道化は道化だから許されるのではなく、道化という分際であることと、時と場所をわきまえているから許されている。
戦場に立てば流れ弾に当たるし、武器を持てば兵士とみなされる。
道化は持っているそれを玩具だと主張するかもしれないが、傍目にそんなことは分からない。
どちらにしろ、撃たれて喚いているのが道化を演じきれているとも思わないし、面白いとも思わない。
常人が取り得るであろう想定内の反応をしている人間がそこにいるだけだ。
目につく場所で道化を装って死ぬまで踊り切れないなら、最初から道化になんてならない方がいい。
道化の優劣を見分けるどころか、区別もできない一部の観客が失笑するのが関の山だ。
まあ、道化でこそ得られる賞賛を享受したいなら、側面から発生する批判も甘受しなければならないという当然の話なのだがな。
まったくだ。道化を演じきれないならはじめから道化になどなろうとするなという他ない。道化だと思って見ていた観客としては残念だ。 批判を批判として受け入れられず、僕は面白い...