とある記事を読んだ。ある配信者が不登校の中学生からお便りをもらった。
「自分は不登校で成績も悪く進学できそうにないから就職しようかとも思っている」という相談者に対して、配信者は「お前みたいなのは死んでるも同然」「今のお前が働ける場所なんかどこにもない」と発言したことが物議を醸しているというのが記事の内容だった。
配信者を非難する声で溢れかえっているのかと思いきや、どうやらそう単純でもなさそうだった。驚くことに配信者を非難する声よりは、「正論」「事実を言ってあげてるだけ優しい」「非難してるやつらは現実を直視できてない」などといった声の方が圧倒的に多かった。
「自動車免許も、車を買うお金もないのにポルシェを買おうと勘違いしているのが今のお前だ」と。
彼らの言ってることはきっと正論なんだろう。社会は学歴を必要とするし、義務教育を受けるのは当然のことだ。
僕がその中学生に共感するのは、僕も中学を卒業したら高校に行かずに”どこかその辺に就職したい”と思っていた時期があるからだ。
高校に行って勉強するよりも、適当に就職して、適当に好きな本でも読んで暮らす方がいいと思えたからだ。
そこに車を運転したいという考えは微塵もないし、ましてや分不相応にお金持ちになりたいという気持ちもない。
「就職したところで上手くいくわけない」「自分のやりたいことがあとから見つかっても取り返しがつかない」と言う人もいるかもしれない。本当にそうだろうか。たかだか数年間勉強している間にそれらの障害が自分の知らないところで解決されているものだろうか。
彼らは”そうあるべき”だから”そうしろ”と言って責めてくるけれど、そこにどれほどの”自分の考え”があるのだろう。いったいどっちが社会を、いや、”自分の人生や自分の考え”を真っすぐに見つめたことがない人間なのだろう。
ああ、もちろんそれはきっと僕たちの側だ。こんなことを人前で言えば「君はまだ大人になれてないんだね。現実が見れないなんてかわいそうに」って目で見られる。
自分自身、高校や大学に行ってよかったと思ってる。でもそれは敷かれたレールに乗って、周りと同じように行動することで疎外感を覚えず、楽に生きてこられたからよかったという意味じゃない。そして同時にあの時進学せずに思うがまま生きていたらどうなっていただろうともよく考える。
たかだかネットの1記事に対する反応とは言えど、この中学生を責める声の多さに、今の社会の様相、はみ出し者に対する不寛容さが取り返しのつかないほどひどくなっている様を目の当たりにした気がしてならなかった。
現にレールを外れた人間を差別する人間しかいない世界に生きているんだからレールに乗ってた方が得なのはそうでしょう その不登校を不登校のまま救いたいなら全人類(全国民)から...
好きなように生きていい 回り道したっていい 親のすねなんてかじれるだけかじれ いざとなったら生活保護がある 今どき四十代五十代の引きこもりだってたくさんいる 異性には選ばれな...
配信者のどこが正論なのか全然分からないな。 不登校で成績も悪く進学できそうにない、というのはこの中学生の紛れもない現実なわけでしょ。 だったらこの中学生が言うように就職す...