はてなキーワード: 負け惜しみとは
何言ってんだよw
どこのスーパーが都会より安くないんだよw
俺は東京、大阪、福岡、九州の人口10万人の都市(非福岡県、これ大事)、本州の政令指定都市(新潟、静岡、岡山、熊本レベル)、あと海外の大都市で暮らしたことがあるから書くぞ
家賃だって東京の学生は6万円代、大阪の学生は5万円代、福岡の学生は4万円代だ
あと、最近九州の人口10万人代の市から本州の政令指定都市に引っ越したが、東京から見たら田舎って言われるこんな地方都市でも、九州の田舎町より断然生活費は上がった
まず、野菜や魚は、九州の田舎町で買えるものと同じ品質のものを買おうととすると、値段が2倍になる
ちょい高い程度が最安値だけど、めちゃくちゃまずい
とくに魚、食えたもんじゃない
そもそも、増田が普段買えないような、都会で見かける高級食材って何処産だよ?
北海道?熊本?宮崎? そういう県の、県下第二の都市くらいで、食材のコスパがどうなるか想像してみればいいよ
たぶん増田は、都会での最貧民暮らしを基準にして、それより安く住めんのかよ!って言いたいんだと思う
都会なら車もいらんやんけ!貧民らしい吉野家、見切り品お惣菜がそんな値段変わるのかよ!ってな
そこそこ裕福な家庭を持つと思うと、生活費は断然違う
田舎で普通の値段の食材買ってりゃ、東京だと高級スーパーの高い方の品質がある
専業主婦養える
車を持てる
だからクレジットカードの審査が通らない奴は借金の審査も通らない
で、そんな審査が通らないのはどんな奴かと言うと
・その両方
のどれかが大半だ
ちなみに「借金の量」は利息含めた年間の返済額が年収の何割かで見る
「延滞」はだいたい過去3年〜5年の記録を見る
今はどこでもなんとかしてクレジットカードを作って欲しい、借金してほしいと思っているから審査はユルユルだ
ブコメでも散々言われているが「携帯電話端末代金の分割払い」は借金だ
あとは家賃なんかもクレジット会社なんかに引き落としを委託していると滞納した場合しっかり個人信用情報に残る
また、ATMで金を下ろすときカードローンの案内が出ることがあるが
よく読まずポンポン操作していると「ATMで口座から金をおろしたつもりがカードローンで金を借りていた」なんてケースもある
とにかく日常で無意識のうちに「借金」しているということは結構ある
で、その「延滞」についてだが
一口に延滞といっても「軽い延滞」と「重い延滞」がある
前述の通り今はどこの会社もなんとかして金を貸したいので「軽い延滞」なら審査基準や金額によっては見逃されることがあるが
「重い延滞」の場合は一発アウトだ
じゃあその軽いと重いの境界線はどこにあるのかということだが
(全てがそうとは言えないが)「月をまたいでるかどうか」だ
ここで注意しなければいけないのは
「何日滞納したか」ではなく「月をまたいだかどうか」で判断されるということだ
つまり「9月1日の返済分を9月30日まで滞納」より「9月30日の返済分を10月1日まで滞納」の方が「重い延滞」だ
なので延滞が怖い人は(任意で指定できるなら)引き落とし日を月初にしておくのをオススメする
連帯保証人に当該家族が入るなんて場合を除き小額の借金や普通のクレジットカードならさほど審査に影響しない
ただ
親族が暴力団などの反社会的勢力の関係者なんて場合は一発アウトだ
もちろん本人や勤務先が反社会的勢力でもアウトだ
なんにせよ定職に就いていて、年収も400万あり、思い当たるフシも無いのにも関わらずクレジットカードの審査が通らないと言うのは
最悪の場合内緒で多額の借金を背負ってるであるとか、親戚がヤクザだったなんてこともあるので
早急に確認した方がいい
※追記
すごい勢いでホットエントリになっててびびった
偉そうなこといっておいて申し訳ないが俺は審査する側ではなくあくまで金を貸す仕事なので
ただだいたいの推測を立てたり、審査する側から「これはオフレコなんだけど」みたいな感じで情報を得たりすることができるだけだ
なのでここで書かれていることが真実とは限らないことは了承頂きたい
で
そんな前提のもと少し質問に答える
・反社会的勢力について
こちらとしては警察やらなんやらから提供されたデータベースに本人やその勤務先がヒットするかで反社会的勢力かどうかを判断しているので
例えば
「表向きは真っ当な仕事してるけど実はヤクザのフロント企業なんだよね」
なのでよっぽど近い親戚がヤクザとか
会社の社長が逮捕されてるとかじゃなけりゃ普通に審査通ったりする
確かにクレジットヒストリーが優秀な人は審査に有利になることはある
が
クレジットヒストリー優秀>スーパーホワイト≫≫≫(超えられない壁)≫≫ブラック
くらいの差があるので
上位カード(所謂ゴールドカードとかブラックカードとか)じゃない限りそこまでスーパーホワイトだからと敬遠されたりしない
・審査基準について
気になる人はそのへんの銀行に行ってカードローンの申込書を見てみるといい
んで銀行員に「ここの項目わかんないんですけど空欄でいいっすか?」と聞いてみろ
そこで「別に空欄でもいい」と言われたら審査にあんまり関係ない項目だ
「なんとか書いてください」とか「こちらで調べておきますんで」と言われたら審査に関わる項目だ
(そんな面倒なことしなくても「この項目って審査に影響するの?」と聞けば教えてもらえるんだが)
意外かもしれないが年収より会社規模や勤務年数のが大事だったりする
ちなみに最強は公務員
もし婚約者などがいるなら
「将来家欲しいんだけど試しにいくら借りれるか審査してみない?」
なんて言ってみるのもいいかもしれない
会社規模にもよるが無借金で経歴が綺麗な人なら(税込み)年収の6〜7倍くらいまでなら審査通るはずだ
※追記2
反社に関しては本人や勤務先、具体的な使い道が決まってるなら支払い先も、が危険人物データベースみたいなのに登録されてなければ問題ない
つまり小額の借金やクレカ程度で親戚を遡って調査したりはしない
なので本人自身が警察等に「こいつは増田組の組員の親戚」みたいにマークされてなけりゃ大丈夫
延滞に関しては「月またいだら一日でもだめなのかよ」みたいに思うかもしれないが
貸す側としては月またいでようがまたいでなかろうが一日でも延滞するような奴(返済に対する意識が低い奴)には貸したくない
例えそれが「うっかり延滞」であろうともだ
うっかり延滞してしまう程度にしか返済について考えてないからだ
ただこっちとしても金貸して飯食わせてもらってるわけだから
その救済措置として月またいでなけりゃオッケー
みたいなのがあるくらいに思ってくれ
(繰り返すがあくまで審査する側ではないので実際の審査の現場でどんなことが行われてるのかは正確には知らん)
ちなみに自分の信用がどのくらいあるかは信用情報の照会するのもいいが
「試しに審査を受ける」ってのもいい
「まだ買う車も決まってないんだけどどのくらい借りれるか知りたい。ついでに審査基準について教えてくれ」
と言えば、あくまで一般論と前置きした上で、ここで書いたようなことを教えてくれるだろう(逆に言えばここで書いてることは「一般論」レベルのことであり、業界の人間ならだいたい知ってるし、一般人にも教えてくれる)
ちなみにまっとうな正社員で信用情報が綺麗な人ならマイカーローンの場合税込み年収の8割〜10割くらいは審査通るはずだ
あと意外かもしれないが借り入れ期間は長いほうが(一概には言えないが)審査が通りやすい
何故なら前述したように「借金額」というのは「年間の返済額」で計算するからだ
つまり返済期間が長ければその分「年間の返済額」が減るのだ
他に審査通らない理由として「短期間に複数のクレカ(借金)に申込」というのがある
「こいつ急に大量のクレカ作ろうとしてるけど、急ぎで大金払わないといけない事情があるんじゃね?」
と警戒されるからだ
※追記3
予想外に大きな反応があった
細かく反論してくれてる方もいたのでそれについて少し
反論に対して感じたのは
一つは「特定されたり読みづらくなるのを避けるためにあえて大雑把に書いただけなんだけど!」
という負け惜しみと
「そんなこと言われても俺の会社ではそうなんだから仕方ないじゃん!」
という負け惜しみ
でも一番は
ということだ
最初の追記でも書いたとおり
俺が知ることができるのは審査の可否だけで
なぜオッケーなのか、なぜNGなのかまでは知らない(正確に言えば「知ってはいけない」ことになっている)
審査会社からの「これはほんとは言っちゃいけないんだけど」みたいな情報が元になっている
なので審査の具体的な内容を含めた反論には素直に勉強になった(なんでこの客が審査通るんだ!or通らないんだ!ということがよくあるので)
延滞に関しては同業種(「金貸し」よりさらに狭い意味での)の間では未だ割りと信じられているし
それしか審査通らない理由が思いつかない、みたいな客も実在する
ただあくまでメインは「金貸し」なのでクレカの審査には関係ないのかもしれないし
俺(ら)が思ってる延滞の基準は現代では都市伝説と化してるものなのかもしれない
とにかく騙す意図はなかったと思ってくれると嬉しい
ただどうしても言いたいのは
金貸してるのに審査の具体的内容や個信を見れない仕事というのは実在する
ただ「金貸し」と言って真っ先に思い浮かぶ職業かというと微妙かもしれない
これでなんとなく察してほしい
とにかくまとめると
「思わせぶりなタイトルで偉そうなこと言ってゴメンネ。でも現実的には俺の言ったことで審査通らない人はいるよ」
ということだ
ブログとか増田とかでもよくある、女性が自分に言い寄ってきた男について語る話。
まぁ、きっとさぞかしモテる美人さんが投稿してるんだろうと思う。
だけど、いい加減一方的に過ぎるような気もしてるんだ。
そこで、いわゆる「モテる男性」である自分が語ってみようかと思う。
男性の側から周囲の女性を語るコンテンツは、驚くほど少ないと感じる。
それは、女性が自分をモテる女性だと自認することに対し、男性がそれを行うことには自他に大きな抵抗を伴うからだと思う。
自分でそう思うかどうかはともかく、複数の女性からそう言われるので間違いはないと思う。
基準になるかはわからないが、女性に連絡先を聞いて断られたことはない。
しかしオタクでもあり、女性への興味よりゲームやアニメへの興味が大きい。
そして、恋愛にはあまり自信がないというのもあり、あまり積極的なタイプではない。
女性は私に興味を持つ。
そして、話しかけたり、こちらの好みを尋ねたりしてくる。
私は、女性で言えば清楚なタイプでもあるため、少し地味なタイプの女性も声をかけてくれる。
声をかけられた私はしかし、あからさまにその女性に興味を示さないことが多い。
いや、女性が嫌いなわけではないのだけど、ファッションとかの話には興味ないですし、正直、深く仲良くなりたいと思う女性はなかなかいない。
私が興味を持たないと知るや、声をかけてきたその女性は、一気に私を否定にかかる。
具体的には、女性同士のコミュニティや他の男性に向けて、悪い噂を流しにかかる。
私が今回、この文章を書こうと思ったのもこのためだ。
男性から声をかけられた女性が、その相手が気に入らなくてそれを晒すような真似をする。
しかし、女性から声をかけられた男性がそれを晒すようなものをあまり見たことはない。
(内輪の会話では結構あるような気はしている。この辺男女の違いかも)
それなのに、男性に声をかけられて袖にされた女性は、それを笑い者にして社会的に否定しようとする。
アンフェアじゃないだろうか?
学生時代、明らかにこちらに好意を持って近寄って来た女性たちは、こちらが興味を持たないと知るや、私についての噂をあることないこと流し、コミュニティから孤立させようとした。
最近、デートの誘いをしてきた女性に対し、食事してそのまま普通に帰ったら、その後で私の友人たちに「あいつはクズみたいな男だ」と吹き込まれ、面倒くさいことになった。
思うに、自分が魅力的だと自覚していて、その魅力を以てイケメンを落としたいと考えている女性が、その相手に自分のその魅力を否定された時、自分のアイデンティティを守るためにそういう行動に出るのだろう。
もちろん、世の中の大半の女性がこういうタイプではないのだと思う。
が、こういう場で「自分に声をかけてくる男」を腐している女性と、イケメンに声をかけて相手にされなかったらその相手を腐す女性は多分、重なっているのだと思う。
まぁ、ナンパとかする男が、声をかけた女性に相手にされないと「お高くとまってんじゃねぇよブス!」なんて負け惜しみを言ったりするのはよくあることなので、それと同じ心性なんでしょうね。
http://dobonkai.hatenablog.com/entry/inaka
いや、おそらく単にそういう昔話を織り混ぜるからどうのって話じゃなくてですね。
昔包茎だった◯◯が今じゃ剥けてるんだぜ!みたいな「昔」と「今」を繋げるような話ならともかくとして、ずっと「昔」はどうだったっていう、時刻が当時でストップしたままの会話を延々と続けられることに違和感みたいなものを感じてるんじゃないかと思うんですけど。
そういう話をするのって、当時はイケてた人なんですよ。同時に今はイケてない。
だから、イケてた当時を今振り返ることで(今イケてるやつも当時は自分よりイケてなかった話をすることで)この地の歴史を知るお前らなら「あいつらより俺らが上って覚えてるよな」ってことを確認したいだけなんすよ。過去の栄光にすがりたいだけの、要するに負け惜しみですわ。
なので、単に共通点の話題である昔話が嫌いなんじゃなくて、そういう負け惜しみばかり聞かされるのが嫌いという主旨なんだと思いますよ。
何かと話題のシン・ゴジラ。サヨク側から見ると、え?これ自民党の広報映画?自衛隊の広報?緊急事態条項のための煽り?なんなの?と、見えなくはないです。今回は僕なりどうしてそう見えちゃったのか、理由を考えてみたので、それを解説させてください。。。
以下、シン・ゴジラのネタばれを含むので、ってそこがメインのトピックではないですが、未見の方はご注意ください。僕の立場性的なものを説明することで行を稼ぐので、ネタばれしたくない方は僕がながながと自己紹介してる間に離脱してくださいね。
<立ち位置>
僕は自称サヨクの保守派です。政治的な信条をいえば、九条は守る派。自衛隊は基本的に違憲。災害出動はありだから自衛隊って言う名前を変えて武装をなくして災害時のすげーレスキュー隊みたいなのにしちゃだめなのかしらって思ってる派です。でも中国の尖閣とかどうしよう。
安保はアメリカがお金を払って守ってくれるんだったら別にいいんじゃね?派ですが、沖縄ばっかりに基地が集中してるのは不公平感が強いから県外に分散させたほうがいいんじゃないかしら?派ですね。
原発に関しては、なくなったほうがいいけど今すぐは絶対なくせないから、今すぐ全部の原発を最新のやつに置き換えて、少しでも安全にして議論の時間を稼ごう派です。
まあネトウヨさんに言わせれば、典型的な「頭の中お花畑」の一人でしょう。日教組教育に毒された頭の中お花畑です。あんまり職業として政治家とか官僚とかに興味なくてよかった!
と、まあそんな私ですが、ゴジラに関しては、世代的に平成VSシリーズがドンピシャなこともあり、平成VSシリーズをなんとなくカバー。ミレニアムシリーズは大人だったのでノーケア。どちらかというと今回の映画には庵野入り口です。エヴァンゲリオンどんぴしゃ、序を見ながら映画館で「庵野大人になったな。。。俺も大人にならないとな。。。。」って思いながら号泣するぐらいの庵野フォロワーではあります。なので、それに併せて今回1954のゴジラや1984ゴジラを予習した上で、劇場に足を運んだのでした。
以上前置き。
さて、そんな頭の中お花畑で庵野フォロワーな私なので、最初にシン・ゴジラを見たときは、え。。。これ、アベ政権の宣伝・・・?自衛隊礼賛・・・?なに・・・?と政治的にぐらぐらして正直あまり楽しめなかったのです。その理由をまとめると以下
前提として、今までの作品と若干比較します。過去作も「ゴジラ・自衛隊・放射能」っていう要素は大きくは違わないにもかかわらず、過去作を見ても政治的にぐらぐらしなかったのに、今作はちょうぐらぐらしたからです。
ほいで、比較の対象は今までのゴジラ映画の中でも「まじめゴジラ映画」です。ゴジラシリーズがわりと大人向けのハードな作品としてシリーズを開始しながら、だんだんマーケットを意識した子供向け映画になっていくのはそれはそれで面白いんですが、まじめゴジラ映画としか比較しません。
ファンタジー子供向け映画であれば、どれだけ自衛隊がかっちょよく活躍していても、現実との距離があるのであんまりドキドキしないですし、そもそもゴジラ映画の中では、子供向けに舵を切れば切るほど、ゴジラと対抗する人間側の組織がどんどんファンタジックな組織になっていきます。これはこれで興味深いけど論旨とずれるのでおいといて、「ゴジラが現実に出現したらどうする?」っていうベースを持っているのは54のオリジナルゴジラと、84ゴジラなのでこの作品二つを本論では「まじめゴジラ」として、この二つとの対比でこの項目では取り上げます。
まず54ゴジラはくっそ反戦映画なわけですが、途中よくわかんないヌルヌル三角関係とか出てきて、事前情報なしで見た僕はなかなか衝撃でした。その三角関係は必要なのか?で、もー出来立てほやほやの自衛隊が一夜にして高圧電線を東京湾岸に引いたり、戦闘機飛ばしたり、なかなか大活躍されるわけです。見方によっては出来立てほやほやの自衛隊の宣伝映画。でも、この映画の主題は、芹沢博士(眼帯)が自分の技術を軍事転用されることを恐れて自殺する、という衝撃の展開にあります。非常に九条の精神を体現した英雄的な行動ですね。
自衛隊活躍させる(みぎ)けど、眼帯の博士が技術の軍事転用を恐れて自殺する(ひだりっぽい)。このバランスのとり方がサヨクをスポイルさせるのだと思うのですが、この説教くささは1984でも繰り返されます。
1984ゴジラも、なんとなく沢口靖子(大根)をめぐる三角関係感が見え隠れしなくもない(片方の相手はお兄さんなので正確にはシスコン)映画で、武田哲也の怪演が当時話題になったことは否定しがたい名作ですが、まあこのなかでも自衛隊は謎の新兵器を開発したりわりと優秀です。しかも、冷戦状況下において日本とは思えない軽やかな政治判断と交渉を繰り返したり、なかなか自民党政権礼賛です。アメリカ大使とソ連大使に当時の首相こんな軽やかに対応できたんかい。
あと、散々首都を蹂躙し、西新宿も壊滅させられたのに、なぜか大島の火山に沈むゴジラを涙ながらに見送る首相(その涙にはどんな意味が?)とか思ったりしますが、この首相なかなか理想を体現する人で、ゴジラへの対処として核攻撃を提言する米ソの大使に対して、「日本には非核三原則がある!作らず・持たず・持ち込ませず! だから核攻撃などありえない!」と高らかに宣言をされるわけです。
えー。。。駆除に関する議論をしてるときに、原則論持ち出されても。。。ってアメリカ大使そりゃ怒るよね。こんなときだから原則論なのです、ってえーじゃあどうすんのよーってなるよね。
まあどんだけ自衛隊を活躍させて自民党政権が軽やかに外交で振舞う現実離れした宣伝(みぎサービス)があったとしても、首相が頑として非核三原則を曲げない(ひだりサービス)が、あれば、サヨクは安心するわけですよ。
自衛隊が活躍しちゃったりすると、どうしても「えーこれお母さんに内緒で見ていいやつかな?」って思っちゃいがちなサヨクの良い子たちに、同時に、軍事転用を恐れて自殺する眼帯とか、非核三原則を宣言する首相とか、そういうわかりやすいさよくがお母さんに報告しやすいガジェットをしのばせることによって、バランスをとっていたのです。今までのゴジラは!すごい!サヨクにもやさしい!
ところがそのようなバランスはシン・ゴジラではとってくれません。いくつかお母さんが喜びそうなシーンもあるのですが、多分喜びません。
お母さんが喜ぶ可能性が少しでもあるシーン
→アベ首相が中途半端に英雄的なことを言っているだけだからお母さんは不機嫌になる。
○石原さとみが「おばあちゃんを苦しめた原爆をもう一度この国にごにょごにょ」
→ここいけそうなんだけどなーなんでだめなんだろう。石原さとみがそもそもお母さんにいいづらいのかな
でもお母さんが目くじらを立てそうなシーンはいっぱいあります。
○自衛隊員が最初の品川攻撃へ出撃するシーン「みんな覚悟はできています!」
→ゴジラを救え?倒せ?どっちにも聞こえるシュプレヒコールって馬鹿にしてんのか!
あと全体的に手続きに時間がかかるとか、そのもどかしさとかは緊急事態条項作ろうとかそう言うこと?!あと、泉が優秀だったり矢口と矢口の部下が優秀だったり、自民党のことばっかりホメやがって!!!
ってなる気がする。
と、いうわけで、自分を含めて多くのサヨクは、自衛隊とか自民党の政治家とかが出てくると基本的に、それを否定的に描いているかどうか?っていう評価回路(上記でお母さんって言ってるやつね)が自動的に起動して、否定的に描いていなかったり肯定しているのと同じぐらいの分量の左翼的なメッセージが内包されていない場合、この作品って右っぽいんじゃない?って思っちゃうわけですよ。だからみんな多めに見て!大目に見てあげて!
蛇足ですが。
上記より、僕が思っていることは3点、上記お母さん回路は遮断してこの作品を見るべき、サヨクは現実との乖離を認識するべき、でもこの作品から何が生まれるのかは注視すべき。
の、三点です。
○まずお母さん回路の遮断はそのまま。庵野は現実の制度とスタッフを忠実にトレースして東日本大震災の成功パターンを描いただけなので、別に誰かのことをほめたりする意図はまったくない。国会前デモみたいなのも揶揄するつもりではなく、こういうのありそうだよねっていうリアリティのためのガジェットに過ぎない。から、その回路は遮断したほうが映画自体を楽しめる。落ち着け。お母さんはもうお前を怒らないし、庵野にはべつに政治的な意図はない。
○2点目、あべ政権くそ、死ね、自衛隊は違憲!って思っているサヨクのあり方そのものがものっそい一般からずれちゃってるゥ!そりゃあ選挙負けるわ。っていうのをこの映画の見方のズレから認識するべき。野党の共闘はある程度機能したとか抜かしてる場合かボケ。ほんとに改憲阻止したいなら生前退位するぐらいの覚悟は見せるべき。
○3点目、わりと負け惜しみっぽい最後のポイントですが、エヴァンゲリオンで描きたかったのはそういうところじゃなかったのに、結果的に庵野はセカイ系への扉を開いちゃって、その後最終兵器彼女とかほしのこえとかそういういわゆる「セカイ系」と批判される作品群を生み出してしまった。今回のシン・ゴジラもなんかそういう扉を開いちゃうと思うけどそれが何かは注視するべき。 ほんでサヨク的な負け惜しみだけど今回開いちゃう扉は、愛国ポルノ的なものの可能性もあるんじゃないかしら。そこは注視するべきじゃないかしら。
ひと昔前なら(ほとんど)起こりえなかったろうと思う。
何故かというと、そんなことを言ってはダメだと知っていたから。
でも、男が男を、女が女を好きであることが特殊であることは事実。
身を焦がす想いに苛まれていたとしても
何より告白することが相手に対し負担を与えることだとわかっていたから。
カムアウトって誰のためにするの?
自分が楽になりたいだけだよね?
自分が楽になれば、それを聞かされた人が思い悩んでもいいの?
そんな自分勝手な理屈がいつの間にか「正しい行為」として推奨され、
その覚悟もないし出来もしない連中が綺麗事で書くから現実との齟齬が生まれる。
今回亡くなった大学生さんは、
まさにその歪みにはまってしまい、身後動きがとれなくなってしまった被害者。
敢えてどぎつい書き方をすると、「寛容な社会」を標榜する方々は、
あなたが男性だった場合、それは「あなたのチンポをしゃぶりたいんだ。
できればあなたのケツにも入れたいんだ。
(もしくはあなたのチンポをケツに入れて欲しいんだ)」を意味するんだよ?
世間に理解が浸透していくんだろう」みたいなこと書いてる人がいた。
捨て石のように考えてるんだと思ってゾッとした。
貴方(貴女)達こそ、「認めてあげなくちゃね」っていう上から目線でゲイを見てない?
そして、自分が偶然上手くいったからといって安易にカムアウトを薦めるゲイ達。
今回のような新たな悲劇を生む一因にもなっていることを自覚すべき。
日本で生活する上で、レインボーパレードしなきゃならないほどの窮屈を
『パレードに参加して5人とヤッてきた』なんて話、ゴロゴロあるよね?
みんなコンドームたくさん用意して出かけるもんね。
このまとめを読んで思ったことをつらつら書こうか……と思って帰ってみたら大幅に補記されてる! でも全部読み通す気力はないので(ごめん!)、とある更新部分までを読んだ段階での、生煮えのおれなりの感慨を書く。
おれもカクヨムで小説の大賞を狙って投稿した人間だ。ジャンルは「恋愛・ラブコメ」だった。
おれは結果としてカスリもしなかったようだ。でもおれは大賞を取った作品に対して、是非はクリエイティヴな「批評」として論じたいが、読まれた功績は素直に認められる。負け惜しみとか妬みとか嫉みとか、そういうものはない。
何故なら、おれは全力を出し尽くしたからだ。おれの持てる全ての力を振り絞って、作品に対して集中して書き切ったからだ。
おれもウケを狙ってショートショートを書いてみたりしたよ。カクヨムではそういうのもウケるみたいだからな。でもボロクソに言われた。
言われたことももちろんショックだったんだけれど、おれがショックだったのはそういう批判ではなく(批判する権利は誰にでもある)、その批判に応えられなかったからだ。作品がその批判に対抗出来る力を持っていないと思ったからだ。安直な動機で書いたことを見抜かれたからだ。
読者は貴重な時間を費やして読んでくれるんだ。批判もまた、その好意の裏返しだ。それに対してきちんと応えられないウケ狙いの安易な作品を書くことがどれだけ下らないことか、その時良く分かったよ。
逆に言えば、批判/否定されてもそれに応えられるだけのものとは、大賞の受賞を逃しても納得出来るだけの、自分は精一杯全てを出し尽くしたと言い切れるもののはずなんだ。おれは大賞を狙った十万字の小説に対してそれだけの情熱を注げた。それは断言出来る。
おれは読んでないからなんとも言えないが、イスカリオテの湯葉さんの作品もきっとそれだけのありったけの力を振り絞って書いた作品なんだろう。だから読まれるだけの力があるんだろうな。それは結局実力の差、あるいは時の運、その他諸々が絡み合って出された当然の帰結なんだ。
おれは『カッコーの巣の上で』という映画が好きだ。あの映画で、閉鎖的な病院から抜け出すべく水飲み場の台を持ち上げて窓ガラスを壊そうとするマクマーフィという男が登場する。そいつは結局その水飲み場の台を持ちあげられない。でも、最後にひと言言うんだ。「でも努力はしたぜ/チャレンジした」と。
おれの今の心境も同じだよ。おれは努力した。全力を振り絞って書いた。なけなしの力を、これ以上ないというほど、血を吐くような思いで書き切った。だから、落選したが、ボロクソにも言われたが、不思議と傷はついてない。むしろ爽やかな気分だよ。やり切った、って充実感/達成感がプライドとして守ってくれるからな。
おれは努力した。燃え尽きたよ。これからまた小説を書くのかどうかは分からないが、おれはカクヨムという場は好きだ。だから撤退はしない。
っていうことを書こうと思って(そういう部分だけ読んだんだよ!)家に帰ったら、なんか怒りをこじらせた挙句の果てにご覧の有様だよ! でもここまで考えたことをムダにはしたくないので、敢えて増田で書き捨てる。ごめんな!
生まれてから二十何年ずーっとね。ちーちゃいころから今までイケメンイケメンてもてはやされてきたけど、なーんの役にも立たなかった。顔だけで避けられるような人は何言ってるんだって話だとは思う。
顔だけで生きてきた人は嫌いって言われたこともある。
顔だけで生きてこれればこんなに苦労しないわ。
根が卑屈だからどんなに褒められても持ち上げられても自信がつかないんだよ。
私は別に彼女が欲しくないわけじゃなくて、いい人がいればがっついていこうとは思っている。だけど自信に満ち溢れた女の子はそもそも根暗を相手にしてくれないだろうし、私と似た性格なのかなぁって思う女の子がいたとしても、すぐ対象外にされる。多分私が自分とは違う人種だと思っているんだろう。
根暗だけどいい人ではあろうと努力してきた。世の中の自己中オラオライケメンとは違うという自負はある。あいつらは自分の周りにだけ優しいだけ。全然いい人なんかじゃないんだよ。
心のブスにゃならねぇ♪って思って生きてきたけど心のブスなのかもしれない。
例えば、思春期の男なんてアホなもんでね、巨乳のブスと貧乳の美人だったらどっちがいいかなんて、
そりゃもう真剣に悩んだりしたもんだけどさ。
でも、そういう時にちょっとでも悩んじゃう奴って、別に巨乳好きでもなんでもないわけじゃない。
さらに言うと美人が好きなわけでもない。巨乳のブスと天秤にかけちゃう時点でもうダメだ。
本当に巨乳が好きなら、顔に関係なくそっちを選ぶ。美人が好きなら、胸があろうがなかろうがそっちだ。
端的に言うと、お前らはイケメンのために他を捨てる覚悟があるか? いやないだろ? ということだ。
女性の大多数(主語がでかいが)はイケメンが好きとか言いつつ、結局他の要素も捨てられないし、
そんなイケメン好きというのは、所詮ファッションイケメン好きでしかないんじゃないかと言いたいのだ。
例えば、イケメンでも浮気性はダメだとか、結婚を考えると顔は妥協しなきゃみたいな話がよくあるけど、
俺はそういうのを聞くたびにすごくがっかりする。
はっきり言ってしまえば、それは現実に対する妥協であり、好きを貫けなかった負け惜しみでしかないからだ。
イケメンが好きなら人間性がゴミクズだろうが許容する。イケメンだったらむしろこっちが養ってやる。
そこまでする覚悟があって、初めてイケメン好きを名乗るべきなのだ。
実際問題、女性の側が稼いでしまえば、所得関係なくいい男を選び放題なんだから、
もうお偉いさんが何か言う前に喜んで輝きそうなもんだが、現実はそうとも限らない。
むしろ、所得の高い女性ほど、未婚の割合が高くなってしまっている。
その点ジャニオタの風俗嬢とかマジですごい。愛のために見知らぬおっさんのチンポくわえるとか。
ある意味尊敬に値する。まあ向こうには全然届いてないんだろうけどさ。
ところが女性の大多数(やはり主語がでかいが)というのは、そんな気力もないから、
とりあえず商業ベースに乗って流れてくるテンプレイケメンを、適当に愛でているようにしか見えない。
つまりそういうことだよ。
婚活パーティーで出会って、話し合うし付き合いましょうかって向こうが言ってくれた感じで。
まあ自分大喜びですわ。これでやっと自分もパンピーの世界に近づける!って。
でも何回か会ううちに違和感に気付いたんですわ。
コミュニケーションに支障はないけど、ときめきというか、相手と一緒にいて楽しいとかこれからも一緒にいたいなとか、そういう感情が皆無。
悪い子じゃない。婚活ってこんなんだっけ……?こんな状態で結婚まで持ってけるのか……?
なんだか諸々に自信がなくなってその子とはフェードアウトした。
今はアニメ見ながら缶チューハイ飲んでる。すこぶる気持ちが穏やかだ。
負け惜しみだよ
隅から隅まで嫌いなタイプ *1 だったが、他に相手をしてくれる男がいるわけでもなく、自然とセックスしたくなった。
セックスしたいのは相手の男も同じだったが、「交際していると周囲の人間に認知してほしい」と思うほどの価値をあなたに見出してはいなかった。 *2
泣くほど悔しい。
残念でした。とっとと次にいったほうが自分のためですよ。
セックスしたいならしとけばよかったのに。お互いセックスしたい程度にはすきだったんでしょ?
相手がよっぽどのお大尽ならまだしも *3 、交際認定とセックスの等価交換なんて誰も得しないでしょ。
*1 「だと思いたい・思いたかった」。「自分はそれより上のレベルの女」という根拠のない主張。または交際を求められなかったことへの負け惜しみ。
横だけど、さすがにその返しは負け惜しみにしても酷すぎるだろw
ちなみに違いが分かるとどうなるかというと、明らかにシルエットとかがダサいので、「うわーこいつモッサリしてんなー」っていう感想になる。