子供の頃はあんまり意識してなかったけど、あの当時の就職氷河期っぷりとか世紀末っぷりとか、社会の辛い部分の真っ只中に居た人達にとっては本当にこんな感じだったんだろうなあ。
それでもデジタルという革命的な技術によって、いつかは閉塞感を突き破っていけるんじゃないかって希望はあったんだよな。
その頃に自分は子供でネットなんて学校のパソコンでたまに触れる程度の存在だったけど、何となくそういう感覚はあった。
今はその夢も無くなって本当に無限大な夢のあとの何もない世の中になった。
デジモンが当時滅茶苦茶流行ったのって、きっとそういう社会の実態を語りながらどこか予言的だった所なのかもなと。
デジタルな新しい可能性と共存して次の世界が世界を救う、その中で勇気や友情を信じればきっとどんな壁も超えられるっていう耳障りのいい物語に惹かれたのかなと。
結局、デジタルと根性論が混ざりあった果てにあったのはどこまでも続くような悪夢だったけど、もしかしたら当時の自分たちは子供ながらにそれが見えていて、だけど信じたくないから美しい物語に夢中になる事で目をそらしてたのかなと。
自分にしか出来ないことなんてなくて、描いた夢は掴めなくて、大事な友は失われて、知らないパワーなんて宿ってなくて、逃げたり諦めることを拒絶して歩き続けた果てには地獄があって……本当に何もない世の中だな……もう俺たちの世代は駄目だな。