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2024-03-09

クトゥルフ神話原作小説は、微妙すぎるウルトラ大怪獣ものだった。

クトゥルフ神話ってやたら2chとかで話をされていて、どーもマニアックな怖い存在に対する小説か何かだという認識だった。

それで、原作はラヴクラフットって人の小説だというので、原作を読んでみた。

  

内容的には、ホラーなんだけど、ホラー対象が、ウルトラ大怪獣みたいな封印された邪神ってやつ。

ウルトラ大怪獣は、人間社会への復讐みたいな感じだけど、邪神は単なる迷惑怪獣目的とかは無い。

  

これだけだと面白い小説になりそうなモンだけど、ラヴクラフトさんは小説の才能がイマイチだったのか、ストーリー絶望的に面白くない。

邪神をそのまま活躍させればいいようなものだけど、邪神が出てくるのは大体一瞬だけ。大怪獣が出てきて、人間がびびるっていう。

どちらかというと、小説は、その大怪獣の周りにいる人達の頭おかしい具合が描写される感じ。

その人物おかしい具合が、そんなに面白くない。あまりにも普通の人が普通に頑張ってるだけっていう。

いうたら、ウルトラ大怪獣を見にきてるのに、大怪獣とかその戦闘とかをほぼ描かずに、ウルトラ大怪獣と戦う自衛隊の、その自衛隊の中でも計測機器とか作ってる技術者視点がひたすら描かれるみたいな感じ。

変な電波が乗ったか?とかそういう話が延々続いて、自衛隊の話すらほぼ出ずに、大怪獣も一瞬みたいな作品を見ているような感じ。

  

ここまでつまらない部分を書いたが、もちろん、これだけ生き延びてる作品なので、面白い部分は多い。

設定集としては、厨二病の超絶エリートというか、厨二病で素晴らしい設定資料を残す奴がいるけど、その最上級って感じ。

厨二病小説は、小説1つ1つはあまりもつまらないんだけど、ウルトラ大怪獣ストーリーより怪獣キャラクターが魅力であるように、クトゥルフ神話写真結構魅力的なキャラではある。

正直、邪神だの、見たら発狂するだのっていう話が先行しすぎてて、「一体どんな怖い存在が描かれているんだ!」と思ったけど、拍子抜けするほど普通ウルトラ大怪獣一種ウルトラ大怪獣見て発狂とかせんだろと思うんだけどなあ。

あと、「邪神を信奉する異常なカルト集団!!!!」みたいなのは現代なら『ミッドサマー』みたいな異常なカルト集団とか期待するけど、カルト集団の描き方が適当すぎて、まあ現代で言うなら、ちょっと変な新興宗教程度、そこまで映画になるようなレベル面白さはなく、せいぜい祈りを捧げて邪神人間を捧げてるくらいの感じの描写

うーん、やはり、小説描写のつまらなさばかり書いてしまうなあ。

ものすごく面白い設定のはずなのに、絶望的につまらないゲームみたいな惜しさなんだよなあ。

  

現代の目から見たら、『SIREN』とかが面白すぎるゲーム性+面白い設定みたいなのが出来上がってるからウルトラ大怪獣の超絶劣化版というか、ゲゲゲの鬼太郎の超絶劣化版を見せられてる気分。

ラヴクラフトさんの小説自体を褒めている記述あんまり見ないので、やっぱ小説としてはイマイチなんだよなあ。

設定自体はいいところあるのに、小説技法が下手くそすぎて、カルト集団が描けてなかったり、邪神活躍イマイチだったり。

「いや、そこの設定じゃなくて、あくまホラーの怖さなんだ」と言われても、ホラーとしても人物描写が下手くそで、ラヴクラフトコミュ障すぎて会話文が下手くそすぎる感じ。

  

逆に言うと、「こんな無茶苦茶面白い設定集を、全然イカせてないじゃん!俺が完成させてやる!」みたいな余白が、二次創作を大量に産んでいいのかもしれない。

いわば、ゆっくり霊夢みたいな感じだよなあ、原作の余白があって、大喜利し放題だよっていう、野獣先輩とか、そう言うのに近いのかも。無茶苦茶面白いインパクトはありそうなんだけど、微妙な感じっていう。それをみんなで盛り上げてる感じ。

ラヴクラフトは三流作家としての人生だったけど、野獣先輩も三流ビデオから二次創作が大量に出ているように、ラヴクラフトも、三流だから、やり放題だってのがミームとしては絶妙な良さなのかもなあ。

  

なお、自分は、『恐怖の世界』ってゲームで、クトゥルフ世界観を感じて、面白い!どんだけ不気味なんだ原作は!と思ってクトゥルフ神話を読み始めた口だからTRPGで有名な方は何も知らないけど、ワクワクして面白そうな設定をゲームとして楽しむなら、クトゥルフ神話は確かに面白いやろうねえって感じ。

まあ、それって、ウルトラ大怪獣二次創作し放題ならそれが面白いよねって感じだしなあ。

2024-03-03

うちの実家は太かった

古くからその土地に住み、大きな家と田地を持ち、しか戦後農地改革ほとんどの財産を失い、裕福だった証拠はやたらと広い一族墓地くらいのもの田舎にはこういう家が溢れている。僕の家はそんな所だった。戦国時代から続いていて僕で 17 代目だとか?それを証明する家系図はもう火事で焼けてしまったみたいだが。

少し古い映画だが、「サマーウォーズ」で主人公訪問する田舎一族イメージとしてはアレに近い。正月一族で集まり当主から順にズラリと並び、その当主がくれるお屠蘇を漆塗りの器におしいただいて、一族健康繁栄を願うのだ。僕は当主からすると直系の最初の孫に当たり、父に続いてお屠蘇をいただくのを誇らしく思ったものだ。

しかし当時から不思議に思っていたのだが、父を含む僕の家族はこの家に住んでいなかった。父は長男、つまり次期当主だったのにも関わらずだ。家業は稲作なのに農作業を手伝うことは無く、そもそも他県に住み教師をして生計を立てていた。自然と僕もこの大きな家を他人行儀に感じ、普段公営住宅の狭い家に住んでいることから、この家のことを盆と正月にだけ滞在する言葉の通じない外国の別荘のように考えていた。「外国」と言うのは、県も違うので僕の方言が通じなかったのだ。

父が家を出た理由は本人からは結局聞けず仕舞いだったが、叔父などから断片的に聞く限りではかなり複雑な家庭環境だったようだ。確かに、僕の知るお婆ちゃんは本当の祖母では無いとか、床の間に知らない男性遺影が飾ってあるとか、そんなミステリアスな所も「外国の別荘」のような連想助長していた。これらについては、故人の尊厳のためにも深く穿鑿すべきではないと、当時も今も考えている。

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そんな父は、人の親としてはかなり優秀だった。それまでの経緯から実家支援は受けられなかっただろうに、独り立ちできるよう手に職を付け、教師としては結構な金を稼ぎ、できるだけ教育投資して僕を大学に入れたと思ったら、力尽きたようにポックリ逝ってしまった。それでいてそんなに禁欲的だった訳ではなく、夏休みには家族旅行もし、仕事研修で何度か海外に行き、長期の休みを取っては毎年一人でスキー釣りを楽しんでいた。

自身が興味を持ったことは何でもやらせてくれる父で、書道ピアノ幼児の頃から大学に入るまで続けさせてくれた。サッカーがやりたいと言えばボールを買い、野球に興味を持てばユニフォームを揃え、夜に星空を見たいと言えば立派な天体望遠鏡を買ってくれた。これらはほとんどモノになることはなく、ただ一つ、当時流行り始めていた 8bit マイコンを買ってくれたことが、僕が今でも IT エンジニアとして生きて行くきっかけとなった。

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そんな父にも欠点はあった。とにかく迷信深く、いくつもの新興宗教にハマったのだ。父自身、また僕が病弱だったことや、ひょっとすると実家事情も影響していたのかも知れない。今でも覚えているのは、自宅に仏壇とは別に祭壇を用意し、そこにお供え物を上げて妙な文章を読み上げる儀式を、僕が担当して毎日夕方にやっていたことだ。

他にも気功か何かで癌が治ると言う宗教に熱心で、こちらは父自身信者同士の合宿に何度も出掛けていた。教義をまとめたノートを作り、会合で発表する様が写真にも残っている。

世紀末で世の中にはこういうインチキ宗教が沢山罷り通っていた。父の信仰心はその病状を好転させることは無く、父が死んだ後、これらの宗教団体は解散して費した金は全て無駄になってしまったようだ。

これらにどの位散財したのだろうか?僕にはもう分からない。それでいて子供二人を中高一貫校に進学させ、上に書いたように習い事もさせながら、東京大学に入るまで面倒を見てくれたのだ。教師としての稼ぎだけでできる気がしないのだが、実家の助けがあったとも思えない。専業主婦だった母も死んでしまったので、この辺の事情を聞ける人はもう居なくなってしまった。

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十年振りに、「外国の別荘」、つまり父の実家の大きな家を訪問した。昔僕にお屠蘇を注いでくれた祖父はとうの昔に他界し、今ではそこに僕とは違う方言を話す叔母が住んでいる。彼女の息子が将来は家を継ぐという話を聞いた。

子供の頃、父が作ってくれた滑り台で遊んだ庭は潰されてアパートが立っていた。耕す者の居ない農地は全て売却したそうだ。父の遺骨はもう一族墓地には入っていない。

2024-02-29

賢い子と賢くない子の違いがわかったかもしれない。

賢い賢くないと言うのは基準曖昧に過ぎるので言い換えると、同じ勉強量で大きく成果を出す子と、勉強量に比例した、あるいは劣る成果しか出せない子の違いだ。

賢くない子は物事を「知っている」と「知らない」の2つに分けることしかできない。口癖は「それはまだ習ってない」だ。逆に賢い子は「知っている」と「知らない」の間に「考えればわかるはず」と言う大きな領域が広がっている。

例えば「摩訶不思議」という漢字が出たとき。「まかふしぎ」という言葉は知っているという前提で、賢い子は、「不可」「思考」「議論」のような漢字の読みさえ知っていれば、推測から「まかふしぎ」という読みにたどり着く。賢くない子は「摩擦」も「不思議」も読めるのに、「訶」という知らない漢字が出てくるだけで「その漢字は知らない、読めない」となってしまう。

翻って大人のことを考える。ニセ科学に傾倒する医師であったり、新興宗教にのめりこむ弁護士であったり、あまりにも思慮の足りない行動、言動をする者がいる。

これはおそらく大量の勉強時間や素のスペックに物を言わせ、試験などの特定領域において「知っている」の領域を異常に広げた結果、特定の分野では結果を出すことができたが、「知らない」ことについて考える習慣がないため頓珍漢なことになってしまうのではないだろうか。

これは能力問題ではなく習慣の問題だ。賢くない子はどこかでこの「考えればわかる」領域について考えることをやめさせられてしまったのかと思うと、不憫でならない。

2024-02-28

anond:20240228150901

95年と言えばまだオウムとか事件前で現役なので、「新興宗教とか普通に終わる」が結構トピックのはずだが。

 

問題はその全容を説明できる人とか現代でも稀有だし。

そもそも現代でも終わっていく動きが進行中だよな。信者数の減少は明らかだが、統一教会幸福の科学も将来的に潰れることが分かってるだけで現役だし、創価学会天理は、潰れる時期は更に後になるだろう。

anond:20240228120236

岡田斗司夫、人としてクソだし、ガイナックスでも周囲に迷惑かけてるし、今でもやってることが親同様に新興宗教紛いだし、

ダイエットの本は文章が酷すぎだし、レコーディングダイエットしてるはずなのに、もう元のデブに戻ってるし、あの瘦せ方も不自然だったよな

ビッグマウスだけで生きてる感じがする

絵も描けないし、脚本企画クレジット名前だけだし、学生の頃は出資することで重宝されたけど、

クリエイターからあれほど評判の悪い人も珍しいぐらいだと思うけど、親同様に新興宗教教祖の才能だけはあるんだよな…

2024-02-22

実家日蓮宗だった

実家日蓮宗派生した他の新興宗教団体とは違う)で、子供の時は何も疑問思わず法事ときお題目読んだりしてた

お坊さんに貰ったのか知らないけど、仏壇日蓮上人の子供向けの絵本みたいなのがおいてあったので読んだんだけど「なんか色んな所で戦ってんだな・・・」と子供ながらに思いました

2024-02-19

宗教」という問題について語ろう

「私に宗教必要ありません」

宗教勧誘を受けたときによく口にしてしまうこの言葉

多くの日本人にとって宗教は「必要のないもの」という感覚が共有されているように思う。

しかし、本当にそうだろうか。

あるいは、「宗教必要のないもの」という認識宗教問題について冷笑的な態度を生み出し、本当にその問題について考えることを無意識的に避けてしまうのではないだろうか。

宗教(Religion)」という言葉は実は近代語だ。

もともと、この語源となるラテン語における「Religio」は、「(精神的な)深い絆や繋がり」を指す言葉であり、もしくは今日においても「Religious」が指すように「信仰深い態度」そのものを指す言葉として使われていた。今日における「○○教」といったような言葉は、単に「○○の弟子たち」あるいは「○○の後を追う者」といったような言われ方がされてきたし、日本においても「茶道」「武道」などの言葉に残るように「仏道」など「○○道」という言葉があてがわれていた。近代に入るまで「信じる」ということが、より実践的な行為と不可分なものとして扱われていたことがうかがえる。

私なりに「宗教」という問題が何を指すのかを考えてみるところ、それはおそらく「生き方(a way of life)」そのものなのだ

このように言うと、「ならやっぱり必要ないじゃないか。現に私たち宗教に頼らずとも、自分たち生き方に不満がないのだから」と言いたくなるかもしれない。それもひとつの「生き方」だ。

しかし、もう少し俯瞰してみると、これには以下のような構造が見て取れる。つまり日常生活においては必要のないものいるかもしれない。しかし、自身の生きる目的や指針などが根底から揺らいだ時にも果たしてそうだろうか。宗教的契機は必要ときに必ずや立ち現れるものなのかもしれない。

少したとえ話をしよう。

人類史における長い間、「地球は平だ」とする見方が優勢だった時期があった。しかし、当時に生きる人々はそもそも、大半が一生を自分の村で過ごす農民だ。たとえ貴族であっても交流範囲は限られていた。シルクロードを通じて、遠くから物品が運ばれてくるとしても、それは「遠くから運ばれてきたもの」であり、具体的にどのような道を通ったのか、その間に地平線を意識することもなければ、時差について説明する必要もあまりなかったはずだ。つまり、「丸いと考える必要がなかった」のだ。

しかし、時代は移り変わり大航海時代領域国家なども生まれ、人々の交流範囲がどんどんと地球規模に発展していった。その過程で、例えば「他国より手短にインドに行ける方法」を知らなければいけなくなったし、「離れた地域の人と連絡を取る方法」を考えなければいけなくなったし、「大規模な航海を行う必要」にかられた。その過程で、新たな発見を迫られ、徐々に「地球は丸い」という考え方が受け入れられてきた。

これは、地動説VS天動説しろアリストテレス目的論VSニュートン力学しろニュートン力学VSアインシュタイン量子力学しろパラダイムシフトというのは、往々にしてこのように「新たな問題に気付き、これを解決する過程で、認識全体が変容する」ことによって起こってきた。

宗教においてもおなじことがいえる。

まり、「宗教」というものも、そのようにより深い、目の前の生計や、人間関係さらには政治技術、そういった問題を超えた「自分自身は何のために生まれて、何のために生きているのだろう」「この世界は何のためにあるんだろう」といったような問題対処するための、プラグマティック実践論といえる。

そして、「自身生き方に行き詰ったとき」「自身生き方を見直さなければならない時」に、必ずこうした宗教問題に取り組む契機が訪れるのだ。

これは、「既存伝統宗教新興宗教は信じるに値するか」といったような問題とは異なる、より根本的な「宗教的契機の構造」の話をしている。その上で、「どんな信仰体系がその個人にとって意味があるのか」は、その個人マインドセットや、置かれている社会的文化的環境によって異なってくるだろう。もちろん、その人が置かれている社会的文化的環境によっては、特定信仰体系が反社会的であるとされることも容易に想定できる。それこそ、人々が宗教的契機に恵まれる、「自身生き方根底が揺さぶられるショック」を受けた状態に、巧みな言葉を投げかけ、献身的信者を作ろうとする商業主義宗教は、必ず唾棄されなければならないと考えているし、宗教もつ「強固な集団形成力」が誤った方向に向けられ多くの不幸を生み出した事例は人類史を見ても枚挙にいとまがない。伝統宗教価値を見出すとすれば、それは「長年生き残ってきた風習であることに意味を見出す保守主義観点からだと言えるかもしれない。いずれにしても、それが「生き方」の問題である以上、ひとりひとり、さらに状況によっても異なって当たり前だし、多様な実践が見られて当然だろう。

宗教は我々の生き方(a way of life)を根底から見直すときに必ず立ち現れる根本的な認識論であり実践である

これが私の考える宗教という問題であり、宗教に関する多元主義的視座の土台である。ぜひ、みんなの意見も聞かせてほしい。

2024-02-18

anond:20240218094212

マルチよりも「マルチ商法の手法を売る(これもまたマルチではあるが)」方が儲かる。ってウシジマくんで言ってた。

アジテーションするよりさ、自分扇動者になろう!って思わせるほうがいいと思うんだよね

一億総教祖宗教

あと、今、新興宗教やるならインフルエンサー取り込むべきだし、未だに犯罪として定義されていない思想テロしまくるべきだなって思ったらQアノン的な界隈が既にやってて賢いんだか救いようのないアホなんだか…

2024-02-17

anond:20240217114116

ブコメとかトラバって「反省してる奴は正義」とか「無能を受け入れてる奴は偉大」的な立場取る謎の新興宗教状態から絶賛されるんだろうけど、これ普通に悲しい話だよな

俺この人生は1億貰っても無理だ

2024-02-14

anond:20240214233144

それは真逆だと思う。普通に生きてたら神はいるという感覚持つと思うね

先祖様たちが山を海を自然現象をご先祖を崇めたように

 

ただ信仰を持つこととなんらかの宗教法人所属することは違うから

残念ながら組織になると問題は起きたりするから

カルト教団・怪しげな新興宗教被害に遭わずともモヤッとした気持ちになった人はたくさんいると思う

そういう不幸はなくなるといいね

 

しかし、元増田信仰ないと死ぬ時怖いは理解し難いわ

フツーに時代場所も問わず坊さんでも死ぬの怖い言うてるやろって感想、近年の有名どころだと寂聴さんとかさ

神の教えがあれば死の恐怖もうんたらは、教典のある宗教を本格的に信仰している人と、そうじゃない人の違いなのかしらね

2024-02-08

anond:20240207195244

何度も書かんでいいぞ

■これまで2社のブラック企業経験したんだが共通点が物凄く多くて驚いた(再掲)

(※これ2社のうち1社は銀行リース会社の話でーす。

そうと知らず有名大学出て入ってしま新卒不憫すぎる。言っとくけど、君らの同級生の多くがうちの会社比較にならないくらいまともな環境で、うちの会社じゃほぼお目にかかれないくら道徳的にまともな人達に囲まれて働いてるからな。)




ブラックな面に関しては、ネット上ですっかり広まってるような「ブラック企業あるある」では全然挙がらないようなものがかなり多かったのに、俺が経験した2社では色んな点で被ってたから本当に不思議だった。

以下、どっちの会社でも見られたブラックな面。

障害者差別言動

鬱病休職者が出た時に「うわぁマジかあ……あいつ遂に障害者なっちゃったのかあ!!!」と顔を覆う同僚がいた点。

鬱病休職者が復帰した後、女性社員の一部が『挨拶されたこと』、『(仕事にまつわる)内線がかかってきたこと』を涙を流さんばかりに怖がって周りの同僚たちに慰められているという光景

社内の常識的メンタル休職=人の形をしたバケモノ誕生だった。

セクハラ

セクハラブラックあるあるなんだろうけど、具体的な手口まで全く同じセクハラがいくつかあった。

同期飲みのときに、男性陣がニヤニヤしながら大人しいタイプの女同期に遠回しのセクハラ言動を投げかけてチキンレースする遊び。

ターゲットの女同期に対して白子ポン酢さりげなく食べるよう勧めてその子が実際に口に入れるやいなや一人の男が「アッ‼あっ…ああ……」と射精っぽい声を挙げて他の男性陣が爆笑する、

「あの、ちょっといいですか?〇〇(AVメーカーや有名なAVシリーズ)って知ってますか?」と他意のない風に問いかけてニヤニヤする、

これら二つのセクハラ手口まで被ってたのを見て自分がデジャブを起こしたのかと衝撃を受けた(もしかしてこれSNSとかで流行ってたのか?)。

言うまでもなく上司から若手女性社員に対するボディタッチとか、えぐいセクハラLINEとか、上司女性社員たちだけを飲みに誘ってホステス扱いするとかもあった。


パワハラ

ポンコツ社員をみんなの前で立たせながら、あるいは別室に移動して1~2時間説教

説教最中はまるでその場で何事も起こっていないかのように完全に黙り込んで仕事を続けていた周りのみんなが、上司ポンコツ社員が離席したタイミングで爆発したように湧き上がって『ヤベえぞ!!ヤベえぞ!!(笑)』と最高に楽しそうに盛り上がる点、

パワハラといえばあの人!みたいな社員がたくさんいて、彼らが他の社員から顰蹙を買うということはなく、むしろパワハラ被害とは無縁でいられている社員たちが皆「あの人俺にはすげえ優しいんだよな」と誇っている点、

『おめえぶっ殺すぞ!!』とか『てめえの親ここに呼んで来いよおおおおお!!!』とか一発アウトを通り越してるような異常言動が出た時は周りが完全に同じタイミングで「ガーッハッハッハハハwww」と大爆笑することで冗談の体を守り通そうと忖度する点、

これらは共通してた。

レクチャー

配属初日新人に対して

「あの先輩にはため口使っていいぞ(笑)

とか

あいつはこうこうこういうミスして何やってももう怒鳴られるようになったんだぞ(笑)

とかレクチャーして心を掴もうとする連中がたくさんいる。

会議

発言を求められた社員が頓珍漢なことを言うというか、10文字くらい発声したタイミングで揚げ足取ったりツッコミ入れたりして発言を完遂させない。

例えば

社員「それに関してですg」

上司「いや、それってなんだよ(笑)どれ?これのこと?これはボールペンだよ?そんなこと聞いてませんよ?(笑)それともこれ?これは手帳ですよ?(笑)

とかマジでこんな感じ。

凄い強引に笑い物にする。で、周りの社員が「ガーッハッハッハハハwwwwww」と大爆笑して和気あいあい風を演出するまでがワンセット。

(ていうか、全く同じタイミングでそこにいる皆が一斉に大爆笑し始めるのって某巨大新興宗教団体もそうだけど、 あれってマジでなんなんだろ)

嘱託イジメ

嘱託社員に対して「おめえ今日も座りにきたの?」とか「あんた何言ってんのかわかんねえよ」とか課長次長が率先して喧嘩売りに行ってた。

若手~中堅社員あいだで

パワハラモンスターみたいな先輩社員上司にどれだけ好かれているか

『年次が上の社員に対してどれだけ失礼な言動ができるか』

が今後の出世バロメーターなるみたいな地獄みたいな認識が共有されていたので、なるべく目立つようにフロア中に響き渡るような大声出して自分の親と同じくらいの年齢の嘱託社員をめちゃくちゃに罵倒して侮辱するキレ芸に走る奴が何人かいた(恐ろしいことに、こういうことやる若手や中堅が本当に出世していってた。まあ基本的年功序列から誤差みたいな違いだけど)。

ウソみたいだけど、これまであげた様々なブラック面、かなり具体性があるのにもかかわらずどっちのブラック企業でも共通している点だった。

2社目に入ってしばらくは「また同じような会社を引き当ててしまうなんて俺はなんて運がないんだ」と愕然としたけど、やがて「こんな都合よく似通うものなのか?これって本当に偶然なのか?」と疑うようになった。

まり遺伝子と形質の関係のように、会社を近似のブラック環境たらしめる何かがあるんじゃないかと思うようになったのだ。

それがなんなのか探り当てることはできていないのだが、何かヒントになるものが潜んでいるかもしれないので2社間の細かい共通点を列挙していこうと思う。

こんなブラック企業はごめんだ、絶対人生で関わり合いたくないという人の参考になれば幸いだ。

・平均年齢45歳(毎年多少の変動はあるけどまあこのくらいだった)

・平均年収800万弱

職場公認サンドバッグみたいな立場の人だと年収700万で頭打ち。順調に出世すれば50歳くらいで年収950~1000万くらい。

平時だと8時出勤20時退社がデフォで繁忙期だと23時退社。年1回特定短期間だけ27時退社がデフォになる人はいた。残業代は月30時間までつく。

社員の平均学歴日東駒専MARCHくらい

あくまで平均なので、かなりレベルが低い大学出身者も結構いた。一方で上振れはあまりなくて早慶以上出身者は少なかった。

女性社員ナチュラルセクハラ以外ではめちゃくちゃ大事にされている

どんなパワハラ怪物女性社員には猫なで声でめちゃくちゃ優しく接していたし、産休育休取得は余裕だし、定時退社がデフォだった。

から寿退社する人はそんないなくて、30~40代1020選手)の女性社員がめちゃくちゃ多い。

(ゆえに女性社員の多くはパワハラ上司がどんなに暴れていようとビビッていなかった。「〇〇ちゃんまた大暴れしてたね~(笑)」とかキャラ化して人間模様を楽しんでる感すらあった)

男性社員は1時間前出社が暗黙の了解

無論、早出の部分には残業代はつかないし、恐ろしくてつくかどうかを尋ねたことすらない。

多分、実際に訊いたとしたら訊いたという行動自体が罪になって一気に社内カースト最下位になったと思う。

社員の大半が既婚者

・社内のサークル部活が盛ん

離職率がめちゃくちゃ低い(平均勤続年数20年軽く超えてた)

・労基以外に対しての法令順守意識がめちゃくちゃ高い

・今後50年はまあ潰れない

・「うちの会社ほど悪い人がいない会社はなかなかない」と言い合っている

これ上も下も自然に言ってたからほんと不思議だった。

・「社名 ブラック」とか「社名 パワハラ」とかでググっても全然醜聞が出てこない

髪型とか身に付けている小物とかを工夫して、外見を意図的昭和っぽいヤクザに寄せてきてる役職者がポツポツいた。

でも学生時代本当に本職顔負けの武勇伝に溢れてた人が中央法とかに行ってお行儀よく新卒で固い会社就職して~、みたいな人生行路を歩むはずがないのでゴッコなんだろう。

となると40代、50代にもなってまだ精神性が中高生並みということになってしまう。

追記

しか給料は悪くない会社みたいだから、下手したらこの手のセクハラパワハラしている人が、社会的に立派な肩書きを持っていることになって、許容されていると思っちゃうわけだから

どっちも社会的信用は非常に高い会社だと思う。

天下に轟く大企業!!とかでは全くないけど、親なんかは「(手堅い、安心という意味で)いい会社に受かったねえ」と安心するし、住宅ローン審査は超余裕で通るし。

それだけに、中に入ってから異常性が炸裂している様をありありと見せつけられて大ショックだった。あとそこに関して自浄作用が全く働いてなかったのも絶望的だった。

付け加えておくと、社員100%異常者ってわけじゃ決してなくて、(あくまで俺基準だと)40%くらいまともな範疇に入るような人だった。それこそ人格的に優れていて仕事もできて~みたいな聖人みたいな人は2%くらいいた。

ただ40%くらいいる”まとも”な社員たちも、パワハラには加担しないまでも、目の前で繰り広げられるパワハラ苦笑いで見守り、ひと段落ついた頃にパワハラ加害者に対して「ずいぶん怒ってたね~(笑)」とか調子は合わせるし、まあ傍観者スタンスでいた。

聖人みたいな人はというと、異常社員パワハラ被害者もイジメ被害者も分け隔てなく慈しんでいて、全員で仲良くやりたいみたいなタイプからパワハラ最中は悲しそうにしていて、終わったあとはタイミング見計らって被害者のとこいって慰める程度にとどまっていた。

従って、自浄作用は働きようがなかった。

で、残り60%の「普通じゃない人」はさぞかしキチガイ極まってると思われるだろう。

かに彼ら彼女らは間近で行われているパワハラを完全に余興のように楽しんでいたし、時に「あいつ(パワハラ被害者)朝眠い眠い言ってましたよ?ここは一発指導したほうがいいんじゃないっすか?(笑)」とか上司を煽ってパワハラ誘因するときすらあったし(上司のほうも「ほんと~?(笑)じゃあやっとかないとね(笑)」とか冗談めかしてにこやかに返していたのを見るに、マジで当事者エンタメとして楽しんでたんだと思う)。

ただ、彼らはどっからどう見ても外形的にはまともの中のまともだった。

30歳過ぎても高校大学時代の仲良しグループたちとBBQ行ったり、家族ぐるみで川に遊びに行ったり、完成した新居に呼んだり呼ばれたり~みたいな、キチガイでは到底築きえないような人間関係の輪を彼らは持ってたし、加えて彼らの多くは良き家庭人・良き父親であった。

はっきり言って社会めっちゃ高い人種だと思う。

マジモンのキチガイや性悪でも友達は作れるけど社会に出ると同時にフェードアウトされるのが普通だと思うし、30歳過ぎてまで家族ぐるみの友人付き合い維持できるなんて人格破綻者ではないことの証明だと思う。

じゃあ、なんで彼らが会社では異常者や異常空間形成共犯者に化けてしまうのか不思議なところだが、俺は彼らの社会性の高さが原因じゃないかと疑ってる。

武士がお家を守ることにアイデンティティを抱いていたように、彼らは習性として自分が属するコミュニティ様態や安定性を維持することに全力を注ぎ(告発改革などもってのほか)、結果として”会社共同体ではキチガイなのに非利益共同体では良き隣人”という矛盾を孕むことになったんじゃないかと。

となると、会社という”器”それ自体キチガイ性や異常性でもって均衡が保たれてるのかって話になるけど、もしかしたらそういうオカルトじみた現象ってあるのかもしれない。

2024-02-01

anond:20240201095629

アメリカ寿司チェーンが新興宗教に寡占されてるって話があるのと、海外移住系の宣伝してる人らって大体“キマった目”をしてるからそういうことだと思ってる

2024-01-28

ナチスは「良いこと」もしたのか?』を批判する人に言いたいのは

お前らは、あの「オウム真理教」に同じこと言えんの? ってこと。

地下鉄サリン事件は死者13人、負傷者5,800人以上で今もなお苦しむ人もいるのに、「オウム真理教は、良いこともした」って言説があったらどう思う?

オウム経営していたマハーポーシャ製パソコンは性能も良く、それでいて激安だったので当時よく売れたらしいけど、

オウム真理教批判ばかりされるが、高性能のパソコンを安く販売して日本情報産業に貢献もした」だなんて評価する?

しばしば「『ナチスは〜』本は、ナチスを悪と最初から決めつけて書いているだけだ」と言われるけど、もしオウム真理教を再評価するような声がネットで目立って、それを同様に『オウム真理教は「良いこと」もしたのか?』って本が出たら、同様に批判するの?

 

……みたいに思ったけれど、戦後およそ80年も経つと、そんなもんかなーという気もしなくもない。

ナチスホロコーストをやった? そんなの知ってるよ、けどもう散々聞き飽きたし、部分的評価したって構わないんじゃね? みたいな。

ナチスのことを何でもかんでもタブーにするのは間違ってる、言論自由なんだし、法律に反するわけでもないんだから、放っておけ、みたいな。

ちょっとでも、たとえばナチス親衛隊っぽい制服コスチュームにしただけで、大炎上なんておかしくないか? みたいな。

それとこれとは別じゃん、別にホロコーストナチスのもの肯定するわけでもないんだから、いちいち目くじら立てんな、みたいな。

 

でも、あの「オウム真理教」でさえも、もっと年月が経つとそうなるのかなぁ、と思うとちょっとやりきれないもののある。

絶対悪なんてものはあり得ない」という主張はそれはそれで正しいとも思う。

ヒトラーにも、良心はあったし、誤った考えで道を間違えただけだ、ユダヤ人迫害は当時欧州では当たり前だったに過ぎない、ヒトラーがいなくても他の国がホロコーストをやったかもしれないのだ、のような主張にも理がないわけではない。

 

だけど、ナチスを「オウム真理教」に置き換えると、ゾッとするものは確かにあるのだ。

エヴァンゲリオンが、知識人でさえも虜にさせた、あの世紀末といわれた時代オウム真理教のようなオカルト陰謀論思考は実際大流行していた。

それゆえある意味オウム真理教」は時代必然でもあったかもしれないのだ。雨後の竹のように新興宗教に溢れていた時代でもあった。

から、それを単に「オウム真理教」だけを「絶対悪」として切り捨てて良いの? とは思わなくもない。

 

でも、述べたとおり地下鉄サリン事件では「死者13人、負傷者5,800人以上」、ナチスに至ってはユダヤ人のみで600万人も殺されたといわれる。

犠牲者数だけをいうのであれば、アメリカだって第2次世界大戦日本民間人を何十万人も殺したではないか、という屁理屈もあるだろう。

だけど、ナチスオウム真理教のような存在は、絶対悪象徴にしておいても良いんじゃないのか?

オウム真理教はともかく、「ナチスのような」は絶対悪を示す世界的な共通言語でもある。

「そういうけどさー、ナチスだって悪いところだけじゃなく良いところもあったんだぜ」と語る友人に「え、お前それやばいよ」と忠告する時代の方が健全なんじゃないかと思う。

 

でも、もう戦後80年近くだからなー。確かに近年、ホロコースト映画食傷気味だ。

あんまりナチスを悪だ悪だと主張するのは聞き飽きた感もないではないし、小さな逆張りの一つや二つ、あったって別に良いのかもしれない。

どうなんだろう?

私の心は揺れている

2024-01-25

女性と会話が苦手な人はセクキャバに通うといいよ

指名じゃなくて花びら大回転がおすすめだよ

なぜかというとね、2人か3人かになると大概

「うっわ…コイツ嫌いだわ」みたいな女と話すことになるからね、そう言った時にどうやってやり過ごすかをよく学べるんだよ

でもね、ひとつ注意だけどね

たまーになにがあったのか気になるぐらい痩せてる女の子がいるけどね決して「ちゃんと食べてる?」とか「もっと太りなよ」とかは言わないようにね。女の子はね、

余計なお世話が嫌いだから

あとこれは余談になるけど障害者特に精神病)と話がしたいなって人はね

新興宗教の会員に聞いてみるといいよ

障害のある方も会員でいますか?いたらお話がしたいのですが」ってね

うまくいけば障害者の人と話す練習ができるかもね。

2024-01-21

あなたがこれまで作り出してきた物はすべて誰への侮辱もない問題のない真っ当なものだとでも?おこがましいんじゃない?

新しいものを潰してきた老害って「自分が気に入らないからこれは存在してはならない」理論で何もかも不許可にしてきたんだろうなとしか思えない。

新興宗教かよ。気色悪い。

2024-01-15

世界遺産シルクロード展に行き、疲れた

福岡アジア美術館世界遺産シルクロード展に行ってきた

月曜日だったので人も少なく、わりとゆったり見れた

入口にドーンと今回の展示の関係者として池田大作言葉が飾ってあった

最初は意外に思ったが、長年シルクロード文化には興味を持っていたみたいなことが書いてあり、シルクロード仏教伝来の道でもあるし、仏教由来の宗教家としては関係性が深いものなのかと納得した

また最近亡くなった宗教家コネマネーのおかげの展示なのかと思うと複雑な気持ちになったが、シルクロード神秘から新興宗教までと幅広い展示なんだなと思うことにした

展示の一歩目から金持ちの好事家のおっさんコレクションを見に来たみたいな気持ちにもなり興がそがれたが、もともと古来の名品なんて好事家のおっさんの蔵リレーみたいなところありそうだし、そんなもんなんだろう

展示内容としてはもともとのシルクロード地域的な広さ、飾られた品の制作年代の広さ、関係する文化圏の多さも相まって、出土品や名品を見ながらなんとなくの歴史を追うだけでも大分理解が難しく、これ予習してから来るべきだったなと反省した

ただ、紀元前2世紀から唐代(8世紀くらい)までのシルクロード(6500kmくらいあるらしい。日本国土は3500kmだそう)関連品なので、もうこれより広いカテゴリの展示ってあるのかなとも思った

序盤で頭がついていかなくなったので、キラキラデザインを楽しむ方向で見ることにした

老齢の御夫婦トルコ石で飾られた金の器を見て「見てみ、金ぴかやー」と言っていて、みんなそんなレベルなのかもしれんとなんか安心した

デザインとして気になったものとしては後漢時代の『車馬儀仗隊』

青銅製の杖持った人と馬と荷車のフィギュアセットみたいな感じ

三列くらいに並んでいて、一番後ろの二頭の馬が荷車を引いていたんだけど、明らかに左右で荷車のクオリティが違っていた

向かって左の荷車は板も薄く、引き縄も細く、板同士の溶接部分も最低限で繊細に作られているのに対し、右の荷車は板も太いし、縄も太く反り方も少なく、溶接部もぼってりと盛られていた

そっか設計図とかきっちりしたものがあるわけでもないし、一個ずつがハンドメイドからよく見たら大分見た目が変わるんだなと思った

ただ左の荷車はその細い設計のせいか、荷車の後ろの板部分と馬のしっぽ辺りを釣り糸で結び強度アップしており、大量生産をするなら右の荷車を元に設計図を起こす方がいいのだろう

あとは『妙法蓮華経化城喩品 断簡』の文字が細いところと太いところのギャップが激しく、全体的に平体みたいにつぶれていて、あんまり見ない感じの書体だなと思った

こういう古書由来のフォントってあるのだろうかと思いつつ、漢字だけだし、日本だとあんまりフォントに起こしても使えねえなと思って見ていた

なんか最後日中友好の証として送られてきたらしいラクダはく製が二頭飾られていて、本当に何を見に来たのかわからん気持ちになった

わりと情報量につかれた後、川端通商店街を歩き、櫛田神社に行った

お参りをした後、振り返るといつの間にか拝殿への列に中国人韓国人らしき観光客20人くらい並んでいた

もう頭が疲れていて、アジア―!くらいしか思わんかった

2024-01-10

例え話

結婚式

新郎新婦プランナーが事前に段取り時間割を考えて、その通りに式が進むように打ち合わせや依頼を重ねて当日を迎えた。

時間が限られているのでイレギュラー事態が起きないように事を進めたい。

しかし途中で参列者の一人が「皆のために凄い人に依頼したのでスピーチしてもらう!」と言い出したと思ったら、知らない新興宗教教祖が突然現れて他の参列者の招待状を奪って式場に侵入スピーチを始めてしまった。

教祖を連れてきた人は教祖に大感謝。その様子はSNSで広められその他の信者も大絶賛した。

その様子を見た有象無象も「自分感謝されたい!」と勝手にやってきては式場でやりたい放題。

他の参列者は元の式次第を知らないのでこれが普通なのかと思ってただ見ている。

かねた部外者が「式がめちゃくちゃになるから呼ばれてない人は行くなよ」と注意しても聞く耳を持たず、周りの信者からは「参列者に呼ばれたから行ったのが分からないの?」「行動しないやつが文句言うな」「呼んだ人には感謝されてますけど?」「スピーチしないやつがひがんでるだけ」「式がつまらいか面白くしてやった」と非難の嵐。

当然、式は式次第通りに進むことが出来ずに新郎新婦が望んだ内容にはならなかった。

招待していた人の一部は式場に入れなかったし、ウェディングケーキを出せずお色直しも出来なかった。事前にお願いしていたスピーチや作っていた動画披露する時間も奪われてしまった。

そしてスピーチを終えた教祖太郎スッキリした顔でこう言った。

「式を無事に終わらせるために呼ばれてない人が勝手に入って来れないようにしなさい」

2023-12-31

Vtuberになって宗教を作りたい

そして非課税で儲けたい

教祖は俺

教義はまあ適当に考える

過去宗教とスピにハマってたからそこら辺を混ぜる

信者を集めてものを売る

情報を売る

水を売る

合法範囲内で

一番儲かると思うんだよな

宗教

から新興宗教が栄えてるんだろうな

ビジネスだもんな

2024年はそれでいく

名前は「MASUDA研究会

研究会とすることによって宗教さを取り除く

YouTubeとインスタとTikTokを駆使して信者を集める

俺はVtuber教祖になる

顔出し嫌だから

スパチャがお布施になる

もちろん非課税

グッズも非課税

年取っても見た目若いままだから人気が出る

もし死んでも誰か引き継げば永遠に続けられる

名前増田モラスにするかな

頑張るぞ!

弱者男性でも彼女は出来るんだ…って話

吾の兄が

・鉄オタ

工業高校

趣味アニメ鑑賞と𝙏𝙞𝙠 𝙏𝙤𝙠に違法アップロードして再生数を稼ぐ

借金50万持ち(払う気なし)

洗濯 料理 全く出来ない

障害者手帳持ち

新興宗教幹部

っていう典型的弱者男性なわけだけど

なーぜか1年前に彼女が出来たんだよね

世の中分からないものだね

同じような弱者男性ではあるけど頑張って生きてる吾には女なんて寄ってこないのにねえ

2023-12-27

anond:20231227085022

一部の新興宗教ならともかく、伝統宗教はそんなに縛ってないでしょ。

縛っていない宗教こそこの国では長い間生き残ってる。

お坊さんだって、わざわざ何度も各家庭に来て説教を垂れて他人様の心を縛ろうとしてはいないじゃん。

精々、葬式法事の場で法話をちょこっとやるだけ。

けれども、かつての日本ではそんなお坊さんの法話にもなにかしらの影響力があった。

その「縛らない力」こそ、宗教という概念本質ではないかと。

2023-12-26

anond:20231224205347

自分は「宗教は『まだ必要である」という立場をとる。

非常に長文なので誰も読まないかもしれないが、読んでいただければ幸い。

日本人宗教観について

日本人宗教批判は主にオウム神理教創価学会あたりから根深くなったと自分は思っている。とにもかくにも「宗教やばい」となり、それが「宗教的なものやばい」となっているのではないか。たしか新興宗教団体はやばかった。最近でも、自民党から膿となって出てきた旧統一教会問題がある。

日本人全体で、なんとなく「宗教やばい」というゆるやかな共通認識があると思う。

そこから宗教について熱心に語る者は、なんとなく、やばい」とされていると思う。ごく少数の人間けが宗教について深く調べる。多くは、ミイラ取りがミイラになることを恐れているとか、宗教的な人間とみなされることを怖がっていたり、単に無関心な可能性もある。

ほとんどの人は、まずその「ヤバい」「うさんくさい」「拝金主義」という外から見える性質嫌悪感を感じているはずだ。実際に、古来から権力権威金銭などと結びつきが強いように思う。多くの人々に害を為すものは、それが宗教だろうがなんであろうが、どういう形をとっていようと敵対される。宗教に対するネガティブ意見は、おおよそこの表面に出てきた宗教ネガティブな部分についてのものが多いと思われる。

また「人型の何か偉そうにした超常の力を持ったジジイ」を幻視して「そんなやつがこの世界作ったわけないだろ」と直感的に思うのではないか

アイドル文化について

宗教的なものやばいの1つの例でいえば、ガチドルオタキモいというものがある。キモいというのは比喩的表現で、ドルオタクラスタの方には申し訳ない表現だが、周りから理解不能なのであるアイドルという神を信仰することで「生きがい」となして自分人生を全うしていく。しかしひとたびその信仰の前提が破壊されれば、一瞬にして生きがいを喪失する。

アイドル推し活は「きわめて宗教的だ」と半ば冗談めいて表現されることが多いが、比喩でなくそのまま宗教といっても過言ではない。仮に江戸時代に今のアイドル状態を維持可能状態で放り込めることができるとすれば、瞬く間に江戸幕府を牛耳ることができるだろう。実際BTS外交などと言われるほどアイドルは脅威的な潜在能力を持っている。一向宗など目ではない。江戸の民たちはアイドル存在を知覚することで、それに畏怖し、夢を見ることができ、人生に生きる意味見出しやすくなることだろう。本居宣長も、古事記伝にて「それはさておいても◯◯ちゃんのかわゆしこと尊し」などと書くかもしれない。知らんけど。

宗教のはじまりについて

宗教のはじまりアニミズムだという。何か神聖視せざるを得ないもの発見しそれに畏怖し感動することで、その圧倒的な偉大さを見て、人はそれを「神」と名付けたようだ。

日本では現状「科学信仰」と「常識信仰」が主流であると思う(これは自分主観による)。「科学的な権威ありさえすれば信用する」だとか「よく知れ渡っているから信用する」といったものだ。「長いものには巻かれろ」という日和見主義的な発想がそこにあるように見える。

そもそも「信じる」とは「実際に本当にあるかどうかわからないが『ある』と信じる」ことにある。

自分には本当にあるかどうかよくわからないものを『本当にある』と思い込むことを信じるという。そういう行為には、根拠など無いのではないか。少し古いが「アイドルはうんちしない」などがそうだ。

宗教果たしてきた役割について

宗教必要かどうかは置いておいて、その発生過程宗教果たしてきた役割は、歴史学習すれば誰でもその関連性には嫌でも気付くだろう(重要性は別かもしれないが)。人は「たか宗教とき」で人を殺し合い、憎み恨み、人生を捧げたり、幸せになったり、正しく生きようと努力したり、救われてきた。さまざまな血を流してきたのであった。これは事実である現在の今の自分にとって宗教全然必要でないと感じていたとしても、その自分存在する羽目になった基盤に宗教がある。一体全体どうしてこんなもの人類の中で大きな役目を持つようになったのか。

真に必要でないのであれば、なぜこの世から抹消できないのか。たとえばガラケーは抹消されつつある。必要でなくなったからだ。しか宗教はどうか。消せども消せども名を変えて復活しているように思う。

科学であると自負する人であっても、古来から続く伝統的な宗教っぽいものをなんとなく忌避していて、その拝金主義的傾向や宗教政治的利用による人間支配を見て、なんとなく嫌悪しているのではないか

宗教は実際に無くせるか

また「宗教必要かどうか」を論じるとき、「実際になくせるかどうか」のその現実性について論じられることは少ない。宗教がなくなれば代わりのものが出てくるのみである。名を変えたそれが絶対視される。

実際にとりあえず「宗教必要ないもの」と考えて、この世から排除することにしてみよう。つまりそれは逆に言えば「信教の自由」の剥奪である仏教を信じてはならない、キリスト教を信じてはならないとされる。

ありとあらゆる宗教的なもの不要なので排除されなければならないとする。しかし、必要か、不要か。それは誰にとって必要なのか、誰にとって不要なのか。

宗教宗教でないものについて、どこで、誰が、どのように、なんの権限で線を引くのか。これはもしかすると権力闘争の始まりかもしれない。受容するか・弾圧するかのどちらかを、ある人間主観で決めることができるということほど恐ろしいものはない。異端審問のラベリング(【十分科学的でない】というラベル)を受けて生きなければいけない世の中は厳しいものになるだろう。反ワクチン派・反知性主義者が実際にそうした世の中を生きている。われわれから見れば彼らは狂っているが、彼らから見ればわれわれが狂っているのである

科学万能論についての批判

宗教科学はなんの根拠もなく二項対立されがちだが、これは一神教的な態度ではないだろうか。

まり科学的であればあるほど宗教的でなくなるはずだという根拠のない「思い込み」があるのかもしれない。

いったいなぜ、科学であることが正しいのだろうか。いったいなぜ、論理的であることが正しいのだろうか。これは唯物論的な立場である。いったんそういうことにしているという、あくまで仮説である。そのように考えるとうまくいっているだけなのではないか

そして、自分にとって宗教必要いからといって、他人にとっても同様に必要ないとは限らない。つまり全体としては「まだ必要」というのが答えになると思う。

科学万能論者の傾向とその批判

それから自分は、ロジカルシンキング科学最強説を強硬に主張してその他の考え方を排除しがちな陰キャはあまり好きではない(自分ロジカルシンキングのもの科学思考は好きだが、論理的であることが正しいことを信じることは論理的ではない、という前提があると思うからだ)。

彼らは科学論理というアカデミック権威おこぼれを欲しており、いわば虎の威を借る狐のように見える。そうした人間は、自分よりも科学的で自分よりも論理的人間宗教的なものを崇拝しているのを目の当たりにしたとき、考え方を転向するかもしれない。これを改宗(conversion)というのだろう。

Vimについて

Visual Studio Code等さまざまなIDEに組み込んでコマンド操作できるテキストエディタがある。これはVimと呼ばれ、世の中で広く親しまれている。入門はやや難しいが、Must-Haveでおすすめである。これは宗教以上に必要である

もちろんあなたVimを導入しないという選択をとることもできる。

おわりに

こう言うと自分は旧来の宗教観を引きずっているように思われるかもしれないが、一方で自分は古来から続いておりただの慣習となっていて合理的ではない規則を、ただ自分の強権を保とうとせんがために信じている老害もまた好きではない。彼らは自分の保身を考え、自らの世界観の安定させ、外に目を向けない人間である生臭坊主と言われる。

自分は、そうした既製品宗教や、新興宗教教祖というただの詐欺師をそのまま信じてしまう人は愚かだと思うが、そういうことも含めて現実でありなぜそういった事象がでてきてしまうのか、なぜ彼らはそれに縋りつくはめになったのかを単に否定することは科学的ではないと思う。それは現実を観察できていない。少なくとも彼らにとって、彼らを救ってくれるのは科学ではなかったということなのだろう。

宗教おもしろい。とりわけ理系哲学文学や詩や宗教やヒトや精神や心というものから縁遠かった者ほど、大人になってから初めて知ることで、そのおもしろさに気付きやすいかもしれない。

2023-12-24

anond:20231224225223

ここでいう宗教新興宗教のことやろ

神道仏教キリスト教ほとんど宗教として扱われてる感じがしねえわ

anond:20231224223704

処世術としては差別慣れをオススメするよ。

人生選択として、個人的には男女差別ない宗教を選ぶよりも、みんなと同じ宗教とか文化で幼い頃から少しずつ差別に慣らしていったほうが生きやすいとは思う。

ニッチ新興宗教子どもを浸して、みんなが普通にしている習慣から隔離する危険性の方がコワイ。

あくま差別は悪いことだというのは前提

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