はてなキーワード: いつまでもとは
ファイアーエムブレムでの仲間とのやり取りで
今度鰻を一緒に食べに行きましょう!って言うところ
ああいうの、
ファイアーエムブレムもそうやり込みの時間がないわ。
なんか道具買ったり強化したり御飯食べたりする物語の中の拠点のソラネルで
やることが結構増えてきて
逆にソラネルでの忙しさが目立ってくるわ。
私はどうぶつの森ってやってないけど、
あーこう言う楽しさなんだーって
そんで
あれよ!あれ!
指輪磨き!
そんなんもあんの?って
そんで、
なんかボタン押して強く磨く!ってやると突然「あはん!」とか言うから逆にこっちが恥ずかしいわ!って指輪の人がくすぐったがるから、
こっちが恥ずかしいわ!
私は仲間同士の支援会話とかの
ショートコントとか寸劇が増えると
これはこれで面白く見てみて、
村人に話すのが大嫌いな私だったけど、
こればっかりは絆を深めて戦いを有利にするために必要なのよね。
まあ見ていて面白いけど!
あーこれがファイアーエムブレムなのね。
ってたる所以が分かったところよ。
今は必至に釣りやってるところよ!
新しい食材を手に入れて皆が美味しいと思う食べ物で料理を作ってもらうの!
食パン焼いたトーストを仲間と食べているシュールな光景は面白いけど
しっかりと精のつくものを食べて頑張って欲しいじゃない!
そうやって食材をせっせと蓄えて釣ってきたり拾ってきたりする神竜様って健気ーって思いながら、
小さい魚しか釣れなくてーってところなのよね。
そんな話は尽きないのだけれど、
そろそろまた戻って真面目に仕事をするわ。
そんで早く終わらせてまた釣りするの!
それはそれで、
いろいろいちから作るのが面倒くさいのでって思っちゃいそうだけど、
ファイアーエムブレムがなんかどうぶつの森じみてきている感じがしないでも無くは無いかなーって思うのよね。
まあそんな感じかしら。
うふふ。
ヒーコーだけでいっかー!って感じね。
起き抜けに普通の素ウォーラーを飲むのが冷えたのが美味しく感じる寝起きだけど
しゅわしゅわの爽快感よ!
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
増田みたいにぴえん🥺する人の相手が面倒だから覚えられるに越したことはない
強いて無理矢理メリット探すとするならば、嫌なやつの顔をいつまでも覚えているってのは無いし
めっちゃどうでもいいので
日本人で女性だったなら乳鷲掴みしたことを反省して、素直に韓国人の言うことを聞いてればいいんだよ
私たちはそういうことをしないアピが一番ムカつくってわかってるでしょ
ぼる塾の酒寄希望さんを知っているだろうか。
メディアに良く出ているぼる塾は3人だけど、ぼる塾にはもう1人、酒寄さんというメンバーがいる。
酒寄さんには息子さんがいて育児休業中だったけれど、最近では一部の劇場に復帰し、執筆活動をしたり、ぼる塾のYouTubeに出演したりしている。
私は自分が出産するまで、「酒寄さん育休中って言うけど、期間長くない?」と思っていた。
私が勤めている会社では、大体1年で復帰する人ばかりだったからだ。中には数ヶ月で復帰する猛者もいた。
だからなんとなく私も、子どもを産んだ後は1年で復帰して、まぁ時短にはなるかもしれないけれどあとは元に戻ると思っていた。
いや、無理だ。
まだ育休中の身ながら実感している。
元に戻るなんて無理だ。
習い事の先生には「育児が落ち着いたらまた通いたいです」なんて話をしていた。
いや、落ち着くのっていつだ。
子どもは産んで終わりじゃない。
そんなことわかっていた筈なのにわかっていなかった。
保育園に通わせたって、仕事終わりに迎えに行かなきゃいけない。小学生になったって同じことだ。
育休中の今、旦那さんや母に預かってもらっても、歯医者に行くのがやっとだ。
ここで漸く酒寄さんのことにいきつく。
私はぼる塾が好きで、妊娠中も出産後もよくぼる塾のYouTubeや、出演したテレビ番組を観ていた。先日酒寄さんが出版された本のイベントも観た。
酒寄さんはこのいつまでも終わらない育児の合間に、ネタを考えたり、連載を執筆したり、挙げ句に今は舞台にも立っている。
凄すぎる。
YouTubeにも出ているし、中でも田辺さんと酒寄さんのラジオ「田辺の和室」ではずっと小気味良いトークを繰り広げている。
すごすぎる。
更に更に酒寄さんは、よくぼる塾のメンバーとLINEでメッセージを交わして、精神的支柱にもなっている。
いや、すごい。
子ども1人抱えていっぱいいっぱいになっている私には途方もない仕事量に思えた。
先日、酒寄さんがSNSにある呟きをしていた。
その前からこの文章を書きたいと思っていたんだけど、今こそ誰かに伝えたくなって実際に書き出してしまった。
ぼる塾の酒寄さんはすごかった。
今も現在進行系ですごかった。
なんて言ったらいいんだろう?
これってまずさぁ、最初の私の自己紹介で片耳が悪いから、必ずこちら側から話しかけてね、って言ったの覚えてない、ってことだよね?その後も同じこと、あなたに対して何回か言ってるんだけど、それも覚えてない?あなた以外の人はちゃんと配慮してくれているのも、ひょっとして全然わかってなかった?
あなたが話しかけてる方向からじゃ全然聞こえないし、反応できないの。まあ忙しそうにしてるし、私に関心ないんだなぁ、何度もわざわざ言わなくていいか、くらいだったんだよ、最初は。
でも仕事面でもそうだよね、先輩がせっかく何回も丁寧に教えていること当たり前みたいに忘れるし、それ指摘すると、ハッタリっていうかすぐ言い訳するでしょう?全然反省しない人だと思われてるよ。
こんな所で言うのもなんだけど、正直、社会でほとんどの人が出来ることをいつまでも出来ない人って、切り捨てられても仕方ないと思うんだよね。
私と彼女の不仲(というのは正直とても不本意)はもはや有名で、皆が色々なことを言う。嫌だね、とか何でそんな意地悪なことするんだろうねと共感し、励ましてくれるのはとても嬉しい。一方で、彼女は子どもだから仕方ない、好き嫌いをはっきり分けるタイプなんだよと言われると、私はたちまち分からなくなる。
いやーそんな話、誰としてんの?職場で浮いてるの絶対あんたの方じゃん。自分が避けられて味方がいないからって、バーチャルで味方を作って逃げるな。現実と向き合え。
ていうか、信頼できる上司も仕事上必要なコミュニケーションで慰めてくれてただけだよ?
グループLINEで、その上司が「自分がコミュニケーション取れてないのに、挨拶返されないからってブチギレてるの見て、うわ、怖ってなる」って言ってたの知らないの?
全然信頼できない上司じゃん、さすがに人を見る目なさすぎるんじゃない?
それを取り払ってからなんだわ。
大体私たちがやってる業務って、ただの「作業」でしょ?職場の雰囲気をよくする交流が出来て、初めて「仕事」なの、会社に来たら、ちゃんと「仕事」しようよ?
…まあ、この増田自体が全部私の勘違いかもしれんし、明日真正面から向き合って、直接言ってくれたら聞くわ。
(無視されてるって、こういうのこそ普通さぁ、友達に愚痴っておしまいなんじゃないの?友達いないから、こんなところに自分の気持ちを書けるんだろうね、3連休出かけたりせずに?かわいそう。)
職場の人に嫌われている。
と言っても、悪質な嫌がらせをされたり暴力を振るわれたりはしていない。ただひたすら、何年間も、一人の女性に徹頭徹尾無視されている。
きっかけが何だったのかは未だに全く分からない。あれ?と思った時にはもう完全に嫌われた後だった。その間およそ出会ってわずか3ヶ月。ランチに行くとか飲みに行くとか、そういう暇もないうちに、態度が異様に冷たくなって、挨拶をしても無視されて、仕事の話をしようと近付いたなら、あと一歩のところで突然受話器を手に取って、他部署に電話をかけ始める。書類を持っていってもPC画面を凝視したまま完全無視。たまたま同じタイミングで出口に向かってしまったときは、くるりと踵を返された。
同じドアすら使いたくないほどの憎しみを私はこれまで他人に抱いたことがない。ましてや出会って3ヶ月、何が好きとか嫌いとか、どこに住んでてどんな人生を送ってきたのか何一つ聞きも話しもしないまま、どうしてそんなに嫌うのか、理解することができなくて。何かの間違いかもしれないと、会えば挨拶を続けたが、他の誰にも向けないような冷たい顔でただひたすらに無視を続ける人間に対峙するのはまあしんどい。詳細はもはや書ききれないが、会うたびに、ああこの人は本当に私が嫌いなんだなとつくづく思い知らされた。
とはいえそこは職場であって。仕事上、必要とされるコミュニケーションすらままならないので、信頼できる上司に相談してみたら、彼女はそういう人だから。あなたはあなたのままでいい。挨拶も無理してしなくていいんだよ、と慰められる羽目になり。いつのまにか彼女に用があるときは、私の代わりに別の人間が対応するのが普通になって、私ももう、すれ違っても挨拶することをやめた。
私と彼女の不仲(というのは正直とても不本意)はもはや有名で、皆が色々なことを言う。嫌だね、とか何でそんな意地悪なことするんだろうねと共感し、励ましてくれるのはとても嬉しい。一方で、彼女は子どもだから仕方ない、好き嫌いをはっきり分けるタイプなんだよと言われると、私はたちまち分からなくなる。
嫌いな人とは話したくないし顔も見たくない。
それが許されるのって、せめて高校生までじゃないですか?
ただ同じ職場になっただけの人なのに。
私にも毎日があって、気持ちの浮き沈みがあって、嫌われたら悲しいし、挨拶を無視されたらつらい。嫌な気持ちが澱みたいに心のなかに積み重なって、少しずつ少しずつ、毎日すり減っていくよ。生きてたら、誰かに対して嫌だなって思うことはもちろんある。でもそれは、よっぽどのことでない限り、心の中でそっと沈めて生きていくのが普通だって思ってた。今日こんなことがあってさぁって自分の家族や友達にちょっと愚痴ってそれでおしまい。会えば普通に挨拶するし、その他大勢の一人として日常に紛れ込んでいく。
そういう社会での営みを越えて、顔に出さなきゃ、挨拶を無視でもしなきゃやってられんほど私のことが嫌いなら、どうか理由を教えてほしい。もし本当に私が何か気づかないままひどいことを言ってしまっていたのなら、心から謝りたいと思う。だってもはや普通じゃない。出会って何年も経ったのに、その間まったく言葉を交わしていないのに、あなたはいまだに私が嫌い。色々な仕事を任されて、色々な人脈が広がって、お互い立派な社会人になれたのに、いつまでもそこだけがいびつ。
これまでも、夢の中で何度も何度も喧嘩した。なんでそんな態度なの?!と彼女に詰め寄って、日頃の鬱憤を晴らすみたいにタコ殴りにしたこともある。あの時はなんであんな態度だったの?やばかったよねと和解しきって笑っていたこともある。
でも現実はこれっぽっちも変わらない。私の挨拶に彼女は決して返事をしないし、他の人と話すみたいに大きな声で楽しい口調で私に話しかけてくることもない。ただひたすら、どこまでも冷たい表情で私の横をずかずかと通りすぎていく。
生きてきて、こんなに長く、こんなに深く誰かに嫌われたことが無いからどうしたらいいか分からない。和解できたら最高だけど、それはきっと無理だから、せめて自分が気にしないようになりたい。でも本当はずっと聞いてみたい。何があったの?何でずっと無視するの?言いたいことがあるならちゃんと聞くから教えてよって言ってみたい。でも多分、もはやそういう話じゃないのも分かってる。ただただ、お互い毎日嫌な思いで生きていくしかないんだろうね。
もし彼女がこれを読んだなら、きっと自分のことだと分かるだろう。そしたらぜひ教えてほしい。
答え合わせをさせてください。
お願いします。
8/14 追記
たくさんのコメントをいただきありがとうございました。私が執着しすぎというご意見、もっともだと思います。路傍の石だと思いたいけど、どうしてもうまくできなくて。和解できたら(毎日快適なのになあ)という思いをいつまで経っても諦めきれない図々しさが原因なんだと思います。
どうしても分かり合えない人はいる、という旨のコメントを読み、なんだか腑に落ちました。色々と思い悩んでも全く意味がなさそうなので、日々淡々と然るべき時に備えたいと思います。
しんどさと悔しさを汲み取って励ましてくれた方、対処法や考え方を教えてくれた方、原因を考えてくれた方、文体が好きだと言ってくれた方、本当にありがとうございました。あたたかいお言葉の数々がとても嬉しかったです。
私と同じ境遇にある皆が、周囲に守られ、あるいは独自の反撃法で、今日を快適に過ごせるよう心から応援しています。
※再追記:元増田としてコメントもしましたが『職場の人を嫌っている』を書いた方は、まず間違いなく私の意図する相手ではありません。追記が遅れ、混乱を招いてすみません。色々と思うところはありますが、個人的に職場では、社会人ならフラットに、ビジネスライクでいきたいですね。お互いに。
オタク自身が差別されていることを有り難く受け入れている現状だと難しいだろう。
「俺はオタクのろくでなしだからしょうがないんだ」といじけることで生来のハッタショ要素を許されようとしているロクデナシだらけだ。
オタクであっても清潔にしていれば社会に受け入れてもらえるって話にしても「じゃあなんで汗まみれのサッカー部がモテるんだ!おかしいだろ!」って暴れだすのがオタクじゃないか。
野球部の人間が問題を起こしている報道が何度行われても、その学校がその世代だけ出場停止になるだけで甲子園は教育に良い効果があるからと何十年も続いてるじゃないか。
何故か分かるかい?
野球部の人間は社会に媚びるためにちゃんと頭を丸めて、必死に頑張っていますよ感を出しているからだ。
オタクはそういうことをしないだろう?
ネイティブアメリカンのように同和利権的なことをしている連中と手を組んででも地位を向上させようとしたのか?
ようやく政権与党に食い込んだ赤松健を「自民党に尻尾を振った裏切り者」と石を投げているような、脊髄反射オンリーで生きる虫けらのような1BIT脳を改めない限りは、君の夢見るような作品が生まれることはないだろうね。
科博クラファンではてな民が科博への税金注入が足りないと言っているがこれは間違い
突然はてな民は税金注入を銀の弾丸のごとく言っているが、お前ら安易な税金注入は腐り利権の温床になるっていつも言ってるだろ
オリンピック、万博、こんだけ催事やハコモノに税金ぶっこんで関係者に金配ってなんかいいことあったかね?
日本では、一度キャリアのレールから外れると戻ることのできない社会。
そして選挙に立候補するには、会社を辞めるなどして、そのレールから外れないといけない。
そして会社を辞めて選挙に出て、そして選挙に落ちたらたちまち無職。再就職などとても望めない。
従って、選挙に立候補するのはこういうレールから外れた人しかいない。すなわち社会不適合者だ。
彼らは自分がレールを外れたのは政治のせいで、政治を変えれば自分の人生もうまくいくと思っている。
それで政治家になろうとしている。
しかしそれは政治のせいではなく、ただただ自分のせいだ。自分のせいなのに、それを政治のせいにしている。
こういう社会不適合者しか政治家になれないシステムで、政治や社会が良くなるわけがない。
保育園落ちた!日本死ね! → 世間的知名度が最も高いはてなミーム。日本が嫌いなのに日本を出ていかない人達や、日本を出ていったはずなのにいつまでも日本のサイトで日本の文句を言っている人だらけのはてなを象徴する言葉。日本を変えるために粛々と努力をする気もなく、ただひたすらに自分以外の誰かが全て悪いことにして全否定の言葉を浴びせることでマウントを取った気になる姿はまさにはてな。
低能 → 日本死ね!の次に有名なはてなの大事件。レスバの果てに人を殺したことがあるかどうかはコミュニティの治安を決定づける重要なバロメーター。LoLやガンダムオンラインなどの超有名治安最悪ゲーとソレ以外の低治安有名ゲーを分ける最後の分水嶺がココにある。その一線を越えてしまったことの重責は重く、この事件を境に手斧礼賛の流れははてなの少数派となり、新たなるはてなへの道が始まったのである。
ʕ•̫͡•ʕ•̫͡•ʔ•̫͡•ʔ•̫͡•ʕ•̫͡•ʔ•̫͡•ʕ•̫͡•ʕ•̫͡•ʔ•̫͡•ʔ → 治安悪化と自浄作用のバランスを見失い散り散りになりかけたはてなーを再び一つにまとまった英雄的ミーム。なんの建設性もない行為を続けることこそがはてなであるという便所の落書き宣言によって、運営をユーザーの共通の敵とすることが決定づけられた。管理者階級は敵であるという未就学児童レベルのメンタリティはまさにはてなそのものであり、現在のはてながどういうサイトであるかがよく分かるミームである。
言及先が完全に引用記事の内容を曲解しているのでなんちゃってコミュニティノートとしてエビデンスをつけて読者に注意喚起する。
Aがこのエントリの言及先で、AはBを引用してBについて書いている体で全く関係のない内容を書いている。
Bは個人のブログでCを引用してCについて理由を考察している。Cは消えてるので魚拓から最新を取得している。
まず、BとCの流れをざっくり要約する。
Cでは30歳になったばかりの増田が高齢者のオタク差別が異常だと書いている。ただし、差別しているのは40~60代と思しき人としてオタクに限定していない
Bでは、差別される側であるブログ主が『「自分はオタクだけど」と断って非難する』理由を考察し、オタクを見下すことを非難している
これを踏まえてA増田を読み解く。A増田は以下のように記述している。
意見が違う部分はブコメでコメントされてもいる「今の(若い)「オタク」と従来の「オタク」は違う層であり、混同するとズレが生じる」という所。
私もこのブコメに同意で、そもそも今の「オタク」とオタクを見下し批判している高齢オタクは全然層が違う。だから本当はこれは「同族嫌悪」ではない、そもそも同族ではないから。
この人結局対立炎上商法に走り始めちゃったか。こないだはてブでも話題になってたように、今世間に受け入れられてる「オタク」はそもそも従来のオタクと違う層なのに混同してるからズレが出てるんだと思っている。
ブコメもA増田もBを全く理解していない。Bは現在のオタクと従来のオタクは違うものと明確に分けており、批判対象を従来のオタクに絞っている。A増田は不一致点として「今の(若い)「オタク」と従来の「オタク」は違う層であり、混同するとズレが生じる」という点を挙げているが、Bでは宮崎駿や第一世代の庵野秀明をプレオタク世代として、彼らの世代にあったオタク差別を背景とした従来オタクの階層意識を批判対象としCの理由と説いている。混同など全くしていない。
さらに全く逆の層を従来のオタクにすり替えている上にテーマが全く変わっている。
BやCが従来のオタクとしているのは表現規制を支持するフェミニズム、すなわちミサンドリー側である。ブログBの題名を見たら明白である。萌え批判や表現規制、統一協会と関わりがあると発言しているのは専らこのタイプである。以下、それぞれC、Bからの引用。
Twitterではオタクでありながら表現規制に賛成し、「萌えオタク」を過激に非難する人々が散見されるが、その背景にあるのもこのような階級思想である。
必要ならid付きでブコメを引用するが、端的に言えば、BやCが差別する高齢オタクと批判しているのはA増田のようなミサンドリーでありA増田が言及しているのとは真逆の層である。その上で、「高齢オタクの異常な同族嫌悪はもうやめよう、若いオタク達の為に」という題名をつけながら全く関係のないフェミニズムの話を主題に据えている
AはBやCを全く踏まえていないどころか完全に曲解して独りよがりの持論を展開しているものである。
ブログBについて、若干記載不足による誤解を生む危険があるので追記する。
本エントリでは、”BやCが差別する高齢オタクと批判しているのはA増田のようなミサンドリーであり”と記載しているが、Bが批判しているのは、「立派」で「まとも」ではないオタクを見下すオタク内ヒエラルキー思想をもったオタクである。その例として表現規制を支持して萌えオタクを過激に非難する人を挙げている。フェミニストと称するミサンドリーはまさにその典型例だがBが批判する対象の全てではなく一部である。
普段はエスカレーターや階段を使うが、今日は荷物が多く重かったのでエレベーターに乗ることにした
自分以外にも待ってる人は何人かいたが、3つあるエレベーターはどれも他の階にあり、少し待っているとそのうちの1つが降りてきた
親と下の子はすぐに降りたが、小学校の中〜高学年くらいの上の子がなぜか降りない
他の2つが降りてこないので、その子が降りてくれないとこちらは困るのだが、その子はエレベーターのボタンのあるところで何かしていて降りてこない
一体何なんだろうなと思っていると漸くその子が降りた、と同時に閉まるエレベーターの扉
自分を含めて乗るのを待っていた人たちは誰も乗れないまま、無人のエレベーターだけが上階へと動き出していった
あの子のしたことは多分イタズラなんだろうが、あの子の親は子供がいつまでも降りないのに呼びかけたりはしなかったし、他人を困らせるようなことをしていても注意をしたり諌めたりもしなかった
子供がしょうもないイタズラをすることはあっても、それに困らされる以上に親の無責任な振る舞いの方に呆れと怒りを感じた
それから自分たちがエレベーターに乗れず、別のエレベーターに乗るまでの間、この親子連れはなぜか乗り損ねた人たちの後ろに留まってジーッとこちらを眺めていた(エレベーターの乗降口に写り込んでいて丸わかりだった)のはただただ気味が悪かった
(追記)
Q 開けるボタンだったのでは?
A 可能性はゼロじゃないがいつまでも降りてこない理由がわからない
Q なぜ↑押してないの?
A 3つあるエレベーターが上階にあったから↑押して降りてくるの待ってたら上記の親子連れに遭遇した。書き方が伝わりにくくてごめん。建物自体が古いからセンサーとかはついてないと思う
初めて。
Twitterでは祝福の声で溢れ、誰が見てもめでたいことはわかってた。
けれども、本当に「おめでとう」と言えなかった。
でもなんで素直におめでとうと思えなかったんだろうと、色々思っていたけどこれまで吐き出していなかった感情を一旦全部整理しようと思ってコレを書いている。
明確な答えを出せるとは思ってないけど取り急ぎ感情の波が収まる前に書きつけておかないと多分忘れちゃう。
もしまた思い出したら追加で書いたりするかも。
追加:羽生さんのこと基本全部フルネーム表記してますが、ほぼ彼が「羽生結弦」という概念になってると思ってるので敢えてこの表記にしてます。
報告の当日から何日もかけて、ちまちま思い出したことからぶつ切りで書いてるから話の前後やその時の情緒も語気も滅茶苦茶。
読み手のことを考えてる文章じゃないからかなり読みにくいが、同じように心の底から喜べずに悲しんでる人へ向けて「世の中に少なくとも1人、私がおるで」というための日記。
心から祝えない中、無理に喜ぶフリすると後から反動で呪いの言葉吐いてしまいそうだったから真剣に落ち込んでみた。
ちなみに、私はスケートという概念と結婚したと思って正気を保っているので、ここから先はレディーガガの「marry the night」をお勧めします。是非聞いてね。
約10年。
20年ちょっと生きてる人間にとっての10年なんて人生の半分なんよねぇ。
まあいいや。
初めて見たのはアイスショーで踊ってたツィゴイネルワイゼンだった。
元々親がスケート好きでたまにショーを見に行ってた事もあり、自分も連れて行ってもらったのが始まりだったと思う。
当時は荒川さんや浅田さんの影響も大きく、女子の花形競技って感じで。男子はそんなに目立った感じじゃなかった。
(幼稚園生の時よくイナバウワーして遊んでたのでスケートといえば男子<女子だった)
小学生の自分にとって、それまで見たことないタイプの名前が電光掲示板に出ていたのは新鮮で「なんて読むねん」と思いながらぼんやりと見ていた。
なにより今では想像できない踊りで。
まぁ簡潔にいうと「何をしてるんだ…?」と聞きたくなるくらいすっ転びまくっていた。
(何年のやつか思い出せないけど知ってる方も多いと思う)
自分の私生活が忙しくて少し離れてる間にすっ転びまくっていた少年が五輪金メダリストに変化していた。
何度も何度もソチ五輪の映像を反芻して、居ても立っても居られなくなった私と母はそのまま3月のワールドに行った。
(このワールドのsp、滑り出しの直前に「ゆづ〜!愛してるゥ〜!」という複数人による謎の掛け声があり会場全体が変な空気になったんだよな、カスゴミ客は◯んでくれ。)
その後はとんとん拍子で転がり落ちるように沼にハマりファンになった。
全部は長いから書けんけど、常に「羽生結弦」という男は自分にとって輝ける一等星というか。
第一印象がすっ転びワイゼンだったことも大きく、自分がまだ中学生でこれからなんでもできるという時期だったこともあって「彼のように努力すればここまで上り詰めることができるんだ」というある種の指標になっていたんだと思う。
羨望とかそういうのひっくるめて、こんなに頑張ってる人がいるのに、自分の体たらくはなんなんだろうかと考えるそういう感じ。
中学→高校は私生活と勉強で色々両立することがあって大きな変化はなかったけど、やっぱり「羽生結弦」はいつも生活の側にあった。
普通に肩こり酷い人間だったから、黒と青のファイテン常に付けてた。これ可愛いよね。
母の彼への入れ込み方が激しくなってきたことがあって、若干嫌悪感を持つ時期があった。
詳細は省くけども、
ひねもす掲示板に張り付いて有る事無い事、噂やファン同士の諍い…望んでもないのに大量の情報を聞かされ、注入される感覚はあまりにも不快で気がついたら「憧れ」から「実の娘である私よりも母の気を引く邪魔な存在」にもなっていた。
中国杯の後に増えたファンや民度の悪さとかに嫌気が差していたり、自分の勉強の方とかで精神的に追い詰められていた部分もあったから単純な話ではないのだけれど。
その頃自分は大学受験に際して、部活のように取り組んでいた習い事を辞めていた。
スケートは完璧、勉強もできる「羽生結弦」を横目に「ああ自分は彼のようにはなれんのだなぁ」と失望してた。
また当時自分は家庭環境が最悪になっており家を出ることが目標だった。
家を出るためには親が納得するき足るだけの学力とそれだけの大学でないと説得できないと思ったこと、羽生結弦という男が育った街が知りたくて仙台の大学を選んだ。
他に行きたい場所もなかったから、仙台に行くと決めてからはわりとすんなりと勉強ができた覚え。
羽生結弦は過去にananの表紙を飾っていたが、意味のわからんクソナガ茶色マフラーを巻いてるポスターを机の前に飾ってた。
今なおよくわからん長ェマフラーをしてたのかは謎(調べると画像が出てくるから暇だったら見て)
どう考えても勉強する環境ではないが、サボろうとしても前向けばあの眼光だから監視してもらう感じで。
話がズレたな。
平昌五輪も差し迫り、母は現地で見たいと切望したものの、それまでの家事を疎かにする姿を見ていて誰がそれを応援しようと思ったか。
当然家族全員反対した。
今思えば行っておいでと言えば良かったかもしれないが、私からしてみれば娘の受験よりも「羽生結弦」が優先なんだ、へぇ〜(笑)って感じだったし。
そんなこんなしてるうちに羽生結弦はサラリと2連覇。そこからまたファンが増え、シーズンオフのアイスショーでも変なファンが増えたことでさらに嫌気が差していた。
どこかのアイスショーだったか忘れたんだけど、トイレ行ってる間にババアが「ゆづのパンツが」とか会話で盛り上がってるの聞いて気分良いわけないからな。
あとアレな、アイリンの奥にある待合室の椅子全部、一つ一つに座っていたババア。この手のファン自称してる変な人たちも気持ち悪いから消えて欲しい。
無事進学が決まったことで家を出て、一人暮らしと同時に意識的にスケート界隈を視界に入れないようにし始めた。
ここで一回離れたのが良かったのか悪かったのか。国際センター、仙台駅の本屋、仙台地下鉄のポスター…
競技を追わずとも、さまざまなところで羽生結弦という男を目にして、その度にこの男を見て自分はこの土地までやってきたんだと思い出していた。
また話ズレるけど仙台大好き。
故郷よりも好き。
都会なのに緑が多くて気持ちがいいんよね。
就職を契機に都内へきてしまったから仙台を離れてしまったけど、はよ仙台戻りたい。
私は川が大好きなので死後、私の遺骨は広瀬川に撒いてくれと常日頃言ってます。
大好きだ仙台。
話を戻そう。
とはいえ、Twitterでこれ見よがしに呟いてるファンは正直気持ち悪かったし、自分も同じようになりたくなかったからTwitterでは鍵開けて呟くこともしなかった。そもそも、羽生sageがひどい中、どれだけ擁護しようとも「羽生ファンガー」「ユヅリスト笑」と言われるんだから俺たちにできんのは「沈黙」だけだろ。
(ここでクラピカの顔が出てきたやつはツイカスかハンターオタだから前者はツイカスであること自覚して生きような)
TwitterじゃなくてX?
そんなこんなでたまに目にしたり、アイショー見たりとかするくらいまではしてもシーズン中全部追うみたいな生活を2.3年せずにいたら北京五輪になってた。
数年まともに追っかけていなかった間に、さらにスケーティング技術が向上してる様を見てやっぱり努力の人で憧れなんだよなと再認識した。
FPの朝。
雪がしんしんと降り積もる中、大崎八幡宮に4A祈願へ向かった。
FP前日に事実無根の記事が大量に出回っているのを見て「4年経ってもこんな記事を書いて彼を貶めようと必死なんだ」と辛い思いしたな。
何年経っても彼を取り巻く環境は良くなるところか酷くなる一方なんだなぁと。
タイミング忘れちゃったんだけど、いつかのシーズンで本人が死のうと考えたみたいなこと言ってたのを時折思い出して。
それを考えると結婚したいと思える人と出会えたことはなんて素晴らしいことなんだろうと素直に言えるんだけども。
そんなこんなしてたらあれよあれよと時間が過ぎて、引退かと思ったらプロ転向へ。
前々から引退したらどうしようと思っていたところ、最高の「答え」をお出しされて悲しむことも落ち込むこともなくて嬉しかった。
男子のスケートにハマった理由に、彼らが命を燃やして戦うあの会場の空気が好きだったこともあって、その覇気がなくなったのは些か寂しい気持ちもあったけど。
ここまで色々自分の話をまとめてしまったけれど、ここからはプロ転向後の個人的にモヤった点をいくつかまとめておく。
みんなのライトで投票して踊るプログラムを決めるってやつでさ、
最初の方はみんな悲愴が多かった覚え(多分水色と青色が似ててそう見えただけの部分もある)なんだけど選ばず他のプロ踊って。
数日間ある中でも最後の日に、悲愴は思い入れがあるからと踊って。
じゃあ最初からリクエストの選択肢から悲愴外してよかったんじゃね?になったけど。
あともう一個個人的に許せなかったのが阿修羅ちゃんだっけ、adoの曲使ったやつ。
adoなんて過去にネットで活動してた人をアンチで自殺未遂まで追い込んでたわけじゃん。
そんないじめていた側の人間の音楽を使うという事実を受け止められなかったんですわ。
giftとか、お礼に〜って内容なのにそこで使うのが「あの」「ado」ですか(笑)っていう。
いつまでも過去の話を蒸し返すなと言われるかもしれないけど、散々sage記事やアンチに酷い目に遭わされてた羽生結弦がソイツの楽曲使うってグロくない?
この辺から自分の思ってた羽生結弦像から乖離が起きてるのを感じていた。
まぁ自分が合わなくなっていっただけだけど。
notte stellata3/11に現地参加してたんだけど、中国のファンか知らんが明らかに場にそぐわない掛け声すんのやめてほしい。
こちとら鎮魂なり祈り、そこからの希望とか再生を意味するショーだと思っているのにそこで「あいしてる」なんてでかい掛け声は耳障りなだけなんよ。
最近見なくなったけど貞子みたいなストーカーも、アイスショー千秋楽必ずセンター1列目の変な女も邪魔。
そもそもフィギュアスケートというスポーツのあり方自体も異質だよね。
プロではなくてアマチュアの方が技量が上、大会などに出場して集客してと見せ物のようになるのがアマチュアの方なん。
ただそのスポーツが好きというだけで始めた人間が、上手くなればなるほどよく分からない人たちの目に晒される環境にあって、
アスリートなのにアイドルのような消費の仕方/され方してるのがな…高校野球だけ謎に神聖視されてるのと似てる?
アイドルは最初からそういう売り出し方をするからいいが、スポーツは違うじゃん。
好きで始めただけなの晒されて人格に難癖つけられてとかね。
世知辛いわね〜
まぁそんなこんなで、勝手に理想像を求めてる俺みたいな人間は鈴の言葉でも反芻して生きような↓
すごい、馬鹿みたい。
ほんと馬鹿みたい。
みんな勝手に期待して、陽子自体のことなんて考えてもみないで。
Twitterとか世間では祝福の言葉ばかり目について、悲しむような人を見つけられなかった。
その様子を目の当たりにして、素直に喜べなかった自分の心の醜さに打ちひしがれてしまったし、周りのその「潔白」な態度に吐き気を催した。
だってさ…
今まで彼が「スケートを想って滑ってる」と思いながら見てた演技が「誰か特定の人に対しての感情を含みながら滑っていた」とかだったら悲しくない?
悲しくない?そう…俺が捻くれてるだけやね。
まぁそら遠くからお金落としてるだけのファンと、近くで辛い時支えてくれた人ならそっち好きになるのは当然だしね。
羽生結弦のファンであるなら、ファンもどこまでも清く、正しく、美しくあるべきところ私はそうできなかった。
私と同じように思っていても、表向き発信してない人が多くいると思うし。
私みたいな人も同じようにいるんだと知って、1人でも救われれば良いなと思って今回ここまでちゃんと自分の気持ちを書いた。
これは関係ない話だけど、Twitterで「羽生結弦と結婚したのは俺?!俺!ole!」言うてる人の見て元気出たよ、ありがとう。
どんなに切望しても普通には得ることが叶わない、スケートの神に愛された男が、スケート以外に愛する存在を見つけてしまった事実が悲しかった。
ただ、ただ、悲しかったんだと思う。
踏みつけても立ち上がるたんぽぽのように。
どんな場所でも美しく在る男の姿が。
そんな1人の男が好きだったな。
報道翌日に体を引き摺りながら仙台へ行って七夕祭り楽しんできたけど、また今度仙台行ってご祝儀代わりにお金落としてくるわ。
次はヒカペ目標で。
じゃ。
追記:
報告直後におめでとうと言ってた周りの人ほど今更落ち込んでる。最初に落ち込んでた俺の方がいま元気なの見るに、やっぱり無理するの良くねぇンだな〜に。
Twitterで羽生関係を全部ミュートにしててしばらく見てないけど、羽生結弦に限らずオタクは全員キモいから自覚して生きような。
初めて。
Twitterでは祝福の声で溢れ、誰が見てもめでたいことはわかってた。
けれども、本当に「おめでとう」と言えなかった。
でもなんで素直におめでとうと思えなかったんだろうと、色々思っていたけどこれまで吐き出していなかった感情を一旦全部整理しようと思ってコレを書いている。
明確な答えを出せるとは思ってないけど取り急ぎ感情の波が収まる前に書きつけておかないと多分忘れちゃう。
もしまた思い出したら追加で書いたりするかも。
報告の当日から何日もかけて、ちまちま思い出したことからぶつ切りで書いてるから話の前後やその時の情緒も語気も滅茶苦茶。
読み手のことを考えてる文章じゃないからかなり読みにくいが、同じように心の底から喜べずに悲しんでる人へ向けて「世の中に少なくとも1人、私がおるで」というための日記。
心から祝えない中、無理に喜ぶフリすると後から反動で呪いの言葉吐いてしまいそうだったから真剣に落ち込んでみた。
ちなみに、私はスケートという概念と結婚したと思って正気を保っているので、ここから先はレディーガガの「marry the night」をお勧めします。是非聞いてね。
約10年。
20年ちょっと生きてる人間にとっての10年なんて人生の半分なんよねぇ。
まあいいや。
初めて見たのはアイスショーで踊ってたツィゴイネルワイゼンだった。
元々親がスケート好きでたまにショーを見に行ってた事もあり、自分も連れて行ってもらったのが始まりだったと思う。
当時は荒川さんや浅田さんの影響も大きく、女子の花形競技って感じで。男子はそんなに目立った感じじゃなかった。
(幼稚園生の時よくイナバウワーして遊んでたのでスケートといえば男子<女子だった)
小学生の自分にとって、それまで見たことないタイプの名前が電光掲示板に出ていたのは新鮮で「なんで読むねん」と思いながらぼんやりと見ていた。
なにより今では想像できない踊りで。
まぁ簡潔にいうと「何をしてるんだ…?」と聞きたくなるくらいすっ転びまくっていた。
(何年のやつか思い出せないけど知ってる方も多いと思う)
自分の私生活が忙しくて少し離れてる間にすっ転びまくっていた少年が五輪金メダリストに変化していた。
何度も何度もソチ五輪の映像を反芻して、居ても立っても居られなくなった私と母はそのまま3月のワールドに行った。
(このワールドのsp、滑り出しの直前に「ゆづ〜!愛してるゥ〜!」という複数人による謎の掛け声があり会場全体が変な空気になったんだよな、カスゴミ客は死んでくれ。)
その後はとんとん拍子で転がり落ちるように沼にハマりファンになった。
全部は長いから書けんけど、常に「羽生結弦」という男は自分にとって輝ける一等星というか。
第一印象がすっ転びワイゼンだったことも大きく、自分がまだ中学生でこれからなんでもできるという時期だったこともあって「彼のように努力すればここまで上り詰めることができるんだ」というある種の指標になっていたんだと思う。
羨望とかそういうのひっくるめて、こんなに頑張ってる人がいるのに、自分の体たらくはなんなんだろうかと考えるそういう感じ。
中学→高校は私生活と勉強で色々両立することがあって大きな変化はなかったけど、やっぱり「羽生結弦」はいつも生活の側にあった。
普通に肩こり酷い人間だったから、黒と青のファイテン常に付けてた。これ可愛いよね。
母の彼への入れ込み方が激しくなってきたことがあって、若干嫌悪感を持つ時期があった。
詳細は省くけども、
ひねもす掲示板に張り付いて有る事無い事、噂やファン同士の諍い…望んでもないのに大量の情報を聞かされ、注入される感覚はあまりにも不快で気がついたら「憧れ」から「実の娘である私よりも母の気を引く邪魔な存在」にもなっていた。
中国杯の後に増えたファンや民度の悪さとかに嫌気が差していたり、自分の勉強の方とかで精神的に追い詰められていた部分もあったから単純な話ではないのだけれど。
その頃自分は大学受験に際して、部活のように取り組んでいた習い事を辞めていた。
スケートは完璧、勉強もできる「羽生結弦」を横目に「ああ自分は彼のようにはなれんのだなぁ」と失望してた。
また当時自分は家庭環境が最悪になっており家を出ることが目標だった。
家を出るためには親が納得するき足るだけの学力とそれだけの大学でないと説得できないと思ったこと、羽生結弦という男が育った街が知りたくて東北大を選んだ。
他に行きたい場所もなかったから、仙台に行くと決めてからはわりとすんなりと勉強ができた覚え。
羽生結弦は過去にananの表紙を飾っていたが、意味のわからんクソナガ茶色マフラーを巻いてるポスターを机の前に飾ってた。
今なおよくわからん長ェマフラーをしてたのかは謎(調べると画像が出てくるから暇だったら見て)
どう考えても勉強する環境ではないが、サボろうとしても前向けばあの眼光だから監視してもらう感じで。
話がズレたな。
平昌五輪も差し迫り、母は現地で見たいと切望したものの、それまでの家事を疎かにする姿を見ていて誰がそれを応援しようと思ったか。
当然家族全員反対した。
今思えば行っておいでと言えば良かったかもしれないが、私からしてみれば娘の受験よりも「羽生結弦」が優先なんだ、へぇ〜(笑)って感じだったし。
そんなこんなしてるうちに羽生結弦はサラリと2連覇。そこからまたファンが増え、シーズンオフのアイスショーでも変なファンが増えたことでさらに嫌気が差していた。
どこかのアイスショーだったか忘れたんだけど、トイレ行ってる間にババアが「ゆづのパンツが」とか会話で盛り上がってるの聞いて気分良いわけないからな。
あとアレな、アイリンの奥にある待合室の椅子全部、一つ一つに座っていたババア。この手のファン自称してる変な人たちも気持ち悪いから消えて欲しい。
無事進学が決まったことで家を出て、一人暮らしと同時に意識的にスケート界隈を視界に入れないようにし始めた。
ここで一回離れたのが良かったのか悪かったのか。国際センター、仙台駅の本屋、仙台地下鉄のポスター…
競技を追わずとも、さまざまなところで羽生結弦という男を目にして、その度にこの男を見て自分はこの土地までやってきたんだと思い出していた。
また話ズレるけど仙台大好き。
故郷よりも好き。
都会なのに緑が多くて気持ちがいいんよね。
就職を契機に都内へきてしまったから仙台を離れてしまったけど、はよ仙台戻りたい。
私は川が大好きなので死後、私の遺骨は広瀬川に撒いてくれと常日頃言ってます。
大好きだ仙台。
話を戻そう。
とはいえ、Twitterでこれ見よがしに呟いてるファンは正直気持ち悪かったし、自分も同じようになりたくなかったからTwitterでは鍵開けて呟くこともしなかった。そもそも、羽生sageがひどい中、どれだけ擁護しようとも「羽生ファンガー」「ユヅリスト笑」と言われるんだから俺たちにできんのは「沈黙」だけだろ。
(ここでクラピカの顔が出てきたやつはツイカスかハンターオタだから前者はツイカスであること自覚して生きような)
TwitterじゃなくてX?
そんなこんなでたまに目にしたり、アイショー見たりとかするくらいまではしてもシーズン中全部追うみたいな生活を2.3年せずにいたら北京五輪になってた。
数年まともに追っかけていなかった間に、さらにスケーティング技術が向上してる様を見てやっぱり努力の人で憧れなんだよなと再認識した。
FPの朝。
雪がしんしんと降り積もる中、大崎八幡宮に4A祈願へ向かった。
FP前日に事実無根の記事が大量に出回っているのを見て「4年経ってもこんな記事を書いて彼を貶めようと必死なんだ」と辛い思いしたな。
何年経っても彼を取り巻く環境は良くなるところか酷くなる一方なんだなぁと。
タイミング忘れちゃったんだけど、いつかのシーズンで本人が死のうと考えたみたいなこと言ってたのを時折思い出して。
それを考えると結婚したいと思える人と出会えたことはなんて素晴らしいことなんだろうと素直に言えるんだけども。
そんなこんなしてたらあれよあれよと時間が過ぎて、引退かと思ったらプロ転向へ。
前々から引退したらどうしようと思っていたところ、最高の「答え」をお出しされて悲しむことも落ち込むこともなくて嬉しかった。
男子のスケートにハマった理由に、彼らが命を燃やして戦うあの会場の空気が好きだったこともあって、その覇気がなくなったのは些か寂しい気持ちもあったけど。
ここまで色々自分の話をまとめてしまったけれど、ここからはプロ転向後の個人的にモヤった点をいくつかまとめておく。
みんなのライトで投票して踊るプログラムを決めるってやつでさ、
最初の方はみんな悲愴が多かった覚え(多分水色と青色が似ててそう見えただけの部分もある)なんだけど選ばず他のプロ踊って。
数日間ある中でも最後の日に、悲愴は思い入れがあるからと踊って。
じゃあ最初からリクエストの選択肢から悲愴外してよかったんじゃね?になったけど。
あともう一個個人的に許せなかったのが阿修羅ちゃんだっけ、adoの曲使ったやつ。
adoなんて過去にネットで活動してた人をアンチで自殺未遂まで追い込んでたわけじゃん。
そんないじめていた側の人間の音楽を使うという事実を受け止められなかったんですわ。
giftとか、お礼に〜って内容なのにそこで使うのが「あの」「ado」ですか(笑)っていう。
いつまでも過去の話を蒸し返すなと言われるかもしれないけど、散々sage記事やアンチに酷い目に遭わされてた羽生結弦がソイツの楽曲使うってグロくない?
この辺から自分の思ってた羽生結弦像から乖離が起きてるのを感じていた。
まぁ自分が合わなくなっていっただけだけど。
notte stellata3/11に現地参加してたんだけど、中国のファンか知らんが明らかに場にそぐわない掛け声すんのやめてほしい。
こちとら鎮魂なり祈り、そこからの希望とか再生を意味するショーだと思っているのにそこで「あいしてる」なんてでかい掛け声は耳障りなだけなんよ。
最近見なくなったけど貞子みたいなストーカーも、アイスショー千秋楽必ずセンター1列目の変な女も邪魔。
そもそもフィギュアスケートというスポーツのあり方自体も異質だよね。
プロではなくてアマチュアの方が技量が上、大会などに出場して集客してと見せ物のようになるのがアマチュアの方なん。
ただそのスポーツが好きというだけで始めた人間が、上手くなればなるほどよく分からない人たちの目に晒される環境にあって、
アスリートなのにアイドルのような消費の仕方/され方してるのがな…高校野球だけ謎に神聖視されてるのと似てる?
アイドルは最初からそういう売り出し方をするからいいが、スポーツは違うじゃん。
好きで始めただけなの晒されて人格に難癖つけられてとかね。
世知辛いわね〜
まぁそんなこんなで、勝手に理想像を求めてる俺みたいな人間は鈴の言葉でも反芻して生きような↓
すごい、馬鹿みたい。
ほんと馬鹿みたい。
みんな勝手に期待して、陽子自体のことなんて考えてもみないで。
Twitterとか世間では祝福の言葉ばかり目について、悲しむような人を見つけられなかった。
その様子を目の当たりにして、素直に喜べなかった自分の心の醜さに打ちひしがれてしまったし、周りのその「潔白」な態度に吐き気を催した。
だってさ…
今まで彼が「スケートを想って滑ってる」と思いながら見てた演技が「誰か特定の人に対しての感情を含みながら滑っていた」とかだったら悲しくない?
悲しくない?そう…俺が捻くれてるだけやね。
まぁそら遠くからお金落としてるだけのファンと、近くで辛い時支えてくれた人ならそっち好きになるのは当然だしね。
羽生結弦のファンであるなら、ファンもどこまでも清く、正しく、美しくあるべきところ私はそうできなかった。
私と同じように思っていても、表向き発信してない人が多くいると思うし。
私みたいな人も同じようにいるんだと知って、1人でも救われれば良いなと思って今回ここまでちゃんと自分の気持ちを書いた。
これは関係ない話だけど、Twitterで「羽生結弦と結婚したのは俺?!俺!ole!」言うてる人の見て元気出たよ、ありがとう。
どんなに切望しても普通には得ることが叶わない、スケートの神に愛された男が、スケート以外に愛する存在を見つけてしまった事実が悲しかった。
ただ、ただ、悲しかったんだと思う。
踏みつけても立ち上がるたんぽぽのように。
どんな場所でも美しく在る男の姿が。
そんな1人の男が好きだったな。
報道翌日に体を引き摺りながら仙台へ行って七夕祭り楽しんできたけど、また今度仙台行ってご祝儀代わりにお金落としてくるわ。
次はヒカペ目標で。
じゃ。