はてなキーワード: 定時制高校とは
こないだまであれくらいの年齢だったな〜とJKをみて思ったら,溜まっていた鬱憤があふれちゃったので
だれにもいったことはなかったな。言ってもなんもならんし,可哀想ぶってるとかいわれたら死んじゃうし,悲しくなるから
義務教育にすら支障が出るほどのご家庭の事情があったため,もちろん中卒で
勉強が好きで高校はいかせてやりたいとおばあちゃんが言ってくれたので勉強を頑張り志望校に合格したのだが
きっと,世の中には私よりひどいひとがいて,そういう人でも上手く立ち回ったんだろうなっておもうけど
わたしはアホでビビりで,おかねがなくなって親みたいになりたくなかったし
親の子なのでわたしも上手く立ち回れないとおもい,安全策をとった。
まあそんなこんなでコロナもあり,今のままアパレルにいいても怖いので,事務職に転職したりいろいろしたのだが
(情強なので,PCスキルアピールしたら中卒でもふつうに派遣で入れた。情強でよかった。)
お金も溜まっていたし,コロナを機に掛け持ちバイトは一切やめて二ヶ月の自宅待機でいっきに勉強して高卒認定試験をうけた。
なにせ普通に朝から18時まで働く身なので,フルに勉強できない。
なんか,たぶん私がうまくやれてないだけで
もっと大変な人もいると思う,でも,わたしは無理,キッツって思ってる,
ふつうだったら,ふつうだったら,って呪いのように,言ってしまう。
スヌーピーも,配られたカードで勝負するっきゃないって言ってた。これは,変えられない事実だ。
私よりつらいひと,過酷な人はいる,そういう人でも成功している,ってわかってる
わかってるけど,うるせえ,普通に生きてえんだ,っておもう
無理なんだ,なんで人と違う努力を,人よりハンデが大きいんだよって思う。
きっと,その”私より過酷な環境にいたひとたち”も,そうおもっただろうな,
親はこどもの面倒をさいごまでみるべきであって 脛をかじらせるくらいが,ちょうどいい
っておもっている。
きょう,春季講習にいって,いつのまにか歳がずいぶん離れていたJKたちをみて,おもった。
HPがピンチになったら。行ったら回復してくれるマサラタウンの実家は,わたしにはない。
HP0になって,めのまえが まっくらになって おしまい!になるだけだ。
そもそも,中卒コンプを拗らせている理由だが,思い返してもつrrrっらってなる。
前期受験でうかったので一悶着する時間はあったのだがなにせ時すでに遅し,奨学金すら申し込めず
あ◯なが育英会等も「死亡したことが証明できないと無理です」とのことで
なんとか行かせてやりたいと頑張ってくれていた先生も諦め,合格を辞退して就職する方向になったな
おばあちゃんはひとりでは生きていけないんで(そりゃそうだ)叔母が,実家に来てくれた
クソ田舎の地元のハロワに,先生たちと一緒に連れられていったら
ハロワのひとに「そんな前例(中学卒業してすぐ働く)はないので,無理だと思います」と言われた。
まあそうだよな。今なら,まあしゃーないと思えるけど
卒業式当日,高校いかないということを隠して,それにひとりだけケータイ持ってなくて,「なんで?親にかってもらえばいいやん!」という
無邪気な返答に心砕かれていたじぶんは,とんでもないお先真っ暗感に打ちひしがれ,地元の湖を目の前に泣いていた。
しょうじき当時のじぶんはかなり可哀想である。神様,なんとかしてやってくれ。
地元のごはんやさんと学校とツテがあったらしく,「力になれないか」と言ってくださって
そこで無事働かせてもらえることになった。ほんとうに嬉しかった。
4月1日から働く。友達は,みんな制服だった。いっぽうわたしは黒いエプロンでおばちゃんたちに囲まれ働く。
時給は800円,それが高いのか安いのかすらわからなかったけど,1日8時間働かせていただけるし,社会保険も入れていただけた。
当時はなぜ保険だけに3万も引かれなければならないのかと怒っていたけど,今思うとすgggっごくありがたいことだなあとおもう
どうしても勉強がしたかった私は,通信制高校とか,定時制高校とかを探していた。
なんとか働きながらいけないかと,地元の定時制高校に見学に行ったりしていた。
それをみた叔母は,「行けるわけないだろ,一人で生きれるようになってからやってくれ」というのだ。
16歳目前のクソガキは,なぜ,とただ打ちひしがれていた。
家には,月4万円払っていた。家のご飯は,まかないがあったので食べていなかったし,申し訳なくて食べなかった。
今ならわかる,「クソみたいな姉がのこしてった赤の他人のクソガキ」が,生活もままならないのに学校に行きたいと言い出したらどう思うだろう。
いや,まず出ていけやと思うと思う。
でもクソガキは,それがわからない。なので,なんとかできる,なんとかやるんやと思い込み,16になり自分で携帯が契約できるようになったので
だけど叔母は,認めてくれなかった。
当たり前である。
精神的にすり減っていく毎日,高卒認定試験のことも頭にはあったが,お金がないとなにも始まらないということを知ったわたしは
とにかく働いた。
18になる直前に,わたしはご飯屋さんを卒業し一人暮らしを始めた。
なぜその前から一人暮らしをしなかったかというと,保証人になってくれる人がいなかったので(嫌だと言われました,しかたないね)
保証人がいらない年齢まで待ちました。
学校に行けるぞ,と思っていたのだが
なんか,生命の危機を感じたので,これは学校なんていけねえぞと思った。
夢だったアパレル店員になり,掛け持ちバイトをしながら日々せこせこ働いたな。
色々あったけど,なにをいいたいのか忘れてしまった。
さっき帰宅して,大泣きして,よくわからずキーボードを叩いた。
自分可哀想やな,って思ったらちょっと楽になりました。強気で生きていきたい。
さいきん,自分の思想?に疑問を抱く,保身に走る表現が多い気がする。
もっと堂々と生きたいし がんばったらがんばった,褒められたい!って自己表現したいし
つらかったらつらい!!たすけて!っていいたいかも。自分のこと,大好きかよって思われても,いい
あ,また言ってしまいました 思われてもいいんじゃなく,いや私は私が何より一番大事です。
つらいの嫌いです。甘えだ!!とかうっせーぼけ うんちなめてろ。
スカートは履きたいなと思って書いたので意味を持ちません。さーせん。
追追記
落ちたら情報系の専門学校で2年やって就職か編入学を狙ってます。
コンピュータとインターネットが好きなのと、テクノロジーを勉強するだけで一生を過ごせると思ったからです。
自分は情強と豪語したのですが、情弱なので(どっち?)独学では学べない部分もあると思い、学問として数学や物理を1から全て教えてもらいたいと思い、大学を目指すことを決意しました。
大学で4年間教えて貰えさえすれば、あとは自分で発展させていく自信がまあほんの少しだけあるので、大学に行くことは有用だと思ってます
仕事はそんなに考えてないけど、生活出来ればいいかなぁ…仕事については高みを目指してはいないです。まあコンピュータに関われて、私生活がそれなりに楽しくなれればいいかなぁ ファッションも好きだし。
中卒で色々やってきて、半ば自暴自棄のように「ここまで来たなら好き勝手するぞ!!」という気持ちです。
独学でもできることは重々承知ですが、やるには時間がかかりすぎること、そして自己完結してしまうことがネックだと私の場合考えてしまいます。楽しいですが…
コンピュータは深くて本当に面白いです。とっても楽しい。今頑張れば、色んな人の刺激を受けられる場所にいけると思うと頑張ることも楽しくて仕方ないです。落ちたらつらいな…
研究室とか入ってみたいなぁ
クソド田舎なので、実務経験ある人しか雇ってくれないんすよね。なんかいも求人は探しましたが…
都会に出るのは、地元に恋人も居るので出たくないです。地元Love。
めちゃくちゃわかります。
自分は、やりたいことがやれない場面において
「大学が全てじゃない、学歴が全てじゃない」と自分に言い聞かせてきて色々を落ち込まないように、頑張れるようにやってきた時がありました
でも、実際わたしのやりたいこと、、?やりたいことというか、知りたいこと、知りたいことだな
知りたいことは無限で、まず学校で学びたいということで大学を選びました。
専門の名前を出したのは妥協しすぎってのは自覚してます、ほんとは嫌だ。まあ専門いくなら1年浪人するか独学で貫くかかなぁ
まずは落ちないように頑張ります
色々なアドバイス、ほんとうにありがとうございました。本当にほんとうに、心の支えになりました。
インターネットに愚痴をこぼしてしまって後悔してたけど、撤回します。こぼして良かった。
つぎインターネットで何かを公開するときは、生み出した成果を公開出来るといいな
追追追記
句読点、大泣きしながらmacをバチバチ叩いてたらカンマのままだしてしまいました。
頂きもののmacなので最初からカンマだったんだけど、治し方がわからないというかめんどくて治してないです
小さい頃から家にいたくなかったので、図書館に入り浸ってました。何でも読んでた。
あと人に質問するのが苦手なので(こわいから)自分でなんでも調べたりそっから余計なこと調べたり、雑学で雪だるまのようになった気がします
少し前まで、自分はなんで普通の人のように普通のことを出来ないのだろうと悩んでいた
しかし最近になって幼児期からの過去の記憶がフラッシュバックするようになって、その記憶を反芻していて気付いた
そういえば幼稚園にも通わされず小学校は不登校で、両親が離婚してから父のもとへ移るまで数年間まともにご飯を作ってもらった記憶がない
何日も母と顔を合わせずごま塩をかけたレトルト米だけを食べて、煙草や酒や母が自殺未遂に使うカミソリを歩いて買いに行かされ、癇癪のたびに包丁を振り回されたり髪を掴んで引き摺られストーブに投げられたりしていた
5年生の時、わずかな服とランドセルだけ持って父のところに逃げ込んだ
家に残してきた服はすべて燃やされたり切り刻まれていた
逃げ込んだ父のもとでは人間らしい生活が出来たが、父も宗教にはまってすっかり精神を病んでいたし、姉は半狂乱になってはリストカットして酒に溺れて風呂場で嘔吐しているようなさまだった
当たり前だがまともに勉強が出来なかったので定時制高校に入学してアルバイトをはじめた
コミュ障で社会性なんてゼロだったけど、どうにか働いて一人暮らしをするようになって、正社員として働いて仲のいい同僚も出来て、すっかり忘れてしまっていた
なんで普通のことが出来ないなんて悩んでいたんだろう
そもそもまともじゃなかったのだ私は
それに気付いてからスッと心が楽になって、出来ない自分を許せるようになった
まともな場所で育たなかったから、まともな家庭のやり方を知らなくても当たり前なんだ
むしろ、今まで死ななかっただけで御の字だろう
好きに生きよう、好きに死のう、皆あんなに好き勝手していたのだから私だって楽にやろう
ああ、生きてるのが楽しい
小学校高学年から不登校になり30歳を過ぎて中卒(定時制高校中退)の鬱病患者で就労支援施設通いという身分になってやっと落ち着いた妹の半生から学んだこと。
親は妹を学校に戻そう大学に進学させよう就職させようと20年近く頑張ったけど、どれも失敗して鬱病だから普通には働けないとの医師の診断が下りてようやく諦めることができて解放された。
この結果が最初からわかっていたなら妹に親が使った金も時間も労力もいらなかったし妹も鬱病になるまで追い詰められなかったろうにと思う。
うちはわりと裕福で無駄になった妹のための学費や治療費のせいで自分の進学や部活や習い事が制限されたということは無かったので、その点で妹を恨まずに済んだのは良かった。
しかし「自分は長子だけど家を出ていくからお父さんとお母さんが要介護みたいになったら家から出られないお前が面倒をみてね」とわざわざ口に出して妹に言ってしまったのは我ながら理不尽だけど妹に八つ当たりせずにはいられない気持ちがあったのだろう。
悪いのは両親の方だと理性ではわかっているのだけど妹が「まとも」だったら自分の子供時代はもっと平和だったろうにと思わずにいられなかった。
そんな自分ももうすぐ人の親になるわけだが、もし子供が「学校に行きたくない」と言い出したら「あっそう。行かなくていいよ」で済ませることに決めた。
不登校が始まってから落ち着くまでの間で妹が唯一楽しそうにしていたのは親がカウンセラーの「見守りましょう」という指示にしたがってネット漬けになるがままに放っておいた半年ぐらいの間だけだったのを覚えているから。
先生に「甘え・怠慢」「意志がない」「自分に厳しく」「これから社会でどうするの」って言われた。隣で聞いていた母の、よくぞ言ってくれたといわんばかりの顔を忘れられない。
全日制の高校だから、毎日行くのが大前提だから、休んでしまっているのは本当に申し訳ございません。とんでもないお金を無駄にしてしまっているのも、本当にすみません。
先生はどうでもいい休みって仰りましたけれど、どうでも良くなんかないです。
普通に学校行きたいし、普通に生きたいです。通学電車がホームに入ってきたら、死にたいって思うのはもう嫌だし、毎日まいにち泣いてんのももう嫌です。
普通じゃないのがそんなにダメですか。通信制・単位制・定時制高校はダメですか。なんでですか。そんなに普通でいなきゃダメですか。わたし普通じゃなくても幸せになれます。それがわたしの普通なので。
昼間定時制高校はどう?
私の通っていた昼間定時制はこんな感じでした。
・通ってる人は、不登校だった人、高校をやめた人、スポーツ選手になろうとして高校に行かなかったが怪我等でリタイアした人。
・年齢層は15歳~22歳くらいが多かった。
・単位制だった。好きな授業を大学のように自分で決めて学習できる。
・時間割を自由に組めたため、週4で通い、週3でフルタイムのバイトすることができた。
・文化祭や運動会はなかった。修学旅行は任意で参加率10%程度。
・定時制なので大学入学資格検定(今はなく高等学校卒業程度認定試験に変わっている)を受験することが出来た。
・大検の合格科目を高校の単位に読み替えできたし、高校の単位を大検の免除科目とすることも出来た。
・昼間通えるので、夜時給の高い仕事ができた。
・男女比率はとんとん。結構可愛い子も多かったし、イケメンも多かった。もちろんアキバ系も。
・私から見てもバカが多かった。英語はアルファベット26文字書く授業から。なお、書けない人もいる・・・。
・それでも、数学3Cとか、保育とか、商業、工業、プログラミングなどなど、特化したければ難易度の高い授業も取れるし、その授業に来る生徒はガチで頭いい。
願書は余裕で間に合うよ。
年齢隠してなかったけど、年齢を知ると、ストレートに大学へ来てる人たちは急に敬語になるし、
先輩ですら、敬語になったりするものだから、必要なければ言わないようになった。
私は2回目の高校休学して、1年予備校通って、大検使って大学進んだけど、
1年で中高6年分の勉強は大変だったけど、予備校前と大学入学後の学力は段違い。
21歳も22歳も変わらないし、一度真面目に学力上げて、できるだけ上の大学狙ってみるのもいいと思うよ。
正直、大卒ってだけで、日本じゃ大分楽になれるからどこでもいいっちゃいいのかもしれないけど、
1つのラベリング効果受けるから、偏差値高い大学のほうが気分も待遇も大分違うはず。
先のこと考えて生きてる人間なんて1割もいないんじゃないかと。
もちろん、考えて生きてる人たちは、ほとんど成功してる人たちだけど。
少なくとも、匿名掲示板でぼやいて、匿名で煽る人たちのネタになって、嫌な思いしてるよりは、
高校受験してみて、失敗したらそれはそれ。
2回目の高校に無事通うことになって、やっぱり気が変わったとしてもそれはそれ。
もちろん、やってよかったと思えたら、大勝利。
とらわれていることがあると人は成長が止まる気がしてる。
まずは、君の視界を晴らそう。
安倍さんがようやく東京で演説をしてくれたので、子どもと一緒に聞きにいきました。
池袋の駅前に集まった人の数はものすごくて(アンチも含めて)、枝野さんや小池さんのときとは比べものならないくらいでした。ヘリが飛んでたり交通整理の警官がうるさかったりで大変だったけど、演説の全文を書き起こしました。
https://anond.hatelabo.jp/20171014230038
https://anond.hatelabo.jp/20171015174223
も合わせてご参考まで。
みなさん、この選挙は北朝鮮の脅威からいかにして国民の命と幸せな暮らしを守りぬくのか。それを問う選挙であります。そしてこうした中、いかにして子どもたちの未来を切り開いていくのか。これを問う選挙であります。
先般新潟で街頭演説をしておりましたら、安倍さん、この地域は横田めぐみさんが通っていた学校があるんだよね、めぐみさんを助けてください、そう話しかけられました。お母さんの早紀江さんも、お父さんの滋さんも だいぶお年をめされた。なんとしてもお二人の手でめぐみさんを助けることができる、その日がやってくるまで私たちの使命は終わらない。そういう決意を新たにいたしました。
昨年トランプ大統領と会談を行った際、今年の2月10日の首脳会談においても、私はこのめぐみさんの話、そして拉致事件、核の問題について時間をかけて話をしました。この前の国連演説においては、世界が最も注目するアメリカ大統領の演説においてトランプ大統領は、米国の大統領としてはじめて、めぐみさんについてふれてくれました。私はうれしかった。
首脳会談を行ってお礼を言った。そして11月にトランプ大統領が日本にやってくる際に、どうかめぐみさんのご両親、そして被害者のご家族に会ってください、そして日本からこの問題を変えていかなければいけないというメッセージを発してもらいたい、そうお願いをしました。そうしたらトランプ大統領は、晋三わかった、ひどい話だ、この問題を解決をしていくためにも米国は全面的に協力するよ、そう約束をしてくれました。
この拉致問題についても核問題についても、あるいはミサイル問題についても、アメリカや国際社会に連携をしていかなければなりません。中国の習近平主席ともこの問題について話をしました。ロシアのプーチン大統領やあるいはドイツのメルケル首相とも話をしました。そうした外交努力をもって、先般国連において、北朝鮮へ厳しい制裁を下す決議が、満場一致で採択をされました。北朝鮮へ対して厳しい圧力をかけていかなければならない。それは政策を変えるためであります。
安倍さん、そんなに圧力かけて大丈夫ですか。戦争になりませんかという方がおられます。確かに気持ちは分かります。私は紛争なんてまったく望んでいない。闘争を望んでいる総理なんて世界にはいないんです。
みなさんこの20年間、わたしたちは話し合いのための話し合いは意味がないということを経験してきた。94年の核合意。北朝鮮はもう核開発をやめるという約束をした。そして日本や世界は支援した。でも北朝鮮は私たちの目を欺いて開発を行っていた。そして残念ながら貸した400億円、一円も戻ってきていない。
でも私たちはこれを飲み込んで、そして話し合いを続けてきましたが、そして2005年、北朝鮮はもう一度核放棄をするという公約をしました。でも残念ながらみなさん、次の年には核実験を行なったんです。私たちの誠意を欺き、そして話し合いを時間稼ぎに使って、核やミサイルの開発をしていたんです。もうわたしたちに、騙されてる余裕はないんです。
本来北朝鮮は、勤勉な国民がいて豊富な資源がある。しっかりと北朝鮮が新しい道を歩んでいけば国民を豊かにできる。北朝鮮に明るい未来がやってくる。でもみなさん、北朝鮮がミサイル問題や核問題をそして拉致問題を解決しないのであれば、北朝鮮には明るい未来はないんです。いま北朝鮮が意図的に緊張を高めている今こそ、私たちがぶれてはならないんです。みなさん、北朝鮮の脅かしに屈してはならないんです、みなさんそうじゃないでしょうか。北朝鮮の側から政策を変えます、話し合いましょうと言ってくるようにもっていきたい。そう考えています
あの当時のことを思い出していただきたいと思います。日本全国を黒い雲が覆っていた。ひどい円高で、工場や会社はどんどん世界へ出ていった。中小企業や下請け会社はついていけないから、お店や工場を閉めるしかなかった。若い方がどんなに頑張ったってなかなか就職できない、そういう時代だった。
みなさん、日本のGDP、経済力は1997年536兆円、過去最高になりました。でもその後はデフレです。成長できなかった。民主党が政権をとってからはとうとう500兆円をきって、493兆円になってしまった。あのとき民主党政権はなんと言っていたか。人口が減少すれば成長なんかできない。こう言っていました。
でも私はそう考えない。正しい政策さえしっかりとすれば日本人はやればできる。成長させられる。その思いで、三本の矢の政策を進めてまいりました。結果どうなったか。民主党時代、493兆円まで落ちたGDPが543兆円、過去最高。みなさん50兆円も増えたんです。やっぱり日本人はやればできるんです。人口が減少していたって、政策が正しければ成長していくことはできる。
みなさん、株価も22年ぶりの高い数字になった。わたしは株持ってないから関係ない、というかたがおられるかもしれませんが、そうではないんです。みなさんにとって大切な年金がこの株式市場で運用をしていますから、この4年半で年金の資産は46超円も増えてもう心配しなくていい、という状況を作り出すことができました。
また海外からの観光客は800万人から2400万人まで増えた。今年はもっともっと増えていくと思う。この海外からの観光客。日本人の観光客はだいたい5万円使う、でも海外からの観光客は15万円使う。ですからいま海外からの観光客が日本で使っているお金は、4兆円になりました。民主党政権時代はたった1兆円だった。4兆円になって、もっともっと増えていくと、こう思います。
そしてみなさん。中小企業、大切です。
わたしは総理になって従業員10人の町工場を視察しました。その町工場の社長さんのお父さんがいった、言いつけ。それは、従業員を大切にしろ。そのお父さんが残した言葉を大切に、中学や高校を中退して入ってくる従業員、彼らを会社が応援をして定時制高校を卒業させました。
そしてこの会社は、リーマンショックで厳しくなってしまった。民主党政権時代とくに厳しくなっていった。でもお父さんのいいつけを守って彼は誰も解雇せず、がんばって雇用を守った。その後政権が変わって、だんだん状況が良くなった。従業員はこの彼の思いにこたえて、一生懸命工程を改良して、生産性を上げた。そして販路を拡大したんです。その結果いま、みなさん自動車のスピーカー端子のメッキは、世界中を走っている車の約3割は、この工場から生まれているんです。
まさにこれが日本の中小企業の力です。日本人の力なんです。わたくしは頑張る中小企業を応援をして行きます。
たとえば新しい機械を買った。お店を新しくした。そうやって売上を伸ばしたり、生産性を上げて、従業員の給料を上げようと思っている。そういう小規模事業者に、私たちは投資をしたい。固定資産税を半分にする、約3年間半分にするという政策をスタートしました。いまもう3万人の方々が使っている。
またみなさん、大企業の社長に求められなくて、中小企業や小規模事業者、小さな会社やお店やさんに求められるものは何か。それはみなさん、個人保証です。設備投資をしようと思って銀行からお金を借りると、個人保証を求められる。家や土地や家財一切を担保にしなければお金を借りられない。一回失敗すれば終わりなんです。
本人はもとより家族も人生を失うかもしれない。これはやっぱりおかしいと私たちは考えました。そこで私たちは新しい仕組みを作りました。一定の条件を整えれば、小さな会社でも個人保証抜きでお金を借りられるようになったんです。こうした努力も実って、あるいは経済がよくなって、みなさん、前の政権よりも中小企業の倒産はなんと3割も減らすことができました。
もっともっと私たちは中小企業を応援してまいります。みなさん、2009年、私たちは政権を失いました。でも政権を失っても私たちは自由民主党という名前を変えようとは思わなかった。悪いのは党の名前ではない。やっぱり私たち自身に責任があった。何回何回も車座集会を、ミニ集会を開いて皆さんの声を聞いて、真剣に反省をしました。そして、ひたすらに政策を磨き、鍛えてきました。
私たちは三本の矢の政策で政権を奪還しました。デフレから脱却をして、経済を成長させ、雇用を作って、国民を豊かにしていく。こうお約束をし、一つ一つ私たちは実行してまいりました。
雇用は185万人分増えました。そして今日も、若い方にこの街頭に足を運んでいただきました。若い方にとってはやっぱり正規雇用がいいでしょう。正社員になりたい。多くの人はそう思っている。とうとう日本は、一人の正規雇用を求む求職者に対して、一人分の正社員の職がある正規雇用、有効求人倍率1倍を、それを私たちは初めて成し遂げることができました。
前の政権ではどうだったか。私たちに対して正規雇用がないと言って批判していた前の政権時代はどうだったかといえば、あの民主党政権時代は、正規の有効求人倍率は0.5倍しかなかったんです。つまり2人の求職者に対して1人分の正規の職しかない。そういう状況だったんです。
批判だけをしていても、やっぱり何にも生まれてこない。大切なことはしっかりと政策を立てて進めていくことであります。そして、うれしかったことは、この4月、高校や大学を卒業して就職した若いみなさん、就職率は過去最高水準になりました。この前会ったお年寄りが、私にこう言っていました。
安倍さん、最初の孫は運が悪いことに民主党政権時代に就職をした。だから、就職がなかなか決まらなくて悩んでいる孫を見るのがつらかった。でもねえ、次の孫はおかげさまで行きたいところに行けたんだよ。こう言ってくれました。
みなさん、若いみなさんが、自らの手で未来をつかみとることができる社会。そして働きたい人が働くことができる社会。この社会こそがみなさん、希望ある社会ではないでしょうか。私たちはこれからも未来ある、意義ある、希望ある社会をつくっていきます。
この選挙は、どの党に日本を託すか、これを決める選挙です。同時に、誰にこの地域を託すことができるのか、それを決める選挙です。そして、誰を信用することができるか、誰が信頼できるか、それを決める選挙でもあります。当選するために、ころころころころ政党を変える人を信用できるでしょうかみなさん。当選したいがために看板を替える人を信用できるでしょうかみなさん。
どんなに厳しくても歯を食いしばって、自分の信念、政策を遂行するには、がんばるしかない。北朝鮮の脅威から、国民の命と幸せな暮らしを守り抜くことができるのは、子供たちの未来のために、日本の未来のために、その未来を切り開いていくことができるのは私たち自由民主党そして公明党であります。
この選挙はもっと厳しい選挙になる。みなさんの一票を必要としております。どうぞ皆さん、よろしくお願いを申し上げます。ありがとうございます。
推薦で経済学部に入ったのだけど授業についていけない。私が行っていた高校はは普通の商業高校に併設されている定時制という感じで、私達も商業科目を学ぶことが出来た。とにかく商業科目を取りまくって他の授業を疎かにした。結果、大学の授業、わけが分からず。普通に数2数3の用語やら何やらが統計学やら何やらで使われていた。わかるはずがない。数1も全てやったかどうかあやふやだというのに。そのほか英語もレベルが違いすぎた。いや私のレベルが低すぎると言うのが正しいのかもしれない。
すでにもう試験で爆死し、単位が落ちてしまうのが目に見えている。わたしがやりたかった情報系のことは2年次3年次から。これなら専門に行っていたほうが良かったのかと入学して1ヶ月たとうとしているのに思っているつらい。授業料払ってもらってるのに…。
これを読んで県内一二を争う底辺校(比喩ではない)勤務時代を思い出してニヤニヤしていた。
ニヤニヤできる理由は簡単で、「ああ、昔はこんなこともあったなあ」と。
てっぺん手前は日常茶飯事、家庭訪問に行ったら数時間軟禁、修学旅行に行けば生徒が補導、
でも今に比べれば楽だったと思っている。そう、俺の勤務先は定時制高校、もちろん夜間。
まず日本語が通じない。比喩じゃなくって。外国籍が全体の1割近く。
日本国籍だけど親(母親)が外国人(フィリピンかタイ)で日本語が怪しいのを入れると2割ぐらい。父親はやけに高齢(70過ぎ)パターン。
発達障害は普通、知的障害(軽中度)とか普通にいる。中学校が特別支援学級だったのも全体の1割強。(この時点で1/3が何らかの理由で日本語を相応に使いこなせない)
あとは不登校。文科省の指針(年間30日以上)に当てはめると7割ぐらいが不登校。年間欠席100日超(残りは適応指導教室に行ってて出席扱い)×3年とかいう強者はゴロゴロ。
当然高校生の授業なんかできないし、やってもそもそも理解できない上に教室にいない。統失とかリスカとかじゃ何とも思わない。
学校全体でも半分以上、旧俺のクラスで8割弱が欠損家庭(母子家庭、父子家庭、保護者が父母以外の家庭)。どうして児相に保護されないのかというレベルのネグレクトもたくさん(だから服が同じやつ・臭いやつが多い)
たばこで捕まるやつが少ないのは、金がなくてたばこに手が出ないからだ。「働きながら学ぶ」定時制高校で、正社員が全校で二人だっけ。
だがそんな俺も今年は耐えられそうにない。今年のクラスはひと味違う。
まず特別支援学級出身者が一クラスに2割以上(通級は現時点で不明)、具体的な人数ぼかすために割合で書いてるけど、特別支援学級・特別支援学校高等部の学級設置基準超えてるからね?
要保護・準要保護(自動車を持っているので生保が降りない)でこれも半分近く。例の不登校基準に該当しないやつ(「するやつ」ではない)が数人。
親が1級手帳持ちとか、あと今はやりの代理ミュンヒハウゼン症候群臭いのも何人かいて(中学校からの引き継ぎは「子供が具合が悪い(嘘)、と言って休ませる」)面倒。
モンペとかクレーマーというか、そういうレベルじゃないのがもうてんこ盛りらしい。
ただ、中学校からこういう風に情報が来るのはまだましなレベル。特学在籍は要録の写し見ればわかるようになってるけど通級(普通級に所属して時折特学で授業をやる)だったことを隠す中学校は多い。個別の支援計画も引き継がなかったりする。
で、4月がもうすぐ来るわけだよ。なんの対策もできない状態で。
どうか俺が次の年度末を迎えられるように祈ってくれ、頼む。
僕はITだとか情報系だとかそんな職につきたい。しかし実際そんな職につくような人は高専を出てたりそれなりの理系大学の情報科を出てたりしている。彼等はきちんとした中学校生活をしてそれなりの普通高校に入ってたりしたんだろう。しかしぼくはちがう。定時制高校生で進学しようとしているのはFラン私立文系大学の経済学部。僕の夢は叶うのだろうか?
不登校になり定時通信へ進むという王道ルートを通ってきたが何もしていないし何も作り出してもいない。僕と同じようなルートを通ってきた人で情報系の職についてる人はだいたい学校に行かない間に何かしている。プログラムを深く学んだりだとか情報系のアルバイトに行ったりだとか。僕は何もしていない。アルバイトもしなかったしプログラミングも浅い部分しか学んでいない。
たぶんもう僕が就ける職は限られているのだろう。人生をやり直したい。