はてなキーワード: 一言とは
タイトル通りの内容です。多分というか確実に読みにくいです。
コロナ情勢の中で、陰謀論者が日本でも増えているとどこかで聞いたことはありませんか。
私の母も、この半年間で熱心な創価学会員から、反創価の陰謀論者になりました。
「ビルゲイツが世界を裏から動かしてるんだから」「ワクチンは打っちゃダメ!真実を知って」
学会員である前に私の母であった人は、いつの間にか家にとって有害な人間へと変貌してしまいました。
そんな地獄を生きている私に、同情でも優越感でもいいので何か置いていってくださいませんか。
誰かに相談したくて、でも地域の学会の人には言えないし、友人にはもっと言えない。
そんな苦しみに追い打ちをかけるように、母は熱心に語りかけてくるのです。
「ユニクロ、しまむら、GUの服はウイグル自治区の綿花を使っている企業だから絶対に買わないで」
「公明の山口は中国から多額の賄賂をもらってる。次の選挙では絶対に公明にいれないで」
母が陰謀論者になるまではあっという間でした。
今年の1月、公明党の関係者が政治資金で風俗通いをしていたニュースをご存知でしょうか。
入信から約30年、毎年三桁万を学会に寄付している熱心な信者であった母は、不祥事があったにも関わらずすぐにその関係者を辞めさせなかった山口代表に激怒し、公明党に対して不信感を持ちました。
昔の公明党はもっと庶民の味方だったのに、と毎日のように愚痴をもらしていたある日、1件のニュースが飛び込んできます。中国でウイグル族の虐殺が行われているという内容のものでした。
「世界平和」を掲げている宗教を信仰している母がこの話題に夢中になるのは、猫にちゅ~るを与えるようなものでしょう。
いつしかニュースキャスターの落ち着いた声やバラエティーの騒がしい笑い声とは程遠い、自称専門家の鬼気迫る解説が食卓で流れるBGMになりました。
この時点で止めればよかったのでしょうが、この時私は受験を控えており、自分の進路で精いっぱいの状況だったのです。
そして合否発表後、入学準備も終わってあとは最初の授業を待つ春頃。
母親からYouTubeのリンクが貼られたLINEが届くようになります。メッセージは一言、「聖教新聞社会面には、絶対出てこない、世界的ニュース。(原文ママ)」
そこから、こんなにひどいことをしている中国の習近平を、山口は国賓として招致しようとしている。きっと公明は中国と癒着しているに違いない。この真実を私たち家族に伝えなくては!
そんなあまりにも歪んだ思想を押し付けられることが日常になりました。
「情報の根拠は?」と聞いても「YouTubeにある!Yahoo!ニュースにある!」の一点張りで会話も成立しません。私と父親が説得しようとすればするほど、母は知的障害のある弟を道連れにする形で陰謀論にのめりこんでいきました。
新しい環境・生活に変わったストレスも合わさった私は自殺を考えるようになります。
ただでさえ幼少期から日本では腫れ物を扱うような、酷い場合だと嘲笑される「創価学会」のラベルが貼られた人生に悩んでいたのに、今度は「反学会者の娘」「陰謀論者の娘」のラベルも加わるのか。一生誰にも相談出来ない、理解してもらえないコンプレックスを背負っていくのかと毎日泣いていました。
5月終わりに、母に「死にたいと思っている」という自分の気持ちと、その原因、人間として生理的に嫌いになりかけている母親と顔を合わせることすら苦痛になっている、という旨の手紙を書きました。
一応腹を痛めて産み、浪人まで許してくれた親ですから、愛娘の率直な感情を形に残して見せれば、少しは目が覚めるんじゃないかという期待が半分。この手紙を読んでも変わることがなければ、本当に死ぬことで母に「お前のせいで死んだ」という一生の呪いを残してやれるという気持ち半分でした。
それを読んだ母は「ごめんね」と泣きながら謝り、手紙を渡した日からぱったりと私にそういった話題を振ったりURLを送ってきたりということをしなくなりました。
ちゃんと話をすれば分かってくれるんだ、前の母にだってきっと戻れると、精神的に追い詰められていた当時の私はあまりにも脆い希望を胸に、なんとか死を毎日考える日々から遠のくことが出来ました。
束の間の平和を謳歌している間に、1か月探し続けた進路に関わるバイトにやっとの思いで合格し、家を空けることが徐々に増えていきました。
この時点ですでにお分かりでしょう。リモートで授業を受けているため常に家にいる私が出かけている隙を狙って、母は陰謀論に関する動画をまだ見続けていたのです。
ワクチンについて色々な情報が飛び交っていたことも重なり、陰謀論者として母はどんどん完成していきました。
6月中旬に入ってくると、家事もせず大音量で「誰だお前」と言いたくなるような、妙に高圧的な態度で物申す男性の言葉に耳を傾け、以前から酷かった面前DVとも言える父との喧嘩も激化し、一方的に自分の思想を怒鳴り散らす母の姿がそこにはありました。
最初こそ「やめて」「それ聞くと気分悪くなるんだけど」、と都度声をかけていましたが、すぐに諦めました。前の母であれば聴くことはやめずとも音は小さくしていたのに対し、今は私や家族の言葉は無視してそのまま聴き続けているからです。
今回の都議選では、母の言う事を聞いてくれる、自己決定が出来ず母の決定に従うしかない弟を連れて、毎回入れていた公明ではなく自民に投票したそうです。テーブルの上に共産党のマニフェストが置いてあるのを見つけた時には「今度は左翼の娘のラベルがつくのか」と一周回って笑ってしまいましたが、一応民主主義国家の国民であることは忘れていなかったようで、少しだけ安心しました。
コロナワクチンはビジネスだ、絶対に打つな。若い女性なんだから絶対に打つな、子どもが産めなくなるなど毎日のように言うくせに、コロナウイルスを予防するどころか自らかかりに行くような、自分さえよければいいという自分勝手な行動を今回の旅行以前から繰り返す母に辟易した私は、生活リズムが基本的に合わない父との久しぶりの会話で「家を出たい、最悪縁を切りたいと思っている」と伝えました。
父の返答は、「自分も、お金に余裕があったら別居してたと思う。別居に関しては今も諦めていない。」でした。
さらに毎日のように母との交流があった地域の学会員の方からも、母は疎まれている事実を知りました。
ここで私はようやく、家が、家族が、とっくのとうに修復不可能な段階まで崩壊していることを実感したのです。
今、この日記を書きながらいろいろな家族の思い出が頭の中を駆け巡っています。
一緒にディズニーに行ったな。
私の誕生日に、当時自営業だった店を休んで全員でお祝いしてくれたな。
いろんなところに旅行に行ったな。
最後に家族で仲良く出かけたのはいつだったかな。思い出せないな。
スポーツで大会がある時、毎回家族みんなで応援してきてくれたな。
恥ずかしかったけど、同期に「いい家族だね」って言われた時、すごく嬉しかったんだよ。
「生まれてこなければよかった」なんて思う前は、確かに幸せだったんだよ。
確かに宗教やってたけど、悩みを聞いてくれて、落ち込んでるときは私の好きなもの作って励ましてくれた、私にとって世界でたったひとりの母親だったんだよ。知ってた?ママ。
要点掴んでないし、文章ぐちゃぐちゃだし、意味わかんない日記でごめんなさい。
もしもこの日記を読んでいる人がいたら、お父さんお母さんを大切にしてあげてください。
人によっては救いようのない親もいるだろうけど、そうでなくて、例え口うるさかったとしても、陰謀論を信じていないというだけであなたの親御さんは立派です。
どうしても自分の家族が嫌になったら、母親が元学会員の陰謀論者で、逃げたくても一生母親から逃れられないであろう弟が気掛かりで家から出られない哀れな女がこの日本にいたことを思い出して、それよりはマシだなと安心の材料にでもしてください。
例えそれが蔑みだったとしても、私が生きてきた意味が出来るならそれはそれでいいです。
週刊少年ジャンプ2021年30号掲載の『ONE PIECE』第1017話で、衝撃の事実が明かされた。
それは、12年前、ゴムゴムの実が「政府の船」で「護送」されていた、というものだ。
ここからシャンクスやその他のキャラに繋げて与太話のような考察……というか憶測が飛び交っているが、
ここでは確実に拾える台詞だけを抜き出して、この真意について書き記したいと思う。
[第1話]ONE PIECE - 尾田栄一郎 | 少年ジャンプ+
物語の後半で、赤髪海賊団のベン・ベックマンは、山賊ヒグマにこう言う。
「ウチと一戦やりたきゃ」「軍艦でも引っぱって来るんだな」
軽く読み飛ばしてしまいそうな一言だが、違和感はないだろうか?
一般人の口語であれば、そんな定義を明確にはしないだろう。だが、これは漫画で、作者、(アシスタント)、担当編集、編集長と、複数のファクトチェックが入る。
「軍艦」「戦艦」「艦隊」……いくつもの言い換えができるが、この文脈で言いたいのは「個ではない戦力」のはずだ。
それならば、より攻撃的なイメージを持つ「戦艦」を使うべきではないだろうか。
日本大百科全書(ニッポニカ)では「軍艦」をこう定義している。
“「一つの国の軍隊に属する船舶で、当該国の国籍を有する船舶であることを示す外部標識を掲げ、当該国の政府によって正式に任命されてその氏名が軍務に従事する者の適当な名簿またはこれに相当するものに記載されている士官の指揮下にあり、かつ正規の軍隊の規律に服する乗組員が配置されているもの」”
長ったらしいが、要するに“一つの国の軍隊に属する船舶”を軍艦と呼ぶ、ということだ。
デジタル大辞泉では“海軍の艦艇で、戦闘力をもつものの総称。”とある。
「軍」艦、である。『ONE PIECE』世界を考えるなら、「海軍の戦力」と読むべきだろう。
「うぬぼれるなよ 山賊………!!」
一騎当千の赤髪海賊団(他の四皇と比べて「高い懸賞金アベレージを誇」ると評されている)と
戦うには数が足りない、それなら船でも持ってくるんだな、山賊だけど、という煽りであれば、
なおさら「戦艦」と言うべきだろう。「軍艦」を持ってくることなどできないのだから。
――つまり、ベン・ベックマンは、ヒグマが「軍艦」を「引っぱって来」られることを知っていたのだ。
話は第1017話に戻る。
政府の護送していた、CP9の乗る船で、ゴムゴムの実を護送していた。
行先はマリンフォードか、エニエス・ロビーか、インペルダウンか、マリージョアか。
いずれにせよ、海軍以上の組織の手に渡るはずのものだったのだろう。
ならば、それで終わるだろうか。海賊の襲撃に遭ってロストした、で納得するだろうか?
見せしめとして当時CP9だったフーズ・フーは投獄された。しかし、それは「解決」ではない。
政府直属の諜報機関サイファーポール、あるいは海軍といった組織が、奪還に動かなければおかしい。
ヒグマの懸賞金額は「800万ベリー」だ。また、「56人殺した」と言っている。
つまり、この手配書は偽物だったと見るべきだ。殺したのは、CP9として、だ。
「軍艦を呼べて」「殺人が許されている」……ヒグマはCP9であるとしか思えない。
「ウチと一戦やりたきゃ」「軍艦でも引っぱって来るんだな」
違和感がある。ヒグマがCP9であることを知っていたのなら、「軍艦で来い」と言うはずだ。
「引っぱって来い」……。
海軍から権限を譲渡されたCP9が「軍艦」を「引っぱって来」ることといえば――
つまり、ここの“煽り”というのは、「山賊は戦艦を用意できない」ではなく、
「CP9ですらバスターコールが発令できない」という意味だったのだ。
それは、四皇であるシャンクスに喧嘩を売る以上に、ゴア王国がガープの故郷だからだ。
四皇と海軍の英雄、両方に泥を塗れないだろう、という煽りだったのである。
命だけは助かりたいから? 否。フーズ・フーを見ていれば、お咎めなしにならないことは自明だ。
ゴムゴムの実は、政府が護送するほどに重要な悪魔の実だったのだろう。
来るべき時、来るべき者が口にするために、命を賭してでも――
ヴィーガンと肉食者は、宗教だとか民族対立みたいに本当に戦争になりうるんだよ
当事者でもねえのに気軽に「フォレストガンプが~」とかしょうもないコメント書かれたことで、
他の第三者をまきこんで論争になりはじめてるだろ
それが迷惑なんだよ
たいてい肉食者が過剰反応してるだけ
当方男。大学時代の友人で、彼が地元に帰ってしまったためそれ以来、ずっとメル友な友人がいる。(かつては本当にメールだった。今や、lineばっかりだけど。
彼が最近、飯の写真ばっかり送ってくる。自炊した料理だったり、近所の街中華で撮った写真だったり。
悪いけどそれ、1ミリも興味ないんだわ。もう、送ってこないでくんないかな?もしくは、ついったーでやれ。または、家族に送れば息子からの頼りに喜ぶんじゃないか?
日本人って飯の話ばっかりしてるよねって昔、ALTの先生が言ってたけど、そんなちゃちなもんじゃねぇ云々。
お互いにもうアラフォーだし、友人も数少なくなってきたから、やりとり自体をやめたいわけじゃないんだけど、さすがに一言返すのもだるくなってきた。何か穏便にやめてもらえる方法はないだろうか。
または、何の意図で送ってくるのか考えてくれないか。知り合って十数年、今更俺を口説きにきたわけでもないだろうし、何かライフハック的なネタも、自慢するようなネタも感じられない。
まだ、帝国ホテルとかのビュッフェならわかる。マウンティングと言う人もいるだろうけど、その方が遠い世界な分、反応はしやすい。
自分は個人でゲームを作ってて、スマートフォンとPC向けにリリースもしてる。
売り上げも全くないなんてことはない。
ただ、プラットフォーム内での評価は★0だ。つまり、1件の評価だってもらえていない。
なんの反応もないのは、プロダクトの質が悪い証左だというのはそれはそうだと思うし、反省もする。
それを承知の上で、個人開発界隈で声の大きい奴らが言う「★5レビューを寄越せ」というような内容について愚痴をこぼさせてほしい。
具体例もあげたいんだけど、万が一特定されても面倒だし、適当にggってほしい。これを言ってるやつはいくらでもいる。うんざりする。我慢するのももう限界だ。
ユーザー目線に立って考えてほしい。声の大きい開発者が言う「★5レビューを寄越せ」という言葉を毎日のように目にしていたら、
正直★3くらいかなぁ……というようなゲームを遊んだ時にどうするか? ★5はつけがたいし放置するか……と、そうならないか? 俺はそうなると思う。
これで得するのは、既に「声が大きくなっている」開発者だけだ。自分の評価を高止まりさせつつ、俺が作ってるやつみたいな「本心なら★1~4かなくらいのゲーム」には★が一切つかないことになる。実際なってる。
新人の成り上がる道を一つ潰して蹴落としつつ、既得権を守るために発しつつユーザーのメリットをないがしろにすることでバカにする言動、
ライターであったりユーザーであったり立場が異なればわからんが、
少なくとも開発者の言う「★5レビューをしろ」という発言は概ねそういう性質を持っていると心得てほしい。
せめて好感度を下げるリスクがある、ってことを1人にでも多く知ってほしいし、そういう目でユーザーは冷ややかに見てやってほしい。
少なくとも俺はそう見てるし、俺がそう見てるってことは他にもそう思ってるやつはいるだろう。
匿名じゃない状態で声の大きいやつらに噛み付くリスクは高すぎて、誰も表立って同調しないとは思うが……。
実際のところは、★1だろうが★2だろうが3だろうが4だろうが5だろうが、評価ボタンを押すこと、コメントも残すこと、それはユーザー目線でひどく面倒なことのはずだ。
そうじゃないなら「★5レビューください」って言ってる人はさぞたくさんのアプリに★5とコメントを残していることだろうが、そういう開発者のレビュー記事みたいなのを見ることもあんまりない。
それをしたら相対的な自分の位置が下がるわけだからやるわけもないよな。
ひどく面倒なのにユーザーはなぜやるのか? と言えば、基本的にはユーザー同士の指標を共有するというのがメリットのはず。
だから「★5をつけろ」とアプリ内で言うのはリジェクトされる。(売り上げランキングもユーザーにとっての指針として有意だからこそ、最果てにバベったりすることは禁止もされてる)
つまり、本来ユーザーに「こういうレビューをつけてほしい」なんて言うことはダメなことなのだ。
なぜそれをSNSやブログだと大声で言ってしまうのか? 法人比であまりの遵法(規約的な意味や倫理的な意味も含めて)意識の低さ、ユーザーの人格や労力を軽く見すぎていることに吐き気がする。
実際、有力なゲーム会社で「★5をつけろ」なんて言ってる広報見たことがあるか? ないよな?
同じプラットフォームに上がっておいて、自分たちは個人なんでインディーなんでって逃げて恥ずかしくないのか?
てめーのメンタルなんてユーザー的には知ったこっちゃないのよ。
それが大事ならそういうマーケ部分をアウトソーシングすりゃいいし、それができないなら黙って受け入れるのが筋で、ユーザー側に責任転嫁するのはちゃんちゃらおかしい。
ケータイ会社とかだって「5以外は査定に関係ないからとにかく5をつけろ」と販売員は言ってきたりするが、追々本社からくるメールで「こういう催促はなかったよね?」と確認されるし、そこであったと伝えてやれば相応の報いもあるのだろう。
ケータイ会社の販売員レベルのリスクすらなく、表だってそんなことを言ってしまうのはどうかと思うわけだ。
★1だろうが2だろうが「クソゲー」的な簡易な表現だろうが関係なく、ユーザー心象であったりといったことはマーケ的には本来お金払ってでも得たい貴重な情報なわけ。
俺は喉から手が出るほど欲しい。あるまとめサイトに載った時に「クソゲー」ってコメント欄にあって心底安心したもんだよ。遊んだやつがいるんだ、やっぱりクソゲーなんだ、がんばろう、わざわざコメントしてくれてありがたいな、って。
匿名のまとめサイトにはそういうコメントを書けるのにストアの評価欄には書くことが許されないような風潮、それが本当に腹立つし迷惑なんだ。八つ当たりだけど。
自分がユーザー心象を探しに行くのにメチャクチャ手間かけさせられてるのと同じことが、ユーザーからも言えるわけよ。
実際★1とか★5なんてのはだいたいが信者かアンチか社員かマーケ費用から出てると相場は決まっていてアテにならん。
最果てにバベった前例があるような業界がそのくらいの工作しない、ということも当然ないだろう? 表立って言わないだけ筋は通ってると思うが……。
だからユーザーとしての俺は★2~4のレビューしか見ないわけだけど、これのボリュームが少なすぎる。もっと書こうぜ、★2~4のレビュー。
結局ユーザーブログとか見てどんなゲームかな~って考えてから買って……って2度手間じゃん。本来その手間を省略してくれるのがストアのレビュー欄なんじゃねーの?
実際問題、例えばgooglePlayストアだとアカウント名が名前になるからコメントする心理的な障壁はすごい高いわけだよな。
googleアカウント複垢してアプリ管理してるやつのほうが稀だろうし。
そういう人たちが残してくれた評価やコメントは、それがたとえ開発側にとって理不尽内容であったとしても、
ありがとうございます! 感謝! のスタンスでいてやってくれよ。
もっと気軽にレビューしやすい風潮こそ、個人開発勢も含めたゲーム業界全体が作っていくべき空気感なんじゃないか?
結果的にユーザー的に不利益も被ってるわけだから、これはユーザーとしても噛み付いてほしいし、弱小個人開発勢としては何度も言うけどやっぱり腹立つのさ。
「クソゲー」の一言でも、★1であっても0よりはいい。救われる。
それを見て、そこまででもなかったんじゃないか? って感じたやつが4とか3とかつけていって最終的に2.5くらいで落ち着く……みたいな、そういう健全な空間であってほしいものだよ。
「★5以外はいらない」って声高にいってるやつらを見て、これまで正直に★1~4をつけてたやつも安心してほしい。お前は悪くない。声の大きい開発者全員がお前を責めたとしても、俺は味方だ。
本当、アカウントの信頼感というリスクを背負ってストアレビューしてくれる奴らは神なんだ。
ユーザー間でも積極的にやってくれてるやつは褒めてやってほしいし、開発側も「最高評価だから」褒める、嬉しいじゃなくて、
かまってくれただけで嬉しい、って対応してやろうぜ。誰もいなくなったらマジで最果てにバベる感じになっちまうぜ? 全部業者のレビュー欄なんて嫌じゃん。
いつか俺のやつも★0から1以上になってたらコレ以上嬉しいことはないよ。
今までの物干しハンガーだと足りないし、壊れた洗濯バサミもあったので新しいのを買った
そこで愕然とした
新しいハンガーと古いハンガーの洗濯バサミの噛む力の圧倒的な差
全く同じような形と価格帯なのだが、使い込んで外気にさらされて何度も挟んだり取ったりすると、
それに比べて新品のツヤツヤでハツラツとしていること、
もう元の力を取り戻すことは出来ない
新しいハンガーの洗濯バサミの若い力は、それだけ古いハンガーの洗濯バサミの老いを引き立たせた
私もいつかは死ぬ
これに気づけて良かった
70、80の老人に言わせれば、まだ私も若いんだろう
memorystockmemorystockid:hotelsekininsya これ見ても「ナチの全ての行動はホロコーストが目的なのでアウト!」「他の大虐殺は手違いだからセーフ! 」と言ってるようにしか見えない。しかもこっそり文革と大躍進を抜いてるんですがそれは。
そんなことは一言も言ってないのですが。比較すること自体が誤りだと言っているのですよ。だから英語圏でよく使われているらしい「compare apples to oranges」と書いたのに。この手の話をすると必ず、物事を相対化して矮小化しようとする人たちが現れるので、そうじゃないよと言いたいのです。どれこれもそれ単独で語られるべき事項であり、そもそもが比較するのは不適切だと思います。人一人死んでもその家族にとっては大事件です。数のみで比較されるべきではないと思います。しかも何ですか?あれは? 元ネタは死者数ではない「奴隷制度」まで入ってるし、インディアン戦争なんか明らかにデマですよ?
その上で敢えて言いますが、元ネタのリスト、明らかにホロコースト以外は「直接虐殺された事件」を省いています。カンボジア、アルメニア、ルワンダ、などどれもこれも数十万人〜数百万人規模の大虐殺です。なのになぜ省いたのか? どう考えてもホロコーストより犠牲者数が少ないからです。こんなのインチキでしょ? 自動車レースなのに自動車じゃなく飛行機を出してくるようなものです。それなら、最大の犠牲者数は「人類自身がありとあらゆる理由で救えなかった人の数」でもいいじゃないですか。いったい累計何千億人になるのか見当もつきませんけど。
しかも、「しかもこっそり文革と大躍進を抜いてるんですがそれは。」ってなんですか? 文末に明確に書いてあるでしょ? 何文字だか知りませんが、はてな匿名ダイヤリーは、文字数制限があるだなんて利用者なら大抵知ってるでしょ? 実際に文革も大躍進政策も入れてたんだけど、そうすると文字数制限に引っかかって全文入らなくなるので省いただけです。大躍進や文革程度、1分以内に誰でもわかる話です。はてなーにもいろんな人はいますが、呆れてため息すら実際に出ました。
正直「アホばっかりか・・・」と考えざるを得ません。
ほんの少し知っていたらわかりますが、大躍進も文革もホロコーストと比較されるべき対象ではありません。あえて比較するならばホロモドールくらいでしょうか。政策を失敗して、大量の死者を出してしまったというのが実態だからです。知らなくても調べれば本当にすぐわかる話なので、いちいち引用もしませんが、流石に大躍進や文革程度は、こうした話題に突っ込もうとする人ならば常識レベルで知っていなければならない話です。
正直、私だって、何でもかんでもことある度に「ホロコースト」を言われるのには閉口します。毎年何作ものホロコースト映画が作られるくらいで食傷どころか、ホロコースト映画だというだけで見に行く気は起きませんし(でも最近では『異端の鳥』はよかった)、「ホロコーストだけじゃねぇだろ」という気持ちも実によくわかります。ところが実際は、私たちのほとんどの人は、ホロコーストの実態を全然知ってなどいません。今述べた大躍進や文革のこともその内容の詳細をまるで知らないと思います。せいぜいがWikipediaに書いてある内容のさわり程度しか知らないんじゃないでしょうか? 別に、何でもかんでもよく知っていないといけないと言っているのではありません。しかし、よく知りもしないのに大口を叩くが如く、調べるということもしないで、文句ばっかり言うだけって、それって人としてどうなんですか?
私自身、今回調べてみて(ほんの少しだけど)、「全然知らないこともまだまだたくさんあるのだなぁ」と改めて思いましたし、やはりこうした個々の出来事も知ってないのと知ってるのとでは結構違うという感じがします。こうして、物事を自分で調べてみるって大事なことだと思いました。当たり前のことだと思いますが、知識を蓄えると同時に、やはりネット情報などデマだらけだと実感しました。
自分で調べてみるということは大事なことだと思いますよ、あたりまえすぎますけど。但し、その「センス」だけは人それぞれで、調べすぎて陰謀論的なところへ走ってしまう人もいますし、その辺の道の誤り方はどうすれば防げるのかは私にもわかりません。
「公平性なんざどうだっていいんだよ!誰が誰に打ってもいいんだよ!」
と言っていましたよね?言ってなかったとは言わせませんよ?
職域接種が順調に進んでいた時は「公平性?気にするな!誰が誰に打ってもいい!」とあれだけ声を張り上げて
優先されるべき人が後回しになっていても、バカにし、蹴飛ばしていたのを、本当に覚えていないのでしょうか?
ネトウヨの思考レベルは、偏向まとめサイトと一緒と言わざるを得ません
あるいは、ネトウヨも偏向まとめサイトも、ある政治的目的に沿って共謀している?
私は自分の性事情をあまり開示したくない。そこそこ仲良い人に聞かれてもだ。性行為の有無で世界を二分する、セックス至上主義的な価値観に混ざりたくないから。
何で知りたがるの?聞いてどうすんの?
性行為の有無ってそんなに大切なのか?
童貞を理由に、非童貞に対してちょっとした壁を作ってそうな人を見ると、とても悲しい。セックスの有無以外にも、他人との差異なんていくらでもある。セックスなんかそのうちの一つ。
相手の童貞を理由に、性行為の経験について講釈垂れる非童貞を見ると、何のために???って思う。往々にして自慢気なのが答えだろ。
性行為を知らないない「遅れてる」人に、性行為を知りその価値を知った「進んだ」人。
やっぱセックス至上主義はクソ。セックスに価値を見出すのは勝手にすればいいけど、押し付けんな。何人が不幸になった??
「でも童貞」と自分を含む誰かに言うだけで、言われた人は人生に無意味を感じる。その一言が、その人が積み上げてきたものを、一瞬で無価値に帰してしまう。クソクソクソ。
この言葉が本当に嫌い。これが一番言いたいことかもしれない。
別にセックス無価値論者ではない。他人から存在を許され、受け入れられる経験は、精神的な充足につながるかもしれない。
でもそれはそれだけの話であって、ないからと言って劣っているわけではないし、あるからと言って偉いわけでもない。
あと男女の関係が、全て性に帰着するの思うのもクソ。仲のいい異性がいると、「で、結局セックスしたの?」みたいなやつ。
色んな関係があっても別にいいだろ。人間と人間の関係なんて人間と人間の関係の数だけある。二分して分かった気になるな。複雑さから逃げるな。
でも実際思ってる場合もあるよね。
牛丼なんて一人で食べればいいという社会的文脈もあるからそれをわざわざ誘うことに裏を読み取ろうとするのは間違った態度だとは思えない。
正直子どもつくって育てるって懲役刑か何かにしか考えられない。
一旦産んだら少なくとも義務教育終わる15歳まで、もっといけば大学出る22歳くらいまで面倒見なきゃいけないことが確定してるんだよ。
その間ずっと家庭に拘束されて、稼いだお金の大半も家庭に入れて、時間の大半を家庭に注いで、毎日働いて家事やって子どもと過ごす。
塾で働いてるから身に染みてわかるんだけど、明らかに気性がおかしい子とか、どう頑張っても物事を理解できない子、他人に迷惑しかかけない子とか、いっぱいいる。
勿論親の育て方もあるんだろうけど、先天的な性格でどうしようもない子とかも確実にいるんだよね。もしくは障害をもって生まれてしまうとか。
そういう子に当たってしまった時どうするんだろう?そういう子の面倒を十数年見るってどんな気持ちなんだろう?
親の愛だけで乗り越えられるような問題ではないと思うんだよね。
ガチャ失敗時のリスク&手間の大変さと、いわゆる子どもがいることの喜び…を天秤にかけた時に、無邪気に後者を選ぶ人間がいるのがどうしても信じられないっていうか。
子どもの愛らしさってそこまでの万能薬ではないと思うし、皆自分は子育ての責任がとれる!と覚悟して子どもつくってるの?
人を殺すリスクのある自動車運転は免許が必要なのに、同じくリスクたっぷりの子育てはなんにも許可とか必要ないのもびっくりする。
まぁ実際問題子育ての免許制って難しいだろうけど、でもせめて妊娠発覚したら夫婦ともども最低限の講習受けていっぱいお金貰って社会保障も充実してないと、とてもじゃないけど子育ての大変さや責任に見合わないと思うんだよなあ。
とにかく今の日本で子どもつくるって個人的にはデメリットしか考えられないので、これだけ自分から子育ての道を選ぶ人間がいるのはちょっと信じられないなと思う訳でした。
【追記】
勿論自分で子どもを持とうなんて思ってません。そんなことは一言も書いてません。
ただ周りを見渡してこんなエグい懲役を自分で選ぶ人がこんなにいる現状、自分が親になれる!と信じられる人々の多さ、どういうことなん...?っておののいているだけの独り言です。
嘘であってほしかったんだろうな。
本当のことなのに、嘘に決まってるってあそこまでものすごく強く言い切るだけの力があるってのはある意味すごい。
「そんなものは嫌いだ」って一言言えばいいだけなのに、あるはずがない、だから嘘に決まってる、という判断になる。
嘘か本当かの判定根拠が現実や事実とは別に存在している人が、世の中には少なくないどころか、大勢いるんだな。
まああまり見かけないけど存在してても不思議はないんじゃね、ってレベルの確率との差が、
完全に無視されている。
その乖離の中に、嘘であってほしかったその人の心の襞が露わになる。
確率などはどうでも良い、問題はそのありえなさだ、とでもいうのかな。
言葉にすると含蓄がある。
だけれど、そのありえなさという言葉には、自然現実的な確率論からはいくらでも乖離して、
それを認識する人の意識や思想や概念にとってのありえなさに容易に変質し得る。
「あっていいわけがない」という形に変容するのだ。
ありえなさという確率変数は、無限大に思想とイデオロギーの抹殺攻撃力に置換できる。
信じる力が増えれば増すほど、
現実の世界ではありえなくなる、というかあっていいはずがなくなるのだろうな。
なんで、という言葉と同じくらい、
ありえない、
【センス・オブ・ワンダー】という表現について:増田の使っている、新奇性とは少し違う
アイデア以外にも、表現やイメージによる「異化作用で生じる感覚」というのが、SF書評での使い方のようだhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BB%E3%83%B3%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%82%AA%E3%83%96%E3%83%BB%E3%83%AF%E3%83%B3%E3%83%80%E3%83%BC
また、時代がSFに追いついたあとではトキメキが薄れる、未来予測系SFもある(クラークがそんな感じ?)が
到来しなかった別の未来・別の世界を訪れることも、SFの醍醐味だ
増田にとってのSFは、アイデアの新鮮さが重要なのだろうが、コナン・ドイルや江戸川乱歩を古い!の一言で片付けるわけにもいくまい
探査が進んだ月や海底には、魅了される異世界は残ってないのかもしれないが
酸性雨が降りしきるサンフランシスコや、TV色した空が広がるチバ・シティには、発表後数十年経った今の読者をも魅了する、新鮮なワンダーだか何だかが待っている、はず
モテ王サーガ、あれ作者の人がパクった作品の作者に毎度使う度にお礼と贈り物をしてたらしい
ワンピースかブリーチかの作者がジャンプの目次の一言メッセージでモテ王サーガの作者に贈り物ありがとうって言ってたの記憶に残ってる
https://www.saizeriya.co.jp/PDF/irpdf001006.pdf
上記PDFの2ページ目でセット売りされている「サルシッチャのセルフサンドウィッチ」は、先日にバズったイタリア人通訳者のツイート、ほぼそのままだ↓
”サイゼリヤの美味しい食べ方 その1
熱々のフィセルを半分に切ってオリーブオイルと塩をかける。サラミと葉っぱを挟んでもう一度軽く塩をかけてぎゅっと挟むと完成!このままでもシンプルで美味しいけど、お好みでモッツァレラチーズとトマトを追加しても美味しさアップ”
https://twitter.com/massi3112/status/1395577478538620929
それだけならまだいい。パン(ミニフィセル)と主菜を別々に注文して挟むというのは日本人には中々できない発想ではあるが、イタリア人通訳者に著作権的なものがあるわけではない。
バズったツイートをベースに、サイゼリヤが独自のメニューを開発した見方もできる。
しかし、だ。
店内メニューにおいては「サルシッチャのセルフサンドウィッチ」の他に「この食べ方もオススメ!」的に、ミニフィセルとの組み合わせが2つ載せられている。
後者については、件の通訳者がまさにツイートした組み合わせそのものである。
https://pbs.twimg.com/media/E5HbQgyVkAMxnT9.jpg
しれっとプリンセット(プリントアマレーナがセットになっている)などが売られているものの、これまた、件のイタリア人通訳者がnoteに掲載した「サイゼリヤの「ザ・イタリアンデザート」ランキング」で一位にした組み合わせである。
1位 プリン
3位 トリフ アイスクリーム
現在、メニューに載っていないけど、アマレーナは懐かしい味でプリンと一緒に1位になる。おそらくプリンが1位というのは意外に思う人が多いかもしれない。それも一口食べたら納得するだろう。あの濃厚さと固さ、卵そのままの味を感じたらもう後には戻れない。マンマが作ってくれた家庭の味がして涙が出る。”
https://note.com/massi311283/n/ncd5b81360362
さて、このサイゼリヤ新メニューだが、件のイタリア人通訳者には事前に何にも知らされていなかったようだ。
”今日は多くの人からサイゼリヤの新メニューを見たらマッシのツイートに見えたと連絡が来た。サイゼリヤから一切連絡がなかったけど、書いたおいしい食べ方のアイディアをきっと使われた。皆さんはイタリア国旗式の食べ方をしてもらえば嬉しいけど、サイゼリヤからせめて一言あればよかった。悲しい気持ちなう。”
もちろん、このツイートのあとも、サイゼリヤの公式ツイッター垢や、その他広報はだんまりを決め込んでいる。
確かに法的には、サイゼリヤが何ら断りを入れる必要はないだろう。
しかし、明らかにアイデアをいただいているのに対し、お礼の一つも寄越さないのは、どうなのだろう。
コロナ禍で客足が鈍る中、ツイッターで新しい提案、しかも本国イタリアからの熱い愛を届けてくれた恩人に対し取るべき態度だろうか。
なお、上記ツイートをした途端に、イタリア人通訳者のフォロワー数は激減してしまったらしい。
”待て!待て待て!悪いことを書いたつもりはないけどこのツイートしたらめっちゃフォロワーが減ってきてる。なぜだろう?”