はてなキーワード: マシーンとは
教職6年目、生徒を全く愛せない。
愛せないというか、無理。存在が。
たまにはかわいいと思うこともあるし、親身になってあげたいと感じるときもあるけど、ベースが嫌いなんだよな。嫌いのなかで、多少マシなやつとより嫌いなやつに分かれるだけ。
オキニとかいう言葉があるが、思い上がるなよと思う。「生徒」の時点で「お気に入り」なわけないだろ。
もちろん生徒にきちんと愛をもって接している教員もいるんだろうが、すげえな〜としか思えない。自分には無理だ。
だいたい、高卒のために嫌々入学してきて授業も行事もまともにやらない、ていうかそもそも学校に来ない、こっちへの敬意ゼロみたいなやつらに対してどう敬意を払えっていうんだ。向こうがこっちを単位排出マシーンだと思ってるなら、こっちだって向こうをよく喋る給料だと思っててもいいだろ。教員はどんな生徒でも人間として愛さなきゃいけないのか。
もっとマシな学校にいけば少しは違うかもとか思うけど、偏差値50以下なんてどこもこんなんだろうし、上位校なんて僅かだから希望ももてない。
なんで教員になったんだろうな。もっと有意義な仕事だと思ってたよ。小学生レベルの知能のやつらにむりやり高卒資格を与えて世に放って、世間様に申し訳ないよ。
こんな感じでも生徒には好かれてるから、このゴミみてえな感情は伝わってないっぽい。好きな先生ランキングみたいなのに入選したりしてキモいけど、このくらいドライな方が生徒も接しやすいんだろうか。
いっそめちゃくちゃに嫌われたほうが、潔く辞められるのにな。まだどこかで、こいつらに愛着を持てるんじゃないかと期待しちゃってるんだよな。
早く異動して、こんなこと悩まなくていい、進路選択に親身になって寄り添ってあげたいと思える環境にいきたい。人間としての大事なところが年々損なわれていっている気がする。
3.苺以外のほかの果物も同様に
クリエイターが問題視してるのは2,3の部分だと思うがここはクリアされてるのか。
2,3で無許可で盗んでるだけなんじゃないのか、1をやるための労力や製作者に対して敬意がなさすぎねえかということ。
クリエイターだってほかの作家の真似してうまくなるんだろとかいうコメントを見たりするがデジタルにおけるコピペとは性質が違うだろ。
もちろんAIを作った人やどういう操作で生成するかという部分は同じくクリエイティブな部分であるから2,3がクリアされてるならツールとしてどんどん使えばいいと思う。
が、現状学習元は無許可でとってきた盗品だろということが気になってしょうがない。
元は盗品使ってるけど便利だしツールが変化しただけなんだから使えばいいじゃんと言われて簡単に使おうとは思えない。
絵描きはどんどん使えばいいじゃんと言ってる人たちはどう折り合いをつけてるのか聞きたいし
AIやロボットが代わりに仕事をして人間はゆったりする未来はこない。
資本主義は何かを対価にお金をもらう必要があるから、持たざる一般人は労働力を対価にしなければならない。
人間が遊んでいる間に働いてくれるような社会は、社会主義国家のように国家がロボットを管理してベーシックインカムを人間に払うとかになるんだろうか。
ただそれだ人間がコストになってしまうので果たしてそれを選択するかどうか。
資本主義でロボットが働いてくれる社会になると、一部のロボットをたくさん所有している資産家が働かないでも暮らせるだろう。
中間層は頭脳労働が必要な部分で働き、投資としてロボットを所有して、自分の働きとプラスしてロボットの労働力で暮らせていけるだろう。
貧困層はロボットを所有できず、かつ労働力のライバルとしてロボットがいるので、失業率も高そうだ。
高価なロボットが破損すると危険な場所に貧困層の労働力の需要があるかもしれない。命のほうが安いのだ。
そして、中間層は今よりもずっと人口比で少なくなっていると思われる。頭脳労働の難易度が上がっているからだ。AIが大体のホワイトカラーの仕事を奪っているので、大学卒業くらいでは太刀打ちできないのだ。
博士号を持っている専門家レベルで中間層になれる。富裕層はその中でも一握りの人間が運やもともと持っている資本などを駆使してなれる。
ラッダイト運動は起きるだろうが、AIとロボットによる労働力革命は産業革命よりも人間を不要にするので、今いる人間が元のように安全でクリエイティブな仕事にありつけることはない。
大量の貧困層は中央政府には従わない集団を作る。一揆や内乱が増えて中央政府の信頼も落ちていく。
資本家の中でも貧困層を利用して中央政府に反抗的なことを企てる派閥が出てきて、そういった資本家を中心に独立国のようにふるまう領域が発生する。
水や食料も各地で独占していくだろう。それを奪うことも紛争の動機となっていく。
より多く人を殺せるロボットが戦争の中心になる。ロボット同士で戦っていた時代はまだ理性的な時代だった。
未来の戦国時代では、国際的な倫理も崩壊し、各国の中央政府も形骸化している。
法治主義が崩壊し、疲弊した社会により人道主義はなりを潜める。
そして相手の勢力の勢いを挫く方法は相手のロボットを減らすことではない。人間に恐怖を与えることだ。
人口はより急減していく。
旅行の前日夜に羽田空港近辺の宿に泊まるという旅程を取り、その分の「全国旅行支援」のクーポンを2000円分ゲット→その日中に使わないといけないというシチュエーションになった。
時刻はすでに21時を回り、使える店そのものが限られている中、駅ビルのくら寿司が目に留まった。
普段は「どうせ食べるなら」と中堅以上の回転寿司にしか行かないため、客テロ炎上した低価格帯の回転寿司には縁がなかったが、他に選択肢もあまりない中、とにかくお腹いっぱい食べたかったため、くら寿司に足を運んでみることにした。
一席ずつ区切られたカウンター席はただ「寿司を注文し、食べること」に究極に特化していて、私はまるで寿司食いマシーンになったような感覚だった。
それはそれでアトラクション的に面白かったのだが、以前Twitterでサイゼリヤの番号式オーダーに苦言を呈した哲学者の「これでいいと本気で思っているんですか」という言葉が頭をよぎった。
お腹は膨れたがなんとも言えない食後感でホテルに戻った。私はこれからもレーンの中に板前さんがいるタイプの回転寿司に通うと思う。
※たらの白子はそれなりの価格帯の回転寿司屋であっても、産地でないとかなり食味が劣る。
「試してみたけどあんまりだった」という人は、ぜひ冬の北海道で一度食べてみてほしい(現地では「たち」と呼ばれている)。
めっちゃ伸びてて嬉しい。意外にも、これからくら寿司に行こうと思っている人たちの参考にもなっていることが面白かった。以下、コメントへの返信です。
一部界隈ではすごーく話題になっているけど、「話題にしたくないな」と思わせるモヤモヤを感じた2つの件について。
多分、私と同じようなモヤモヤを感じて、「この件には触れない」という選択をした人もいるんじゃないかと思うので。
性教育YouTuberを名乗る人が、産婦人科の検診台を「セックスマシーン」と評して炎上した話。
まず、やってることは最低だなと。真面目な展示物を軽薄な悪ふざけに回収するという、露悪趣味的な言動というのが、人を傷つける可能性について一考する余地はあっただろう。ガキじゃないんだから。
ところで、少し調べるとわかることだが、彼はゲイである。それを知った時、何とも言えないモヤモヤが広がっていった。
ゲイという立場から、「性教育YouTuber」を名乗るというのは、性的多数者からは想像もつかない苦悩が背景にはあるんじゃないかね。
そうした中で、露悪的でふざけた「性教育」へと「追い込まれた」可能性について、私はどうしても考えてしまう。
彼を批判する言葉の中に、「性と命」のような言葉が散見されたこともモヤモヤのひとつ。LGBTのような性的少数者は、「生殖に寄与しない」という意味で、「生産性がない」などと断罪され続けてきた歴史がある。それを理解している人が何人いるのだろう?
何なら、それを踏まえれば、彼がこうしたおふざけを実行したというのも、「性と命」に対する反抗心のようなものに由来しているんじゃないかとすら想像してしまう。知らんけど。
それを差し引いても、まあ彼の行動は批判に値するものだと思う。
しかし、彼を断罪するあなた方は、彼を断罪できるほどに清廉潔白な人間なのだろうか?
やっぱりなんだかすっきりしない。
うーん、まったくその通り。完全同意。何がそんなに難しいんだろうね。
これだけで話が終わればよかった。同時に投稿されたイラストがモヤモヤの根源。
いや、言ってることはそれほど間違ってないんだけどね。
なんでそこで「オタク」が出てくるんだろう?誰に対して何を主張したいんだろう?「納豆は美味しいか不味いか」と言い合ってるところに、「例えば豆腐って美味しいよね?」とぶっ込まれたような、違和感。
そして、なんというか、一行一行が無駄なくチクチクと刺してくる。無駄なく。あまりにも不自然な程に。
これが「犬笛」というやつだろうか?
「オタクは気持ち悪いとか言う人」というのは、残念ながら今の世の中にも普通にいます。「そんなに気にする必要がなくなった」のは事実だけど、それでもいます。その両面が現実。
LGBTだって、たしかに世間では受け入れムードだし、同性婚だって(特に若い人は)多くの人が賛成してる。それでも「気持ち悪い」という人はいる。その両面が現実。
「同列に考えちゃいけない」って、何が?
フィクトセクシュアルの中には、「オタク」という言葉にアイデンティティを置く人が大勢いますよ。
まあ「安易に同じ話として扱えない部分もある」という言い方ならわからなくもない。わからなくもないけど、その言い方だって差別に利用されることもあるので、私ならその言及をする時ですらかなり慎重になる。
「そういう風に考えられないかなー」という締めが絶妙にムカついてしまう。
これ、誰に言ってるんだろう?どういう方向を向いて言ってるんだろう?
これを書いた人の中には、「LGBTを差別する人は、オタクのことは差別しない」という自明の前提があるらしい。どういう環境で生きればそんなバイアスが生まれるのだろう?
エイヤッと憲法改正して、理系は人間でないことにしちゃえばいいんじゃないの?
最近「性教育YouTuber」を名乗る男性が内診台をセックスマシーンとツイートしたことが発端となり、産婦人科の内診台について様々な内容がよく話題に上がるようになった。
酷く屈辱的であること、海外ではベッドに横になって自分で脚を開くスタイルなので使用されていないこと等の理由で批判が相次いでいる。
経口中絶薬の認可やアフターピルのドラッグストアでの販売が許可されていない、女性の問題であるのに決めるのは男性しかいないという日本の現状も相まって、より一部の界隈では廃止論が白熱しているようだ。
屈辱的と思う人がいるのは事実だし、内診台が嫌いな人や嫌な思いをした人がいるのも事実。
だが同時に、私と同じように屈辱的と感じない人も嫌いではない人もいるだろう。
海外に倣って自分で脚を開くようになると、脚の開き具合が足りないと言われ開き直す手間や、痛みが増えるのではないかという気持ちがある。
その点内診台は座れば勝手に開いてくれて、ただ寝ているだけなのでとても楽に感じる。
道端に落ちている石ころに対して何も思わないように、医者に局部を見られたところで何も思わないので屈辱を味わったこともない。
そもそも内診台が嫌なのであれば、「内診台を廃止した新しいスタイルの産婦人科を設立してくれ」といった主張でいいのではないか?
何故全ての産婦人科から内診台を消そうと思うのか理解ができない。
「女性である私達が気に入らないから無くせ!」はあまりにも自分勝手だと思う。
彼女らはなぜか「全ての女性がそう思っている」という謎の確信を持ってしまっているが、とてつもない誤りである。
そして私のような意見の持ち主は「アンフェ姫」、少し前なら「名誉男性」と揶揄、非難される。
今日、35歳になった。
予定より5年も長生きしている。
27ぐらいになったらニートになって、そのあと創作活動に打ち込み、失敗したらそこで死ぬ予定だった。
27にニートになる所までは予定通りだったが、創作活動は3ヶ月ぐらいで行き詰まって気付いたらずっとゲームをしていた。
どうせならゲームやりまくって死ぬかと思っていたが、更に3ヶ月ぐらいでゲーム三昧にも飽きた。
年齢的にまだまだ準第二新卒ぐらいの立ち位置で就活が出来たので就活をし、結局ニート半年・就活生半年で社会人に戻っていた。
そこからダラダラ生きながらどこかで「でも予定だと死んでたし、また金溜まったらニートに戻って死ぬか」と思って暮らしていた。
そこから7年働いて、まあ2年ぐらいならまたニート出来るぐらいの金は溜まっている。
どうでもいい。
消費活動への熱意もない。
生きるのも死ぬのもどうでもいい。
あれほどあった「とにかく必死に生きていることに意味を見出したい。無理なら死のう」という気持ちは、生きることの苦しみに対価を求めての事だったんだろう。
正直今いる会社もそこまで良いものでもなく、昭和パワハラオヤジに育てられた4年目ぐらいの若造が昭和パワハラの真似事を後輩にしているのを見るたびに「このサル山に付き合っていくのは本当にしんどい」とげんなりしてしまう。
でも死ぬほど辛いわけでもない。
風俗・酒・ラーメン・パチンコぐらいしか楽しみがないと言う昭和オヤジたちの価値観も何となく分かってくる。
ああいった快楽装置(快楽主義に対してのツッコミに出てくる直接ドーパミンをドーパドーパさせる謎のマシーン)じみたものに脳と人生を委ねてしまうのは想像性がない代わりにある種の確実性と楽ちんさがあるんだろうね。
でもそういったものに頼り切ろうと割り切れるほどは人生が終わってないからSEKIROとかやったりして俺はまだ大丈夫だって言い聞かせているが実際には五十歩百歩な自覚はある。
こんな状態でも生きられるし別に社会人やっているのも最近は特に苦痛もない。
仕事で怒られが発生してもどうせお互いに社会人演じてるだけだと分かってきているから「(コイツの演技つまんねーな……和ドラかよ……)」と心の奥で突っ込んでればいいだけだと理解ってしまっているわけで。
あとはクソみたいな人生をダラダラ過ごして40~90のどっかで癌が見つかって死ぬだけだ。
どうせこんな人生を絞り出しても人を魅せるような物語やデザインが垂れてくる見込みはないんだし、本当にもうただただダラダラグダグダすりゃいいだけなんだなあ。
ふぇ~~~~~つまんね~~~~~~~気持ち的にはクッソらくちんだけど~~~~悟り開いちまったか~~~~~。
もう
https://www.fukuishimbun.co.jp/articles/-/1722329
7箇条めっちゃ叩かれてるけど、都会の自治会はまともなのかって話したいんだけど、
うちは、小学生が700人以上いる校区のそこそこ人口のいる自治会に所属してる。回転寿司やドラッグストア、牛丼屋が徒歩圏内あるような住宅地で老若男女そこそこいる。
けど、うちの自治会、コロナ前から地域の運動会以外の活動をしてなくて、ただの集金マシーンになってたよ。
二世帯も多いんだけどジジババしか自治会に出てこないし。引っ張ってく人もいないから、自分の班長が終わったら自治会抜けてく。自分が班長の時は、運動会お願いしますとかいって頼んできたくせに恩を仇で返された。
あと自治会を抜ける理由は、老人世帯は、老人会がしんどいってぬけてくんよね。いろいろイベントあるらしい。
それに比べてさ、池田町の区長さん達は実に田舎くさく旧来の価値観で行動してると思う。でも、自分達の地域を守っていこう意気込みはあるよね。
でも、行動している分区長さん達は偉いと思うんだけどな。
タイトルの通りなんですが。
育児休暇中に学ぶには、学ぶための余裕を作るための精神的な余裕を作るための経済的な余裕が無いと、現実には絶対に無理。
ただその移行期間さえ社会進出を理由に就労するのでなく、経済的に厳しいのを補助する目的から仕方なく就労する場合、そんな余裕は全くない。
余裕があるなら育児休暇という休暇を取る必要がない。育児休暇があるのは育児が大変だから。そもそも育児も次の世代を育てるという立派な仕事だろう。
余裕がないながらも学ぶための支援を、なら分かる。
学ばないやつはまずいんじゃないの、は流石に大多数の世の中が見えてなさすぎる。
学ばないと就労に戻る際キャリアが下がる現実があるから学ぶための支援を、なら分かる。
なので、支援に関しては、まずは最初の一歩として大いに評価する。
しかし、育児休暇中は学ぶことができる、学ぶことが当然、学ばないのは怠惰だ、という育児休暇を軽んじる意見には反発する。
上記が僕の主張。
多分、僕は、かなり恵まれている。
1番上の息子が生後半年のとき、僕の仕事が超絶忙しかったのが続いていたのがちょうど節目が来たこと、ワイフが育児ノイローゼ気味になったこと、僕もワイフもヘトヘトで消耗しきってもう駄目だ、となり僕は会社に休職を願い出た。
育児休暇みたいなカッコいい休みでなく、完全に消耗の末の仕方なくの休みだった。
最初の二週間、僕は家のこと子どものことを手伝ったが、いくら僕が頑張ってもあくまで手伝っただけで、ワイフの育児ノイローゼは改善する見込みは弱かった。
蓄えがあるから休職したのでなく、仕方なく休職したのもあり、経済的な余裕は無い状況、育児ノイローゼの改善傾向が弱い状況から、夫婦で相談してワイフが働くことになった。
ワイフは元々金融畑の営業でキャリアウーマンだったが、結婚を機に引っ越し、引っ越しを機に退職、結婚後就職、就職しばらくして妊娠、就職してすぐのため産休育休が取れなかったため退職、復職しようも条件にあう仕事がほぼ無い(残業前提、ストレスフル、立地などなど)、で前のキャリアを活かす仕事はすぐに見つからず、一ヶ月経った頃仕方なく近くの工場で働くことになった。
ワイフは外で働くことで少しずつ回復していった。
一方、僕は、離乳食が始まったばかりの息子を見ながらの専業主夫生活となった。
実際に専業主夫をやってみると、サポート役だった最初の1ヶ月と自分主体の半年では、精神的な負担や難易度が全然違っていた。
子どもが夜泣きするとどんなに眠くても抱いていないといけない、泣かしておいても良いんじゃね?とも思っても近所や翌日仕事があるワイフに迷惑をかけられず仕方なく抱く、泣いてる子どもはいつも気まぐれでいつ大人しくなるかが予想つきそうで微妙に予想を外してくる。
翌日眠気で死にそうでも子どもを放っておくわけにもいかず家事をやりつつ子どもの世話をする、ちょっとした作業の合間に一息ついて思わず少し子どもから目を離すと何かやりだす、ちょっとしたことでだいたい死にかける、死にかけるリスクが高くなるので部屋の片付けはしないと、片付けばかりもやってられないので食事や洗濯など別の家事を、別の家事をしてる間にちらかす、散らかさないようにものを完全に片付けると泣いて騒ぐ、対策をうっても必ず何か別の問題が引き起こされそしてそれが堂々巡りしてる感が結構強い。
ワイフが仕事から帰ってくると、一通り世話したあと、子どもの世話をお願いして仮眠する。ひとりの時に寝ると、子どもが死ぬリスク、部屋が大惨事になるリスクがあるので、ここでやっと眠れる。
仮眠した後は夜中子どもの世話がまたやってくる。その繰り返し。
これだけならまだ良かった。
この生活が続き2ヶ月目過ぎたあたりから、洗剤などの家の各種ストック品が切れてきて在庫管理も必要になり考えることが増えてきた、経済的な余裕がない中家に使える少しのお金だけを買い物に使う機会が増えたせいか金銭感覚がかなり細かくなり数円の金額差が気になるようになってきた、寝ても寝てないような疲れが取れたような取れていないような中途半端体調が続くようになった、なんとなく視野がかなり狭くなっていた感じがした。
一方で、子どもは今まで以上に懐いてきた気がする。母乳育児だったのだが、母乳が欲しい時以外は僕に懐いて僕の方が泣き止んでいたため、ワイフは「私がただの母乳製造マシーンと化してる」とボヤいていた。ワイフとの戦友感、自分自身が兄弟4人一番上で子どもの大変さがなんとなく慣れてたこと、自分自身が子育てや家事が比較的苦でなかったこと、などなどがあいまってなんとかやってこれたが、なにか一つでも噛み合わせが悪ければズタボロだった気がしてる。
なんやかんやで、今4人目も産まれ、今隣で寝ている。上の子たちは寝相が悪いのでワイフと一緒に寝ている。
2人目、3人目、4人目、と子育てに対する慣れ熟練度により楽になる、僕のキャリアアップに伴い経済的に楽になる、楽になる部分がある一方、同じ遺伝子から始まって似てるはずなのに個性が強く同じようで同じでない、下の子を見るのと同時に上の子を見るので大変なのは全然変わらない。
家電の違いでの負担軽減はかなり大きい。食洗機、洗濯乾燥機、ロボット掃除機、大容量冷蔵庫、電鍋ホットクッカー、等々の家電のお陰で一日に必要な家事に要する時間が減って助かっている。
それに、家事したくない疲れた時、外食に行けるのは気晴らしになる。
子どもが大きくなれば、24時間目を離せられないような大変さはなくなり、直接的な疲労はぐっと減るが、幼稚園や小学校の世話などやることが多いのは変わらない。
その数時間は正直休憩にまわしたい。
ワイフは元々キャリアウーマンで仕事が好きな人間なので、ゆくゆくは復職したいと思ってるが、また金融系の仕事に戻るには再度勉強して資格など取り直さなければいけない。
余裕は、子どもが大きくなれば多少はできてくるのかもしれない。でも、その世代ごとに大変なことがあるので、なんやかんやいってずっと楽にならないのかも。
今余裕を作ろうとするには、金があれば改善する部分が大きそう。
実際ここまで作ってきた余裕は子育てによる慣れよりも、経済的部分が寄与した割合がかなり大きかった気がしてる。
家電や外食、家事代行、子どものストレス発散のためのレジャー、何をするにも金をかけなければ自分が動くしかなく、金をかければ楽に満たすことができる。
当たり前の話だ。
我が家はワイフが専業主婦でもなんとか暮らしていける稼ぎがあったから辛うじてやっていけた。
だが、幼稚園小学校の親の同世代を見ると、皆経済的な理由で仕方なく共働きしてる。
一人目を育てていたあの頃、あの頃のままの経済状況だったら、仕方なく共働きになっていたと思うし、共働きになっていたら精神的な余裕は全くないだろう。精神的に余裕ない中では勉強ができないし、余裕を作るには金がいる、金を作るには働かなきゃいけないし、働いていると余裕がなくなる。
そんな堂々巡りのなか、皆苦労しながらやってる。
うちは、僕がほぼ完全リモートワーク&ワイフが専業主婦だから、乗り越えられてる。
恵まれている。
という背景があっての最初の主張だ。
以上
元々、スピードスケートの選手の心肺、筋力向上のために行う効果的なトレーニングって触れ込みで
日本でもっとも有名なタバタ式の田畑博士も「実験中に脂肪燃焼に特別な効果は見られなかった」って言っとった
そもそもタバタ式で効果があるとされる運動強度はVO2MAXの1.7倍
ジムの有酸素で使うチャリンコマシーンで時速100kmくらいのスピードで漕ぐ必要があるし
そしてその強度の運動を20秒ノンストップで続けて10秒だけ休んでを8回繰り返す
死ぬぞ
タバタ式の目的は4分間、心拍を最大値に近い状態で保ち続けること
ガチで4分間心拍を最大値にしたら普通に死ぬので10秒の休憩をはさむことによって
最大心拍状態を維持したまま長時間の運動を行うという地獄のトレーニング