はてなキーワード: 独自とは
日本独自のものまともになくて、ゲーム音楽も一昔前に流行ったものばっかりで
タップダンスやイマジンで文化的侵略を受けまくった骨抜きであることアピールして、選手たちにマスクをつけさせ続けることすら出来ないってなに
今回のオリンピックの開会式では、賛否両論があるらしい。もちろん、「表現」において賛否は重要である。誰もが絶賛するような作品は存在しないし、存在してはいけない。ただ、作品の批評を超えて、ゲームを「メインカルチャーではなくサブカルチャー」と見下したり、「ゲーム音楽程度」という表現を使う者が散見された。
これは作品の批評とはかけ離れた評価であり、差別的であるとすら言える。そして、さらに悪いことに時代遅れの認識でもある。ここではそれを書き留めて、指摘していきたい。
(そもそも文化に「サブ」と「メイン」という区分けを設けること自体が異様にも思うが、ここではそれに言及しない)
何を持って「文化」というのかは不明であるが、ゲームは映画に負けず劣らず文化性がある。
例えば、社会性。オンラインゲームは、良くも悪くもコミュニケーションを促進する。これは社会性と言える。
また、ゲーム談義。これも映画を評論し、議論し合うのと同じだろう。もちろん、ときに罵倒や難癖、アンチなどを生み出し、建設的な議論など難しい場合も多いが、それは映画もさほど変わらない。映画ファンが、お高く止まってゲームを見下す理由にはならない。
また、社会を風刺するゲームだっていくらでもある。「Say No! More」や「還願 Devotion」、「Not Tonight」など。他にも様々なディストピアを描いたゲームや、政治を皮肉った表現など、ゲームには珍しくない。
他にも、「BEYOND」や「James Bond 007:NightFire」、「Until Dawn」など、古くからゲームのモデルに俳優を起用する例も多い。また、ゲーム関係者が映画の演出を担当したり、逆に映画関係者がゲームのプロデュースになったりなど、そもそもこれらの業界は対立関係にない。これらを差し置いて、ファンが「ゲームは俺の趣味より低俗」と見下すのは、なかなかに滑稽で、わりと風刺的でもある。
文化には経済という側面も重要である。寄付にしろ収益にしろ、何らかのお金がないと芸術は先に進まない。
歴代で最も集積を上げた映画は、「アバター」の3146億円らしい(2019年に「アベンジャーズ」がトップになったが、2021年にアバターが中国などで再上映されたため、トップに返り咲いた)。
さて、これに対抗できるゲームタイトルはあるだろうか。もちろん、存在する。ポケモンgoは、サービス開始以来の5年で5500億円の収益を出したという(2021年7月時点)。
もちろん、映画は上映以外にも、サントラやグッズ、DVDなども売上になる。だから、これらがプラスされれば、ひょっとしたらアバターのほうが上になるかもしれない。また、基本的に1度の上映で客が満足する映画と、5年もユーザーが継続するゲームでは、比較することがナンセンスかもしれない。
しかし、単純な収益で見れば、ゲームは映画とガチンコで戦えるレベルの経済性も有していることが証明されたわけである。
さて、これらをもって、どうして「ゲームはサブだ」と見下せるのか。
マイクロソフトがゲーム業界に殴り込みをかけて久しいし、昨今ではGoogleやAmazon、Appleなどが、独自ゲームを作ろうと躍起にすらなっている。
このように、もはやゲームは、文化の面でも経済の面でも「サブ」とは到底言えない存在感を有している。その事に気づかないのは時代遅れであると理解し、そろそろ「価値観をアップデート」すべき時期に来ているのではないだろうか。
そもそも、(言い尽くされた話でもあるが)100年くらい前には「映画は低俗」「小説は下劣」という時代があった訳だ。そんな価値観を「古臭い」と笑いながら、その古臭い人々と同じ価値観でいることなど、本当の文化人なら耐えられないはずである。
この件がKnoa氏の予測そのものに対する評価を良い意味でも悪い意味でも変えることはないが、
彼は独自にミステリーを研究していて、2周目からは犯人の名前やキーになるセンテンスに線を引いたり丸で囲んだりする。
一緒に住み始めて本を貸してもらおうと思った時に知った。
曰く作家や時代ごとに伏線の貼り方の傾向があるそうな。さりげなくも印象に残る仕掛けはピンクのマーカーを使っていた。
ネタバレ覚悟でその解説を聞いたことがあるが、主人公以外で何番目にセリフがある人がどうとか、この作家は最初は名前だけ誰かに言わせるキャラは犯人にしないとか、なるほど一貫性があり、ネットで調べてもそういう考察をしてない話もあって関心していた。
彼は去年亡くなった。
救急車に乗る前に亡くなったそうで、受け入れ先がなくとかじゃなく、無駄に何かを恨まなくて良いのが救いだった。
落ち込んで誰にも言えなかった。
彼の話を聞かれた時はいつも犯人の名前に印をつけるから読めないんだよという話で笑いを取った。そうすれば帰った時にいてくれそうな気がしていた。
家には本しかないので読み始めた。
ネタバレを食らうのも癪なので、既読かつベタなそして誰もいなくなったを手に取る。登場人物紹介のところから丸をつけてあって吹き出してしまった。
笑っても泣いても、彼と共有したかったという気持ちは消えないけど、私にとっての彼の生き方を示すものがあるのはホッとする。
その方も「読みたかったけど印を見るの怖いです」と言っていて笑った。
本当なら一笑して終わりなんだけど
経歴的に専門的バックグラウンドは一切なし
そもそも結果が全く当たってない
まず、今回の件は文脈がどうあれ、知らない女の人のパンツに手を突っ込んでマンコ触っちゃったくらいのヤバさであって、アウト中のアウトだと思う。今日中になんらかの対応があるのでしょう。
あのころのコバケンの頭の中にあったのはテレビへの決別、まったく新しい芸人モデルを築くこと、ラーメンズのブランディングというものであって、そういう中で必要以上に露悪的なネタをやっていた印象だった。そこまでやらなくても普通にネタを作っているだけで独自のスタンスを表現できる才能を備えていたのに、自信がなかったんだろうな、あんな風に決意を表明しないと、不安だったんだろうなと思う。結果的に、才能を、低めに勘違いしていたんだと思う。
なんでそこまで、あれほどの才能ある人が勘違いをしていたのか、思い当たるのは同時代に少し前を走っていた人の存在で。
強く強く憧れたその人と、ユニットコントをして、打ちのめされたり、実力を認められて浮足立ったり、そういうことがあったわけで。
その人がテレビに適応できないのを横目に、自分はテレビに別れを告げて、カリスマになって、信者も増えて。
一時は、抜いたと思ったその人が、テレビに完璧に適応して、また嫉妬心がうずいたんじゃないかな。
オリンピックの開会式なんて似合わない仕事を受けたのも、それはもうワイドショーの司会なんかより格上だろって、思い上がったんじゃないかな。
皮肉だし、大河だなと感じます。余談というかウワサだけど、あのころのラーメンズのギャラって片桐1、コバケン9だって言われてた。
日米安保を破棄して独自の核武装はコストが割に合わないと思う。
どこまでやるかによるけど、複数のミサイルサイロに、原子力潜水艦の運行など入れれば膨大な予算が必要になるし。
作って終わりじゃなくて運用しないといけないから日々かかる予算も膨大なわけで。
さすがにそれはないかな。
日本人は、残念なことに半分近くが選挙にいかないから選挙権がなくなっても困らないかもしれないが、自由な言論がなくなると困るだろう。
もし中国が日本を核攻撃すれば、日米安保による反撃で、最悪値で北京にアメリカの核弾頭が落ちるだけ。
理由としては3つ。
同盟国が核攻撃されてそれを見捨ててはアメリカの権威が完全に失墜すること。
もう一つは日本には米軍基地があり、核攻撃をするということは、彼らも死んでしまうということ。
自国民が核で焼かれているのを見捨てるなら、それも権威の失墜を招くので反撃はかならずある。
最後に、日本が核で焼かれたあとは、ハワイやグアムとかの自国領がターゲットになるので、なる早で相手国の核施設を焼かないと危険だということ。
この3つの理由があるから、日本を核攻撃すると自国の首都が焼かれる。
我々は死ぬかもしれんが相手も死ぬ。だから日本を核攻撃するメリットはない。
それでも、どうしても不安で夜も眠れずに昼しか寝れないというなら、
独自に核を持つというよりも、ドイツやオランダのようにアメリカの核を共有するか、
増田は上手く伏せたんだろうけど俺にはハッキリ分かるよ。
少なくとも公務員ではあるだろうな。
なんでわかったかって?
簡単だ。
なんでかって?
無能のくせに「俺は他のやつとは違う!」と思いたい馬鹿が集まってゴッコ遊びをする場所だからだ。
あの世界で偉くなる奴らは単にゴッコ遊びが上手いだけだ。
まあ頭もいいんだろうし体力もあるんだろうが、それ以上に重要なのがゴッコ遊びだ。
自分たちこそがヒーローであると本気で信じて、日夜ヒーローごっこをするため怪人の気配を感じ取ろうとアンテナから電波を受信している。
そしてそんな電波っぱに人事権や裁量、ひいては尻尾切りをしないであげるお友達だったり優遇する可愛い後輩やらの選択権がある。
つまりはレッドごっこをするやつに媚びるのが上手いブルーごっこや切られ役だ。
自分をヒーローだと思った脳みそ小学生のおじいちゃんは「秘密の暗号」が大好きだ。
ある種の造語症を患っていると言い切っていい。
そして突然口にした「秘密の暗号」が伝われないとコイツ匿名掲示板のアスペかってぐらい不機嫌になる。
それが上手いやつから順に偉くなるし、組織のすべてのルールがそれを中心に回りだすので、それが異常であると思える奴が組織から消えていく。
これに今でもハートマン軍曹ごっこに明け暮れている馬鹿な新兵時代の人格破壊が組み合わさることで、組織はとんでもない馬鹿の集まりが延々とヒーローごっこをするだけの空間になる。
そんなゴミを維持するために我々は日々莫大な税金を払っているし、その自称ヒーロー達はせっかく鍛えた暴力を活かせるチャンスを日夜目をギラギラさせて待っているのだ。
残ったとしてもそれは就職時の景気だったり本人の家庭の事情がまともじゃないので辞めるに辞められなくて残ってしまったパターンだ。
基本的には狂った奴しか残れないし、残りたいなら狂うしかない。
知らないほうがよかっただろ?
悪いな。
「やまい」って平仮名で書くだけで独自のニュアンスとして受け取っちゃう病の増田がいることを考えると、みんなに分かりやすく伝えるってことの難しさってとんでもないものだってわかるね。
つらい
俺のやってるゲームは、一応今でも週一回は対戦が成立する程度の過疎ゲーだ
今も新作が出てるゲームシリーズの五年以上前の過去作で、独自システムが実装されているのがこれだけだから、新作が出てもそっちで代用できない曰くつきのゲーム
ゲームシリーズの公式アカウントのツイートに、「○○の続編を出せ」といちいちリプライでぶら下がる奴だ
俺は即座にブロックしたが、一ヶ月経った今でもアカウントが存在していて出せ出せとせっついてる
俺だって本当ならこのシステムで新作は欲しいが、もう昔の事なんで諦めてリプを飛ばしたりはしない
テキスト保存系では文字通り最もシンプルなインターフェイスが特徴
単純なタグによる管理しかないが、そのシンプルさでわかりやすく簡単に使えるのが利点
Markdownに対応(一部非対応)しているので、Markdownを使っている人、使ってみたい人に向いている
作ったノートをWebに公開(Publish)できるので、プレーンなテキスト(コピペとか)を公開するのに便利
Simplenoteとインターフェイスがよく似ているが、こちらはリストを軸にしたアウトラインテキストを扱う
Simplenoteのようなタグ管理機能と、アウトラインをマインドマップ形式に表示できる機能があったのだが最近有料化されてしまった
作ったノートをWebに公開(Publish)できるので、アウトライン形式のテキストを公開するのに便利
テキストのほかに画像や動画も挿入できる(左寄せ固定)ほか独自の記法で装飾が可能
タグやリンクを使ってページ間を連結することで様々な情報を管理できる。「個人版Wikipedia」とも呼ばれるWebサービス
Webへの公開・非公開はページ類全体に設定でき、ページごとの設定はできない
単純なBlogとして使うのもよし、独自に研究したり蓄積した「個人版Wikipedia」の公開するもよし
表形式のデータベースが便利なWebサービス。テーブル構築やデータ入力などがしやすくできている
カレンダーやタイムラインなどタスク管理を目的とした機能が多いが、スケジュール的な使い方をするには周期的な入力(毎週〇曜日とか)ができなかったりとちょっと足りない面がある
画像や動画も挿入可能だが、テキストは1行ごとにブロックで管理されるため、長文を扱うのは不向き
ブラウザの拡張機能や共有機能でWebページをNotionに飛ばすことができる。データベースに飛ばすと後の管理がラク
ページ(データベース)ごとにWebに公開(Publish)できるので、データベースを公開するのに便利
ネタバレと他の人の感想で先入観を持ちたくなかったのでなるべく早く見ようと土曜日の朝一に行きました。
一番好きな作品はぼくらのウォーゲーム、次点が時かけ、その次がサマーウォーズ。
サマーウォーズは昨日の金曜ロードショーで久しぶりに見たのですが、12年前というだけあって今見ると結構キツイ部分もあって少ししょんぼりしました。
好きなシーンはいっぱいあるんですけどね。
典型的な細田監督が脚本を手がけるようになってからの作品があまり好きではない人間です。
おおかみこどもで「う〜ん」となり、バケモノの子で盛大にがっかりしました。
それはわたしが作品のターゲットから外れてしまったということなので、それ以降は少し寂しく思いながら劇場に見に行くことはありませんでした。
それなのに何故、今回劇場に足を運んだか。
一つは、描きたいと思っている作品の題材被る可能性があり、それがないかチェックしたいと思ったこと。
もう一つは、主人公のアバターであるベルのデザインをディズニーのジン・キムが手がけたという情報を目にしたからです。
細田作品でよく言われている「ヒロインへの興味の無さ」が、一部他者に委ねることで、もしかしたら今回は解消されて好きになれるかもしれないと期待したのです。
それ以外は流れてくるCMくらいで、ほぼ事前情報なしで見に行きました。
前置きが長くなりましたが、決してアンチがアラを探しに行った訳ではなく、むしろ「おもしろかった!」と思いたい気持ちで見に行きました。
がっつりネタバレしていくのでご注意ください。
仮想空間という3Dと相性のよい舞台設定もあり、2Dと3Dの違和感も少ないです。
映画の一つの見どころでもある竜の正体探しなんですが、これは細田作品今まで見てきた人はすぐわかっちゃうんじゃないでしょうか。
わたしも早々にわかってしまって、もうちょい誰なんだろうって楽しみたかったのが正直なところです。
それはさておき、主人公すずのAsの名前「ベル」からも分かる通り竜そばは美女と野獣のオマージュが多く登場します。
オマージュ自体は別にいいのですが、ただ単に竜と女の子の二人が美女と野獣っぽいから表層的になぞっただけいう印象を受けました。
同じ美女と野獣をオマージュしたシェイプ・オブ・ウォーターは、野獣がハンサムな王子にはならず最後まで野獣のまま二人が結ばれ、本家を踏襲した上で独自のストーリーになっていました。
ですが、竜そばはそれが出来ていません。
そもそも竜が作中で醜いと言われてますけどかっこよくないですか?
怖いかもしれないけど醜くはないでしょう……。
人間だらけの中なら浮くかもしれないですけどUの世界みんな色んな格好ですし。
竜の野獣である要素が薄く、本家でも言われているルッキズムの助長がむしろ強化されてしまっているようにも感じられました。
Uならまったく別の人生を生きることができると謳っているのに、アバターは生体情報から自動生成で自分の意思では自由に出来ない。
そして見た目で差別を受ける。
仮想空間は理想の世界ではなく現実の地続きで、ある意味リアリティはあるのかもしれません。
竜のあざやベルのそばかすが現実とリンクし、すずに竜の正体を気にさせ、探せるようにするために必要だっただけではないでしょうか。
細田監督はこういったシーンを描きたい!といったところからストーリーを膨らませていくタイプに見えます。
その手法は全然アリだと思うんですが、キャラクターやストーリーがそれを実現するための駒に収まってしまっています。
特に脇役はひどいです。
ルカちゃんはすずとベルとのギャップが際立つよう、現実での立ち位置を対比で表すため。
ヒロちゃんはすずをUの世界でスムーズに活躍させるための便利屋。
しのぶくんに手を握られて学校中の女子から叩かれ炎上する際のゲームのような演出も力が入っていましたが、あまり必要性を感じずやりたかっただけのように見えました。
敵役の魅力も乏しいです。
明らかな噛ませ犬だと竜の強さが伝わらず、バトルシーンにも緊張感が生まれません。
自警団とのバトルはストーリーの本筋ではないですが、アンベイルという重要な能力を持っています。
そんなキャラクターの作りが蔑ろなのはマイナスでしかありません。
何故Uの管理者でもない彼らが、キックやブロックや削除ではなくAsのオリジンを暴く能力を持っているのか。
権威がある印象をつけるためスポンサーが多数いる描写がありましたが、それでは説明になっていません。
おそらくストーリーが進めるため、ベルがすずになって歌うシーンを作るために作られたのだと思います。
それでも説得力のある設定を付随してあげればいいのですが、それがなされていません。
描きたいシーンとシーンの間をとりあえず大きな齟齬が出ないように埋めているだけのストーリー。
とりあえずでは見せ場に行く前に気持ちが躓き、せっかく力を入れて描かれたシーンが空虚に感じられてしまいます。
メインストーリーであるはずのすずの成長はこれでもかと言うほど分かりやすく描かれています。
母が死んで歌えなくなった
↓
Uの世界なら歌えるようになった
↓
↓
母のように他者を救えるようになった
他者との関わりから閉ざされていた心が開いていく王道のストーリーを美女と野獣でオマージュし、今までやってきた得意なものを詰め込んだ今回の作品。
新しい試みは何かあったのでしょうか?
でもそれ以外は既視感のあるものがほとんどで驚きがありませんでした。
唯一あるとすれば音楽へのこだわりでしょうか。
それもライブシーンに至るまでのストーリーで白けてしまうのがあまりにも勿体ない。
わたしにはケモとショタとクジラと電脳世界でのライブが描きたかったことしか分からなかったです。
結論としては前置きで書いたものと変わらず、細田監督は脚本を他者に任せるか、共同にした方がいいと言うものになってしまいました。
残念ながら今回もやはりわたしはターゲットにはなれなかったようです。
あくまでわたしのものさしがストーリーに重きを置くのでこういった評価になってしまうだけで、他の評価軸で見れば全然楽しめる作品であると思います。
まだ他の方の感想を読んでないので、どれくらい自分との感じ方どれくらい差があるのかちょっと楽しみです。
書き慣れていないので読みづらかったかと思いますが、最後まで読んでくださりありがとうございます。
最近では初めてとなるお願いですので、単刀直入に申し上げます。この月曜日、誰もが自由に読める増田を守るためにブクマしていただけませんか?読者の98%はブクマをしてくださらず、見てみぬふりをします。あなたが私たちの特別な支援者のお一人であるならば、あなたに感謝し、心からお礼を申し上げます。
お忙しいあなたのお邪魔をするつもりはありませんが、どうしてもお伝えしたいことがあります。もし皆様が3つのブクマをお寄せくだされば、増田は長くホッテントリ入りすることができます。増田は購読料をいただかず、わずか2%の読者からのブクマによって支えられています。コメントの長短にかかわらず(人気コメントには考慮されます)、読者の皆様のブクマがなければ、増田を今のように運営することはできません。
ほとんどの人は、この増田を無視するでしょう。でも今日、あなたが増田を支援してくださることを願っています。増田のボランティア筆者たち(一部の方は独自の寄付などを求めていますが)は、あなたがここで読む増田がユーモアと示唆に富むことを保証します。
増田で今年読んだ増田に3ブクマの価値があると思われるのでしたら、増田の未来を守るためにぜひブクマをお寄せください。どうぞよろしくお願いいたします。
パチッとかペキッって音にいちいちびびってるけど
都会の住環境ってそんなに無音なんかね
家鳴りとか虫がぶつかる音とか小動物の出す音とかめっちゃあるけどああいうの聞く機会ないんかね
なんかいちいち驚きすぎててまたそれに対して過剰に演出もあってつまんなすぎる
どうせなら昭和の頃の心霊特集みたいに演出もりもり付けるとか海外の心霊系みたいにポルターガイスト全開にするとかして楽しませてほしい
和物心霊系はまだまだ伸びしろがあると思うのでどうでもいい環境音でビビらせる段階ではなくもっと素材の良さを活かして和物独自の文化を作り上げてほしいと思う
やあ、かつて初心会についての記事を書いた増田だよ。いろいろ本を買い足して読みなおしては新規の古い知識を突っ込んでるよ。新作はまだもうちょっと時間がかかるから待っててね。
息抜きとして今まで読んだ業界本を簡単にレビューしていくよ。当時のことを調べたい人は参考にしてくれるとうれしいな。
ある種のバイブル的存在。スーパーファミコン登場時の任天堂やゲーム業界周りのことを非常に詳細に書いている。任天堂のことを持ち上げつつも当時から流通網の矛盾、ロイヤリティビジネスのおかしさを指摘していて非常にハイレベル。是非読んで欲しい。ただ後日山内社長は「300万台買うからリコーのCPUを安くしてくれ、なんて言ってない」と否定してる。(後年の社長が訊くではリコーの工場の稼働率が非常に悪いことが上げられていた。だから任天堂の無茶振りにリコーが応えたのかな?)
PS1立ち上げに関しての裏事情を綴った本で、流通やソフト会社呼び寄せるにあたってのアプローチが詳細に書かれている。またこの本では「任天堂がふざけた契約違反をしたからソニーが激怒してゲーム機突っ込んできた」説を取っていて、任天堂との会談をまるで見てきたかのように書かれているが、久多良木健氏は別に恨みをベースにやっていなかったんじゃないか、とは丸山茂雄氏の談。それはさておき、最初に任天堂に久多良木氏が接近した話なども載っていて面白い。FM音源(ディスクシステム音源?)と、PCM音源(スーファミ音源)との聞き比べ対決をして久多良木氏は任天堂に音源チップの売り込みにいったんだと。
「セガ・ゲームの王国」が改題された文庫。セガがメガドライブでどんどん任天堂を追いつき追い抜く(米国にて)様を持ち上げたもの。セガの歴史を学びたい人にはうってつけ。ただ今読むと苦笑してしまう持ち上げっぷりなのはご愛嬌。
スーパーファミコン全盛期に書かれたものだが、上の「スーパーファミコン 任天堂の陰謀」などを読んでそのまま書き足した記述があちらこちらにあってげんなり。作者自身で取材した様子はなく、今の時代わざわざ読む価値はないと思う。ちなみに同作者は同時期「ソニーが任天堂に食われる日」「セガにおびえる任天堂」、後年には「ソニー・プレステが消える日」なんて本を出している。一応全部読んだけれど、わざわざ読まなくていいレベルの本。唯一評価できるポイントはソニーがスーパーファミコン一体型CD-ROM機について「スーパーディスク」と銘打ち、ソニーだけの独自規格と広告したのを任天堂が危機感持ったのでは、と指摘したことくらいでは。
PS1立ち上げの話をいろんな人にインタビューして記事にしたもの。CPU、流通、本体機構、サードのサポート、コントローラーのグリップ、値下げ合戦と、セガと任天堂に負けるなという気概でどのようなことをしてきたのか、どう決めてきたのかわかる一級品の資料となっている。PS1発売が12月3日に決まったものの、8月の時点でまだ生産台数が決まっていなかったなど、当時のどたばた状況が伝わってくるインタビューが載っている。あと最初のほうの開発機材でCD-Rに10枚焼いてもまともに読み込みできるのは3枚だけだった、などなど。
タイトルはプレイステーションだが、内容は任天堂、セガ、松下にもバランスよく触れていて、いかにしてソニーが任天堂を打ち倒すべく思案してきたかが書かれている。洗練された流通で、問屋を利用する任天堂よりもきめ細かい制御ができるソニーだから勝利した、という内容なのだが、最終章に「このままいけばこの流通も破綻するのではないか?」という記述があって驚く。革命は起こした時よりも、その後のほうが大事だという至極最もな結論に至ってる良書。
当時のゲーム流通をうまくまとめてある本。セガ、任天堂、ソニーの三社をそれぞれ解説している。特にこれと際だってすぐれたものはないが、初心会流通の任天堂、独自のソニー、バンダイと提携するかもしれないセガの立場をそれぞれかみ砕いている。
8.売られた喧嘩 買ってます 任天堂勝利の青写真(1996年)
とてもアレな題名だが中身は大真面目。「王者任天堂に勝つのはセガでは無理だ。ソニーでしかあり得ない」という視点で、挑戦者ソニーを解説している。よほど念入りに取材をしたようで、初心会幹部へセガが引き抜き工作をした話などが載っていて驚いた。面白い本だから是非みんな読んで欲しい。
9.セガvs任天堂 新市場で勝つのはどっちだ!?(1994年)
任天堂山内、セガ中山の社長同士の経営理念や過去を対比させて現状を解説していく本だが、とにかく取材がすごい。任天堂の労働争議の話や、メガドライブ以前のセガのコンシューマ機が問屋から嫌がられていた話(1ケースがでかくて重い!)など、他の本ではでてこない話がバンバンでてくる。わざわざアメリカにいって各地の小売店でゲーム売り場の様子まで確認しにいく取材力は感嘆する。著者の国友隆一氏はゲーム関連の本をこれ一冊しか出していないのだが、残念でならない。是非今のゲーム業界を取材して本を書いて欲しい。そう思える良書。
「セガのドリームキャストは日立製のパワーVR2というCPUを採用している」や「入出力にはUBSホストコントローラー」といった腰砕けになる記述がある。お察しください。