はてなキーワード: 無尽とは
当たり前の話なんだけど、ブログ記事に対して何か言いたい奴は、ブコメではなくてそのブログサービスが提供している議論のための機能を使うべきだ。
はてなブックマークのコメント機能には議論を行うためにもつべき最低限の機能が備わっていない。知ってると思うからこれ以上書かないけど。
だからはてなブックマークのコメント機能で議論を行うべきではない。はっきりいって大喜利をしてスターを交換する以上の役割は成せない。黄色スターは無尽蔵にあるから、好きなだけ与えることが出来て、うれしいですね。
批判的なコメントはお互いにイーブンな立場たとえば議論というフォーマットでかわされるべきだと思う。そして議論に発展できないブコメで批判的なコメントを書くべきではない。
少なくともはてなブログなんかでは、ブコメではなくはてなブログのコメント機能とかトラックバック機能とかを使えばいいのに、と思う。
ゲームやテレビ番組について調べるとすぐ耳目に触れる言葉に「つまらない。これからもつまらないんだろうか不安だ」がある。
「つまらない。だから俺はもう辞めろ」なら分かるんだが、なんで「つまらない」と言ってるのにこれから先の事を気にしてその上まだまだそれを見たりやったりし続けるつもりなのか全く理解できない。
正直「嫌なら辞めろ」「嫌なら見るな」以上でも以下でもないんだがそれを言ってる連中からしたらその反論は不適切らしい。
どう不適切なのかをそいつらがちゃんと納得の行く説明をしているのを見たことはない。
要約すると大体いつも「客が減ったら困るだろ?だから俺たちの意見を聞いて引き止めやがれ!」と言っているのだが、正直「そんな事言ってないでここから立ち去ればいいんじゃない?」としか思えないので全く反論にはなっていない。
さて今回のお題は『どうして彼らは文句を言いながら居座るのか』である。
彼らが新しいことに挑戦するためのコスト(精神的な物を含む。というかそっちがメイン)が大きいため、古い習慣を文句を言いながら続投している方がお手軽だからだ。
『たとえば君がスプラトゥーンを遊んでいるとする』
そこで君に与えられた選択肢は2つだ。
「スプラトゥーンを辞めて別のことをする」「飽き飽きしながらスプラトゥーンを続ける」
この2つ。
傍から見ると前者を選んどきゃいいじゃんなんだけど実際本人からするとそうでもない。
まず「習慣を打ち破る」という行為自体に精神的なエネルギーを必要とする。
人間の行動は習慣で大部分出来ている。女の子がお砂糖で出来ている度合いなんて目じゃないぐらいに。
次に「新しく始める何かを探す」という行為に恐ろしいほどのエネルギーを使う。
選択には大きなエネルギーが必要だし、現代は物に溢れているため真剣にやり出したら無尽蔵にエネルギーが漏れだしてしまう。
更にそこには「わざわざスプラトゥーンを辞めるのだからそれよりも面白い物でなければ」という余計な考えまで混じってくる。
そうしてお眼鏡にかなうゲームなりドラマなり資格の勉強なりを選び出すのに必要なパワーと来たらもう。
対して「飽き飽きしながらスプラトゥーンを続ける」、こっちは簡単だ。
飽き飽きした行為を続けるというのは自己矛盾でエネルギーを少しずつ消費こそすれ新しく何かを始めるのに比べたらずっとたやすい。
毎月5万のローンを払うのと一括で50万現金払いするのとじゃ財布に与えるインパクトが全く違うのと一緒だ。
少しずつ消耗する方が心には優しい。
だから心に余裕が無いとどうしてもこっちを選んでしまいそうになる。
そして少しずつフラストレーションを貯めこみ、自己矛盾を貯めこみ最後にはよく分からないことを口走るようになる。
じゃあどうすればいいか。
それは新しいことに挑戦するコストを下げればいいのだ。
まず新しいことを特別なことだと思わないようにすること。
何かを始めて駄目だったらそれを切り上げて次に行けばいい。
前にやっていたことより素晴らしい物である必要があるなんて考えも捨ててしまえ。
会社や女性と別れる時はそりゃちゃんと考えてから行動すべきだけど個人的な事ならまたそっちに戻ってくればいいだけだ。
……
何か長くなっちまったし最後教訓めいた事語っちゃってるけど俺が言いたかったのは、「つまらないけど俺はこれを続ける。でもつまらないから文句を垂れるぞ」なんて言ってる奴は精神エネルギーを失いきった可愛そうなゾンビ野郎だから厳しい言葉をかけずにそっと無視しておきましょうって事だ。
奴らは気が狂ってる、言ってることを耳に入れる必要はない。
逆に言えば「つまらない。だから俺は去る」と言ってる奴の言うことは参考にすべきだ。
そう言っておいて戻ってきた時は……まぁフットワークと口先の軽い奴だと思っておけばいい。
今回のクールって未来モノ、SFっぽいモノが多い気がするんだけどどうなんだろ? ファンタジー系がちょっと減った?
順次追加する予定。
「10年後になくなる仕事」という記事を見て、仕事がなくなることがこわいと思うことを不思議に思った。
いやなくなってほしくないという気持ちはわかるし、私も自分の仕事がなくなったら困るんだけど。
いま誰かがやっていることを自動でコンピュータやロボットで代替できるのなら、それは本来は
喜ぶべきことなんじゃないかと思う。
多分週休三日になっても、四日になっても世の中はまわる。
でもそうなる兆しはないし、たぶんこのままじゃきっと変わらないんだと思う。
いまの仕事は好きだし、不満もそれほどないけど、働かなくてよいのであれば働きたくない。
働かず好きなことだけして暮らしていけるのであればそっちがいいし、そういう社会を
実現するために働くのであれば今よりもモチベーションが上がる気がする。
今は進化のスピードに舵を切っているけど、働く必要のない世の中の実現を
ゴールになるといいなぁと思う。
と考えながらぼんやり考えていたけど、エネルギーさえ無尽蔵に得ることができれば
なんとかなるんだろうか。それだけじゃむりだよね。
どうすればいいのか教えて偉いひと!
朝は家族とともに起き、見送り。そのあと軽く寝て、気ままな生活として昼を過ごす。
食事は私が替わったり手伝うこともあるが、基本は母が用意してくれる。
不満のない快適な生活だと思う。
ただ、別に働きたくなかったわけではない。働きたくないわけでもない。
単に今抱えているくだらない問題を解決するのが先だろうと、就職を先延ばしにしただけだった。
所属がないということがこれほどまでに恐ろしいことだとは知らなかった。
せめて恋人がいれば、もう少し心の余裕を持って今という時間を生きられたようにも思うけれど、訳あってアドレス帳は真っ白。
連絡をする相手は誰もいない。話し相手は家族だけ。
末恐ろしいことに、家族は生きてさえいてくれればいいと、私の甘えを無尽蔵に受け入れる気配さえある。
私を責めてくれるのは私しかいない。私が眠った時間だけ、寿命がいたずらに減る。
孤独に足を取られて地で頬を削り、泣きそうだ。血の味がする。
誰にも助けてもらえないことがわかるからこそ、誰か、助けてほしい。
彼らはこの土地に埋もれた無尽蔵のペリック(Perik)鉱石を製錬する技術に長けており、日常生活においてもそういった文化の影響がしばしば認められる。
イウ(Yew)半島南方の平地に住む原住民の一派は、仲間の死に際してその亡骸を伝統的な手法で丁寧に洗浄し、毛髪や爪、ある種の内臓を取り除いてから鉱石と共に鋳る。
彼らの死はいつからか数え上げられており、十三の倍数にあたる死者は七人を一単位として特別大きな炉に並べられる。
然るべき日になれば、サグ(Shagg)と呼ばれる希少な鉱石とペリックを同時に鋳るための燃料となるのである。
古来、このように作られた合金は、季節の変わり目に豊作を願うのに用いる長い鎌などの祭具に姿を変えていたが、現在では魂の回収を行う際の触媒として有用だと広く認知されたため、ほとんどが中央政府に納められている。
そうだよ、やれば出来るじゃねーか。
そして「周りの人も一緒に幸せ」にするために金を降らすような手法はよくない。
色々理由はあるけどさっきも述べたとおり一番の問題はインフレだ。
金が無尽蔵に出てくる、っていうメリット事態を否定する事態だからだ。
お前がもし、お前ん家の蛇口から金が出てくるようになったら、それをしゃべってはいけない。
周りの人を幸せにしたかったら、あるいは不幸にしたくなかったら、話すな。その蛇口を人々に開放するな。
無尽蔵の金で、金以外のモノやサービス・時間を、周りの人に施せ。金はだめだ。
自分の金が無尽蔵にあるのを露見しない範囲で、他人の幸せを慮り、熟慮して立ち回れ。
いいな絶対だぞ。
30歳を過ぎても童貞のままでいると魔法が使える、という伝説の意味がようやく分かりました。
記事を書いている私は現在、31歳です。色々あって彼女が出来ませんでした。
というより、作ろうともしていませんでした。毎日涙を流すほど後悔してます。
中学・高校時代はともかく、大学時代に彼女がいなかったことが致命的でした。
そこで今年の初め、童貞のままではいけないと一念発起してソープランドに行ってきました。
金額相応なのかどうかは分かりませんが、若くてモデル級に綺麗な女性に当たりました。
ところが、結果として、射精するまでがとても大変でした。
しかも、ソープ嬢ではなく、自分で手コキしてようやく逝けたのが実態です。
最低2回は射精させてくれるはずのプロの技が通用しませんでした。
では、本題に入ります。
やらずに三十路な童貞が獲得する「魔法」の意味は、もしかすると
「 性 欲 / 性 機 能 の 衰 退 」 なのかもしれません。
日々の性処理に明け暮れている若い皆さんには信じられない奇跡ですよね?
事実、最近めっきり性欲がありません。以前はバカみたいにポルノを見て自家発電していましたが、
現在、パソコンのHDDに入っていたエロ画像や動画は全部削除してしまいました。
自分でも信じられないくらいポルノに対する欲求がなくなってしまいました。
ポルノを見ても、強い感情が湧いてきにくくなったからです。アホみたいだな、と思ってしまうのです。
もちろん勃起はします。しかし、持続しません。そういうわけで射精しにくいです。
まだ射精欲はあるのですが、我慢しようと思えば、何週間でも何か月でも我慢できます。
若い頃は毎日のように射精したくてしょうがなかったことを思うと、まさに魔法のようです。
精液は十分に蓄えられているのですが、どうも刺激に対する反応が鈍くなっています。
読者の中には、激しいオナニーのし過ぎではないか、という意見もあるとは思います。
けれど、私のやり方は極端に強い刺激を与えるものではないですし、そもそも現在はオナニーで逝くことも困難です。
話は変わりますが、童貞卒業の数週間後、初めてデリヘルを利用してみました。
低めの身長でスレンダーにも関わらず巨乳、言うことなしです。二次元キャラクターのようでした。
ホントにこの子とエッチなことをして良いのか、と焦るほどの美少女(っぽい成人女性)です。
ああ、それでも残念ながら、また逝くことが出来ませんでした。
女の子は自分のテクニック不足だと謝罪していましたが、むしろ悪いのは私の方です。
ところで、性欲が減退しているのにも関わらず、何度も風俗を利用してみた理由をお知りになりたい方もいるでしょう。
それは、消え入りそうな性欲の火をまた燃え上がらせることが出来るのではないか、と考えたからです。
というのは、私は分不相応にも家庭を築きたいと考えているのです。
世間体のこともありますが、何より両親に孫の顔を見せてあげたい。
それ以前に、一人でも良いから誰かの人生に濃密に関わりたい、と思うようになったのです。
(※20代までの私は、ほとんど対人恐怖症と言って良いほど、人間関係が苦手でした)
そのためには、まずお付き合いする女性と出会い、愛し合い、将来を誓い合い、子種を宿らせなければなりません。
この目的を達成する大前提にあるのは、異性を求める強い性的な欲求があること。
しかし、今の私は言うならば「いつでも賢者タイム」というべき状態にあり、
女性に対する関心は消えていないものの、興味は薄らぎ、性への欲求が日増しに減っていくのを実感しています。
また、女性を妊娠させるにしても、挿入中、いわゆる中折れが起こって受精が成功しません。
10代同士のカップルによる望まぬ妊娠が話題になっていますが、そこまで勃起が持続されるのが若さなのですね。
もし若い方がこの文章を目にしているのならば、次のことに注意して30歳までの残りの日々を生きてください。
1. 30歳を過ぎても性欲がなくならない、とは限らないこと
2. 30歳を過ぎても女性への関心がなくならない、とは限らないこと
3. 30歳を過ぎても勃起を維持して射精できる、とは限らないこと。
もしかすると、私は一般男性よりも性欲が薄い可能性もあります。
もっとも、自慢ではないですが、10代後半~20代中盤までは毎日オナニーをしているほど性欲満点でしたよ。
あなたも今は性欲がみなぎっていて、やろうと思えばいつでも出来るという自信に満ち溢れているでしょう。
枯れ始めてから初めて女性との交際を志しても、心と体が付いて来ないのです。
ここで筆を置こうと思いましたが、もう一つ書いておきたいことがあります。
セ ッ ク ス そ の も の は 大 し て 気 持 ち よ く あ り ま せ ん。
ずっと憧れていた手コキやフェラも、実は大して気持ち良くないのですね。
一番気持ちが良かったのは、いわゆる本番行為でしたが、それでも逝くことは出来ませんでした。
(※ちなみに、実物の女性器は、無修正AVで見るものとは印象が違い、意外に美しいものです)
また、童貞を卒業して最も意外だったのは、キスが恐ろしいほど気持ちが良いこと。
もはや射精などしなくても良いので、ずっとディープキスをしていたいと思ったほどです。
それから、女性を愛撫すること、すなわち前戯は非常に心地よい行為です。
セックス指南本に書かれている通りに優しく愛撫すると、愛液がどんどん溢れ出てきて強い満足感を覚えます。
風俗嬢相手とはいえ、女性と心と体が通い合う(ような気がする)のは何ものにも代えがたい快感でした。
童貞の皆さん、概して女性の体に触れることは興味深く、気持ちの良いものです。
ですから、強い性欲があるうちに女性と深い仲になれるように努力すべきです。
ひとまずプライドと偏見と思い込みを捨てて、女性と仲良くなって交際してみるべきです。
だから、童貞の皆さん、彼女を作って愛し合いましょう。それだけで生きていることに感謝できるのです。
私の言っていることが信じられないなら、とりあえず風俗嬢に相手してもらってください。
(※ただ、風俗嬢との性交はどこか空しいです。相手が魅力的であるほど、空しくなるもののようです)
いや、これは魔法というよりは、「呪い」に似ているかもしれませんね。
最後に、それでも私は諦めていません。世界のどこかにいる一人の女性と結ばれる夢を捨てることは出来ません。
まずは、食生活の改善や運動不足を解消することなどによって性機能が回復しないかどうか試してみたいと思っています。
ご精読ありがとうございました。
2月8日に西武ドームで行われたリアル車将棋のニコ生タイムシフトを見終えた。言わずと知れた羽生善治四冠と新進気鋭の豊島将之七段が対局したのだが、まず場所が野球場であること、対局者はそれぞれ4時間の持ち時間を持つが、普段の対局とは異なり時間切れの場合秒読み勝負とはならずその時点で負けとなること、また直接対面せずに一塁側、三塁側に設営されたテントの中で考慮し、マイクで指し手の宣言を行い、そしてそれを合図にドライバー達がグラウンドへ駆け出し、でかでかと描かれた「将棋盤」上に配置された「駒」である車に乗り込んで目的の場所へと移動することで対局を進めていくという、スケールの大きい、あえて別の言い方をすると非常に馬鹿馬鹿しい企画だ。
個人的には将棋は駒の動かし方と大まかな戦法しか分からず、見る方も有名な棋士はなんとなく知ってはいるものの棋戦を積極的に見ることはあまりない程度の者なので将棋の詳しい内容を語ることは難しいし、車に至っては公共交通機関の発達している都市部での乗用車利用は禁止してしまえばいい、くらいの考えを持ったことがある程度には車の所有欲がない人間である。
そんな自分がこの番組に興味を持ち、最後まで見続けることになったポイントは、なぜこのような企画を立て、実行できたのか?という一点に尽きる。
今回の番組はドワンゴに並んでトヨタの主催という立場で行われた。つまり番組の本質はトヨタの宣伝だ。ドローン空撮を利用した壮大なオープニングから始まり、MCやゲスト、解説の棋士が次々と入れ替わりながら途中休憩時以外ほぼノンコマーシャルで進行していくのは快適だ。ゲストは盤面の動きの多い序盤と終盤に将棋側、長考が多い中盤に車側を多く呼んでいたように思うが、盤面解説の棋士に対しても積極的に車のエピソードについても聞いていくというコンセプトで進められ、番組全体の長さは10時間を超えるものとなった。
駒となる車も、羽生側は往年のトヨタ車、豊島側は世界初の量産型燃料電池車であるMIRAIをはじめとした最新のトヨタ車が選ばれ、豊島側の歩兵、銀将、飛車が成ったときは専用の車種に入れ替わるという演出も用意された。展開の都合上、成銀と龍王の出番はなく閉会式での紹介のみとなったが…。
陳腐な表現だとは思うが、今回の番組はネット番組ならではの特性というか、地上波テレビではできないことを惜しみなく行う「良さ」を見た気がする。今回のような番組は当然ながら地上波では行えるはずもない。例え無尽蔵の予算があったとして、公共性が求められるとされる地上波放送においては10時間もの間、たった1社の宣伝のためだけの番組を生放送し続けることを許す土壌がないからだ。地上波で行うとなるとたとえば1時間とか2時間の枠に圧縮され、視聴者に分かりやすいように編集され、宣伝色も薄められたものが届けられる。それはおそらくクライアントの思惑と必ずしも合致しないものになるだろう。
登場するゲストたちも、次々に「こんな企画誰が考えたんだ?」と口にした。東洋経済の記事によるとドワンゴがトヨタに持ち込み実現した企画とのことだが、トヨタ側の真剣な取り組み具合もその記事から見て取れるように、この番組を通していわゆる「若者の車離れ」をなんとかしたい、というトヨタの思いが強く感じられる番組作りだった。ネット番組にありがちの低予算番組とはせず、社長決裁が必要となる規模で行うほどの企画を通した担当者の努力には敬意を表したい。
そういう意味で番組全体を通して特に印象深かったのは、終盤戦に差し掛かったあたり、レーサーの脇坂寿一氏とトヨタマーケティングジャパンの社員が登場した時間帯だ。脇坂氏がトヨタ社長の豊田章男氏自らレースに出場するというエピソードを紹介したり、チャーリー・チャップリンが「あなたの最高傑作は何か?」と問われたときの言葉を引用した「ネクスト・ワン」を会社のキャッチフレーズにしているといった話、そして企画担当者の話を通して、トップをはじめとした社員達がが商品を好きであることが企業にとって強い力であるということを感じた。
本論とは外れるがピストン西沢氏の言葉も車将棋ならではといったもので興味深い。「羽生陣営の玉将である二代目クラウンはエンジンが冷えてしまうと大変なので、車ファンとしては定期的に動かしてほしい」。玉将はいったん駒組みが終わってしまえば終盤攻められない限り動くことはないし、実際本局でもその願いが叶うことはなかったのだが、終盤羽生玉が攻められた際に、移動中エンストをしてタイムロスを起こしてしまうクラウンを見たときにはある種の痛快さを覚えた。
さて、このように自分としては今回の番組はクライアントであるトヨタの思いが強く反映され、それが功を奏した画期的なものであるように感じられ、それが最後まで見続ける原動力になった。もちろん100点満点の番組だったという訳ではなく、段取りの悪いところや会場のチョイス(他に会場の空きもなかったのだろうが、吹きっ晒しの西武ドームで10時間以上過ごすとか…)などの改善すべき点も見られた。トヨタの思いにマイナス方向の印象を持った視聴者もいるかもしれない。もしこの番組に続編があるとしたらどうなるだろうか?たとえば「○○社vs××社」のような企画となったとき、別の意味を持つことになるだろうか。また、今後もドワンゴがまったく別の業種に対して大規模な番組企画を持ち込み、それが実現した際にどういう番組になっていくかというところについても注目していきたい。
そういえばポータルをHACKして取得できるアイテムだけど、あれはポータルから無尽蔵に出てくることやリサイクルするとXMになることから、ポータルから噴出するXMを加工して作られていると思われる。(アイテムはXM製だからこそ、XMPパースターでMODやレゾネータを吹き飛ばせるとも言える)
つまりスキャナーは、受動的にポータルの位置を探り当てるだけのものではなく高度にXMを加工する機能も持ち合わせているわけだ。
そう考えるとこれは分子配列変換機にも匹敵するオーバーテクノロジーだと思うんだが、このへんのつっこんだ説明ってなにかオフィシャルな設定があるんだろうか?
「人工知能が人間の職を奪うについて」と日記をはじめると非常にSF的ではあるんだが、思考実験として一つやってみる。
実を言うとこんな人工知能、すでにある。適当なところからコピペして自分のblogに記事を転載するbotなんて、ちょっとプログラムをかじればすぐ作れる。
そしてこれはちょっと本腰を入れて研究すれば、すぐにかなり高性能になるだろう。
「どんなふうな記事がより注目(=ブックマークとかアクセスとか)を集められるか?」というのは評価関数を作るのがとても簡単なので、ベースとなるデータの巨大さと機械学習で順調に成長させられる。記事のまるパクリ問題も、何も真っ正直に「人工知能として本当に文脈を理解して人間的な意味で記事を書く」必要なんてない。
http://graphics.cs.cmu.edu/projects/scene-completion/scene-completion.pdf
この論文みたいなアプローチで記事を一つの画像だと見立てれば部分を差し替えることは可能だろうし、語尾や語彙の置きかけは、それこそ巨大置換でどうとでもなる。
人間が日ごろ、ほう、ふむふむなんて巡回できるblogの数なんてたかが知れているし、機械がクロールで回収できる記事の数は莫大だ。年末年始の記事やどこそこの店に行って何々がうまかったなんて記事は毎年のようにループしている(学習ネタとして最適だ)。
この種の(人工知能と呼べるほどに高度になった)botはそのべらぼうな処理能力にあかせて、アホみたいな数のサイトを運営できる。登校時間やバナーの位置やサイトデザイン、コピーの文章もリアルタイムで評価関数をぶんぶん回すbotは阿呆みたいな速度で自己進化できる。もちろんプロバイダやらが何らかの対処をする可能性もゼロではないけれど、しかしそれもほとんど意味がないだろう。回線の向こう側からは規制する根拠に乏しい。もちろんコピペもととなった記事を書いた人間からすればパクリであり著作権違反だが、それを証明するのは手間だし、照明をあきらめるほど飽和攻撃を行う処理速度がbotにはある。また、人工知能的な記事合成、変換、結論変更、文章アレンジは、しばらくすればパクリをパクリだと証明するのさえ難しくしてしまうだろう。何せblogの記事というのは画像と比べて10%とか5%以下の情報量しかないのだ。
まあ、とにかく、こういうbotはすぐ開発できるだろう。現在の技術でもほとんど可能だし、数年以内には実用化できる。
で本題なのだが、こういうbotができたらどうなるか? そりゃ、投入するでしょう。ちょっぴり初期投資をしてあとは寝てるだけで、阿呆みたいな数のアフィサイトを運営できるようになる。なんらかのステマサイトも似たような手法で運営できるようになる。ちょっとの技術でネオニート生活! 投入されないわけがない。
そしてひとたび投入されれば、それは加速度的に高性能になっていくだろう。機械学習の結果出力っていうのはだいたいサンプルにする学習母体データの大きさや質に左右される。Webに解き放たれたクローラーはありとあらゆる泡沫Blogまで咀嚼を始めるので、その出力の制度はどんどん上がっていくだろう。
PVを金に換えるビジネスというのは一時的に大好景気になって、次の瞬間に価格破壊されるだろう。人件費が限りなくゼロに近づいてゆき過当競争になるからだ。
その世界では「人間がblogの記事を書く」という行為の価値が果てしなく低くなるだろう。そこでははてなスター獲得競争の相手がbotになってしまうからだ。相手はたしかに人間よりも記事を書く技術が低いかもしれないが、無尽蔵の体力を持ってるし、blog記事なんてそもそも10本書いて1つが注目集めればそれでいいような世界なのだ。1万本書いて9999本はずれでも構わないやつが出てきたら、体力勝負で勝てやしない。
この状況が長引けば、アフィリエイトというビジネスモデルそのものも破壊されるだろう。いやそもそも、アマチュアが公開の場所で記事を書くという文化そのものが破壊される可能性もある。
Webの世界は会員制のFacebookやGoogle+みたいなもので分断され、今度はその内側から個人の記事をビッグデータにぬいていくBotが蔓延するだろう。
こういうBotは廉価なサーバーマシンで動かすことができる。実際作ってみないとはっきりとは言えないが、それこそ数百体動かせる可能性もある。性能が十分に周知されれば、「日本語のBlog記事を書く人」よりも「日本語のコピー合成記事を作成するBot」のほうが多くなることは、けっしてありえない状況ではない。
事ここに至って、人工知能は「あるジャンルの職を奪う」ことに成功する。奪われるのはアフィリエイトで暮らしていた人間のBlog書きだけではない。それを端緒に広報を生業にしている多くの人も職を奪われる可能性がある。状況はおそらく大混乱にちかくなるので、今の時点では、この種のムーブメントにおいて電通博報堂のような広告代理店が大きく成長する可能性もあるし、致命的な打撃を受ける可能性もある。成長するにした所で、今のような体育会系的営業の会社で居続けることはできないだろう。開発や分析の理系部署が今の10倍以上の大きさになるだろう。グループインタビューなんかやるよりも、匿名掲示板のログから消費行動の傾向を出したほうがよほど精度が高い企画が作れてしまう。
人間の職を奪う、というのはこういう光景を雇用面から減少を表現した言葉であって、実際に起きることは雇用の減少だけではない。文化や消費行動の破壊ともいえる変化だ。
昔は「テレビに出たい」という欲求を持った人が一定数いたはずだし、「本を出したい」というのを目標に生きてきた人もいっぱいいたはず。
今なら個人でメディアを簡単に持てる時代なので何かを伝えたいなら、ブログやツイッター、動画配信をすればいい。
もう一段階上の「世間で有名になる」「本を売って稼ぐ」というハードルは上がった気がする。
車が売れないのも、車の必要性が下がったからだし車をステータスとして見る人間が減ったからだ。
いろいろな機器がスマートフォンやパソコンに集約され、人々の持ち物が減った。
重く大きな高級本棚より、スマートフォン1台と書籍データのほうが豊かな時代が来た。
こうなると人はものを持ちたくなくなる。できるだけものを持たないほうがより豊かだからだ。
そうすると人が暮らすのにさほど大きなスペースはいらない。一軒家を持つ必要がない。
車にはむしろ乗りたくない、という人間も増えているので地方は暮らしやすい環境とは言えない。
全く知らない赤の他人
でもひと目見た瞬間にこの人だと思った
ナンパなんてしたことないし見知らぬ人・・・しかも女性に声をかけたのはこの時が最初で最後
幸い別の繋がりがあったがすぐに会話は終わってしまった
どうしようもないくらい、本当に胸が張り裂けそうだった
次の日偶然話題に上がってバイト先に行ってみたらレジをやっていた
その時は初めて見た時とは別の髪型で、見てるだけで胸が苦しかった
今まで当たって砕けろの精神で生きてきた
今やっている仕事は自分の夢が叶うかが決まる大きなところに差し掛かっていた
出会って3日目ですぐに渡した
断られるのがわかりきってたから、いや、断られて恋愛から足を引くために渡したようなものだった
返事は早く欲しかったから時間を指定して、電話をかけてもらうという事にした
結果は予想を大きく外れたものだった
断られたあと、どうやって相手を傷つけずに電話を切るかばかりを考えていた
実際は指定の時間になっても全く電話が来る気配が無く、その日は終わった
甘かった 甘すぎた 返事を貰えると思った時点で頭がおかしかった
恋愛はここまで人を狂わせるのかと、恐怖を感じた
返事がこないままでも、まだ彼女の事は好きだ
一目惚れというのは本当に辛い なにせ相手の事を何も知らないのに
相手を想う気持ちが無尽蔵にあふれ出てくる
今後僕はこの気持ちとどう付き合っていけばいいのだろうか
会えるが、会えない 二度と近づかないと誓ったからだ
筋だけはきちんと通したい それが彼女に惚れ、気持ちを伝えた僕の唯一の使命だ
だけど今だけは泣いてもいいだろうか なにせここまで燃えるような恋は前にも後にも
新しいゲームなんて幾らでも考え付きそうだけど
本当に掘り尽したと思ってるなら単に今の人が想像力が足りないだけなんじゃないの?
まず職業体験だって職業は無尽蔵に存在するんだし幾らでも作れる
警察組織内に忍び込んでいる犯罪組織のスパイだか内通者だかを身内の捜査員の中から見つけるゲームだとか
見つけないと被害はどんどん出る
医師が主人公のゲームはいっぱい出てるけど、主人公が看護師のゲームって無いよね
本当はそういう役目の方がゲームに向いてる気もする
薬物摘発の鬼になる(検挙数差をつけてNo1になる)ゲームだとか
今の人が凝り固まってるだけか
知ってても作れないだけか
こんなところで管巻いてたのか……
しかし主張は相変わらず負けた時のものを延々とループしてるだけだな。
だーかーら、強制したところで、それを育成するリソースがないんだってば。
無のリソースから何も与えず子供が育つ前提でないと成立しないの。
あとオスは性を選択されるために、メスが好きなオスを選ぶ、ってのは自然界の鉄則なんで、オスが子供作ること強制すること自体が、人間含めて全ての性で無理筋なんだってば。
無尽蔵に増やしてもリソース競合でかえって種全体に危機が及ぶから、より良いものが選別されるんだって。
ましてや人類は、一匹一匹が食うリソースが馬鹿にならないので、特に選別への圧を強くしないといけない生き物だったわけだ。
「本が売れないのは図書館のせいだ」というのがホッテントリ入りしていた。
で、コメントで
「前から図書館ってあったのに、何言ってるのこの人?」的反応が多数だったが、
というのも、数十年前と比べて、図書館の蔵書数もサービスも全く別物であり、
先日読破した図書館に関する本に、政令指定市の貸出冊数の推移が出ていた。
これを見ると、図書館利用の伸びが著しいことが実感できる。
例えば横浜市の年間貸出冊数は、
1959年 23千冊
1961年 18千冊
1965年 12千冊
1970年 58千冊
1975年 507千冊
1980年 2,325千冊
1985年 4,260千冊
1990年 5,323千冊
1995年 9,143千冊
2000年 10,893千冊
2005年 11,659千冊
2010年 11,122千冊
という具合であり、自分が子供だった頃(75年)の20倍の冊数に達している。
・貸出冊数の上限が拡大
・期間延長に柔軟に対応
・「深夜まで開館」が増えた
・貸出予約ができる
・市内他館からの取り寄せができるようになる
・従来はその市区町村に住民票があった人しか図書館カード作れなかったのが、
・バーコード・ICタグ化で、貸出時に行列せずにスムーズに借りれる
・サテライト館が増え、徒歩圏内に図書館が存在するようになってきた
外を見ると思わずウゥッと唸るくらい人がいて、人の顔が見えて、ヒョッとしてどこを切り取っても人がいない空間がないのでは……と思うので
マンションから抜け出して、くそみたいな、こんなくそ都会から、奇声でも上げて遁走したくなるので、そこでたとえば、誰にかにぶつかって
恋に落ちて、一方的な恋なのですが、それでもあきらめ切れなくて、追いかけるのですが、どうにも距離が縮まらなくて、フッと見るとまだ
マンションにいて、結局ぶつかっていないのが分かって、誰かと思ったらスピーカーとか、あるいはPCの上にあるスピーカーから音が漏れているだけで、
PCと会話をしていただけなので、さすがに本当にしたいとは思っていないから、外に出ることもなくて……、一念発起しようとしたはよいけれど、
やっぱり人間は怖いですから、一歩外に出る、ということが……何かをトテモ冒涜してるんじゃないか……ここを出ることで……何かが壊れるのではないか……
そう思うと、おれ自身ここに留まらないといけない……そう脅迫されている気がして……夢を見るしかないですから、夢の中ではそれこそ、
出会いなんて無尽なので、ちっとも寂しくはない、少なくとも夢では寂しくは無いんです……これは、本当、本当なんですけれど、ハッとして
夢から戻ってきたとき、あぁ、現実なんだなぁって思うわけじゃないですか、それがやっぱり苦痛なんで、また夢を見て、とっかえひっかえして、
まあ……その、いろんな方と寝て、勿論夢なんですけど、ありていに言うなら、その、いろんな膣を経験しまして、剥けたかな、剥けてないかな、ズル剥けかな
といった具合でありまして、イマイチハッキリしないわけで、それも当然で、というのも、いまだに後ろを振り返ってみたことが無いのですから、
自分が何をしてきたのか……これからどうなりたいのか……そりゃあ夢しか見ていないわけですから振り返りもくそもないのですが、ともかく
そんなことを、一切してこなかったものですから、どうしたら戻れるのかしらん……どうしたら、どうしたらと堂々巡りになってしまうのも、まあ
火を見るより明らかなので、一歩!そこを一歩外に出るだけで、これらのモヤモヤ、煩悶、苦悩、それら取り憑かれたような妄想からもきっと
脱出できるに違いないと思うので、電気を消して、鍵を開けて、靴を履いて、服を脱いで、ひとつ、ひとつこなして、ドアを、ドアを――