はてなキーワード: 視覚とは
日本では「Task List」や「Reminder」ほど定番化はしていないのだけれど、同種の行動管理ツールに「Habit Tracker」というものがある
Habit Trackerは毎日の行動を習慣付けることを目的として、一定期間の行動の完了・未完了をトラッキングして習慣付いているか?を視覚で確認することができる
Habit Trackerをデジタルデバイス上で再現したアプリは所謂フィットネス系アプリに多く、例えばApple Watchだと「アクティビティ」はHabit Trackerの一種だ
Habit Trackerをデジタルデバイス上で再現したアプリは、一定期間の行動の完了・未完了をトラッキングしてスコアとして表示してくれるものが多い
更にはHabit TrackerアプリにはReminder機能を内包しているものもおおく、所定の時間になると通知してくれたりもする
1日にこなす全習慣の全貌を把握しきれていない、習慣をどれだけこなせてるか判らない、物忘れが多いような人はHabit Trackerアプリを様々試してみては如何だろうか
Googleは天下が取れてからは日本語の精度をあげるのにそれほど力を入れていないような感じであるし、
Amazonも購入するところまでは力を入れるが、長期的に利用するサービスは微妙で使いやすくならない。
Googleが押し付けるルールに対応するだけで精一杯。Googleが長期的にクローズドで進めるゲーム・チェンジでコテンパンにやられてしまう。
ニュースサイトも日本のサービスを紹介するよりも、Google、アップル、Amazonを扱ったほうがバリューがあるのか、日本のサービスを英語にするのは少ない。
アップルにしろGoogleにしろ、日本が長期的にどうなろうがしったこっちゃないだろうし、お金さえ落としてくれればいいだろう。
増田です
---
hidamari1993 定石の詰め込みが思考力の向上にも繋がることは詰め込み教育の威力が証明してるのにまだこういうこと言う人いるんだね。
│
詰め込み教育を否定しているように感じられたんでしょうか。学習力の勉強と詰め込み教育って矛盾してないですよね?
文章や聴覚情報の理解、要点の把握、効率的な暗記の手法を学ぶことで、詰め込める情報を増やすことが目的です。
詰め込み教育はテキスト内の情報だけを「詰め込む」のですが、テキスト外の学習方法も「詰め込む」ことで
勉強の効果を上げようという話をしているつもりでしたが、そこまできっちり書かないと理解されないみたいですね。
---
sbedit1234 馬鹿か。結果を計測した方が正確かつ簡易。
│
何の結果が、誰の視点で簡易かつ正確なのでしょうか。
効率的な暗記の技術が身についているか、暗記のスピードは何を見て計測できますか?
耳からの情報の理解と整理と視覚化の能力はどうやって確認しますか?
---
narwhal 国語。現代文のテストはその能力で解く。ただしまともに教育をしてはない。実のところ教育しないことによって阿呆を篩に掛けているようにも見える。
│
また、塾で対策ができるようなことが篩になるのですか?
---
drying_flower だいたいやってるじゃん。上から国語数学小論文かな
│
国語のテストで悪い点をとっても「何が悪くて、何を考えてどのような解き方をすれば解けるようになるのか」を一人で理解できる人はもともと頭が良いと思います
勉強の方法に絞ってテストし、重点的に対策をすることを目指そうという話をしています。
僕は学ばなかったです。頭はよかったので「春はあけぼの~」とか繰り返していれば、「いつの間にか」できるようになってはいました。
例えば、長文を覚えるときは、ブロックに分けて頭文字を反復するといいですよね。
は(るは)あ(けぼの)よ(うよう)し(ろくなりゆく)や(まぎわ)、す(こし)あ(かりて)、む(らさきだちたる)く(もの)ほ(そく)た(なびきたる)
↓
「はあよし はあよし はあよし」・・・
↓
「は(あよし)」
この段階だと「は」だけで「はるはあけぼの ようよう白くなりゆく」が引き出せる状態になります
↓
これを各ブロックで行えば
「はやく」で、一文全体が思い出せるようになります
↓
「は(やく)」
これで、「は」だけで「はるはあけぼの・・・・たなびきたる」が思い出せるようになります
これをそれぞれの文で繰り返せば、長い文章も高速に、かなりはやく覚えられるようになります。
こういう方法を理解しているかどうかで勉強に差が出てくるのはあきらかです
例えば、受験対策で有名なものに「まず目次を覚える」というものがあります
目次の文章も、この技術を使えばかなり高速に覚えられるようになるわけです
こういう学習の基礎となる方法を積み重ねることで、「無駄な繰り返し」を減らして
勉強ができる人が増えていくようになるはずです。
ああ、伝わってないなあ。
地頭のいい人たちが自然にできている学習の力を、意識的に学ばせて
できなければできるまでやらせて、勉強の苦手な人を減らそうという意図だよ。
ここら辺の弱点を埋めずにひたすら授業をしたって、根本の学習力がないから意味がないんだ。
意味がないから無力感にさいなまれて、逃げ出してしまうんだよ。
・時間内に長文から要点を抜き出してまとめる能力(理解力・まとめ力)
しかし、普段の国語の授業は余計な解説が入るし、一つの文章を何時間もかけて読むので
短時間に長文から要点をまとめるという技能だけを何度も教え込むことはできない。
受験のテクニックとして塾で学ぶことはあるけども、普段の国語の授業とは明らかに違うのがわかる。
そもそも国語の教科書に、そういう「論理構造」と「読み方」の項目が少ない。
・読み上げた音声から概要を図にして説明する能力(理解力・整理力)
これって授業でやってる?
ー視覚ではなく聴覚による情報をどれだけ理解できるか。(聴覚情報による理解力)
ノートの取り方や、理解の力は自己責任として突き放してるのが今の教育ではないかという話
・3回読み上げられた文章をできる限り暗記して、書き出す能力(暗記力)
これは上の応用。
聴覚情報の論理構成ではなく、文章そのものをその場でどれだけ暗記できるか。
短期間で文章を暗記する能力は、(その場では忘れてしまうにしても)勉強の効率を上げる。
一見勉強が得意に見えても、視覚情報とテクニックでのりきる人は、この手の暗記は苦手。
俗に言う”AI読み”になっていき、受験以外の場(高度な教育や専門的な会話)では文意とはズレた解釈をするようになる。
・問題と解答を見せて、それと同じ論理の問題をその場で応用して解く能力(論理理解力・応用力)
これは数学や小学校の国語ではけっこうあったかもしれないが、だんだん減っていくタイプの問題。
東大レベルになると、難しい公式をその場で与えられて、所見で問題を解かされたりする。
この問題で意図しているのが、数学ではなく国語だし、教え込みたいのは、論理と応用だ。
それを真似るということを意識することで、文章を書くのがうまくなる。
小論文の授業との違いは、小論文の構成より多様で細かいものを意図しているということ。
細かい論理のシャドーイングを繰り返すことで、自分の中に多くの思考方法が埋め込まれる。
予想するクセをつけるのは重要だ。限られた情報から推測していく力はどの分野でも役に立つ。
また、何かを学習する際はゼロから読むより、ある程度予想してから読んだほうが
予想との違いで脳が刺激されたり、予想を補強する情報がすっと入ってくる。
予想と合っていれば読む時間を短縮できる。
次に、見出しと小見出しから予想していくことで、自分の中に文章を構造化するクセがつく。
・3回画面に表示される難しい言葉をその場で覚える能力(語呂合わせを使えとか、頭文字を覚えろとかヒントを出す)(暗記力)
暗記は自己責任になっている面がある。暗記はすべての勉強の基本だがさらっとしか触れられない。
もっと重点的に暗記に絞った訓練をするべきだ。
長い文章を覚える場合でも、いくつかの文節に区切って文の頭文字を覚えれば文を暗記でき、その文の頭文字を覚えていけば文章全体を暗記できる。
こういうテクを自分のものにできるかできないかで勉強の成果と効率は大きく変わる。
暗記をしなければ自分の中に情報がストックされず、ゼロからやりなおしになる。
ちなみに、暗記の基準は「ヒントなしでパっと思い出せること」だ。この点も意外と教えられない。
だから「覚えてるつもり」で先に進む人が多いだろう。
・読むのに15分くらいかかる文章(キーワードは太字)を読ませ、読み終えてからキーワードについての感想や知識を書き出させる(集中力・理解力)
超長文読解だ。長い文章の全体像を把握しながら重要ワードをピックアップする能力を鍛える。
受験の長文読解の長文は短い。
一度に処理する能力を圧倒的に多くすることで、脳の短期記憶を鍛え、処理できる情報量を増やす狙いがある。
授業でやったって言ってるけど、これができたら少なくとも早稲田慶応以上には入れるだろうし
でも世の中の人はそうじゃないよね。
そういう人のために「(地頭のいい人が無意識にできてる)学習力」を鍛えようという話をしている。
余談だが、これは僕がこれを苦手としていたと気づいたからでもある。
僕はなかなかの国立大学に入ることができた。受験の国語の点数も悪くない。
小論文も書けた。
でも大学でつまずいた。
僕のような人間になると、文章をしっかり読んだり余計な情報を暗記しなくても、
問題のパターンを理解して、おおまかな予想をして答えを選択できてしまう。
正確な文章の理解や、耳と口を使う会話を求められる機会が増えていくと、自分が何もできていなかったことに直面する。
また大学の研究では文献を読み解いていくことが必要になるが、自分が文章を読めないということに気づかされた。
そして、これは「勉強ができない人」に共通している問題なのではないかと思ったんだよね。
僕はこの欠点を理解して意識的に潰して行って、今は以前よりはかなりマシになった。
宇宙人とは言語が同じなのに話し合いは出来なかった。持ってる技術が違いすぎた。
私の他に30人くらい拷問されてる。
たくさん拷問を受けた後全員「新人悪魔」と呼ばれ、ホールに連れてかれた。そこで30人程の「新人天使」と合流し、別の星に連れてかれた。
天使と悪魔の意味は私の知っている意味とは違うようだったが、詳しくはよくわからなかった。
…
場面は変わって私は普通に人間で、日本にある洋風の屋敷に父、母、妹、私の4人で住んでいた。屋敷には使用人が沢山いた。
最近海外では、宇宙人が人を誘拐する事件が多発しているらしい。もう宇宙人に乗っ取られたような状態の国もあるとか。
何でも宇宙人は人間と同じ視覚は持たず、代わりに「楽しいー!」とか「怖いー!」だとかの思いが高ぶっているものが見えるらしい。壁越しでも関係ないとか。
そのため人々は常に平常心で居られるよう、宇宙人の姿が目に入らないように家の中で窓もカーテンも閉めきって、テレビもゲームもせずに静かに過ごしているらしい。
急いでドアというドア、窓という窓、カーテンというカーテンを閉め、屋敷にいる60人程を全て一部屋に集めた。※1
妹も帰ってきた。ドアの鍵が開く音がした時、宇宙人かと思ってびびった。
ブラインドを閉め忘れた大きな窓から、みんな外を見ていた。まだ宇宙人はいなかった。皆ヒソヒソと話していた。
平常心を保つためにはブラインドも閉めた方がいいが、私も外が気になったので閉めろとは言わなかった。皆窓の外を見ていた。心配そうな人と無表情な人が多かった。ワクワクしてる人もいた。
皆が一斉に窓の外から顔を背けて黙った。何かと思って外を見ると宇宙人がいた。私も皆と同じ方向を向いた。
ドアを壊して入ってきた。
部屋までやってきた数人の宇宙人は、一人一人に「お前の好きなことは何だ」と聞いた。
その答えにより、悪魔ルートか天使ルートか決めているようだった。私は「意地悪なあの使用人は悪魔ルート確定だな」と思った。
どんな答えなら天使ルートにいけるのかも考えた。天使といえば澄んだ心か。澄んだ心っぽい答えといえば、人を助けること?ふわっとしすぎだろ伝わんねえよ。家族と過ごすこと?ボランティア?寄付?いやもっと好きなことあるしなあ。寄付やボランティアなんて別に好きじゃないし。嘘ついたら謎の技術でバレるよな。正直に言った方がいいのか?アニメとか、掲示板見ることとか…いや悪魔ルートだろこれ…
悪魔ルートに拷問があることは知っている。悪魔ルートは絶対行きたくない。天使ルートに拷問が無いとは限らないが、それでも天使ルートの可能性に賭けたかった。
ある使用人までは。
その使用人が「アニメを作ることが好きです。仲間と趣味で作ってます」と言うと、宇宙人がピクッと動いた。すぐに別の使用人が「あ、俺も一緒に作ってます。音周り担当してます」と言った。宇宙人はその2人に天使ルートだと言った。
その後は「私もアニメ好きです。沢山見てて」だとか「ダンスが好きです。大会で優勝して」だとか、そんな答えが多くなった。ちらほら天使ルートになった人もいた。
あーやっぱ作り物する人は強いなあ。宇宙人の星にはアニメがないのかも?新しい価値のありそうな文化とそれを作れる人は欲しいよなあ。私はそんな事を考えていた。作り物をする趣味が思い浮かばなかった。イラスト…は昔描いてたけど最近描いてないし、プログラミング…は初歩の本で挫折したし、ツイッター…はみんなやってるしそもそも作り物じゃないし…
結論が出ないまま私の番になり「特にありません」と答えてしまった。悪魔ルートになった。
悪魔ルートの人が集められ、おどろおどろしい建物に連れてかれた。
こうなってしまっては仕方がない。私は拷問を受ける覚悟を決めていた。椅子にくくりつけられる順番を待っていると宇宙人がつかつかやって来て私に話しかけた。
「えーと君さ、あんまこういうとこ向いてないと思うよ。ここから先行ったら後戻りできなくなっちゃうから、本当向いてなくて潰れた人何人も見てきたし…」
えっ向いてる人とかいるの?
そもそもそっちが連れてきたんじゃ?
なんで私が断られた感じになってるの?
潰れるって潰してるんじゃないの?
ていうかこれから拷問する相手になんでこんな腫れ物に触るような感じなの?
もうハテナがいっぱいで、でもうまく言語化できなくて「あっはい。えっと、わかりました。どうもどうも…」とヘコヘコして帰ってきた。
帰った街に宇宙人は1人もいなかった。
屋敷には10人程使用人がいた。私と同じように返されたらしい。
腑に落ちないまま念のため屋敷の戸締りをしていると、いきなりお風呂やキッチンの排水口から触手が飛び出してきた。明らかに宇宙生物の一部だった。
グロテスクで言葉の通じなさそうなそれは、人を殺すためのデザインをしていた。
部屋に戻ると、やはり他の使用人も同じものを見たらしい。恐らく全員が同じ事を考えていた。
「あれに触れたら絞め殺される」
ここで目が覚めた。
私の人生みたいだと思った。
私っていつもこうだとも思った。
※1
目が覚めた後「屋敷の人間を全て一部屋には集めない方が良かったかも?宇宙人に来られたら一部屋で全滅しちゃうじゃん…でも情報の共有はみんなで集まってた方がしやすいのかな」と思った。
今回はモアイ
主要人物である生物教師と、転校生の女子は、それぞれ独自の性癖を持っている。
この二人が出会い、“独特な対話”を繰り広げることで、互いの漠然とした疑問や悩みが収束していく、みたいな話。
生物教師の語る独自の生命哲学、それによって少しだけ救われる女子の、“皮”を介した抽象的な心理描写には拘りを感じる。
時折、骨を愛好する生物教師目線によって、生命に対する視覚表現を曖昧にさせる演出も利いていると思う。
ただ、話を混乱させるデメリットもあるから、このあたりは良くも悪くも、だね。
ストーリーは、大半は生物教師の語りで持たせているだけで、やってることの割に盛り上がりがないというのも気になる。
そのせいで、メタ的に見れば作品内における解答を、漫然と羅列しただけにも見えたかな。
主人公は「空を飛ぶ巨大な亀」が見えるのだが、これは彼にしか見えない。
そんな主人公の半生が描かれるのだけれども、ある意味では展開に驚くね。
話はミステリー方向には行かず、あくまで主人公個人の問題に終結している。
あの手の、あっと驚く系のストーリー漫画に耐性ができてきた身としては、変に読者を騙してやろう、驚かしてやろうみたいな姿勢で描いていないのは個人的には好感持てる。
「空を飛ぶ巨大な亀」が妙に写実的なデザインだけれども、かえって浮いているから存在感が増しているのもいいね。
作中の「空を飛ぶ巨大な亀」が何を暗喩した存在なのかは明言されていないけれども、漠然とは理解できる範疇だと思う。
本作は「空を飛ぶ巨大な亀」を「他人に理解されないが、自身だけ執着している何らかのもの」に置き換えても話はほぼ成立するから、要はそういう感じの話なんだろう。
逆にいえば「空を飛ぶ巨大な亀」に大した理由はなく、話としてはちょっと解体すれば全容がほとんど見えてしまうので話作りとしては肩透かしというか、陳腐な印象を与えるかな。
花畑牧場が北海道に経済的に貢献している(していないってことはないでしょ)ことが視覚的にイメージできないから
一ノ瀬志希ちゃんと言えばデレマスの天才ケミカルアイドル。スハスハするのが好きな志希にゃん。担当外のPさんだとそのくらいの認識のが多いのではないかと思います。私もそうです。いや、そうでした。
本音を言うと志希ちゃんのこと、なかなか掴むのがちょっと難しい子だなと思っていました。でも違ったんです。ちょっとどころじゃないんです。自分程度の人間が彼女のことを咀嚼しようと考えたのが浅はかだったかもしれません。
先日、STARLIGHT MASTER第17弾が発売されましたね。私ももちろん買いました。何たって表題曲が担当に来たお仕事ですので。いつもはキュートでちょっぴりセクシーなアイドルに徹する担当が、自分の路線とはかけ離れたこの曲を歌っている事実、最高に愛おしいです。よく頑張ったね最高のアイドルだよ。
みなぎれ!ボボボンバーも本当に良かったです。日野茜ちゃんがどんな子なのか、曲を構成する全ての要素から伝わってくるようでした。フルで聴いて分かったのは、ボボボンバーは泣き曲ということですね。「あんな愉快な曲が!?」と思った視聴止まりの方、買いましょうCDを。歌詞がなかなかしんどい。良き。
でも今日はNbYでもボボボンバーの話でもなく一ノ瀬志希ちゃんのソロ2曲目、PROUST EFFECTの話をします。
PROUST EFFECTはヤバイ。アイドル一ノ瀬志希をこれでもかというほど脳みそに刷り込んで来ます。絶対に忘れられなくしてくるんです。こんなにも麻薬のような、素晴らしく邪悪な曲があっていいのでしょうか。
志希ちゃんの歌声、変拍子、音、何から何まで全てがヤバイのでとにかくフルを聞いて欲しいんです。中でも一際何がヤバイって、元々浮き彫りになっていた志希ちゃんの天才性を決して視覚に訴えて来ないのにありありと見せつけてくるところ。
私は他担なので志希ちゃんのPさんに解釈違い!って蹴っ飛ばされても文句は言えないんですけど、この曲一ノ瀬志希というアイドルの"偶像"っぷりを脳髄に染み込ませてくると言うか、うまく言えないんですけど簡潔にまとめると「『アイドル一ノ瀬志希』を演じる志希ちゃん」の歌なんですよね。
今まで所謂「普通」とはかけ離れた人生を送って来て、そんな志希ちゃんがアイドルに出会って、自らアイドルという檻に囚われていくわけじゃないですか(それでも相当自由ではあるけれど)、そこまではまだわかるんですけど、本当にヤバイのがそこからなんです。
じゃあ何がヤバイのって、そのファンや演出によって作り上げられた『アイドルの一ノ瀬志希』と「とある1人の少女一ノ瀬志希ちゃん」との差を全く感じさせてこないところなんです。
どんな物にも実像と虚像との間には一定の隙間があるはずなのに、それを限りなく狭く感じさせてしまう。もはや無いものだと錯覚させてしまう。志希ちゃんはその点において正しく天才でした。気が付くのが遅すぎました。神が彼女に与えた一番の才能は、突出した頭脳では無かったのかもしれません。
そういう解釈をした上で、一瞬だけ実像の一ノ瀬志希を視界に捉えられる気がするのが2番サビなんです。本当に一瞬だけ一ノ瀬志希という女の子が掴めそうな気がして、でも彼女は1度瞬きした次の瞬間にはいつもの志希にゃんで。最後のセリフではもう既に私たちの思い描くアイドルとしての一ノ瀬志希なんです。
この子の天才性のミソって誰でも感じ取れるような分かりやすいところにあるんじゃなくて、表面だけ接してたら絶対に分からない奥の奥の方にあるのだと思いました。
それならもはやこの子の最深部には到達できないなと思うわけで、他人がそこに踏み込もうなんてもってのほかで、そこにはもしかしたら本人でさえ辿り着けない聖域なのかもしれない。PROUST EFFECTを聴いた人間は既にとんでもない迷宮に迷い込んでしまっているのでしょう。
当たり前だけど、音楽は音を聴くものだし、作曲者や演奏者は、音に全身全霊を込めているだろう。
でも私たちは、たとえばB’zのライブコンサート映像とか観て、「稲葉さんカッコいい〜!」とか思ったりする。視覚情報につられて、音まで数割増しで良く聴こえたりする。
もちろんこれは聴き手として悪いことではない。というか、自由だ。たとえば、稲葉さんをアイドルのように愛でようがその人の中で完結しているなら問題はない。
私は音楽を聴くなら音をまず第一に楽しみたいと思う方だが、それを他人に提案することはあっても、押しつけることはしたくない。(その二つが紙一重で、過去私も周りに嫌な思いをさせてしまっている…)
そもそも良いコンテンツほど、楽しみ方の幅は広く、そこに優劣は存在しない。
だが、優劣がないもの同士集まるとマウンティングしたくなるのも人間というもので、「自分(たち)の楽しみ方こそが至高」という考えを持つ層はいるものだ。
そういう人たちのことを「サブカルクソ野朗/クソ女」と定義したいが、別にサブカルチャーに限った話でもないしちょっとズレてるか。
高校生の時、周りが就職や進学などでいろいろ騒いでいる中、自分は何がしたいのか、まったくわかっていなかった。また、それに対しての焦りも感じておらず、どうにかなるだろうと、漠然と思っていたものだ。では、その高校生の時になにをしていたかというと、特になにもしていない。中学校の頃はバスケットボールをしていたのだが、高校に入ってからはやめてしまった。友達と遊ぶのが楽しかったのだ。
自分の友達というのはいわゆる「悪友」で、よく酒を飲んだりタバコを吸ったり夜遊びしたりしていた。(もちろん、シンナーや暴走族といった、本格的な悪友では無かったが。)週末になると「ドーバン、ドーバン(土曜の夜のこと)じゃけーけーや(だから来いよ)」と呼び出しがかかり、深夜の駅前の街で違う学校の奴や女の子たちと酒を飲んだり、道の真ん中に円状に座ってボケ合戦をしたりして盛り上がっていた。2年生の頃から付き合っている彼女がいたので浮気することはなかった。
あるとき、町中に「fan」というファッションビルができた。スカスカのファッションビルで、小さな舞台とテレビ局を内包しているもので、ヒマ人だった自分たちは、そこに女子校の女の子たちがよく遊びに来るという情報を聞きつけていたので、学校帰りによくそのファンクに立ち寄っていた。女の子とも仲良くできるし、行けば誰か知り合いがいたので、ファンクに行くのは楽しかった。そんな日々を過ごしていると、小さな舞台で撮影をしているのを見学していたら、「漫才師募集!テレビに出てみませんか」という告知が。趣味でコンビを組んでいた(学校の旅行とかで披露するため)自分はおもしろがって応募する。そしてその場でショートコントを3分ほどやった。コンビの相方が変わったがテレビに隔週で出れる事になった。なぜかギャラはいつも3000円分のお食事券だった。
そんな生活だったから、もちろん成績も悪く、また、勉強する気もまったく無かった。周りも同じだった。
卒業後、とりあえずなんの目当ても無く東京へ上京する。親の知り合いの娘が自分と入れ違いで岡山に帰るということで、そのままその部屋を借りることになる。家具とスクーターをもらって、経堂という世田谷区の小田急線沿線の駅に住む事になった。
本当になんのアテも無かったので新宿のビアホールでアルバイトをしていた。始めてのアルバイトはけっこうきつく、ビアジョッキをよく落としたりお客さんにかけてしまったりした。それでもあまり怒られる事はなく、東京って優しい人が多いなーと思っていた。アルバイトは大学生がほとんどであったが、友達に大学生が増えてきても、まだ大学に行ってまで勉強する意味がわからなかった。いまだにあまりわからないのだが。アルバイトは他にも飲食店を何度かやった。
高校卒業時、服、特に「裏原宿系」と言われるものに興味を持っていた。そこでそういった服を扱う広告制作会社に就職。一年間ほどそこで営業、広告制作、取材などしていた。れっきとした下働きであったが自分用のパソコンも与えられ、そこでコンピュータの使い方、(イラストレーターやフォトショップなど)を覚えた。しばらくして、なんか違うということで、やめた。それが20歳のころ。
とりあえず働かなければ、ということで派遣のアルバイトでプレイステーション2のメールサポート、という非常に地味な派遣バイトを始める。時給が1500円とすごく良かった記憶がある。そのバイトでは、周りにパソコンに詳しい人が多かったから、ホームページの作り方を教えてもらう。プログラムが視覚的に色や形になるのが面白い。なかなかホームページを作るのは楽しく、そのころ友達と趣味で作っていたTシャツをインターネットで売り始める。けっきょく一枚しか売れなかったのだが、インターネットの面白さに目覚めたので、ウェブ制作会社に就職する。半年ほど働いて、会社がつまらない仕事ばかりするので辞める。22歳。
ウェブ制作の派遣アルバイトをしつつ、個人でグラフィックとウェブの仕事を受注しはじめる。そのころフラッシュでサイトを作れる人が少なかったらしく、仕事にこまることは無かった。グラフィックはフライヤーやメモ帳、DVDのパッケージなどを作った。ウェブサイトはいくつかコンペに勝って受注することができた案件もある。しかしながら、クライアントとディレクターとプロデューサーと、、、何層にもなっている仕事の進め方にうんざりして、つまらなくなってきていた。
私の名はシャーロック・ホームズ。カルデアという機関で顧問探偵と呼ばれている。
さて、読者諸君はFGOで現在開催中のイベント「虚月館殺人事件」を楽しんでいただけただろうか?
この先の話にはこのイベントの重大なネタバレが含まれるので、これから参加予定の方は終わらせてから読み進めて欲しい。
では続けよう。知っての通り、このイベントでは犯人がハリエットであること、そしてその動機についても公式に明らかにされ、ストーリーは一見完結した形になった。しかし賢明なる読者諸君がお気づきのように、この事件にはまだ明かされてない謎が2つ残されている。これからそれを見ていこう。
1つ目の謎は、「なぜヴァイオレット家では、両親の呼び名が異なるのか?」だ。
整理すると、ヴァイオレット家は5人家族であり、父・アダムスカ、母・ハリエット、長女・ジュリエット、次女・エヴァ、長男・ケインという構成になっている。長女と次女は2卵生の双子で20歳前後、長男は高校1年生だ。奇妙なことにこの家庭では、3人の子供達全員が父親を「パパ」と呼ぶのに、母親のことは長女だけが「ママ」と呼び、残り二人の子供は「母さん」と呼んでいる。これはたまたまその一時だけそう呼んでいたというのではなく、母親が服毒して今にも死にそうという状況で、長女のみが「ママ」、残り二人の子は「母さん」と呼びかけていた。このような状況においては、他者を意識した呼び名ではなく、長年使っていた馴染み深い呼称が自然と出るものだ。従ってヴァイオレット家においては、何年も前から、一部の子供だけが母親を異なる呼び名で呼んでいたことになる。このような、父親と母親の呼び名が家族内で異なるという奇妙な状況が生じた原因について、作中では明確にされなかった。実は長女と次女は、長男とは異父兄弟であるのだが、それを両親はなるべく伏せておこうとしていた。それなのに、このような家庭内に違和感を覚えさせるような奇妙な状況を放置していたことにも疑問が残る。
2つ目の謎は、「なぜマスターは、母親と次女に対する勘違いを修正できなかったのか?」だ。
こちらの謎は、1つ目と比べてもはるかに奇妙で辻褄が合わない状況となっている。マスターは当初、ヴァイオレット家の母親・ハリエットと、次女・エヴァを取り違えて認識していた。理由は、特殊な視覚補正が入っていたことと、その視覚補正に対してある種の先入観があったためだ。しかしその後、マスターはその勘違いを修正せざるを得ない状況に置かれることとなる。にもかかわらず、マスターの誤った認識は修正されないまま残ってしまった。ではこの謎について、少しだけみてみよう。ヴァイオレット家とゴールディ家は、両家の婚姻の契約のため、立会人を立ててまで、3泊4日で同じ館に滞在することにした。そして一日三度の食事は、基本的に全員が一同に会して行われた。そしてその際の席次は、当然ながら序列を意識したものになるだろう。つまり席順は、ゴールディ家は上座から当主アーロン、妻ドロシー、長男で新郎のモーリス、長女ローリー。ヴァイオレット家は上座から当主アダムスカ、妻ハリエット、長女で新婦のジュリエット、次女エヴァ、長男ケイン、医師ホーソーン、新婦友人のマスター。場所の都合上下位の者が移動することはあっても、両家の上位3名の序列が変わることはないだろう。そしてこのような席次で食事が行われれば、いくらそれまで勘違いしていても、アダムスカの隣に座っている女性が彼の妻であることは誰の目にも明らかだ。
また、食事の際の話題も、当然両家に関係した家族の話題が多くなることになる。それには勿論、ハリエットの話題も含まれるはずだ。このメンバーでの食事において、エヴァは沢山発言する機会があると考えられるし、ハリエットが話題であれば、「母は~」と話すだろう。また、ハリエットに対して、「母さん」、と呼びかける機会も多くあったはずだ。またアダムスカが妻を呼んだり話題にすることも多くあったはずで、その際には「妻は~」などと呼んだことだろう。そしてハリエットが夫をゴールディ家の前で話題にする際には、「パパ」とは呼ばずに「夫は~」「アダムスカは~」などと言うことだろう。このような会話がなされる食事会は1時間以上継続しただろうし、3日間の滞在中食事の機会も何度もあった。そしてその殆どにマスターは同席しており、慣れない人々との食事の席で気を遣いながら注意深く会話を聞いていたことだろう。それにも関わらず、3日間を通してハリエットがアダムスカの妻ではなく次女であると勘違いし続けることは不可能だ。仮に全員がマスターを誤認させ続けることを目的として行動していたのなら不可能ではないが、そもそも誰もマスターが誤認していることを認識しておらず、また誤認させようとする動機もない。また、マスターに特殊な視覚補正が入っていることを知っているものも誰もいない。しかし事実として、マスターは3日間誤認し続けた。ありえないはずのことが起ったのだ。
さて、これら2つの謎について、安直に思いつく一つの仮説がある。
「シナリオライターの力不足により、おかしな設定が放置されたままリリースされた」
というものだ。だがこのような仮説に飛びつくようでは、読者諸君が推理を楽しむことにはなるまい。また、「食事のシーンは作中に出てこない。作中にないシーンを想像するのは推理のルール違反だ」というのも、「もし利き腕を偽るものが居れば食事の際に分かるはずだ」と作中で言っている以上、作中に出てこないシーンについても想像して推理する、というのがこの作品のルールだと考えられる。そして、「マスターは全ての食事の間ずっと極度の注意力散漫で前後不覚状態だった」という考えも、食後に食事が美味しかったねとジュリエットに話しかけていることから、否定される。マスターは通常の認識力を持った状態で食事を楽しめていたのだ。そして、「誰かしらが何かしらの動機でマスターを特殊な催眠状態にさせていた」といった仮説も、「その4 未知な毒薬で~」に抵触してしまうだろう。
ではここまでの話と、「その8 読者に提示されていない手がかりを使って解決してはならない」という原則を利用し、虚月館に残された2つの謎を、読者諸君の推理で解決してもらいたい。正解者には聖晶石プレゼント、という訳にはいかないが、はてブコメントに書いてくれれば、石ではなく星が貰えることだろう。そして集合知が正解を教えてくれるはずだ。
自民党支持率約4割。脅威の数値である。嘘をつき、多くの人を騙し、気にいらない人間を独房に監禁し、
最悪の場合海の藻屑とする圧倒的独裁政権。にも関わらず今日も平和だよねと自分たちの置かれている
状況にもかすりとも気付かない40%の愚民。完全たるディストピアの形成は目前であり、カダフィ、
金日成、フセインも皆憧れ、どうなっているんだとあの世で首をかしげていることであろう。
最近、忖度が人が持ち得る限りの最高の異能に思えてきた。ドラゴンボールの気、ガンダムのニュータイプ、
ワンピースにおける覇気などでは当然叶わないどころの話ではない。あぁワンピースのドフラミンゴがパラ
サイトという人を思いのままに操る技を使っていたな。だが、忖度。史上最強の技である。サインを送る必
要はない。ましてやビジョンを思い浮かべる必要もない。意思すらいらない。有能な配下が実行指針計画結
果の全てを提示するのである。具体的に、視覚的に、明示的に。それらが理解できなくとも良いのである。
いかに重要であるか、いかにそれが進むか、いかなる結果を生み、それがいかなる意味を持つか、臣民が
全てを示すのである。安倍のために。自ずと満足感・高揚感は得られ何もいらない。ただそれだけなので
ある。畏怖の念などという生易しい言葉では語り尽くせない程の深く冷たい闇の底にいる。
http://tsudoi.org/guide/detail/7.html
・大前提として改行あけるよりもインデントの方が視覚的に分かりやすい、ソースを書いた本人だからそう思うだけ、親馬鹿効果
・インデントを前提とした設計がされているエディタをまるで考慮してない
・インデントを無くす代わりに余計なコメントを書いてソースを汚している
・みんなhtmlコーディングの話だと理解した上で言っている、自分が賢いと勘違いしすぎ、整形前のコードは万人に読みやすい支持のあるルール(W3Cに違反しない範囲)で記述するのは人として当たり前
・自分だけが分かりやすいと思うやり方にこだわるのは11年目からやめよう、製作に必要なのは最適化と自分が死んでも問題ない環境づくりの両立であって独りよがりの美しさは誰も求めてない
・インデントが多いと見づらいから勧めていたはずなのに、今はインデントが少ないから使え、という謎の野獣先輩理論、少ないからこそインデントで問題ない
たぶん彼はある面では良い考えだがインデントを排除することが見やすさの向上につながっていない、
もし少しでも記述を減らして早く書きたいのだったらコメントさえ使ってないはずだ。
ある程度の支持も得られたかもしれない。
特に開始タグの前にコメントは必要ない、class名を見れば済む話なので必要なら閉じタグに書くべき。
コメントの使用こそが薄々内心では分かりづらいと思った彼なりの妥協点なのは明白。
あとどうしても深い階層になってしまう場合はスケールに合わせてファイルを分割したり共通かすればいいわけで
今どきhtmlだけしか使わないウェブサイトなんて存在せんだろう…。
気に入らないなら無理に使わんでいい!
都合の悪いことは見なかったことにすんな