はてなキーワード: 瑕疵とは
まあ、稟議舐めてんのかとか、
意識高い系管理職(そんなジャンルがあるのか知らんけど)みたいな事ベラベラしゃべってたけど、
部下の仕事に不備があったら指摘するのは構わんけど、
そこで怒鳴り散らして資料ブン投げて、あげく人格攻撃ってどういう事なの。
そういうパワハラはアカンと、管理職になる時教わらなかったのかね。
会社に与えた損害はあなた達が一生かかっても稼げる金額のふじこふじこって言ってたけど、
なんで個人の月給と比較しなきゃならんのよ。
会社の10年計画20年計画に沿って、数十年スパンで位置づけを考えなきゃならん部署だろ。
数百億数千億を費やして、数十年後に会社の規模として数千億・数兆という(必ずしも決算上の数字だけじゃない)価値のあるリターンが見込めるか、
それに掛ける費用と、どんなリターンが見込めるかも、
今更主人公が稟議書提出するまでもなく会社のトップ含めて合意済みのはずだろ。
準主人公格のイケメンと経理部から来た姉ちゃんがやってる事って、
主人公側の瑕疵を針小棒大に難癖付けて、「主人公たちがしっかりしてないから部署が潰れるのだ」という方向に持っていきたいだけの、
という名言を教えてやりたい。
ご回答ありがとうございます。それでは一つ一つ見ていきましょう。
Q1 あなたの隣に、あなたと同程度にキモくて金のないオバハン、がいて、どうも付き合いたそうにこっちを見ている場合
→ 知らん。ただ、そのオバハンが妊娠可能な年齢なら結婚して子供を産ませる仕組みをくるべきだと思う。
■この質問では、コンプレックスの所在について知りたくてお聞きしました。
ご自身のことではなく、少子化に絡めてた一般論にすり替えようとして失敗している様子を見る限り
非モテであることに過大すぎるコンプレックスを抱いていること、更に言えばそれを自覚しようというつもりがないことが分かります。
そして「知らん」というお答えについて、自ら状況を打開しようという意思がないことも見えてきますね。
Q2 機会の不平等と結果の不平等、この二つに違いがあると思いますか?
また、結果の不平等に関してまで、社会や政治が保障すべきだと思いますか?
→ 個人間の不平等が全体の経済効率を下げるのならば、結果の不平等は是正されるべき。
■この質問は、コンプレックスを昇華できているかどうかを知りたくてお聞きしました。
残念ながら、地球上ほとんどの国の人間や、それ以外の生き物もすべて、生きている限り必ず結果の不平等に晒されます。
誰かに負けているという悔しさを抱かずに生きている人は、誰一人としていません。どんなイケメンだろうが金持ちだろうが。
そして、多くの人は、そのような他者に対するコンプレックスを、ばねにして成功したり失敗したりしながら、折り合いを付けていくものです。
折り合いを付けるというと曖昧ですが、あまり良くない言葉で言いかえると「諦めるところは諦めていく」という作業はです。これは、多くの人が大人になる過程において経験するものです。
回答を拝見すると、ここでも、「全体の経済効率」という、自らに引き当てるのを避けた回答をされていますので、
相当コンプレックスを自覚したくないのではないか、 または、プライドとコンプレックスと活動とのバランスが酷く偏っている状態なのでは。
ちなみに、ご心配されていた「全体の経済効率」についてですが、生活保護等の生活困窮者への支援以上の保障程度では経済情勢が良化することは、考えにくいと思われます。
なぜなら、どんな人間でも必ず一定の生活コストがかかるからです。国内消費などの改善を期待するのであれば、余剰消費の縮小の方が、むしろ懸念材料になるでしょう。
一定レベルの所得の再配分による社会の安定継続性が大切なのは大前提ですが、結果として努力している人の成果が搾取されることから、社会から活気を奪う結果にもつながります。
また、生活保護を代表とする相互扶助システムについての話であれば「経済効率を下げる」という言葉づかいは間違っています。
Q2で、結果の不平等にも保障が必要だと思う方だけお答えください。
その場合、男性女性の双方に保障があるべきだと思いますか、それとも、男性により手厚い保償があるべきだと思いますか?
それぞれについて理由も併せてお聞かせください
→ カネを持っていない人間にカネを渡すほうが経済をまわす上では都合が良いので、性別は関係ない。
■この質問は、男女差別に対する認識を知りたくてお聞きしました。
ここまで分かりやすい男女差別を容認する人は、現在日本においては病院行きレベルだと思いますが。
所得の再配分については、上の答えと同様です。お金は、キャッシュフローに余裕がある人が使わないと、実体経済への好影響はもたらしにくいです。残念ですが。
簡単に言えば、貧乏な人がスーパー玉出で山ほど買い物をしても、余剰の利益はほとんど残りません。デフレ脳ですね。
Q3 自分と同程度にキモい男で、自分よりも良い人生を送っている人を思いつけますか?
思いつけた場合、その人たちと自分との違いは何だと思いますか?
→ 運
→ 運
■この二つの質問は、自分のコンプレックスを客観化できているかどうかを知りたくてお伺いしました。
が、全く客観化できていませんね。
あなたが、自分よりたまたま運が良いだけで、と思っている人は全て、あなたの知らないところで努力をしています。他人をよく観察してみましょう。見えていないだけです。
たとえばの話ですが、キモくても彼女(彼氏)がいる人は、Q1のようなシチュエーションの時に、声をかけるなりのアプローチをしているわけです。これが努力の差です。例えばですが笑
少なくとも、他人を見くびる姿勢、自分に瑕疵がないと思う不遜さは、確実に非モテ要素です。彼女どころか、友達も少ないのではありませんか?
あなたが運だけだと思っているのは間違いです。あなたは、自分が「こいつとは同程度だろう」と思っている人よりも、確実に劣っているところがあります。
もちろん、その人よりもあなたの方が勝っているところもあるはずです。それが人間です。100%の価値だけ、100%の瑕疵だけでできているわけではないのです。
Q5 自分が、自分の本来持っている能力に比して、思うような報酬を得られていないと思いますか?
→ 報酬は能力に与えられるのではなく、立場に与えられるので、問い自体が無意味。
■この質問も上と同様です。
自分より報酬を多く貰える立場にいる人が、その立場にいるために行った努力が見えていない。とても残念なことだし、他人を見くびっています。
Q6 「女はいざとなったら売春すればいい」と思っていますか?
また、もしも、あなたを「買ってやる」という男(もしくはキモい女)が現れた場合、合意しますか?
→ 女の性は商品として価値があるので、より多く流通させることが望ましい。
これについても、なるべく客観的に答えようとして、やはり失敗しています。そして男性の商品性への回答はありません。
ご自身が使役される立場には決して立ちたくない、そして「女を買う・飼う立場」でいたい(が、お金がないなどの理由で実現していない)ということが、見えてしまっています。
下衆ですね。
記事が最悪で粗悪だということは分かった。が、病院を責めるのは間違いというのは理解できない。
齟齬があったから問題になり記事になっているわけだから、説明や事前通達が不十分は病院側の責任でしょ。
「確実性に乏しいサービスなので」と言っているのも意味不明で人命救助すべき立場がこういう事を言っていいのか?
だからこそ瑕疵のないよう十二分に配慮し、リスクは前もって説明して理解してもらえるようにすべきでは。
後々問題が起こったとしてもリスク回避対策はすべきだった。ちゃんと契約書を交わして、問題がある可能性は排除できませんと
明記すべきだった。契約書があれば自責か他責かの切り分けは出来るでしょ。
真偽のほどは分からない。俺も新聞社記事の限りしか知らないので。
被害者だという人は事実相違のことを記者に話しているかもしれないし、病院側が嘘八百連ねてるかもしれないし。
言った言わないの話のことを言われたら当事者以外は何も言えない。水掛け論はする気は無い。
1話は瑕疵が全くないとは言わんけどすげえよく練られてると思う。面白いです。
2話は1話と比べると落ちるってかんじかな。
3話は要素を詰め込みつつ話として成り立たせるために工夫してて評価できる出来だと思う。でも4話はちょっと残念だったかも。
チープさはニンジャスレイヤー第一部の特徴だし、2部・3部をアニメ化する機会があればまた違った風になるんじゃないかな。
あと第一部のアニメ化をこういうスタイルにしておくと2部・3部がアニメ化された際に新規視聴者が気軽に途中参加出来ると思うんで、長期的には参入障壁を下げる意義が大きいんじゃないかと思う。
Cinemascapeでもみんなのシネマレビューでも酷評であったため、あまり期待はしていなかったが、割と楽しめた。
魅力的な作品であるが、酷評も納得の問題点が散見されたため、それらを論じつつ、それでもみんな『渇き。』観た方がいいよ!!ということを論じたい。
以下、ネタバレなし。
まずあらすじを書く。大まかに言うとこの映画は、主人公の娘加奈子に魅入られた2人の男が、その魅力と狂気に狂わされていく過程を描いた話である。
1人目の男、藤島(役所広司)は、加奈子の父親である。藤島は勤めていた警察を辞めた上、加奈子の母親と離婚し、自堕落な生活を送っている。ある日別れた妻桐子から連絡があり、曰く加奈子が覚せい剤を部屋に遺して失踪したという。藤島は加奈子の行方を追う過程で、加奈子が周囲の人間を魅了し、売春グループに引きずり込んでいたことを知り、闇社会の抗争に巻き込まれていく。
2人目の男、「ボク」は、加奈子のクラスメイトである。学校でいじめられている自分を影で救ってくれる加奈子に想いを寄せており、加奈子はこの想いを利用して「ボク」を売春グループに引きずり込んでしまう。心身ともにボロボロとなった「ボク」は、加奈子への変わらぬ想いを抱きながら、加奈子に復讐を果たそうとする。
この映画は、この2人の男の視点を通して、加奈子は今どこにいるのか、加奈子はなぜ闇社会の抗争の中心となっているのか、売春グループの目的は何か、といった謎を解明していくものである。
演出で特徴的なのが、上映時間のほとんどが、藤島が暴力を振るうシーンと、加奈子がその魅力を振りまくシーンで占められている点である。藤島は関係者に暴力を振るい、罵声を浴びせ、時にはレイプしながら謎を解き明かしていく。一方加奈子は周囲の人間をその美貌と言動で魅了し、闇の社会に引きずり込んでいく。
その上で、この映画が酷評されている点をまとめると、以下のようになる。
(1) 結末まで観ても話がよく分からない
この批判は非常にもっともな指摘で、この映画は全部が万事、藤島の暴力と加奈子の魅力だけで語られるものであるから、言葉による説明がほとんどなされない。そのため、加奈子、ヤクザ、不良グループのそれぞれの狙いがどう交錯しているのか非常に分かりにくくなっている。おそらく監督の狙いとしても、この辺は説明する気がなさそうな感じ。
ただまぁこの点はネットで解説記事がいくらでも上がっているので、そこを読んでいただければ解決できるのでご容赦いただきたい。筆者は映画の途中、暴力シーンの連続に飽きてきたところで解説記事を読んで大体の構造を把握してしまった。結果的にそれで良かったと思う。
この批判もごもっともなところで、観客は2時間ずっと登場人物各人の暴力を見せ付けられることになる。殴る蹴る、ナイフで刺す、銃を撃つ、車で轢く、レイプする、建物の屋上から突き落とす、プールに沈めて出てこれないようにする、耳を切り取る、顔に傷を付ける、腹をかっさばいて内臓を踏みつける等々等々、さまざまな趣向を凝らしてくるが、その都度緊張を強いられるため、観てる側はひどく疲れてしまう。
観客は、よく分からん話を2時間も見せ付けられた挙句、暴力シーンの連続に散々痛い思いまですることになる。そうしてほうほうの体で家に帰った(またはDVDを取り出した)後、考える。「一体あの映画は何を言いたかったんだろう?」と。観客としては大変な思いをさせられたのだから、観終わったあとに心に残る、人生の糧になるような教訓を得たいと感じるものである。
しかしこの映画に主題なんてない。監督は、徹底した暴力シーンと加奈子の魅力を描きたかっただけで、そんなものクソ喰らえと思っているに違いないのである(断定)。映画に主題を求める人は、ここで躓いてしまうかもしれない。
(4) 結末(加奈子の在り処)に納得がいかない
この映画では、加奈子の居場所がきちんと明確に示される。しかしそれが、なんというか、えー、そんな端役に、えー?という感じなのだ(ネタバレに配慮した表現)。これはもう上記瑕疵が許せる筆者でもあまり納得がいかなかった、というかもうちょいふさわしい結末があったような・・・。
そんな感じで、酷評ポイントの多い本作であるが、それでも筆者がこの映画を愛してやまないのは以下の理由による。
これである。監督の前作『告白』もそうであるが、監督は謎めいた女の子を撮らせるとめちゃくちゃうまい。周囲を魅了して悪の道に引きずり込む女性といえば東野圭吾の『白夜行』が想起されるが、映画版でこれを演じた堀北真希は、「かわいいけど、そこまで魅了されるほどではないよな」、という感じであった。しかし本作では加奈子を演じた小松菜奈の美貌を監督の映像技術でさらにパワーアップし、そのミステリアスな振る舞い、言動により聖少女っぷりを炸裂させている。これだけで名作ポイントはうなぎのぼりである。
(2) 暴力シーンが痛快
批判の対象にもなっている暴力シーン。観てて疲れるのは確かなのであるが、非常に痛快である。やはり人間、緊張と緩和により快楽を得る生き物であると桂枝雀師匠もおっしゃっておりますし、突き抜けた暴力シーンの連続はこれを得られる点で非常に快楽的なものなのです。
どうでもいいけど耳を切り取るのは『レザボアドッグス』で、オダギリジョーとの決闘は『太陽を盗んだ男』のオマージュなのか?と思っておるのですがどうなんでしょう、詳しい人教えてください。
よく分からん話というのは考察する楽しみがあるわけで、本作の場合原作を読めばこれが解明できるという点で、考察の楽しみを手軽に味わえるものとなっております。ネットには丁寧に原作をまとめた記事もあるしね。
そんなわけで、女子高生だいすき!暴力シーン最高!考察たのしい!という方は楽しめるんじゃないかと思いますので、ぜひご覧になるといいと思います。そしてできたら感想とか増田に書いて欲しいな!読むよ!
プレイしていないソーシャルゲームの二次創作を行っていたところ、非プレイヤーには二次創作の資格がないと云われカチンと来たので書く。
スタティックなゲームにはどんな些細なものであっても名詞には最大の注意を払っていてほしい。
なぜならプレイヤーが見ているのはゲーム画面ではなく、その向こうにある物語なのだから。その起因や発達を阻害する名詞はプレイ体験に致命的なダメージを与える。
スタティックなゲームのプレイヤーにとってゲームはよりしろの機能の側面を持ち、プレイヤーはひとつひとつのアクションには意味を持たせたがる。選択行為への意味の総体がゲーム体験となり、ゲーム体験というプレイヤー共通の基盤からプレイヤーひとりひとりに固有の物語が発生する。
ところで、ある名詞が致命的なものである場合にプレイヤーに可能なのは以下の三つである。
(2)名詞を視界に入れないようにする
(1)はやがて意味の総体を混濁させ蝕む。(2)は有り体に言えば縛りプレイである 。最も険しい。(3)はお手軽だ。
いったん、ゲームのよりしろとしての機能に着目すると、必要な機能はゲーム性ではなくむしろよりしろだったとわかる。
であれば、(3)は最もお手軽であるだけでなく、最も経済的な選択肢だったと明らかになる。合理性バンザイ。我らの経済性に喝采を。
しかしながら、(3)には決定的な瑕疵があり、プレイヤー(ですらない誰か)は無限に孤独である。ひとりで無体験から物語を幻視し、幻視し続けなければならない。共感すべき体験を持たず、基盤を持たず、回路を持たない。原理的に共感を拒むことになる選択肢であり、孤独の選択肢だ。
それでも私は誰かとよろこびを分かち合いたかったのだ。
手を握り合い、肯き合いたかったのだ。
なぜ関係ないと思うの?関係ないと思う理由、本当はないでしょ。法律について何も知らないのに、なんで自分は保護されないと決めつけるの?
個人事業主ではなく雇用されていたなら、「働いた」事実だけであなたを雇った人はあなたに給料を支払わないといけない。元請けが支払いを受けたかどうかは関係ない。
仮に個人事業主であったとしても、納品しただけで支払い義務は発生する。元請けが支払いを拒ばまれたのは理由にならない(契約書にそう書かれていれば別だけど、あなたはそんあ契約書を締結していないでしょ?)。あなたの成果物に瑕疵があったら支払いを拒むことはできるけど、成果物に瑕疵があったかどうかと、元請けが支払いを拒まれたかどうかはそれぞれ別の事実。
俺ヒカキンってなんか好きになれなかったんだよね。だって、ニコニコの実況プレイの劣化版じゃ~んって思ってた。
自己承認欲求乙!みたいな?実際パズドラ()とかやられても、そんなクソ下らないリア充向け単純作業ゲームがどうしたの?って思ったよ。
で、ヒカキンを鼻で笑ってニコニコの実況ばっかり見てたんだけど。最近は意識かわった。
むしろチャンネル登録数稼げてない普通の奴の普通の商品紹介動画みたいなの見たりしてたんだけど。なるほどなって。
これって、日常のちょっとした楽しみを切り取ってんだなと。リア充の友達が楽しそうに遊んでるのを見てる感じ。しかも編集つきで。
俺とかって、完全に引きこもりで友達0人なんだけどさ。友達が新しいおもちゃを買ってきたりしてリアクションも簡単に取ってくれてるみたいな?面倒くさいじゃん、リアルで人とあってみたいなのって。
あと、チャンネル登録が少ないとケレンミっつーかな、そういうのが無い。クリエイターと消費者みたいな。
あと、あれだ、底辺ユーチューバーってコンビニの商品みたいに無味無臭なんだな。ニコニコはアクが強い料理なんだけど、ユーチューバーは顔をさらしてるから瑕疵が無いっていうか、失点が少ないノリばかり。いわゆる近づきやすいリア充。女にモテそうなナチュラルで清潔感があってみたいな。そういう感じの奴が多い。ヒカキンみたいなのも髪そめたり汚いこと言わなかったりある程度ちゃんとしてんだな。
リア充の友達とかって絡むのが疲れるんだけど、ネットなら何の疲れもなしに絡めるからいいね。リア充とリアルであうと、上下関係っつーかな、そういうのが気になって対等に付き合う感じがなくてフランクに付き合えないんだよね。一歩引いちゃうから楽しめないんだよなあ、リア充とは。人種が違うっつーか、白人とは対等に話しできませーんみたいなのがあるわ。劣等感も湧くし。
ああいうの見ると、初めてニコニコで実況動画見たときみたいな感覚になるわ。「こいつらの会話術うめえなあ、まねしよー」って。実際ニコニコのトークパクってうまくいくことも多い。あんま出回ってないネタや言い回しのコツとか。
ユーチューバーはうまい言い回しは少ないけど、「うまい表情、ファッション、態度、感情表現方法」みたいなのが感心する。これをぱくったり取り入れていけばいいのかなーっていう希望みたいなのを持たせてくれるっていうか。見てて、「あ~これはモテますわあ、彼女作れますわあ」ってのが実感で理解できる。
× 俗にいう「使えないシステム」ってやつをつかまされたのかもしれない。 ○ 俗にいう「必須機能を伝え忘れたまま完成しちゃった」から、「使えないシステムをつかまされた」という設定でいこう(ゝω・)テヘペロ
× 今、WEBアプリみたいので、業務ツール作っているんだけど完成が見えてきた段階で実はボロボロのものが出来上がってることに気が付いてきた。 ○ 業務ツールの作成を依頼したけど、完成段階まで必須機能を盛り込み忘れたことに今更気付いたどうしよう(ゝω・)テヘペロ
× 全部CSVっていう言語でしか出せない。 ○ 全部CSVっていう形式でしか出せない。カティア言語とか形式とかよくわかんないや(ゝω・)テヘペロ
× CSVをエクセルで開くとところどころ文字化けになってて全然使えないし、 ○ 何の文字コードで普段扱うかとか誰も気にせず完成しちゃったから文字化けで業務が回らず困った(ゝω・)テヘペロ
× そもそも罫線もないしページングもされてない。 ○ ただのデータの羅列なので罫線もないしページングも当然あるわけないんだけど、そこは作り手の問題にしちゃえ(ゝω・)テヘペロ
× ベンダーにそういったら「それは無理」の一点張り。 ○ ろんもちロハで作り直して(ゝω・)テヘペロ ってベンダーに頼んだら「それは無理」の一点張り。
× コンサルはベンダーの瑕疵だからなおさせろ、ベンダーはやらない、で膠着状態。 ○ コンサルはベンダーの瑕疵という事にして無料で直させろ、って難癖で膠着状態に持ち込むことにひとまず成功★(ゝω・)テヘペロ
× CSVだけじゃなくてほかにも必要な集計が画面上でできなかったり、そもそも機能自体が欠落していたりとかしてどうにもならない。 ○ 他の機能も必須なところを頼み忘れた・確認し忘れてたけど、まあ今頃言っても仕方ないよね(ゝω・)テヘペロ
× このまま話がすすまないで納期間に合わなくなったら大変なことになるって言っても ○ このまま話がすすまないで納期間に合わなくなったら大変なことになるって脅しても(ゝω・)テヘペロ
× 「仕様変更で納期が延びるのは当然だし、その場合再見積もりになる」とかサラッというし。 ○ 「仕様変更で納期が延びるのは当然だし、その場合再見積もりになる」とか当然のことを言われたので、イラッ★(ゝω・)テヘペロ
× 20代のクソガキが! ○ 理屈すっ飛ばして、相手が若造だから全て悪いことにしちゃえッ(ゝω・)テヘペロ
× つうか仕様変更じゃねーしおめーの能力不足でこっちが迷惑こうむってんの! ○ 必要な機能を後からお願いは仕様追加だし、それに今更気付いたのはこっちの能力不足だけどこっちが迷惑って事でヨロピコ(ゝω・)テヘペロ
× って、ベンダーに文句言ったところで何かが変わるとは思えない。だからといって追加で払う金もない。裁判する時間も金もない。死にそうです。 ○ って、ベンダーに無理筋通すしかないし、お金もないし時間もないしお金もないし、恫喝系で実績のあるコンサルお探し中。(ゝω・)テヘペロ
元々の仕様に「エクセルで出力するよ」って書かれてるなら、さっさと裁判して勝てば良いし、
元々の仕様に「エクセル」の「エ」の字も無いなら、さっさと裁判して負ければ良い。単純な話すぎる。
俗にいう「使えないシステム」ってやつをつかまされたのかもしれない。
今、WEBアプリみたいので、業務ツール作っているんだけど完成が見えてきた段階で実はボロボロのものが出来上がってることに気が付いてきた。たとえば月報とか日報みたいなアウトプットが必要なデータが10種類ぐらいあるんだけど、全部CSVっていう言語でしか出せない。CSVをエクセルで開くとところどころ文字化けになってて全然使えないし、そもそも罫線もないしページングもされてない。社外のコンサルに聞いても、CSVは機械同士がやり取りするための言語で、人が使うデータはエクセルで出せるようにするのが普通って言っている。ベンダーにそういったら「それは無理」の一点張り。コンサルはベンダーの瑕疵だからなおさせろ、ベンダーはやらない、で膠着状態。CSVだけじゃなくてほかにも必要な集計が画面上でできなかったり、そもそも機能自体が欠落していたりとかしてどうにもならない。
このまま話がすすまないで納期間に合わなくなったら大変なことになるって言っても「仕様変更で納期が延びるのは当然だし、その場合再見積もりになる」とかサラッというし。20代のクソガキが!つうか仕様変更じゃねーしおめーの能力不足でこっちが迷惑こうむってんの!って、ベンダーに文句言ったところで何かが変わるとは思えない。だからといって追加で払う金もない。裁判する時間も金もない。死にそうです。
我慢強く、受け流したり気にしないふりしたり、全体の利益になるような努力をたんたんとし続けた結果、受け入れられたんだけど。
非常にむなしい。
やられたことはハッキリいって忘れてない。
いまさら誤解だったね、過去のことは忘れてっていうのはキツイ。
きついんだけど、客観的には楽になってるんだから、それでいいじゃんっていう気持ちもアル。
そう、人生はこういう感情とは別に目の前の利益を得ないといけない場面がたくさんある。
でも、すんげーキツイ。相手が人間だと思えなくなってくる。でも逆に、相手も人間だからっていう気持ちもある。
そう思うから、人間不信になって、哲学だの文学だのを心の慰めにしてるし。トイレに頻繁にこもって心を落ち着ける。
会社にいる時間をできるだけ簡素なものにするために、予定をたてて、体だけ会社において、心は終業後にやることをいろいろと計画してる。心をフラットに保つためにランニングを毎日やってゼロにしている。
俺にとっては、生きるために会社にはいかなきゃだけど、会社の時間はアフターファイブのための計画と妄想、読んだ本の脳内復習でできるだけ無視して生きている。
当たり前の人付き合い、当たり前の会社の労働はこなすんだけど。そこに心は砕かない。
友達付き合いってのも、できるだけ瑕疵の無い言葉を使うし、聞きに回って、たまにユーモアを言うが。
なんだか、ゲームの選択肢を選んでるだけの無感動なものになっている。
抵抗の無い平面ではボールがずーっと転がり続けるように、ほとんど記憶に残らない時間が会社の時間になっている。
もし、同僚が人間的な付き合いをしてくれたらなあとは思うんだけど。そういう人間じゃないし。そういう人間相手の職場にしか所属できない自分もその程度だし。
軍隊が通貨の代用として使用する手形であり、最終的には、その軍隊が所属する政府によって軍票所持者に対し債務支払いを行う必要があるが、敗戦国の場合、支払能力がないため反故にされる場合もある。
ということは軍票がクズになって慰安婦に十分な報酬が払えなかったのは
負けたくて負ける国はないわけで
「軍票をクズにして充分な報酬が払えなかった」ことは故意ではなく過失といえる
よって報酬に関しては加害(とされている)側にある程度の斟酌は必要だろう
「慰安婦の問題点は報酬など関係なく人権侵害であるからだ」という態度にも疑問である。
”何をもって人権侵害とするか”慰安婦に対して補償せよという立場の人間はここで足並みがそろっていない。
すなわち「女性自身が体を売り物にする権利」を認めているか否かである。
契約として「わたしは体を売ります」「あなたの体を買います」となった時、
(その後の報酬は「関係ない」のだから)売ること、買うことについての同意自体には全く瑕疵が無い。
人権侵害は性を売り物にしたことではない、軍が強制的に徴用したこと、または悪質な労働環境etcであるというのならば
先日。こういうツイートを見かけた。わりかしRT人気を集めて支持されている。
https://twitter.com/senjuin1010/status/486157859797733376
ほどほどにネット等でヘイトスピーチ関係を学んだ人が、こういう疑問にぶつかっているのは珍しくないように見受けられる。
また、実際反ヘイトスピーチ活動してる人の中にもこういう(ここで揶揄されてしまうに十分な)考え方になってしまっている人もいるように見受けられる。
こうなってしまうような現状がそこにあるのだという点においては私も疑いはない。
私が、例えば
金明秀 KIM, Myungsoo (han_org)さんはTwitterを使っています
のような、反レイシズムに大なり小なり関わり、またそこに社会学の専門性を持ち込んでいる人の普段のツイート等を見て理解した範囲では、
金明秀氏の立場を私が読んでみる限りにおいては、前述のそれにおいて誤解されて抜け落ちている代表的な立場は
・実際にそこにある被害を見つめずに前述のあれこれを決めてはならない
といった物で有る。どんな被害がそこにあるか、それを抜きにこの問題を何か決めるのはナンセンスである。
・マイノリティとは、権力が小さい集団のことを云うのであって、大原則としてリソースが小さい。
被害をマジョリティが理解する上でマジョリティがマイノリティの説明責任を過大に求めるのはマイノリティへの搾取である。
マジョリティとマイノリティの間の「努力」に「同程度」を求めるはだめなのである。
さて、しかし、現実にはここでこういう疑問を抱く人も多いであろう。
・そんなこと言ったって、マイノリティが何も言わずに全部察しろと言ったって無理だ
当然で有る。しかし、金明秀氏などを例に挙げると、決してそんなことは言っていない。
・金明秀氏が自明といった場合、自分で調べればどこかにそれを示す資料(被害について当事者が語った何かしらなりそれを示す社会調査データなりは)必ず既に現存すると考えている (しかし、それを調べるのが容易であるとは限らない)
・そんなこと言ったってマジョリティだからってそういうのを自分で必死に調べて理解するとか限界があるし、誰もがやるわけではないので、理解されないという現実を防ぐのはそもそも困難では。
その通りで有る。しかし、大前提として、そこに不正義の事実があるという前提が正しいのであれば、
・ある意味において、マジョリティが既に存在することが確認できうるマイノリティの問題を理解できないなら、マジョリティ内部の問題である。それが言い過ぎとしても、マジョリティとマイノリティを含んだ集団全体の問題であり、それをマイノリティにのみ過度に求めるのは誤りで有る。
ということである。
ここまででも、まっとうな方でもいろいろ疑問・反論が出る人もいるであろうが、最低限この程度は理解してからロジックを組み立ててほしいものである。
派生した議論として
・被害者の自称被害は過大に言われることも誤りも有る。全部真に受けて良いか?
これは、当然の疑問である。当然調査は必要であるが、低質な「ちんけな素人のネット議論の検証」みたいなのでバッシングする阿呆が大量にいるが、誤った検証を元にバッシングするならなお悪いのであり、単に最低である。
もちろん、ここにおいて「検証などいっさい必要ないのだ」って立場に立ってしまうと、一部の人がマイノリティ問題バッシングするレトリック「マイノリティの聖域化」なるものが正当であると認めてしまうようであり、危険である。検証コストはマイノリティにだけ過剰に課されれば暴力である。いちいち引き合いに出して申し訳ないが金明秀などが普段言うことは「通常は調べればちゃんと結論が出ている」ものだったり、さもなくば、「じゃあ、検証が不十分であるからといってそこに問題がないと結論を出して、救済されるべき人を切り捨てるのは正義か(また、それ故にバッシングまでやるならなお正義の問題となる」といった問題も出てくる。
その他、派生した議論として
・じゃあマジョリティはマイノリティを批判してはいけないのか?
これも、Yesだとしたらそれこそレトリック「マイノリティの聖域化」の出番である。しかし、金明秀氏などが普段言う所を私が理解する限りにおいては、
「特に批判が正当である場合など、当然批判するななどとはない。しかし、その批判とやらが、「どういう文脈で向けられている」かは大問題である」
といった論点がある。「Aはマイノリティで不当にBという不利益を得ているので改善すべき」という主張に向かって、「AはAにも問題があるのである」みたいな
反論はもうバカみたいに大量に出てくる。多くの場合「そういう問題があるから、差別されてよい」という「理由がある奴はいじめられてもよい」式の構造
になってしまったこういう実にナンセンスなのがよくあるのだが、結局黙らせるための対抗言説である。マイノリティが改善すべきというのが事実として、なぜその文脈でいう必要が
あるのか。(繰り返すと、往々にして改善すべきということ自体が難癖であるというのも多いのだが)。改善すべきなら相手が改善によりつながる場面で批判するのがよいであろう。
(これをいうと、何故そんなことまでしなきゃいかんのか、という疑問もあるかもしれないが、当然それは、「マイノリティが被害を受けている現実があるか、
その可能性が無視できない程高い」という現実がそこにあるからこそであり、また、「持てる権力・リソースにおいて負けているマイノリティに対する要求で有るから」であり、故に「黙らせるための言説」として使うのが不正義なのだ)
その他
・マイノリティはリソースが少ないのであるからして、運動に完全を求めるな。少なくとも、その運動上の瑕疵について、マジョリティのそれと対等を求めるな
このあたりになると理解しづらい人も前述より増えるかも知れないが、ほっといたら保護されない不利益に対して声を上げることで初めて改善できるマイノリティ問題にマイノリティが声を上げているのである。大前提として、権力もリソースも大きな差があるのである。「瑕疵のなさにおける対等さ」を求めるだけで暴力で有る。
これは、「マイノリティにはどんな瑕疵があっても構わない」ということではないので、そのあるべき、もしくは許容範囲となるバランス、落し所は自明ではないが、「完全な対等を求めたら、暴力」である。
・マイノリティがマジョリティに攻撃的に何かする時の被害とマジョリティがマイノリティにそれをする時の被害の質・程度は、当然後者の方が大きい
権力の大小の話から言って自明で有る。少なくとも、この点においても「前者があるので後者をやるのは当然で有る」も程度問題というのもまったくなくはないのだが、
簡単に不正義を生む。もちろん、前述の「どういう文脈でそれを言うのか。無効化の文脈で言う不正義」の問題等も絡む。
ネットサーフィンして議論するものいんだけど、本当にマイノリティ問題に一家言あるのだと言いたいので有れば、「まともな研究者」の資料をもうちょっと読んではどうかとは常々思う。
D_Amon 被害者が被害の声をあげること自体への反感は見慣れた風景ではある。公害でも戦争犯罪でも出自差別でも。その反感は自らを加害の主体側に置いての責任逃れ思想によるのではないかとも思う。悪い意味で「統治者目線」
私自身、彼のいう「悪い意味」での「統治者目線」を感じる機会は多く、この指摘に直観的には同意したく思う。
一方で気にかかるのは、民主政における治者と被治者の自同性である。
民主主義を採用する日本において、我々は「統治される者(被統治者)」であると同時に「統治する者(統治者)」でもある。
そうであるとすれば、我々は「被統治者目線」と同時に「統治者目線」も持たねばならないことになる。
もちろんid:D_Amonもそのことは認識しており、だからこそ「悪い意味で」という限定をつけたのだろう。
そして、その「悪い意味」での「統治者目線」の内容として、「自らを加害の主体側に置いての責任逃れ思想」と規定しているものだと私は理解した。
このうち「自らを加害の主体側に置」くことは、悪いことではない、というよりはむしろ当然そうすべきことなのだろうと思う。
なぜならば、我々は「統治者」である以上、常に加害の主体側であって、望むと望まざるとにかかわらずその立場から逃れることはできないからだ。
そうすると、問題は残る「責任逃れ思想」にあるということになるが、これがいまひとつよく分からない。
いったいどのような態度が「責任逃れ思想」として批判されるべきであるのだろうか。
たとえば、経済的合理性の観点から弱者や少数者の要望を拒絶するような場合、要望の内容によることはもちろんであるが、ときにはそれがやむを得ず、正「統」性が認められるということも十分に考えられるだろう。
そうした場合に、要望を拒絶する見解を主張する者を、それだけで「責任逃れ思想」であるとして批判することはできまい。
その見解の根拠が「責任逃れ思想」に基づくものであることは、少なくとも主張そのものの上には現れてはいないからだ。
他方で、要望を拒絶するにとどまらず、要望を出す者を非難する程度にまで至った場合、それは「責任逃れ思想」に基づくものであることが強く疑われるように思う。
それは、要望を容れられない自己の責任を、要望を出す者に転嫁しようとする態度であるからだ。
しかし、このように解するならば、それは結局「表現の問題」「言い方が悪い」という議論に収斂してしまうことになりはしないか。
我々は、下手に弱者・少数者を非難せず、淡々と彼らの要望を拒絶し続けていれば、それによって「責任逃れ思想」を免れることになるのだろうか。
もちろん理論上はそうではない。「責任逃れ思想」は内面の問題である以上、究極的には外形上一切の瑕疵がなくとも問題となり得る。
しかし、我々は他人の内面を直接観察することはできないから、外形的な徴表からそれを推知するよりない。
現実的な批判方法としては、ある者の態度等、客観的に観察可能な事実を捉えて、「責任逃れ思想」であり「悪い意味」で「統治者目線」であるという論理構成を採らざるを得ないのである。
こうした前提をふまえたうえで、「責任逃れ思想」、「悪い意味」で「統治者目線」として批判されるべき態度は、「要望者に対する非難」に限られるのだろうか、限られないとすればどのような態度が「責任逃れ思想」、「悪い意味」で「統治者目線」として批判されるべきであるのか、というのが私の問いである。
前者の問いに対する答え自体は、明らかに否であろうと思う。「統治者目線」の議論は単なる表現上の論点に落としこむべきものではないし、批判されるべき態度についてのいくつかの具体例ならば私にもおそらく挙げることが可能である。
しかし、否であるとしてではいかなる態度が「責任逃れ思想」、「悪い意味」での「統治者目線」に該当するかという後者の問いに対して、一般的な判断基準を提示することは、少なくとも私には片手間にこなせる仕事ではないし、これまでのはてなにおける議論を見ていてもこの点については十分に考えが深められておらず、未だ適切な判断基準は示されていないように思える。
そこで、この点について、D_Amonをはじめとする諸賢に示唆を頂戴したく、こうして記事を書いた次第である。
増田からはおそらくコールが飛ばないと思うので、セルクマの上コールさせていただく。
なお、私は増田以外のはてなのサービスを利用しておらず、このセルクマが初ブックマークとなるが、m8138761718z80-deainfoが私のメインアカウントであり、いわゆるサブアカからの闇討ちの類ではないことを付言しておく。