はてなキーワード: バンザイとは
昔ジェットコースターマニアとしてTVに数回出たことがあります。昨夜茶飲みつつ話してて記憶が蘇ってきたので、メモ。
ことの発端は、大学の卒業旅行で富士急ハイランドに行き、生まれて始めてジェットコースターに乗って衝撃を受けたこと。その後日本中では飽き足らず、海外にも遠征するようになり、乗ったコースターは200台弱。ホームページを作ったところアクセスが集まり、TV局からも取材依頼が来たりしてました。
まず思いつくのはコレですね。世界は常に最大、最速のジェットコースターを追求してきました。一時期は日本がこれらの記録を塗り替えていた時期もあり、東京にあるよみうりランドのバンデット、富士急ハイランドのFUJIYAMA、そして三重県にある長島スパーランドのスチールドラゴン2000など、当時世界記録を誇りました(全長世界一は未だにスチールドラゴン2000)。現在では、世界を見渡せば時速240km/hも出るジェットコースターや、高さ130mを越えるジェットコースターも存在します。また、宙返りの多いコースターがもてはやされた時代もありました。
●スチールドラゴン2000
もちろんこれらの数値が大きいと、満足度や爽快感は高まります。ギネス記録とか言うと、宣伝効果も抜群ですし。ただ、これらは究極のジェットコースターを語る上で必ずしも必須では無いというのが、個人的な思いです。(最近は世界的にも、コースターの大型化は一段落しているという事情もあります)
では何が重要なのか。
エアタイムとは、無重力状態の瞬間のこと。ジェットコースターは、最初の落下(ファーストドロップ)や、山なり(キャメルバック)を越える際に「ふわっ」とする瞬間があります。これをエアタイムと呼びます。ジェットコースターの何が苦手かというと、コレを思い出す人は多いのでは無いでしょうか。
・・・・しかし、声を大にして言いたい。一度慣れると、これがこの上ない気持ちよさに変わるのです!そしてこれが、ジェットコースターの醍醐味のひとつなんです!
考えても見てください。人は常に重力に縛られています。そして、人類の歴史上、この重力から解き放たれるのは多くの人達が夢見てきたことでした。しかし実現するには宇宙にでも行くしかありません。しかし、宇宙は遠い。でもジェットコースターならば、この世界中でも限られた人しか体験できない感覚を、手軽に味わうことができるのです。
最近のジェットコースターは、コンピュータによる設計で、過去に図面を手で描きつつ設計されたコースターとは比べ物にならない精度でコースレイアウトが組まれるようになっています。それに合わせて、このエアタイムも極めて上質で長時間に渡る心地いいものが体験できるようになりました。コースターによっては、トータル10秒以上ものエアタイムを体験できるものもあります。
そして、このエアタイムを十分に味わうための秘訣。それは、ハンズアップ。
コースターが怖いから、といって安全バーにしがみつく人がいますが、それは場合によっては逆効果になります。むしろ身をマシンにゆだねて力を抜き、大きくバンザイしてみる。そうすると、エアタイムで重力から開放され、この上ない心地よさを感じることができるはずです。エアタイムが怖いというのは、先入観によるものです。決して怖くありません。
ただし、安全のため公式にはしっかり安全バーにつかまることを要求しています。また、コースターによっては横揺れや衝撃などがある場合もありますので、くれぐれも自己責任で。
エアタイムを体感したいなら、比較的新しいスイス製などのコースターに乗ることが望ましいです。不快な振動や揺れはまったく無く、高級車のような乗り心地であなたを無重力空間に誘ってくれます。USJのハリウッド・ドリーム・ザ・ライド、先に上げた長島スパーランドのスチールドラゴン2000がオススメ。これらは世界でも優秀なエアタイムマシンです。延々と続く山なり(キャメルバック)の連続が、とても心地よいです。関東なら、小ぶりではありますが、東武動物公園のカワセミも優秀です。
●カワセミ
エアタイムもそうですが、コースターの魅力のひとつは非日常性だと思います。生身で高いところから落下し、猛スピードで疾走する。そのまま宙返りまでしちゃう。こんな体験は日常では味わえません。
優れたコースターは、これらに加えて強烈な最初の落下(ファーストドロップ)や、ループやコークスクリューなど、たった数分間の中に様々な体験がつまっています。
今では、リニアモーターやカタパルトなどによる急加速や、ひねりと宙返りを組み合わせたあわせ技コースなどバリエーションに富んだレイアウトが用意されています。これらを、「エレメント」と呼びます。
ただ、本当に楽しいコースターは、目で見て分かる以上に繊細なコースレイアウトで実現されているというのが実感です。これは説明するのが難いので、乗って感じてみるしかありません。緩急つけたコース、予想を超えた振り回しなど、不快に感じることなく、かつ高密度で用意されているコースターは飽きることなく興奮が続き、乗り終わった後に笑いが止まらなくなるでしょう。これには本当に設計者の魂を感じます。
この点で優秀なのは、まず富士急ハイランドのFUJIYAMAです。ギネス記録コースターとして有名ですが、実は練りに練ったコースレイアウトの妙が最大の魅力だと思うのです。特にゴール間近の左右蛇行&アップダウンが連続する部分、通称「サーフィンコース」。ここで大爆笑できたら、ジェットコースターマニアの素質アリです。
他に、FUJIYAMAと同じメーカーで兄貴分に当たる、よみうりランドのバンデットや、八景島シーパラダイスのサーフコースターも優秀です。特にバンデットは、長いコースにもかかわらず飽きさせない展開が続き、コース中盤で谷に落ちていく巨大なドロップがあるなど、時代を感じさせない本当に素晴らしいコースターです。コースの周囲は桜の木で埋め尽くされており、春はお花見コースターとしても楽しめます。
そして、日本にはあまり無いのですが、木製のコースター。これは、コースレイアウトが本当に優秀なものが世界的に多いのです。独特のガタガタする振動と強烈なエアタイム、振り回しで、スペックを超えた感動を得られます。今は亡き奈良ドリームランドのASKAは、その絶妙なアップダウンや振り回しで世界的にも素晴らしい木製コースターでした。関東では、東武動物公園のレジーナもなかなかのものです。
宙返りなどのエレメントにこだわったコースターとしては、やはり志摩スペイン村のピレネーでしょうか。インバーテッドタイプ、いわゆる宙吊りで足がブラブラするタイプとしては世界最大級のコースターで、上下がわからなくなる程の宙返りと、それだけでは無いボリューム感や疾走感も味わえる優れたコースターです。コースの意外性で言うと、富士急の高飛車も驚きの連続でした。
■バンデット
■ASKA
■ピレネー
その2に続きます
煽りではなくマジな話。
ちょいとばかし利口で自立心を養える環境で育った女性の多くは10代後半~20代前半くらいに一度はフェミニズムにはまるんだよね。
女性だからああしろ、ああ生きろっていう世間ほとんどの人が信じてる空気の枷を察知できる感受性があるので「こんなの間違ってる!」と女性の権利獲得をしたいという意識が芽生える。
そんでその枷を外すべく勉強とか仕事とか頑張って、それみろ!女が学力や仕事で劣ってるなんて間違いだったろうが!と一人レジスタンスをしたりする。
しかし大学を卒業し、そこそこ安定した職種に就いて頑張っていると、抑圧していたはずの男性が思っていたよりもフニャちんであることに気づき始める。
そして逆に自分ほどの努力もしていないくせに、女の武器を使うなり、媚を上手に売るなり、または人権ガー差別ガーとギャンギャン吠え立てて自分と似たような地位にいる女の存在を知る。
そこで思う。「私が守ろうとしてきた【女】とは、こんなものだったのか」と。
隠して無事に有能な元左翼の女性は急激な保守に目覚め、「男女共同参画社会はクソ」「人権を訴えるのは甘え」「サヨク死ね」「教育勅語バンザイ」といった極端なネトウヨ思想に傾倒していく。
こういう流れ、なんとかなんないのかね。
もっというと、ある程度自分の地位が確定するとなんでだかその地位を得たのは自分一人の力と思い込むようになるので、後から来る女の足をむしろ引っ張ろうとしてくるのホント迷惑。
女ってバカだよなーといろいろ思うよ。
去年の春休みに丸丸さんのこどもが塾に通ってたのは知ってた。中受したのかな、とは思ってた。
今日、丸丸さんと久々にばったり会って、お子さん元気?という話になり、
かなり上位の私立中に合格したという話をきいて、さすが丸丸さんの子だなと思った。
お金だけじゃなくて素質もあったろうが、色々持ってる人のところに生まれたこどもはもつように育っていくのかなと思った。
老親への仕送りなどもあり経済的には余裕なく、私立中なんて子の成績はもとより金時間の面からして無理。
ただもうちょっとこどもと向き合った時間を増やした方がいいよなと思った。
そんな丸丸さんの話をきいた後に、
外国人だけど働けなくなって生保を受けてる話(池上さんの番組)を思い出したり、ネットで貧困家庭の話を読んだりするとやるせない。
丸丸さんは何にも悪いことしてないし、税金もたくさん払ってるだろう。
8億円値引きとか将来負の遺産になるオリンピック施設つくるとか
そういうことしなきゃ救われるこどもが何人いるんだろうか。
第一志望はダメだったけど、自分がやりたいことができるところで結構行きたかったところは死守した。浪人するか迷ってたけどお世話になった方々に相談することができて、このままこの大学にいくと心に決めることができた。吹っ切れることができたのがまず大きな成長です!バンザイ!
今回伸びきれなかったことは受験以外に活かすのがいい。乗り越えられることと乗り越えられないことの感覚みたいのがつかめたと思うよ。とか、とにかくプラスのことを言ってもらえた。
なんでそんなに素敵なものの見方、言い方ができるんだろ。惚れる。とにかくわたしは超絶ネガティヴマンなのでそういう人になれる努力をしたいな。
この先壁にぶつかることは沢山あると思うし、やっぱり第一志望のところに比べたら学べる幅が狭まっちゃうのかもしれないけど、何を学ぶか、どう活かすかは自分次第だなって思えた。自分次第で狭めちゃうかもしれないし、広げられるかもしれない。どうなるんだろう。中高6年はすこし殻に閉じこもっちゃうことがあったから、外へ外へでられますように。がんばります!あと弟の言葉は気にしないこと。学歴コンプとかそんなのにもう2度と陥っちゃだめだよ!未来のわたし!自分に自信を持て!!!
あと、学校と塾のだいすきなだいすきな先生に進学先を伝えることもできた。いいところじゃん!よかったね!また何かあったらおいで、と言ってもらえた。すごく認めてくれた感じのこと言ってもらえた。正直びっくりした。見捨てられてると思ってたのに!うれしい。がんばってよかった。だいすき。先生方ほんとうにありがとうございました。学校より塾の先生のが数億倍すきだしお世話になったな〜。ちゃんと御礼にも報告にも行けてよかった!大学生活いい報告できるようになろうね。
そしておつかれさま自分!!!!第一志望の学校はやっぱりだめだったし、落ち込んだけど、でもあなたがやってきたことは間違いじゃなかったし無駄じゃないと思うよ。頑張ってくれてありがとう!!!!!
今はとにかく大学のホームページとか見てどんな授業するんだろう、どんなことができるんだろうってわくわくしてる。数日前の自分とは大違いだ。周りの人には感謝しかないな〜もらった分の愛を返せるようにがんばろう。ね。
明日はとにかくお世話になった塾の担任の先生にご挨拶にいきます。うまく話せるかな。なんか毎日心配してくれてたみたいでもう愛を感じまくってる。ほんとうにありがたい!ちゃんとありがとう言おう。めちゃめちゃ言おう。たのしみ!
まだ親にはきちんとありがとうを言えてない。今日卒業式だったけど、なんかまだ照れくさくて。
主催したのはあの家計簿アプリの会社。講演内容としてはファイナンシャルプランナーの基調講演と投信、生保の商品、サービス説明でした。
個人的にiDeCoがどういうものなのか知りたかったのと、経営者として、やはり社員の人たちに伝える必要があるかなと思い、朝から品川に。
若い人たち中心に200名くらいが来てました。
一日のセミナーを大まかにまとめると、ファイナンシャルプランナーの先生は、お金の勉強をして、お金に働かせなさいといういつものやつ。
投信はロボアドバイザーなど、iDeCoで利用できる投信の説明。
生保はiDeCoを使って保険にはいると、あらこんなにお金が楽になりますという話。
まずiDeCoという制度。個人型確定拠出年金ということで、あくまで基本設計は年金です。上手く利用すれば、節税ができるものの、もちろん商品の選び方によって損します。
まあ、リスクリターンは連動するので、もちろんです。
それは良いとしても60歳まで引き出せないというルールはどういう利用でしょうか。お金を出す人たちのためでしょうか。出してもらう人たちのためでしょうか。
年金は確かに目減りしていく、若い人たちは今のように年金はもらえない、だから運用すべきは分かる。
色んな資料で将来のお金の不安を煽る。誰も将来が安心だなんて思っていない。
だからって、国と金融機関がこぞって、さらに若い人たちからお金を吸い上げようとするのはどうかと思う。
30年後なんで、もう誰にも分からない。30年引き出せないお金を預けろなんて、簡単なことではない。
あの時プレゼンしていた金融機関の人たちは、きっと話を聞きに来ていた多くの若者より、全然給料は良いと思う。2倍か3倍か、下手したら、それ以上もらっているかもしれない。
AIだなんだと、金融商品作って金融業界の人たちに儲けさせても仕方ないと思う。
だって、得しても損しても自分の勉強になり、財産になるからだ。
もう周りに踊らされて、不安を煽られて、お金を人に任せる時代ではない。自分のために、自分が信じるべき道にお金を預けたらどうでしょうか。
前は、自宅の本棚は ギッチリと、それこそ指が入らないくらいに詰め込み、背表紙はキッチリと揃え、凸凹なんか許せなくて…という状態で。
本棚以外も 揃えられるものは揃え 隙間もないように…だった。
そして 揃えたはずが凸凹になっていると「誰が触った?」「なぜ揃えない!」と イライラして…
でも、ある日 気がついた…
きちんと揃っているのは気持ちいいのだけれど…
自分でさえ なかなか取り出せないほど詰め込んでいては、自分より指の力の無い者にとっては とても取り出せるものではないのだと…
そこに、それにすら、思い至らなかった自分を恥じた…
それ以降、あえて揃えない。凸凹バンザイ!これは隙間じゃなくて余裕!で過ごしている。
今は 出先でも、
内心(・∀・)ニヤニヤしていた。バンギャとか、メンタル弱いから楽勝。すぐライン交換できる。外でセクロスいけるかも。
典型的な姫系。リズリサ、アンクルージュ、サマンサタバサ、ベイビー。知ってる知ってるw典型的なゴスロリ系w
好きなバンドも、知ってる知ってる。
シャワーを浴びながら、「元カノがバンギャでリスリサの店員だったんだ~」という殺し文句。
「わ~!私も今日リズリサー!コートはベイビーだよ」という風俗嬢の歓声
「ああ、サンシャイン(ベイビーのこと)ね。」こりゃ勝ったなと思った。
しかも、マアマアのブスなんだよね。これぞゴスロリ着てるブスって感じ。
「俺のこと、〇〇(風俗嬢の好きなバンドのメンバー)って呼んでよ?」
「え~〇〇君は無理~」
「じゃあ、ちんこに咲いて(バンザイして求愛するバンギャの行動)みてよ」
で、ちんこに咲かせる。
勝ったよ~これは勝った。
「あのね、私ギャオも好き!〇〇君と行く旅行企画で、ギャオの人たちも来てて、でもギャオ同士で固まっててかわいかった」
あれ?腐女子??
う~ん。。。
こいつ。。。。。
いや、イケる。行けるはず。
脇を触っても、耳を触ってもすぐくすぐったがる。
マンコを手マンしながら、「いれていい?」→「え?だめ。あ、指?みんな入れたがるんだよねえ、ちんちん。2マンならいいよっていうとみんなあきらめてくれる」
ダメっぽいな。
この公式、知らないのかなこいつ。
ブスの癖に、ガード固いメンヘラじゃない。
心涼しきは無敵なりで、先手先手でこちらの攻撃を流してくる。
無理げーだった。
その後、サマンサタバサのバッグの中身を見せられる。〇〇君グッツで埋まってる。
こいつは無理でーす。
負けましたー。
その後、俺の筋肉を触らせる。
結構ムキムキなので、すごーいすごーいと言わせる。
普段は5,000円程度のイヤホンで音楽を聞いているが、ふと1万円ぐらい出していいイヤホンでいい音が聞きたいと思った。
ネットで調べたらShureというメーカーのSE215というイヤホンがいいらしい。Amazonで買っても良いが、いますぐ聞きたいので家電屋に向かうことにした。
ソニーやオーディオテクニカに比べるとあまり知られていないメーカーで置いてあるか不安だったが、Shureとやらは高級系では定番のメーカーの1つらしいので置いてあるだろうと思った。
1軒目には無かった。2軒目へ行ったが、ここも置いていなかった。そしてこの街にはこれ以上大きな家電屋はない。
俺は諦めて帰宅し、Amazonお急ぎ便でSE215を注文した。
結局、俺らを開放してくれるのはAmazonなんだ。
Amazonが登場する前、僕らは店の商品しか知らなかった。だけど、インターネットが世の中にはいろんな商品があるということを教えれくれたし、Amazonがそれを実際に手することを可能にしてくれた。
インターネットがいろんなものがあることを教えてくれる度、僕らは店舗のラインナップの乏しさを痛感させられる。
あの本が読みたい、と思っても店にはない。あの服が着たい、と思っても店には置いていない。もはや店はディスプレイとしても使えなくつつある。
彼と遊ぶ時は大体野原だった。
日が暮れるまで虫を追いかけてりなんとかごっこを繰り返した。
僕は虫取りが好きだったしヒーローごっこも大好きだったから彼とはとても気があった。
ある日無性に彼の家に遊びに行きたくなっててお願いしてみたことがある。
何だか嫌がっている様子だったけど、家は知っていたから無理矢理に押しかけてしまった。
外はまだ明るいのに、家に入ると暗い居間には父親があぐらをかいて座っていた。
その後ろには掛け軸があって、細長い半紙に四文字熟語が描かれていたけど僕には読めなかった。
お父さんは鋭い目つきの強面で、びしっと決まった角刈りが印象的だった。
お邪魔しますと挨拶をしたけど、黙って頷くだけで何も言わずに一点を見つめていた。
お母さんがお水とお菓子を出してくれたけど、すぐにそそくさとどこかに隠れてしまった。
おもちゃなんて呼べるものはおいてないし、なんだか友達に話しかけても全然相手をしてくれないからその日はさっさと帰ることにした。
そいつはいつも五分刈りで、髪の毛が伸びたところを見たことがなかった。
学校帰りに駄菓子屋に誘っても、一度もついてきてくれたことはなかった。
ある日家まで学級通信を届けに行ったことがあった。
お母さんが出迎えてくれて、御見舞をしたいというと渋々迎え入れてくれた。
この日もお父さんは居間に座って一点を見つめていた。
それからも友達を遊びに誘おうと家を訪れたことがあったけど、大声で友達を呼んでいるといない時は何度目かに決まってお父さんが出てきて一言「いないよ」と言っては奥に消えていった。
その時は怖いお父さんがいつも家にいるなんて友達は辛いなぁくらいにしか思わなかったが、あとになって仕事は何をしていたのかなんてことが気になった。
そのヒントは友達とヒーローごっこをしている間の会話にあった。
僕はテレビのヒーローに扮するのだが、彼が返信するのはいつも軍人だった。
「神風特攻隊!」「大日本帝国バンザイ!」それが彼のいつもの必殺技だ。
何だか漢字がいっぱい並んでかっこいいなくらいにしかその時は思っていなかったけど、今思うと何となく理解ができるような気がした。
掛け軸の前に日本刀は飾られていただろうか。
それはもう定かではないが、彼のお父さんは活動が生業だったのだろう。
武士は食わねど高楊枝。
お金を稼いで浮かれた生活をするよりも、志のために清貧を選んだ家族の話だ。
今ではもう見ることのなくなったようなたった30年前の話である。
23歳になってようやく、10歳頃からの慢性的疾患であるところの厨二病が治りかけてきたと思っている。
中二病にも、邪気眼系、暗黒微笑系、尾崎系等色々種類はあるが、ここでは、
「俺みたいな中3でグロ見てる腐れ野郎、他に、いますかっていねーか、はは
あの流行りの曲かっこいい とか あの服ほしい とか
ま、それが普通ですわな
it’a true wolrd.狂ってる?それ、誉め言葉ね。
的類いのものと捉えてくれていい。
2016年6月の終わり頃、Twitterのトレンドに乗じて、「上半期に観た映画ベスト」なるものを自分も投稿したのだが、1位は、「ズートピア」とした。「ディズニーを敢えて1位として褒める、一周回って「アリ」」みたいなひねくれた気持ちでなく、これは純粋に、1位だと思ったからだ。
なので、先日公開された「シン・ゴジラ」も、事前の絶賛感想、また、「庵野…俺の負けだ…」という島本和彦氏のアツいツイートなどを見て、本当に愉しみにしていた。わざわざIMAXの席を取り、また一刻も早く観たいので平日の夜に、そして、若き日の庵野氏が登場する「アオイホノオ」も復習せねば、と息巻いていたくらいである。
という具合に、完全に、自分も、後でツイッターに、「シン・ゴジラ素晴らしかった!!」と書くつもり満々で(観てもないうちから…)、わくわくしていた。
が。
どこもかしこも大絶賛の理由がである。先程の中二病云々の前置きを入れたのは、これは決して、「流行りに反発する俺カッケー」的精神で言っているのではないという但し書きである。
特に不思議なのは、日頃、人権意識の高かったり、リベラル寄りの人も、「日本の戦い方というのを見せて貰った!!」みたいな論調で褒めていることだ。
いいのかそういう着地で?
多数の有名人たちが登場する中で主役として据えられているのは、内閣官房副長官である「矢口」(ハセヒロ)という人物である。
会議会議で誰もビシっと決断出来ない割にはその会議は最初から「想定内」の結論ありきな形式的なものにすぎないという悪しき日本の慣習に侵された人物が多数を占める中、この矢口という人物だけは、最初から、巨大生物の存在(後にゴジラと名付けられる)の可能性を指摘し、会議と、国民の反感や国際社会からの非難を怖れた日和見で政府が迅速な対応が取れなかったことを悔やみ、
派閥争いとか出世から外れた異端者たちを集めたチームや、石原さとみ演じる米国大統領特使(「意識の高いルー大柴」とか書かれていて笑った)と交渉、根回しすることで、何とか、米国などの言いなりの帰結としての「最終解決法」――「原爆投下」――日本にとっては三度目の――を阻止した上で、ゴジラの被害を食い止めるための解決策へと動く。
これは重大そうで重大でないネタバレだが、私が、ごく少ない素晴しい点だと喜んだのは、中盤あたりで、総理大臣(とその他閣僚数名)が躊躇なくあっけなく死ぬところだ。やな奴だと思っていた総理大臣が、突如矢口に、「君のことは、本当に買っているんだ…」みたいなことを言い始めたり(※補足:これはあくまで死亡フラグの例えで、別に私も劇中で嫌な奴だったとは全然思っていません)、「俺、この戦いが終わったら娘の結婚式に…」みたいな死亡フラグメロドラマもクソもない。あれ、死んだ?程度のタイミングで死ぬ。
「新しいリーダーがすぐに見つかるのがこの国の良いところだな」という劇中の自虐じみたないしは皮肉めいた台詞にあるように、この全然劇的でない死亡劇は、映画の一つのテーマともリンクしていて、国のトップである総理大臣でさえこの国にとっては唯一無二でないところは、しかしある意味では強みになり得るという着地だ。
超越的なカリスマ性や能力を持った人物のみの力で成り立っていたり、「その人だけにしか出来ない事」を抱えた人物が各々バラバラにいる組織は、リーダーや、「その人」がいなくなった途端崩壊してしまう。だから、組織や集団の恒久的な存続の為には、「その人だけにしか出来ない事」「その人でなければならないこと」といった唯一無二性を特定の人物に集中させない仕組み作りが重要なのであり、総理大臣が死んでも替わりがいるというのは、逆に言えば、そうした仕組みが機能しているからこそとも言える。
ゆえに本映画や主人公たる矢口は、徹底して「独占」を否定する。まず通常であればフィクションにとってかなり重要と思われる<キャラクター>の独占の否定。総勢300何人だかのキャストということで、ナントカ大臣とかかんとか色々次々に出てくるが、実質的には3つか4つくらいしかキャラクターは存在していない。誰が文部大臣で誰が防衛大臣でというのはこの映画にとってはどうでもいいことで、口調等微妙にキャラ付けされてはいるものの、「大臣」という一つの役割と行動原理と台詞が、10何人に与えられているに過ぎない。(多分普通の映画だったら2、3人にセリフをまとめるはずである)
「はみ出し者の集まり」とされる、ゴジラの正体究明班だってそうで、「学者っぽいないしはオタクっぽい探究心でゴジラについて調べる人たち」という一つの役割を4人くらいで分担しているだけである。(多分これも通常であれば一人にまとめられる)
これは、多数の人物たちが台詞を次々に言うことでテンポ感を出すという演出上の意味もあるだろうけれど、「チームで一つの役割」を持つべしという価値観の現れでもあろう。
更に、情報や知識の独占の否定。矢口は、本来ならば国の重要機密として扱われるであろう、ゴジラの細胞データサンプルなどの情報を様々な機関や国にばらまくことで、問題の早期解決を導く。三人寄れば文殊の知恵、これは自分ないしは自分たちだけが知っていると独占機密化することで情報の価値を上げるよりも、広く共有することでなるたけ沢山の協力を集めた方が得策である、という姿勢だ。
<超越的>存在であるゴジラに対峙した時、この国を救うのは、同じく超越的な存在や飛び道具ではない。目標を同じくする協力集団であり集合的知識であり、つまり<集合>こそが<超越>を「超える」
でもこれって前半あれだけ揶揄していた、「日本には決定を下せる人がいない」っていうのと紙一重であるから前半部の否定と統合性が取れていないし、
むろんこういうのは、思想的な好き嫌い、価値観の問題で、私は所謂ネット上ではブサヨと呼ばれる方の考えに近いから、ともすれば個の否定に繋がるような着地点に、なんだかなーと思ってしまうわけだけれど、問題なのは、というより、問題だと思うのは、「シン・ゴジラ」は、単なる、「集合バンザイ」を主張しているわけではなく、ともすればっていうかともしなくても命に関わる「有事」に遭遇した際について描いているという点である。
矢口は、一刻も早いゴジラの正体究明に必死になっているチームメンバー達が、カップラーメンのみで食事を済ませ滅多に家に帰らず連日泊まり込み、また帰ったとしても翌朝早く来る様子を見て、満足げに、
「この国もまだまだ捨てたもんじゃないな」
とか微笑み(正直、これだけで元・社畜の自分からしてみれば、けっっっっ、って感じなんだけど)
ラストシーン近く、ゴジラを倒す最終的な作戦の前に、自衛隊その他に向けた、
「今回のヤシオリ作戦遂行に際し、
ここにいる者の生命の保証はできません。
だがどうか実行してほしい!
わが国の最大の力は、この現場にあり、
っつー半ば特攻精神的とも取れる演説。(でほんとに作戦決行中戦車みたいなのが幾つかバカスカやられているような)
そして、国連(だっけか)で決定された、「ゴジラには核落とせ」という判断を、何とか食い止めるための水面下交渉について、アメリカ人(のたぶん偉い人)が発する台詞、
「まさか日本がこんな狡猾な外交手段を取れるとは、危機は日本でさえ成長させるのかもな」(詳細は違うと思うがこんな感じ)
映画の素晴らしさは「共感」にあるわけではない。だからこれが、「完全なフィクション」であれば、私もうるさく言わない。
ファンタジーであれば――たとえば、『進撃の巨人』での出撃前の演説、「心臓を捧げよ!」は確かにアツいシーンである。
しかし、「シン・ゴジラ」の場合は、完全に、フィクションの世界観にあるフィクションの人物の行動原理として切り離すことはできない。明らかに、現在の日本を物語に取り込みそして、あるべき日本の姿を提示しているものだからである。
繰り返すが、断っておくと、これはあくまで個人的な価値観の問題である。
しかし私としては、リベラル寄りの人までも、結構絶賛しているのがよく分からんのだ。
もちろん、放っといたらもっと大勢の人が死ぬっていうのは分かるけど、それでいいじゃないか。それでいいというのは大勢の人が死ねばいいということではなく、多くの命が失われるのを防ぐための方法を、という行動原理で十分じゃないか?
それが、いや、登場人物が内閣とか政治家とかだから仕方ないかもしれないが、国のためとか国民のとかこの国はとかやたらと、まあーーーーうっるさい、しつこいのだ。
国のために個や生活を犠牲にして働くのが美徳で命を落とす覚悟が礼賛されるべきもので、何より、「有事」「危機」こそが、国を成長させる、みたいな価値観?
いいのかそれが「これぞ日本の戦い方」で飲み込んで
っていう些か判断や解釈の分かれる思想的な話の他にも、単純にひとつの作品として、映画やプロットの作りとして、鼻につくポイントは少なくないと思う。
これは多くの人が指摘するように、「シン・ゴジラ」の欠点ないしは一部の人にとっては美点の一つは、
「たぶん(本来怪獣映画を喜びそうな)小中学生が見ても分からない」
ことであろう。
次々に入れ替わり立ち替わり出てくる人物、やたらと専門用語や政治用語を並べ、理解させる気あるのか?というくらい早口の会議、応酬、ゴジラを倒すというよりメインは政治劇
「会議が冗長でなくムダがない」「予告では、おっさん達がやたらと会議して退屈そうだと思ったがいざ観てみたら会議もっとってなった」という内容の感想をよく目にするが、
そうか?
前半部の会議会議会議は勿論、指示手続き実行までのリアリティを出すためとかこれだけのプロセスを踏むことの提示とか必要な部分もあるが、社会的風刺になっているシーンも幾つか存在している。主人公が指示を出すと、「それどこの部署に言ったの?」と返されるタテ割り行政とか、とりあえず識者を集める時間の無駄とか、直前までスーツだったのに記者会見を前にして、総理「防護服を持ってきて」というあざといわざとらしさとか、面白いものもあるけれど、風刺したいなら、別に、それだけで、つまり、そういう戯画化したシーンを見せれば十分ではないか。
が、本作では、<その上で>、また、「この国では~」とかいちいち誰かが台詞で言うのだ。これもしつこい。
いや、分かったよ、わかるよ。だって、それさっき見たって。
「難しくて分からないだろうな」とは言うが、わざわざ台詞で補足してくれているところも結構あって、中途半端に親切なのである。その半端な親切さが観客の理解を助けるという方向ではなく、「この国ではあの国ではうるせえ!!」って感じに作用している。自分は、筒井康隆なんかが好きなので社会風刺物はむしろ好物な方なのだが、こういう見せ方はぜんぜん、スマートではないように思う。
更に、後半の最終作戦までの会議やり取り部分は、もっと無駄なような気がする。
物語として分解したときに、小難しい専門用語でなんか凄いものを観た気にさせるないしは(本当はよく分からないが分からないというとバカだと思われるので)褒めておこう!という方向に感想を誘導させる効果しか持っていない。
というのは、2時間映画の構造基本には、
が組み込まれていることこそが、フィナーレのカタルシスを呼ぶ。
小・トラブルとは、物語の世界観を示したり、人物たちの関係性を深めるためにプロット上に用意される障害だが、「根本的に解決されねばならない」問題は別にある。物語として最後に乗り越えるための壁が大・トラブルである。まやかしの勝利、からの喪失とは、今まで向き合ってきた、そして倒して喜んでいた障害が単なる「小・トラブル」で、大・トラブルは別にあることに気付いてしまったり、大・トラブルを解決したないしはできそうだと一旦は歓喜するものの実は全然間違っていたり、
「シン・ゴジラ」の場合、自衛隊が次々に攻撃することが小・トラブル、そして米軍がやってきてダメージを与えられたように見えるのがまやかしの勝利のように見えるが、そうではない。っていうか見えるがって書いたが見えない。
だってあれ見て、誰も「米軍やってきたやったー勝てる」とは思わんだろう。
突き詰めると日本は最終的に日本が守らなきゃねって映画なんだしっていうのがなかったとしても、
根本的なプロット上の問題として、主人公矢口とそのチームが、比較的最初の方で、最終的解決方法にほとんど気が付いてしまっているのである。
ゴジラの動力源が核融合であること、そのために生まれる熱を放熱するために冷却が必要なこと、おそらく血液の循環が冷却として作用しているので、血液を固めてしまえば、ゴジラは活動を停止するのでは……
っていうのが主人公サイドから割と早めに示されてしまって当初は矢口プランとか呼ばれている以上、
「これが正解なのだな」
と思う。思ってしまう。
だから、どんなに自衛隊とか米軍とかミサイルとか出てこようが、それでやっつけられるわけはない。それだと主人公が出てきた意味がない。
これは我々に組み込まれてしまった、フィクション鑑賞時のルールである。
故に、制作者は、その予定調和的思い込みを覆さねばならない。むろん、米軍が出てきて解決しちゃいましたチャンチャンという方向でなく、だ。
というプロット構造に則って言えば、ゆえにこの、当初気付いた解決策は後半部で本来、「覆される」べきなのだ。主人公ないしは主人公サイドは、「解決策」を握り、幾つかの妨害や無理解そのほかに合いながらも、なんとか実行直前ないしは実行に漕ぎつける。やった!!というつかの間の悦びを得るが、そのうち、それが無意味・不正解、根本的解決ではないことを悟り、絶望に陥る。
で、
からの。この、「で、」からが、ラストに向けた助走なのである。
これが、例えば、当初は主人公たちは全然別の方法を思いついてしかし失敗、再度のなんとか成分がとか原子構造がとか動力源がとか分析のアイディアの出し合いにより、「血液固めればいいんじゃね」ということに気づく…とか、苦労してバトルして血液凝固剤注入したけど無駄でした⇒博士の残したデータの解析⇒凝固だけじゃ足りないのかもとか注入方法の工夫が足りないとか試行錯誤して最終決戦、
など少なくとも順番が入れ替わっていれば、
専門用語を並べ立てた応酬、会議会議、チーム内の協力…の配置が、物語に機能していると言えるし、純粋に映画としてのカタルシスと、内容を理解できる者にとっては、そうだったのか!と、謎解き的、知的カタルシスをも生む。
しかし最初に、後半の最終作戦までの部分は、もっと無駄、と書いたように、実際はそういう構造ではない。
主人公たちが序盤の方で気付いた最終解決策がほぼそのまま最終作戦なのだ。博士の残したデータの分析で抑制剤がプラスされはするが大方まあ正解なのだ。そしてちょっとやられたりはするが成功しちゃうのだ。
だったら後半部の、なんとか成分がとか原子構造がとかなんとか博士の分析が云々という難しげなやり取り、本当はいらないじゃん。だって序盤に示された正解が正解ということを補強しているだけである。
つまりほとんど、「米国が核爆弾落としちゃうかもヤバい!どうする!」という物語の都合上、(間に合わないかも!)という時間稼ぎに配置されているだけだが、そんなの、間に合うのは分かる。フィクション鑑賞時のルールとして。
ラストの作戦がショボい、という感想はちらほら見かけるが、本当は、作戦がショボいことがカタルシスを生んでいないのではない。ほぼ最初に示された正解通りのまま終わるから、あれ?となるんである。かつ、人物たちの早口の分析から判明していく真相に、なるほど、そういうことだったのか!という知的快楽も得られない。
以上の理由から、「難しいから子どもには面白くないかも~」と言っている人こそ、本当に理解しているのだろうか、煙に巻かれているだけじゃないの、という感じだが、
「小難しい」というだけで、煙に巻かれて何か凄いものを観た気になる一部の人間、ないしは、凄いものを観た、観客に媚びてない=芸術的=作品の価値が高い と「思いたがる」(言いたがる)(だってつまらないと言ったら理解できなかったと思われる、バカだと思われる)類いの鑑賞者にとっては、演出上の効果はあるのかもしれない。いや、あった。
けれど、
やれ家族の絆だ恋愛だお涙頂戴だ感動だの分かりやすい浅い作りにしなくても、クリエイターが作りたいものを大衆に媚びずに作っても、観客はちゃんと素晴らしいものを評価できることが~
みたいな、自分が一番「一般人」(こういう言い方をする映画マニア、てめえもただの一般人だろって感じだよなマジで)を馬鹿にしている上から目線の物言いで、無邪気にキャッキャッと、ハリウッドに勝ったとか邦画も捨てたもんじゃないとか喜んでいる場合だろうか。いまだに。
同時に、分かりやすいことは必ずしも、「浅い」ことを意味しない。
むしろ、近年、「マッド・マックス」とか、「ズートピア」のような、戯画化によって現在蔓延る社会問題の構造を鋭く炙った作品でありつつ、かつ、子どもでも純粋に楽しめるくらい映画として高いエンターテイメント性を持った作品が海外から出て話題を呼んだ中で、
まだ、大衆に媚びてないから一般人は難しくてついてけないだろうけど~チラッチラッ みたいなことを言ってはしゃいでいる段階って、それこそ完全に「敗北」だと思いますけどね。
ちょっと「水素水]で検索してみたらものすごい量のアフィサイトが出てきた。
というか、数ページ全部アフィサイト。
そんなに水素水のアフィってあるの?儲かるの?
伊藤園とかの小売用のアフィなんて?とか思ってたら、ちょっと見てみると、ウォーターサーバーみたいのとかなのね。
ちょっと前(今も?)のウォーターサーバーアフィブームと同じか。
クズが沢山クズみたいなサイト作るから、「水素水」で検索してもまともなぺーじが一つも出てこない。
中には「水素水はニセ科学か?」みたいなきちんと検証した結果を書いてそうな題名のところもあったけど、
そこも結局適当にはぐらかした挙句「水素水バンザイ、ここから購入!」みたいな。。。
何も調べることの出来ない様な人はともかく、ちょっとインターネット覚えて自分で調べられるようになりました!みたいな人はむしろ逆に騙されると思うわ。
ほんと酷い
>やはり、「Qiitaもグルになってる」、ということでしょうか?
いや、それアピールしながら、後ろめたいのか、バレたらまずいのか、削除編集してるのがおまえらなんだけど?w
「運営バンザイ!...」とか勢い余って書き込んだのが、マズイとおもったのか削除、あと「学内」→「身内」
「学内」でネガキャンしてる当事者だという書き込みしといて、学会で、とかどの口で言ってるんだ? 「学内」の誰かさんよー
>ノンスタ兄貴の記事がしっかり残って、反発コメントがほぼ全滅(アカウント削除処分)という状態なのは、あざやかだよね。 あれのお陰で学内の周知もらくになったわw 運営バンザイ!...
↓ 編集削除
http://anond.hatelabo.jp/20160516161735
>ノンスタ兄貴の記事がしっかり残って、反発コメントがほぼ全滅(アカウント削除処分)という状態なのは、あざやかだよね。あれのお陰で身内への周知もらくになったわw
「ノンスタ兄貴の記事がしっかり残って、反発コメントがほぼ全滅(アカウント削除処分)という状態なのは、あざやかだよね。 あれのお陰で学内の周知もらくになったわw 運営バンザイ!」
結局こういうクズに「運営バンザイ」と言われるQiita運営だという主旨で、クズがボロボロ証言してる。ちなみにこの「学内」というのは「身内」に編集済み。「運営バンザイ」ってのも削除してるね?なんで?
「ノンスタ兄貴の記事がしっかり残って、反発コメントがほぼ全滅(アカウント削除処分)という状態なのは、あざやかだよね。 あれのお陰で学内の周知もらくになったわw 運営バンザイ!」
結局こういうクズに「運営バンザイ」と言われるQiita運営だという主旨で、クズがボロボロ証言してる。ちなみにこの「学内」というのは「身内」に編集済み。「運営バンザイ」ってのも削除してるね?なんで?