はてなキーワード: デイケアとは
この記事読んでしんどくなってしまった。これを書いた人がどうこうという話でなく自分の記憶とかやってることとか、そういうのでしんどくなってる。
うちにも認知症の祖母がいる。母方の祖母。秋田でじいさんと、叔父と三人で暮らしてたんだけれど、じいさんは心筋梗塞で亡くなって、叔父はその一年後だか二年後に酔って首をくくって死んでしまった。たいそう金がなかったみたいで幾度かうちの母に無心の電話を寄越していたらしい。
で、だれも頼れる人がいなくて、叔父の葬式が終わった直後に、母が嫌がるばあさんを引っ張って東京に帰ってきた。ほんとは一人で生活なんてできないって、ばあさんも呆けてるなりにわかってたみたいだけど。そこから二年、もうすぐ三年、週に四回デイケア?というの?昼間預かってくれる施設に行ってる。
わたしも兄弟も仕事したら学校行ったりしてるから、実質面倒見てるのは母であって、わたしたちがばあさんの世話を見るとか、そんなの全くしてない。大して関わり合いがない。一緒に生活してるのに。それどころか生活とか衛生観念とかが違いすぎて、あと呆けてるからほんと三分に一回同じ話したりするじゃん、それでだんだん疎ましく思うようになってしまったのね。
でさ、自分の幼少時を振り返るとこう、秋田と東京だからね、そんなしょっちゅう会ってたわけじゃないのね、盆暮れ正月に一週間くらい遊びに行くみたいな感じ。で、遊びに行けばやっぱり可愛がってくれるわけ。スゲエ甘かったと思うし、わたしも秋田で暮らしてる親戚の人々が好きだった。母にとってはどうだったか知らないけど、わたしたちにとってはいいおばあちゃんだったと思う。記憶が美化されてるのもあるかもしれないけど、わたしは昔のばあさんのこと、とても大好きだった。
今はさ、それがさ。何度も同じ話するからとか、外から帰ったりトイレ済ませたタイミングとかで手を洗わない(何度教えてもダメだった)とか、耳が遠くて私たちの言ってることが聞き取れなくて、それでこっちが怒鳴るように話すと萎縮して泣いちゃうとか、そんな些細なことで、些細なことなんだよ、だってわたしがメインで面倒見てるわけじゃないからね、そういうことで疎ましく思ってしまって、しんどくなるわけ。勝手に。
この人が孫たるわたしに注いだ愛情とか、まあそういうようなものを、面倒くさいからで無視して適当にかわして全部母親に面倒見させてるっていうさ、あーもうしんど。
じゃあちゃんと話して相手になって一緒にテレビとか見ればいいじゃん、と思うんだけどそうもいかねえのな、自分勝手なんだよな結局。
そんなので毎日ぼんやりとしんどいなあって思っている。そんで、ばあさんが死んだら、また身勝手に苦しむんだろうな〜って。どうしたらいいんだろうな。
パーソナリティ障害とかメンヘラとか依存症とか、あと極端な右派左派とか、異性嫌悪とかって愛と安心がないからそういう方向に行っちゃうムキがあるわけで、投薬とかじゃなくて愛と安心をくれる機関ってないの?
デイケアとかデイサービス、NPG/NGOみたいなのが居場所を作りますとか言ってるのもあるけど、ああいうのってなんか大体、うすら気持ち悪い目の煌めき方してて、とても打ち解けて交流はできない。
趣味のサークルみたいなのは地方にはほぼないし、親に縛られてるから引っ越しは無理。
そしたらこのクソみてえな人格と健康が徐々に治ってまともな生活ができて職にもついて社会貢献できるようになるかもしんねえから。
親はもういなくてデイケアの人が作っている方に一票
警察沙汰を何度も起こし入退院を繰り返したこの数年間、退院して週3日のデイケアになんとか通えてるのが現状。
それは何も症状そのものだけを指すのではなく、社会適応の能力も含めて幅が広い。
働けて嬉しい、自信が持てた、それ自体は素晴らしい。
でもそれは陰性症状が軽度でもともとの社会適応が良かったからこその結果だろう。
軽症な統合失調症は薬さえきちんと飲んでいれば普通の人とほとんど変わらないという事実はもっと知られてもいいと思う。
同時に、中核的な統合失調症の人たち、そして社会適応力や認知機能が低下した状態にあり、本人が働きたくても働けない状態にある人たちの存在も忘れてはいけない。
NHKEテレ『長すぎた入院 精神医療・知られざる実態』で描かれた日本の精神医療の実態。https://www.nhk.or.jp/docudocu/program/20/2259602/index.html
鹿児島県立姶良病院http://hospital.pref.kagoshima.jp/aira/
http://bakusai.com/thr_res/acode=10/ctgid=104/bid=1304/tid=3433815/tp=1/
携帯は使えない。
退院時はデイケア通い(週4日以上)と居住地を制限される患者(病院周辺のみ)も多い。
主治医は選べない。変更も出来ない。
必ず預ける事になり、おやつの時間(3時)にのみ限られた量だけ渡されて食べる事が許される。
マジで副院長は、女性患者しか受け持たなくて、恋愛禁止を強要しているのよ。
だから、女性患者は、ここの患者でいる限り、恋愛を禁止されているんだ。
医者によっては、資産を売却して生活保護を受ける事を強要された患者もいた。
姶良病院の近くにグループホームが新しく出来て、そこに居住する事を強要させられる。そこの設立者が姶良病院の元看護師長で、会社を設立している。姶良病院の近くに居住を強要して、その元看護師長がアパートの保証人に当てられる。そして、週に何回か訪問看護があって看護師が自宅に監視にやってくる。その内容は主治医に細かく報告される。退院しても自由はない。金も訪問看護が決められた金額だけ渡して自由に使えない。何かを買う時は、病院の許可がいる。
262 2018/02/09 18:05
南日本新聞の患者インタビューも病院に対して不満を持っている患者は対象に選ばれなかった。都合が悪い事実を暴露されるのを恐れていたからだ。病院側にとって優等生的な発言をする患者のみにインタビューする事が許されており、病院の真実は明かされる事はない。
#266 2018/02/09 19:22
都合が悪い告発をした告発者は重症患者扱いして真実を闇に葬る卑怯な手口」
(注)
「南日本新聞の患者インタビュー」鹿児島の地元紙・南日本新聞に16年に掲載されたこの病院のルポ記事のこと。同紙の連載『精神障害とともに』16~17の一部「精神科密着240時間」として掲載された。但しwebでは一部分しか無料で読む事はできない。https://373news.com/_kikaku/16/seishin/
なおラグーナ出版から17年に同内容が書籍化されている。『精神障害とともに』http://www.lagunapublishing.co.jp/books/seishintomoni.html
無趣味で室内、車内、近所をうろうろ
乗れなくなって処分されるまで、毎日車のトランクを無意味に何度もガサゴソ開け閉め
でも別に潔癖というわけではないし
部屋を綺麗にしてくれるわけでもないので役に立たない
ただウロウロしたいだけ
ばあちゃんとの仲も最悪
尊敬できるところは全くないけど無害(ウチの母親が結婚した前後は勝手に人の財布を覗き見したり等々チクチクいじめられたようだが)
でもなんもタメになる事やってもない
息子夫婦と孫集合して
7回忌までちゃんとお坊さん呼んでお経あげてもらうんだから
恵まれてるよな~
葬式も誰一人悲しんでない、みんな和やかなもんだったよ(疎まれてもいないだけマシか)
私の世代なんか多分こんなことしてもらえへんで
みたいな事をお経上げてもらってる間考えてたのであった
あと、なんで死んだ人が全部ガンジスに流す用なインド由来の宗教が
まぁ甥っ子がかわいかったのでいいか 法事って人が集まるための理由づけだよね。それでいいと思う
おつかれ~
僕は老人ホームに行くのが嫌いだ。
正確に言えば、『認知症の進んだ祖母のいる老人ホーム』に行くのが。
今年で96歳。
あと1年半ほど生きていれば、大正、昭和、平成、そしてその次と、4つの時代を生きていることになる。
10年前までは普通に一人暮らしをしていたけれど、ある日偶然足を骨折してしまった。
年のせいでなかなか回復せず、やっと治った頃には筋肉の方が衰え、どんどん動けなくなった。
これじゃ一人暮らしはもう無理だということで親戚の家に移ることになった。
最終的に、介護する余裕のある伯母(祖母からすりゃ娘)の家に住むことになり、割と裕福な家庭だったので段差を無くしたり手すりをつけたりするようなリフォームなどもしていた。
しかし伯父と伯母も70過ぎで、どちらかと言うとそろそろ介護される側だ。
だんだん余裕がなくなり、近くにある老人ホームに移ることとなった。
それ以前にもデイケアでお世話になっていた所なので安心ではあった。
しかし他人ばかりの、自分で好きに出来ない施設に送られるというのはどうにもモヤモヤするものがあった。どうにもできなかったけど。
1年ほどは普通に過ごしていた。
車椅子にこそ座っているが、至って元気そうな姿を見て安心した覚えがある。
僕の顔も名前も覚えていた。
でも、ちょっと舌が回っていないようだったし、母と祖母の2人にしか分からないような話をしていた様子だったので、僕は横で微笑むしかなかった。
祖母はしきりに
という旨の話をしていた。
僕は
と、少し伯母夫婦に不信感を覚えた。
僕はバカだった。
足腰以外は至って健康だと思っていた祖母は、既にボケていたのだった。
母だって、2人にしか分からない話をしていたのではなく、優しく話を合わせていただけでしかなかった。
次の帰省で会いに行った時、
残念ながら症状は進行していた。
僕の顔を見て、
正直、親戚の家に移った8年程前からは半年に1度ほどしか会っていないし、仕方の無いことだと思った。
車椅子から職員に肩を抱えられベッドに移る姿は悲しいものだった。
この時は、話している途中で僕のことを思い出したようで、すると
『タンスにお菓子が仕舞ってあるから出そうね』と言って立ち上がろうとして、隣にいた職員に止められていた。何度も。
その時、祖母の頭の中では、自分はまだ自由に動けて、僕はまだ小学生くらいの小さい子供だったのかもしれない。
切なくて涙がこぼれた。
感動映画とか、ドラマとか、漫画とかを読んでも基本泣かない人間なのにだ。
そして今回。
もう、祖母が僕のことは露ほども覚えていないことを覚悟して向かった。
顔を合わせると、
『どちらさまですか』と言われた。
娘と孫だ。
前までは名前を言えばなんとか思い出せていた。
その後も、ずっと祖母は見知らぬ人間と話すように、敬語を使い続けた。
『見覚えのある方ですね。どこでお会いしましたっけ?』と繰り返すようになった。
中途半端な希望的な言葉を言われ、ここまでこらえていた涙が出てきた。
すこし話はズレるが、
一番関わりのある(面会に来る)伯母の名前だけを覚えている。
でも、自分の娘だということはよく分かっていない。
僕はこれからも、祖母と顔を合わせるたびに泣いてしまうだろう。
そして、きっと祖母が死んだときは、それほど泣かないのだと思う。
理由は、はっきりと言うのはあまりに非倫理的であるように思われるので
心のうちにとどめておきたい。匿名であってもだ。
こんな言葉があるけれど、今では亡くなるのではなく、
寿命は延びたかもしれないけど、やはり五体満足である期間は短い。
子供の作文の締めくくりみたいになるけど、
やはり親も先は長くないし、出来ることは今のうちにしなきゃいけないなと思った。
デイケアで友人作ってる人いるし行ってきたら?
今日、2017年3月2日に、愛知県豊橋市大岩町の二川病院で受診拒否されました。私の高齢の家族が、胃カメラ検査を受けた後で、採血して検査すると言われたので
「下らない検査は必要無い」と拒否したら、院長先生に、「病院の方針に従えないなら来なくていい」とか言われて、受診拒否されました。
採血して血液検査しても、血糖値が少し高かったとか言われるだけで、新しく薬を処方される訳でもなくて、検査代金と時間の無駄なのに。
前にも、ほとんど何の説明も無く勝手に、尿検査や血液検査されて、少しタンパクの数値が高いとか言われるだけだったので、明らかに違法診療です。
後で、ケアマネージャーさんから電話が来て、他の病院に紹介状無しで行くと法律の改正で高い初診料を払わされるとか聞いたけど仕方ないです。
だいたい、この二川病院は、前から、うっとうしいです。少し前に私が、同じ病気で他の病院に行ったら、初診料や薬代とか全部高くて、明らかに、ぼったくり病院だし。
去年の9月頃までは、私の付き添い無しに、私の高齢の家族が1人で通院していたので、目薬が、有り余ってて無駄だし。下らない検査は、され放題で。無駄な検査代金を払わされていました。
去年の9月に圧迫骨折で入院した時には、車椅子に乗るだけで疲れるのに、整形外科医の指示で無理矢理30分以上も昼食に、車椅子座わらされて虐待されたし。
二川病院のデイケアサービスは、入浴目的で週に1回で良いのに、整形外科医の勝手な指示で、週に3回も行かされて、1回2000円以上で月に2万4千円以上も払わされたし。
デイケアサービスの職員は、下らない事で電話してくるし、朝のお迎えは、早い時は9時頃に来たし、9時50分過ぎに遅くなっても電話を寄こさなかったし。
何年か前には、整形外科の診察室に、脱いだ衣類を置くかごが無くて、検査器具用の所に置かされたりして不衛生で、受付で言っても無視されて、豊橋市の緊急医に指定されてたので
豊橋市役所のホームページから通報したら改善したけど、遅すぎだし。
今日なんか、平日の午前中なのに、患者さんは、ほんの数人で、職員の方が人数が多くて、他の患者さんからも敬遠されてるのは明らかだし。
その代わり親が就労しているなどの入園条件はなく、親が専業主婦でも入れる。日本の認可外保育園に近い。
評判が良いとか質の割に安いなどの人気園は待機児童も多い(都心部だとそもそも全体的に足りておらず待機児童多い地域もあるらしいが)
ドラマで出てこないのは撮影大変だからじゃね?つか日本のドラマだって必要性がなければ出てこないだろ。
一般の子供を勝手にテレビに映すわけにはいかないし、子役揃えるのも面倒だろうし。
それとは別に、3歳~が入る幼稚園に相当する教育施設もある。preschoolとかpre-kとか言われる。
(日本で英語メインの保育・教育を行うインターナショナル園をプリスクールと称してるのはここから来ている)
こっちも私立は税金使ってないから日本の私立幼稚園より概ね高い(日本は私立幼稚園でも補助金あるからね)。
公立は所得制限などあり中流以上の家庭は入りにくく、学費も収入に応じて無償だったり私立よりは安いが有償だったり(自治体によっても違うだろうが)
公立は公立小学校に併設されていて、下記のkindergardenより更に年下のクラスという位置づけ(pre-kのkはkindergardenね)
その上に5歳(日本で言う年長、小学校入学の一年下)が入るkindergardenってのがある。
これは州によっては義務教育、義務でない州でも公立は希望者全入&無償だったりで「通わせるのが当たり前」という位置づけで公立小併設。
シッターは高いから、庶民家庭が毎日一日中使うなんて事は無理。
よく高校生がバイトで…と言うけど、あれもあくまでスポット的な利用。
日本の公的な一時保育の方がよっぽど安い。しかもそれで預かってくれるのは有資格者のプロだから、日本はシッターの需要がないんだと思う。
幼児保育・教育事情についてはアメリカより日本の方が遥かに恵まれてるよ。
5歳児以上ならアメリカの方が恵まれてる(何せ義務教育だし)けど。
よく「5歳児教育に対する税金投入額の国際比較」みたいなのを出して日本は外国より低い=日本は保育に金出してない!ってロジック使う奴多いけど、
アメリカと同じく5歳児教育を義務教育としている国は多いから、そういう国と比べたら日本が低くなるのは当たり前なんだよね。
でも4歳以下はどうなのか、ってな話で。そもそも保育と教育違うし。
http://anond.hatelabo.jp/20170201120618
http://anond.hatelabo.jp/20170202032911
http://anond.hatelabo.jp/20170202081638
年齢は38ぐらいなはず。(自分が小学校2年のころ6年生だった)
元々は名古屋でと産業用機器の中核ソフトウエアを開発するエンジニアをやっていたらしいが、ある日母親が脳卒中で倒れ、少しの間は親父さんが介護していたらしいのだがその親父さんも介護疲れか調子が悪くなったとか、東日本大震災をみて思うところがあったとかで、親の介護のために田舎に帰ってきた。仕事は手を切らず元の会社とは契約社員という形でリモートワークで仕事も一緒に持って来た。
それがたぶんちょうど6年ぐらい前の話。
その後、請負開発を法人化、人も常勤で1人雇って、リモートワークで何人か抱えて、自営業の社長となっている。年収は聞いたことがないのだが、税金や介護費の自己負担金額が話題になることがあって、、その話から逆算すると、各種控除が済んだ後の住民税計算根拠になる課税対象が800万円以上はあるはず。すると額面で一千万ぐらいじゃないかと思う。
それがきちゃった結婚した。
普段の見かけは俺と同じただのキモデブクソアニオタなのに。なぜメガネっ娘美人と知り合えたのか。爆発しろ
今は2児の父。
なお本件はフェイクは混ぜていない。キーワードでググるとどや顔で写っているインタビューすら発掘されるはずだ。
奴は俺の事をはてなーだと気付いてないはずだが、奴はブログもやっているガチのはてなーである。 末永く爆発しろよばーか 参考になる人がいるはずだからこれをみても笑って許してください。
土地は元々たっていた庭付きの家を取り壊して、介護対応住宅を建てた。
一階は参考にと隅々まで見せてもらったが、2階は彼の部屋しか入った事が無い。一階は5部屋あった。外観から見て総二階なので下手すると9LDKとかになる。
介護対応の専用トイレがついためっちゃ日当たりのいい両親の部屋と、それに続くリハビリルーム。車いすOKどころか、歩く人と車いすが軽くすれ違える広くまっすぐな廊下。施設か。人が乗っても楽勝の手すり。施設かよ。車いすで入ってその場で転回できる、俺の部屋より広い巨大なトイレ。施設なの?施設で風呂入れてもらってんのに何故か無駄にでかい風呂。エロゲかよ。
ヒートショック防止だそうで全館冷暖房。エレベーターは当然、両親の部屋は自動ドアワロタ。一般住宅でナースコールが設置されているの初めて見た。
当然彼の部屋には作り付けの本棚が壁一面にあって、本にアニメにフィギュアが並ぶという、オタクの夢過ぎる。
これでいくらかと聞いたら建具家具家電まで入れて4000万円だそうだ。土地は入っていないが、5LDKの土地建物で1700万円ぐらいから分譲住宅があるような土地なのでそれを入れても5000万にはならんのじゃないのか。
これ以外に、近くの酒屋跡を買い取って社屋としている。悔しいのでいくらで買ったは聞いていない。確かに仕事用の部屋があるが、オタグッズがつまっている部屋があることを知っている。
ただ上記の通り、住民税課税の基準になる世帯年収は800万以上あるのは確かである。
行ったと言う話は聞いたことがない。
子どもが小さく介護もあるダブルケア状態のため、家族旅行という訳にはいかないらしい。
ただし、「相方と知り合ったのはfripSideコンサート」という、酒が入ると何度もしてくるクソのろけから分かるように、その手のイベントにはよく言っていて自慢される。
今度合ったら先日のアイマスのコンサートの話をされることだろう。世の中の不公平さにくらくらする。許せない。革命しかない。富の再配分としてお土産くれたら許す。
当然自動車がないと暮らしていけない土地。軽自動車2台(ホンダのN-BOXと最近買ったオレンジ色のスズキハスラー)とプリウス。ただしプリウスは社用車らしい。
しかしどうみても私用で使いまくっている。脱税である。しかし、N-BOXは車いす仕様車であり、自分も貸してもらったりしているため許す。
レストランとかに食事に行っているのかなどはしらないしが、いつも自分と飲むときはそれほど高い店を使わないのでそこに拘りはないと思う。もしここでそこはお前のレベルに合わせてるんだろ等と言う根拠がない誹謗中傷をする奴がいたら訴訟も辞さない。
服とかは基本しまむら。しまむらの良い所は介護用の前開き下着などがちゃんとしまむら標準レートの割引価格で販売されているところだよね、と言うところで奥さんと情報交換した。
ただし奴の部屋にも仕事部屋にも社屋の二階にも大量にアニメグッズが置いてあり、相当金を使っている物と思われる。業者か。
ある等身大フィギュアはコイツが一体持っています。 めぐみがヤフオクでたたき売られているのをみて忍びなかった 、マンマシンインターフェイスを客観的に検証・研究するために購入した等と意味の分からない供述をしており、動機は不明。
貯金はあるかはしらないが、ないに違いない。
年収1千万あれば田舎では確かに土地が高い都会では考えられないような豪邸がたち、趣味も充実し、美人の奥さんと知り合うことが出来、贅沢ができるように見えるが、こんな生活がいつまでも続くわけがないのであいつはいつか滅ぶ。
彼と再会したのは、自分が小さい頃、地域の寄り合いで中が良かった自分の母親と彼の母親が同じデイケアセンタで再会し、再び仲良くさせてもらったところになる。
そこで、自分の母親を気分転換にどこかに連れて行ってやりたいと思っていたが俺には介護が必要な母親を乗せられる車がなく、N-BOXの車いす仕様車を貸してもらったことがきっかけで仲良くさせてもらっている。彼のN-BOXは自分以外にも貸してもらっている人は多い。田舎のレンタカー屋には福祉自動車はない。その他のいろいろも、正直、尊敬している。
一方の俺だが(フェイクを混ぜているので、あ、あいつのことだ、などと心当たりがあってもそれは間違いである)、年収は額面で280万円。家は親の持ち家で築30年(ただし改装はした。400万ちょいかかったが親父の蓄えで賄った)
一度外に出たが母親が倒れ、親父だけでは介護は無理だと判断して退職し帰郷した。帰郷前はもう少し年収はあった。
ただし、世帯収入としては両親の年金があり、これを介護のために使っているので、収入は苦しくない…といえば嘘になるが、言うほどではない。
貯金も自分だけで年収の2倍を目安に貯めてある他、積立型の民間年金保険にも入っている。
贅沢な生活は出来ないかもしれないけど、選ぶものを選べば苦しいと感じたことは一度もない。
人を呼ぶと家に物が少ないと驚かれることはある。でもミニマリストではない。
では何が違うかというと、それは選択肢だと思う。
恐らく年収280万の俺の場合、新たに家を建てると言う選択肢はなく(必要ないのもあるが)、両親の家を使うことになる。(介護用の住宅改修と一緒に耐震補強はした)介護費用を冷静に考えると、この分がもしなければ、当地では十分に結婚して子育てできるだけの費用は捻出できるだろう。職業の選択しも広がるし。
しかし、例えば目黒に家を建てるのがいいのか、埼玉に分譲マンションを買うのがいいのか、はては田舎に巨大な家を建てて親孝行するか、子どもは私立に入れるのか公立がいいのか、といった選べる余地はない。この年収では東京では暮らすことすらままならないのではないか。
さらに元となったフィナンシャルプランナーの話も混ぜて、そういう多様な選択のなかで、理想的にぶち上げられているいいとこ取り(都心に持ち家を持ちながら、田舎の豪邸のような暮らしをするのは無理だ)はできないと言う点で、それぞれ一貫しているのではないか。
正直、俺から見るとどいつもこいつも贅沢な悩みしやがってと言う気がしている。金持ちには金持ちの理屈があるのだと思うが、そうやって選べることそのものが幸せだということも覚えておいて欲しい。
とは言っても、別に選べなくても今にそれなりに満足している人はいるだろうから、それをどっちがいいだの、資産価値が下がるからお前はアホだのいうのはやめよう。
つまり、どっちがいいとかわるいとか不毛な話ではなく、選択としてみんな自分の事情を増田に書こうぜ。それをみんなで批判するんじゃなくて、はーなるほどと呼んで、自分の生活に生かそうぜ。
自分は小学校くらいから自分はいない方がいいって思うようなポンコツだった。
幼稚園時代は親のママ友付き合いのたびに比較されて叱られてたし、
父親は気分で接し方がコロコロ変わるし、すぐ指摘するので表情を見せるのも怖かった。
小学校では団体行動をするたびに足手まといになり他の子と一緒だったらよかったって言われたりしていた。
よく教室を飛び出したり、グループ行動になりそうになるとすぐ保健室に向かっていた。
しかし二次障害とアスペの発覚は中学不登校になってからさらに経った高校卒業頃だった。
みんなが進路に悩んでいる中、私は教師に手帳の取得を勧められた。
その施設は怒鳴られ無視され、その後はデイケア先の医者にも怒鳴られ、もう場所探しが怖くなった。
親には学生の頃カウンセラーに怒鳴られれば、話を聞いてもらっているのになんてことをと冷たい目で見られ、
発達障害だとわかればいじめられるのは貴方が変だからと相手の悪意を全く考えず責められた。
本当に働けそうにもなかった。今も結婚して専業主婦。家事しか出来ない。
本当は働いて旦那ともっと出掛けたりカルディで調味料を買ったりしたい。
親に言われた人の辛さがわからない奴って言葉をもう言われないようになりたい。
ただパニックになるせいで勉強が出来ない。塾ですら舌打ちされるんじゃってビクビクしてた。
イライラや不安からすぐめまいと過呼吸が起きる私には約束事をするのも難関だ。
私のようなクズが1番言われて困るのはやってることに意味があるという言葉なのだ。
そんな言葉が通じる世界なんて私は現実でちっとも見たことないのだ。
何をするにも金、その金の責任を問われ、趣味も捨てると脅されることからろくに作れなくなった。
うつの治療はしたいことをすることらしいが、実際問題、裕福なわけはない。
ただそれでも、私に気を使いながら働くことよりも私がいない方が生産率が高いのは確かだ。
私の祖母はおばあちゃんというおばあちゃんだ
穏やかで、誰に対しても優しく、誰からも好かれた
朝は祖母が作ったご飯を食べ、昼まで一緒に遊び、
近くの公園や駄菓子屋、銀行にスーパーへ。何処にでも手を繋いで
夕方は祖母の相撲タイムだ。私はおやつに買ってもらったグリコを食べる
晩ごはんは母の料理、自分の家の風呂に入るが、寝床は祖母の隣だ
寝つきが悪くしりとりをやり過ぎるとさすがに怒られた
学校に忘れ物を届けてくれた。体調が悪いと心配して正露丸を持ってきた
祖父の介護もある祖母の手をあまり煩わせないようにするためだった
後から知ったが、気丈な祖母は寂しいと一度だけ訴えたそうだった
伯母が言うには最近鍋を火にかけたままなこともあるらしい
同じことを何度も何度も言うようになった
伯母が物を盗むと私に怒りを訴えるようになった
人のことを悪く言う祖母を私は始めて見た
一人で夜家を出てしまうようになった
伯母と喧嘩する声が絶えなくなった
笑ってくれない。怒鳴り、殴り、怒りを見せる
泣くことしか思い付かなかった。10年近く私は逃げた
誰のことも覚えてなくてもそれだけで救われたのに
すぐに笑うどころか言葉も失った
言葉も発しない、表情も変えられない、食べることさえままならなくなって
写真も見なかった。声も思い出せなくなった
もう一人のおばあちゃんにご飯を食べさせている気持ちになっていた
私は焦り始めた。認知症を知らないといけないと感じた
今の祖母と向き合わないと後悔するのではないかと思い始めるには遅かったのかもしれない。いや遅かった
認知症が孤独と不安、否定されることで症状が進むことを始めて知った
物が盗られたと言われたら一緒に探してあげるのだそうだ
私は探してあげなかった
祖母は前よりじっと目を見てくれた。体はどんどん弱っていった
笑いかけても涙が溢れるようになった
私だよ、分かる? と笑いかけたら
祖母は首を縦に振った。昔より薄い色の瞳で見つめながら
でも割りきれない私がいた
なくなったと思ったメガネケース
道端に並ぶ祖母と私
働きながら母と伯母を育てたキャリアウーマンだ
私の祖母を誰かに少しでも知ってもらいたい
私の愚かさ、過ちを知ってもらいたい
私の自慢の祖母を知って欲しい
各所で暴言の数々により(支援ってなんなんだよ)家事手伝いになった。
私の実家である一軒家は親の実家から借金して建てたものだった。
その家も20年が過ぎ、所々で劣化が始まっていた。
3口コンロが1口止まってからリフォームの話でギスギスするようになった。
父と母が私をいないと思って話してた口から、働いてさえいればの声を聞いた。
私はその日泣いたし、オーバードーズもした。
普通に働けないのならと風俗案件や臓器売買のサイトを見ながら、
親の中では私が金を稼いでその金が家のリフォームに使われると思っていたようだ。
大層な金額である。若者の不況と過労による自殺は、親からも追い詰められている人もいるのだろう。
私はあれから自分の家が大嫌いだった。単身赴任で数年間使ってなかった見栄で作られた実家が嫌いだった。
母親は島ぐらしだったせいで人への危機感や人の悪意に対して異常に無知であったし、
おまけにクリスチャン2世のアダルトチルドレン持ちだった。子供より世間様第一である。
少なくともこの家には、家をリフォームするという前提がある。
親であれ、上司であれ、育ててやった。雇ってやった。
追記
編集してみました。