はてなキーワード: 震災とは
新天地での生活に慣れて、もうそろそろ「行きつけ」みたいな場所を作りたいなーと思い数ヶ月前からバーに通いだした。
最初は静かに飲んで他の客の話を横聞きして(友達の少ない身としてはそれだけでも結構面白い)うとうとしたら帰っていた。
何回か通うとマスターに自分の話をしたり他の客とも少し話すようになった。
すると何回も顔を合わせるおじさんができた。そこの常連であり似たような仕事をしていて、仕事柄時事の話とかも真面目にできる。変なマウントもない良識派のおじさんだった。
都会の日向で明るくうぇーい生活を20数年送ってきた会社の同期と、田舎の日陰でぶつくさ言う20数年を送ってきた私には常識が大きく異なる点があり、ショックを受けることも多い。その点おじさんは人生を積んでいるから常識に乖離もないし議論好きなこともあり話が弾む。入社当時もうぇいの喧騒から離れ人事のおじさんと喋っていたので、好かれてるとかお気に入りとか言われていた。
確かにおじさんと話すのはリスクが低く、普段何の役にも立たない自論も語れるしためになったり珍しい話が聞けるので結構楽しい。特に予定もないので夜中までおしゃべりして飲んで帰っていた。
その日も途中からおじさんたちと話していた。私は考察と議論好きに加え、プロレスと深夜ラジオを少しかじっているという特徴があった。この2つは同世代よりはるかにおじさんに刺さる話であり、その日もプロレスの話で盛り上がった。そこからまた仕事の話になり、なんか膝触られたなとは思ったがおじさんは3軒目らしいし酔ってるんだろうなと思った。何周かしてまたプロレスに戻り、小学生の時に回し蹴りとかやってたという話をしたところ蹴られたいとおじさんが言った。相当酔ってらっしゃるなと思ったがマスターもいたのでMなんじゃないですか?と問答してそれなりに盛り上がった。
かれこれ5時間ぐらい喋っていた。閉店時間となりチャリで帰ろうとしたがおじさんはふわーっとしていたのでしばらく歩くことにした。
するとおじさんが「今日可愛いね」といって頭をポンし始めたので「これはマズイな」と思ったらやはりしなだれかかられてしまった。
体格差はあるが力は無かったので冷静におじさんを起こしてやめましょうと宥めたあと、しばらく関係のない話をして、おじさんがシャンとしてきたなと思ったところでチャリで爆走して帰った。
何も襲われたなんて思っていない。本当に就職で住み始めた土地だし同期もアレだしでツテ0なので自分で友達を開拓してみたかった。しかし通う場所も集う場所も無いしアプリやSNSで繋がることも無い。考えた末のバーだった。だから会社や旧知の友人以外と話せるのが新鮮でそれなりに楽しかった。
あと上述の通り、自分でもおじさんとばかり話が盛り上がってしまうことについて自覚があった。ゼミの先生や上司と1:1で話すのも全然楽しかった。周りが好きなタイプにジャニーズや若い俳優をあげるなか、答えが出ずに考えていると「反町隆史とか?」と振られてしまうような私であった(無論、反町隆史はここにおけるおじさんとは年齢ぐらいしか共通項の無いナイスガイである)
となれば私はやはりおじさんが好きなのだろうか?おじさんでもいいのか?という疑問は結構な間、確かに存在していたのだ。
そしてそれについて私も答えを知りたいと思っていた。
が、しかし、昨日出たのは「おじさんと話すのは楽しくても、おじさんを愛することはない」という答えであった。酒の勢い、相手に流されて、という理由がつけられる状況においてもおじさんと寝ることはできなかったのだ。
マイルドに言えば頭ポンされても心ときめかず、可愛いねと言われても「確かに今日の仕上がり良かったな」としか思わず、悪く言えば、あのまま応えていれば酒臭いとかタバコ臭いとか身体がだらしないとか思ってしまうのは必須であり、小さい細いの私がおじさんと並べばどうみても程度の低いパパ活であり、つまり生理的に無理なのだ。
あるとき、親戚のおじさんがなぜ大学生になっても挨拶でハグするのだろうと思い「もう私も大人ですから、やめましょう」と言った、まさしくあのノリで「今後会ったら気まずくなりますから、やめましょう」とおじさんに言ってしまったのである。
話が合って良識があり、独り身っぽいけどなんか矜持がある紳士という魔法は溶けて
若い姉ちゃんとワンチャンしようとしたただの婚期逃しただけだったおっさんになってしまった。
それと同時に「もしかしたらおじさんも恋愛対象なのかしら?」という私のぼんやりした疑問もNOという答えで消滅してしまった。
私の記憶が正しければ、おじさんはおそらく家と逆の方向に歩いてきたはずである(以前は逆方向に帰っていたから)。
私が爆走して消えたあと、きっと踵を返しているだろう。もしかしたら以前もそんなことがあったのかもしれない。
おじさんにとって私はいつまで「悩ましき、打てば響く人生の後輩」で、いつから「なんかワンチャン寝れる気がする20代女性」になったのだろう。
おじさんは反省したのだろうか、恥ずかしくて死にたくなったか、あるいはミスったなあぐらいの常習犯なのか。それを考えて少し笑ったり、おじさんは無理だなやっぱ…と少しガッカリしてる私は冷酷なのか。
とか書いてたら長い揺れが来た。
そういやおじさんとは震災の話もした。私は被災地における同期のあるふるまいに怒り、未来の故郷に待ち受ける絶望と空虚さを語った。おじさんは真面目に話を聞いて「でもそんな悩めるひとだからこそ、辞めないでほしい、そういうひとが若い世代にいることは1つの希望だ」と言っていた。あんな会話も、魔法が解けてしまったから、もうできないな。
元陸士長です。東日本の震災の前年に辞めたからもう9年以上前になるか。
今でも64とかジープとかが幅をきかせてたりするんかな。車両整備やら草刈りやら宿舎の清掃やらお茶汲みやらで1日を潰したりしてんのかな。トラックの荷台で人員輸送して幌の中は受動喫煙まっしぐらだったりするんかな。
俺んとこの大隊長はこれもう漫画だろってくらい太ってて、それがもう嫌で嫌で仕方なかった。そうでなくても太ってる奴は(特に中途半端に偉い奴に)多かった。
下っ端はパチンコやら風俗やらの話で盛り上がる。あと何かと酒に頼る。
あなたみたいに問題意識があるだけまだマシな方なんじゃないか。階級書いてないけど、2曹とか2尉くらいなら資格取るヒマも機会もあるだろ。
仕事の合間に勉強するのが辛かったら、自衛隊内の教育を積極的に受けに行った方が良い。特に小平でやってる英語教育とか、車両系じゃない教育な。そこはシゴキとは無縁だ。意識高い系多いし、人脈も広がる。
丁度選挙権を得られた歳になった時、10代の子たちも選挙権を得られた年になった。
テレビで取材されるのは10代の子たちの初投票について。初めての選挙権はそんな記事にかき消されたことも記憶に新しい。
大学が隣県であり、どうせ地元に帰るのだから住民票はそのままで良いでしょと家族が言うのだからそれに従って、4年間移さずに過ごしてきた。選挙の為に往復6000円使ってまで投票したいと思わないし、不在者投票しようにも何だかいつも出遅れて投票しそびれてしまう。そもそも不在者投票っていつから出来るの?笑
ネットで調べた記憶があるけど、手続きが非常に面倒な印象を受けた。そういうのもあって、選挙権を得てから1回も投票に行ったことがない。
政治自体は大学の講義で取る程度には興味があるし、ニュースもテレビとか地元の新聞のアカウントをフォローして時々暇つぶし程度で見る。政治そのものは嫌いじゃない。
今日も今日とて、自分が行けなかった(あえて行けなかったと言っておく)選挙速報を見ている。
Twitterでも若者の投票率が低いと騒がれていて、気になってここ10年程の投票率の推移を見た。それを見れば分かることだけど、若者の投票率の低さに関してはほぼ横ばいで「駄目だな若者は」とか言ってる30代とか40代の人たちも若い時は投票していない人の方が多かったのではないかと思ってしまう。(参院選は横ばいだったが、衆院選は投票率の変動が激しいのには何か理由があるのだろうか)
どのみち、地元には戻る予定でいるから来年かそこらへんには初めて投票することが叶うんじゃないだろうか。
そんなに数は多くないだろうけど、自分みたいに政治に参加しようと思ってはいる若者もいるって話。
全然話変わっちゃうけど、震災後から地元のテレビでは被災地の卒業式がメインで取り上げられることが多くなって自分のところの卒業式は露ほどもテレビに取り上げられなくなったなって冒頭の話を書いてて思い出した。それはそれで構わないのだが、卒業式は誰にとっても大事なことなのに、取り上げられるのは被災地だけってのが子ども心にも悲しかったな。中学高校とそんな感じだった卒業式の記事には何の思い入れもない。
せめてちらっとでもどこかの高校が映像に出てたらまた変わってたのかもしれないが、いまさらそんなこと言ったってしょうがないので若者は諦めることにするよ。
我が家は瓦が落ちてきたくらいで(家の中は大変なことになったけど)半壊まではいかなかったから父が知り合いと瓦の修復をしたのを中学生の時に見てた。壊れた瓦の運搬を手伝わされた記憶があるよ。未だに家の壁紙にはヒビが入ってて次大きいの来たら壊れるな~とか能天気に会話に出てくるけど、自分の能天気さは親譲りかもしれない。
選挙の話してたのに思い出話になってしまった。これはこれでまあいっか。
自分たちの代はいろいろと改変の境目に立たされていて(学習指導要領改訂とか奨学金とか諸々)もうちょっと早くやってくれよって思うことも多々あるけど今日も今日とて元気に何とか生きてる。
震災で原発がぶっ飛んだ原因は、直接的には、津波で電源が失われる可能性があるから対策をせよと下からの報告を受けたにも変わらずそれを無視した東電の経営陣の怠慢。間接的にはこの地震大国に安易に原発を建て続けた政府(=自民党)と電力会社の判断ミス。なお、現与党は懲りずに原発再稼働を推進している。
「変わらない」のに「変わった」というのは変に思うかもしれないけど、全然そんなことはない。
もともと日本の社会は、バブル崩壊と同時に「機首が下向きになった」。
そりゃ操縦桿を操作して機首を上げないと、どんどん降っていく一方だわな。
デフォルトで下降状態なのだから、政治が変わらなければ、日本社会は変わる。もちろん悪い方向に。
しかしこれまで日本の政治は、「機首を上向かせる政治」をしてこなかった。
これは自民党政権だけじゃない。民主党政権もそうだった。93年だかの細川政権とかは良く知らないけど。
しかし、じゃあ安倍政権はどうなんだ。操縦桿をうまく操って「機首を上げる操作」をしたか?
安倍政権になっても、大学の授業料は上がる一方。学生は奨学金まみれだ。
安倍政権になっても、物価が上がっても給料は上がらない。高プロも導入された。過労死は増えこそすれ減ることはないだろう。
安倍政権になっても、保育園も特養もなかなか増えないし、低賃金だから建てても誰も働かない。
安倍政権になっても、政治家と役人がグルになって不正をするようになった。「公文書書き換え」「日報隠し」なんかしでかして、なんでトップが誰も責任取らないの?
安倍政権になっても、与党はいつまでも経団連のいいなりだ。消費税はこれからも上がり続けるだろう。
安倍政権になっても、与党はいつまでもアメリカのATM状態だ。まあ昔から日米関係なんてスネ夫とジャイアンみたいなもんだったけど、トランプは露骨すぎるだろ。「PMアベがまたウチの商品買ってくれるってよ!毎度アリ!」なんてカツアゲツイートばっか見せられて、俺は悔しい。
そら株とかで儲けたやつもいるかもしれないけど、俺はいやなんだよ、株とか。
「自分さえ儲かればいい」「自分さえそこそこの暮らしを維持できればいい」。そういうのいやなんだよ。
俺の家族も、俺の友人知人も、そのまた家族や友人知人……つまり、できるだけ多くの人が「そこそこマシに暮らせる社会」がいい。
そうは思わないか?
じゃあ「安倍さんじゃなくて他の政治家が首相だったら今のようにはならなかったのか」というと、それはわからない。
でも将来どうなるかなんて誰にもわからないだろ。
恋愛と同じだよ。速攻振られるかもしれないし、他の奴に寝取られてめっちゃ傷つくかもしれない。だからといって「裏切られるのが嫌だから恋愛なんかしない」ってならないだろ、普通は。
正直、俺はこれまで選挙は行ったり行かなかったりだった。
政権交代のときは民主党に入れた。率直に言って裏切られた。政権運営に慣れないところに大震災が重なったっていう不運はあるが、一言で言えば「グダグダ」だったな。
トドメに消費税増税の決定。なんだよこいつら、って思ったのは俺だけじゃないだろう。
それ以来、国政選挙には行っていなかった。
そんな俺が言うのもなんだけど、今回の参院選、何かが違うと感じている。
今までと違って、「もっと上向かせよう!上昇させよう!」というメッセージを発信している政党が多いように思う。
実際「下向き政治」のせいで、貧しい人からどんどん追い詰められていっている。
これで消費税が10%になって、2年、3年たったらどうなるか。
「失うものがない」人間がしでかす凶行、つい最近見たよな。ああいう事件が増えるかもしれない。
大事な人が、大事にしているモノが、壊されるかもしれないんだ。
ネタバレあるので、まだ観ていない人は右上の×を押してください。
新海誠監督の最新作『天気の子』を観てきました。「ヤフー映画」の感想とかを見ていると、新海監督が公開前に言ってたように「賛否両論」の様子。……しかし、否定的評価をしている人たちの感想を見てみると、「賛否両論以前の問題」で、人物描写が薄っぺらさを指摘している意見の多いのが印象的だった。
だが、待って欲しい。「人物造形が甘い」とか「人物描写が薄っぺらい」という批判を新海誠にするのはいかがなものか。そもそも、新海作品にこれまで重厚な人物描写などあっただろうか? 薄っぺらくない人物なんて一人としていただろうか?
まず、大ヒット作『君の名は。』で考えてみよう。瀧君も三葉も奥寺先輩も、ラノベ並みの、いや、そういう言い方はラノベに失礼なくらい、ペラペラの薄さだったと思いますよ。三葉の悪口を言ってた同級生たちなんか、当社調べでは0.01mmの薄さで、わが日本が誇るコンドーム会社オカモトが対抗意識を覚えるくらいの薄さじゃないですか。
『秒速5センチメートル』も同じ。主人公(遠野君)は半年前に転校したメンヘラ気味の女の子に会うために、東京から栃木に電車で向かう。しかし、大雪のために途中で電車は大幅に遅延する。その時の主人公(遠野君)のモノローグを皆さん覚えていますか?
「たった一分がものすごく長く感じられ、時間ははっきりとした悪意を持って、僕の上をゆっくりと流れていった。」
ごめん。最初『秒速5メンチメートル』を見た時、私はここで腹痛くなるほど笑い転げて、逆に何度もここを再生しましたよ。もうね、ほんとリアル中学二年生でもこんなポエムを呟かないですよ。時間は君に悪意を持つほど暇じゃないと思うんだよね。たんに大雪のために電車が遅延してるだけやん……
未見の方いたら、すみません。この電車の遅延、単なる一つのエピソードじゃなくて、『秒速』のなかでは、物語の要となるようなエピソードなんです。
意味不明自己満SF『雲の向こう、約束の場所』、ジブリを真似た結果盛大にコケた『星を追うこども』。これらも、人物描写は書道半紙なみの薄さです。
『言の葉の庭』も、ストーリーや人物描写の甘さについては微笑せずにはいられません。ユキノ先生がいじめられてる理由とか、いじめてる生徒の描写とか、これ薄っぺらくないと思う人いるの……?
まあ、いるんだと思う。それはそれでいい。私が言いたかったのは、『天気の子』が「薄っぺらい」という理由で批判されるのは不合理だということである。初めっから薄っぺらいし、中二病だし、セカイ系だし、自意識過剰のウィスパーヴォイスがうざいし。そんなこと、分かり切ったことじゃない。それを今更批判したってどうしようもなくない?
というわけで、『天気の子』もただひたすらに薄っぺらいわけです。ストーリーや人物描写の説得力とかには期待したらダメ。リアル中学生でも、もう少し人間に対する洞察力をもった人は五万といる。そのレベルです。主人公はどうやら「神津島」から家出をして「東京」にフェリーでくるわけですが、家出の理由、とくになし。至って普通の家庭で、酷いイジメにあっていたとかでもない。なんとなく嫌だったから、くらいのノリ。いわゆる反抗期? なんとなく盗んだバイクで走りだしたい気分? サリンジャーの『ライ麦畑でつかまえて(The Catcher in the Rye)』を持っていたけど、まさかサリンジャーに感化されて?(笑) いや、笑いごとじゃなくて、マジで新海はそのレベルでなんとなく家出をさせてOKだと思っている人なんですよ。
じゃあ、なんでそんな薄っぺら新海作品はこれまで評価されてきたのか? とくに『君の名は。』の歴史的ヒットはなんだったのか? 問題はそこにいたる。
第一に挙げなくてはならないのは、美しい背景描写だろう。カメラレンズを強く意識して、超広角レンズや逆光、望遠などが多用される。しかし、実際のカメラではあんなに綺麗に映ることはない。細かいファンタジックな「嘘」がそこかしこに散りばめられている。ありえそうだけどありえない風景。新海が描き続け、そして観客を魅了しているのは、そうした風景にあるんじゃないのか。もっとも、この美しい風景も、セカイ系の、センチメンタルな自意識過剰の、中二病ポエムではないのか、と反問されるだろうが、それについて私は次のように答えるしかない。「いかにも、その通り」
で、そこから「新海誠=童貞」のような公式がでてくるわけだ。「たぶん新海さんは楽しい恋愛を高校時代にしたことがないんじゃないですか」(石田衣良)という言葉が出て来る所以であろうが、これについては一言。たしかに新海誠は自意識過剰の中二病ポエマーであるかもしれないが、全ての童貞が自意識過剰の中二病ポエマーであるわけではないし、またその逆もしかりである。童貞に対して失礼である。石田衣良には猛省を促したい。
さて、『君の名は。』ヒットの理由について語るのは当然のことながら難しい。だが、これを見た人の多くが「東日本大震災」を想起したことは無視できるものではないだろう。『君の名は。』は、良くも悪くも「震災芸術」であり、『君の名は。』の賛否両論の根底にあるのも、「震災をなかったことにしてもいいのか」というこの作品についての疑問から生じているだろう。
『君の名は。』には、カタルシス(浄化作用)がある。瀧君と三葉の恋物語以上に、この映画で「主役」となっているのは「彗星」であり「隕石」である。突拍子もないことのように思われるかもしれないが、これは演出上も疑いを得ないことである。このことについては伊藤弘了という人が「恋する彗星──映画『君の名は。』を「線の主題」で読み解く」という卓抜な評論を書いているので一読を勧めたい(http://ecrito.fever.jp/20170123213636)。
少しだけ説明する。「糸守湖」が出来たのは劇中でも語られるように、1200年前にここに隕石が墜落したことにするものだ。瀧君と三葉は三年の時間差を越えて出会いを果たすわけだが、その奥には1200年という長大な時間を経て、同じ彗星が墜落するわけで、あの惨劇を生み出した隕石は、それ自体、隕石の恋物語でもあったというわけだ。瀧君と三葉の悲恋は、その運命を受けいれて、むしろその「運命そのもの」に同化するような形で、自己を超越した恍惚体験へと昇華する。これが、『君の名は。』のインパクトである。伊藤は言う。
観客は人智をはるかに超えたティアマト彗星の壮大な恋物語のうちに自らの似姿を見出し、同時に自己自身を超越する感覚を疑似体験する。これが本作の記録的大ヒットを支えた一因である。
この伊藤の読みは、それ自身、私も正しいと思う。ちょうど隕石が地球を目がけて猛烈ないきおいで突進してくる際に流れるRADWIMPSの「スパークル」の歌詞をここで引用しておこう。
伸ばそうと届かない 場所で僕ら恋をする
いわゆる「サビ」の部分がはじめて出て来るのは、隕石墜落のシーンなのである。彗星は隕石と化して「いまだかつてないスピードで君のもとへダイブを」するわけである。観客はかくして、瀧君でも三葉でもなく「隕石」に感情移入をすることになる。それによって、運命を超越した運命とでもいうべきものに同一化し、「自己自身を超越した感覚を疑似感覚」させるのが『君の名は。』である。ちなみに言っておくと、これは何も新しい話ではなく、ギリシア悲劇の古典的なパターンであり、「悲劇」の快楽そのものである。この点についてはニーチェの『悲劇の誕生』を参照して欲しい。
要点のみを記す。1200年前に糸守町に落ちた彗星は偶然の産物である。劇中で墜落する彗星の《片割れ》もまた偶然の産物である。その偶然をしかしながら運命的なものにするのが『君の名は。』のドラマである。隕石は、人間の視点からはどうしようもない《偶然的=運命的》なものであり、それが世界に災厄をもたらす。それは《悲劇》である。ニーチェが述べるように、悲劇とは一方では自身が運命に翻弄され自身の非力さを痛切に認識した上で、他方ではそうした小さな自己を超越し運命そのものに一体化する感覚のあるところに《悲劇》の快楽があるのだとすれば、『君の名は。』における悲劇とは、次のようなものである。(A)それは自己の意志の無力と運命の強調という形で行われるのではなく、(B)確かに一方では自己の意志の無力さを痛感させられるが、星の動きはたんに災厄をもたらす運命だけではなく、同時に強烈な人間的な意志でもあるのであって、運命から逃れていく偶然の力として描かれるのである。ここにおいて、まことに《運命=偶然》という奇跡的な場所での物語が描かれるのであって、その強烈さに私たちは感動をするのである。
震災を《運命=偶然=意志=恋》と化すことにより、現実の震災を美的に昇華してしまうのが『君の名は。』である。『君の名は。』は過去にタイムトラベルすることで「震災をなかったこと」にするだけではなく、上に書いたように、情動レベルで震災というトラウマを「昇華」させて、フロイト流にいうならば「喪の作業」を遂行することを促進するのである。「昇華」とは、「忘却」の別名である。
こうしたところが、『君の名は。』の慧眼な人々に批判される所以であるだろう。
だが、どうだろう。《忘れない》ことが一つの倫理であることは疑わないが、《忘れる》ことも一つの生き方として否定されるものではないのではないか。また、《忘れさせる》ことを描いたものが《覚えられる》ということ自体が、完全な忘却からは救うはずだと私は考えるが、いかがだろうか。
──ライトな語り口で始めたのに、全然そうではなくなった。そして、肝心の『天気の子』にまだまだ辿りつけていない。次回、『天気の子』の内容に踏み込んでいきます。
なんとなくTwitterの雰囲気で「自民はヤバい」「今度の選挙で変えなきゃ」というのは伝わってくる。
消費税増税には反対だし、この世が今よりよくなって不安感が減るなら自民以外に入れる。
あの時も友達は「自民は一回痛い目にあったほうがいいんだよ」と言ってた。
与党慣れしてない人が与党になると有事の時にまごまごしてとてもじゃないけど対応できない。
なんとなく多分大地震もまた来る。
その時与党慣れしてない他の党が与党になってまた大変なことになるのではないか。
だから今回は保守的だけど自民に入れようと思ってるんだけど、今の状態に不満はある。
「この党だったら自民並にパワーがある」っていうのありませんでしょうか…。
若い人も選挙に行こうと沢山の人が呼びかけているのはとてもいい事だと感じながら、
しかしいざ興味を持って候補者を見ると気が滅入ってまたやる気をなくすことになってないか、勝手に心配してしまいます…
本当は教えたくないけど参院選の必勝方法教えますので良かったら参考にしてください
其の一
人の嫌がることをしない
住宅街、保育所だけでなくオフィスビルに対して選挙カー爆音で走るのはやめてください
オフィスビルに対してって、他県から来てる人もたくさんいるし無駄です
電話の客先の声も聞こえないし計算や確認中に騒音されると迷惑です
其の二
日常生活において、友人に何かを薦めたいと思ったときどう伝えますか?
駅前に立ってビラを撒くのも挨拶するのも良いですが、特定の個人への誹謗中傷やよくわからないマークやキツイ言葉で他人を罵るような心のある人に、国民のための優しい政策なんて出来ますか?
どんなに仲の良い友達でも毎日他の人の悪口や愚痴を言っている人は、信用しようとは思わないしそばにいたくなくなります
本当に広く支持されたいなら余計なことをしないでください。憲法改正で人権侵害と言うなら、イジメのような形での人権侵害をそもそもしないでください。説得力がありません。
中高年世代では声を荒げたり他人を批判することが強い人間と見なされてるのかもしれませんが、昨今のドラマなどをみてもそういう大人がいることが不快と若い世代は考えていることが伺えます
ネットで支持を広げている候補者は自分が何をしたいのかを発信していて、他人を下げたりはしていません
どうしたら好かれるのか需要を見極めてください
其の三
「その政党名はもうありません」だとか馬鹿にするのもいい加減にしてください
私はリーマンショック時に就活世代だったので、政権交代した時に何があったのかは克明に覚えてますし、震災のときに何をしてたのかも克明に覚えてます
そして大多数は私より年上なのでみんな覚えてますし、それだからこんな与党でも他に投票できないんですよ
まるで国民が無知だから野党の支持がないと言わんばかりですが、
こんな与党に投票したくはないけどあの時本当にしんどかったから、
二度とこれから就職したり働き始める学生さんに辛い思いをさせたくないから仕方なく投票してます
お願いだからしっかりしてください
まともな政党になってください
其の四
国民と向き合ってください
官僚は勉強しかしてないとか言いますが、あなたたちはくだらないクイズに正解したかどうかで向き合ってるような顔をしてますけど、額面の給与や手取り、知ってますか?
消費をしてほしい、貯蓄をしてほしい、結婚してほしい、出産してほしい、勝手なこと言いますけど、20代の平均じゃない手取りの分布を見てください
向き合ってると言うなら是非一ヶ月それで生活してみてください
とんでもない!と思ったなら、あなたはやはり国民を内心馬鹿にしてるんですよ
せめて選挙活動中くらい嘘でもいいから国民の生活を知ろうとしてください
そんなスタンスも見せない人が何が教育支援だ子育て支援だと思いますよ
其の五
私達国民は休んだ分もちろん会社からはやる気がないと評価を下げられ、時給制の人なら収入減なのに、羨ましい限りです
喧嘩をしている場合ではなく、反対したいならちゃんと論理的な主張を目の前の相手としてください
其の六
夢を語るのではなく計画を語ってください
もし一般企業なら、コンペに出る時に予算でどんなことができると売り込みに行きます
コンペでできると言ったけどできなかった、となると契約違反になったり赤字になって相当な問題になります
このお金があるはず!
できると思ったけどできなかった!
そんなこといいましたっけ?
そんなことで一般企業では許されるわけもないのに何故なのでしょう
国民は警戒しています。バラマキ制作の財源はどこにあるのか具体的な数字を含めて出してください
国民は覚えています。90年代の徳川埋蔵金発掘のようなノリで好き勝手言って何もできなかった人たちのことを
一度一般企業の平社員飛び込み営業から人生やりなおしたらいかがでしょうか?
其の七
選挙カーで名前連呼しないと覚えてもらえないと言いますが、私が昔住んでた市では国会で何をしたか、これから何をしたいのか、今話し合われている政策はどういうことなのか、定期的にまとめたビラを配ってくれていました
その人はやはり当選していました
選挙の気配を察知して駅前に立つだけの人は、お金がなくなって実家の親や彼女にタカりに行く甲斐性なしと同じです
日々ちゃんと伝えてください
難しいことがあったでしょうか?
真面目に誠実に生きていれば、普通はできていることだけです
ここまで読んでくれた皆様ありがとうございます
でも選挙に参加もしないで文句を言うのは傲慢だと思うから、一生懸命調べて、1番マシな人をどうにか選んで投票したいと考えています