はてなキーワード: クラスメイトとは
他人を頼れなくて、でも他人を頼る必要性もなんとなくわかってるから頼りたくて。
頼れない理由を考えてみた。
今の所考える頼れない理由は
③信用してないから
あたりかなと思うんだけど②③に関しては現状に対してそこまででもないな…と思ったので原因じゃなさそう。
だって評価って人によって変わるしこの歳になってどう思われようと気にしちゃられんし。
信用してないのかっていうと信用してるし。
じゃあ①か?ってなって、迷惑ってなんで迷惑って思うんだ?って考えたんだよね。
そもそも今まで他人に頼らずにきた訳ではないし親族にはそこそこ頼れるし…
原因になりそうな所で10代でイジメにあってたことかなぁと思い至った。
イジメの内容はそんなでもなかったんだけど。
クラスメイト全員に1〜2年くらい無視・陰口・避けの3点セットくらいで、物理攻撃はされなかったし。
ただ存在を積極的に避けられると、基本的に自分は他人にとって介入するのは迷惑で関わっちゃだめなんだ、って認識になるんだよね。
元々遠慮がちで人見知りな性格もあって、他人にとって自分は迷惑って認識が強化されちゃったんだよね。多分。
そのまま大人になって、対人関係の築き方がさっぱりわからず社会人になりたては苦労したけど、最近はまぁ一般人くらいにはなれた気がする。
理屈では理解してても、やっぱ好意がわからん状態で話しかけて「は?」って言われる恐怖ってあるな〜と思って。
大人だからさ、そんな理不尽なわがままをする人もそういないんだけどさ、なんか怖いよね。
だから迷惑な存在になりたくないな〜と頼る選択肢を積極的に排除してるな〜と気がついた。
重い過去がある人に対して、どんな反応すればいいか分からない。
昔仲良くしてた女の子の母親が事故で亡くなった。その年の夏休みに二人で彼女のおばあちゃん家にお泊まりすることになった。気晴らし旅行みたいなものだったと思う。とにかく悲しいことは忘れて、ぱーっと遊ぼう!みたいな。(実際めっちゃ遊んだ。映画にプールに遊園地など) 私はなんとか彼女に安らぎを与えたくて(そんなの無理かもしれないけど)、とにかく無邪気に振る舞った。空回りしてたかもしれないけど、重い空気にしたらせっかくの精神回復旅行が台無しになってしまう。私は彼女の心の安寧であり、家族以外のなにか悲しいことを忘れられる場所でもあるのだ。そんな自負をもって旅を楽しんでいたのだが、やはり時折お母さんの話題がちょろっと出る。そのたびになるべく感情を下げないように「ふーん」「そっかあ」「そうだったんだね」と差し障りのない返答をしていた(じゃないと私のほうが悲しくて涙が出てしまいそうだった。彼女のお母さんによくしてもらってた)しかし帰りのお土産コーナーで「これね、お母さんが好きだったお菓子なの」とスフレを差し出されて、いつもの通り「そうなんだね、そっかあ……」と返答したら、ちょっと怒ったように言われた「なんでお母さんの話題を出すと急に冷たくなるの。別にわたしはお母さんのこと、悲しかっただけじゃないから」そこでハッとした。気を使いすぎていたのかもしれない。話すことで思い出す優しい記憶もあるのに、私は全て彼女の母=死んでしまったという事実でしか捉えられていなかったのだ。小学五年生の夏だった。小説にかじりつく本の虫である私は、親のいない主人公や登場人物が出てくる本をいくつも読んできたはずだった。そんな彼らに共感し(ちなみに私の両親は生きている)、そんな彼らが一番嫌がるのは「同情」だということも知っているつもりになっていた。しかし人間って複雑だし、小説みたいに上手くいかない。あのときは「ごめん」と謝ることしかできなかった。
彼女の母の葬式のとき、本当は身内しか入れない控え室みたいなところに入れてもらってボードゲームをしてた。私だけじゃなくてクラスの女の子も7.8人呼んで皆でワイワイやっていた。内心(葬式って悲しむべき悼むべき静かなところであって、こんなに馬鹿騒ぎするのはおかしいんじゃないの)って同級生に引いてたんだけど、彼女にとってはそんな馬鹿騒ぎでもしてないとやってられなかったのかもしれない。一歩引きすぎてたのかもしれない。そこで私がいの一番に盛り上げて彼女の不安をどうにかして紛らわせることができたら一生の友になってたかもしれないが、正直彼女を見るとお母さんを思い出してテンションがぶち上がれない。
葬式で配られたハンカチがあった。ご丁寧に葬式に出席した同級生全員に配られた。しかし私はそれを使うことはできなかった。ある日、学校の給食の時間に馬鹿男子が牛乳か何かをこぼしてハンカチを取り出した。例の葬式の引き出物だった。しかも彼女の目の前で。でも意外なことに彼女は笑った。「あ、それうちのお母さんのだ」「……悪かった?」「いや、使ってもらったほうが嬉しい。棚の奥にしまわれるより」私は完全に引き出しの奥に詰めていた。なんか、こういう考えないクラスメイトの行動のほうが、彼女にとっては嬉しいんだな──と、彼女と一番心の距離が近いと思っていた私は嫉妬のような不思議な感覚を持った。だってあの旅行に誘われたのは私だけだったのだから。そして、「あぁ、これが『いつも通り接して欲しい』ってことなんだなあ」って思った。私は考えすぎていた。今まで読んだ小説をサンプルになんとか状況を整理して、一番適切な行動、役割を全うしたいと思っていた。なぜなら彼女と私は親友で、親友がなにか危機的状況にいるときは相棒が助けなければならないからだ。しかしそれは、「同情」にも似た、そして、同情よりもたちのわるい「計算」をして彼女を支えたつもりだったのだ。
葬式で馬鹿騒ぎしたクラスメイトも、葬式のハンカチを日常で使う馬鹿男子も、「計算」なんてこれっぽっちもしてなかった。「いつも通り」だった。むしろ私はその場の空気を冷やしてしまっていたんじゃないか。私は感動しいである。感動ものの小説やドラマや映画は大体感動ポイントで泣く。感情豊かだと自負していた。だから相手の気持ちも分かる気がしていたのだ。今年お互いに成人の日を迎え、年賀状も届いた。しかし、毎年返せずにいる。
重い過去がある人に対して、どう接するのがいいのだろう。よく小説や漫画にあるのは、聞き手がはてなを浮かべて「だからなに? おまえがおまえであることに変わりはねえよ」ってさも当たり前みたいな雰囲気を醸し出すやつだけど、あれを柔らかく伝える瞬発能力はない。お家に帰って反省会すれば出てくるかもだけど。人の死に構えすぎなのか。でも人が死ぬのは悲しいことだし……実際に身内が死んだ経験がないから分からない。自分の親が死んだときどんな反応をされたら心が逆立たないのか考えても、今の時点では「……そっかあ」という差し障りのない返答が精神衛生上いいんじゃないかと思う。分からない。
皆さんの周りに、英語話すときにカッコつけながら話す人はいますか。
僕のクラスメイトの一人(A君)はそれがかっこいいと思っていて自分の個性だと思っているらしく(つまりナルシスト)、それにいちいち対応してたらきりがないです。
1年前のある英語の授業のときにそのA君が指されて音読をすることになりました。
もちろん発音の癖が強く、うるさいな〜と思っていました。すると突然、音読が終わった瞬間にA君の前の席の子(Bさん)が
ぎゃあああああああああ
って悲鳴を上げました。皆が何だ何だと騒いでいるうちにBさんが、「こいつ(A君)が音読の終わりかけに口から変なの出てきたきたねええええええええええええええええええええええええ」と叫び、A君は気まずそうな顔をして、そして例のブツが、床に転がっていました。
見た目は黄色くてスクランブルエッグのような物体。ビー玉より一回り大きかったです。昼食後というのもあったのか、そのブツは正真正銘、A君の口から出てきたものです。
普段からカッコつけていたのを見ていた神様の天罰が下ったのでしょうか。
このことがあってから、話すときは気をつけようと思いました。因みにこのことがあってからA君のあだ名が、口から卵(スクランブルエッグ)を吐き出した、ということで「ピッコロ大魔王」になりました。
誰か判定してくれ。
子供だった当時は母が異常だったという認識はなかったが、大人になって色々知った今ではもしかしたら毒親だったのではないかと疑っている。
ちなみに父は普通だった。
母のダメな点は以下の通り。
そんな母に育てられた自分(息子)はというと子供の頃は以下のような感じだった。
で、大人になると反出生主義になり(母に「産んでほしくなかった」と伝えて泣かれたことがある)、結婚願望皆無になった。
塾に通わせてくれて大学まで行かせてもらった結果、今では自分は普通に働いて稼げているので、嫌いではあるが母に対して恩は感じている。それ以上に父に感謝しているが。
大人になってから金をせびられるとかの問題はまったくない(むしろ自発的に仕送りしている)。
ネットで見かけるもっと悲惨なご家庭と比べると全然大したことはない。母は学歴コンプレックスを子供に押し付ける教育熱心なヒステリー持ちの親という程度だったのではないかと思っている。
自分なりの結論を出してしまっているが、世間からみたらどうなのだろうと気になって書いてみた。
どう?
稚魚時代イケてなかった、灰色の青春だった、と嘯きたいのなら、川上りには絶対に行くな
川上りに行ってしまった時点で優良青春を送ったニセオタクであることが確定してしまう
ホンモノでありたいのなら、行きたくても行くな
いや、行きたくなってしまった時点で厳密にはSAKEなんだが、内心の自由というものはあるからな 思うだけならセーフ
正直、当時思ってたのは「母川遠いし淡水ダルい」「川上りしたくない」「産卵場で手持ち無沙汰になりたくない」くらいだが、今はよくぞ思想に殉じたぞ昔の俺!と思っている
海にいるオタクが川上りの話してると笑ってしまう 「川上りに行ったが誰とも生殖せずに帰ることになった」? ハ、雑魚が……俺は母川にすら帰ってないぞ
どうして川上りに行ったんですか?同級生と再会して産卵床が作れると思ったからか?その考えを持ち、実際に行ってしまった時点で暗黒青春の持ち主としての資格は永遠に失われてしまう
ただ青年期に顔がキモい状態だっただけのSAKE野郎、異常でもなんでもないただのカス、ホンモノなのは雑魚さだけ、そういう真の意味で鯵めな存在になってしまう
川上りに行かなかった俺は違う
本当に灰色の青春を過ごした、正当なサーモンであれる その称号を高らかに掲げることができる 川上りで出会った元クラスメイトと鯉に落ちる、みたいな安易な妄想に呑まれなかった強い魚であれる 海を出ることのめんどくささが青春の思い出に打ち勝ったのだ、と自信を持って言える
俺にとってそれは誇りのひとつだ
学生時代イケてなかった、灰色の青春だった、と嘯きたいのなら、成人式には絶対に行くな
成人式に行ってしまった時点で優良青春を送ったニセオタクであることが確定してしまう
ホンモノでありたいのなら、行きたくても行くな
いや、行きたくなってしまった時点で厳密にはFAKEなんだが、内心の自由というものはあるからな 思うだけならセーフ
正直、当時思ってたのは「空港遠いし帰省ダルい」「スーツ着たくない」「式場で手持ち無沙汰になりたくない」くらいだが、今はよくぞ思想に殉じたぞ昔の俺!と思っている
Twitterにいるオタクが成人式の話してると笑ってしまう 「成人式に行ったが誰とも話さずに帰ることになった」? ハ、雑魚が……俺は地元にすら帰ってないぞ
どうして成人式に行ったんですか?同級生と再会して昔話に花が咲くと思ったからか?その考えを持ち、実際に行ってしまった時点で暗黒青春の持ち主としての資格は永遠に失われてしまう
ただ青年期に顔がキモい状態だっただけのFAKE野郎、異常でもなんでもないただのカス、ホンモノなのは雑魚さだけ、そういう真の意味で惨めな存在になってしまう
成人式に行かなかった俺は違う
本当に灰色の青春を過ごした、正当なインセルであれる その称号を高らかに掲げることができる 同窓会で出会った元クラスメイトと恋に落ちる、みたいな安易な妄想に呑まれなかった強い人間であれる 家を出ることのめんどくささが青春の思い出に打ち勝ったのだ、と自信を持って言える
俺にとってそれは誇りのひとつだ
今だに紙の年賀状を出しているが、もはや親しい相手に出しているというより真面目に返事をくれる人に出している状態になっている。
気がつけば20年以上前の元同僚とか、大学を卒業してから一度も会っていない元クラスメイトとか、リアルで全然会っていない人が多い。昔は職場で住所録が配られたので、同僚とかに出せたのだが、今は緊急連絡網などでお互いの携帯番号を知るのみとなっている。義理で出したくもない上司に年賀状を出したりしなくて良いのはいいんだけど、人事異動とともに切れてしまうつながりが多すぎて、過去の知り合いだけに出している状態になっている。
中には私がしつこく毎年出すから仕方なく印刷したままで手書きメッセージなしの賀状を寄越す人もいる。そういう人は無理に出してくれなくても良いのだが、全然年賀状が来ないのも寂しいのでそのままになっている。私は家庭持ちの人が子どもと一緒の写真入りの年賀状を送って来るのがわりと好きで、「〇〇さんの家の子どもはこんなに大きくなったんだなぁ…」といつも感心する。自分に子どもがいないので、子どもがいる人と歳月の認識がかなりずれているんだろうとは思う。
リアルで会う機会の多い人は何かしらSNSでつながっていることが多いので、そこに新年の挨拶を投稿して、お互いに「イイネ!」を押して新春の挨拶に替えてしまう方が早い。そこでも義理で「イイネ!」を押してくれる人や、私が「イイネ!」を押したからお返ししてくれる人が多い気はするが、年賀状に比べると手間も金もあまりかからないのでその点は良いと思う。
…ということで私の何となくそれなりに友だちがいそうな環境は几帳面に年賀状を送ってくれる人と何となくSNSで「イイネ!」を押してくれる人々に支えられている。特段の理由もなく、サシで「会おうよ」とか「遊びに行こうよ」と誘える人は全然思いつかないのは私の不徳の致すところなんだろうか。
中学生の頃、Aちゃんという友達がいた。小学生の頃からもちあがりのクラスメイトが多い中、転入生として現れた彼女との付き合いはそれ程長かったわけではない。それでも、"アニメ好き"という趣味を通じてそれなりに仲良くできていたと思う。
中学卒業前、Aちゃんは声優になりたいのだと私に夢を語っていた。養成所に通うのだとも話してくれた。中学生という義務教育真っ只中の夢見心地な年頃にとって、声優という職業はそれなりに憧れの地位にある。私も口では安定した職業に就きたいと言っていたが、憧れがなかったかといえば嘘になる。
素直に自分の夢を語るAちゃんの姿はあの頃の私にとってあまりにもキラキラとしたものに見えていた。同時に、夢を追いかけるために一歩を踏み出そうとするAちゃんを羨ましくも思った。がんばってね、応援してる、と声をかけてその日の話は終わった。
卒業後、私とAちゃんが連絡を取ることはなかった。というよりも、当時携帯を持っていなかった私にはAちゃんとの連絡手段は存在しなかったのだ。ただ、今まで通りアニメや声優が好きなのは変わらなかったため、時折頭の片隅でAちゃんは今頃何をしているだろうか、と考えることはよくあった。私は色々なことを忘れがちなのだが、何故かAちゃんがあの日語った夢の話だけは忘れることがなかった。
あれから6年たって、つい最近Aちゃんとたまたまバイト先でレジ打ちをしている時に再開した。(恥ずかしながら、私はスーツを着ていたAちゃんに「○○ちゃんだよね!Aだよ」と声をかけられるまで彼女に気づくことができなかった。)
高校くらいにBL好きの友人と出会ってからBLを知ったが、どうも好きになれなかった。友人は創作物の中だけでなく周りのクラスメイトでもカップリングとか考えているタイプだったが、正直なことを言えば嫌悪感があった。
ただそれが何故か説明できなかったのでモヤモヤしてたんだけど、昨日のねほりんぱほりんで同人作家の話聞いててふと気付いた。
どうも私は原作や現実にない関係性を付け加えられるのが嫌みたいだ。
そもそも原作厨の傾向があり、オリキャラが許せない。二次創作よりも原作側に近いアニメ版でも原作にないキャラが出るのが苦手だ。原作者のつくった世界を壊す行為であり、私の中にできた原作の世界も壊される感覚がある。だから二次創作全般が原作にない物語で好きになれない。
その中でも、人物同士の関係性を自分たちの妄想のために同性愛者にねじ曲げられているBLにはイライラしてしまうみたいだ。
現実にいる人へのカップリングも、もし自分がやられてたら嫌だな(本来の自分と違う認識をされることが嫌)という気持ちと、実在する世界をねじ曲げて認識する感覚への嫌悪感がないまぜになっている。
もし作中で明らかに同性愛者であると明記されていればまだ許せる気がする。同性愛に対しての嫌悪感よりは、原作を壊される感覚への嫌悪感だったみたいだ。
でもオリジナル作品でもBLには嫌悪感を感じてしまうから100%原作破壊由来ではなさそうだけど…。これは同性愛への嫌悪感が原因なんだろうか?『きらきらひかる』とか大好きだし同性愛者が登場人物であること自体はそんなに嫌悪感はないんだが。百合作品にはそういうのを感じないのはなぜだろう。
お気持ち表明でした。
畑中を初めて認識したのは中1の3学期だった。中高一貫の母校では毎年高3送別会として各学年の有志が出し物をするイベントがあった。学年が上がれば各学年のカラーが出てきてそれぞれに工夫を凝らした出し物になるのだが、高3との関係性も薄い中1はたいてい合唱と相場は決まっていた。その合唱の練習にいった多目的ホールで、なんかやけに綺麗な子がいるなと思った。すらりと背が高くて顔が小さくて、鼻筋は高く通っているけど鼻先は少し丸くて親しみがあって、真顔でも口角が上がっている猫のような顔。胸下まである長い髪が静電気で少し膨らんでいた。
いつどのように仲良くなったかはどうしても思い出せない。気が付けば毎日のように畑中と手紙を交換し、イラストの練習をし、力尽きて眠るまで長電話をし、プリクラの新しい落書きを開発し、ハリーポッターの世界に浸り、塾をさぼって何をするでもなく新宿のマクドナルドに居座り、インターネットにハマってブログを開設して高校生ブログランキングでいいとこまで行ったりしていた。私たちはたいていランキング上でも並んでいて、いつも畑中の方が上にいた。高1か高2の球技大会中、早々に負けて残りの2日間ヒマだったのでピアッサーを買いに行って次の日学校の廊下で畑中にピアスを開けてもらった。私はどこにピアスを開けるのがおしゃれかなんて分からなかったし、穴を増やすつもりもなかったので完全に畑中にお任せして場所も決めてもらった。実際にピアスを開けるときよりも畑中がハイテックで耳たぶに位置決めのマークを書いている時の方がなぜか緊張した。畑中はピアスに凝っていて、形がいいと褒められるから右の耳にはもうピアスは開けないんだと言って左耳にばかり穴を増やしていた。
畑中に話していないことは何もなかったし、お互いの人生の登場人物は全員把握していた。高2の時にくだらないことがきっかけで大喧嘩して、喧嘩の勢いでお互い言わなくていいことまで言ってしまった。引っ込みがつかなくなってしばらく初めての別行動をして、一緒に観に行きたかったなって思いながら観たロードオブザリングは全然面白くなかった。後から仲直りして、「ロードオブザリング、一緒に観たかったのに」って言ってくれたときはやっぱりうちら親友だねって思ったよ。
私は畑中が一番の親友だったけど、畑中にはもう何人か細く深い友達がいて、その子たちはみんな学校では少し浮いている性の香りのする女の子たちだった。彼氏が途切れない女バスのギャルグループみたいな男好きするムードとは違い、〇〇ちゃんの彼氏って、社会人らしいよ……と噂が立つタイプの、今にして思えばクラスメイトは幼稚で話が合わなかったんだろうなというような早熟なはぐれ狼と仲が良かった。畑中自身は何人かに告白されこそすれ試しに付き合ってみても全然ピンと来なくて別れる、みたいな感じだったので、畑中は恋愛にあんまり興味ないのかな?なんて思っていた。なんせ畑中は美人だし、そんじょそこらの男が付き合えると思ったら大間違いよ。だから大学に入ってから、予備校の仲良しグループの男の一人と付き合いだしたときは(あんまかっこよくないし背も低いのになぁ)なんて勝手に思っていた。
そうして安心して自分を委ねられる相手ができたことで、畑中のメンヘラの才能が開花した。元から畑中は時間にルーズだったり忘れ物が多かったりルールを無視したりするタイプだったけど(そういうところが私も似てたからお互い遅刻しまくりながら長く付き合っていた部分もある)なんかそういう自分本意で、自分が良ければあとはなんでもいいようなところが加速していた。畑中は受験がうまく行かなくて不本意な大学に通っていたのもあって、大学1年の時はとても不安定だった。でも1年後再受験することに決めて、無事第一志望の大学に合格した。私は畑中の受験が終わるのをすごく楽しみにしていて、受かったらお祝いに一緒に沖縄に行こう!って言って旅行を予約していた。「やっぱり行けない」と言われたのは出発の3日前。うち厳しいし旅行のことも怒られるから言ってない、今更言えない、キャンセル代は払うからと言われて落胆し、怒り、「なんでもっと早く言ってくれなかったの」と詰った。「だって聞く耳持たずって感じだったじゃん。勝手に決めちゃうからさ……」と言われた。私が一人で先走って空回ってただけ。キャンセル代は銀行振り込みだった。さすがにショックだったけど、志望校に受かった畑中は明るさを取り戻し、また魅力的なやつに戻っていたのでなし崩しに今まで通りの付き合いが続いた。
畑中が受かった大学はたまたま私の家の近所にあって、私はその大学で別の友達が立ち上げたサークルの手伝いをしていた。私がグループで集まれる数少ない友人の一人が、とある企画のために入学直後から大変な苦労をして作り上げたサークルだった。畑中はそのサークルに興味を持って入ることになり、美人なのにおちゃらけた性格でもってすぐ溶け込んだようだ。前後関係は忘れたけど、前の彼氏と別れた後はサークルの仲間の一人が恋人になったようだった。その頃私はほとんどそのサークルには関わっていなかったんだけど、そこでまあよくあるサークル内の小競り合いみたいなことに発展し、畑中はサークル創立者の友達と対立して揉めた。泣かせた。その友達からこんなことがあって……と話を聞いている最中、畑中からメールがきた。「今六本木で飲んでるよー!増田もおいでよ!」
ナメられてんな~と思った。私のことも蔑ろにして、私の大事な友達のことまで傷つけるんだ。人が作ったサークルに後からやってきて我が物顔でぶち壊そうとしている。それで呑気に飲んでんの?六本木で?なんかもう限界だった。小さく積み重ねてきた「大切にされていない」という思いがここで臨界点に達し、「私が何も聞いてないとでも思ってる?もう連絡しないで」と返し、メールを受信拒否して連絡先を消した。それから今日に至るまで会っていない。
畑中は小さい頃にママを病気で亡くしている。仕事で忙しいパパと厳格なおばあちゃんに育てられて、畑中はずっと愛が足りなかった。パパには再婚したい相手がいて、多分畑中が学生のうちはやめておこうと思っていたのか籍はいれていなかったけど、その相手の女の人の影がちらつくたびに畑中は不安定になった。中学生の私ですら、畑中にはパパしかいないんだから再婚なんてしないでよと思っていた。畑中はずっと誰かに愛されたかった。そしてそれは私ではだめだったのだ。私が誰より一番畑中が好きだったのに。よく男女の恋愛で「私はあんたのママじゃない」なんて台詞があるけど、私があんたのママだったのに。本当に大好きだったのに、趣味もセンスもあんなに合う友達あれから十何年経ってるけどできないよ。でも時間や決まりごとにルーズすぎて、私との約束も適当に反故にしちゃって、ないがしろに扱っていい相手だって思ってたことが分かってるからもう会えない。大人になった今なら再会しても適度な距離感で付き合えるかもしれないけど、きっとまた同じことで私がキレて終わりなの。畑中の一番にはなれないから。畑中の愛されたいを満たすのは恋愛じゃないとだめで、ただの友達じゃそんなもん満たされなかったのだ。私が畑中が自慢したくなるようなイケてる友達だったらなんか違ってたのかな?眠くて何度も切ろうとした電話を「まだ寝ないで、もっと話そうよ」って言ってきたのはいつも畑中だったじゃん。でも恋じゃないけど愛してたよ。もう一生会いたくないけど、寂しい夜が少ないことを祈ってるよ。
付き合ってる人が居ると判った時点で興味なくなるんだけどwww
たとえば増田さんが、P子さんと付き合ってるとするよね
そのときから増田さんはP子さんの彼氏、と呼ばれるんだよ、わかる?
誰かと付き合った時点で、男子は女子に「付き合ってる子の彼氏」として存在するの。
女子でまともなら、友達やクラスメイトや知人の「彼氏」に気をとられたりするのは損だし、良くないって思われてたと思うよ。
ああ、それが真面目な女子たちの話であり、
クラスメイトなら、同じ歳だと分かっていて、同じことをしていて、同じ空間にいることでお互いの存在を認識していて、敬語だと距離を感じるし、仲良くなりたいのかな?って少しは同情の余地がある
ツイッターだと、そいつのバックグラウンドも年も存在も知らない状態だから、道で見たことない知らん人に話しかけられる感覚に近い
容姿について自信が持てるようになったところで、自分の服装について気にし始めた話。
私は典型的なオタクで、好きなことに使えるだけの時間を全て使ってきた。
自分のことに無頓着で、さらにズボラだから髪は傷みっぱなし、服もしまむらで揃えたセンスの欠片もないものだった。
しかし中学に進学してからは、思春期とはすごいもので、少しずつ容姿を気にしはじめた。一目見て「見るからにオタク」なところから直そうとした。今は「普通の人」ぐらいのところまで来たと思う。
幸いスタイルだけは友人からも褒められていたので維持し、好きなキャラに勇気をもらい、鏡を見ている間は「私はブスじゃない」と自己暗示をすることで、悩みは尽きないし他人から見たらかわいいとは言えない顔だが、容姿に対して極度にネガティブに考えることはほとんど無くなった。
それでも、服装だけは、どうにもならなかった。
母親にずっと趣味が悪いと罵られても何も変えずに生きてきたが、自分でダサさに気づいてからは普通の人になるためにはどうすればいいのか調べた。
これがよく検索結果にでてきた。しかしコーデ全購入するような金と勇気はないし、人に服装のアドバイスができるほど自己肯定感が高くて抜群にセンスがいい親身になってくれる友達など田舎の陰キャオタクにいるはずがない。
その状況でも少しずつ自分の服を買っていったが、合わせる服も力もないから全て無駄に終わる。結局唯一できた自分の中ではマシなものに落ち着く。
それが続き、何か服を買って帰る度、買っても着ないことや趣味の悪い服なことを母親に文句をつけられるようになったので、「どうすればいいか分からない」「コーディネート1式選んで買ってくれ」と言っても、後回しにされてしまった。着たい服と母親に似合うと言われる服が違うので自分では似合うと言われる無意識に買わないのは知っているはずなのに。かといって数少ない心を許す友達に相談しても、みんな自分の服に自信があるわけではないので解決できない。
流行の掴み方も、服の合わせ方も、自分のコーディネートがダサいのかどうか検索しても分からない。理解した頃には次の季節、次の流行になって、時代遅れの服装になる。
そんなことで悩み続けて、ある日ただ地元のスーパーに買い物に行くだけの時、ついに母親に言われた
メガネ選び間違ったね
○○(友人)の方がオシャレ
こんなことを言われた時はメガネを変えて髪を短くしたばかりだった。服に関しては自分でも承知だったが、身近な先生やクラスメイトには褒めて貰えていたので余計に悲しかった。せっかく褒めて貰ったのに。相談しても助けてくれなかったのに……と。友人の方がオシャレだからってまねっこなんてしたら不快にさせるのは間違いないし、根本的な解決にはならない。
最初の二言に耐えられるほどメンタルは強くなく、泣くほど辛かった。私が泣き出してから母親はごめんとは言うものの、母親の歳ではさすがにキツいのではないかと指摘したことを持ち出して保身のような発言をするので助けてくれなかった癖にと恨んだ
その後何とか買い物に行ったが、今までは平気だったのに、急に周りの目も人がいるところにいることも怖くなった。
書いている今でも思い出すと呼吸が乱れる。
スーパーすら怖くなってしまった。これから私はどうすればいい?
母親に責任転嫁している自覚はあるが、何から手をつければいいかわからないし、解決の糸口が掴めない
4月には環境が変わり、何年も一緒にいた周りの友人やクラスメイトはみんなバラバラになる。そこでできるであろう友人に服装で引かれたらどうすればいいのだろうか
腐女子は絵が描ける。
万バズするプロ作家から鉛筆ひょろひょろ描きの小学生まで、何かしら「絵」を出力することができる。
たとえ普段同人小説を書いていても、なんだかんだ人間キャラのひょろひょろの絵を出力できることが多い。
ところが、私はまったく絵が描けない。生まれてこの方20年、人間を描いたことがない。図工の時間からは適当に逃げてきた。先日サークルで絵しりとりをやらされたが、パンダのどこが白くてどこが黒いのかを描くことが出来ず物凄く笑われた。一年くらい経っても「ぶち模様の謎のクマ」として未だにネタにされている。
自分の絵がド下手な自覚はあるし、その絵でいじられること自体は構わない。ただ、話をしていて、どうやら多くの腐女子は「絵しりとりすら満足にできない画力の人間」を知らないらしいことに気がついた。腐女子として生きているうちに多少は人間の絵を描くし、たとえ骨格がぐちゃぐちゃでもそのキャラクターだと伝わるレベルの絵は誰でも生み出せると思っている。毎回「私は絵が下手だから絵のやり取りはしたくないよ」と言っているのに、「そんなこと言って本当は描けるんでしょ?」と返されることが後を絶たない。毎回このぶち模様のクマの絵を送り付けることで「本当に心の底から絵が描けない」ことを証明しているのだが、そろそろ悲しくなってきた。絵が下手だって先に言っているのに、本当に下手な絵を送り付けるとみんな黙るばかりだ。最近は下手だからではなく「絵を描くのが嫌いだからやらないよ」と拒絶することで生き延びている。
どうして「腐女子はみんなそれなりに絵が描ける」という共通認識を持ってしまうのかなぁ。学校のクラスメイトの中で、自分から絵を描く人なんてひと握りだっただろうに。腐女子になったって自分からは絵を描きたくない、許されるなら永遠にROM専でいたい。そんな人だって、Twitterの隅っこで暮らすくらいは許容されてもいいはずだ。
私には友達がいない。
厳密に言えば、どこかに遊びに行ったり、気軽に連絡するような友達がいない。
というかTwitterの会ったことの無いフォロワーがほぼ友達。
現在、二十代後半。
同時に隣県に引っ越した。
現在は育休中で、来年4月から保育園に入れば仕事復帰する予定である。
でもそれを知ってるのは親族を抜かすと、出会った専門学校の元クラスメイト達とフォロワーぐらい。
地元の人は子供どころか、私が結婚したことももう地元にいないことも知らないだろう。
小中高と友達はいたけれど、小中時代は携帯を持っておらず(当時は持ってる人と持ってない人半々ぐらいじゃなかっただろうか)。
高校時代の友達は、卒業前に性格の不一致からもめて卒業と同時に連絡先をほぼ全て消した。
専門学校時代の人とはLINEを通じてかろうじて繋がっているけれど、最後に会ったのは去年の5月だ。
もちろんこの時勢もあるし、今年に入ってからは妊娠も分かってたから仮にコロナが流行ってなかったとしても出ることはなかっただろう。
なんというか、この先まともに顔を合わせるのが夫と子供と会社関係の人、あとは双方の親族ぐらいなんじゃないかと思うと無性に寂しくなる。
友達が欲しくなる。
そのくせ、実際にできると友達関係を維持するための諸費用や時間を用意するのがしんどくなる。
出かけて会って話したら楽しいのが分かってるのに、出かける前は面倒な気持ちでいっぱいになる。
夫と出かける時にはそうは思わないので、なら夫と行けばいいやと思ってしまう。
夫もほぼ同じタイプで実際に会う友達がいないが、10年近くゲームを通じて知り合った友達と通話をしながらゲームをしている。
私もそうやってあれこれ話せる存在が欲しい、羨ましい。
そう思いながらも今日も結局何もせず生きている。
俺が小学生だった1980年台前半、教師が「色付きの夢を見たことがある人、手を挙げて〜」と言ったら教室の何人かが手を挙げた。
夢が現実と同様に色付きカラー総天然色なのは俺にとっては当たり前だった。だから「色付きの夢」という言葉の意味が理解できず、「何?色付きの夢って」と周囲に訊いた。クラスメイトの小学児童達も意味のわからない困惑した表情をしていた。
それを聞いた中年の教師は「ああ、アンタは見たことが無いんだね、色付きの夢を。綺麗だぞ〜アハハハh」と勝ち誇って俺を嘲笑った。
あの時代の中年は子供の頃は白黒テレビだった世代だ。子供の頃に白黒テレビと白黒映画を観て育ったから夢も白黒になってしまったのだろう。哀れな世代だと言えよう。
人の言うてることもすぐに理解できない、いやすぐにじゃなくてまったく理解できない時もある。会話ではなくTwitterやここみたいに文字情報ならなんとか理解できる時もあるがまったくダメなときもある。
暗算も苦手だ。掛け算も7と8の段が詰まる時がある。足し算も昔受けた入社試験にあったクレペリン検査もあまりできなかった(半分くらいか)。ソラで計算できる人は本当に尊敬する。もちろんこの程度だから数学なんてボロボロだった。中学2年くらいからは平気で学年平均を割っていた。
英語もクソで平均60点くらいのテストでも30点と赤点ギリギリだった。比較級で躓いて、ズルズルと落ちていきこの点数になっていた。
なぜか暗記科目の社会と理解は得意だった。この2科目は学年トップクラスが取れた。のちのち有名大学に進学することになるクラスメイトとも話すことができる唯一の科目だった。
さらに運動もダメで音楽もダメ、美術も絵が好きだから人より描いて分評価がマシだっただけでトップクラスにはなれなかった。
もう30だ。
いつまでも稼げない派遣やバイトでフラフラしているわけにもいかない。奇跡的にも嫁をいただくことになり、これからの人生をちゃんと考えるときがきてしまった。
都道府県別の平均年収も下から数えたは方が早いクソみたいな地方ではロクな仕事もない。営業をやって鬱になったと相談しても「男は営業」と脳死のように営業職を押し付けてるハローワーク。しかもいまと変わらない給料。自分が悪いのだが蓄えもほぼない。
ガキの頃ネットで悩んでる30ー40代の書き込みをみて馬鹿にしていたのがいまになって突き刺さっている。
学生時代の勉強のできないというコンプレックスをいまのクソみたいな状況を繋げて勝手に悲観してる頭悪い自分だ。
でもどうにかしたい。助けてほしい。
逆に、中学受験して国立の優秀な中学に入ったものの、厳しすぎる教師やいじめにも満たないようなクラスメイトからのシカトに打ち勝てず近所の公立中学に転校した自分からすると、そうかたまたま選んだ先がハズレだっただけなんだな…というびっくり。
同時にそれを許してくれた親には本当に感謝しかない。あのときどんな気持ちで、受験にどれだけの大金を払って、なのに学校行きたくないと言う私に対して「じゃあ辞める?」って聞いてくれたんだろう。
昔から幼稚園行きたくないと言うとサボろっかと一緒に家で遊んでくれて、学校行きたくないと言うと風邪引いたことにしちゃおっかと電話してデパートに連れて行ってくれた母。やりたいなら好きにすればいいとなんでもやらせてくれた父…
お前もクラスメイトが6人しかいなくて、その中の5人が児童養護施設出身、って環境で幼少期を過ごしてみろ
いきなり同じ屋根の下で暮らしている5人組の中に放り込まれてコミュニケーションをとらなければならず、しかもその5人が全員のちに軽犯罪をやりまくることになるヤンキー気質
そういう環境で育ったのか?お前は
そりゃ引っ込み思案にもなるだろう
都市部で育って、いろんな層の同世代30〜40人から気の合うやつと仲良くなればいい、っていう生ぬるいコミュニケーションで生きてきてねえんだこっちは
粗暴かつバカなやつらの中に異分子として飛び込み、なんとか仲良くしなければならない そういうところでやってきたんだよ
だから「友達と遊びに行く」みたいな概念がないんだ 行きたいと思ったことがないからな
仲良くならなくていいなら誰とも仲良くしたくねえんだ カスみたいなやつばっかりだったからな
幼少期の刷り込みってでけえんだよ
俺にコミュ力がないのはかなり仕方ないと思う
充実した子供時代を送ったであろう人間に「まずは話しかけなきゃ!」なんて言われると本当に殺意が湧きますね
お前もあの小学校で育ってみろ
それで同じことが言えるか?
関東から南米ハーフの半黒人のやつが入ってきたんだが、俺もクラスメイトも彼にチョコボールだのクロンボだの、直球の差別用語を投げつけてた
ただ、あのケースに関しては彼にも非がある
彼はメチャクチャ攻撃的な性格をしていて、かつ的確に人を傷つける悪口が言え、力も強かった
そもそもクッソ荒れてて暴力がモノを言う世界だった公立田舎小学校において、彼は間違いなく最強ユニットだった
それまで最強格だったやつらに瞬間的に並び立ち、俺みたいな雑魚はボコボコにされた
当時俺はデブだったので、鬼のようにデブデブ言われた 軽度知的障害のクラスメイトは、本名を絶妙にマヌケな響きにもじったあだ名で呼ばれまくっていた
そういうところで唯一俺たちがやつにダメージを与えられるのがクロンボ攻撃だったんだよな
俺も相当傷付けられていたので、やつを少しでも傷付け返したいというプリミティブな感情があった
こう書くとちょっと仲がいいようにも見えるが、当時はガチで嫌いだった
でも高校の時に駅前の本屋でばったり出くわしたときは結構友好的に喋れたんだよな 学校どう?とか言ってさ
まあ、ガキってクソだよなあ
差別はやめろ、人種差別的な悪口だけは言ってはいけないなんて散々言われたら、オッそこが弱点か!って思っちゃうんだよ
彼には悪いことをしたと思う
でも俺も彼にかなり自尊心を折られたのは間違いない
ガキってクソだ、ってことだよ、やっぱ