僕は老人ホームに行くのが嫌いだ。
正確に言えば、『認知症の進んだ祖母のいる老人ホーム』に行くのが。
今年で96歳。
あと1年半ほど生きていれば、大正、昭和、平成、そしてその次と、4つの時代を生きていることになる。
10年前までは普通に一人暮らしをしていたけれど、ある日偶然足を骨折してしまった。
年のせいでなかなか回復せず、やっと治った頃には筋肉の方が衰え、どんどん動けなくなった。
これじゃ一人暮らしはもう無理だということで親戚の家に移ることになった。
最終的に、介護する余裕のある伯母(祖母からすりゃ娘)の家に住むことになり、割と裕福な家庭だったので段差を無くしたり手すりをつけたりするようなリフォームなどもしていた。
しかし伯父と伯母も70過ぎで、どちらかと言うとそろそろ介護される側だ。
だんだん余裕がなくなり、近くにある老人ホームに移ることとなった。
それ以前にもデイケアでお世話になっていた所なので安心ではあった。
しかし他人ばかりの、自分で好きに出来ない施設に送られるというのはどうにもモヤモヤするものがあった。どうにもできなかったけど。
1年ほどは普通に過ごしていた。
車椅子にこそ座っているが、至って元気そうな姿を見て安心した覚えがある。
僕の顔も名前も覚えていた。
でも、ちょっと舌が回っていないようだったし、母と祖母の2人にしか分からないような話をしていた様子だったので、僕は横で微笑むしかなかった。
祖母はしきりに
という旨の話をしていた。
僕は
と、少し伯母夫婦に不信感を覚えた。
僕はバカだった。
足腰以外は至って健康だと思っていた祖母は、既にボケていたのだった。
母だって、2人にしか分からない話をしていたのではなく、優しく話を合わせていただけでしかなかった。
次の帰省で会いに行った時、
残念ながら症状は進行していた。
僕の顔を見て、
正直、親戚の家に移った8年程前からは半年に1度ほどしか会っていないし、仕方の無いことだと思った。
車椅子から職員に肩を抱えられベッドに移る姿は悲しいものだった。
この時は、話している途中で僕のことを思い出したようで、すると
『タンスにお菓子が仕舞ってあるから出そうね』と言って立ち上がろうとして、隣にいた職員に止められていた。何度も。
その時、祖母の頭の中では、自分はまだ自由に動けて、僕はまだ小学生くらいの小さい子供だったのかもしれない。
切なくて涙がこぼれた。
感動映画とか、ドラマとか、漫画とかを読んでも基本泣かない人間なのにだ。
そして今回。
もう、祖母が僕のことは露ほども覚えていないことを覚悟して向かった。
顔を合わせると、
『どちらさまですか』と言われた。
娘と孫だ。
前までは名前を言えばなんとか思い出せていた。
その後も、ずっと祖母は見知らぬ人間と話すように、敬語を使い続けた。
『見覚えのある方ですね。どこでお会いしましたっけ?』と繰り返すようになった。
中途半端な希望的な言葉を言われ、ここまでこらえていた涙が出てきた。
すこし話はズレるが、
一番関わりのある(面会に来る)伯母の名前だけを覚えている。
でも、自分の娘だということはよく分かっていない。
僕はこれからも、祖母と顔を合わせるたびに泣いてしまうだろう。
そして、きっと祖母が死んだときは、それほど泣かないのだと思う。
理由は、はっきりと言うのはあまりに非倫理的であるように思われるので
心のうちにとどめておきたい。匿名であってもだ。
こんな言葉があるけれど、今では亡くなるのではなく、
寿命は延びたかもしれないけど、やはり五体満足である期間は短い。
子供の作文の締めくくりみたいになるけど、
やはり親も先は長くないし、出来ることは今のうちにしなきゃいけないなと思った。