はてなキーワード: 雨ニモマケズとは
きーみのドーォルチェアーンドガッバーナ~魅惑のバンビーナ~!レッツゴー!!!
あのさ、
予約の取れない店の美味しいかどうかのハードルってぐんぐん上がりすぎて、
いざ行ったらなんかハードルが上がりすぎた分、
下をくぐる感じじゃないかしら?
せいぜい私の味の品評は
舌平目の3枚舌って感じなんだけど、
どう考えて首をひねっても
美味しいのは美味しいのよ。
でもハードルに見合ってないというか、
あと予約の取れない店って
それもどうかなーって思うのよね。
気に入ったお店だからこそ通いたい派なの私って。
通ってからこその良さって分かってくるじゃない。
注文聞きに来るわけでもなく
いつものやつでいい?ってアイコンタクトで注文出来ちゃうぐらい通ってからこそから始まる良さってあるのよ。
だから私がそのお気に入りの街中華に入店して席に勝手に着席して
いつものやつでオッケー!って厨房のマスターに何も言わずとも手を振るだけでオーダー通るシステムってスゴいわけなのよ。
食券タイプのお店ではなせない技よね。
ちょっと話し変わるけど、
いつも行ってる食券タイプのパスタ屋さんでランチしようと思ったの。
そしたら現金入れたら、
よく分からないけどさ。
食券機に並んでた人とちょっと話してて、
今日はなんか食券機調子悪いんですかね?って口々に言ってるのよ。
だからあまりテクノロジーに頼りすぎるのもどうかなってわけなの。
料理の提供時間の遅さもまたハードルをがんがん上げていく訳じゃない。
あとさ、
辺鄙なところにある交通の便が不便で行くのに苦労するお店とか、
美味しくても立地的に二度と行けないお店なんて悲しいじゃない。
洋食屋さんお店美味しそうなところたくさんあるけれど
予約しにくかったり、
場所が遠くにあって行くのに大変だったり、
せっかく美味しい洋食屋さんだとしても、
障害になるのよね。
ハードルだけにって。
だからそういうのを取っ払って
立地を条件に言うなら、
日本からしたらちょうど地球の裏っかわのブラジル?メキシコ?らへん?そのお店が最強に美味い!ってことになるわけじゃない。
あと予約の取りにくいお店だって、
毎日お客さんを1組しか取らないってなれば絶対美味しいお店になっちゃうわけなのよ。
その理屈で言うと。
だからあんまり予約の取れない人気のお店なのよ!って話し私はちょっと警戒しちゃいまくるわ。
要用心!という感じね。
みんなも遠くにあって予約の取れない洋食屋のお店にバッタリでくわしたら気を付けた方がいいわよ。
別にディスってるわけじゃないの。
美味しいところは気軽に通いたいってことよ。
つまりはね。
そんなことを話していたら、
通っていてしばらく言ってないバルの限定そこでしか飲めないビールが飲みたくなっちゃったじゃない!
今夜当たりバルにはるばる行ってみようかしら。
そこのピッツアも薄くてクリスピーでバジルが緑色で最高なのよ!
ピッツアと一緒に飲むととても美味しいことを
また余計なことを思い出しちゃったわ。
うふふ。
今日はお目当てのあのサンドイッチがあったらいいな!って自分でハードルを上げても仕方ないので、
そのサンドイッチ屋さんに行く際には
無になって心になにも留めず
宮沢賢治さんの雨ニモマケズのあの歌を地で行くような心境で行くとお店の人の心証もよく見てくれるのよ。
でもやっぱりそんな気持ちで行っても、
ブドウの色々な種類の詰め合わせが妙に安かったので、
これってきっと途中でもげた葡萄の寄せ集めなのかしらって思うほど、
そんな昔話的な物語がありそうね。
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
都会しか知らない奴が田舎こえ~って言ってるのもあるだろうけどほとんどは今現在田舎にいる奴や以前田舎にいて脱出できた奴が実感として田舎は陰湿で怖いって言ってる
はてなのモラトリアムシティーボーイが何か勘違いして「田舎が陰湿って決めつけるのやめな?」「都会のみんな、田舎の悪口はよくないよ」「陰湿って言う方が陰湿。それに気づいてない愚民は実に興味深い……(苦笑」とか
はあ?って感じ
このまま拗らせてあくせくした都会じゃなくてゆっくりと時間が流れる田舎に行きたい、
のほほんとした田舎のおばちゃんやおじいちゃんやちょっと無口だけど真面目な青少年に囲まれてのんびり畑仕事でもして雨ニモマケズみたいな素朴な生活をするんだ、
必要ならばボクが都会の英知を授けて助けてあげるんだってほんとに田舎に行っちゃってグリーンインフェルノみたいな目に遭って欲しい
香港のデモとか見て思うんだけど、あれやってる人は物凄い勇気と意志だよね。
俺なんて現地に生まれたとしても絶対できないわ。何かもっともらしい理由つけて家に籠もってると思う。
一方、ウイグルの弾圧とか見ると、やってる人は人としてどうなのって感じだね。
その立場に置かれたら自分がどうするかなんて分かんねーけど、人としてそこまで落ちたくないと思うね。
信義礼智信とか、勇智信とか、
雨ニモマケズ風ニモマケズって美徳や道義と呼ばれるものは誰でも知ってるけど、
実践できてる人と傍観者、そしてその真逆をやってる人と、なんでこんなに違いが出るのかね。
親の教育なのか、育った環境なのか、付き合った友達なのか、出会ったメンターなのか知らんけど、
でももし俺に子供がいたなら、損をしてでも勇敢に生きて欲しいという勝手な思いはある。
気高くて勇敢な精神ってのはどうやって養うんだろうね。
自分は、20代後半だが、参加者は20代前半の人が大部分だった、
昔から、人と接するのが恐ろしく苦手だった、今回の交流会でもあまり人と話せず、年下の優しい人が話しかけてくれて、年下に気をつかわせてしまう自分が情けなかった
話題をふったりとかもして見たけど、2、3言で話が終わってしまう、とても気まずい、苦手だな。
とりあえず、自分はこういう交流会でも、基本あまり人と喋らないし、名刺交換の流れにも乗れないと自虐で笑いをとって見たりしてみた
僕にしてはそこそこウケたんじゃないかな
中学生の時からみんなとワイワイする席で誰とも喋れず一人で食べてることが多かったので、さすがにそれが辛いという感情は今はほとんどなくなった。
辛いことがあってもユニセフに募金したり、献血に行ったりして、自分が社会の役にたってると思うことで辛い体験から自衛する方法も自分の中では確立しているし。(この方法は結局辛いことから逃げているので成長できないのだけど)
ただ、やっぱり僕と話しててつまらないなと感じてる周りの人の顔を見るのが申し訳ない。
交流会の席で綺麗な女の人がいたが、僕と同じ席で気持ち悪い思いをさせなかっただろうかと不安になる。
僕のことをあまりよく思ってない、同じ会社の人も出席していたが、僕が周りの人と打ち解けることに嫉妬させることになったら気まずいな。(この不安はいつも杞憂なんだけど)
僕は傷ついてもどうしようもない人間だけど、僕のせいで周りの人が嫌な思いさせてしまうのがとても嫌だ。助けて。
世の中には僕よりも辛い思いをしている人が山ほどいるのはわかっているけど、辛いときはやっぱり辛い。情けない。
最近勉強しているプログラム言語の話をしてみたりしたけど、なんか交流会という感じにはならない、自分の方ができるんだぞ、自分は分かっているんだぞというマウント合戦になってしまう。
僕はマウント取るために勉強してたわけじゃないのに、昔、宮沢賢治の雨ニモマケズに感動して、褒められもせず苦にもされず、そういうものになるために僕はただ好きなことを勉強していこうと思ってただけなのに、あの時の自分の気持ちはなんだったのか。いつの間にかマウンティングゴリラになってしまって人間の交流会に迷い込んでしまった。人間に戻りたい。
交流会が終わったら、1時間ぐらい歩いて家まで帰った、帰り道がいつもより寒かった。地球は温暖化してんじゃねーのかよ、冬なんかなくなったらいいのに。
悪いことは重なるもので、甘いものでも食べて元気出すかと、グミを食べてたら、なんか銀歯が取れた。歯?
自分に何か非があって天罰でも当たっているのではないかと、思いを巡らせて見る。
そういえば、ここ数ヶ月、最近、母さんが僕に何も言わずに毎月1万円ずつ振り込んでくれている。母さんは僕がそのことに気づいていることにまだ、気づいていない。
正月に実家に帰った時に文句を言ってやろうと思ってたんだ。こんな感じで。
「母さん僕は、昔から友達もほとんどいないし、特に取り柄もないし、ダメな人間で、形容するならネズミのような人間で、いつも人にバカにされていたんだ。
だから今僕が自分で働いてて、自分の金で生きている、そのことが僕の自信につながっているし、楽しみでもあるんだよ。
だからお金なんか振り込まれたら、そんなの自分の金で生きてることにならないし台無しなんだ、だからお金を振り込むのはやめてくれ。」
そう言おうと思って。でもよく考え見ると、僕が募金をするのは、人のためではなく、自分のため以外の何物でもないし、母さんがお金を振り込んでくれるのも同じ理由なのかもしれない。
ならばこのまま気づかないふりして好きにさせてあげるべきなのでは?まあいいやまた明日考えるか。まあお金は絶対使わないけど。
最近、嫌なことがあっても、時間が経つと、その経験自体も結構好きになってしまう。
でもそう思えるのは、本当にどん底まで経験してないからこそツラミも旨味と、そう思えるわけで。そう思えるうちが幸せなんじゃないかとも思う。末長く続きますように。
家の近所に美味いラーメン屋があるが、雑誌か何かで紹介されたのかいきなり人気店になって昼時はいつも行列ができている。
チッ。近所にいつでも食べに行けるラーメン屋があるというのが、僕にとっては重要で、味なんか60点で良かったのに。
もう少し離れたところにあるラーメン屋はラーメンにライスが必須でついてくるんだよな、ラーメンとライスなんか合うわけねーじゃん。
さらに離れたところにあるラーメン屋は、30点ぐらいの味なのでちょっと歩いてまで行く気にならない。
明日献血にも行くか。自分が世の役に立っているという自己満足を満たしていると思わせて、実はそれは照れ隠しで本当は人のため、と、思ってもらって、自分の自己顕示欲と承認欲求を満たすために行ってきますか。はー注射怖いな。おやすみなさい。
インターネットでよく見るヤバイ教師ってほどでは無いけど、そういや自分の小学校のある教師は教育的にアウトだったんじゃないかと最近思っている。
小学生のうちは何でも簡単に覚えられるから、どんどんいろんなものを暗記しようという考えだった。
最初は後々入試とかで覚える必要があるからという理由で「枕草子」や「平家物語」の冒頭を覚えさせた。本文の意味を教えてもらった記憶は殆ど無い。
ちなみに、私の通っていた小学校では学年に1人ぐらいしか中学受験はしない。だから、その暗記した文章を使うのは何年も後の話で、その頃には私はほとんど忘れてしまっていた(これは私の記憶力の問題かもしれないが)。
つぎに暗記させようとしていたのは「雨ニモマケズ」だった。完全に教師の趣味である。その教師の好きな作家が「宮沢賢治」だという理由だった。ほかに理由は無かったと思っている。
宮沢賢治の誌の中でも比較的わかりやすいものだが、わざわざ覚える必要があるか?と感じている。あの詩は宮沢賢治の思想が十二分に含まれているし、きっと小学生には理解できない。私を含め、ほとんどの同級生は宮沢賢治の一生についてほとんど何も知らなかったからだ。彼の人生を知っていても、並の小学生は時代背景を理解して文章を読み解けるのはほんの一握りだと思っている。これは小学生に限らないかもしれないが。
その次に暗記させたのは「般若心経」だった。これはひどい。教育に自分の宗教を持ち込むなよと思う。私の家は仏教徒だがその他の生徒はどうだったのだろう。キリスト教やイスラームの家庭かもしれない。宗教的教育は公立の小学校でする必要はない。それを暗記させようとしていた頃には私はほとんど嫌気が差して覚えようとは思わなかった。記憶力の良い生徒は丸暗記していたし、それをクラスのみんなの前で流れるように唱えていた。あれは異様な光景だったと今なら思える。
1つは宗教の自由だ。日本人は比較的に仏教徒は多いが、全員ではない。また、仏教系やキリスト教系などの学校では無い普通の公立小学校である。つまり、他の宗教を信仰している生徒がいる可能性があるにもかかわらず、特定の宗教だけを教えるのは極めて不適切だと思っている。
2つ目に丸暗記の弊害だ。生徒は意味もよくわからずひたすら暗記するだけだった。果たしてそれに何の意味があるのだろう。まして、宗教的文章となると無意識的に生徒の思想を操作しているのと同じではないだろうか。
あの文章を暗記させていた教師は教頭か校長になっていると聞いたことがある。その教師は熱心に生徒と接していたので人気も高かった。きっと問題にならずに済んだのだろう。
この教師が一般的だとは思わないし、思いたくないが、探してみると案外いるのかもしれない。この文章を読んで似たような体験をした人がいたらぜひ教えてほしい。
宮澤賢治のいわゆる「雨ニモマケズ」は検定教科書で出てくることが多く、やたらともてはやされてきた。しかし、「雨ニモマケズ」が宮澤賢治自身の信仰の表れであって、いわば宗教であることは、習っただろうか? 習っていないとしたら、いろいろとまずい。国家的にしれっと宗教教育をやっているということであるし、また、正しく教えていないという、まさに学力低下以前の話。
宮澤賢治がなりたかった「そういう人」というのは、ブッダである。欲は無く、いからず(瞋らず)、よく(能く)観聴きする、すなわち貪瞋痴(三毒)の無い、覚った人だ。相談を受けて廻り、調停に入って争いをやめさせる人物。なりたい姿を自ら書いて携帯することで、己への戒めにしたのである。本来の「お守り」、憶持仏のたぐいだ。
宮澤賢治には、肉食(ニクジキ)に批判的な著作がよくある。豚を主人公にしてみたり、人の方が食われそうになる話を書いたりした。農業を研究していたのもおそらくは、肉食をせずとも生きていけるからだ。
そしておそらく、宮澤賢治は、ブッダ(釈尊)に関して事実誤認をしている。史実の釈尊は、雨季安居をしている。つまり、雨季には外を出歩かず屋内で過ごしている。
史実の釈尊は、無理をするなと説いていた。しかし往々にして捻じ曲げられるもので、無理をしたり、苦行をしたりする「仏教」がつくられてしまっている。
それに、和國(日本)に届いた仏教と称するものは、中国の信仰がごちゃまぜになっていて。つまり、儒教が混ぜ込まれている。それは、中国での布教教化のために都合がいいからだし、権力者などが儒教の教義と矛盾しないことを求めたからでもあるだろう。そうして、中国では仏教と儒教が習合し、それが輸入された。ちなみに、中国の技術・文化を受容するためにも、神道も仏教と習合したり、儒教とまぜられたりして、現存する神道も本来のものではない。
ともかく、史実の釈尊も丈夫な身体はもっていたけれども、雨風に勝とうとはしなかった。
教科書にやたらと出てきて「雨ニモマケズ」がもてはやされてきたのは、いわゆる根性論、「頑張る」ということを注入するためだろう。無理をして「頑張る」ことを美化することが未だに行われ、わざわざ公的に教育されている。世(国家社会)のため、ひと(他人)のためには、己を傷めつけることも厭わない、そうした生き方がずっと美化されてきた。世のため人のために自らを犠牲にするという教条は、そもそもは儒教であり、言い方を換えれば軍国教育のようなものだ。要は、階級差別と、全体のために個を犠牲にするという全体主義である。
かように日本とかいうものは未だに政教一致国家なのだけれども、そのことに自ら気づかなかったり、気づかないようにしむけられていることは危険だし、だからこそ、社会の既成構造を優越させて変革を避け、創造性や生産性が低く、そして、自死率は高い。
クリスチャンになると自然と自然科学に興味が湧く(ダジャレ事故)。
光文社からたまたま出てたダーウィン『種の起源』が分かりやすく面白かったため、自然科学の古典を読んでいきたい。
あと社会科学系の本ばっかり読み過ぎて飽きてきたのもある。
『星界の報告』の新訳。望遠鏡で観た星空の様を感動と共に書いた本、らしい。あと地動説が論じられてるとか。
ニュートンの『プリンキピア』を中学高校レベルの数学で平易に解説した本、らしい。別にこの本じゃなくてもいいんだけど、要するに『プリンキピア』に何が書いてあんのかをざっくり知りたい。
チャンドラセカール『「プリンキピア」講義』なる本も定評があるらしいが、難解らしいので警戒している。
図書館で解説だけ読んだら、あの難解な宮沢賢治の内容がものすごく分かりやすく解説されていて驚いた。本作はその解説(読み方)に従って作品を配列した全集。
といってもどう見てもキリスト教に引っ張られた解釈(「完全な自然と不完全な人間の対比」)で、どこまで鵜呑みにしていいのか分からんけど。
ちなみに有名な『雨ニモマケズ』は、昔からキリスト教っぽい詩だなぁと思っていたのだが、モデルの男と目されている人物(斎藤宗次郎)がクリスチャンらしい。ホントかどうかは知らんが興味深い。
ブコメで勧められたのを検索してたら発見。人生をやり直したいという主人公に神が答えるシーンがものすごく良い。
ドストエフスキーのデビュー作。といっても彼が社会主義者で、ゴリゴリのクリスチャンになる前の作品。なぜか光文社から新訳が出た。
どうも金と愛の話らしい。
クリスチャンになる前はマルキストだったので、この本には昔から興味があった。
古い訳で分厚くでかい本しかなかったので敬遠していたのだが、このたび何故か新訳された。マルクスブーム万歳である。
ついでにヒルファディングの『金融資本論』も新訳してください。
とりあえずこんなところ。
http://anond.hatelabo.jp/20160621052125
に追記します。
皆さんのコメントを読んで、自分が間違っていた事に気がつきました。
むしろ大きな問題点があったのは私の方で、国語の授業で答えるような正解を考えるのが当たり前のように思いこんでいたのだと思います。
夫と自分の違う所がわかっただけなのに、夫の方が普通でないと勝手に決めつけて勝手に1人で心配してしまいました。
「みんなちがって、みんないい」と書いてあって、
ああこれだった…とやっと気がつく事ができました。
夫と一緒に読んでいて内容もわかっていたのに、どれだけ上っ面での理解だったのかと恥ずかしい気持ちでいっぱいです。
「雨ニモマケズ」の感想を聞いた時は考えもしていなかった内容に驚いて、すぐ検索し玄米4合の背景について諸説調べて夫に伝えていました。
でもデクノボウについては、「人からの評価は気にせず、良いと思うことを地道にやっていきたい…みたいな事だと思うよ」と適当な説明をしてしまっていたので、トラックバックで教えて頂いた「矛盾の研究」などを知る事ができて良かったです。
この点だけ見ても、夫の視点の方が正しかった事がよくわかりました。
「グスコーブドリの伝記」も読んでみようと思います。
ドリルが終わったら坊ちゃんを勧めてみようかなと思っています。
(資格試験などで問題の文章を読んで理解するのに時間がかかって、
答えはわかるのにギリギリ合格できず残念がっていた事があるので
本人の興味のもてる範囲内での読書などで何とかできたら…という気持ちはあります。)
元々、夫に何か無理にさせるような事は考えていませんでしたが、
これからは夫との違いを興味深く楽しんだり補いあったりしていきたいです。
「あめんぼ赤いな、あいうえお」
と読んでいましたが、
「あめんぼって赤くないよね??
と言われました。
先日「毎日音読をすると言葉がすらすらと出てくるようになる」という記事を見て、いつも上手く喋る事ができないという夫に音読を勧めてみた。
直後から「美容師と会話する時に言葉が出てきやすくなった!」と効果を感じたそうで、会話も少しスムーズになってきたり、側から見ても良い感じに変化があったので、これからも続けていこうと思ってる。
でも大きな別の問題点が浮き彫りになった。
小学生用の音読ドリルを買ってみたら各種名文が使われていて、授業やなんかで一度は目にした事がある詩や小説の一文、枕草子や徒然草の古文など懐かしいものが沢山あった。
でも中学生の頃に家庭環境がひどくてほとんど学校に行ってなかったという夫にはどれも初めて触れるものだそうで、一応スラスラと読む事はできるし現代語なら概ね内容も理解しているようなのだが、感想はどれも「よくわからん」と言う。
特に詩みたいなものは全く心が動く事がないようで「で、何が言いたいの?」という感想ばかり。
「こんなにあちこち行って色々頑張ったり良い事をしてたら、デクノボウなんて呼ばれないでしょ?あと玄米4合って多すぎ。」
と言っただけだった。
ただ読書感想文が書けない子ども状態なのか、それとも元々何か大きく欠けたものがあって情緒的なもの感じる事ができないのか、どちらかわからない。
もう結婚して長いけれど、映画やなんかで泣いてるのを見た事がないし本人も泣いた事がないと言ってる。
でも可愛いキャラものが好きだったりふざけたりいたずらもするし、まるきりロボットのようなわけでもない。PCを使った複雑な仕事も日々問題なくこなしている。
でも文章の理解力の低さと、情緒の表現に理解が乏しいのは間違いない。
Twitterの短い文章でも、若い子の書く遠まわしな表現の文体とか、添付の写真を見てやっと意味が理解できるような文章とか、夫に見せてもなかなか理解してもらえず、説明してやっとわかってもらえる事がよくある。
普通に小中高と過ごしてきていてこうだったら、ただこういうタイプの人なのだと思えるんだけど、もし義務教育を受けられなかったせいだったら「今からでも何かできる事がないか…音読じゃなくて小学校の国語からやり直したらいいのか…」「できる事なら今から中学校に通わせてあげたい」とか考えてしまう。
※追記しました↓
・m9(^Д^)
・30A単位でー>10A
□目の前が小学校
□目の前が線路
そうでもないよ
□駅から○分
□治安
( `ェ´)ピャー (`ェ´ )ピャー ←やんちゃな若者たち
((( (;゚Д゚)ガクガクブルブル
夜中に出歩ける街がいいよね
両方あれば最高、なければコンビニだけでも。
□近くにコインランドリー
あれば洗濯機を買わなくて済む?(後述)
□川の近く
まぁあまり気にしない。
どぶ川の近くは蚊が多いです(ノ∀`)
□海の近く
気をつけてください。錆びます。特に自転車や自動車はすごい勢いで錆びます。
□山の近く
奇妙奇天烈な虫が出ます (;´∀`)ザトウムシトカムカデトカ…
苦手な人は本当にやめたほうがいいです。
□目の前が中学校
部活がうるさい
あと考えてみたら大学の前もやばそう
□目の前が大きな通り
車がうるry)
□目の前がガソリンスタンド
うるry)
□床(フローリング、畳、じゅうたん)
本物のフローリングはキャスター椅子で簡単に傷んでしまうので保護マットが必要。
偽物(フローリングの絵が書いてあるマット)はどうでもいい。
畳はすぐに日焼けする。長く使っていると畳ごとに色が違うことはザラ。
じゅうたんの部屋は・・・すいませんわかりません
□壁
前の住人がヤニカスかを確認して、なるべく張り替えてもらえるように
不動産屋にお願いしよう。
30Aが標準で10A単位で上げていける。
電気系の暖房器具+電子レンジ+炊飯器ぐらいで落ちるので、特に気にしないでもいいと思われ。
□窓とカーテン
□エアコン
ちなみに北海道はエアコン付きの物件はほとんどありませんので、「暑さ」に弱い方は
ご注意を!
北海道だとエアコンがない代わりに灯油ストーブが備え付けられている場合がある。
逆に無いと灯油ファンヒーターを買ってきて、灯油配達も自分で頼まないと行けない。
□築○年
10年、20年程度でも全然住める。我慢できるかは下見で要確認。
□アンテナ
テレビがすきな人はBS、特にCSが映るか不動産屋によく確認のこと。
一緒になっているのは湯に浸かるようにはできていない。シャワーのみ。
他にも掃除が楽だというのがある。
□照明
壁スイッチがちゃんと照明の数分あるかどうかチェックする
冬は玄関から入ってくる風がさむい。ドアが一枚あるとかなり和らぐ。
コンロを自分で用意する物件もある。だが急いで買う必要はない。
ガスは開始時にガス屋が来るのでその時に詳しく聞いて、どのタイプのコンロを
買えば良いか聞こう。
□部屋の位置①
これ忘れてましたわ。角部屋だと日当たりはいいですが、寒いです。
ただ夏は窓を開けると風が抜けていって涼しいですよ。逆に窓が一枚しか無いと…あつい
□部屋の位置②
<<<へ(へ´∀`)へ カサカサ
□ゴミ
夜出せる所いいよ
□カーテン
プライバシー超重要。下見で見た大きさのものを選ぶこと。幅はぎりぎりのものを買うよりも
ちょっと余裕があるほうがいい。また丈は200cm以上は量販店では扱っていないことがある。
不動産屋が連絡先を教えてくれるので、そこに「何日から開始したいのですが・・・」と電話する。
電気はブレーカーを上げるだけ、水道は元栓を開くだけで開始できるが、ガスのみガス屋が部屋ま
で来てチェックをしてから開通となる。ガスが無いとお湯が出ないので、引越し日か次の日を指定
したい。
□ネット解約、開通
3月にNTTに電話してもびっくりするほど繋がらない。解約には根気が必要。
開通も一ヶ月ほどかかる。引っ越ししてすぐに使いたい場合は、モバイルも視野に。
ただしモバイルは場所と機器で受信感度が全然違うのと、制限なしと歌っていても3日で
3GBまでと誇大広告しているところもあるので注意!
□転出届
これをやらないと住所変更ができず、住民票が手に入らない。
住所を証明できるものがないと近所のレンタルビデオ店や漫画喫茶などの会員証が発行されない。
□照明(ない場合)
Amazonで5000円ぐらいで安く揃う。
□クイックルワイパー(フローリングのみ)、床をコロコロする奴(畳、じゅうたん)
掃除機なんていらなかったんや。
□コップ
家から持ってくる
( ˘ω˘)スヤァ
どうも床に座って作業していると人間は怠けるようで、集中して作業するにはこれが必要になる。
中古のオフィス家具などで揃う。フローリングの人は保護マットも用意のこと。
自在に動かせる金属製のものを。プラスチック製のものを持っていたが、ポキっと折れてそのままゴミになってしまった。
またLよりもTのものはおすすめしたい。Lだと思ったようにうごかせないことがある。
またスイッチは機械スイッチのものを。静電スイッチのものは経年劣化で反応しなくなるのでおすすめしない。
□洗濯機
近くにコインランドリーがあればいらない?
なければ購入しか無い。
□ゴミ箱
□スリッパ
フローリングは冷たいのであったほうが良い。100円ショップで揃う
□ハンガー
プラスチック製だとへたる。
100円ショップで揃う。
□サニタリー用品
初日は汚いままでいるのならなくてもいい。
あったほうがいいと思うが、すぐ買う必要はないと思われ。
□ベッド
反論:
カビて床を腐らす恐れあり。すのこ買うといいよ
買え!疲れのとれ方がぜんぜん違うぞ
□固定電話
携帯電話で十分
□洗濯機
反論:
出歩くのめんどくない?
みんなで使ってるし汚いぞ
自炊しないならいらない。
□掃除機
反論:
粒が粗いと取れない塵もあるよ
□テレビ
PC+PT3で見れる。
反論:
□冷蔵庫
自炊しないならいらない。
反論:
何言ってんねん。冷たい飲み物いるやろヽ(`Д´)ノ
アイス食べないの?
ビールマズー( ´д`)
卒論の題材を宮澤賢治にした。うさんくさくて嫌いな人も多いと思うけど、永遠の童貞って呼ばれるくらいだし、自分には合ってると思う。
経歴を一通り追って感じたのは「やさしくて、よわっちくて、人を大切にしたいくせに理解してもらえないと周囲を憎んだりして、ほんとに一生ぐるぐるしてた人」なんだなーってこと。
前に歩いて後ろを振り返って、悩んで苦しんで文字通り血を吐き続ける姿は、決して美しいものじゃない。でもその愚直さに惹かれるって人も多いはず。(自分もそう。)
「雨ニモマケズ」から超出来た人っていうイメージ持たれることもあるけど、決してそんなことはなくて、自分の中の醜いものや汚いものを持ちながら、こんなんじゃだめだ、もっと良く生きたいっていうのをそりゃもう必死に求めていたんだよね。
賢治は死ぬまで親のスネかじり続けて、仕事もころころ変えたりして、晩年に「今までの生き方は理想主義にすぎた」みたいなことを言ってる。
自分も積極的に「賢治みたいに生きたい」とは言えない。禁欲して粗食で我慢して最愛の人を失って自分も若死にするなんてしんどすぎるもん。
でもどうだろう。賢治の童話は教科書に載って子供に親しまれているし、賢治の詩は多くの人の支えにもなっている。(自分もそう。)
一生ぐるぐるし続けたからこそ、賢治の言葉には説得力がある。真に迫ってくる。賢治先生のぐるぐるから学び、いつか自分のぐるぐるを解消したいなーとか思う。まぁ一生ぐるぐるかもしれないけど。
ヨクミキキシワカリ / ソシテワスレズ
西ニツカレタ母アレバ / 行ッテソノ稲ノ朿ヲ負ヒ
南ニ死ニサウナ人アレバ / 行ッテコハガラナクテモイヽトイヒ
北ニケンクヮヤソショウガアレバ / ツマラナイカラヤメロトイヒ
ヒドリノトキハナミダヲナガシ / サムサノナツハオロオロアルキ
サウイフモノニ / ワタシハナリタイ
子供の頃、国語の教科書に宮沢賢治の「雨ニモマケズ」が載っていた。
学校で習ってからもう10年以上は経っている。
10年経つと、こんな風に生きることがどんなに難しいかがわかってくる。
人を優先して自己犠牲をくりかえしたところで、
それがお金になるわけでもないし、他人から利用されることだってある。
現代社会のサバイバルには正直向いてない詩だよなー
「サウイフモノ」になれるのは、よっぽどの人格者とか重度のマゾとか
でもやっぱりなんか胸に残っちゃうのは何故だろう