【センス・オブ・ワンダー】という表現について:増田の使っている、新奇性とは少し違う
アイデア以外にも、表現やイメージによる「異化作用で生じる感覚」というのが、SF書評での使い方のようだhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BB%E3%83%B3%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%82%AA%E3%83%96%E3%83%BB%E3%83%AF%E3%83%B3%E3%83%80%E3%83%BC
また、時代がSFに追いついたあとではトキメキが薄れる、未来予測系SFもある(クラークがそんな感じ?)が
到来しなかった別の未来・別の世界を訪れることも、SFの醍醐味だ
増田にとってのSFは、アイデアの新鮮さが重要なのだろうが、コナン・ドイルや江戸川乱歩を古い!の一言で片付けるわけにもいくまい
探査が進んだ月や海底には、魅了される異世界は残ってないのかもしれないが
酸性雨が降りしきるサンフランシスコや、TV色した空が広がるチバ・シティには、発表後数十年経った今の読者をも魅了する、新鮮なワンダーだか何だかが待っている、はず
鋭い指摘だ。 自分もセンス・オブ・ワンダーは拡大解釈している。SFでなくでも良い。今まで試されていない組み合わせや、意外な文脈で現れる言葉や演出、予期しない、想像しなかっ...
おっさんだけどセンス・オブ・ワンダーということばをさいしょにしったのはレイチェル・カーソンの本でしたわ まあタイトルだけで読んだことはないのですけれど 当時いろいろ騒がれ...
SFオタクがSFはセンスオブワンダーが大事なんだ!と錦の御旗のような振りかざすの理解できない センスオブワンダーなんか無くても面白かったらええやんとかしか思わん