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はてなキーワード: 必然とは

2013-07-06

やはりドリーさんの書籍クリティークはまちがっている

 というわけで一本何か書いてみようという安易意識からキーボードを叩き始めました。名も無きはてな民です。よろしく。

 さて、今回は巷でネット民の熱い羨望を浴びながら、同時にドス黒い憎悪嫉妬とを育み続ける孤高のネットライター、ドリー氏の行う書評について、何か適当に書いていこうと思います。正直言って資料を用いながらの適確で分析的な記事とかは書く気がしないんで、フィーリングで書いていくことにします。


 さて、ドリー氏については説明不要だと思います。あの村上春樹の新作『色彩を持たない多崎つくると彼の巡礼の年』をamazonレビューにてけちょんけちょんに叩き、その軽快でユーモラスな批評おいて人気を博した、ネット出身の新鋭ライターブロガーでございます。あ、ちなみにこんな風に書くとまるで私自身がドリー氏のモグリか何かのように見えるでしょうが、その心配には及びません。この記事は売名を目的にしてはおりません。

 ドリーさんには、今回のamazonレビューを切掛にして、何と出版社からライターとしての依頼が飛び込んできたようです。何ともまあ、驚くべきことです。ネットからの躍進というものが、こんなに身近な部分で行われているなんて……と、些かめまいのようなものを覚えてしま塩梅でございます。そんなこんなで、今更になってドリーさんの名前を広める為に誰かが努力をしたりステマをしたりする必要は、今の時点ではおよそ皆無だと言えるでしょう。何たって既にその名前が広がっていく余地が取られているわけですからね。


 さてまず、彼の批評について述べる上で、彼の書く批評文においては幾つかのポイントがあるわけですが、それについて紹介していきたいと思います


 自分アッパークラスならぬダウナークラスに位置付け、そしてそのような低きから視点おいて、批判対象(アッパー雰囲気を纏うものや、ハイソ雰囲気を纏う書物)を叩いていく、というのがドリーさんの基本スタイルとなっております

 こういう風な「ダメ人間」としてのキャラ付けで文章を書くのは、ドリーさんの特徴でもあります。ちなみに、これまで「ダメ人間」としてのキャラエッセイを書いてきた著名な作家を挙げるとすれば、例えば滝本竜彦とか、あるいは穂村弘などが該当するんではないでしょうか。ともかく彼のレビューは低い視点から行われます。そして必然、そのような視点が読者からの親しみを呼んだり、あるいは共感にまでこぎつけることも当然起こります。こういったことで、ドリー氏はネット層のナイーヴで、どちらかと言えばハイカルチャーには属していない人々の人気を勝ち取ってきたというわけです。


 ドリー氏がamazonにて村上春樹批評した手段はまだはてな民の皆さんには記憶に新しいと思うのですが、ドリーさんの真骨頂は、この「形而下ツッコミ」にあります

 ときに、今年の四月中旬に発売された、『色彩を持たない~~』という小説。これは村上春樹の発売した新作なのですが、この小説にはこれまで村上春樹が取り組んできた様々なエッセンスというものが生かされており、また、その他にも新奇な取り組み、挑戦的なメッセージなどが込められた作品でありました。

 そのような『色彩を持たない~~』ですが、特にこの作品に込められたメッセージの中で重要ものを上げるとすれば、それは次のようなものになると思います。つまり「我々の見る〈夢〉と、現実に起きている様々な事象の間には、ある種の相関関係があり、そして我々は夢というものを通じて現実事象における幾らかのレスポンシビリティー(責任)を共有している」というものです、こうやって一文に纏めると分かりにくいんですが、もう少し分り易くまとめると、要するに「我々は社会的責任や個人としての責任というものを、夢という通路を介して確認することになる」、ということです。このようなメッセージは、恐らく村上春樹氏がこれまで取り組んできた、ユング研究者との間のやりとりや、あるいは彼の人生経験というものを基立ちにして書かれているものだと思われます。そのような点において、村上春樹の主張している文学性というものが光っているのです。

 しかし! しかしです。

 ドリー氏の批評のやり方は、そういった〈文学性〉。いわば、〈形而上学的〉な分野においては、全くタッチしないという、そういう方法論を使ったものだったのです。


 これは、私が主観的立場おいて評している事柄ではありません。

 というのは、こういう「形而下的ツッコミ」とか、あるいは別名「表層ツッコミ」という言葉は、誰でもない、他ならぬドリー氏自身によって発された言葉であるからです。正に彼自身が、彼のレビューのやり方を評して、「表層ツッコミ」。あるいは、「形而下的ツッコミ」と呼び習わしていたのです。

 つまり、彼の特徴を一言で述べるならば、その作品の奥深さというものに関してはできるだけ発言を控える。というものなのです。そして、そういった「奥深さ」に関しての発言よりも、もっと身近で物質的な、そういった部分に関して照明を当てる、というのが、ドリー氏の批評術なのでした。


 アレ、ちょっと待てよ? という意見が、そろそろ出てきてもいいのではないでしょうか。

 というか、若干キレ気味な方というのが、現れてきてもいいんじゃないか、という風に僕は思ってます。なんなんだそれは! と声を荒げてもおかしくない方法論じゃないのかこれは? と、むしろ僕自身がそんな風に思ってきているところです。


 ドリーさんのやり方は、例えば以下のようなものです。


 『色彩を持たない~~』にて、以下、主人公とその友人「アカ」とのやりとり。


 アカは笑った。「嘘偽りはない。あのままだ。しかしもちろんいちばん大事な部分は書かれていない。それはここの中にしかない」、アカ自分のこめかみを指先でとんとんと叩いた。「シェフと同じだ。肝心なところはレシピには書かない」


 「あるいはそういうこともあるかもしれない」とアカは言った。それから愉快そうに笑って、指をぱちんと鳴らした。「するどいサーブだ。多崎つくるくんにアドヴァンテージ


 アカは言った。「俺は思うんだが、事実というのは砂に埋もれた都市のようなもの・・・



こういった、ちょっとオサレというか、まあそれらしい描写に関して、ドリーさんは以下のように述べています


それにしても自分大好きオーラでまくってます

身のこなし、言葉の節々から自己陶酔感がただよってるんですよ。


 なるほど……。と思えるようなツッコミです。確かに、アカの言い方からは、極普通社会生活を営んでいる方々から見れば、少し苦笑いをしてしまうような、あるいは軽く眉を顰めてしまうような、そういう素振りが端々から匂わされています

 これが、いわゆる「形而下ツッコミ」というものなのです。読者にとって、距離の近い何か、つまり、作中の人間における特徴的な発言とか、あるいは、そのキャラクターが行なっているファッション、あるいはスタイルというもの、そういった身近な位置に存在するものに関して、一つ一つツッコミを入れていく、という技術。これが、ドリーさんが主に自称しているところの、「表層ツッコミ」という技術なのでございます。確かに、このツッコミ面白い(笑)

 ぶっちゃけ僕も何度か読み直して笑ったくらいのものです。それくらいに、この「形而下ツッコミ」には効果があります


 しかしです。

 実際に、この『色彩を持たない~~』を読み込んでいくと、このようなツッコミ果たして正当性を認めてよいものなのだろうか? というようなメッセージが改めて浮かび上がってきています


 と言いますのは、まず、このアカという人物。なんと、未読の方にはネタバレになってしまうのですが――

 ――ですから、この先の部分に関しては未読の方は注意して読んで下さい、お願いします――


 ――同性愛者なのです。しかも、そのような事実に関して、何と自身が女性結婚関係を持ち、暫くしてから気付いてしまった、というかなり不幸な人物でもあるのです。彼は、結婚自分性癖について自覚してしまい、かなりの苦悩を感じていた模様です。

 その辺りは、『色彩を持たない~~』本編においてかなり描写が尽くされております


 ところで、ここで、「アレ?」と思われる方はいらっしゃいませんでしょうか?

 つまり、ドリーさんのツッコミの内容が、果たして本当に妥当ものなのだろうか? という感想を抱いた方が、ここまでの文章を読んでいて幾らかいるんじゃないかということなのです。

 ドリーさんのツッコミの内容は、以下の通りでした。

「『アカ』の臭わせている『自分大好き』臭がひどい、彼の自己陶酔的な態度がヤバい


 しかし、上のような本文の描写を読む限りで、そのようなツッコミぶっちゃけ間違っていることが、明らかになっています。つまり、むしろアカ」の根底には、「自分大好き臭」などではなく、徹底的な自己嫌悪存在しているということなのです。

 付け加えるならば

この「アカ」は、その父親が何と名古屋大学経済学部教授職を務めている人物であったりするのですが、そのような父親に対してアカは名状しがたい反感のようなものを抱えて青年時代以降を生きてきていた、ということが本文にて言われていますしかし、多崎つくるが生きている現代世界、彼が36歳になっている時点において、アカは一般企業向けのサラリーマン育成サービス会社の代表を務めているのですが、何と彼は、自分が忌み嫌っていた父のような、尊大で狭量な振る舞いを、そっくりそのままその会社経営スピーチおいて行なってしまっているのを作中で嘆いているのです。つまり、繰り返すように彼の中にあるのは、「自己嫌悪」というべき以上の何物でもない感情なのです。そしてそれを無視したまま、ドリーさんは「自分大好き臭がすごい」、などなどと形而下的ツッコミに終始してしまっているということなのです。


 ドリー氏は他にも、レビュー中で多崎つくるのファッションについて言及しており、彼の終盤におけるファッション、「オリーブグリーンバスローブ」について批判しております

 曰く、その色は「クソ緑」とのこと(笑) なんともまあユーモラスな表現ではありませんか。

 しかしです。このような緑の色、というのは、西洋おいはいわば「嫉妬」というものを表す象徴的な色でもまたあるのでした。

 主人公の多崎つくるは、本編の終盤において、交際相手の女性浮気現場を目撃してしまい、そのことで苦悩します。そして本作は、作中において何か特定のスタイル生き方、つまり「色彩」を持てなかった彼が、最終的に嫉妬感情を表す「オリーブグリーン」のバスローブを着込む、ということを最後に、幕が降りることになります。結局のところ、この『色彩を持たない~~』という物語は、多崎つくるというプレーンで如才ない特徴の無かった男が、嫉妬という、これまで無色だった彼にとってあまりにも大きすぎる感情を背負うことになってしまうという作品なのです。そんなテーマが描かれた小説なのでした。

 しかし、ドリー氏はこの「オリーブグリーン」の比喩に関して、「クソ緑」とただ一言切り捨てたのみなのです。それ以上の言及を、彼は避けております

 これが、いわゆる「形而下ツッコミ」の正体なのです。その、暗喩文学比喩といった奥深さに関しては常に除外し、表面的な部分にの視点おいて俗っぽい言葉によって吐き捨てる、というのが、結局のところドリー氏の行っている批評の正体と言えるでしょう。

 ドリー氏は、これは個人的な意見になってしまうのですが、はっきり言ってそういった「奥深い部分」に対する想像力、というものを発揮しない(あるいは表立って発言しない)といった批評のやり口に、あまりにも慣れきってしまっている感があります。何というか、そういった相手の表現したい奥深い分野については言及せず、大体において「表層的」あるいは「形而下的」な部分に対してのツッコミだけを行う、というのが彼のスタイルになってしまっているのです。


 さて、ここまで長々と書いてきて、結論としては、ドリーさんの批評(クリティーク)においては、あまりにも想像力文学表現に対する理解というものが欠けてしまっている、ということが言いたいわけなのです。そんなこんなで、ドリーさんの書籍批評に関しては、以下の言葉でまとめることができるでしょう。やはり、ドリーさんの書籍批評はまちがっている、と

2013-06-28

http://anond.hatelabo.jp/20130628183325

政党支持率グラフ見てて面白いのは、民主支持率衆院選の結果判明後に急落してることだね。

支持率から必然としてNOを投じたのではなく、

ずるずる下がった支持率からNOに振れた結果を見て、国民民主から一斉に離れたというのが近い。

与党が違いを出すといっても、今の野党差別化するのか、旧民主政権差別化するかによって方向性が違う。

最も「効く」のは、TPP参加を明確に否定することだが。

競合しがちなみんな・維新と差を明確にできて、党内対立も治められる。

2013-06-27

http://anond.hatelabo.jp/20130627003326

これはね、過去哲学者の「世の中は偶然なんてない、必然しかない」というような言葉自分たちに都合のいいように解釈して世の中にばら撒いている人々の声が子供たちに影響を与えすぎているせいなんだよ。

そういうのを完全に受け入れたら、誰だって奴隷人生しか見えなくなるに決まっているのにね。そして何が人権だクソ食らえと、子供たちはそんな世の中を作った上の世代を憎むようになる。納税者側としても高すぎる健康保険に「嘘だろう」と思ってもいるんだけれども。

偶然は偶然だよ。ただ、限定した意図に塗れた必然を偶然として押し付けてくる世の中はやはり憎むべき存在であろうとは思うけれども。

私は最近日本フィクションはすべて、あまりにも押し付けがましい必然神殿からの脱走を目論んでいるようにしか見えてない。

ゆとり世代劣等感

国民的な人気を得たジブリ鳥山明に対しても

批判的な意見最近ネットでよく見る様になってきた。

これはある意味必然的なことで特定の分野で上の世代に勝ち目がなければ

別の分野を開拓することで若い世代自分たちの居場所を見つける。


問題なのは、今の若い世代には上の世代に対する憎悪の気持ちが強すぎることだ。

実際に様々な面で、上の世代に多大な責任があるのは事実だと思う。

だがそれは悪い面だけではなく良い面も同様だ。

今のアニメ漫画コンテンツ一言で言えば「現実逃避であると言える。

別にそれでもいい。ただそれだけでは負のスパイラルに陥るだけで現にそうなっている。

から上の世代コンテンツを見直して欲しい。

宮崎駿しろ鳥山明しろ何故あれほどの世界的な評価を得られたのか。決して偶然だった理由ではない。

この2人に限らず素晴らしいクリエイター過去に山程いる。

若い世代クリエイター必要なのはまず上の世代の素晴らしさを認めて受け入れること。

その上で皆と協力し今の技術を使いこなせば今よりもっと素晴らしいコンテンツで溢れ返るだろう

2013-06-26

ネットによって関わらなくていい人たちが関わってしまってる悲劇

たとえば高学歴高収入フェミニスト女性と、そこそこ以下の学歴でそこそこ以下の収入アンチフェミの男性というふたり

前者は高い高い次元での「男女同権」を説いていて、想定している敵は同じような教育を受け、仕事をしている強者男性

男女同じように出世のチャンスを用意する、仕事をさせる、保育所を拡充して仕事をさせる、など。

一方でそこそこ以下のアンチフェミ男性はそういう女性リアルでは関わりがない。

必然的に、駅で会った「ブス」やら同じような条件で働いているそこそこ以下の女性ということになる。

この二人って、ネットがなければ直接には関わることもなく、性別だけは同じの全く違う何かを敵として戦っていたんだよな。

そんなことを朝のTwitterを見て思った。

2013-06-20

どう考えても楽勝だったブラック企業勤め

ちわーす。入社してもう18年になるんで、新卒で入った18年前から12年前くらいの話になりますが、ブラック企業づとめの若者に、時間に余裕がなくてあっぷあっぷになっている人がたくさんいるのを見て、世間的には「大変だよね」って同情してあげないといかん風潮になってるのにすごい違和感があります

社畜には無駄時間とか、無駄な考え方が多いんじゃないかなと、自分経験から言っても傍から見ていても感じます。それを非難するんじゃなくて、こう言う風にしたらもっと楽だよ、という話をしたいと思います

仕事は細切れにやってもいい

細切れ労働に慣らそうと思えば誰でもできるんじゃないかと思います

一番貴重なのは時間

毎日はてブに通って、あれどうかな、これどうかなと一通り見まわるなんて、バカバカしい話です。時間もったいないです。

考えないで済むようにする

業務はルーチン化しておくことです。この時間にはこれをする、この曜日にはこれをする、と決めておけば考える時間をかける必要がありません。一番考えるのはその内容ですが、俺は30日単位でメニューを決めていました。業務も手戻りが出ないようにして。

計画を立てる

考えないで済むようにするのと同じ意味ですが、これは一日ごとの計画を事前にたてておく、朝10分くらいかけて、計画表を作るのも大事です。こんなことを言うと、「計画通りはいかない!」なんてヒステリーおこす人がいますが、元の計画がないと、計画からどれくらいずれたのか把握も出来ず、常態への復帰も出来なくなるわけです。

計画に固執しない

それでいて計画はあくまで計画、アクシデントがあれば柔軟に対応すれば精神的にも楽です。計画があるからと言ってそれに縛られていては精神的な余裕が失われます

友達はいらない

友達はいらないと割り切ることです。業務中の友達は、余計なことに時間を割かせる負の存在しかありません。別に縁を切る必要はありませんが、出来ないことは出来ないと言ってそれで仲が壊れるようならそれまでです。

付き合いもいらない

これが案外ばかにならないと思います。同僚と仕事そっちのけで一時間も二時間無駄話をしている人がいます。こういう生産性のない時間に費やしていたら、時間をひねりだせないのは当たり前です。

仕事友達もいらない

俺はぼっちだったんで、同僚のサークルには入れないわけですよ。必然的に、俺の会話相手はほとんど俺でした。

会社にあれもこれもしてあげる必要はない

俺も労働基準法改正後の日本に生まれ育ったんで、俺と同程度の仕事をしてやれば十分だと思ってます。あれもこれも面倒みたり、残業する必要なんて全然ありません。うちの会社は今は上場してますし、労働者がしてやることは、そういうことじゃないんじゃないかと思います

改善の機会はいくらでもある

部下に仕事をさせるにしても、ただ働かせるんじゃなくて、自分で考えさせたり、目標自分で設定させたりする手助けをしてやればいいと思います

気を付けたのは運動だけ

50メートルを走ってタイムをとるのと、柔軟するのだけは毎日やってました(雨の日は例外)。

仕事をさせるのは楽だ

仕事をしてる間は静かですから(笑)仕事をさせるにしても面倒なタスクを与えてやれば、数日がかりになるわけですよ。で、その間は集中してやっている。その間にこっちも別の業務が出来るわけで、面倒な単純作業をやらせるのはすごくいいんじゃないかと思いました。

 

まあ、ぶっちゃげ仕事性格は千差万別で、どういう仕事によるかによっても業務の大変さは全然違うんですが、時間がないってきりきりしてるんなら、一回、自分毎日を見直してみるのもいいんじゃないでしょうか。状況的には当時の俺くらいに結構きつい状況にある人はそういないんじゃないかと思いますんで(主観的にはそうきつくはなかったんですが)。特に、同僚とのおしゃべり、それ必要ですか?

 

 

オリジナルhttp://anond.hatelabo.jp/20130619155006

老女

雨が降っていた

傘を差し

風に煽られた

傘が壊れた

駅に着いた

屋根のないホーム

最寄りの改札に近いドア

濡れながら電車を待つ

少し雨が遠のいた

横を向いた

傘を差した老女

距離が近い

偶然か必然

老女の傘が私の上に

数年前亡くなった

祖母のきょうだいに似ていた気がした

2013-06-19

同じチームだが作業場所が別の開発者がいて、そいつ全然規律を守らない。

連絡手段が必然限られるので、こちらがどんなに連絡しても向こうが無視すれば何も届かない。

とても迷惑している。

もちろん上長とかその上には現状を伝えているけれど、なだめすかされるばかりで全く改善はない。

滞っている分が確実にスケジュール遅延を招いていることを含めて理解しているらしい。

ばかじゃねーの

ジジババによる子育て

子どもをジジババに見てもらうのがいいんじゃないかって意見があるので、まさにジジババ丸投げ育児になってる身から、今のところの子ども主体のメリットデメリットを上げてみる。

子どもは3歳成り立ての男児。夫の実家で義父母・義祖父母と同居中。

母親である私が仕事復帰したのは子どもが7ヶ月の頃。

同局してると保育園には入れられないんで、必然的に子どもを見てるのは義父母。常識的な人たちだが孫には甘めか。

メリット

  • 年齢よりしっかりしていると言われる
  • 人なつっこい
    • 義父母に義祖父母も同居してるので、四六時中誰かに可愛がられてる。そのせいか人見知りがなく誰にでも愛想がいい。

デメリット

  • 体力がない
    • 義父母だとやはり億劫なのかマメ公園には連れてってあげられないので、その分外遊びの時間が少ない。よって体力がない。同年代の子たちは一日中公園にいたりするので差が付く。
  • ワガママ
    • 義父母は子どもの癇癪には付き合うのがしんどいらしく(当たり前だけど)、癇癪を起こされないように子どもワガママを聞いてやる傾向が強い。結果、ゴネればなんでも言うことを聞いてもらえると思ってる節がある。若干三文安傾向。
      • 私や夫が居る場合はもちろん叱るが、その場合子どもは義父母や義祖父母のところへ逃げ込む。

良くも悪くも温室培養みたいな感じになってるんで、幼稚園上がってからちょっと心配だったりする。

義父母に見てもらえるからフルタイム仕事でも支障が出ずに続けられてるけど、長い目で見たらどうなのかは悩ましいところ。

http://anond.hatelabo.jp/20130619112419

今のジジババが孫丸投げされても何とかなってるのは子育て経験があるからなわけで

(っつーかジジは大抵は役に立たないよね、出来るのはババだけ)

子供自分で育てた事がない奴が歳食ったからと言って突然子育て能力が身に付くわけじゃない

若者より体力もなければ新しい事を覚える能力も低下しているジジババが初めての子育てなんてまともに出来るんだろうか

自分たちのケースで言えば、平日は義父母に育児丸投げになっている分、土日祝日は義父母に頼らないことを徹底している。

仕事が早く上がれる場合は子の入浴と寝かしつけは当然やる。(世の旦那さん方と似たような関わり方)

子ども予防接種・通院・健診等も必ず夫か私が付き添うようにしている。

なので、まったく育児経験値がないってことはないかな。今のところ。

自分たちがジジババになった時に子ども丸投げされても何とかなるとは思う。

ちなみに義父は自分の子=夫の面倒はまったく見なかったそうだが、孫の場合オムツ替えもしてくれたりして義母が驚いていた。

快楽原則に「彼岸」などない

快楽原則彼岸に死の欲道や涅槃原則があるわけではない

超自我現実原則個体適応的な側面を担い

現実場面で行える最大幸福を支持するものであるならば

主観世界において苦痛を最大限取り去る手段である「死」を目指す所に、どうして快楽原則彼岸など見出せるもの

快楽と死は地続きであり、それはラカンの「リビドーの変遷の最後の段階は、石の平穏へと戻ることである」という言葉がこれを確認する示唆に富んでいると考える

個体としての人間はその主観視点において、快楽原則奴隷とならざるを得ない

原初の快楽原則現実原則ベールかぶり超自我指導を受けるが

それでもなお、欲求の断念が継続する場合に「欲求そのものを抑圧、もしくは消しさる」という方向に自我は動き出す

その究極の形が、欲求を生み出して、それを断念させ、峻厳さと不寛容さを生み出す原因となっている「私」そのものの打倒という形でなされる

それは人が持つ内向性の周縁部に位置しており、外向性の周縁部で人を殺める現象が起きる事とのシンメトリーとなる

しかし、内向であるからと言ってそこに外界の存在がないわけではない

矛盾するかのように聞こえるが、私はそこに一定解釈を持ちうると考える

すなわち、「私」そのものの打倒とは、何によって行われようとするかについて再考する事でそれが得られる

先に書いたように、欲求への不寛容を生み出す「私」を打倒する方法の一つとして死がある、自殺がある

けれど、「私」が、自我がその断念を繰り返し、超自我不寛容を強めたのは、紛れもなく現実からの影響に他ならない

さらに言えば、人が人として成長せざるを得ない時、自分自分として成長したい・適応して現実での快楽を得たいと思った時に、必然的に自らへの不寛容を強めざるを得ないという事だ

快楽原則に従って現実原則を生み出す事が、一見して快楽原則を否定し対立するように見えるのは非常にパラドキシカルである

閑話休題、この説で言いたい事は簡潔に言うとこうだ

「私は「私」を打倒するが、「私」とは現実まり欲求断念の原因となった事物人の象徴である」と

現実の規則、すなわち父や法や規律や道徳能力の制限というものが、欲求断念を生み出している

欲求の断念は超自我不寛容を生み出し、その不寛容涅槃規則を生み出す

であれば、涅槃規則で生み出された死の欲動が打倒せよと叫ぶのは、象徴的な意味での父であるともいえる

「生まれてこなければよかった、消え去りたい、自分を殺したい、死にたい」という言葉は、内在化された父を消し去ることとなる

また同時に、快楽原則に従いながらも他の快楽原則を打倒せしめんとする涅槃原則は、快楽原則が母的な側面を持つ事からも、象徴的な意味での母を殺す事になるだろう

かくして、涅槃原則とは父と母を打倒し、しかして母と父をその原動力とする極めて逆説的な構造となっている

2013-06-17

10年来悩まされてきたアトピー性皮膚炎がだいたい完治したので、

場合によっては世間で言われている方法と逆のことをした方が効くこともあったし、自分なりに症状改善の原則のようなものが見えてきたので、せっかくなのでこれまで色々と試してきた方法を記録しておきます

前提として

  • 個人の体質によるはずなので、誰にでも下に書く方法が効くとは言いません。あくまで個人的体験談として。
  • 医者の言うことは聞きましょう。ただ、こちらが医者の想定と違う結果を報告したとき「そんなはずはない」とか言う医者はヤブなので医者を替えて下さい。
  • 症状は、数年間、全身に湿疹が散発してII群のステロイド軟膏を恒常的に処方されていた程度。たぶん、重症の人から見ればペーペーです。

以下、方法の記録:

症状改善の原則

結論から言うと、

  1. 皮膚に刺激を与えない
  2. 胃腸を整える

とにかくこの2つを同時並行して体質改善を図る。同時にやらないとダメ

皮膚に刺激を与えない

シャンプーを刺激の弱いものに替える

アトピーを発症して以来の、私のシャンプー遍歴は:

  1. 「フケ・かゆみを防ぐ」というコピーの某シャンプーメリット) → 体質に合わなかったようで、フケがビッグバン状態に。すすぎ液の触れた身体も痒くなる。論外。他にも苦情を耳にするので、アトピーの人はたぶん使っちゃいかんと思う。
  2. アミノ酸シャンプーいくつか → メリット時代よりはたいぶ症状が緩和。ただ、品質の良いものは安くても1本数千円するので財布に痛い。
  3. 最終的に純石鹸に落ち着く → 結局、1個100円くらいで買える固形の純石鹸が一番よいことに気付いた。やり方はググって下さい(クエン酸中和するやつです)。これでアミノ酸時代よりもさらに症状が緩和。

いずれにしろ、洗った後は洗浄成分が一分子も残らないくらいの気持ちで神経質なほど洗い流すことが重要インドの洗髪ハーブ(ヘナ、シカカイ)も試したが、これは合わなかった。

石鹸を控える

石鹸頭皮・頭髪(上記参照)や脇の下など匂いが気になるポイントだけに使い、他の部分はお湯だけで流すようにしたら症状が改善。もちろんタオルやブラシでこするのは論外。手で洗う。ボディーソープも論外。これも、洗った後は石鹸成分が一分子も残らないくらいの気持ちで神経質なほど洗い流すことが重要。要は、石鹸で皮脂を過剰に落とすと、身体の正直な反応として過剰に皮脂が分泌される体質になってしま悪循環なので、常に適量の皮脂が体表を覆う健康な体質になるよう使う石鹸の量を根気よく少しずつ減らしていく。

風呂を控える

風呂を2~3日に一回に減らしたら症状が劇的に改善した。世間ではアトピー対策として「入浴して身体を清潔に」とよく言われるが、あくまで対症療法で、清潔にすれば治るという意味じゃない。そもそも身体の綺麗な人は風呂に一週間入らなくても臭わない。体育会系ガテン系ならともかく、デスクワーカーなのに風呂を減らしたくらいで臭ったりベタついたりするのは体質が悪いのだ。石鹸を控えたり、胃腸を整えたりして体質が良くなってくると、風呂に入らなくても気持ち悪くならなくなるし、風呂に入るたびに保湿剤を塗りたくる必要もなくなっている。そういう意味で、「風呂を控える」のは最後の仕上げ。最初にやったらむしろ症状が悪化するかも。

胃腸を整える

ぬか漬けを食べる

ぬか漬けは生きた乳酸菌豊富。これは割と効いた。自分で糠床をかき混ぜたので、もしかしたら食べること自体よりかき混ぜる方に効果があった可能性はある。ヨーグルトとか、最近さかんに広告しているアレルケア錠も数ヶ月間試してみたけど、そっちは特に効いた気はしなかった。自分に合った乳酸菌源を見付けると良いんだと思う。

白米を玄米に替える

玄米食物繊維豊富。これもかなり効いた気がする。ただ、玄米飯にした結果、必然的に良く噛んで食べるようになったので(硬すぎて噛まないと飲み込めない)、そっちに効果があった可能性もある。いずれにしろ食物繊維を良く摂ることと、良く噛んで食べること、どっちもやって損はないと思う。

油を摂る

世間では「脂分を控えろ」ということになっているけれども、どうも、それを真に受けすぎて油を減らしすぎていたらしい。一時期、玄米菜食に近い生活をしていたのを、意識して肉や油を食べるようにしたら肌のカサカサがだいぶ改善した。もちろん質の良い油ね。二郎マクドナルドは我慢。

裏技

根本的な治療にはならないと思うのだけれど、一時的に湿疹が引く裏技がこれ。

怪我をする

怪我をすると皮膚を修復するため体内でステロイドが生成されて(?)、怪我が治るまでの間、面白いように湿疹が治まる。口内炎になる、という手もある。私以外の人にどれほど効果があるかは知りません。

結果...

体質が改善されてくると、それまではステロイドを塗り続けないと湿疹が治まらなかったものが、一回塗っただけですぐ治るようになって、弱いステロイドに替えて、、、というワケで、今でも疲れがたまったときなど小さな湿疹が出ることがありますが、薬を塗らなくても治まるようになりました。だいたい、普通の人の体質になったと言って良いと思います

10年間で得た教訓は、「○○でアトピーが治る」っていうキャッチコピーは、○○に入る単語ステロイドしろ民間療法しろウソっぱちってことです。それだけでアトピーが治る魔法の薬なんてない。全体として体質を改善していかなくてはいけない。あと、症状が改善した結果として脱ステできるのであって、脱ステすると症状が改善するわけではないです。

...なんだか体質改善信者布教記事みたいになってしまったけれど、徹夜はするし運動全然しないし、それほど厳格にやってるわけじゃないよ。

2013-06-16

http://anond.hatelabo.jp/20130616182001

だん‐てい【断定】

[名](スル)

1 物事にはっきりした判断をくだすこと。また、その判断。「証言を虚偽と―する」「―的に言う」

はん‐だん【判断】

[名](スル)

1 物事の真偽・善悪などを見極め、それについて自分の考えを定めること。「適切な―を下す」「なかなか―がつかない」「君の―にまかせる」「状況を―する」

けん‐り【権利

1 ある物事を自分意志によって自由に行ったり、他人に要求したりすることのできる資格能力

一般的に言って、知らないことについて断定することはできない。何故なら知らないが故に正しい判断を下せないから。

必然、断定する権利は断定する対象について多少なりとも知っている者のみにある。

子どもは自身の出生を全く知っていないし原理的に知り得ない。子どもには自身の出生に関してその真偽・善悪を見極め、自分の考えをはっきりと定める資格能力もない。

故に子どもには自らの出生を鬼畜所業と断定する権利は無い。それはどこまで行っても単なる恨みつらみの被害妄想にすぎない。

2013-06-11

ワーキングマザー、心の窒息、絶望嫉妬

から見たらどうなのか分からないが、その実。

自分の心に問うてみたら、幸せ度は相当に低まっていると言えてしまう実情。

好きな街に住み好きな仕事をして好きな仲間と好きな企画立てて遊びに行けた。

身近に大好きなことがいっぱいあって、それがあたり前だった。

そんな日はあたり前に続くと思っていたし

それでもまだ足りない、ぐらいに思っていた。

いま。

優しい夫がいて可愛い子供がいて新しい家がある。

休日にはみんなで動物園に行き

夫が作ってくれた夕飯を囲んでみんなでお風呂に入る。

これは幸せ生活、なんだけど。

もちろん、そのはずなんだけど。

なんでこんなに苦しいのか。

なんで心の奥がカラカラなのか。

天職だと思っていた仕事から異動になった。

甘んじて受けた。育児してる母親社員から

まらない会社から仕事から毎日毎日逃げ出したい。

でも、守ることをしなくちゃいけない。

この生活、家。

自由、仕事、みんな制限されたなかで繰り返す。

もうかつての好き!なら全方向エネルギー全開の自分なんて

別人と認めざるを得ない。

どうしたら良かったんだろ?

どうしたらこの生活で充足感を得られるのか?

これは一過性のものなのか。

ステージは、変わったのか。

それは自分にとって、幸せなのか?

野心のままに20年かけてキャリアを積んだ親友

おとぎ話みたいな暮らしを手に入れた。

子どもがいない不安はあっても

そのすべては自分で手に入れたもの

どんなに誇らしいだろうって羨ましく、まぶしい。

分かってる、努力や野心が自分にも

もっとあったならキャリアも変わったかもしれないことも

看病や出産タイミングで変わらなかったかもしれないことも。

でもたぶんきっと

ぜんぶ必然だったから。

ワーキングマザーと呼ばれる人がみんな

このアイデンティティークライシスをうまく乗り切ってきたとは思えない。

もっと話したい。肝据えてこれが私の選んだ生き方だと言いたい。

逡巡はまだまだ続く。

2013-06-10

テレビ局は、

馬鹿視聴者でも理解できるよう噛み砕いて説明」しているのだと、

しろ胸を張って主張するだろう。

これは精一杯のサービスであり我々放送人真心なのだと。

誰が悪いというわけでもない。

テレビというマスコミュニケーションの道具において必然的に起こりうる悲劇だということだよ。

悪しき風習「喧嘩両成敗」がいじめ問題ますます悪化させている

いじめた奴に仕返しをするとそいつ加害者扱いされる。

それどころか見ようによってはそいつが虐めたように思われる。

また、いじめ人間の親が権力者だとこの構図をひっくり返す事は非常に困難だ。

困難な上に日教組などは権力者に有利になるように処置するような長い物に巻かれる主義のクズ揃いと来てる。

教育社会では、完全な縦社会が形成されているから、上への報告でいじめ問題を上げるのは将来的に不利になる現実があるため、校長はそれを報告したくても出来ないジレンマに陥っている現状だ。そのために学校を顧みないクズ教育者成り上がり易い社会が形成されている。

例えば、現在大津市教育長たつの市教育長はいじめ問題で自殺した学校の元校長だ。

上への報告をしっかりせず教育者として立派に職務に当らないから、いじめを更に助長していく。

そのため、現場会議室では空気がまるで違うようになる。

喧嘩両成敗」の因習はこうした古い教育体質のために必然的に起こっている。

このために、いじめ問題が棚上げされるのは見るに偲びない。

2013-06-09

自民党憲法改正案で、日本をまるで中国のようにしたいらしい。国民政府に文句言えない系国家の仲間入り。すると児ポ禁法には色んな思惑があるんだなー。

1.ロリコンオタクなどけしからん気に食わんヒステリー系の頭悪い人たちの気晴らし

2.日本ユニセフ

3.警察よりどりみどり逮捕力の更なる強化

4.自民党による検閲国家化への着実な進歩

5.キリスト国家からの非難低減(いわば捕鯨中止と同義)

規制すると鬱憤が増えるなんてことは国も分かってると思うんだよね。でも鬱憤が増えれば犯罪も増えるので、警察ノルマ達成しやすくなるんじゃない?つまり国民に「分かりやす犯罪」を起こさせ、それを逮捕することにより、分かりやすく「さすが警察だ」という印象を与えたいんじゃないのかな。国家ぐるみマッチポンプ国民を利用しようとしている。メンツにこだわるという動作原理を考えれば必然だよね。それも4への布石にもなるし。

もうとっくに民主主義理想システムなんて崩壊してて、投票率とか低いし、市民による政府監視機能も弱い。本当の民意が反映されない代議士政治をする状況が続いたら、そりゃあおかしくなっていくのは必然で。芸能人有名人で票あつめし始めて何年たつんだろ?そういった、壊れたシステムを治すことが善人のすることだと思うんだけど、それをせずに壊れたシステム悪用、濫用してやりたいほうだいやってるよね。

本来、「独裁ってダメじゃね?なんとかならね?」っていう大きな目的があって、手段として民主主義というシステムができて、でもそれが壊れてきたなら、もう一度目的に立ち返って手段とシステムを作り直すのが人道だと思うのだけども。それをせずに壊れて正常に機能していない古いシステムを使い続けるというのは罪だよ。憲法にそんな条項ないと思うけどさ。

国民監視が緩いことをいい事に、目立たないようにコソコソ法案を通したり、他のおおごとで目くらまししている間に通したりさ。やりたい放題。システムの濫用です。まあ、そういう悪事がなるべく減らせるような仕組みもシステムの中にはあるのだけども、その抜け穴。逆にいうと、今の自民党がだしているディストピア案みたいな(あとその第一段階である児ポ単純所持違法化とか)悪意全開のやり口を今まで実行に移さない、ほどほどにしかシステムの濫用をしてこなかっただけ日本政党もお人好しだってことなのかも?まあそういう問題じゃないんだけどもさ。

誰が悪いかというと、「政府監視してない人」が悪いことになるんじゃないのかなあ。監視があってバランスとって成立するシステムなのに、その監視側の人間監視放棄したことが発端なのだから監視し続けることを後世も継続できるように教育してこなかったことも悪い。マスコミに流されて浮動票があちこち行くような「軽い票」が増えてしまったことも悪い。投票システムも本来の通りに機能してないのなら、これももっと早く直さなければならなかった。

民主主義日本にやってきたころは国民政府関係もっと険悪だったんじゃないの?そのとき既存システムを変えざるを得ないほどなのだから。険悪なのはいい事で、国民による政府監視がちゃんと働く原動力になる。ところが今は票あつめパンダとか印象作りとかでどこもフレンドリーになってしまった。だから険悪でなく安心信頼になってしまった。だから監視せず丸投げになっているんじゃないの?そんで、ちゃんと監視してないか政党国民から自由を奪って行こうとしてる。とても危険な状態だと思うけど、そんなに危機感を感じてる人は少ない感じ?すごいヤバイんだけど。

自分は「監視機能が働いていないから悪い方向に向かっている」と見ているけど、実はちゃんと機能してたりするの?すると国民は望んで自由を放棄することを選択したってことになるけども。

2012年12月選挙は票が分散したので、固定票が多かったか政権とった政党って、それは本当に国民の意思を反映する代議士として適当なの?でもいまのシステムではそういうことになるね。仮にそうでないとしても、そういう事になってしまうね。いまの投票システムでは。憲法を変える時は国民投票があるらしいけど、それも今の国民投票に対する意識だと期待できないでしょう。人気あるパンダマスコミに「憲法を変えよう」と言わせればいいのだから。あ、マスコミ憲法改正反対だっけか?

http://anond.hatelabo.jp/20130609212740

2013-06-05

コミュニケーション能力の差ができるきっか

今日子ども保育園に送って行って思ったんだけど、容姿可愛い・体が大きいとかなにかい意味で特徴がある子どもって、他人から声かけられることが必然と多くなる。

その結果、いろいろな人とコミュニケーションを取るためその能力が養われてるのだと思った。自分の子もそうなんだけど、並以下の子はそういう機会がその子ら比べて少ないため残念ながら差が開いていく。さてどうしたものか。

http://anond.hatelabo.jp/20130605090758

あれは、間違いなのか?だとしても、(ネタをマジメに考えるネタとして扱えば)

1度や2度ならともかく、3度目以後は、しずかちゃんのお風呂への転送を禁止する予防装置というか安全装置を付けない、どこでもドア機能に問題が有るだろ。発売中止にすべき。

しかしたら、未来では、お風呂場などには、どこでもドア転送を阻止する装置が付いているのかもしれない。(犯罪に使われないために)

だとしたら、そういうものを用意しなかった段階で

 

未必の故意が成立するので、現在法律でも犯罪に問えるだろ。

たぶん、何百回レベルでやってるはずで、さすがに、何百回もやって偶然は通じない(w もはや偶然ではない必然である(まぁ、そうなんだけど・・・というお笑いネタで)

2013-06-03

「楽しさだけ教えて下さい」

幼少の頃から始めないと中々モノにならない楽器の代表と言えばピアノヴァイオリン

他にはチェロとかクラシックギターとかだろうか。


それで実際レッスンを始めるにあたって、最初指導方針について、指導者と親が色々話をする流れになるのだが、ここで


技術とかそんなやらせなくていいんで、楽しいことだけ教えて下さい」


指導者に依頼する親が必ずいる。

これ、親が楽器素人からお願いするのではなく、むしろアマとしてそれなりに音楽を嗜んでいたり、場合によっては親もプロ音楽家だったりするのだから驚いてしまう。

なんとも無理難題というか。


なぜなら、楽器というのは弾けるようにならないと楽しくならないので、どうしたってそれなりの修練は必要なわけで。

ましてやピアノヴァイオリンのように、昔から演奏法が開拓され尽くし、洗練されまくってきた楽器は、誰でも知っているような名曲演奏に要求される技術水準だって必然的に高くなる。

もちろん指導者はそういう事情を熟知しているので、親の無茶な要求のため、指導内容に非常に苦しむハメになる。

苦しむだけならまだしも、後で「子供がどうしてもプロを目指すというので、今後はプロ育成の指導に切り替えてもらえないか」と言ってくることさえあるのだ。

指導者からしたら「だったらもっと色々技術を教えていたのに、今更そんなん言われても知らねーよ」となり、めでたく破門というケースも。


子供が成人するまでは、子供人生責任が親にあるのは明白なので、これはもう完全に親が子供スポイルしたケースだろう。

なまじ音楽を知っているなら、「楽しいことだけ」なんて虫のいい話あるわけ無いし、そういう無理な望みがどういう結果をもたらすかだって分かりそうなものだと思うのだが。

SEOが次にどうなっていくか

SEOが次にどうなっていくのかを考えてみた。

社内でSEOについて話しても

あれはスパムだそれはスパムだこれもスパム

リンク作れリンク作れ安くて上がるリンク作れ

順位上がればペナルティきてもいいか

けどペナルティきたら何でそんなスパムやったんだ責任取れよ。

この繰り返しなので話が進まない。

ここ1年の間で大きく話題になったペンギンアップデート

ビックデータを扱う時に行うデータクレンジングを強化してスキーム化したものだと思ってる。

こんなのをいちいち手作業を基本としてやってたらコスト無限大なので

ペンギンかい名前で一括処理。

パンダアップデートはほんとどうても良くてこんなの対処できないウェブマスターとか

中規模以上のシステム担当者チェンジしてもらったほうが世のためになる。

このレベルウェブマスター適当なこと吹き込んで状況を悪化させる

ホワイトハットSEO業者も同列。

で、次にどうなっていくかを考えると

リアルタイムレコメンドの性質が強化されそう。パーソナライズとは関係ない。

いまの検索結果はキーワードに対するレコメンド

これにセマンティック強化の流れがかみ合うと

リアルタイムキーワード意味合いを解釈して

それに対する結果もリアルタイムレコメンドされると思う。

パーソナライズ広告で使われまくってるのを見ていて

それが検索結果にも同じく入ってくるのかと考えると

そんな顧客満足度を下げるような事はしない。

ここから具体的にSEOとして何をして行くのか。

まずGoogle定義した仕様の通りにサイトを作ること。W3CじゃなくてGoogle

Google解釈できるサイトになっている事が基本、

これは仕様を読んで実装できるスキルがある人ならできる。

次にデータクレンジングトレンドリアルタイムに把握すること。

ようするにペンギンにやられないように先手を打つこと。

これにはバックリンク解析が必要になってくる。

10とか20とかじゃ意味がなく、統計で使うので母数に最低1000は欲しい。

この母数となるのは怪しげなSEOをやっているサイト

母数として利用で出来るサイト抽出するのにさら10倍以上のサイト数が必要

これを実現できるのはデータマイニングできるスキルがある人。

技術に理解のない会社データマイニングエクセルでやりたがるけど、無謀。

次にリアルタイムレコメンドに表示されるように仕向けるために

何が必要になってくるのか、ここが分からない。

どんなにサイトホワイトハットで言う所のクリーンな状態にしたって

検索結果の上位には表示されない。

キーワード解釈され方の傾向を掴むのは統計じゃ出来ないのは必然

SEOパイが決まっている中での席取りゲーム

どの状態であればGoogleから好意的に解釈されるかを意思決定するAIの出番なんだろうか?

検索結果は過去の1面を切り抜いたものなので、

先読みして何かする部類のものはないと思ってる。

過去投影される自身をどのように操作するか。

リアルタイムインデックス更新されるようになって

ペンギンパンダ適用されてから

地球教みたいなホワイトハット集団が出始めたり

ツールベンダーが多数出てきたり。

SEOはすごく面白くなった。

2013-06-01

頭の悪いキモオタに生きる価値はない

単に頭悪くて人生けが込んでて自分存在する意味あやふやになってるやつは

たとえそれが社会的ネガティブものでもいいから、なんらかの自己規定を求めるもんなんだよ

 

ポルノって結局本質的には同じことの焼き直しだから

使う側から言えば消耗品、作る側から言えばいか小手先で目新しさを演出するかの勝負

からオナニーばっかしてるやつは

必然的にどんどん(表面的に)過激なほうへ、社会的タブー感が残ってる方へ

少しでも新鮮味のあるズリネタ求めて流れていく

 

 

メンヘル小娘がやれうつ病だのボーダーだのアダルトチルドレンだの「病名」自慢したがるように

俺ってロリコンだぜー。陵辱エロゲ愛好者だぜー。学生時代いじめられて心が折れたからこうなったんだぜー

スゲーだろーふきんしんだろー、っていいたいんだよなキモオタ

ガチ気違いとか異常者の深刻さはない、ただの甘えだって本当は自分でもわかってるところまでそっくり

 

母子相姦モノのAVたからって母ちゃんを狙ってるとは限らないように

お前らがロリコンポルノを好むのも消費行動上の選択に過ぎないんだよね

とくにオタクってのはもともとそういうたかが買い物チョイスにすぎないことを

自分アイデンティティみたいにいいたがるもの

 

お前らは「変態」などではなく、ただの負け犬にすぎない

空虚人生時間を埋めるために惰性でオナニーばっかしてるから

すこしでも表面的にタブー感のある商品を探して流れていってるだけ

そしてそういう消費行動を通してしか社会とつながれない視線でもって

そこらを歩いてるガキを眺めて退屈を紛らわしてるだけ

現実の女に失望たからとかじゃなく、最初から最後までたったひとりで、使えそうなズリネタを物色してるだけ

キモオタ人生というのは、女だの社会の風潮だの硬直した良識だのとの闘いなんかではない

それはただ死ぬまで続く孤独空虚時間にすぎない

そしてそこには敵対するにせよ協働するにせよ他者との関係というものがない

ただ退屈なオナニーがあるだけなんだ。本当はお前らが一番よくわかってるよな

 

 

童貞妄想力だけはすごい、とかいうけど

中高生ならともかく、童貞おじさんの妄想なんて

AVエロ漫画ステレオタイプ記号イメージ並べ替えなんだよね

実体験という土壌を持たず、限られたリソースしかアクセスできない

キモオタイマジネーションは加齢につれてどんどん枯れ果てていく

それでもキモオタ人生には妄想しかすがるものがないので、

なんとか自分(のちんぽ)を奮い立たせなくてはならない

からせめて「フツー」のAVとかより世人が眉をひそめそうなモノにとびついて自己暗示をかけなきゃならない

これはすげえエロいものなんだ、俺はまだまだ飽きちゃいないんだと

 

なあ?

 

 

たいがいのキモオタガチ小児性愛者じゃないし、

自分たちで自嘲的に言ってるような変態でもない。ただの暗くて孤独で暇な人にすぎない

 

ただしかし、子供リュックにつめてお持ち帰りしようとする一部のキモオタ

他の単なる辛気臭い能無しどもと本質的に違うとも言い切れない

 

連中(誘拐犯)もまたガチの変質者というより

自分の貧しいおつむで思いついた範囲の「タブー侵犯」をやってみたのだろう

やっちゃいけないことだからやりました、という裏返しの常識奴隷というわけだ

 

 

結局、馬鹿なのが悪いんだよ。モテないのどうの、

ロリコンがどうの以前に知恵が足りないやつは時として危険だというだけのことだ

 

http://anond.hatelabo.jp/20130531162958

http://anond.hatelabo.jp/20130504192147

2013-05-29

http://anond.hatelabo.jp/20130529224629

あのさー

ただ、それもどうかなぁと思いつつ、エロマンガ家の職業倫理として、

書く以上は正確な性器を描写すべきだと思っていて、

となると必然的に医学書もしくは児童ポルノを所持せざるをえないよな、と。

エロマンガ家を犯罪者にしたいのね。

職業倫理とか矜持とか、かっこいい言葉を持ち出して。

ずるい。

http://anond.hatelabo.jp/20130529215249

そもそも修正が入らない=描いてないならわかるんだけど、

消されるものを敢えて描いてるなら、根拠もない想像で描いてるんじゃないってマンガ家の矜恃を見せてほしいんだけど。。。

http://anond.hatelabo.jp/20130529214241

児童ポルノを参考にしてマンガを描くかもしれないから、マンガ規制しよう。

マンガ規制しよう、までは言ってない。

「気持ち悪いか規制してもいいよ」ってのが行間から滲み出てたらサーセンぶっちゃけそう思ってるw

ただ、それもどうかなぁと思いつつ、エロマンガ家の職業倫理として、

書く以上は正確な性器を描写すべきだと思っていて、

となると必然的に医学書もしくは児童ポルノを所持せざるをえないよな、と。

LSDやらドラッグの体験記書いたライターがいたとして、

やったのは合法な外国でも、

日本に住んでたらいつ家宅捜索されてもしょうがないよね、的なことをいいたいのかも。

ドラッグと違って児童ポルノ被害者がいるわけだから

ドラッグよりもう一歩踏み込まれてもしかたないだろなと思ってしまう。

2013-05-25

何で親より早く死んだらいけないのだろう

自分結構いい年になるが、

親より早く死んだらいけないという考えがイマイチよくわからない。

もし就職転職が上手くいかなくて、お金がなくなったら

死ぬしかないのではないのか。

友人がいない人間からしたら、必然的に親に頼ることになる。

そんな子供いらないのではないだろうか。

第一そこまでして生きたいエネルギーがない。

お金保険金が入るし。

まり子供に興味がなさそうだし。

自分おかしいのかな。

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