嘘であってほしかったんだろうな。
本当のことなのに、嘘に決まってるってあそこまでものすごく強く言い切るだけの力があるってのはある意味すごい。
「そんなものは嫌いだ」って一言言えばいいだけなのに、あるはずがない、だから嘘に決まってる、という判断になる。
嘘か本当かの判定根拠が現実や事実とは別に存在している人が、世の中には少なくないどころか、大勢いるんだな。
まああまり見かけないけど存在してても不思議はないんじゃね、ってレベルの確率との差が、
完全に無視されている。
その乖離の中に、嘘であってほしかったその人の心の襞が露わになる。
確率などはどうでも良い、問題はそのありえなさだ、とでもいうのかな。
言葉にすると含蓄がある。
だけれど、そのありえなさという言葉には、自然現実的な確率論からはいくらでも乖離して、
それを認識する人の意識や思想や概念にとってのありえなさに容易に変質し得る。
「あっていいわけがない」という形に変容するのだ。
ありえなさという確率変数は、無限大に思想とイデオロギーの抹殺攻撃力に置換できる。
信じる力が増えれば増すほど、
現実の世界ではありえなくなる、というかあっていいはずがなくなるのだろうな。
なんで、という言葉と同じくらい、
ありえない、