はてなキーワード: 主犯とは
田舎の、保育園~中学までさほど面子の変わらないような狭いコミュニティ。
同じ地域に私含め4人の女子がいたが、私だけ登下校の際にハブられていた。
校内でも同じグループだったのに、いつの間にか私だけ除け者にされていた。
主犯のM子はあらゆる年代のコミュニティで私を除け者にするという行動をとった。
私をグループに誘っては、あとから除け者にして楽しそうにしていた。大人になった今でもM子の事は許していない。
大学の時に付き合っていた彼氏の携帯から女の声で電話がかかってきた。
どうやら付き合っていると思っていたのは私だけだったらしく、彼女だと自称する女にめちゃくちゃ罵られた。
社会人になってから、同棲していた彼氏に振られた直後、妊娠何ヶ月だかという女と結婚したと知らされた。他にも何故か分からんが何度か浮気をされてすぐ気がついてしまった故に有耶無耶にされたり振られたり振ったりした。
今日は友達数人とカフェに行った先で、彼氏(昔付き合っていた人だったが)がほかの女とイチャついているのを見てしまい、心臓バクバクで席に戻るとそこにはM子ほか当時のグループメンバーがおり、私の席はなかった。彼女達はニヤニヤしていた。
先日は現在付き合っている彼氏に「お前は遊び、本命がいる」と罵詈雑言つきで言われ、私とは正反対のタイプの女子と手を繋ぎ去っていく夢をみた。
起きたら隣に彼氏がいて、手を繋いだまま寝ていたけれど寝汗は酷いし、フラッシュバック的な恐怖が湧いてきて、声を殺して泣いた。
こんな感じで、いじめ(除け者にされる)や浮気の夢をこの10日間で4-5回は見ている。
夢をみていない、覚えていない日があったとしても約半分はトラウマ経由の悪夢。
別にいま誰かに除け者にされている訳では無いし、彼氏はほぼ毎日会っているので浮気していないと思うがなぜ今更こんな夢をみるのか分からない。
少なくとも最後に浮気されたのは3年前だし、除け者にされていたのなんて小中の話だ。
またいやな夢を見るのが怖い。
刑事事件としては取り扱われないらしい
憤りつつ判決文を読んだのだけど
両親の別居に伴う家庭崩壊、親からの体罰や否定、本人の発達障害、祖父母との不和……
このうえ、学校側のいじめの隠蔽が重なったかと思うと、あまりに救いがなく
その他にも最近だと
21歳になる頃、加害者は世に出てくるのか
この小さな女の子は、きっといま、自分がどれだけ深く、どんな風に傷ついているかも分からないくらい傷ついた状態にいるんじゃないだろうか
この子が、平穏に近いものを取り戻すのには、とても長い時間を必要とするだろうに
これでも、このやるせない腹の立つ判決でも…
なぜ未だに他の事件と扱いが違うのか
失われた命に対しての敬意はないのか…
悲しいニュースをみると
どうにかならないのかと事件や問題について、深く調べようと思う
すると悲しい事実を深掘りすることになって
人間の悲しさを前に、可哀想で不運なひとを前に、涙がでて心が止まってしまう
落ち込んでいると
自分にはどうにもできないことだと、
割り切れ、と人からは言われる
でもみんなが無関心になったらどうなるんだろう?
それが正しいんだろう
そうなの?
悲しい 無力だ
その一報を父から聞いて胸中に去来したのは、幼き日の思い出ではなく、むしろ長じてから度々意識した故郷の衰退のイメージだった。
元より地場産業として誇れるものが取り立ててあったわけではない地元は、緩やかだが確実な経済的衰退と人口減少の影響を受け、公共施設の老朽化や各種インフラの経年劣化という形で自治体としてのほうれい線を隠す術を失っていった。
それでも、いや、それゆえに明確な転換点などなく、ただゆっくりとした老化から鈍感なふりをし続けた首長、自治体、そして何より住民が半ば共犯のように地元の腐敗と死滅とを看過していった。
だからこそ、いまさら太陽光発電などで延命を図ろうとする醜さにほとほと嫌気が差した、その実感があった。
それでも友人の結婚式に出席するために数年ぶりに帰省してみると、どうも聞いていた状況と乖離があったために改めて確認を取ったところ、どうやらこの度設置が決まったのはソーラーパネルではなく、例の宇宙太陽光発電の受電設備ということらしかった。
年齢を重ねたが故に知識と語彙の更新をやめた父をいまさら責める気も起きず、数か月前にニュースサイトで多少話題になっていたトピックに思いを馳せることで2次会の無聊を慰めていた。
令和4n-21年に決定された第n次エネルギー基本計画では、ついに原子力発電の占める発電電力量の占める割合が0%になった。
平成の震災とそれに連なる事故以降窮地に立たされていた原子力産業はついに時勢に降参し、明るい未来のエネルギーから歴史の教科書上の記述となることを選んだ、という建前を本気にしている奴は少々イデオロギーに傾倒しすぎているきらいがある。
現実は、国内ソーラーパネルメーカーの開発した、そこまで安価とは言えないまでもそこそこ効率改善の図られた新型パネルを推したい産業界が、細々と開発を続けていた国産ロケットのペイロードの使い途を探していた経産文科省に仮託した、おままごとのような科学技術的国威発揚の煽りを受けた全廃、と言ったところだ。
どこまで行っても消極的な退場に、却って日本という国を感じざるを得ず、左派メディアのこじんまりとした勝利宣言にわざわざ難癖を付ける余力もなかったと見え、平成後期から令和初頭に掛けてあれほど紙面を賑わした役者とは思えぬほど粛々としたレームダック期を享受していた。
実際、人々とメディアの関心は、中国による、気前の良い提供と、経済協力を人質に取った押し付けの中間の様な形で供与された受精卵遺伝子改変技術をどれだけ受け入れるかという議論にあった。
(科学技術という側面において現代日本が中国に対して如何にサブジェクト・トゥしているか、という話だ。宇宙太陽光発電所はさながらパクス・シニカに立ち向かうドン・キホーテのようだ、と明に暗に揶揄された。)
日米原子力協定の次回更新がないことは誰の目に見ても明らかであり、山のように余っているMOX燃料の行き先はIAEAも知らないようだった。
そんなことだから、中間貯蔵施設という名目の、事実上の最終処分場たる六ヶ所にすべてを押し付け、政府と行政と大多数の国民はNIMBYの精神を遺憾なく発揮することで各々の精神の安寧を獲得していった。
とにかく、ことの主犯たる国産宇宙太陽光発電所は「ひかり」という、加齢臭むせ返る横文字の候補群からはなんとか逃げ果せた通称を拝命し、20GWもの大電力を供給し始め、東京万博会場の灯りが一斉に点った日をもってひとまずのプロジェクト成功と見る向きもあった。
(日本による宇宙開発の数少ない世界的成功に肖って「はやぶさ」なんてネーミングを推す動きもあったが、流石にこの国にも一抹ながら恥の概念は残っていたらしい。また、「まりし」などという旧動燃の残留思念、いや怨念が具現化したかのような案も提出されていたもと聞くが、真偽の程は定かではない。)
実際、こんな大規模プロジェクトを実行する能力とエネルギーをこの国がいまだに持っていたことに驚いた。
ただ、ひかりから降り注ぐ高密度のマイクロ波を分散して受電する設備、すなわち受電所の立地が不足していると言う問題は依然として解決の目を見ていなかった。
安全よりも安心を求める国民性に変わりはなく(「焼き鳥デモ」の映像を見たときは流石に乾いた笑いしか出なかった)、電源交付金も雀の涙と来れば宜なるかな、積極的に手を挙げるごく少数の自治体は奇異の目で見られた。
とはいえ、大流量の循環水系のために沿岸部であることが求められる汽力発電でもなく、大規模な河川と高低差が求められる水力発電でもなく、只広い土地さえあれば良いというだけの必要十分条件は今まで大規模電源立地となることなど考えもしなかった自治体の目には福音として映ったらしく、それらの首長は新たな時代の権益ホルダーとなることを選んでいった。
反対に、新規制基準適合審査の遅々とした進展と繰り返される住民訴訟、そして最終的な結論としての廃炉の影響をもろに受けた原子力立地の反応はさっぱりであり、政治の影響をもろに受ける歳入に頭を悩ませられるエネルギー立地はもう懲り懲りと言った風情で、役人の誘いをアイリスアウトの向こう側に押しやっていた。
結局、ひかりの設計容量のすべてを受電するに必要な30GW分の受電所を運開当初から用意することを諦め、漸次募集という名の先送りを決定した政府は経産文科省を矢面に立たせることを選び、自らは飄々としていたというのだから大したものだ。
結局、運開から5年が経過した段階でもひかりの擁する200k㎡に及ぶパネルの3分の1は折り畳まれたままであり、白衣十人黒衣五人などと不必要な比喩を披露した大臣はメディアの総バッシングを浴びる権利を恣にしていた。
そうした、古式ゆかしい伝統的な時勢の中で、2次立地募集に手を挙げた自治体の内の1つが、我が郷里だったのである。
「親父が色々動き回ってたみたいなんだけど、さ。正直言うと、あんま関わりたくないなってのがあって」
私の友人であり本日の助演男優、またの名を新郎が、半分ほど空けたアサヒビールのジョッキをテーブルに慎重に据えながら、疲労を隠さぬ赤ら顔で言う。
彼の父親は町議を務めており、「太郎」というシンプルすぎる名前も出馬を見越して付けた名前だと言っていた。
(国政選挙に出るわけでもないのにな、とは彼の自嘲だ。)
その親父さんはどうやらこの度の誘致に際し懸命に旗を振っていたという。
しかし、僅かばかりとは言え受け取る交付金と、"多少の"造成による環境破壊と、電源立地になるという誇り(この価値観だけは共有が出来なさそうだ)と、それら3つをとりまく可愛らしい権力闘争の予感に、父親の説得と説教とに玉虫色の回答を重ねることでのらりくらりと回答の明言を避けてきたのだという。
彼のこの手の身のこなしは素直に凄いと思うし、そうした人付き合いに嫌気が差していた、というのは私の上京に係る動機の半分を占める。
「でもお前、今更そんなこと訊いてくるだなんて、本当にここの人間じゃなくなっちまったんだな」
この地でこの話題が取り沙汰され始めたのは軽く2年以上は前だという。
誘致か否かで侃侃諤諤の論争があり、どこに建てるかでまた侃々諤々の論争があり、さらに用地買収に係るあれやこれやのトラブルがあり、それでも最終決定がなされたのがひと月前というのだから、どれほど地元の世情に疎くなっているかを実感させられる。
あるいは、上京して好き放題やっている(ように見える)私に対する軽蔑と嫉妬の念が多少なりとも混じっていたのかも知れない。
なるほど、確かに私には家庭もなく、親族との濃密な付き合いもなく、仕事周りの土地付き合いもなく、自由気ままにやっていると言われても反論する材料がないことに気づく。
であるなら、こんな日くらい友人の愚痴と誹りを受ける義務も果たすべきだろう。
そう思って、コークハイを傍らに、言葉少なに彼の言葉に相槌を打つことに決める。
まったく、本当に大変な役回りだと思う。
返す返す、自分には出来る気がしない。
翌朝、久々に実家の自室で目を覚ますと(物置と化していなかったことに驚いた、こうした面に関する母の義理堅さには感謝しても仕切れない)、やはり気になっていた裏山に足を伸ばした。
アルコールが多少残ってはいたが、丁度良い運動だと体に言い聞かせて路を辿っていく。
子供の時から変わらない、というのはフィクションの中にだけ許される情景で、長らく人の手が入っていないことを伺わせる荒れ様には流石に心のどこかが痛んだ。
…いや、いや。
よそ者同然と化したお前が捨て犬に見せるような仏心を発揮して碌なことになるのか?
もはや何も言う権利などないことに遅ればせながら気付き、せめて在りし日の遊び場の記憶が損なわれぬよう、路の途中で踵を返した。
もう2度と見れぬであろう山の景色を視界から追いやり、そういえば客先から急ぎの問い合わせを受けていたな、などと頭からも追いやり、足早に帰路に就いた。
帰路。
実家への帰路か、東京への帰路か、自問せずとも回答は明白だった。
思い出深き裏山は、もはや私の裏庭ではない。
https://anond.hatelabo.jp/20201109184717
という文章を書いて400件近くブクマがついたので、それを読んで(読ませてもらって)思ったこと、考えたことについて、以下のとおり書いておく。
もはや、ほぼ愛知県知事リコール署名とは関係のない話になるので、あくまで俺個人の整理のための記述になる。
…
高須院長とその界隈を高みから見物しているつもりで、本当はこの騒動に食い気味にのめり込んじゃって、一番おかしいのはお前だろ、というブコメがいくつかあって、これは実際にその可能性がある。
俺は文中で自身の正気をちゃんと相対化できているつもりだったし、最後も、(俺にとってはもっとも合理的な理解である)愛知県知事リコールにおいては高須院長もその取り巻きも半笑いであって、仮に全てがおちゃらけに過ぎないのなら、頭から湯気立てて正気を失ってるのは俺だけだな、と書いたつもりだった。だから、お前も頭おかしいぞ、と言われれば、「だから自分でそう言ってんじゃん」という気はする。
ただ、「俺はてめえの頭がおかしくなってる自覚があるからつまり狂ってねえ!」というのは当然、矛盾している。
俺は自分のどうかしている具合について認識が甘すぎるんだろう。以前、何かの増田についたブコメで「この増田は自身の頭がおかしいことを自認しているが、おそらく増田自身が思ってるのとは違うかたちでおかしいんだと思う」というのがあって言い得て妙だな、と思った経験があるが、なんていうか、それに近いのかもしれない。
…
・お前は醜怪だ、という話
上の、俺の頭がどうかしているというブコメと似て非なるというか、印象的だったものがあった。
最初に反論しておくと、俺は誰かが真面目だったり熱心であることを理由に、おちょくられるのを無条件に免れるべきではないと思っている。
別に俺も、真面目かつ誠実に世のことを思っている人間に対して辻斬りのように悪意を浴びせるほど邪悪じゃない(とは思っている)。ただ、今回の高須院長の、86万筆という当初の目的に明らかに届かないにも関わらず、いかにも肉薄しているという空気を醸成しようとしたこと、結果として集まった43万筆の中身にも疑義がついているのにその検証を言下に否定したこと、署名活動中にリコール反対派を犯罪者呼ばわりしながら届けた工作活動の進捗を説明しないこと、ははっきり言って不誠実だし、リコールという制度を悪質にショー化する行為であって、それはおちょくられても仕方ねえよな、とは思っている。
で、ここからが少し複雑な話になる。
俺は、相手の悪口を書いたり、内容に虚偽を含めたりしない限り、不誠実で悪質な言動について相手を直接、ネット上でやり込めようとすることは許されると思っている(この考え方は本当に俺の異常性を吐露しているのかもしれない。「不誠実」で「悪質」を、ちゃんと主観を除外して判断できるつもりの上、攻撃のトリガーまで引くんだから)。今回の俺のリプライは、表面上は高須院長の味方にしか見えないものなので、(あくまで俺の中の)基準を満たしている。
一方で、俺は自分がほぼ悪意で行動していることを自覚している。義憤ではなく、私的かつ単純に「気に入らない」という感情にドライブをかけられていて、まともな人間はこんなことをそんなにしない。
つまり、高須院長の言動は真っ当な市民感覚によって非難されるべきだと思うけど、俺が従っているのはそういう倫理観ではまったくないし、取っているアクションもネジクレている。
お前は醜怪だ、という指摘はその点でこたえるものがあった。
…
・俺がtwitterで捨て垢を使ってリプライを送った / 先の増田はtwitterで当該のリプライを目にしたまったく別の第三者によって書かれた、という話
皮肉ではなく、おもしれえな、と思った。
この人たちには、本垢で有名人をおちょくったり、そのことを武勇伝めかして増田で書くことは想像を絶しているらしい。どちらが真っ当な感覚かはわからないが、この人たちの方がまともな気もする。
異常でわけのわからない行為を合理的に説明しようとすると、かえって、実態と異なる推論がはじき出されてしまうということで、これは頭を働かせている側がいけないのではなく、そもそも現実に起きていることがのっけからおかしいので、そうならざるを得ない。
おもしれえな、というのは、まるで、先の増田で高須院長たちの行動を理解しようとした俺自身のようだったからだ。つまり、「まったく事実に反した異様なツイートに大量の支持が集まるって、俺の理解できる世界を完全に超えている。もしかして、院長もその支持者も、全然本気でやってなくてふざけてやってんじゃねえのか?」。こんな俺の考えも、見当違いの方向にぶっ飛んだ推測なのかもしれないな、とあらためて思った。
…
・今回のリコール運動の中にもいろんな思惑があるよ / 個人の中にもマジの部分と半笑いの部分や時期があるよ、という話
言ってることはわかるんだけど、俺としては以下の1~4のどれかで断言してくれた意見の方が面白かった。
お前が面白いとかどうとか知らねえよ、という感じだと思うが、そう感じた理由はあとで書く。
…
・1~4の話
2. 院長はマジだが取り巻きは半笑い、という70過ぎのジイサンを見世物にした構図
ブコメを見ると、1, 4にそれなりに割れて、2、3がちょいちょい、というように見受けられる。
俺はこれが本当に面白くて、おそらくはこれまでの印象や知識によって、あの運動が各人で全然違う見え方をしていることがわかった(もちろん先の増田にブコメをつけた人々の意見なので、世間全体ではまた違うんだろう)。
俺が1ではなく2~4を選ぶのは、あるブクマカが仰っていたハンロンのかみそり(愚かさで説明できることを悪意で解釈してはいけない)が、この場合機能するのかな? という疑念があるからで、俺にとっては悪意や冷笑のために時間と労力を割いて敵方を嘲弄することはちゃんと合理的な行為だからだ。
こうして考えると、人間は自分をモデルにしてしか他者の行動を推論できないことがよくわかる。実際は1の可能性も十分あるだろうと思う。
あと、4の中にも高須院長と取り巻きが共犯ってパターンと、院長と取り巻きの意志共有はされていなくて、結果として4が形成されてるだけってパターンがある、と指摘している方もいて、なるほど、と思った。
いずれにしても、1~4のいずれかが今回の運動のメイン層であり、グラデーションはあっても、あるいは個人内でスタンスのうつろいはあっても、コアになる部分があると思う。
俺が「色んなやつがいるよ」的な解釈にあまり乗れないのは、「巨大な運動の内部に様々な思惑があるって、そりゃそうだろうな」っていう一般論でしかないのであんまり面白くないからだが、(ここから少し大仰な話になるので、狂人に訳知り顔されるのが不快な方はすみません)、もう一つ理由がある。
ブコメを読んで色んな見方があることがわかって、その中には「◯◯に決まってるじゃん」と断言するものもあって、正直言ってこれは便利だな、と俺は思った。
これってつまり、一つの現象をめぐる解釈について、どれだけいい加減な放言を言い散らしても、誰かしらは味方してくれるし、耳を貸すということじゃんな?
もしどこかの世界線で、俺が今と同じくらい世に倦んでいて、今と比べ物にならないくらいもっと金持ちで頭が良かったら、「××について、正解は1~4のうちどれでしょう?」の中で、自分にとって一番得で、自分の憎悪で人がたくさん泡を吹いて苦しんで、みんなができるだけ不幸になる答えについて、それを信じてくれる人たちに頑張って吹き込むのにな、と割とマジで思った。
そういう悪意に対抗するには、どれもが正解に見えるうちのもっとも核心に近いものを常に求めるぐらいが関の山でほかにどうしようもなく、「色んなやつがいるよ」は答えとして絶対間違えようがない一方で、悪意の味方になり得て助かるかもな、と思うので、あんまり好きな回答じゃないな、と思った。
言い換えると、これ! という正解を常に抱えながら、科学的な証拠があれば別の正解に賛同できる柔軟性が市民には必要だ、ということになり、皆さんにはこれができるだろうか。ちなみに俺自身は絶対にできないと思う。
…
・オウムの話
「ふざけきってるようであいつらはマジだぞ」という1を選んだ人の中に、オウムとの相似を見た人もいて、そういう見方もあるのか、と思った。なんとなく村上春樹の『アンダーグラウンド1・2』を思い出した。
ウヨの考えてることなんてわかるわけねーだろ、というブコメもあって、俺もまあ先の増田で高須院長の取り巻きのことを途方もないアホか、(俺と同じ)悪意の塊かの二択の後者寄りでとらえてるので、いさめる気も権利もないんだけど、仮にあいつらがマジなら、誰かが高須院長の取り巻きたちの話をマジメに聞いてやったほうがいいのだろうか、とも思った。これは、『ボウリング・フォー・コロンバイン』でマリリン・マンソンが学校銃撃事件の主犯だった少年たちに向けた言葉から思いついたんだけど(「黙ってあいつらの言いたいことを聞いてやる。誰もそれをしなかった」)。だけども、俺には無理だ。理解できないやつとも、俺と同じくらい醜いやつとも話す気力も知性もない。善良で体力のある人に頑張って欲しい。
なお、理解の及ばない排他的な方向に加熱している、という意味でのカルトや『ボウリング・フォー・コロンバイン』の例えであって、暴力予備軍とみなしているわけではないことは言い添えておく。
…
・ポコチンの皮の話
バカバカしいことだが、俺は先の増田を書くにあたって、高須クリニックで包茎手術をやっていることを確認していた。
https://www.takasu.co.jp/danseiki/
俺がお詫びしなければならないのは、他人の生業を揶揄するような文章を書いてしまったことだ。これは本当に俺の想像力が欠如していた。高須氏にも美容整形に携わる方々にもお詫びいたします。申し訳ありませんでした。
今回の炎上はいろいろな要素が絡み合って複雑になっているが、単純な見方としては「企業が公開したイラストに性的な表現のものがあった」というものだろう。これはアツギが謝罪文でもそう述べている。
またこの謝罪文においてイラストレーターを庇う一面もある。ネットでもイラストレーターを擁護する声は多い。
が、それでいいの? と思う。
仮にもプロでイラストを描いている人間だったら、この企画の危うさは想像ができたはずだ。「スカートを持ち上げる」とか「きわどい角度のアングル」だとか、そんなヤバい物件を持ちかけられても、まともな感覚があれば普通は断るなりなんなりする。断れないような圧力でもあったなら話は別だけど、承諾した時点で共犯者でしょ。
オレオレ詐欺の主犯が「出し子は我々の指示に従っただけで、一切非はない」と言っても通じないのと同じ理屈だと思うが。
むろん「作者が女性だから」や「女性からも支持されてるから」で無罪が通れば、アダルト規制の概念が壊れてしまうのも理解できるよね?
はっきり言ってイラストレーターを擁護するのは無理筋だと思う。
どれだけお気に入りのイラストレーターであろうと、悪いものは悪いと言うべきだ。
言えない理由があるとしたら、それは自分の既得権益が損なわれる恐れがあるからじゃないの? これからも絵師様には自分たちにハアハアできる絵をTwitterに投稿してほしいっていう下心があるからじゃないの? と。
というか、SNSは昔からこういった受け手の下心と送り手の承認欲求が渦巻く空間だった。それはどんどん大きなうねりになっていって経済とも結びついた時点で、人間の視界では収まりきらない規模にまで膨れ上がった。でも、それによって倫理観はますますブッ飛んでいった。
とりわけTwitterのエロ汚染は酷い。無法地帯だ。数人でもおたく系のアカウントをフォローすれば、タイムラインは24時間常時発情し続ける。
歯止めが利かなくなっていると感じる。イラストレーター擁護もそんな流れにおいては当然のことなんだろう。
これとは別のベクトルで憎しみも歯止めが利かなくなっている。自分はイラストレーターにも非があると言いたいだけで、叩くべきだとは言ってもなければ思ってもいない。そんなこと、すべきじゃない。
図書館行けば小学生向けの本棚にさえ置いてある世界中で読まれてるスパイの図鑑「新訳スパイ・ブック」の中で、IBM産業スパイ事件の主犯として、顔写真と実名がデカデカと乗ってる
世界中の治安関係者や情報機関の基礎教育で習うほど有名なビッグネームの産業スパイは何を隠そう日本人ITエンジニアだぞ、しかも意識高い系の元祖で勝手に会社のためとか言ってIBMから機密情報パクって防諜のプロのFBIにとっ捕まって泣き顔で連行されるの新聞の一面記事にとられた、増田の元祖みたいな奴
まぁ図書館で借りてみてきてみろって、キム・フィルビーやロバート・ハンセン、ウサマビンラディンとかラムジ・ユセフとか、オクラホマ連邦ビル爆破テロとかの犯人たちみたいな歴史に名が残るレベルの極悪犯罪者の顔写真と並んで実名と顔写真入りで出てるから
https://news.yahoo.co.jp/articles/691c1a793b2911fa8f716cf9fd7cdc7ec7eefce7
普通に消費税増税の時点で日本経済を冷え込ませ、その後のコロナ対策による経済支援を出し渋った結果、現状を招いたと言うのにその主犯がこんな事を言い出している時点で呆れ果てるよね。
どう見ても麻生大臣や政府の失策が主原因であるのにそれを自覚せず、単にコロナだけの問題と思っている事こそ一番の問題だよ。
最もこの時期にレジ袋有料化と言う更なる経済を冷え込ませる策を決まった事と言い、強行している時点でこの人達にそんな自覚すらないだろうけど。
ワンパターンの構図、暗い画面、撮影者(男)の声や身体が混じる不愉快さ、AV女優ほど美人でもない、これらから自分も素人のハメ撮りなんか見て何が面白いんだと思っていたが、究極のプライベートを覗き見ているという悪趣味な一面に気付いて以来、よく見るようになってしまった。
JKぽい制服着た女性が撮影者とする動画で、撮影者の猫なで声がちょっと気持ち悪い。女性は結構な美人でありながら積極的で、カメラに対しても特に嫌悪を示さないところから所謂デリ嬢との行為を撮ったものなのだと思っていた。ある時ふと続きの動画や関連動画がないかと調べてみてやっと、2人は恋人同士であることを知る。その時の感想は「世の中の恋人はこんなAV紛いの行為をしている…だ、と…?」であり、とてもとても哀しい思いをしたのをよく覚えている。
女「いいよそれでも。お金も要らないし」
男「いやそれはちょっと…」
女「寂しさを紛らわせてくれたらいい。気が向いたらお金払って」
男「…………」
ここで何も言わない男はクソだと思ったけど、何を言ったところでやっぱりこの男はクソだなとも思う。しかし恐らくは行為中であることを理由に、編集でカットしなかった点にはプロ意識を感じる。
個人撮影ものには、希に写真(写メっぽいやつ)と動画がセットでzipになっているものがある。写真は全てエロとは必ずしも限らず、普段の日常を映したものも多少混じっていることがある。
これは女性個人の写真だけでなく、付き合ってると思しき男性も一緒に映っているものだった。男は正直、ちょっと小憎らしい顔の小僧だ。こんなもん一緒に入れるなよと思いながらホイールを回していくが予想外に枚数が多い。非エロなんて精々10も無いのが相場のはずが、20、いや30以上もある。遊園地へデートに行った日、変顔でプリクラを撮った日、一緒に花火をした日、初詣に行った日、布団の上でじゃれついてる日、どの写真を見ても、小僧なりに彼女を大切に思っているのが嫌でも伝わってくる。そして気付いたら泣いていた。こんな、ゲームやラノベみたいな恋人たちの日常が現実に存在するなんて知りたくも無かった。このzipを作った奴は一切の選別をせずに固めたのだろう。そしてこのzipを作ることができるのは彼らの近しい関係の誰かなのだろう。悪趣味にも程がある。