫は筋肉が弛緩した所為か失禁――脱糞していて、その茶色の飛沫がポリエチレン手袋に付着した。

 そこには愛情は無い。僕の人生残留するべき温かい思念というもの存在していない。

 だから、この記憶は決して僕の中に残留し続けることはないだろう。人生のいずれかのタイミング忘却され、その後決して思い出されることはないだろう。

 僕は猫にそれ以上傷ついてほしくなかっただけである

 猫が道路の上でぐしゃぐしゃになっている姿を見たくなかっただけである

 ある種の同情みたいなものはあった。でも、それは決して愛情ではない。僕は見ず知らずの猫に、しかも既に生命の無い猫に、愛情を抱ける類の人間ではない。

 僕は猫を引きずって、車に傷つけられる心配の無いように、路側帯の辺りまで移動させると、手を離した。そして、そのまま保健所の車がやって来るのを待ち続けた。

 初夏の晴れた静かな日和である。時折、眼前を通り過ぎる車の運転手がギョッとした顔で、猫と道路中間辺りから続く夥しい血痕を見遣るだけである。僕は猫から少しだけ距離を空けて、たまに、盗み見るように視線を向けた。本来当事者である近所の主婦達が歩道で、遠巻きに何かを話している。さっきの僕の行動を彼女らは全て見ていた。

 やがて、彼女らの内の一人の若い主婦が僕のところにやって来て、保健所には一応連絡したんです、と言った。僕は短く返事をした。

 彼女は元の場所に戻っていって、相変わらず主婦達と何かを喋っていた。僕は、その場で保健所の到着を待ち続けた。


 やがてやって来たのは、ゴミ処理車であった。内部に回転する鉄塊こそなかったものの、それは紛れもなくゴミ収集車だった。

 この後の描写についてはあっさりしたもので、その車中からスタッフ二名降りてきて、主婦らに挨拶をした後に黒いビニール袋を広げ、手早く猫をその中に入れた。そして、車両収集スペースにその袋を入れると、瞬く間にその場から去っていった。

 僕はそれを見届けた時にやけに安心したのを覚えている。これで、道路の上にもんじゃ焼きのような物体が出現する可能性はなくなったのだと、そう考えていた。僕はそのまま自宅に戻り、猫の糞の付着したポリエチレン手袋を処理した後で、日常ルーチンへと戻っていった。


 多分、この記憶は僕の人生残留することはないと思う。単純に、この話の主旨は、僕が死んだ猫の重みを知っているという、そのことを主張する他にない。教訓と呼ぶべきものはそこにはない。

 しかし、それはあくま一般的な教訓に限っての話だ。僕個人の、個人的な教訓に関しては、少しばかりはあるかもしれない。


 多くの場合、我々の性向とか心の働きのバイタルな――欠くことのできないほど重要な――部分に作用するのは、僕がここまで延々と語った記憶の類ではなく、誰かへの愛情記憶であり、誰かから愛情記憶である

 そういうものを欠くと、我々のバイタルな部分は鈍化する。必要以上に鈍化し、何らかの問題を引き起こさずにはいられなくなる。記憶というものを二種類に大別した時に、我々の性向に最も強く、最も好影響を与えるのは、明らかに「思い出しうる」方の記憶だ。そのことに疑いはない。

 とは言え、最近の僕は少しだけその考え方を改めることになった。

 これまで僕が延々と語ったこ記憶は、凡そ間違いなく僕によって忘れ去られるだろう。そして、二度と思い出されることはないだろう。このテの予想が外れることは僕に限ってまずあり得ない。この記憶は僕のバイタルとは無関係なのだ。この記憶によって僕が行動を規定されたり、何らかの関連行動に走るということは――この文章を書いていることを除けば――まずあり得ない。僕にはそのことが手に取るように分かる。

 でも、と思うのだ。

 この記憶は、翻って言えば、忘れられるまでは僕の記憶に残り続ける(トートロジー的な文章だ)。僕は、そのことに少しだけ意義を感じてしまいそうになるのだ。

 記憶には二種類ある。忘れられた後に思い出しうる記憶と、そうでない記憶である。前者に比べれば、この世の中においては後者記憶の方が圧倒的に多い。この世界殆ど記憶後者、つまり他愛のない記憶によって構成されていると言っていい。それらは例外なく忘れ去られる運命の途上にある。

 それでも、と僕は思う

 その記憶は、忘れ去られるそのタイミングまで、じっと待っている。

 僕の記憶の中で息をしている。

 猫の視線の色を、僕は今のところ忘れていない。奇妙に硬直した、黄色い瞳。

 多分、僕の記憶の中に、未だ留まっているところの猫は、待っているのだろうと思う。

 僕が猫のことを忘れ去るその時を。

 じっと、誠実に、待っているのではないかとそう思うのだ。

2020-06-08

お願いだ、フェミニズムを嫌いにさせないでくれ。

私の理解するフェミニズムは、男女を平等に、同格に扱う思想であった。

人が性別でなく純粋個人資質評価され、誰もが平等権利を持つ世界を目指すものだと思っていた。


女性から」昇進できない世界否定する。「女性から給料が低い世界否定する。「女性から男性から暴力を受ける世界否定する。

女性から苗字男性に奪われる世界否定する。「女性から」によるすべての不利益否定する。


素晴らしい世界だ。掛け値なしに最高の世界だ。だが私はこの世界が実現することを望む一方で、それを世に主張するだけの勇気を持たない。だから

非難を恐れず世に問いかける「フェミニスト」たちの勇気を、私は心底から尊敬していた。


それ故に、この記事の内容が信じられない。

https://mirror.asahi.com/article/13432941


この「フェミニスト」は、「女性から」による差別否定するべき彼女は、「女性から男性に守られる世界を、肯定しようとしている。


何か読み間違いがないか、目を皿のようにして読んだ。だが、どう解釈しても、彼女はこう言っているのだ。

「私は自分の好きなこと以外はしたくないので、それを実現するために女性であるが故の特権を利用する。社会が暗示的に与えている、男性が『男性から

得た経済的優位を頼り、それと引き換えのぬるま湯みたいな自由享受する。だが誤解しないでほしい、それは私が自由意思で選んだものなのだからフェミ

ニズムの否定ではないのだ」


私には全く信じられない。おかしいではないか。「女性から」を理由とする不公平な抑圧から解放をうたう活動家が、なぜ「女性から」得られる利益

平然と享受しようとするのか。少なくとも自らをフェミニストと任ずるのであれば、その都合がよい「自由意思」とやらを反フェミニストによる「だから女性は」

「やっぱり女性から」という反論に利用されないためにも子供のような我欲の実現に女性特権を利用していると後ろ指をさされないためにも、範を示す

べきなのではないか。最低限、フェミニストはその対決すべき相手、つまり男性に対して筋を通すべきなのではないか


フェミニズムとは平等であり、平等とはギブアンドテイクの世界ではないのか。「女性から」と押し付けられる不平等否定する一方で「女性から」得られる

特権へ浅ましく縋ろうとするのではなく、「私はあなたにこれを与える。だからあなたは私にこれを与えよ」ではないのか。利益と同様に不利益に対しても等しく

責任を持つのが、対等であり平等ではないのか。


なぜ、なぜ、本当になぜ、この「フェミニスト」は男性庇護による片務的な負担を「フェミニズム」の一形態だと言うのか。単なる一個人怠惰自己中心的

わがままではなく、立派な「フェミニズム」だというのか。これではまるで、「フェミニズム」が子供っぽい強欲を通すのに都合のいい屁理屈に成り下がってしまうで

はないか。「私は研究以外のことがしたくない」。結構。だが、フェミニストがそれを実現する手段は、「男性経済力に頼る(あるいはそう他者に指摘される

余地を残す)」手段以外であるべきではないのか。自由意思かどうかなど関係ない。むしろ本来フェミニズムとはそういった「自由意思」の裏にあるスティグマ

を消し去ることが究極の任務である筈ではないのか。


私はこれがフェミニズムだと信じることができずに、いくつかのリンクをたどった。同じサイトに、「女性権利を主張するのに、奢られるのってズルい?」という記事

を見つけた(https://mirror.asahi.com/article/13365758)。そこではある論者がこう発言していた。


「奢ることと、対等であることは全く別物だからお金出すって行為庇護じゃないから。あなたの貴重な時間をいただいてありがとうっ、てことだから。上とか下

とかじゃないから」。


どういうことだ。本当にどういうことだ。仮にも女性権利について論ずる場で、いけしゃあしゃあとこれを言うのか。あるいはこの発言者は、世の男性が本当に

あなたの貴重な時間をいただいてありがとう」という純粋気持ち女性に奢っていると心底信じているのか。もしそうなら、発言者は性差別を論ずる人間とし

不適切なまでに無邪気だが、まだ私にとって救いがある。だが、もしこの発言者が「『女性から』奢らなくてはいけない」という男性による強烈な性差別を、単

に自らの利益になるから適当理論づけで許容しているのであれば、それを肯定するのがフェミニズムなのであれば、フェミニズムとは最悪の差別思想ではないか


それとも、フェミニズム本質がこれなのか。


私は、フェミニストという存在を、フェミニズムという思想否定したくない。これらの記事の主張が、単に「フェミニズム」の名を騙る何か別の存在であると思いたい。

フェミニズムとはもっと高尚なものであって、「女性である」が故に得られなかった権利を得るために、「女性である」が故の権利を喜んで手放せる存在だと、少な

くともそういった矜持を持つ人たちの集団だと信じたい。


だがもし、フェミニストが何か適当言い訳を重ねて「女性特権は手放さない」というのであれば。それがフェミニズムだと言うのであれば。もはや私は、フェミニズム

信じることができない。

から、お願いだ。フェミニズムとは何か教えてくれ。本当のフェミニストの名を教えてくれ。私にフェミニズムを、嫌いにさせないでくれ。

2020-06-06

anond:20200605234832

統計的女性の方が子供の世話がうまいとしても

個人レベルで見ると一般的女性より子供の世話がうまい男性も中には居るので

そういう資質を持った男性能力を生かした仕事に就く機会を奪うのはアンフェアだよね

というのは議論スタートラインだと思うんだけど

2020-06-02

Vtuber事務所3社(カバー、いちからアップランド)の管理機能に関するログ

バーチャルYouTuber事務所3社(カバー、いちからアップランド)の管理機能に関するログ

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田角陸くんがいちからを始めた年齢の時にスタートアップ首になったワイ、格差に震える

一般的に社内法務弁護士資格法学部出身部長を置く会社大企業でも少なく、じゃあ誰が

リーガル担当するの? となると総務になる。労務も法知識が要るのでセット運用

いちから管理本部長にPwCあらた出身公認会計士を据えていて強い。通り一遍やれる

部下のアラートを拾って他の経営幹部に共有できる資質がありそう(現場では煩わしくいわれるが)

一方でカバー現場あがり半分、投資家半分と歪な役員構成をしとる。管理責任者がおらん

社内のリーガルチェックの仕組みが人事から見えてこないんや。

後者2人はTwitter見る限りリスクを厭わない性質から歯止めにならん。ビジネスポエムばっかりなやつは信用ならん(個人の感想です

現場2人も元は雇われプロデューサー

管理部門不在で起こるべくして起きたとしか思えへん。営利利用許可も、夜空メルの件も

判断を下すための法知識を持つ幹部がおらんから右往左往する

アップランドカバーと似たような状態で総務求人乱発しとったのを思い出す

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じゃあ法務確立されていればガバナンス大丈夫なんか?といえば当然ちゃう(2020/06/06修正

オタク界で有名な事例として、スクウェア・エニックス著作権法違反容疑で家宅捜索ってのがあった

よりにもよってコンテンツ屋さん版権屋さんが著作権法違反容疑とか、前代未聞の珍事や

この事件はなんで起きたのか? スクエニには立派な法務部があるのに

これはスクウェアエニックス合併したときの話なんやが、法務ゲーム部門よりの監査ポジションになったらしいな? 知らんけど

ほんでこのときガサ入ったのは出版部門で、法務部様の威光が届いとらんかったと聞いてる。相談体制も甘かったし強制力もなかった

なんでこんなことになったのか、これは現場判断でどうにかなる問題ではない

出版事業担当役員現場運用落とし込むか、役員全体の判断法務部の管轄を整理せんとあかんかった

これも起こるべくして起こったインシデント

日本やと法務含む管理部門役員も舐められてる、まあ業務を知らん、相互理解が招いたこなんやけど、

それだけ指揮権を発揮する担当役員大事やし、スタートアップくらいの小さい会社やと役員構成から事業状態が透けるんやなって

2020-05-30

年収1000万ネタに便乗

してみる

1000万付近を3年くらい

アラフォーになってやっと到達だったから今から焦って貯蓄に頑張ってる

都内の端っこで家賃は13万。一戸建て賃貸駐車場付き

iDeCo、つみたてNISA、小規模企業共済を全て満額で毎月やってる。

フリーランスなんで仕事で使う機材を買うことが多いが、

減価償却関係10万以上のものはなるべく避けるようにしてる。

買うときはドカンと買うが。

食事は、ほとんど飲みに行かないし、自炊も多いのでそれほど掛からない。

この辺は単純に好みによるんじゃないか

飲みに毎月20万掛ける人もいるし。

自炊食材個人的には安い肉野菜ばっか買うタイプ

高い食材別に買うのには躊躇無いけど、 安いのでもいいでしょって感じ。

一人で食事するなら松屋吉野家が多いかも・・コレも好き嫌いでしょうな。

個人経営飲み屋とか小料理屋、寿司屋などを巡るのが好きな人もいれば、そういうのが苦手な俺もいる。

最初に書いたとおり、ここ何年かでやっと1000万付近に来たけど

それより前は300万〜500万で振り幅が大きかった。

でも当時と生活様式変わってるかな?って考えるとあんまり変わってないかも・・

機材は普通に今と同じ感じに導入してたし、食費固定費も似たような感じ。

ただ貯蓄は全く出来てなかったな。あんまり知識も無かった。

多分、1000万付近に上がってやっとこさ貯蓄に意識が向いたんだと思う。

更に上がって2〜3000万付近になってくると、いい家や車や旅行食事に気が回ってくる余裕ができるんだと思う。

1000万だと、あんまり贅沢したらあっという間にピンチに陥るだろうから、貯蓄の手は抜けない。

何十億稼いでても質素暮らししてる人もいるだろうし、結局は個人資質によるのかなぁ

言えるのは1000万だとまだまだ貯蓄に一所懸命でそれほど余裕は無いよねって事かなぁ。

2020-05-26

anond:20200526193406

そもそもわたし最後に書いたように、極論、男女間において格差(いわゆるどっちがトクしてるソンしてる)というのは総合的には無いという考えなので。

ではどこに格差が生まれるのかというと、部分的に見た価値観においてでしょう。

たとえばそれを資本主義…というか経済至上主義的な観点だけから見ると、ここで「バカ美人」と称されている人たちは資質優遇される面がこれまで大いにあった訳です。

それが現代的な価値観においては、「女性性(とされてきたものから収益の種類」が代償と見合わなくなってきたので、「バカ美人」を含む女性たちが声をあげているのでしょう。

(ついでにいうと男性優位といわれるものにも代償があるのと同じです。現代では男性もその代償が見合わなくなってきたと声をあげている人がいるでしょう?)

その流れは文明進歩でうまれ自然ものだし、ここでいう「頭のいいブス」だけが声をあげている頃よりずっと一般化した価値観になっている証だと思います

実務で役に立つような問題をくれ!

一休「では、将軍様。屏風から情報処理技術者として必要資質を計る問題を出してくれますか?」

2020-05-25

純粋安倍晋三人格批判

安倍首相はもう辞めたいと思っていると思う。

でも辞められないのは辞めたら捕まるから

自分自分を身動きできない状況に追い込んでいる。

なんでそんなことになったかと言えば、目先の快楽承認欲求を満たすためにチヤホヤされること)に

溺れてお友達違法行為に目こぼしをしてきたから。

その結果、こうなることが予想できなかったのは先見性と自己規律の著しい不足であり、

政治家ましてや首相にふさわしい資質を備えていない証明である

それを認識できなかったあるいは認識しても政治家になることを止めなかった周囲・後援者・選挙区投票者にも責任はあるだろうし、

首相や彼らを説得できなかった私達にも責任はあるのだろう。

から、みんなで責任をもって安倍首相に辞めてもらいましょう。

2020-05-23

お前らはなぜ上司政治家心理的安全性無視するのか

不正には厳しく、失敗には寛容に。

心理的安全性が確保された状態での作業議論有効であることは既に言われていることである。「こう言ったらおかしいのではないか」「議論邪魔になるのではないか」そういった心理解放することで強いチームとして機能することになるし、それを確保することはリーダーに求められる資質の一つとなっている。

ではなぜ、それを上司には適用しないのか?上司心理的安全性がある状態の方が、上記を考えればトータルとして良いに決まっている。

どうも上司は常に完璧で、間違いのない指示を出すことが前提になっているのではないか?有能無能と値踏みし、そのハードルは恐ろしく高い。政治家に対しても同様だ。

そしてそういう声は往々にして大きくなる。

施策への批判必要だ。しか誹謗は違うし、結果論での批判おかしい。

2020-05-19

どうして国会議員になると個々の能力劣化するのか

国会議員の経歴を見ると、

財務省総務省経産省とか、国の中枢でバリバリ仕事していました!

弁護士資格を持っています!

っていう割には、普段何してんの?っていうくらい目立った動きしないよな。国政報告会とかもしない議員もいるし。

webでも積極的に発信しないし。勘違いTwitterしてるやつもいるし。世襲は論外。

と思ったら、なにこの人みたいなおっさんIT大臣なっちゃうし。

あなた達は日本の行く末を案じるからこそ中央官庁に入省したんでしょ?

立場の弱い人を守るために猛勉強して法曹資格を取ったんでしょ?

どうしてその力を、専門知識もっと活かそうとしないの?

発揮できるような環境を自ら作らないの?

40代50代のいいオトナが、70歳のじいちゃんに叱られちゃうから何もできないって何なのそれ?

じいちゃんの顔色伺わないと仕事できないって、あなた達はどっちを見て仕事してるの?

ちゃん国民を見て仕事しなさいよ。

選挙ときだけ尻尾振っても、俺たちもいい加減馬鹿じゃないから、次はないよ。

言い返せば、国会議員としての資質に疑問を持つ候補者当選させるっていうのは、その議員投票する、俺たちお前達の責任でもあるからな。

2020-05-17

やっぱり希望戦争さんや!!!

コロナくんは本当にクソ雑魚ゴミでしたね 死者何人だ?まあ流石に1万人くらいは殺してるよなあこんだけ騒がれてんだし…→729人

ファーーーーーーwwwwww俺が行ってた底辺高校の生徒数より少ないやんけ!!!やる気あんのか???

もうダメだ あのカスに期待するのはもうやめよう どうしようもないですよあのクズは 多分1000人も殺せずに終わるね 第二波もなんなら来ねえんじゃないか?なんと言っても根本的に資質が足りない無能チンカスウイルスですから

こういう絶望的な状況で最後に頼りになるのはやっぱり人間、とりわけアメリカ様と中国先生です

ふたりともいい感じで盛り上がっていらっしゃるし、なんと言っても核をお持ちだ 国家としての「格」に加えて「核」まであるなんて本当におみそれしてしま

戦争戦争 コロナによって9万人を殺されたアメリカ様は汚い共産主義独裁国家である中国先生宣戦布告する権利があるし、中国先生意味わかんねー言いがかりをつけてくるキチガイに率いられた最悪の国をこの機会に叩き潰すべきだ

全面戦争をやるしかない で、地球人類を支える二本の大黒柱であるふたりが戦うっていう記念すべき瞬間を祝うにはやっぱり祝砲が欠かせない

ここで出てくるのが核ってわけだ 広くて暇そうなロシアあたりの胸を借りて、ドドン20発くらい撃ち込んで派手に開戦と行くべきなのである

期待外れに終わった薄汚いクソウイルス社会変革を託すのはもうやめよう これまで人類の進むべき道を切り拓いてきたのは、神でも悪魔でもない、他ならぬ人類自身だったわけです

今回も我々が己の手で活路を切り開くべきなのだ ロシア中国アメリカ、ついでにヨーロッパオーストラリア人類の叡智の結晶たる原子力の光を届けることではじめてもう一歩先に進めるんだなあ

待ってます

anond:20200517104032

リーダーシップを発揮できなかったからだろ

何をしたからじゃない

その時々のメッセージが良さすぎたんだ

ただそれだけだ

ただそれだけだが、リーダーに求められる資質が備わってないってことがバレたので総スカン食らってる

2020-05-15

anond:20200515093734

答弁が素っていうのは、たぶん違うと思うわ。

 

初期のうちにさあ、アベがずっと野党に対して「私は骨太議論がしたいんですよ!」って言ってたことがあった。

自分が望むような話題の持って行き方をしてもらえなかったんだろうな。

ニュースでもたびたび切り取られてた。

で、ある時期からそれをやめて、延々のらりくらりすることに終始するようになった。

それが今の、国会を不誠実にやっているアベ首相だ。

民主主義をハックしている、って批判は当たっていると思うが、あれは本人の資質もさることながら、マスコミ与野党国民と現行システムが生んだ合作って面が大きいと思う。

anond:20200514190700

ネット忖度だの腐敗だの非難されているやつは、見方をかえれば「支持者を大事にする」「身内のためなら泥をかぶる」という性格のことであって、首相公人としては褒められたもんじゃないが、政治家としては求められる資質といえる。

誰だったか自民議員インタビューで言っていた受け売りですが。 

 

あとアベは、自分無能であることを十分承知しており、ワンマンプレイごり押しというのはあまりしない。

俺がクソ嫌いだった仕分け会議とか、原発事故ときの菅の現場乗り込みごっこみたいなことはない。

これは俺の印象の話で、異論は認める

anond:20200515060549

横だけどほぼ同意。もりかけ桜検察は全部彼が責任を取らないで済むようにできる限りのことをやってあがいているだけに見える。諦めが悪いのは政治家にとってはおそらくいい素養

彼を引きずり下ろすことができないのは構造国民問題で、彼の資質問題ではない。

2020-05-14

私が子を持つのが怖いの訳

去年結婚した。

ちょうどその1年前くらいに結婚した周囲の友人たちのうち、ちらほらと子供を持つ人も多くなった。

3人に1人は、結婚して2年後くらいには子供が産まれてるんじゃないだろうか。

結婚して半年が経ち、逆算するなら、子供が産まれた人たちはだいたいこのくらいの時期から子作りを始めていたのかなと、そんな下世話なことをぼんやり考える。

それと言うのも、私の感覚では、「早いなあ」と思ったからだ。

まだ結婚して半年から1年の間に、子供を作ること、ひいては親になることを決心する。

それって、結構勇気がいることなんじゃないかと思った。

結婚する前から、夫には「あなたが欲しいと思わないならいらない」と伝えてある。

私は、男の人にとって【対して強く望んでいないけどなんとなくヤッてたら出来た】みたいな状況になるのは絶対に避けたかった。

女性だってそういう事態はなるべく避けるべきだろうが、実際に妊娠する側は否が応でも10月子供と一心同体になるのだからその期間に親にならざるを得ない(少しずつ、足りないとしても、だんだん覚悟ができていくものだろうと思う)。

まれからも、母親ばかりが子につきっきりになって育児に注力する家庭の方がまだまだ多いだろう。

そういう状況で、もし男性がなんとなくヤッてたら出来て、ぼーっと10か月待ってたら(特に事前勉強もせず、生活を変える覚悟もせず)赤ちゃんが産まれて、育児もお手伝いくらいの感覚でいたら、母親との意識の差がどんどん開いてしまって、きっと夫婦の今までの関係崩壊するんだろうな。

もちろん、妻が里帰りしたために出産前後数か月子に会えない状況にさせられる男性は、会えないのに親として心の準備をしろと言われてもなかなか実感がわかず難しいところだと思う(こういうのももっと良い方法がないだろうかと思う)(ちなみに私は里帰りはしたくない)。


そもそも妊娠する前から何故こうも神経質に拘るのかと考えてみた。

本当は自分の弱さを誰かのせいにするのは嫌なんだけど、実父に原因がある気がする。

実父は10歳年上の母と結婚し、若くして父親になった。

そのせいなのか、本人の資質によるものなのか、あまり父親らしい父親ではなかった気がする。

子供の頃はよくどやされていた。

姉は、1~2歳のまだ訳が分からない頃に外出先で騒いで蹴られたことがあるらしい(実母談)。

私も母が出かけて泣いていると、よく「うるせえな」「ママはいねえんだよ」と冷たく言われていた。

決定的なトラウマは、実母が事故に遭って入院生活を送っていた小学生時に、余裕を無くした父親からずいぶん冷たく当たられていたこと(お前のせいだからな、とまで言われていた)。

優しくされることももちろんあったが、そういう気分でない時はあまり相手にされなった。


そういうのを全部覚えている。だから昔の私は「自分は父にあまり好かれてないかもしれないな」と子供心に思っていた。

今でこそ、子供の扱いがわからなかったんだろうとか、仕事が大変だったんだろうとか、情状酌量余地があると思えるけれど、あの頃の寂しい気持ちはなかなか消えてくれないのだ。

父は、意思疎通がしづらく一緒に遊ぶこともできない年齢の子供が得意じゃなかったんだろうな。

口で冷静に言い聞かせてもしょうがいから、どやしたり蹴ったりしたのだろうか。

でも私は思うんだけど、そんなの子供だったら当たり前のことじゃないですか。

最初からわかってたことじゃないですか。

子供自我が育ちきってないんだから大人の思い通りになるはずがない。

わかりきったことに腹を立てて、子供を怯えさせる男が本当に嫌い。

叱ることは良いんです。でも、叱って、それでもきちんと後始末をして、抱きしめてくれるのはいだって母親だった。

父にそんなことをされた覚えがない。怒鳴りっぱなしで逃げるだけ。

今では、父とは普通に仲良くしているし、二人で食事に行くことだってある。

育ててくれたことは感謝してるし、家計を支え続けてくれたことも尊敬してやまない。

姉と協力して、きちんと最後まで面倒を見るつもり。

それでも私は、一度だって父のことが好きだと思ったことがない。

あの人にとって、意思疎通できない年齢の子供は犬猫くらいの存在だったんだろうと思ってる。

今の私たちに親切にしてくれるのは、あくま私たち自分自分の尻を拭ける手のかからない人間になったからだと思ってる。

そんな感じなら、もっと自分父親として成熟できるだけの精神年齢になってから子供を作ればよかったのにね。

深く考えずに避妊を怠って、子供ができたから籍入れて、産まれても基本は母のワンオペ育児で、たまに任されたら「ママが良いと泣くから」苛立ってどやして子供を怯えさせるだけの男ってなんなの?

 

ただ孕ませただけじゃないの? それでも父親として慕わなきゃダメ? 

父親に、「いい子だね」「かわいいね」って言われたかったなあ。

いつ抱き着いても、抱き返してくれる父親だったらよかったな。

もしそうだったら、私はもっと自分のことを男性に愛されて然るべき人間だと自信を持てた人生だったかもしれないなあ。

まあ、そこまでの贅沢は言わなけれど。


夫が父親になった時に、実父みたいな面を発見してしまったら、私は夫のことが嫌いになるんじゃないか不安

新しい家庭に、また父親という存在が発生することに堪えられるかどうかわからない。

家計を支える男性は本当に偉いと思う。そのプレッシャーや苦労を、自分は本当にはわかってないんだと思う。

でも、子供立場から言えば、育児をしないなら、経済的な支えになってくれるのは別に父親じゃなくてもいいとも思ってる。

実母が稼げる人ならそれでいいし、実母の実家資産家ならそれでいいし、育児をしないなら父親なんていない方がいい。

少なくとも、小さい頃の私はそう思ってた。

今日は帰ってこないといいな」とか「お金だけ置いてどっか行ってくれればいいのに」と思ってた。

子供にそんなことを密かに思われるのも不幸だよね。


自分おかしいのかもしれない。というか、生粋ファザコンなんだろうな。

実際夫は、私よりもずっと我慢強くて絶対怒鳴ったりしないし気分で態度を変えたりもしないニュートラルな人だからきっと大丈夫だと思う。

でも、不安しょうがない。

夫にも少しだけ、父のことが苦手だったことは伝えてある。

父親が本気で望んでいないのに産まれてきて、邪魔っ気にされるくらいなら、子供が不幸だから産まない方がいいと思っているとも。


自分だって全然完全な人間じゃない。母親になんかなれる気がしない。誰もが喜んで母になるわけではない。

いずれにしても一人では育てられない。

親が苦手な人は、どうやって親になる覚悟を決めるんだろう。

どうやって、何を夫と話し合えば、ちゃんと二人で親になろうと覚悟が決められるんだろう。

最近は、そういうことをぐるぐる考えてる。

2020-05-13

anond:20200513224731

あいつが本来ならWHOトップにいてもおかしくない(ような実績がある)って言われてるけど、日本国会程度で見解の主張もできないなら国際機関トップなんか無理だとしか思えんよ

テドロスも実績はあるし、あれだけ厚顔無恥でいられるってのはそれはそれで資質から

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