はてなキーワード: 就職氷河期とは
財政再建は不況にする事。財政赤字の拡大は景気を加熱させる事。ようはバランスの問題でどちらもリスクがあるのよーくらい雑な方がいいのかね。
債務=債権だから、政府債務1000兆の裏付けとして国民資産1000兆としてバランスする、国債を発行することで民間資産も増える仕組み。
国債発行に金融資産の規模は関係ない、返済能力とインフレという制約のなかならいくらでも発行できる。
お年寄りがいなくなっても資産は消えないし、負債も消えない。中央銀行システムのある自国通貨建ての国債なのだからインフレになるまで償還に問題は発生しない。
なので日本社会が続く限り肥大化し続ける、さらに借金を減らすと次世代の金が無くなる仕組みです。ようは債務負担と経済のバランスが問題。
日本の本当のツケは次世代への投資を怠った事になる。就職氷河期世代と少子化がそのツケ…
介護、看護の待遇を良くするのに増税したら、違う職種が貧乏になるんだけど、なぜ下げる前提なのかもよくわからん。
受益者負担の原則を言いたいのだろうが3号年金を問題にして、少子化を進めたいのか、改善したいのか落ち着こう。
色んな先進国が人口置換水準である2.07を下回っているが経済成長しているので日本が異常事態なのをまずは認めよう。
消費税は劇薬じゃなくて何も改善しない。まず「税収=国民所得×税率」になる。
日本は97年の金融危機と多重債務問題、緊縮にリストラと多重のデフレ不況に陥る。
GDPが減る→税収が足りない→赤字国債→国の借金が大変だ→公的投資削る→GDPが減る→税収が足りない→赤字国債→国の借金が大変だ→公的投資削る→最初に戻る
この悪循環に株主資本主義やグローバル、ジェンダーフリー、非正規で「国民所得」が伸びない「税収」が絶対に不足する構造になる。
デフレで国民所得が伸びないので税率や福祉費用を上げれば短期的に上がるがGDPが増えない構造が悪化する。(外需によって改善はあるが実感のない景気になる)
発展途上国だと母国語の読み書きができないせいで力仕事しか出来ない人がいるというニュースを見た。
それを見て、自分と同じだなと思った。
学ぶ機会がなくて、ありつける仕事に制限があるという点で強く共感した。
会社で使うような高度なコンピューターの使い方や、締め切りに間に合うようなスケジュール管理の方法や報告の仕方なんて学校じゃ教えてくれない。
就職氷河期で失敗して派遣とかフリーターやってたら、普通の人が会社で教わるような知識を勉強する機会もなく、
景気上向いたころには30代過ぎてて、あっという間に仕事で使える高度な知識が皆無な単純労働しかできない人間になっていた。
子供の頃はあんまり意識してなかったけど、あの当時の就職氷河期っぷりとか世紀末っぷりとか、社会の辛い部分の真っ只中に居た人達にとっては本当にこんな感じだったんだろうなあ。
それでもデジタルという革命的な技術によって、いつかは閉塞感を突き破っていけるんじゃないかって希望はあったんだよな。
その頃に自分は子供でネットなんて学校のパソコンでたまに触れる程度の存在だったけど、何となくそういう感覚はあった。
今はその夢も無くなって本当に無限大な夢のあとの何もない世の中になった。
デジモンが当時滅茶苦茶流行ったのって、きっとそういう社会の実態を語りながらどこか予言的だった所なのかもなと。
デジタルな新しい可能性と共存して次の世界が世界を救う、その中で勇気や友情を信じればきっとどんな壁も超えられるっていう耳障りのいい物語に惹かれたのかなと。
結局、デジタルと根性論が混ざりあった果てにあったのはどこまでも続くような悪夢だったけど、もしかしたら当時の自分たちは子供ながらにそれが見えていて、だけど信じたくないから美しい物語に夢中になる事で目をそらしてたのかなと。
自分にしか出来ないことなんてなくて、描いた夢は掴めなくて、大事な友は失われて、知らないパワーなんて宿ってなくて、逃げたり諦めることを拒絶して歩き続けた果てには地獄があって……本当に何もない世の中だな……もう俺たちの世代は駄目だな。
(参照:豚猫大好きぶーにゃんの社会的弱者研究所http://sgtyamabuunyan2nd.hatenadiary.jp/entry/2017/03/06/173930)
当時の就職企業説明会がどのようなものだったかが記されており、就職氷河期に中小企業でさえ就職するのがいかに難しかったか理解できるかと思います。
私は就職氷河期世代なのですが、病気療養のため同世代と同じ時期に就職活動することができませんでした。
ですので、自分自身は就職氷河期の就職活動を経験したことがありません。
しかし、ときどき体調の良い時に大学に行って就職課の求人を見ることがありました。
例年なら満杯になっているはずの掲示板に半分くらいしか求人情報が張っておらず、給与も正社員でありながら手取り15万円にも満たないものが多かったことを記憶しています。
また、同年代の知り合いからは、いわゆる“カラ求人”も多かったと聞いています。
聞くところによると、一斉に企業が採用をやめたので求人倍率が低くなり、あまりの厳しい数字に厚労省が「これはまずい」と思って、“採用しなくてもいいので求人を出して欲しい”と企業にお願いしたことがあるとか、ないとか…。
企業が求人を出して、さんざん面接をやって、結局1人も採用しなかった…なんて話も聞いたことがある時期でした。
今世間で知られている就職氷河期の求人倍率も、このような“カラ求人”の分を除けば、もっと低かったんじゃないか、という意見も聞きます。
さて、そんな就職氷河期世代、または団塊ジュニア世代ももう40代~30代後半。
もう、企業も受け入れが難しい年齢ですし、私は「このまま我々の世代は見捨てられていくんだなぁ」と悲しい気持ちでいました。
ところが最近、八代尚宏先生などの本を読んでいて、「あれ?もしかして就職氷河期世代は見捨てられるどころか、これから影響力が強くなるんじゃないか?」と思うことがありました。
なぜか。
去年から“シルバー民主主義”や“シルバーデモクラシー”という言葉が取り上げられるようになりました。
これは、相対的に数が多い高齢者世代が自分たちの都合の良い政策を実行する党に投票するあまり、若年世代にとって不利益が多い社会になってしまう…というものだったと思います。
この代表格がいわゆる団塊世代であったわけですが、彼らも近年続々と75歳以上という後期高齢者に突入しています。
いろいろ指摘されているように、団塊世代の人も75歳以上になると健康的な問題で投票に行けないことが多くなり、徐々に彼らの政治的影響力は弱まってくると考えられるのです。
「そんなことにわかには信じられない」と思われる方も多いでしょう。
しかし、医療機関で働いていると、75歳を境にしていかに人間が弱くなるかが良くわかるのです。
人間は75歳も過ぎると、大きな病気にかかるとなかなか回復しません。
ちょっとの病気ですぐに足腰が弱くなるので、外出も少なくなります。
また、認知症にもかかりやすくなり、認知症の影響で自力での健康管理ができなくなると、体調が崩れやすくなり、あっという間に亡くなる方もいらっしゃいます。
(そもそも認知症になったら、判断能力が低下するので投票できなくなると思われます)
そういうことを考えながら、人口ピラミッドを見ると、否応にも団塊ジュニア、いわゆる就職氷河期世代の数の多さに目が行きます。
八代先生などによると、年代が上がるにつれて投票率も上昇するそうです。
つまり、これから団塊世代の政治的影響力が弱まると同時に、団塊ジュニア、つまり就職氷河期世代の政治的影響力が強まってくると考えられるのです。
しかし、他の方がさんざん書かれているように、この世代は社会に出てこのかた、ちっとも良い思いをしていません。
新卒で就職活動した時は、不況の影響でどんなにがんばっても正社員として就職できませんでした。
就職してもブラック企業で、過労死したり、精神的疾患を患って退職を余儀なくされる人も多かったです。
仕方なく非正規雇用で働いても、“非正規”という身分差別のため正社員と同じ仕事をしているにも関わらず、給料は少ないままほとんど変わりませんでした。
社会保険にも入れてもらえず、老後の貯蓄もできず、がんばっているにも関わらず「甘えている」「自己責任」と言われる始末です。
一昔前であれば、過去の政治的出来事は時とともに忘れ去られることが多かったと思います。
でも、今はネットに就職氷河期のドキュメンタリー映像や当時の政策の記録が残っています。
こうした状況を考える時、「これから就職氷河期世代がどういう投票行動を取るのか、どのような政治的影響力を及ぼすのかわからないな」と思うのです。
昨年、与党はにわかに就職氷河期世代の支援策を打ち出し始めました。
この背景には減り続ける社会保険収入や税収を増やし、生活保護受給者を減らす目的があるんじゃないかと思っていました。
しかし、団塊世代の次に票をたくさん持っている年代を考えた時、団塊ジュニア世代、つまり就職氷河期世代に注目が集まったのではないかとも考えられるのです。
就職氷河期世代は企業にとって魅力のない年齢になったのかもしれません。
彼らは少なくとも、あと30年間は投票に行けるのです。
今後、就職氷河期世代は政治的にどのような選択をするのでしょうか…。
もし、本当に就職氷河期世代の復讐があるのとすれば、“揺るぎない絶大な投票数”という形で現れることもあるのかもしれない、と思った次第です。
これから起こりえるであろうスタンドアローンコンプレックステロリズムにはとても対応できない。
ハセカラ騒動は日本におけるスタンドアローンコンプレックステロリズムの鏑矢であったにもかかわらず
その本質が悪ふざけであると言うだけで誰一人としてまともに取り上げようとしない。
ハセカラ騒動はなんJで3年近くヘイトを稼ぎ続けた末に身バレし炎上した「長谷川良太」と
その炎上を止められないどころか現在に至るまでの歴史的炎上にまで拡大させた無能弁護士「唐澤貴洋」に対する5年以上にわたる嫌がらせであり、
その二人への嫌がらせを行うという目的一点で基本的な行動の方向性が決まっていたために行為も過激化したが、結局死傷者の出る事件には発展していない。
沈静化しつつあるためこれからもそのようなことは無いだろう。
では仮に、その危害対象が「日本」や「日本の社会」である場合どうなるだろうか?
間違いなく大量の死傷者を発生させるテロに発展するであろうことは想像にたやすい。
毎朝のラッシュの満員電車で一度自爆テロをするだけで数十人が死ぬ大惨事となることは誰もが知っていることだ。( http://anond.hatelabo.jp/20150721142516 )
忘れられた就職氷河期世代( http://anond.hatelabo.jp/20170422041028 )はいつか必ずこの国や社会に一矢報いるために行動を起こすだろう。
しかも彼らは連帯する余裕は無いため組織だったものでは無いはずだ。
それ故に彼らが社会に危害を加えようとするときに共謀罪は彼らを抑止する法律とはなり得ない。
ある一定の意思の拡散という手段でISはすでに複数のホームグロウンテロリストを作り出している。
この国はどうやって彼らの「復讐」を予防するのだろうか。
前回、就職氷河期について書いたとき、安楽死についての意見をいただき、これについてしばらく考えていました。
その折りに、衝撃的なニュースが飛び込んできたので、これも併せて考えて見ようと思います。
そのニュースはこちらです。
2017/4/27 1:33日本経済新聞 電子版(http://www.nikkei.com/article/DGXLZO15800570X20C17A4MM8000/)
他にも関連記事がありますが、これらの記事からは「75才以上の高齢者は治療効果がないので、原則として抗がん剤を使わないことにする、と厚労省が決めた」ということが読み取れます。
「そんなことまで書いてないじゃないか」と突っ込まれそうですが、たいてい厚労省がこういうことを発表し、日経新聞が記事を掲載する時は、もう決定事項になっていることを経験上知っています。
それはそうでしょうね。
もしかしたら抗がん剤治療で助かるかも知れないところを、年齢で一律に区切って治療をせず、痛みを和らげる治療だけにする、と言い出しているのですから。
では、なぜ急に厚労省はこんなことを言い出したのでしょうか?
筆者は、それだけ今、国にお金がないことが原因だと思っています。
日本に1,000兆円を超える借金があることは皆さん知っての通りですが、それだけではなく、医療保険制度を支える保険料収入が全く足りていないようなのです。
八代尚宏著・シルバー民主主義(中公新書2016)のp72によると、長期間のデフレによって、医療・介護費を賄うための社会保険料はほとんど伸びていないのだそうです。
本来であれば、働き盛りで一番収入も、払う税金も、保険料も多いはずの30代後半~40代前半の団塊ジュニア世代。しかし、彼らの多くが就職氷河期の影響を引きずったまま、未だに非正規や低賃金の人が多いのが現実です。
一方、高齢者の数は団塊世代が後期高齢者に差し掛かる中、急増しています。
その数といったらハンパなくて、団塊ジュニアよりも遥かに多いのです。
私は「団塊ジュニアがバブル世代より上の世代と同じか、それ以上に稼げているならまだしも、こんな状況じゃ、どう考えてもつじつまが合わないよなあ」と思っていましたが、やっぱりそうだったみたいです。
八代先生によると、足りない分は税金や国債で補てんしているようですが、さすがにこれ以上、同じことはできない…。
ということで、医療費を削ろう、より年をとって助かる見込みのない人から削ろう、せめて痛みで苦しまないようにしよう、という方針になったんだと思われます。
ところで、安楽死の話に立ち戻りますが、現実に安楽死をどうやって実現するか?と考えると、いくつも壁が立ちはだかります。
誰を対象にするか?
どういう方法で死に至らしめるか?
誰がそれらを行うのか…?
これらを国民全員が納得できるよう調整するだけでも頭が痛くなります。
そもそも「誰が対象?」「基準は?」というところだけでも難しい問題です。
就職氷河期世代は経済活動に貢献できていないし、今後も見込みがないから対象?
じゃあ、他の世代で同じように経済活動に貢献できておらず、見込みのない人はどうするの?
という命題にまで行き着くのです。
(この命題に1つの答えを出したのが、相模原の大量殺戮事件でしょう)
「こういうことを制度として議論し始めたら、国連の人権委員会から調査団寄越されて、国際社会から“人権意識の低い国”ってレッテル張られるんだろうなあ…」と筆者は思っています。
(かつて日本は国際人権委員会の調査団に調査されたことがあります)
こう考えると、安楽死ってとても難しいやり方なんだと思います。
やっぱり、生きてる人間の命を奪うのはいろいろ意味で難しいんだと思います。
それに比べると、寿命が長くなく、助かる見込みのない人の治療をやめるのは難しくないのかも知れません…。
つまり、この社会は就職氷河期世代を安楽死させるよりも、団塊世代を始めとした高齢者をトリアージすることを選んだのかもしれない、とも思うのです。
よく、「就職氷河期世代は人口が多いにも関わらず、バブルがはじけちゃったから仕方ないんだ。運が悪かったんだ」という言われ方をされます。
しかし、今は「団塊世代は人口が多いにも関わらず、国が貧乏になっちゃったから仕方ないんだ。運が悪かったんだ」という時代に変わっているのかも知れません…。
鏡を見ると思うことだ。
五、六年しかたっておらず。まだギリギリ若者で行けるだろ?と言ったような感覚なのだ。
年齢は40に近づこうと言うのに中年の自覚がない。かと言って大学生と言う感覚でもない。
中年の落ち着いた感覚を持てないのだ。かといって見た目だけでなく体も立派に中年でお腹の微妙な膨らみが気になり、
酒も飲めなくなってきており、明日も世話になった知人の送別会なのだが飲むのがきつい。
多分この感覚のズレは普通に働いていなかった期間が長かったからだと思う。
就職氷河期の最悪期、もしくはその前後に当たった自分は長くフリーターとして働いていた。
まともに働き出したのは30を迎える頃だ。
大学を出てから働いている期間は勉強していた期間とほとんど変わらなくなりかけているのに本当に五、六年の感覚しかないのだ。
フリーター時代は自分にとってコールドスリープでもかけられたような期間だったんだろう。
あの期間を当時縮小できていれば。。。
当時は自分なりに頑張ったが今考えると半分以下にできたと思う。
悔やんでいても仕方がないから先
先日、下記のブログ記事とその反応を見て、強い危機感を持ったので、ここに覚え書きを残しておきます。
(参照ブログ:俺ら就職氷河期世代ってもう忘れ去られたのかな (追記あり
http://anond.hatelabo.jp/20170422041028#tb)
就職氷河期世代当事者の悲鳴、落胆、それに対する多世代の反応、どれもが納得できました。
また、この記事に関して、『「トリアージ」される就職氷河期世代 参照:http://blogos.com/article/219419/』などの関連記事も興味深く読ませてもらいました。
何に危機感を覚えたのかというと、この就職氷河期世代の取り扱いと、日本経済の展望についての考察が抜け落ちているところです。
先のブログの筆者も、それに対する同世代、多世代の反応も、そして、関連記事を書かれた方も、いずれも「就職氷河期をこのまま社会から排除しても日本経済に影響しない」ことを前提にして考えていると思うのです。
確かに、たくさんの非正規雇用や低所得のままでいる就職氷河期世代を全て救うのは至難の業です。40代という転職などには難しい年齢になってしまっていることも承知しています。しかし、彼らを「助けられないものは仕方がない」として、このままにしておけば、それこそ日本経済が危機に瀕すると筆者は思っています。
何故か?
筆者は最近、医療予算が日に日に縮小していくのを、働きながら感じています。
恐らく国は、莫大な国の借金や減少する税収、保険料などとのバランスを取るために、医療予算も切り詰めるだけ切り詰めようとしているのだと思われます。
以前は社会的入院が問題になっていましたが、今はリハビリすらも削られるようになっており、これから検査、その他、諸々のものが削られていくのではないかと思います。
実は私は、その前振りのような話を、とあるセミナーで聞いたことがあります。
曰く、「日本の借金は遠くない将来、日本人の預貯金の総額を上回る。その時、日本の国債の信用が下がり、ギリシャと同じく破たんする。今から毎年増える医療費を抑える必要がある」と…。
これを聞いた時、私は「そうか、ずいぶん大変なことになっているんだな」くらいにしか思いませんでした。
しかし、最近、職場で思いがけないものがどんんどん削られていくのを見て、この話が現実のものになりつつあることを実感しています。
翻って、就職氷河期世代には将来の“生活保護予備軍”が多数いると考えられています。
これは、9年前、既に次の報告書で指摘されているいます。(参照:NIRA研究報告書 就職氷河期世代のきわどさhttp://www.google.co.jp/url?sa=t&rct=j&q=&esrc=s&source=web&cd=1&ved=0ahUKEwjI492Rvs7TAhWKwLwKHUrSCg4QFggiMAA&url=http%3A%2F%2Fwww.nira.or.jp%2Fpdf%2F0801report.pdf&usg=AFQjCNHu6efnz9XIN2tD0Errx4MSnaNs-A)
この報告書によると、就職氷河期世代の多くが、このまま低所得のまま年齢を重ねた場合、200万人超の人々が生活保護を受給することになり、その額は年間17兆円を超える可能性があります。
私は経済は全くの門外漢ですが、日経新聞によると日本の2015年度の税収が約56兆円だったそうです。また、年間予算が90~100兆円だと思われます。
この税収、年間予算の中から毎年、毎年、17兆円超が低収入のまま生活保護を受給せざるを得なくなった就職氷河期世代に支出されることになるかもしれないのです。
さらに、どこで見たか覚えていませんが、その金額は20兆円になるのではないか、との試算もあるようです。
先に述べた通り、そして、多くの方がご存知の通り、日本の財政はひっ迫しています。
しかし、そのひっ迫した財政状況下で「助けられないものは仕方がない」として就職氷河期世代をこのままにしておけば、毎年17~20兆円のお金を税金から出さざるを得なくなる可能性が非常に高いのです。
そして、それは少なからず、日本が借金を返せなくなる日を早めることになるのではないかと思われるのです。
もし、そういう時が来たら、就職氷河期世代だけではなく、全ての世代が貧しい時代に突入するのではないかと思っています。
最近、このような問題にReutersなどの海外のメディアも関心を寄せて、記事にしているのがなんとも不気味に感じます。
(参照:ロイター日本『焦点:「パラサイト世帯」の高年齢化、日本社会のリスク要因に』http://jp.reuters.com/article/japan-parasite-idJPKBN17L06L、英語版『Life's illusions catching up with Japan's middle-aged 'parasite singles'』http://in.reuters.com/article/japan-ageing-singles-idINKBN17K2OQ)
つまり、現役世代が上の世代の年金を出している、ということです。
みなさんご存知の通り、現在は高齢者が多くなり、1人のお年寄りを3人くらいの現役世代でさせなければならなくなっています。
さらに、これからどんどん、支えなければならない高齢者の数が増えていきます。
数が多いと言われている団塊ジュニア(=就職氷河期世代でもあるのですが)ですら、その上の団塊世代の数には遠く及びません。
そして、就職氷河期に被ったが故に、本来であれば高齢者の年金の大きな支え手になるはずだった団塊ジュニアの所得は低いままです。
このような状況で、高齢者の社会保障を維持することができるのでしょうか…。
こう書くと、「じゃあ、なんで就職氷河期世代は働かないんだ?ちゃんと稼がないんだ?」とのお叱りを受けるかもしれません。
でも、今の社会制度や慣習の下では働けないんです。
先に指摘してくださった方がいるように、日本には厳しい年齢制限があるために、働こうとしても、40歳も過ぎると会社や組織などで新たに雇用してくれません。
いくら勉強しても、訓練しても、それらを生かすチャンスは与えられません。
運よく正社員になれても、「正社員歴が短い」ことを理由に、賃金は低いままです。
このような状況では、就職氷河期世代が上の世代に十分な年金を“送金”することはできません。
無い袖は振れないのです。
また、就職氷河期真っただ中の時には、フルタイムと同じように働いても厚生年金に加入させてくれない会社がたくさんありました。
厚生年金に入っていると見せかけて、実は会社が加入させてなかったケースもありました。
多くの非正規雇用者は国民年金に加入せざるを得ませんでしたが、賃金が低いために保険料を払えない人も少なくありませんでした。
そもそも、“送金”式の年金制度に入らせてもらえない人も多かったのです。
他の世代の人の中には「この世代は助けられない」と言う人がいます。
就職氷河期世代の人の中にも「我々はもう助からないから、下の世代にお金を使ってほしい」と言う人もいます。
他の世代がバブルのしわ寄せを就職氷河期世代が一身に背負うことを希望し、就職氷河期世代もそれで仕方ないと思っている節もあります。
もし、そんな制度を作って就職氷河期世代の人口を減らそうとしたら、国際社会から厳しい批判を浴びて、日本は先進国の仲間から脱落するでしょう。
すると、就職氷河期世代は寿命がくるまで生きることになりますが、低賃金のままでは生きていけないので、生活保護を頼ることになり、財政への負担が大きくなることは避けられません。
就職氷河期世代の当事者も、その他の世代の人も、「今は貧しいかもしれないけれど、いずれ彼らも正社員になり、たくさんの収入を得られるようになるだろう」と思ったでしょう。
でも、そうならなかった今、そしてどういう形であれ、寿命まで生き続けなければならない就職氷河期世代がたくさんある以上、あらゆる手段を使って彼らを“税金や年金をもらう側”から“税金や年金を払う側”にしていかないと、日本経済自体が立ち行かなくなるのではないかと思われるのです。
それはある意味、本当の意味でのバブルの清算とも言えるのではないかと筆者は思っています。
そして、このような文脈で『正社員化でも報われない氷河期世代の無間地獄
http://business.nikkeibp.co.jp/atcl/opinion/15/200475/120200081/
』という記事に賛成する次第です。
今の日本、40代で非正規雇用から正社員になるなんてできるもんか。
そう思っていた。私も80年生まれ。大学も出たのに、非正規雇用しかまともな職が無い。
どうしてそんな職歴なんだ、と聞かれてもどうしようもない。新卒で入った会社が思った以上にブラックで、初日の研修で、「3日間徹夜なんて当たり前。利益が出せなきゃいけない」と諭され、翌日の夜、セクハラとパワハラ織り交ぜた接待に放り込まれた。見知らぬおっさんに「まず脱ごうか」と言われて、翌日辞めた。マイナビなどでいまだに新卒採用やっている会社の話だけど、正直無理だった。
それから実家に戻って就職活動して、派遣社員とか色々やってきて、資格も取って正社員として何度か働くチャンスがあったけど、どこもブラックで、身体を壊して辞めて非正規に戻るのを繰り返し、自分でやっていこうとして個人事業主になって、ふと気づけば10年たっていた。多い時で16万円。少ない時だと4万円の個人事業主。年収150万円。時々アルバイトで小銭貯める個人事業主。
このまま結婚もできない。子どもも作れない。何のために生まれてきたのか。そもそもどこで人生間違ったのか。そう思っていたある日、ハローワークの職員やっている友人が、「転職しなよ」と言ってくれた。「今、好景気だよ。いい職が出てるよ」と。
もう転職する気なんてないよ。そんな力が残っていない。このまま使いつぶされて終わるんだ。そう腐っていた私だったが、その数日後、新聞の「好景気」「アベノミクス」という言葉が、目に飛び込んできた。
政治には踊らされるばっかりだった。でも、もう一度かけてみようと思った。
個人事業主ではない、安定している正社員で、今のような仕事がしたい。
ただ開き直った私は、かたっぱしから企業にオファーをしていった。
雇ってくれ。こんなことやってきたんだ。非正規雇用や個人事業主のキャリアの方が長い。でも、こんな経験を積んできた。雇ってくれ。頼む。こんな努力をしてきた。ただ働いたんじゃない。こんなことをしてきたんだ。子どもの小遣いみたいな仕事を頼まれても、プライドでここまで仕上げたのは、こんな経験が積みたかったからなんだ。
職務経歴書を10回ぐらい書き直して、笑われてもかまわないとポートフォリオ作って、30社以上電話かけて、20社近くアポイントが取れた。そこを一社一社まわって、必死で売り込んだ。
結果、採用したいと言ってくれる企業が3社。その中で、一番気に入ってくれた会社に入った。年収550万円の正社員だ。
定時で上がっても家でやる仕事なんてない。
ダブルワークも考えなくていい。
働いて3ヶ月経つけど、4月で昇進&昇給もしてもらえたよ。マジかよ。マジだよ。
就職氷河期で冷や飯食らった同世代。今だよ。今ならいけるよ。マジだよ。就職氷河期は見捨てられたとか言ってるやつ、今だよ。正社員になるなら今だよ。
俺ら就職氷河期世代ってもう忘れ去られたのかな(http://anond.hatelabo.jp/20170422041028)の人の話読んで、いてもたってもいられず書いた。売り込んでいる時に、「うちも30代40代の中堅層が足りないんだよね」ってすごく言われたよ。売り込むなら今だよ。
人口減少でいくら人手不足になっても、努力していくらスキルを身につけても、就職氷河期世代は永遠に正社員になれない。
年齢差別の問題は、職場での女性差別に勝るとも劣らず深刻な問題なのに、まともに議論されることがない。それが問題であることを認識している人が、差別される当事者以外にいない。
転職の最終列車が35歳だという定説が崩れ出したといわれるものの、じっさいには35歳以上でキャリアチェンジをすることは、日本では非常にむずかしい。
雇う側としては、早いうちに企業に固有のスキルを身につけて活躍してくれた方が、人材への投資効果が高いので、年齢制限をするという理屈を持ち出してくることが多い。
しかし、30代半ばを過ぎた人がたとえ専門学校やビジネススクールへ行って実践的な技術や知識を身につけても、それを活かす機会は与えられない。
企業が年齢差別をすることには、スキルの適合性や投資効率以外に本当の理由があるからだ。
日本の職場では、学校と同様に儒教的な「長幼の別」が極端に重視される。その結果、年下の上司が年上の部下を管理することはあまりふさわしくないという暗黙の了解がある。
また、雇用の流動性がまだ低いので、「長幼の別」を前提とした職場の人間関係が固定されやすい。
そのため、30代半ばを過ぎた人が新しいスキルを身につけても、持っているスキルでは評価されず、職場の既存の人間関係にフィットしないという理由で拒否される。
このメンタリティが土着的、土人的なものだという自覚を持ち、人を年齢ではなくスキルで評価しないかぎり、再チャレンジ可能な社会や、老いて活躍できるプラチナ社会などというものはけっして実現しない。
だから就職氷河期世代が救われるなどということは、この先もない。
土人たちの構成する社会は、移民を呼んで働かせようと叫んでも、国外の高学歴・高スキル人材には見向きもされず、女性が女性であるという理由で過剰に優遇されるのはおかしいと文句を言い、人生に希望と勇気をもって挑戦しようとする中年たちを切り捨てながら、滅んでいく。
就職氷河期を自己責任だとかどうとか叩く気はまったくないんだけど、もし彼らが神の(まあ実際には政府の)御手によって一気に救われたら、すごく微妙な気持ちになっちゃうとはおもう。というのも、同じ世代で、四苦八苦して、頑張って、なんとか生活が成り立つようなところまでこぎつけた人間なので。「ニートをしてた団塊Jrには年収四百万円で、自尊心がモテて、将来の保証があり安定した職業が斡旋されます!!」っていわれたら、自分の人生がクシャクシャに丸めて捨てられたチラシになったような気分になるだろうな……。でも、それでも、救われる人がいないよりは、いた方がいい。
もろ就職氷河期、
10年前をおもいだす。
当時小泉景気に沸いていたとか言うレスがあったがそれはちがう。あれは派遣とかバイトが異様に増えただけ。仕事なんかまずなかった。普通の私大をでて会社をいくつも受けたが全然受からず。ひたすら落ち続けた。
仕方なく派遣で働き3年で正社員と言うことだったが3年後になるとまた3年後と言われ信用できなくなったが3年待った。結局また3年後になった。
会社は全く信用してなかったのでその間に英語を勉強しなんとか外資系に就職した。
自分は歴史が好きで不況下の大衆をいかに政府企業が見捨てるかって言うのを知ってたから政府も会社も信用せず。なんとか生き長らえることができたけど、あのまま派遣を続けてたら。っておもう。
現に派遣の人はその3年後にかなり切られて路頭に迷った人もいるらしい。
10年前資格の勉強もせず2ちゃんで朝鮮人叩きにはまってた人は今悲惨な状況だろう。
朝鮮では政府への不満そらしに日本叩きが使われてると2ちゃんの朝鮮を叩いていた人たちは盛んに言っていたが、なぜそれが日本で利用されないかと考えなかったのだろうか。
ちなみにいま氷河期世代は900や800クラスの仕事が結構ある。この世代どこの企業も人材不足らしい。知人が転職しまくっている。
最近はてぶ見てても就職氷河期を扱ったネタをほとんど見なくなった。たまに見かけるとしたら俺らより若い世代の就職関連の記事のブコメに就職氷河期世代の恨み節とか、切り込み隊長とかが書いてる高齢者介護ネタで「あと10年、20年もしたら非正規の就職氷河期も加わるぞー!!もう日本は終わりだー!!」なんてネタだけ。もう就職氷河期世代をどうやって安定させた仕事につかせるかみたいな話はめっきり見なくなった。
さじ投げられちゃったんだろうね、俺たち。政府のおエラさんにも学者さんにもブロガーさんにも。いろいろ議論して考えたけど、こいつらを救済する妙案も資金もないわって。この前若い頃に見た「トレインスポッティング」って映画の続編がやってたから見たんだけど、若い頃にまともな職につかずドラッグばっかやってた連中が40代になっても相変わらずまともな職つけずにプラプラダラダラしてるって話だった。なんだドラッグしてないだけ俺らのほうがマシだけど、日本以外にも俺らみたいな救いようのない連中っているんだ。世界ってこういうもんなんだな。
たまにブコメで就職氷河期世代っぽい人らが「俺らが就職氷河期で非正規しか仕事できなかったのは政府と財界が原因。だからあいつらは俺らの生活の世話するのは当然の義務だ!みたいに盛り上がっている人いるじゃん?気持ちはすげーわかるんだけど、少なくても俺がほしいのはそういうんじゃないんだよ。俺は「誇り」が欲しいんだよ。今更同世代でうまく正社員になって高給もらってる連中並の収入やキャリアが欲しいとはいわないよ。でもパートや派遣みたくすぐに代用が聞くような仕事じゃなくて、ちゃんと周りから頼られてこれからも頑張れば次があるんだって思える仕事がしたい。まっとうな自己肯定感がほしい。それだけなんだよ。たぶんそれが難しいんだろうけどさ。
努力が必要なのはわかってる。でも何をどう努力したらいいのかわからない。今思えば学生時代は楽だったよな。ちゃんとテストの範囲が決めれれて、範囲内の勉強さえしてれば結果が出せたんだから。中途半端な資格をいくつ取ったって正社員になれないのはわかってるよ。でも他にどうしろっていうんだ?正社員の仕事の条件が「関連業界の正社員勤務経験3年」とかが必衰になっている。正社員経験のない奴はどうやってこれパスすんだよ?
きっと仕事できる奴からしたら「努力の方向が間違ってる」とか「一から十まで道筋示さないと何もできないやつなんて使えない」なんて思われているんだろうな。でも本当に何をしたらいいかわからないんだ。甘えだって笑ってもいいからせめて「○○と○○と○○の資格があったら3ヶ月契約社員。無事にパスしたら正社員」みたいな道筋をくれよ。
まぁ企業からしたらそんな面倒な手順を用意して覚えの悪い中年を雇うより若い新卒雇ったほうが効率的なんだろうな。
海外だったら俺らみたいな中年失業者でも団結してデモ行進して堂々と政府に文句いっているぞとか聞くけど、俺はそんなのしたくないんだ。チャンスがほしいんだ。ちゃんと何年か努力したら親や周りにも堂々と説明できる仕事につけるチャンスがほしいんだよ。
何もしないで生活保護で生きながらえるだけの人生なんて嫌だ。ちゃんと自分を誇りに思える仕事がしたいんだよ。
追記:どうせ「甘え」だの「自己責任」だと叩かれるだろうと思ってたからブコメの内容も予想範囲内だったわ。「なんで連帯してデモないの?」っていうけど、デモしたらしたで今度は「デモやってる暇あればスキル磨いて仕事探せよ」「そんな甘えだからまともな仕事に就けないんだよ」って手のひら返して叩かれるの確実なのに何言ってんだ感。それにちょっと前に安保改正反対でそれこそ国会前に10万人単位のデモが行われても(デモの内容に賛成かどうかは別として)デモ主催者の連中が散々叩かれただけで結局何も変わらなかった。あの惨状を見たあとで俺ら就職氷河期世代が集まってデモして何が変わるんだよ。
あと看護の仕事すすめてくれた人。ごめん、もう経験済みなんだ。30代前半に資格とって何年かがんばってみたけど、じいさんばあさんの体を支えてたりして腰をヘルニアで傷めちゃってね。今もだましだまし生活してるけどもう腰に負担のかかる仕事はできないんだ。
俺の過去の経歴を馬鹿正直に書く気もおきない。俺だって「あの時こうしていれば」って思う経験はいくらでもある。それに毎回「それが原因だろ」だの「やっぱ自己責任じゃん」とか言われて対応するのにも疲れたし、そもそもこういう捻くれたニヒリズムっぽい対応で「だからまともな仕事に就けないんだよ」ってなるし、叩く奴は何言っても叩くからもう面倒くさすぎるんだよ。
それでもこうやって声をあげたのは、誰かが定期的に就職氷河期のことを書いていかないと本当に忘れられるんじゃないかって思ったからだよ。介護やら保育所やらベビーカー問題やら共謀罪やら他の問題がクローズアップされて、むしろどんどんひどくなる一方なのに俺らの問題がどんどん優先度が低くなっているのが日に日に伝わってくる。
同世代で他の連中はちゃんと活躍してるのに俺だけこんな境遇だったら「自己責任」って言われてもぐうの音もでないけど、俺と同じように泥水すすって苦しんでいる連中が数十万人単位でいるのにそれ全部「甘え」「自己責任」で片付けるとか安易すぎだろ。
俺と同じ世代で必死に生きてる連中のコメ本当にうれしかったよ。ありがとう。俺もこんな愚痴ばっかだけど、それでも安楽死したいとかは思ってない。なんとかささやかな幸せ見つけて、それを糧にこれからもがんばろうぜ。