はてなキーワード: 瑕疵とは
通常の瑕疵担保責任なら免責期間が当然ながらあるけれど。
瑕疵担保責任の期間を定めてPL法から逃れることはできないでしょ?
瑕疵担保責任のある期間中ならね。普通は納品してから1年間がその期間。(今回は3年後に瑕疵が発覚。)
だから、もしシステムに瑕疵が出たらそれによって生じた損害の賠償はすべて開発元に負わせるっていう内容の契約も筋が通ってる、っていうかうちはいつもそういう契約にしてるし、そういう契約ができないシステム屋なんかに大事なシステムを頼みたくない。
いいシステム屋だなww。ありえないわww。
こういうところは仕事取るために他の仕事も異常に不利な契約をさせられてるのは容易に予想つくよな?
で、ある日そのシステム屋の別の案件で事故が発生して、会社が吹っ飛んで終了。
お前のその「大事なシステム」の面倒を見てくれる人間が誰もいなくなるwww。
誰の責任で損害が生じたのかって考えると、やっぱりシステムを作った人だ。
だから当然作った人に損害の賠償させるのは間違っていない。
例の失業手当一日5円多く払っていた件。なんか富士通擁護な論調のブコメ見てるともやもやした気分になってくる。
http://www.asahi.com/articles/ASG630Q2JG62ULFA02H.html
厚労省が出した要件がそうなっていなかったのなら、要件通りに作らなかった開発者が悪い。
彼が不具合を埋め込みさえしなければ、毎日一人5円多く払う必要がなかったのだから。
だから、もしシステムに瑕疵が出たらそれによって生じた損害の賠償はすべて開発元に負わせるっていう内容の契約も筋が通ってる、っていうかうちはいつもそういう契約にしてるし、そういう契約ができないシステム屋なんかに大事なシステムを頼みたくない。
ブコメの「検収しないほうが悪い」みたいな意見ってシステム屋が必死になって書き込んでるんだろう。けど、自分がバグ作っておきながら、バグを発見できなかったお前が悪いって流石に無いわ。パズルゲームじゃねーんだよ。もっとしっかり仕事やってくれよ。自分の仕事の至らなさを客に押し付けるとかほんと胸糞悪いわ。
キャラ絵に惹かれてずっと気になってたFE覚醒を今更ダウンロード購入したんだけど、なんだかこう、胸の辺りがもぞもぞする感覚が止まないので増田に吐き出し。ネタバレなので未プレイの方は要注意。
まず、主人公の王子様が「王族なのに自警団」なんだけど、王子なんだから直属部隊とか騎士団があって、正規軍としての役割を持ってていいと思うんだけど、そうではなくてあくまで自警団らしい。王様は鳩派だけど王子様は鷹派だからなのか?講和条約で制限された軍備を持っていて、秘密裏に軍事作戦を行うから自警団を名乗ってるのか?という説明もなしに「王族が自警団をやって悪い法はない」で説明が済まされるのが気に入らない。十分悪いよ!国家を預かる者が国家の枠組みから外れた戦力を持ってる時点で普通は法律違反だよ!
さらにこの自警団、何を目的としているのかがよく分からない。最初は国境付近が敵国の侵略をうけているから、という理由が説明されてるけど、ずんずん国境から離れて北上してまた別の国まで行って同盟結ぶ。そんなことしてるうちに味方が人質にされて王様呼び出される。のこのこ国境の荒れ地まで呼び出されて行く王様。苦渋の決断により戦争突入、のはずがあっさり抜け出して主人公に合流する人質。で、戦争になったから王様を避難させるはずが、何故か反対側、自国の奥の方から攻め込んでくる敵国軍。国境はどうなった。で、あっさり王様人質になる。そうしたら猛烈な勢いで反攻して敵国居城に侵入した上、最後の拠点まで落とし切る。国境はどうなった。
この流れの中に、「自警」してる要素がまったく見えないんだよ。殴られたから殴り返す、俺正義、ってだけ。国民の生命と財産を守って、その利害の為に戦っているというのが全く見えない。現実世界で戦争が国家間の問題を解決する手段になるか、というのは確かに難しい問題だけど、その生命線は常に、我々がこの世界で生きて行けるだろうか、という問題。人間の数に対してリソースは常に不足してるから、二つの混じり合わない集団が接すれば必ず争いは起きる。その影には、飢えて、病で、死んで行く自分たちの側の人々が存在してる。少なくともそれだけやるせない問題を抱えているんでなければ、人が人を殺す権利があるとは思えないし、現実世界で平和を保つ事が難しいのは、平和というのは常にその裡に争いを抱えてるからだと思ってる。その微妙な「正義」の問題を、この作品世界では、世界を滅ぼす邪竜と世界を守る神竜っていうメタで安易な善悪二元論で置換してしまってる。だけど、戦争の敵国がその二元論に関心があったとは、少なくとも途中までは全く思えない。
話の途中で海の向こうから攻めて来た帝国なんて、邪竜側に加担してるわけでもない。船で乗り込んで主人公側を「侵略する」ポーズを取ったら、やっぱり主人公側が猛烈な勢いで反攻して隣の大陸まで行って最後の拠点まで落とし切られる。その結果得られる物は、実際には味方が保管していた聖玉だけ。それさえあれば後はいらないとばかりに、打ち負かされた帝国を放置して帰還する主人公達。流れを遠目で見ると、主人公側が言語道断な侵略者に見えてくる。さらに流れは、最初に戦って打ち負かした敵国が今度は邪竜のしもべに乗っ取られて最悪の敵として襲いかかってくる、と続く。主人公側が戦後処理きちんとしないで荒廃させたまま放置したからじゃないんでしょうか…?
とまあ、こんなことが気になる時点で、ゲームをやる年齢じゃなくなってるってことなんでしょうが。同じように感じた人いないのかなあ…。某界隈ではスミアたんばっしばし叩かれててああ…って思ったけど、彼女の瑕疵が作品の瑕疵に比べてそれほど大きいとは思えないので可哀想になってくるです。
http://anond.hatelabo.jp/20140418195937
話がデカくなりそうなら「うちコンサルもやってるんで仕様決め手伝いますよ、30万/月ぐらい出ます?」っていってコンサルの仕事ゲットして、自分達の作りやすいように仕様を決めて思い通りにできる。
本職じゃないくせにコンサルもできるとかいって週1回ぐらいちょっと世間話するだけで金取るパターン。
しかも仕事の話がでたら相見積の審査やってるフリして、身内企業に決めるか、身内以外でも業者からバックマージン貰うダニ仕事も奴ら平気でやる。
つうかIT屋が月30取るとかいうなら社内の業務の分析からそのまま中国に出せるぐらいの設計まで1カ月でやらせろ。
もしITコンサルに金払うとしたら、月の終わりに成果物ださせてその内容で金額決めたほうがいい約束にしたほうがいい。
業務分析と外注にそのまま出せるシステム設計書ではじめて30万払うよと。もちろん設計に穴があったら瑕疵だから責任もって直させる。場合によっては損賠賠償っていう契約は最初にしておいたほうがいい。
科学は「あるべき」論を欲しない。それが求めるのはただ「である」の集大成であって、科学が科学者に「あるべき」姿を望んだことなぞ金輪際ない。「あるべき」姿を求める行為は常に人と社会の関わりの間でのみ起こりうる現象であり、すなわちそれを求めるのは科学でなくて社会なのであるからして、まるで科学そのものの原理として、「あるべき」姿のごとき、ともすれば宗教のタブー・律法のようなものが存在するかのような議論は、極めて非科学的と断ずる他ない。
ノバルティス社の臨床試験データ偽装は何が問題だったのか。言うまでもなく、効果の不確かな薬品をそうでないと偽って売り出そうとした商業的な詐欺の片棒をかついだことであり、すなわち社会的行為としての罪であって、決して科学として「あるべき」姿を犯したからでも、タブーを破って神の怒りを買ったからでもない。科学はいついかなるときもその「あるべき」姿を自ら求めることはなく、従って「あるべき」ように見える科学のあり方に反したことそのものが罪になることなどあり得ない。
論文の剽窃もまた、何故か当たり前の様に科学そのもののルールに反した行為のように語られているが、実際のところそれの何が問題であるのかと言うと、単に労働市場の競争原理にもとる行為であるからに他ならない。誰が誰を剽窃し功績を偽ろうと、それは科学の「である」ことの積み重ねそのものには何の直接的な影響もないし、それを利用するものにとって、正しい知識が誰から得られたものであるのかを気にする意味はない。ただ、金銭や名誉という社会的なインセンティブが人間としての科学者に間接的な影響をもたらすのみである。
不思議な現象は、科学哲学の立場からこれらの「あるべき」論を押しつける風潮のあることである。しかし、科学哲学は科学がどう「である」かを論じるものであって、科学がどうで「あるべき」かを論じるものではない。哲学に出来るのは、それが「科学と呼べるのかどうか」を「哲学の外」(主に科学の現場)から持って来た観察を元にすりあわせることだけであって、「哲学の中」で決まった「あるべき」論を元に「これは科学」「これは科学でない」と勝手に現場の事象を振り分ける様になってしまっては、宗教原理をもとにありとあらゆる森羅万象を解釈する妄信と何ら変わらなくなってしまう。
科学論文の不正、捏造が批判されるべきでないなどとは言わない。言うはずがない。しかし、このように本当のところ何が問題であるのかは社会的行為として誰が誰に罪を負うのかを個別の事例として見なければはっきりとは言いがたいものであって、それが「科学」であるが故に「いかなる瑕疵も許されない」、「たった一つの不正が信頼を揺るがす」などとヒステリックに騒ぐのは、ナイーブと言うか原理主義的と言うか、非常に危うい日本人の知的状況を浮き彫りにするだけのものに見える。科学をもって「信頼を損ねる」などと、信じるか信じないかの問題にしようとしてしまう勢力を前にして、「科学も所詮現代の宗教」とシニカルに眺めていれば良い状況とは、自分にはとても思えない。
単純にできました!っていう発表だけでなくて、きちんと関連の実験まで済んだうえでの発表だった。
大学や研究機関で記者会見するような発表は大概論文がきちんと通った後にあるものだから、そりゃ当然じゃね?
この場合の「関連の実験」ってのをあんたが何を示してるのか知らないけど、論文に載ってるデータとかはそりゃきちんと済んだものだけ、のはずで。(捏造でなければ)
これは何の話?皆失敗してるんじゃないの?
なのに、そこでなされた報道が「リケジョ」じゃない?「ムーミン」じゃない??
ガクっとくるよね。
でも、それは、山中教授がノーベル賞取った時だって報道されるのは奥さんとのエピソードとか洗濯機がどうのこうのとかくだらないものが中心だったじゃん?
しかも、今回の場合は、理研がプロデュースしたアイドル発表だったんだから、マスコミだけではなくて発表する側にも大問題があったわけで。
小保方さんの論文の作成手法は剽窃にまみれたものだったようだけれど、実験は大得意だけどそれをまとめるのは好きじゃないっていう人、実際に結構いるし。結果として動くものがあるんだから、ドキュメントなんて適当でいいじゃないという彼女の心境は、作ったソフトウエア、もう動いてるし、運用されてるし、製造したあとに詳細設計書かけとかいわれても、じゃあ切り貼りじゃだめですか?というSEのそれと本質的にはかわらないでしょう。
そもそも、結果として、ってその結果は嘘だった可能性が高いわけだし。
そもそも、彼女がしたことは「切り貼り」ではない。単なる「コピペ」しかもそれを参考文献もなくパクリなので著作権法にも反する。公に発表してるんだから。
SEが動くからいいでしょ、って、ライセンスを無視してコードをパクって入れたら大問題だろ?
説明書だって、客に出すようなものに、他の製品のコピペを入れたら大問題だろ?
いや、バグとかさ、単なる「ミス」だったら、その後、そのミスを正しく認め、正しい情報を出し、論文を取り下げ、と言うことをすれば、それはほとんど問題がない話。
勿論、信用は落ちるが、誰だってミスはするし、そういったミスは実際大きな研究機関でもいくらでも出してる。
そこは区別してくれよ。
だからこそ、今回のことも、さんざん、「単なるミス」で済まそうとしてるだろ?
写真をただただ取り間違えただけとか。
だけど、切り貼りの部分はどうやら明らかに「意図的」なものだったみたいだし
(知らなかった、と言っているのが本当ならその部分は認めたことになる。
ただし、恐らく、「知らなかった」なんて事はあり得ない。流石に研究者の間で生きてればそんなアホな事は言えない。もう言い逃れが出来ないところに来ての単なる言い訳としか思えない。)
それがあると、やっぱり、写真とかも意図的な捏造だろう、と思ってしまうだろう。
勿論、今後、「正しい」写真が出てくれば別だけど、すぐにそういうものが出てくるわけでもないみたいだし。
論文が糞残念なことよりも、実験が正常だったのかどうかのほうが気になる。理研さんは実験ノートを見る限り実験はきちんとおこなわれているといってるし、ハーバードのチームは関連実験に進んでるんでしょ?
実験ノートに捏造しました、なんて書いてあるわけ無いし、もし仮に、「正しい実験ノート」があるなら、
STAPが出来た、とされる「正しい」写真がログノートに記録してあるだろ。
それがあればそれを発表すりゃいいだけ、でも何故それがない?それがない限り、ログノートが正常だったかどうか、なんて判断しようがない。
仮説が大いに間違ってて、そこを辻褄あわせるために切り貼りしちゃったみたいな無邪気でいてそれでいて致命的な失敗は、日本の科学における、あらゆるものに逆風をもたらすかもしれない。でも、実験そのもが作為や土器埋めちゃった系の創作がないと信じるのであれば、この逆風は超えなければいけない試練なんだとおもう。
信じるのであればね?
もしそうなら、勿論、じゃあ、なんで失敗して間違っちゃったか、それをきちんと説明してやれば、はっきり言ってそれ程大きな問題ではない。
でも、博士論文等色々な部分から、研究者としての脂質自体が問われる様になってしまってるし、
ここまで来ると、もう彼女の事を信じられない、と思うのはしかたがないこと。
もはや、決定的な「正しい」証拠を出さない限り、これが捏造ではなく、単なるミスだった、なんて誰も信じない。
というか、だから、STAPが本当なら本当で、その正しい写真やデータを提供しなおせば良いだけでしょ?
それがない限り、捏造以外の何物でもない。
デマ拡散に手を貸したと言われたので、せっかくなのでフルボッコされてる彼女を擁護してみるよ。
デマとされているSTAP細胞、純粋にそんなバカなと思うぐらい驚いたんだよ。インパクト半端なかった。
応用化学科で生命工系の研究室にいたこともあったので、それがどういう意味を持つのかはわかったし、将来どこまで波及するのかが想像できたんだ。
様々な分野で結果を残していて尊敬できる研究機関である理研が発表した論文で、データ・セットもしっかりしているし、マーカー組み込んで蛍光発光まで確認したり、幹細胞であることを証明するためにそこからクローンを作成したりしていた。
単純にできました!っていう発表だけでなくて、きちんと関連の実験まで済んだうえでの発表だった。
まじか、すげぇな、とんでもないな。ありえないな。まじか、すげぇな、まじか、と。繰り返しちゃうぐらい。
なのに、そこでなされた報道が「リケジョ」じゃない?「ムーミン」じゃない??
ガクっとくるよね。
そりゃ、論文の内容を査読するような報道がすぐにでるわけはないのだけれども、あまりにもだよ。
なんで普通に研究について書かれているブログがあるだけで嬉しかったんだよ。
でね、肝心のSTAP細胞の実在性、惹起性変化がありえるのかについてだけれども、2014年の今、あらためてこの分野が研究されるのはいいことなんじゃないのかなと思うんだよね。
発光現象はただの死滅細胞で、幹細胞はもしかしたら意図的な混入で、本当はかけらも存在しないのかもしれないけれど、理研が細胞外環境研究チームを組織しているように、これは現代においては再び研究のテーマとしては成立しうると思うんだよね。なぜなら変化をデバッグできるようになったから。
小保方さんの論文の作成手法は剽窃にまみれたものだったようだけれど、実験は大得意だけどそれをまとめるのは好きじゃないっていう人、実際に結構いるし。結果として動くものがあるんだから、ドキュメントなんて適当でいいじゃないという彼女の心境は、作ったソフトウエア、もう動いてるし、運用されてるし、製造したあとに詳細設計書かけとかいわれても、じゃあ切り貼りじゃだめですか?というSEのそれと本質的にはかわらないでしょう。
実際そこにバグ、瑕疵があれば責任者が遡及して責めを負うわけで、今回は彼女がそうなってしまっているわけだけれども、もし、細胞外環境による形質変化の惹起がありえるのだとしたら、それは歴史が証明することだけれども(便利な言葉!)やはり彼女は一度はドロにまみれたけれども歴史上の偉人にはなる可能性はやはりまだあるとおもうんだよ。そして歴史にも歴史的発見に伴った初動における誤認は例の枚挙に暇がない。・・・気もする。
論文が糞残念なことよりも、実験が正常だったのかどうかのほうが気になる。理研さんは実験ノートを見る限り実験はきちんとおこなわれているといってるし、ハーバードのチームは関連実験に進んでるんでしょ?
仮説が大いに間違ってて、そこを辻褄あわせるために切り貼りしちゃったみたいな無邪気でいてそれでいて致命的な失敗は、日本の科学における、あらゆるものに逆風をもたらすかもしれない。でも、実験そのもが作為や土器埋めちゃった系の創作がないと信じるのであれば、この逆風は超えなければいけない試練なんだとおもう。
擁護になってる?
が、まあせっかくだからなんか書捨てておこう。
D論が取り下げになるのは確実だろう。
良くても書き直し、最悪だと学位取り消しだろう。
まあコピペ部分はイントロであって、それ以降に新規性のある結果が含まれてれば、
内容的はセーフ、書き方がアウトというわけで、書き直しで許してもらえるんじゃないかと予想。
ホントに新規性があればネ☆
Natureの論文の方も、取り下げか、最低でも大幅に下方修正が必要でしょうな。
大幅に論旨を変えた上でしょぼい雑誌に掲載というのが現実的かな。
まあそれまでにオボちゃんが研究者やめちゃったらお蔵入りになるかもだけど。
私の知りうる情報をまとめる限り、やっぱりいちばん悪いのは小保方だろう。
でもどうしても同情心も湧く。
共同研究って言っても実質一人で実験・論文執筆したんだろうしね。
その割には追試など手を動かす作業には参加してくれない、という伝統的形式がまずかったね。
理研を責める向きもあるが、それはちょっと違うんじゃないかな。
Natureに乗っちゃったって言われたらやっぱスゲー論文なんじゃないかと思うし、
そもそも今どきの研究なんてむちゃくちゃ細分化されてて同じ研究室でも
違うテーマで研究してたら何やってんだかよくわからんことも多いし、
ましてや広報とか一線引いた責任者のセンセーがその辺見抜けって言われても無理でしょ。
そう考えると、一度は撥ね付けた論文を、バカルディだかなんだか先生の
まあそうは言っても、最も研究に詳しかった小保方さん本人がその瑕疵に気づいていなかったとは思えないし、
言い出せないうちに周囲のヨイショが加わって、
自分の正しさばかりを主張するひとにあった。
信用が「押し問答」のなかで失われつつあるなか、かろうじて互いの理性でギリギリ関係が成立している状態。それを横で部外者として話しを聞いていた。
ある組織が提供しているサービスを利用しているその女性は「話しが違う」という趣旨のこと延々と主張していた。かたや組織の人間は「そんな約束はしていないしそれを証明する方法も無いでしょ?」ということをやんわりと伝えていた。
恐らく法律的に組織側に瑕疵がある部分はなく、誤解を生んだ言い回しは希望的観測の範囲内の発言だったと言える感じ(とはいえそれが原因だから問題と言えば問題だが)。
一方女性の主張は、「自分が何を信じて行動し、それが信じた通りにならなかったことによってどれだけの不利益が合ったか」といった趣旨のことを延々と述べていた。結構冷静に。
サービスを提供している側としては、その女性はお客さんだ。だからその部分を加味して、当然直接的な言い方は出来ない。そしてその女性は「その歯切れの悪い部分」に突っ込みを入れる。「誤解を生むようなことをいうひとの責任が云々」みたいな。。
この女性に決定的に掛けているのは「自分を客観的に見る視点」だと思う。
世の中には悪いやつに騙されたとしても「騙される自分に隙があったのだ。それがそもそもの原因だったのだ」と考える人も少なからずいる。もちろんそう考えるからといって、人を騙したやつの罪が消える訳ではない。問題は騙された側の心の「ありよう」だ。責任の所在やトラブルの原因を他者に求めるのは比較的容易だ。泥棒にも三分の理、ということわざもあるくらいだ。
自分の価値。それは他者によって決められる。これは「せかいにひとつだけの花」の唄の歌詞のようにはいかない。ありのままで価値を持っているものなどこの世には存在せず、価値は「見いだす人」がいて初めて価値になる。ちょっと考えれば子供でも分かる話しだ。
この女性は、自分の価値に対して揺るぎのない自信を持っている。それは人が通常生きるうえで必要な「自信」とは、別なものになっていると感じた。
「自信」は自分を支えるのに使うものであって、何かを攻撃するためのものではないはずだ。これは推測になるが、この女性はいままでずっと「自分を守るための道具」を「武器」として使い、社会と向き合ってきたんだと思う。そしてそれをそうやって使うことにより、多くの成果を得ることに成功しているのかもしれない。(他者と違うアプローチをすると、得てして良い結果を得やすいものだ)
正直醜いと思った。
自分を客観視できない醜さ。そしてその醜さにも気づかず、当然それを背負う気概もなく、ただただ問題の原因を他者に押し付ける主張を続ける。醜い以外のなにものでない。
ちなみに当の本人、外見はすこぶる美人だった。
虚数時間は我々の予測臨界を超え、絶対明度を保ちながら半翡翠系の償却を反芻している。自己と飼猫の因果が杞憂より出づる撲滅世界の混沌と瞑想神経の齎す瑕疵とを綯交ぜに茫漠とした紗紗と蚕を行き来する。熱烈なる過保護によって朴念仁を生産する孤高なる過程は、明滅する光束の結び目から漏れ出す蒸散による化天を誘い、露光による庶子の影を永遠に棒状の壁画に内在せしめる。既知の文書が未知の閲覧者と邂逅した時、戦前の見開かれた鉱山での惨劇を三度繰り返しながら、双頭の獏が絶命の折に嘶くのと同期して、別離による救済を市井の同胞に振りまく真似事をする。叙勲されし数多の草魚が道標を尽く薙ぎ倒し、その後釜に座る極小なる淫らな猩々が紅の印鑑を倒れゆく少女像に拭い絡ませる様は、恰も冷静なる貴族が病状をひた隠し越冬の危機を乗り越えるのに似る。時々刻々と謀殺されし護摩壇の姫君の肢体が腐敗と熟成の報奨に狂おしく同調している折に、微細なる裂傷を結合しながら徒歩にて断崖を捻る未練がましい使徒が手にした免状を衣と引き換えに八つ裂きにする。傍若の限りを尽くした赤児と液状化した母親が手を繋ぎ目真苦しく螺旋を描きながらもう一人の裏切り者の足跡を舌で滑らかに擦り、その呪縛に素っ頓狂な声を上げた隣人が悪鬼と冒険した凡人と化して急襲しながら霊山の内部構造に激突した。唖然とする七匹の蛙は幕間に喇叭を回転させながら右側だけでタンゴを祭り、渦を巻いた板状の貝殻の上で割譲される順番を望んでいる。早朝に深淵より点在せし顔面が、虹色に曇った延髄を海面に落とし、塗り固められた臍帯を蛇腹にしながら浄化槽で探索する二連の秘部を必死に灯台に繋ぎ止めようとするが、監獄より返納された御影石の売人達による秘密組織が泣き声を追跡しながら別居中の蓮根畑の先端に波及してくれと請願したため、橋の開閉により眼球が飛び出して乳白色の絵画に侵蝕し、慈愛と連想ゲームから成る仏の荒野に自ら至った。
http://anond.hatelabo.jp/20131003212934
うんうん、そうですね。
何もIT知識のない素人企業を、スキあらば適当な見積もりでボッタクろうとするシステム屋ばかりでここはひどいインターネッツですよ。
世知辛い世の中です。
システム屋を呼ぶときにノー資料ではいけません。思いつくまま口頭で話しても、彼らは都合よく曖昧に解釈するだけです。できあがるシステムはそりゃあもう役立たずですよ。
箇条書きで良いので、システム化したい業務フローは全部書き出しましょう。正常な業務フローだけじゃなくて、イレギュラーパターンもちゃんと明記しておかないと、実装の際に彼ら絶対サボりますよ!
整合性の取れたそいつで彼らの頬をペチペチ叩いてやれば、彼らはあなたのことを素人のカモとは見なさなくなります。
システム化に当たって用意してる予算は、50万なのか、300万なのか、1000万なのか。
話の冒頭で、バシッと宣言しましょう。
これ以上はビタ一文出さないという気迫を伝えれば、彼らが桁違いのボッタクリ価格で見積もりを出すことは無くなります。
契約締結に際してどういった書類が必要かは、会社によって大きく文化が異なるところです。予め伝えておきましょう。
特にお尻のスケジュールが決まってて動かせない場合、注意が必要です。あなたが決裁権限を持ってるなら良いですが、部長や社長と言ったお偉いさんの鶴の一声が必要であるならば。
大半のシステム屋は不誠実極まりないので、開発契約書にハンコが押されるか、あなたの会社の決裁権限者から契約内示が取れるまでは、システム開発人員の手配をしようとしません。そして、正確な詳細見積もりの確定には、システム開発人員が必要です。
もちろん、詳細見積もりも無しに金額の大きな契約なんて発注側からしても怖くてできないので、賢い企業は、要件定義から詳細見積もり提出を第一フェーズとして契約したりします。本開発契約と分けるんですね。
上に挙げた諸々、大変面倒くさいですね。ただでさえ本業が忙しいのに、こんなのやってられません。
彼らは、不信感のカタマリです。内示が出てて後は本契約締結するだけの案件が理不尽にご破産になったり、手間ひま掛けた詳細見積もりが単なる相見積の当て馬に使われたり、開発したシステムの納品後に値引き要求されたり、システムリリース後に瑕疵担保対応という名の新規追加開発を延々要求されたり。色々な辛酸を舐めてます。
あなたがそういった酷い発注者では無いという信頼感さえ与えてあげれば、ふわっとした要望でシステム開発を与えても、あなたの会社にとって役立つシステムを適正な価格で作ってくれることでしょう。
ノブレス・オブリージュ。今後もあなたがよき発注者たらんことを!
追記:
いずれにせよ貴方はシステム屋にボッタクられる
例外は撒き餌としての営業工数だけ。あ、あと瑕疵責任範囲のフォローもか。
当然、低価格路線のところほど撒き餌は少なくって、接客業的な振る舞いは薄いのさね。
しかし、正味の話、素人を自称するお宅が見積もりの詳細を聞き出して何がしたいの?
費用全体の中での、話した内容がそのまま表れてる部分の割合なんて1~2割程度なんだから、
詳細見積をもらったところで用途不明金(に見える部分)がどっさりでファビョるのが落ちだろうさ。
ともかく、社内的に必要でないならあまり詳細な計画書を契約前に要求するのはやめておいた方がいい。
二つ返事で作ってくるようなところはボッタくる気全開だし、そうでないところは着手金を要求してくることが確実だ。
元増田です。
真面目な反応を頂いたので、こちらも真面目にお返ししたいです。
確かに自分がどう思っているかの優先度が低く、相手がどう思っているかの優先度が高くなっているところはある。
それが増田の言うように相手を値踏みする消費主体的な品性に欠ける行為なのかどうか、自分ではわからない。
自分の好意に行動の原動力になるだけのパワーを感じない。だから相手の好意を伺う。
僕自身の感覚としてはそんな感じです。
文章からも、童貞臭さとともに伝わると思いますが、結構卑屈な性格をしています。
冒頭に
こういう文章を読んでいると少しイラっとする
昔からよく卑屈だと言われるので、卑屈さについて折にふれて考えてきました。
すると、どうやら人の顔色を伺いすぎることもその一つの要因になるらしいということがわかってきた。
恋愛において僕が相手の好意を気にしすぎることも、恐らくそういう点で卑屈さにつながるものなのでしょう。
他人がどうこうよりも自分がどう思うのかを軸に据えるべきというのは、ここ最近僕が自分自身に言い聞かせていることでもあったので、
未だにここまで卑屈さから抜け出せていないことに少し落ち込みます。
パーソナルスペース云々のくだりはほとんどおちゃらけて書いていたのですが、
かといって相手を一人の人間として真摯に扱えていなかったことには変わりないような気がします。
今回の件からは話がずれるけど、日頃からその人個人から直接得られる感覚よりも属性値ばかり意識してしまうことがある。
リア充っぽいやつとは上手くやっていける気がしない、とかそういう風に。
それで避けがちになるけど、たまに触れる機会があると、意外と普通の人間で、あの苦手意識はなんだったんだってなることがある。
だけどそれでも、その体験を経てもなかなか苦手意識が消えることはない。
これは俺自信の制御下にないコントロール不能な感覚なので、この点について自分自身に瑕疵はないといいたいです。
3)じゃあ、どうすればいいのさ
ここまで言及してもらえるのは本当にありがたい。
もちろん真面目な反応を貰える事自体既にありがたいのだけど、他のトラックバックにもあるように、
てのはよく思う。
別に他人ごとなんだからわざわざ代替案まで出してやる必要はないし、そうしないことを攻められるわけはないのだけど。
少なくともセックスできればいいやとは思っていない。
もちろんセックスしたいけど、それも含めてより広い意味で、甘えたいというのが一番強い。
また、相手に甘えられたいとも思っている。
恋愛の経験がないので、具体的にどうしたいのかなんて全くわからない。
そもそも自分は相手に本当に好意を持っているのか?
それさえはっきりしない。
そもそも自分の好意って自分自身でもはっきりしないものだと思うんです。
相手のことを自分はどう思っているのか?考えてみてもよくわからない。
ただなんとなく気になっていたり、上手く言語化できないもやもやがあることだけはわかる。
恐らくそういうのって経験の無さから来るいわゆる童貞臭さの一つなんだけど、
童貞はそれがどういう感情なのかを知るのに相手に触れられたりするのが必要な場合があったりする。
そういうことなんじゃないだろうか。
また、リスクを減らしたいという考えが枷になっていることもわかります。
リスクを取らなければリターンを得られないこと。
得られるリターンの大きさは自分が引き受けたリスクの大きさに見合ったものにしかならないこと。
頭では分かっていても、実際にリスクを引き受けるのは恐怖を伴う。
都合よく切り出した一部分を持って匿名で書き込みをするのが問題解決には役立たないこともわかっている。
ただそこでもまた都合の良い声だけを拾って安心したいか、何かしらの反応が帰ってくるのを見て楽しみたいかしかない。
自分の個人的な欲求を満たすのに他人を利用する下衆い使い方です。
まずは簡単なデートに誘ってみる、何かにかこつけて一緒に買い物いこうなど、に誘ってみるなどして、
この提案、月並みといえば月並みだけど、童貞はそもそもそういう当たり前のやり方すら分かっていなかったりする。
だから本当にありがたい。
王道なしというのは出遅れた上に楽をしたい人間には厳しい現実だけど、
不器用で立ち回りの下手な人間という視点からすれば、やることがはっきりしているのはやりやすくて良いのかもしれない。
検討を祈ってもらえたのもありがたい。
それもうざい童貞相手に。本当に頭がさがる。
中国製の椅子が爆発して死者が出たというので、日本製がいいなぁと思って探していた。
日本製の商品であることを大々的にアピールしているネットショップで購入したら、中国製だった。
ページ中には日本製との記載があったが、問い合わせたところショップ自体の説明文だとのこと。
中国製であるとは思っていなかったので、返品してもらいたかったがすげなく断られた。
ショップ側の担当者はこちらには特に非はないというような感じだった。
しかし問い合わせの直後に、説明文とされていた部分がそれまでの表記とは異なっていた。
先方の返答としてはこういった形だった。
「わかりにくかったようだったから直したが、勘違いされないために対応しただけだ。 返品は製品に瑕疵がある場合か、注文と異なる商品が届いた場合のみしか対応しない。 だから返品は受け付けられない。 また、普通日本製の椅子は2万~3万円はするものだ」
自分が無知である可能性もあるが、椅子の価格を気にするような人は、
そもそも椅子に興味を持っている人ではないだろうか。
誰しもが知っている情報とは思えないのだが。
他の商品のページでは、日本製であれば日本製と明記し、そうでなければ製造国の記載はない。
しかし検索で商品ページに呼び込むために日本製との記載があれば、
よく調べなかったこちらが悪いのかも知れないが、
どうにもダマされたようにしか思えない。
ちなみに商品ページはこちら。
http://item.rakuten.co.jp/kaguro-r/fst-51-51l-2-ct1/
http://megalodon.jp/2013-0814-1237-33/item.rakuten.co.jp/kaguro-r/fst-51-51l-2-ct1/
勘違いをされるような作りを直したということは、
大なり小なり問題があったということではないのだろうか。
例の「田舎ツライ」ってヤツ→http://togetter.com/li/519951
この人からは、「周囲が悪いから自分は辛くて可哀想なのを分かってくれ。そしてこのままの自分を受け入れろ」って本音の喚き声しか聞こえない。
自分も「田舎に転居」以外の要素(都市近郊育ち、発達障害持ち、親と上手くいかない、甲斐性なし、結婚に社会生活の逃げ場求めてすがった)はほぼ同じ(つってもそう都会でもないが)。
確かに社会生活はしんどい。「分かってもらえない」気持ち、「どうも誤解される」「自分の意図にないことを勝手に忖度・解釈されて言いがかりをつけられる」等々の被迫害感はベースに育まれてる。
自分の何がいけないんだろう、自分の「当たり前」が他の人(親など含む)とズレるのはなぜだろう、って、発達障害が分かった今でもやっぱりいっぱい考えるし、そういう無理でデフォ生きにくいし「恨み」みたいなものもオセロの裏みたいに育ってる。
けどさ、だからっつって「ありのままの私のままでそっちが受け入れろ」なんて思わないよ。それは思わん。
だってさ、健常者だって多かれ少なかれ同じ思い持ってるし、その上で他人や社会に合わせる努力してんじゃん。みんなちょっとずつ譲り合ったり我慢したり変わろうとしたりそれでも合わなかったら離れたりして、自分で頑張ってるじゃん。
人よりできない分の苦労はあるさ。そりゃーある。当然だ。できないんだから。その上ひとさまに迷惑もかける。それも、そんな自分でも受け入れ愛してくれる人に一番迷惑をかける。
でも、普通にできることだってあれば、人よりもっとできることだってあるかもしれない。別にアスペ天才とかじゃなくてもっと普通の話で、人それぞれ得意不得意があるってそういうもんだろ?好きなこと嫌いなことがあったり、嫌いなものへの許容度にバラつきがあったり、別に誰にでもある当たり前の話じゃん。
つまり「どうやって人の間で生きるか」って現実的な話でいえば、程度問題なんだよ。
発達障害って免罪符でもなければVIPシートご招待券でもない。単なる障害で、他の多くの人ができることがだいぶできないってことなだけだ。
程度が重いからしんどいし、脳みその癖のせいで、自分が変わるのは人生かけた苦行みたいなもんだが、助けてくれる人の手も借りつつ取り組んでいく努力くらいは社会人としてするべきだ。
もちろん発達障害は自分のせいではないが、自分の人生は自分のものだろう。引き受けるしかないじゃないか。
障害だの健常だの、もっと言えば環境だの親がどうしたの金だの、何にしたって今目の前にある材料でどうするかを考えてやるしかないじゃないか。
ようやくオット氏の庇護と扶養のもとに入れたんだから、安心して引き籠ってオット氏だけ見つめて愛して幸せ堪能すればいいのにね。健常者でもそんな女性だっていっぱいいるよ。
んでこんな顔も見えないどこの誰とも分からないネットで広く共感を募らんでも、リアルに接する人達とどう交流していくかを丁寧に見つめて行動していく方が、ずっと生きやすくなるよ。
あとは蛇足。
・やむにやまれず田舎のオット氏のとこに転がり込むしかなかったんだ、とさも被害者であるかのように語ってるけど、自分の瑕疵には思い至ってないんだなぁとか。まあでも、いるよなこーゆー人。
・自分も自分は田舎者だと思ってるけど、一方でアーバンな感じの社会でしか暮らせない人間だというのは重々承知してる。だから「オット氏に救ってもらう」ことと「(書かれてるような)環境に住まう」ことを冷静に秤にかけた上で、前者を選ぶなら環境へは相当の覚悟と決意もって行くけどな。そこに思い至ってなかったらしいのは完全にこの人の瑕疵だ。プロフのIQアピールその他を見ると余計にそう思えて片腹痛い。
・勝手に悪いが、オット氏に同情をおぼえるな。被害者意識でいっぱいいっぱいの女をかつかつの中で食べさせてやって、挙句あんなとこでおおっぴらに愚痴られるとか。
・分析3割って、分析なんかどこにもない。あるのは主観的事実解釈ばかり。多分この辺の自己認識の誤りが、こじらせに繋がるんだろうなぁ…まあこーゆー人もいっぱいいるか。
http://b.hatena.ne.jp/entry/twitter.com/mokumura/status/336824195369553920
yoko-hirom
ここぞとばかりに貶したり罵ったりしている光景も日本では日常。「美しい国」とか「クールジャパン」とか言っているのと同じ国とは思えない。2013/05/22
http://b.hatena.ne.jp/entry/d.hatena.ne.jp/aggren0x/20130521/1369142527
yoko-hirom
面白い視点。日本では,「水商売で客を怒らせたら理由の如何を問わず店が悪い」との常識が変わってきているのかも。また,「フォロワーの多い人は批判を書いてはいけない」との謎常識が広がりつつあるようだ。2013/05/22
真逆の主張をしてるぞ。