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2023-02-25

anond:20230225022337

この教師はクソゴミだが、一般的教師の質は高校の方が高い。

中学校教師は専門教科の教育をまともに受けてない、学問知識がないゴミクズばかりだった。

2023-02-24

文系学問文系でもできる範囲で発達しているに過ぎないと思う。

物事には理系しかできない論理構造というのがあって、それが必要ものについてはいまだ解明されていないと思う。

理系の方が論理なのだ法曹も目じゃない。

文系論理はなんというか線条的なんだ。ああなったら、こうなるという論理。雨降って地固まるというような思考様式さえ理解できるなら片がつく。双方向的な論理もあるかもしれないが所詮一次元のなかでのUターンに過ぎない。

俺はディ二の定理ガウス積分も「理解できない」ことで完全に理系素養がないと悟った何者かである

https://mathlandscape.com/dini-theorem/

たとえば上リンクのディ二の定理説明に使ってるグラフによる関数列の定義理解できない。

fn(x)についてfn(2/n)=1とは一体どういうことだと言うのか。

xについて解けばn=2のときx=1らしそうだがそれってどういうことなのか。つまり関数列のxを固定して数列としてみたfn(1)についてn=2のときの項は少なくとも1だということになるがそれ以外のnについても項が全く不明ではないのか?

理解できる人の脳が異次元に思える。

ガウス積分も同様だ。どうしても変数変換のところで理解が追いつかない。rとθが同時に動くような状況を理解しなくてはいけない。高校の置換積分とは理解必要な脳のスペックCPUでいうならbit数が根本的に違う。

ようするにこれらは変数の数の問題だ。文系論理変数でいえば一個の変化を辿っていくようなものしかない。

しか理系のそれは二個以上が容赦なく変化するような論理の流れを追えなければ理解が追いつかないということになる。

しかし私のような人間は一つの変数についてたどろうとするとそれ以外の変数に対する考慮がおろそかになってしまうような理解しかできないのだ。

この状況は絡まった糸で例えられるかもしれない。糸の端が外側に出ているという前提であれば、複数の糸がそのように絡まった糸玉に対してある端から辿ってその糸の別の端を探すということはできるはずだ。

理系やばいのはこの辿るという作業を二つ以上の糸に対して同時に行えてしまうようなところにあるのだと思う。とてもじゃないがワーキングメモリーが足りねえよ。

まり二つ以上の変数を一挙に思考範囲内に収めてみんなまとめて辿れてしまうんだ理系ってのは。

ちなみに文系でも理系仕草をすることはある。

応用数学を解いたり、初等的な計算が早かったり、フラッシュ暗算が得意だったりというところだ。なかに理系以上の計算力を持ってる人もいる。

しか理系もみんなそれなりの計算力はあるのである大事なのは計算力があるなら理系であるとは限らないこと。百ます計算公文式で得意げになってる子供理系としての将来を期待するのは早計なのだ

だって俺でもガウス積分を使わなければならない問題でも一定の演習を積めば答えの法則をそれとなく察してパズルのように解けるようにはなってしまうと思うから高校数学の延長上の応用数学はみんなパズルであるナンプレと大差ない。パズルとして解こうとする限り計算問題はみな線条的な論理理解力があれば事足りるのである

しか原理的な理解がなければ既存定理を発展させることはできない。

実は文系という人間にありがちと思われるのは、正しく新しい定理証明までできた気になって得意げになってるか、既存定理について延々と具体的な数値を代入してみたりして納得を試みようとするが一般的にそうだと言えることについてはついに何度人に教えてもらってもいまいち理解には辿り着けないかのどっちかだろう。

前者は無知の知すら弁えてない傲慢人間後者合理的知性主義によって既存の知性となんとかすり合わせを行おうとしているがそれができない、という違いだ。

ちなみにツイッターに棲息していがちな、法律の話で独自解釈をしているのにそれに気づかない人間は前者である

やや急進的な言い方かもしれないが、位相集合を基盤とした数論幾何をはじめとする現代数学と一部の物理以外はだから文系なのである理論や主張を腹落ちするのに複数の糸を同時に辿れるような能力はいらない。

というかそういう人間しか研究に携わってきてないから、そこから出力される理論もその程度なのだろう。理系の頭をもってしか理解できない領域が人文社会科学にもあるならば、それについてはいまだベールに包まれたままなのかもしれない。しかしなぜか真の理系人間の誰一人として文系学問には進まないか文系学問において理系脳をフル回転させようとしないのだと思われる。

dorawiiより

anond:20230224164804

デザイン歴史的積み重ねと実績・効果の積み重ねだから、最終的には学問であって、一定知識理解ベースにしないと説明議論もできないんだわ。

前世記憶が蘇った

突然前世記憶が蘇った

俺は昔男だった

女になりたいと思ってたし、女だったらイージーだと思ってた。

優しいとか人当たりがいいとか言われてたし、フツメンだと思うし(チビ&&デブ&&ハゲとかではない)、家事もわりと好きだ。

会社勤めが苦痛なので、そのへんの非モテ童貞ちょろまかして結婚に持ち込めば悠々自適お気楽人生が待ってると思っていた。

 

男だった頃は女慣れしてない非モテ気持ち悪いなんて思ったことなかった。

自分童貞で女に憧れる気持ちがわかるし、哀れみと可愛さすら感じていた。

俺が女だったら理想のお姉さんになりきって乳でも触らせてやって童貞卒業させてやりたいなんて思ったものだ。

 

実際は想像と違った。

なんというか、女の体に慣れきってしまったのだ。

変な言い方だが男だった頃想像していた「お姉さんになりきった自分」は、男としての心と女の体が分離してた。

男の自分他者の体を使う感覚、だから想像の中で自由に操れた。

今は自分の心と体が切り離せない。

乳くらいならもませてやってもいいが、中に挿れられることに抵抗を感じてしまう。

遊び道具として捉えていた(自分の)女の体が絶対守るべき貯金みたいに感じてしまう。

非モテ童貞とヤるのは資金を頼りない銀行マンに預けるようなものだ。

ヤリチンならそこまで不安感はないが、性欲もあまりないのでヤリチンとわざわざヤる意味を見いだせない。

 

普通の女は恋愛感情で良さそうな男とヤれるんだろうが、俺は今でも恋愛対象は女性だ。

女性を好きになることもあるが、女友達の一人もできなかった俺は憧れの女性友達にすらなれない。

でも男だった頃あった性欲由来の独占欲とかもなくなったので、たいしてつらいと思わなくなった。

 

レズにでもなるかと思ってそっちの世界を覗いたこともあったけど、

女と結婚してもイージーになれるわけでもないし、性欲もそんなにないしメリットがない。

 

というわけで前世も今も非モテなのは変わらずだが、昔ほど惨めに感じないのは女のいいところだと思う。

性欲に苦しめられないのもそうだし、男は男同士の中で序列をつけたがる。

モテない、女に愛されない自分というもの肯定できなかった。

 

女のデメリット仕事に関してだ。

 

自慢になるが、昔の俺は理数系が得意だった。

わりと優等生だったし、国立工学部に入ってエンジニアとして働いていた。

今回もそのルートに入ろうと思っていた。工学部女子モテるし、安牌な男みつくろって結婚すればイージーだと思ったからな。

 

これは人によると思うが、女になると理数系が弱くなる。

 

昔はもっと違った。理由はわからないがなぜか理解できたんだ。

数字記号もっとくっきりと見えていた。

今は全部ぼんやりして見える。

視力問題と言うか、認識力が落ちた感じがする。

 

俺は別に数学意味とか見出してたわけじゃなくて、ただ人より出来たから好きなだけなんだな。

できなくなったら興味なくなったし、勉強する気も消えてしまった。

結局たいして興味はないがなぜか出来る英語を生かして英文科に入り、今は事務として働いてる。

 

今でも考えることは好きだ。

好きだけど、理数系の思考回路がふさがってしまったせいかターゲットリベラルアーツに向く。

社会をどうしたらいいかとか、差別はどうすればなくなるかとか。

 

そっちを専攻すればいいとも思うんだが、昔「食えもしないお遊びの学問」ってバカにしてたんだよな。

将来を考える必要のない女が学ぶものって。

その偏見が残ってるのと、実際学んだところで食っていけるイメージが湧かないので動けずにいる。

 

筋力や体力もないので仕事もすぐ疲れるし、全体的に行動力が落ちた。

とにかく昔と比べて体が重い。

オーバーに言うとクマの機動力持ってたのがパンダになった感じ。

いろいろな経験を積み重ねてあきらめるのはうまくなった。

 

なんか思う。

性が使えないんじゃ女って全然イージーじゃねえな。

結婚すればイージーなのかもしれないが、非モテちょろまかせない、恋愛感情も持てない俺にその道はかなり遠い。

男の気持ちもわかるんで、会社じゃ「話のわかる事務員さん」としての立場は得ているが、メリットと言えばそれぐらい。

anond:20230221222631

普遍的視点での個人的評価って矛盾してるようで苦手、ってことを言いたいように感じましたが、

現実問題として、ここでいう「良し悪し」と「好き嫌い」は完全に分離することは不可能なんじゃないかと思います

分離を試みるのが学問だと思いますが、完璧にはできない。

から官能試験だと思って、素直に思ったことを言えばいいと思います

個人的好き嫌い」の形成には社会の影響もあるので、それが本当に個人的かは疑問。

2023-02-23

anond:20230223190542

貧乏武士農家次男、三男(他家の養子に入った者除く)は基本結婚できずに一生独身というのがセオリー。ただ、次男坊三男坊が100%独身だったらそれは社会のせいなんだけど、実際には学者になったり、商売興したり、学問で藩政や幕政に携わって新しい家興して結婚して、その上吉原の女を何人も水揚げして囲ったりする奴ってのはいたんだよ。割合が少なかったとして例外がいるわけだから結婚できなかった次男三男坊は自己責任努力不足の一言に尽きてしまう。

非モテ不細工実家貧乏でも、芸人になったり起業して成功して結婚して子供いる例外存在してしまうので、結果的に君が独身生殖できないのは100%自己責任努力不足になる。なんで自分非モテってことを自覚した上でそれをかき消すような結果を出すための行動や努力をしなかったの?なんで売れっ子お笑い芸人にならなかったの?なんでForbesに載るような起業家にならなかったの?はいQED

anond:20230222220748

フェミニズム女性が抱える悩みに対して

"外部"に原因を求める学問から

何らかの後ろめたさを抱えている女性には刺さりやすい。

あなたは悪くない」

あなたの悩みは●●のせいだったんだよ!!」

という"赦し"を与えてくれるので、そりゃ心地良いしどっぷりハマるわな。

新体制デザインし稼働させ検証する、という学問分野はないが

官僚は様々な新制度をしはじめるのである意味社会実験学者

まれ国会で報告していたりするが、論文も出せばいいのに

ミレニアム以降の随意契約の動向」「コラボ契約からコラボ支援への転換」みたいなやつ

自民共産党や壺の言う通りに設計したら

その制度長所短所や(裏目的も)気づくはず

制度の闇や抜け道がバレるから書けない?

新聞記者法曹忖度して訴追しないから変な制度ができるだな

コラボは発射後に異常値が出たロケットだと思えば分かりやす

そのうちAIリアルタイム組織監視するだろう

で、統一教会コラボ事案でうまく火消しが出来たと考えていそうだが

説明義務はまだまだあるだろう?

宗教信者職業統計をとって欲しい

追記

アラブのような資源国は無料大学が作れるというが

日本国経済的お金持ちの割には格差解消策は割と控えめ

ただ米国サブプライムなど結果的には証券会社の便宜目的で、バブル崩壊が起きて救済にならんかったという例もある

金融事業者と宗教は相当関係あるかな

2023-02-20

成田

  1. おっと、これは下記を書いた後で書いているのだが、CV見ると、成田氏の様々な所属の中で私と現在被るところがあるのかもである。すると私は(こういう局面では)COIありと開示すべき状況と思ったので冒頭に書いときます。まあ大抵どうでもいいことだとは思うけど。
  2. ノーベル賞とったジェームズワトソンだってハーバード学長だったローレンス・サマーだって発言パージされてるので、成田氏の研究能力が優れているかどうかと、パージされるべきかどうかは全く関連はない。発言に基づき粛々とパージされれば良いと思う。あれはいけないと私も思うから

***

かれ、業績はわかんないよね、これは専門分野しかからない。これは学者世界はそういうものです。例えば私はノーベル医学生理学賞化学賞はだいたいわかるけど(わからない時もあるけど)、物理Newtonで昔読んだことあったなくらいのものしかからないし、経済はまるでわからん

その上で。昨今の成田氏ディスが始まったNYTの記事で、成田氏は米国で「無名学者である」的な語りがあった気がする。これは暗に彼が、中野何たらとか茂木何たらと似たタイプテレビ学者であると言いたいのかな、と私は受け取ったのである

その後、彼に関する様々な記事の中で下記ブコメを見つけたのである

desudesu 成田論文けっこう書いてるhttps://economics.yale.edu/sites/default/files/cv/Yusuke_Narita_CV.pdf

2023/02/18

なんかうちの分野ではCVの書式をファンシーにいじる人いないけど、まあそれはいいとして、結構論文を、しかもいい論文を書いてそうな雰囲気。PNASの単著とかあるし(Editor陣にミルグロム名前があるんだ。私もノーベル賞学者に見てもらいたい、、、という気持ちあんまりないな笑)。単著は流石に個人能力しか言いようがない。

繰り返しますが学問分野が違えば常識も違うとは思いますものの、例えば落合陽一と比べてもなおかなりきちんとした研究業績ある方なんじゃないだろうか。もちろん中野なんとかとか茂木なんとかのレベルではないだろう。

2023-02-18

大学って4年しかいか総論的な学問入り口を触れて終わるので、企業としても専門性採用しようがないと思う。

その上1年は教養やってるし、3、4年は就活してるし。

結局大学名で学習効率がよいだろうと想定して選出するしかないだろ。

望月新一はせめてあと一つでも日本雑誌でいいか査読掲載を認めさせることができないものなのか。

掲載されたのが自分とこの雑誌だけなんじゃ到底参照先として使えないよな。論文の内容が正しいって担保が著しく足りないンダもの

まり既に証明済みのフェルマーの最終定理とかならともかく現段階でABC予想が正しいとして初めて証明される諸定理を使っての研究は今不可能なままなわけだ。学問が進まない。

望月自分達さえわかってればいいって態度なんだろうがその理解者が明らかに質的に足りなすぎてる。せめて論文が正しくて安全活用可能一般研究者が判断するにたるぐらいには理解者がいなければダメよね。つまり担保に値すると判断されるレベルの数の雑誌掲載される程度には理解者(査読に携われるレベル専門家)を得られなければダメだ。

別に御用学者みたいに大衆迎合しろって言ってるのとは全然違うことぐらいわかるよね。

それすらわからないふうに自分さえ真理に到達すればいい、最低限の人に理解させる必要などないみたいな態度とってるんじゃまさしく宗教家のそれだよ。望月論文自体宗教と言われてるのがやっぱりあながち的外れでないことになってしまう。

経済学だと!? あんな物は学問なんかじゃないっ!

って海原さんが言ってた

気がする

anond:20230218095540

一応、学問って名乗ってるだけで、実際には何に役に立ってるか分からないと言われてるから

2023-02-17

望月新一ブログを見たがブコメ言う通りお世辞にも文章うまいとは言えないな。くどい。汚い。エレガントじゃない。

欧米大学じゃ入学してからしこたま作文能力を扱かれるそうだがあの文章力でよく単位くれたよな?ひいては今のゴタゴタにもつながってるんだと思うけど。

望月くん説明下手すぎー。せめて雑誌編集担当するレベル数学者にわからせられないようじゃ相手馬鹿なのが悪いなんて言い訳通用せんでしょ。

ガリレオ説明義務を怠ったわけじゃないからな。あれは宗教的洗脳を解くという別の意味の戦いも混じってるわけで科学的な説明ガリレオ果たしていたはずだ。むしろ宗教者側もガリレオ理論整合性理解していて、でも神を否定するわけにはいかないとむりやり否定する結論ありきで弾圧したに過ぎない。ゴネていたのは宗教者の方。しかし今回ゴネているのはどう考えても望月の方。

望月が今回の件に関しては一ミリ学問を前に進めていないのだ。だってABC予想が正しいと言う前提で証明されるもろもろの定理がいまだ活用されて新たな数学事実発見に繋がってないんだろ。だったらそれは論文を書いてないのと同じ。仕事してないのと同じだよ。

ブクマカはすぐに「大学就職予備校じゃない純粋に興味と好奇心探究心で学問を学ぶ場だ」的なズレた綺麗事言うけどさー

じゃあなんで企業趣味のために借金した使えねー大卒にその借金考慮した賃金払わんといけんの?

これが例えば趣味パチンコで負けまくって借金してますってやつが会社に入って

「俺が借金返せて子供不自由なく育ててそいつ趣味借金できるだけの賃金払え」

って言ってたらこいつ頭おかしくね?ってなるだろ

モラトリアム真っ最中のガキみたいな気持ち悪い綺麗事言ってないで

高等教育は広い意味社会還元可能な学びの場でありそれを企業活動にも活かせるから適正な賃金を払うべきって言えよ

それ言えないなら黙ってろ大学出ただけの無能ども

大卒がアホだと思われること増えて恥ずかしいわ

2023-02-16

anond:20230216231847

そもそも俺は学問がどういうものでどう定義されるとかそんな高尚な話をしたいわけじゃないんだが

男女で向き不向きがないとかそういう話は真理の追求のために極力主観を排して得られた観察の結果なのか、理想を追求するために現実と夢を混同した夢想家に迎合した社会的圧力産物なのかがもともとの疑問

男女で100m走やれば明確にタイム差が出てるのにどうして向き不向きがないとかそういうことが言えるのか、仮に何か言えるとしても強い条件がついてるんじゃないの?っていう

anond:20230216221901

何が言いたいのかよくわからないんだが学問は体系を組み立てて最終的には真理を追求するためのものやろ

数学数学という体系の中でほとんど完璧に無矛盾に成り立っているものの一つ その世界ではそう、ではなく公理系では普遍の真理だ

工学理学人類可能範囲内で無矛盾に体系立てて理屈を整理する試みだし広く一般的に成り立っていることが期待されてる

理想のために結論を捻じ曲げるのはどの分野であっても忌避されるものだし、理想世界のために体系そのものを捻じ曲げているのならそれは科学ではない

anond:20230216221256

学問学問さ、

数学数学だし(苦笑)、なんなら

将棋将棋さ、

その世界ではそうだ、ってことさ

…でも、それぞれの原動力はやっぱり感情なんだよなぁ

からどんな世界でも争いはあって、それが原動力になって深化していくんじゃね?

2023-02-15

年寄りが全員自決したら我が国は良くなるか

っていう論点、大いに使い古されている印象なんだけど、そんなものをいまさら恥ずかしげもなく開陳してしまうあたり、大量の叡知を注ぎ込んでいるにも関わらず経済学という学問はこの程度でしかないよねと

anond:20230215204519

そうではないことが内部告発で言われてますよね

そもそも経済格差のある現状は、基本的人権差別禁止に反する重大な憲法違反であって、奢り問題なんかで容易く影響されるような政治指針ではありません

義務教育受けてないバカザルのくせにしゃしゃってくんなサル

人間以外が知識に基づかない考えと偏見を撒き散らすんじゃねえよ、差別きめえんだよ

意見とか思考知識と深慮に基づいているから素晴らしいのである学問は素晴らしい

お前のはただの差別サルの鳴き声

意味ねえんだよキーキーうるせえカス殺処分すんぞ

2023-02-14

[]ノイマン思考トレースする感じで文章を書く

知的作業本質を論じることは困難。数学の最も重要な特徴は、自然科学もっと一般的に言えば、純粋記述的なレベルよりも高いレベル経験解釈するあらゆる科学との、極めて特異な関係にあるとノイマンは考えていた。

ほとんどの人が、数学経験科学ではない、あるいは少なくとも経験科学技法はいくつかの決定的な点で異なる方法実践されていると言う。しかしその発展は自然科学と密接に結びついている。

そして数学のいくつかの重要な例がある。

まず幾何学力学熱力学のような、間違いなく経験的な他の学問は、通常、多かれ少なかれ仮定的な扱いで提示され、ユークリッドの手順とほとんど区別がつかない。ニュートンプリンピアは、その最も重要な部分の本質と同様に、文学的形式においてもユークリッドと非常によく似ている。仮定的な提示の背後には、仮定裏付け物理的な洞察と、定理裏付け実験的な検証存在する。

ユークリッド以来、幾何学の脱皮は徐々に進んだが、現代においても完全なものにはなっていない。ユークリッドのすべての定理のうち、5番目の定理疑問視された最大の理由は、そこに介在する無限平面全体という概念の非経験性格にあった。数学論理的分析にもかかわらず、経験的でなければならないかもしれないという考えが、ガウスの心の中に確かに存在していたのである

ボリャイ、ロバチェフスキーリーマンクラインが、より抽象的に当初の論争の形式解決と考えるものを得た後も、物理学が最終決定権を握っていた。一般相対性理論発見されると、幾何学との関係について、全く新しい設定と純粋数学的な強調事項の全く新しい配分で、見解修正することを余儀なくされた。最後に、ヒルベルトは、公理幾何学一般相対性理論の両方に重要な貢献をしている。

第二に、微積分学からまれたすべての解析学がある。微積分の起源は、明らかに経験的なものであるケプラー最初積分の試みは、曲面を持つ物体の体積測定として定式化された。これは非軸性で経験的な幾何学であった。ニュートンは、微積分を基本的力学のために発明した。微積分の最初の定式化は、数学的に厳密でさえなかった。ニュートンから150年以上もの間、不正確で半物理的な定式化しかできなかった。この時代の主要な数学精神は、オイラーのように明らかに厳密でないものもあったが、ガウスヤコービのように大筋では厳密なものもあった。そして、コーシーによって厳密さの支配基本的に再確立された後でも、リーマンによって半物理的な方法への非常に独特な回帰が起こった。リーマン科学的な性格のものが、数学の二重性を最もよく表している例であるワイエルシュトラス以来、解析学は完全に抽象化、厳密化され、非経験的になったように思われる。しかし、この2世代に起こった数学論理学の「基礎」をめぐる論争が、この点に関する多くの幻想払拭した。

ここで、第三の例。数学自然科学との関係ではなく、哲学認識論との関係である数学の「絶対的」厳密性という概念のものが不変のものではないことを示している。厳密性という概念の可変性は、数学抽象性以外の何かが数学構成に入り込んでいなければならないことを示す。「基礎」をめぐる論争を分析する中で、二つのことは明らかである第一に、非数学的なものが、経験科学あるいは哲学、あるいはその両方と何らかの関係をもって、本質的に入り込んでいること、そしてその非経験的な性格は、認識論経験から独立して存在しうると仮定した場合にのみ維持されうるものであること。(この仮定必要なだけで、十分ではない)。第二に、数学経験起源幾何学微積分のような事例によって強く支持されるということ。

数学的厳密さの概念の変遷を分析するにあたっては、「基礎」論争に主眼を置くが、それ以外の側面は、数学的な "スタイル "の変化についてであり、かなりの変動があったことはよく知られている。多くの場合、その差はあまりにも大きく、異なる方法で「事例を提示」する著者が、スタイル、好み、教育の違いだけで分けられたのか、何が数学的厳密さを構成するかについて、本当に同じ考えを持っていたのか、疑問に思えてくる。

極端な場合には、その違いは本質的なものであり、新しい深い理論の助けによってのみ改善されるのであり、その理論の開発には百年以上かかることもある。厳密さを欠く方法研究を行った数学者の中には(あるいはそれを批判した同時代数学者の中には)、その厳密さの欠落を十分認識していた者もいたのである。あるいは、数学的な手続きはどうあるべきかというその人自身の願望が、彼らの行動よりも後世の見解合致していたのだ。たとえばオイラーなどは、完全に誠実に行動し、自分自身基準にかなり満足していたようである

anond:20230213135504

大学はぜひとも不義理があって行きにくいところであるべきだという固定概念(?)(固定観念誤記?)がある。

裏を詮索するに、(大学にとって)我々(ごとき教育などというの)は物足りないのだろう。

(我々が役不足であるという)結論が出る状態に至るのも嫌なので、話の核心部分だけにしておこう。

さて、狭いユニットバス性癖解放しよう。

最高学府は須く敷居が高いという固定概念がある。穿った見方をすれば、我々の役不足に過ぎないのだろう。煮詰まるのも嫌なので、話のさわりだけにしておこう。さて、狭いユニットバス性癖解放しよう。

「須」は漢文で「すべからく」と読み下す場合は「〜べし」とセット(成句)だが、国語辞典では「下に『べし』が来ることが多い」と説明されており、つまり「べし」を伴わない用法も許容されている。

煮詰まる」には「もうこれ以上新たな展開が望めない状況」という意味もあるので、今回はそのような意味だった可能性もある。大抵のものさわりこそ煮詰まった末なので、煮詰まるのが嫌なのにさわりだけにするというのはいささか不自然ではあるが、結論のみ投げられている分には案外逃げ道があったりするので、そういうシーンを想定しているのかもしれない。

性癖解放ということは、日頃は己の性癖を抑えているのだろう。単にユニットバスというのではなく狭いというからには、もしかするとバストイレ一体型かもしれない。したがって住居自体も狭いだろう。狭い住居のさらに狭い風呂場、したがって他人からも見られない、そんな所でのみ自身の偏りを表現できるという。

この閉塞感の背後にはもしかすると、己の学問心が非才ゆえに大学で軽くあしらわれてしまったというような、大学に対しコンプレックスを抱くような挫折があったのかもしれない。己の凡才ぶりという核心に正面から向き合うのも苦しい。

そうすると、狭く孤独風呂場で開放される性癖とは、学問的な思索かもしれない。

2023-02-12

オタクとしての共産党についてのお気持ち表明

30代独身男性雇用不安定

過去国政選挙はだいたい「選挙区民主党系、比例区共産党」。吉良よし子議員にも入れたことがある。ただ、立憲民主党が立ち上がったときは御祝儀で両方立憲民主党に入れたし、れい新選組が立ち上がったときは一票入れた。「俺の一票が国会議事堂スロープになった」と思うと誇らしい。ロシア非難決議に対する対応とかで「どうしようもねえなこいつら」と思ってはいるけど、国会に何人も重度障害者を送り込んだ実績があるので完全に嫌いにはなれないんだよな……

政治的スタンスとしては、象徴天皇制支持、日の丸君が代愛着あり、日米安保支持だが、どうせ今すぐに共産党政権獲ることはないだろうし、と思って少しでも生活をマシにしてくれそうな党に入れていた。共産党が恒常的に第二党になり天皇制自衛隊への攻撃を強めてくるようになったら流石に別の党に入れるだろうけど、現状の勢力ならまあ天皇自衛隊の脅威にはならんだろうな、という判断

過去地方選挙はだいたい共産党一択地方選挙なら共産党いくら勝とうが天皇制自衛隊直ちに影響があるわけではないので、安心して共産党に入れられていた。

で、前置きが長くなったけど、昨今の共産党について。正直、かなり失望している。

失望のその1は表現規制問題だ。かつて共産党表現の自由のために戦ってくれた経緯があるのは知っているし、そこは感謝しているが、最近共産党表現規制派のフェミニストに乗っ取られてしまたかのようだ。『温泉むすめ』へのバッシングには何人もの共産党地方議員が参加していた。地方とはいえ仮にも公職にある者が、たかだか地域おこし用のご当地萌えキャラ程度のものに「ゾーニングすべき」などと堂々と言ってきたのだ。『月曜日のたわわ』だってそうだ。他にもいくらでも事例は挙げられる。そしてとどめが、一昨年の衆院選だ。

不安定雇用に振り回される萌えオタクの俺は、安定した雇用や充実した福祉と天秤にかけて、俺の嫁たちを選ぶことにした。まっとうな仕事がないのは俺が人文系などというカネにならないことでは定評のある学問を専攻したからであり、自己責任であると諦めもつく。一念発起して資格を取るなり起業するなりすれば一発逆転ができるかもしれないのにしていないのも、最終的には俺が怠惰なのが悪いのだ。しかし、彼女たちがいったい何をしたというのか。たかだかスカートに皺が寄っていただのといったくだらない理由で、彼女たちがあそこまで攻撃され、貶められてよいはずがない。金がないのは耐えられる。でも俺たちの文化が貶められ、排除されようとしているのは耐えがたい。

失望のその2は、まあその1とも絡んでくる話だが、Colaboの件だ。モリカケサクラであれだけ特定民間人との癒着公的リソース私的流用公文書の黒塗りを批判してきた共産党が、Colaboをあそこまで庇うとは思っていなかった。まだ知らんふりしてColaboを詰めてくれた方が全然よかった。暇なんちゃらが「共産党と強いつながりのある~」って枕詞を使ってたときは「まあそりゃ事実っちゃ事実だけど下品攻撃だなぁ」と思っていたんだけど、あそこまで全力で都の不明朗な会計を庇い始めるのは予想外すぎた。本当にあったのかよ強いつながり。俺はお前らが行政の透明性をうるさく追及する党だと思って、そういう政党議会制民主主義には必要だと思って、だからずっと貴重な一票を入れてきたんだぞ……

そして失望のその3。今回の党首公選問題だ。たかだか党首公選すべきだと本を出し記者会見をした程度の党員をあそこまで攻撃するのはドン引きするほかない。「気持ちはわかるけどすぐには難しいっすね~。貴重なご意見あざーっす」で済ませていればすぐに鎮火しただろう問題をここまで燃え広がらせているのは、すべて共産党自身が招いたことだ。

俺は党首公選絶対必要だとは思わない。それは2つの理由からだ。理由のその1は、紙屋研究所の人が書いていたように、公選のみが民主主義だということになったら、じゃあ国会はどうなんだ、という話になってしまうからだ。当たり前だが首相国民による直接選挙ではなく、国民に選ばれた議員互選である。それでも、安倍晋三菅義偉岸田文雄競争的な選挙で選ばれた政府の長であるということになっている。ならば、別に政党内部でも間接民主制であって悪いわけではない。すべてを直接選挙還元するのは議会制民主主義否定だ。

けれど、問題は、それで20年以上も同じ人物党首椅子に座り続けていることだ。いやもちろん、指導者の在任期間が長いことそれ自体直ちに問題になるわけではない。たとえばドイツ首相は非常に長期にわたって在任することで知られており、アンゲラ・メルケルは16年にわたって首相府に君臨してきたが、ドイツ民主国家ではないと言う人はいない。しかし、ここは日本だ。たいていのアメリカ大統領経験する8年間の任期を勤め上げたら憲政史上最長の長期政権になってしまう国だ。かつては1年単位コロコロ首相が代わり、選挙に負けたら与野党党首が腹を切らされ、ポスト○○は誰だという話でワイドショーがもちきりになる国だ。麻生太郎野田佳彦も、そして最初組閣時の安倍晋三も、選挙に負けて党首を辞めさせられてきた。選挙にはめっぽう強かった再登板以降の安倍晋三は、コロナで失政をやらかした(と国民から思われた)ために首相を辞めた。じゃあ、志位和夫は? 共産党の党勢を爆発的に伸ばしたわけでもなく、有能な首長を何人も輩出したわけでもなく、山本太郎福島瑞穂のように事実上の個人政党を統べているわけでもない彼は、なんでずっと党首椅子に座っていられるんだ? ヘルムート・コールが25年にわたってCDU党首を努めたドイツであればいざ知らず、安倍晋三ですら10年も自民党総裁椅子を温めることができなかった日本において、それはあまりにも異様で非民主的に「見える」光景だ。

もちろん、党内で綿密な議論を重ねた結果、たまたま有為人材連続して選出されているのだ、という主張をすることは可能である自民党世襲政治家の皆様も、有能な人材たまたま息子だった、と言いたいことだろう。我が国には職業選択の自由があるので、それは一概に否定できることではない。そこで、党首公選絶対必要だとは思わない理由のその2になる。共産党の人びとがここ最近力説されているように、憲法には結社の自由が定められており、なおかつ、政党党員による直接選挙党首を選べ、と規定している法など存在しないのだから政党内部の民主主義に関する法がないにもかかわらず多くの政党党首選挙採用しているのは、日本成熟した自由民主主義社会であることの証左だと思う)、そんなもんは共産党自由なのである。究極的な話になるが、神のお告げで党首を選ぶ政党があってもよいし、レスラーが立ち上げた政党であればリング党首を決めたっていいのだ。嘘をつかずに「我が党は格闘や神託党首を決めています」と言ってくれさえすれば、あとは国民の方で判断すればいい話なのだから(現に、「○○の息子でございます」と名乗った上で自由選挙で選ばれている世襲政治家大勢いるわけで。そして世襲政治家であっても当選保証されているわけではないことは、偉大なる田中角栄ドラ娘が見事に証明してくれた)。

レスリングイタコ党首が決まる政党であっても、俺たちの利害を適切に代弁し、国民自由保障してくれるのなら一票を投じてもよい。非民主的な発想かもしれないが、少なくとも俺はそう思う。だから共産党にとっての真の問題とは、そのようにして擁護してくれる人の数を年々減らしていったことにあるのではないか。俺は、あんたらがフェミニストと手を組んでゾーニングだの何だのと喚き散らしたりしなけりゃまだ共産党に票を入れてただろうし、松竹伸幸を強引に追い出したりしなけりゃ、結社の自由戦士になって共産党を庇ってもよかったんだけどね。

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