はてなキーワード: 自動車教習所とは
○朝食:豆乳クッキー
○夕食:ご飯、納豆(二つ)、卵、減塩野菜たっぷり味噌汁(フリーズドライ)、ブリトー(チリチーズ)
○調子
はややー。
例によって、やる気が出なく、仕事はそれなりにこなした程度。
とはいえ、ちゃんとスケジュール通りには動いていて、普段しているプラスアルファ的なことをしていないだけなので、まあ勘弁してほしい。
来週からは少しだけ忙しくなりそうなので、今週は意識して定時で帰るように努力しよう。
昨日の苦戦と打って変わって、一発クリア。
運んだはいいものの、自動車教習所で待っていた外国人女性はヤカンでインスタントラーメンを作り満足し、ヤカンは結局主人公のものに。
このゲーム、脅されたりなんやかんやで無理やり仕事をさせられる導入が多いけど、なんだかモヤっとする。
今回は怒られはしなかったものの、やっぱりスッキリしないオチでなんだかなあ。
(お湯が欲しいならヤカンじゃなくてもいくらでも方法あるだろ)
三回目でクリア。
強気、というよりは傲慢なだけのイシイが何度も何度も「つれていけ」「つれていけ」と病的なまでに迫って来られて、正直気分が悪い。
唯々諾々と従う主人公も主人公だが、一話で謎のおばあさんに示唆された「救世主」としての使命に芽生え始めた的な描写もあった。
だから、なんだよ。
とまったく感情移入できていないので、やっぱりただただ不愉快だなあ。
さらに、送り届けた後も叱責され怒られちっとも感謝も何もされない上に、救世主を示唆した謎のおばあさんもちっとも具体的な話をしない。
主人公の「……こ、この街はいったいなんなんだ〜」というセリフがものすごく身にしみる。
一発クリア。
ネットに恋愛相談をするタイプの暗い男が映画の卒業みたいなことをしたいから付き添うお話。
一発クリア。
告白するもピンとこない花嫁、そこに新郎がやってきて、なぜか新婦に怒りをぶつける暗い人。
どうも、花嫁と面識がほとんどないのに暗い人は告白したらしい。
メインの筋になる救世主のお話は、一話から出ていた謎のおばあさんが「カメばあ」で、第五話から出てた謎のおじいさんが「ツルじい」というらしく、この二人の間で救世主の価値観がどうのこうのあるらしい。
あるらしいが、興味が全く惹かれない、どっちもどうせ主人公を利用しようとするだけだろうし。
一発クリア。
また理不尽にお買い物モールへ犬を連れていく命令を道行く人にされて、カメばあに救世主が云々と説得される流れ。
ツルじいは、カメばあに従うな! と主張するも、どうせ裏があるんだろうなあ、と冷めて目でプレイしてしまう。
しかも、選択の余地がなく、犬は連れて行くことになり、ツルじいを無視して、カメばあのルートに入った模様。
ツルじいが怒ってしまい、新たな救世主が召喚され、次からはこの人と戦うのかなあ?
あとから調べてわかったけど、エリアを選択するところでお話が分岐していたらしい。
いや、あのさ、じじいとばばあ、しかも好感度のあがりようがない展開のキャラ、のルート分岐って誰が喜ぶねん。
ただ、ただ、珍しく、犬を連れて行ったら感謝されたので、そこだけは良かったと思う。
今日はここまで、昨日に比べればかなりのスピードでクリアできてよかった。
全14話ぐらいだそうなので、半分は来た感じかな。
今週中に終わらせたいなあ。
●3DS
○ポケとる
1、私の自己紹介
私は現在、東京の大学4年生です。そう、就活真っ盛りの就活生です。しかし、就活真っ盛りなのに、今、私はベトナムに旅行に来ています。しかも2週間も。日本人のベトナムのビザなし滞在期間は15日と定められているのですが、私は15日いっぱいベトナムに滞在する予定です。どうして就活生の私がこの就活の大事な時期にベトナムに滞在するのか?自分でも正直よくわかりません。私がベトナムに滞在する事を決めたのはおよそ1ヶ月前のことです。それまで送っていたマンネリ化している生活から脱却するために、海外旅行を決めたのでした。「海外にしばらく行けば、気持ちがリフレッシュされるっしょ!」そんな軽い気持ちでベトナム滞在を決めたのでした。さて、実際にベトナムにきてどうでしょう?私の現在抱いている感情は「はやく日本に帰りたい」その一点です。就活生というポジションでありながら海外、それも日に日に日焼けにより真っ黒になって行く自分を鏡で見ているうちに、どんどん自分の心も黒くなって行くばかりです。率直にいうと、現在の自分は自暴自棄になっているのだと思います。私は現在日本では自動車教習所に通っており、まだ免許取得をしていないのですが、ベトナムでは免許の提示無しにも簡単にバイクをレンタルし、運転することができます。好奇心があり自暴自棄になっている私には、ここベトナムでバイクを運転する他ありませんでした。ベトナムでの無免許運転は本当は違法です。しかしそんなこと知らず、自分がやりたい、ただその一点でバイクを借り、ただでさえバイクの交通量が異常に多いベトナム、ダナンの街中を、気づけば今までバイクも跨った事さえない自分が乗り回しているのでした。バイクに乗っている間は色んなところを見に行きたい、ただその一点です。警察に捕まったらどうしよう、事故を起こしたらどうしよう、そんな事は頭の片隅にも置かれていませんでした。バイクから降り、ホテルでゆっくりくつろいで夜になればなるほど、「自分はいったいベトナムに来て何をしているのだろう」「こんな適当な判断で適当な生活をしていていいのだろうか」「日本に帰って日焼けをした姿で学校の、そしてアルバイト先の皆んなに会ったらなんと言われるのだろうか」と、どんどんと不安が募ってきます。また、自分は今就活生で、友達はどんどんと希望の会社に内定を手に入れ、大学の単位もすでに取り終え、今の時期は卒業旅行のためのアルバイトに精を尽くしているのですが、自分はどうでしょう。学校にもいかないで、またアルバイトもさぼって海外へ放浪し、自分が本当は今しなければ行けない「学校の単位を取る」「アルバイトに行く」「自動車免許を取得する」といったタスクを消化しきれていません。こんな生活を送っていて良いのでしょうか。と思う一方で、「長期間海外旅行に行くことが出来るのは今しかない」「就職したら自分の好きなように行動できない」などという思いもあり、非常に葛藤しているというのが正直なところです。ベトナムに来て改めて自分自身を見つめ返すと、直さなければ行けない点、直さなくても良い点、両方あると思います。しかし現在の自分は、直さなければ行けない点ばかり深く考え込んでしまい、どんよりとした感情になってしまっています。これはいけないことだと自分で思います。自分にとって最高の状態はどのようなものかというと、学校の単位を取り、アルバイトに行き、自動車免許を取得し、海外旅行に積極的に行き、自分の好きな事を思いっきり楽しむ、これら全てのことをやり遂げる必要があると思います。そのためにはどうすればいいか?それらの内何かを抑え込む必要はあるのか?この事は深く考えるべきことだと思っています。
2、私が目指しているもの
私が目指している本当のものはどのようなことなのでしょうか?自分で考えた結果、簡単にいうとおそらくこういうことだと思います。「自分自身で価値を生み出し、自分自身で稼ぐ力を身につける」結局、自分は周りの環境に揺らぐことなく、自分のやりたいことをどんどんやっていく必要があるのだと思います。そのためには費用と時間が必要となります。先に述べていませんでしたが、私は現在、内定を一社から頂いています。ウェブやアプリ制作会社のシステムエンジニアとして、内定をいただきました。内定の承諾の連絡も済ませました。しかしそれでも、未だに「本当にこれで良いのだろうか」と心のどこかで思ってしまっています。なぜなら、就職したら自分の持つ時間の大半を会社に注がなければいけないから。「やりがいのある仕事なら充実できる」という人もいますが、実際どうでしょう?現在の私の思うところでは、自分自身で稼ぐ力を身に付けることができるのか?という点に対して、会社で働く事に少なからず疑問が生じています。私のようなまだ1回も正社員として働いたことのない人間が言うのもおこがましいことだとは思いますが・・・。ただ、どうでしょう、アルバイトでは基本的に時給で働きますよね。正社員も基本的に固定給で働きますよね。(会社によるかもしれませんが、基本的に。)それって、自分で稼ぐ力が付かなくてもお金がもらえるってことですよね。その様な条件でこの先ずっと生活をしていくと考えたら、正直、恐ろしさを感じています。自分で稼げる様になりたい。私は強くそう思っています。そのためにどうしたら良いか?私なりに色々考えました。ものの転売をして稼ぐ、株やfxをして稼ぐ、アフィリエイトをして稼ぐ、などなど・・・稼ぐ手段にはあらゆる物があると思いますが、私は、形ない0の状態からものを生み出して稼ぎたい、という思いから、自分にとって一番可能性がありそうな文章で稼ぐ、というものに興味を持ちました。文章で稼ぐには、人々を惹きつける魅力ある文章を書かなければいけないと思います。私はこの記事を書くことで、私の文章がどれくらいの人を惹きつけることができるか、自分自身の力試しの様な思いを込めてこの文章を書いています。批判でもなんでも構いません。私の書いたこの記事を読んで、どう思ったか、「駄文」の一言でも結構ですので、何かリアクションを頂けると幸いに思います。自分の集中力が切れてきたので、とりあえずここまでで文章を投稿しようと思います。何かリアクションをいただけたら幸いです。
コンビニ店員と、お客さんがレジで懐かしく話しているようだった。
お客さんは、校長先生を退職されてしばらく経っっているくらいかという感じだった。
お客さんの年齢からいって、学生時代を知っているということは店員さんが小学生か中学生かというところだろう。
と店員。
お客さんは
「えっ?」
お客さん
「そんなに混んでるのかあ。」
「いらおこしょんどいよ。」
お客さん
「えっ?」
「みんな、ちょう怒っちゃって。なんで乗れないんだーって。」
お客さん
「そうなんだ。」
お客さん
「えっ?」
「捨ててくるから待ってて。」
お客さん
「うん、あ、そろそろ帰る。また来るよ、頑張って。」
店員さん
「あざっす。」
お客さん
「えっ?」
「ありがとうございます。」
お客さん
「うん、じゃあね。」
最後に店員が何か言ったらエンドレスで話が続いてかも知れないがここで終わった。
日本語に訳す能力があるのなら、最初から日本語で話せばいいと思うが、一旦相手に伝わらないかもしれない言葉を最初に出すのはなんなんだ。
彼いわく、
「童貞ですよ」「ブサメンですよ」「身長160くらいしかないです」
とのこと。
で、エロゲーやるときも童貞丸出しでやってくれるから、気持ちよく視ていた。
実の姉のパンツでオナニーしたり。バイト先の客を思い出して抜いたり。
底辺実況者なのでコメントとかでもフレンドリーで距離が近かった。
「告白されたことありますよ。3回です。彼女も一応いたにはいましたよ」
あ、、、あれ????
「告白は~。えっとー最近だと、自動車教習所で、一目ぼれしましたみたいな女の子が来たんですけど、ちょっと僕にはエロゲーで目が肥えちゃって不細工にみえちゃったので断りました」
「偏差値50くらいの大学行ってます。友達とかは皆彼女いるかなー。やることやってますよねー。そいつらとこの前スノボもいったんですけど~」
その後も、バイト先で連絡先渡されただの、ワンオクが好きだの、典型的ウェーイ。
おかしい。
車買ったら速攻デリヘル行った彼はどこ?
オレ、本当に切れてしまった。
俺は彼なんかより金持ちで、医者で、身長も彼より1センチ高い。
なのに、俺は一回も告白どころか、告白しまくっても彼女できたことないのに。
もうなんか、やる気がうせた。
その後言い募ったら、
「社会人なら、街コン行くといいですよ。僕の姉も行ってますよ。」
だと。
彼の実況が生きがいだったのに。。。
自分が他者を指導する立場ならともかく他人のことなんかかまってる余裕なんて無いでしょ。
(もしくはどんなに煙たがられても、権力がなくても資格がなくても指導の結果別の事件に発展したとしても、世のため理想のため自分が犠牲になって指導するとかでなければ)
まずは自分が事故るな。なにがなんでもだ。譲らずに突っ込むのも程々にな。どんなに自分が法的に正しいとしても自分でも他人でも体もケガも命も誰かに代わってもらえるものじゃない。よくて保険金の額が少々上がる程度だ。
まあこれでも読め。
アフリカの路上で生き延びるには(ケニアの自動車免許取得・ズク教官の教え)
今朝8:30ごろ、ゴミを出しに行ったら、民家の前に自動車教習所の教習車が停まっていた。
中には誰も乗っていなかった。
その時はそれほど気にしなかったんだけど、後から「なんで?」と気になりだした。
この条件(最後は記憶があいまいだけど)で、朝に民家の前に教習車がある合理的な理由って思いつく?
追記:
うんこ回答ばっかりで増田に書いたことを後悔しかけたものの、いくつかは納得できる説があり、書いてよかったなと思ってます。
どっちも車で移動するロードムービーだけど、そういうんじゃないんだ。
1)シェフ 三ツ星フードトラック始めました(以下C) と ドライブ・ハード(以下D)を一言で言うと両方とも
満たされない人生を送っている主人公がハッピーになる物語である。
2)もうちょっと詳しく言うと、
満たされない人生を送っている主人公が、ひょんなことからさらに酷い目にあって、よい人生を取り戻す物語である。
「あたりまえすぎる」よな。もうちょっと詳しく書こう。
3)#1煮詰まってて平凡な毎日を送る主人公。意に染まない退屈な仕事を繰り返していた。
#3試練をくぐりぬけ、
#4自分の本当にしたい仕事に気付き、それをはじめる。圧倒的成長!
#5ついでに愛も取り戻す。
じゃあ行くよ。
#1
C:主人公はカリフォルニア州在住のデブアメリカ人の中年コック。若いころから名声を得て将来を嘱望されていた。高級レストランでシェフの座についている。(世間体はいいのでこれを失いたくない)
だが所詮は雇われの身。オーナー(ダスティンホフマン)には逆らえない。
オーナーはダサい定番メニューでやっていくことを押し付けてくる。オレの横溢するクリエイティビティはどうなる!
そして稼ぎのよい金髪の嫁とは離婚。息子を送り迎えすることでかろうじてつながっているが、それも身が入っていない。
D:主人公はゴールドコースト近辺在住のロン毛オーストラリア人の中年ドライバー。若いころは優勝経験もあるレーサーだった。今は自動車教習所で働いている。(レースより生命の危険がないので嫁の受けはいい)
そして稼ぎのよい金髪の嫁とはうまくいっていない。娘の送り迎えする、それも身が入っていない。
自動車教習所の色っぽい女性事務員からはなんか好かれてるっぽい。
#2
C:自分を殺してダサいメニューを出したら超有名ツイッタラーに食べログでバカにされた!俺の真のすごさを見せてやる!だがオーナーに定番メニューを出さないとクビだと言われる。ついに堪忍袋の緒が切れた! ひどい情弱だったのでツイッターのDMとRTがわかっておらずヤッチマッタて注目を集めた状態で店でやらかした様子を撮られ、YOUTUBEで炎上。
珍獣としてネットでは人気者になるが超恥かいた!クビになる。息子や同僚の一部には、よくやった!と思われたり言われたりする。
D:変な客に教習を指名されたぞ・・・あからさまに怪しい・・・なんだこいつ銀行強盗かよ!
全豪放送テレビニュースで強盗の共犯として顔と実名が報道される。
娘(多分Cの息子より幼い)には大うけ。嫁は苦い顔。
#3
C:元嫁と元嫁の元旦那(言動が多動症っぽい。アイアンマン)の助けで屋台トラックを始める。
色々あって元同僚+息子(夏休み)と長距離移動。
元嫁に、あんたがヨハンソンといい感じなの知ってるのよ、とチクリとやられる。
D:銀行強盗は凄腕の泥棒だった。銀行には元泥棒を酷い目に遭わせた奴がおり、強盗はその借りを返してもらうためだったのだ
(900万USA$)
あの手この手で泥棒の運転手であるという状態から逃げ出そうとするが、ままならない。
しなを作って主人公氏は只者じゃなかった。すごい奴だと思ってた。と喋る様子が放映され、それを見て嫁はやきもき。
#4
C:息子と心を通わせる。オレは間違っていた。意に染まない料理なんか作らなくていい。
息子が望んでいたのは遊園地に連れて行ってもらうことじゃなくて、情弱な父親にネットのすばらしさを教えたり、料理やオトコの生き様(未成年飲酒とかはちょっと・・・)を教えられたりすることだったんだ!
食べログツイッタラーには「あんたには憧れていたんだよ・・・それをあんなダサダサメニューで失望させやがって・・・だが今のこの屋台料理は最高だぜ」と言われる。
D:泥棒に、もういいよ。ドライバーの役割は終わってもいいと言われる。だが、男の誇りに火が着いた!
相手の悪者を出し抜いて、お前を送り届けてやろうじゃないか!
バトル!勝利だ!
#5
C:超お金持ちから、新たな店を出す金を出してやるといわれる。息子は腕のいいシェフになるだろう。将来楽しみだ。元妻と再婚してエンド。
D:泥棒から報酬で300万USA$をやると言われていた。妻の愛を取り戻して、レーサーに復帰を決意。娘はトレーラーで運ばれてきたレーシングカーにのってウキウキでハンドル握ってレーサーごっこ。父親の威厳と生きる意味を取り戻したぜ!エンド。
共通点(と違い)
・真の愛情の対象 金髪の嫁(高給取り) 離婚済みまたは離婚寸前。
・色っぽい偽の愛人(Cでは寝てる※直接描写はない;が Dではセックスレス。嫁一筋)
・一種のバディムービー
(最初は反発しあい、最後にお互いを認め合うやつ。「リーサルウェポン」など)
Cにおいては、相棒の機能は 息子 と 裏方の元職場のセカンドシェフ に分解されている。
・世界の半分をお前にやろう
Cでは金持ちの共同出資者からの提案を受け入れ、フードトラック業者から、店舗型レストランシェフにクラスチェンジしている。
とりあえずいったん閉じる。
「飲酒運転で銃殺刑」はいつ始まったデマか - 今日も得る物なしZ
http://kyoumoe.hatenablog.com/entry/20150107/1420612185
記事の内容自体はとても興味深いもので、アメリカで生まれた過去の文章が裏付けも更新もされずに新聞記事になったり国会答弁で例示されたり日本の自動車教習所で普通に教えられているという実態が明らかにされている。
ブコメではそれ以外に、筆者の能力への賞賛が数多くなされている。「その能力を仕事に使用すればニート脱出できる」みたいなコメントにスターがたくさんついていた。
今回の記事には、英語リンクも含まれているからか、いつもとくらべてインテリ属性が増している感じはする。やまもといちろうのように仕事のできるイメージが湧いてくる。
といってもこの手のネットの噂の追っかけをやったことある人なら分かるだろうが、こういう検証は延々と検索サイトとにらめっこしていれば自然とできることなので、仕事の能力とは何ら関係ない。特定のキーワードで当たりをつけて、時期を絞り込んでいって、時に言語設定や検索サイト自体を切り替えながら、延々とネット上のルーツを追っていく。知らない外国語だろうが、当たりをつけた単語を自動翻訳して追いかける。検索し続けると疑問点が増していくので、嵌ってしまうと1日潰れる。ニートにしかできない趣味だ。
しかも、こうして1日潰しても、所詮ネット弁慶な人ばかりなので、ネットの噂に対してある程度の発生源の目星をつけることができても、あくまで「目星」であり、「これだ!」と断定できない不毛感もつきまとう。ネットから離れた裏付け検証・裏付け取材ができれば良いが、それは非常にハードルが高くなる。そこまで出来る人、例えば荻上チキさんのような方ならば、仕事のできる優秀な人材として引く手あまただろうが、単にネットで延々と検索するだけというのは特殊技能でも何でもなく、時間があれば誰でもできることである。
何かTM2502氏が(蛇足)あーんまーりだぁー! - Why do you need ...?と嘆いていたので、実際青二才氏の該当エントリ(体罰と「想像力」と「公共性」と… - とある青二才の斜方前進)を読んでみたところ文章があまりにも汚いので、添削修正して翻訳してみました。え、何故自身のブログに書かないのかって……? だって、何かヤじゃん、何かさ。
なお、強調するタグ等はiPhoneからの更新なのでありません! ごめんなさい! あ、あと青二才氏本人から消せと苦情が来たら消しますのでご了承ください。また私自身国語が苦手なので、もし何かおかしい部分がありましたら修正いたします。
では、以下が本文となります。
僕は経済学の人だから「公共財の概念」から見て、体罰は必要だと考える
Twitter等で「教育目的なら体罰も必要になる」と発言したところ「体罰が無くても教育はできるし、クラス運営もまともにできる」と反応が返って来た。この発言の問題点を浮かび上がらせる為に、ここで岡田斗司夫さんとの対談での東浩紀さんの発言を引用する。
「体罰ならまだ明確な線引きができるが、これがハラスメント(嫌がらせやいじめ)ともなれば、もはや線引きさえできなくなる。従って、生徒と関わらないように、関わらないようにすることこそ教員の合理的な行動である。」
以上の発言は「いじめ問題」だけに限れば的を得ている。つまりは「教師に与えられた「権限」と、教育者が「求められる水準」が不一致になっている」ことが問題である。
家の中で「しつけ」をする機会が共働き等で減れば、ますますこの「不一致」は拡大する。たとえば「子ども」が教育の現場に増えたら、教育の現場に「勉強教えろ!」と親御さんが言ったところで、現実は授業が聞けずコミュ力が無い子供がそうでない子供の授業を妨害し、勉強を教える以前の問題になる。これは病院や自動車教習所も同じだ。
ここで経済学を使って例えれば、確かに患者も生徒も(及びその保護者は)「お客様」ではあるが、その考えは50%は正しく、50%は間違っている。確かに、医者も先生も「正しいこと」は教えられるが、「正しいこと」を守ったり実行する気がない人には教えても無駄だ。
とりあえず学校も病院も、基本的には「病気を治す・免許取るのはあなただから、目的を果たしたければちゃんとやってね」という場所なので、体罰や反抗的な人が荒らしたりすることも少ない。(そして、利用者に「大人」の割合が多いからね)
だけど『公共財』という概念で考えたときに「リスクを負うのはあなただから、あなた自身がちゃんとやってね」では済まないのが「公教育」の難しさである。
ここでいう『公共財』とは、道路や学校の授業、映画館や電車のように「みんなで使う・共有するモノ・サービス」のことを指す。
経済学の用語だから難しく聞こえるが、要は「映画館でしゃべる客・暗闇でおっぱい触る男、喘ぐ女は死ねばいい」「電車の中で吐くなよ!臭いじゃないか!!あああ、そこ((((;゚Д゚))))もらいゲロするなよ(´・ω・)」というだけの話だ。
しかしそんなお客でも、お金払ってる以上は排除できない、理由は原則として誰でも利用できる施設だから。例えば電車で隣の椅子に、横に巨乳女子高生が座ってても、臭いホームレスが座ってても、同じ料金を払わなければならないからだ。
この『公共財』という概念は、学校に対しても適用してもいいと考える。理由は授業はバカでも賢くても平等に受けられ、そこで授業中に騒ぐ奴がいれば「俺の勝手」ではすまない。
そして騒ぐ奴に限り「スクールカーストが高い」場合が多く、生徒同士で注意して自浄する事もできない事が多い。僕が体感した例としては、腕力の強い野球部部員が若い女教師いじめて辞めさせられる(注釈:「辞めさせられた」という述語が「野球部員」か「女教師」のどちらの主語に掛かってるかは不明)というパターンを目撃したことがあるし、そういう生徒は自分よりも弱い・優しいから殴ったりしない先生にはでかい態度をとる。
更に高校も大学も簡単には「停学・退学」を行うことはできないから、そういう生徒が教育サービスを劣化させるという事はどの段階の教育にも言える。
だが経済学上は「問題児は業務妨害・営利妨害」と判断でき、問題児に対してしかるべき制裁をくだせないような教育現場は、真面目で優秀な生徒に対し罪悪である。
自分の思想は「保守的な(個人的)功利主義者」と定義しているので次のように考えている。明らかに迷惑な生徒は「人権の範囲内で」殴られて然るべきであり、また殴られない現状こそがおかしい。(※私も宿題忘れて殴られたことはあるので。)
「公の利益の最大化」を考えるなら、むしろ体罰は人権問題と衝突しないで容認されるべきで、人権と衝突するのは「教育的要素がない」場合であり、つまりは「(迷惑な生徒の)暴力」に対して衝突するのだから、悪いのは体罰というツールではなく、体罰を振るう相手や目的を定義しない「人間」の方だ。
そもそも教育現場を『公共財』として見て、教師を「インフラ」として見れば、教師に高いハードルを求めるような「体罰は絶対ダメ」だという論調や、「偏差値が高くなるような教育をやれ」という論調を、教師の仕事として定義するのはおかしい。
学校は塾の代わりじゃないし、教師はあなた達の召使いじゃない!
公共財を守るために、躾の悪い子どもに体罰を振るのは仕方ない事で、まして体育会系の学校だとなおさらだ。それを体育会系でも関係なしに「全面的に(いついかなる時も)体罰禁止」という言い方をメディアで、ネットで、報道が、政治家が、庶民が主張するのはイかれてる!
スポコン的なシゴキを否定するなら、au等が「巨人の星」を使うのは「体罰推進作品」を使うのは不味いのではないか。
だけど、体罰反対論者に聞きたいのは「星一徹は飛雄馬憎しで、体罰を行なっていたか?」という議論。
あらゆるハラスメント(嫌がらせやいじめ)でも同じ議論ができるけど、体罰そのものを「悪」という人達は、体罰された相手との相互関係を考慮しておらず「頭ごなしな人達」こそ愛がないのではないか?
一徹氏を全面的に賛同するわけでは無いが、星飛雄馬がプロになって注目選手になれたのは間違いなく一徹のしごきがあったからだ。
学校においても、全国区のスポーツ学校になるために「体罰」は切っても切れない関係のはずた。それを文科系の知識人等が自分の価値観、愛情の形で「あれは暴力だ」と言っているに過ぎないのではないか?
例えば、自分の子が万引きしたときにビンタしたと打ち明けた母親がいるが、その場合は子どもが「被害者」なんですか? 親が感情的になったから、悪いのは親なのですか?
答えは求めてないから、いらないよ。てめーの脳天に杭を打ち込んでやりたいと思ってるだけだ!
一ヶ月ほど前に、バイトの新人さんが来た。この新人さんを、仮にAさんとする。
私はタイミング悪く、Aさんとシフトがカブる日が一週間ほどなかった。すれ違いで出勤するシフトになっていた。
私は新人さんを楽しみにしていたので、会うのを待てずに、Aさんの研修をしたB先輩に印象を尋ねた。
すると、温厚なB先輩が「あの子はできない子かもしれない」とポツリ。こりゃ相当だぞ、と思いつつも、「まあ、まだ始まったばかりですからね!」とフォローを入れると、B先輩はうーん、と唸っていた。
そして、Aさんと初対面の日が来た。しかし、Aさんは来ない。五分、十分待っても来ない。その日同じ時間に入っていたCさんに、「Aさん、来ないですね」と言うと、Cさんは「実は」と言った。「実は、今までの勤務、全部遅刻してるんだよ、Aさん」と言った。初出勤から数えて全四回である。四回目のときには、Cさんが雷を落としたそうだ。この怒ると超絶コワイCさんの雷を受け、それでも今日遅刻してくるとは、ずいぶんな神経をしているようだ。Cさんと二人、うーん、と唸っていると、十五分遅れてAさんが現れた。当然、Cさんは呆れ顔だ。
「一応訊くけどさ、なんで遅刻してきたの?」とAさんに問うCさん。
Aさんは、俯いてスイマセン、と一言呟いた後に「いつもと違う路線を使ったら、時間がわからなくて」と言う。
「ケータイ持ってるでしょ?だったらさ、路線検索とかあるよね。それで調べられるはずだよ」とCさん。もっともである。
するとAさん、すかさず「パケ放題に加入してなくて…」と仰る。苦しいぞ!とツッコミを入れそうになった。もう、Cさんも口をつぐんでから、「あっそう」と一言言うだけだった。Aさんが手にしているのはスマートフォンだ。
それから業務を開始したのだが、「今日で五回目ですよね?」と確認を入れたくなるほどの、初歩的なミスを連発した。Cさんは、もう失神するんじゃないかというくらいに教え、苛立っていた。
それが、私とAさんの初対面だ。
その後、Aさんの仕事ぶりを見ていると、メモはちゃんと取っているし、まあ遅刻以外はなんとかなるのか…と思っていた。
しかし、一ヶ月ほど経過した最近。全く、初日に見た仕事ぶりと変化がないのだ。つまり、一から十まで教えないと何もわからない状態。メモを取っているはずなのに。来るたびやる業務でさえ、Aさんは何もわからない状態なのだ。Cさんをはじめ、Aさんに教える人たちは、短気でなくとも皆イラついてしまうほどだ。
なんでこんなにできないのか。周囲は怒りを通り越して、疲弊していた。
しかし、最近の会話で、どうもAさんは障害者なのではないだろうか、という意見が上がった。
Aさんは、以前まで二種類バイトをやったそうだ。しかし、どちらも一ヶ月でクビにされてしまったらしい。
お金を払って通っていた自動車教習所に至っては、S字・クランクの時点で挫折し、教習所をやめたそうだ。
なのに、Aさんは「Aラン大学」と言われるところに在籍だ。どうなってるんだ。
学校の授業から漫画やアニメ等におけるジェンダーバイアスに興味を持ったんだけど
本を見てもネットを検索しても女性にとってのバイアスしか解説されてないので、
男としては以下みたいな事も気になったりするんだけど、これらもジェンダーバイアスと言っていいんでしょうか
・男女で行う勝負事は大抵女性側が勝つ。
・男性の活躍は女性のサポートあってこそ。最近の特撮物とか見ても味方に強力な女性キャラが多い。
・しかし女性は男性のサポート無しでも十分活躍できる。男が空気なプリキュアとか象徴的。
・男性ヒーローの作品には、主人公を喰うレベルの「男顔負けのスーパーウーマン」が頻繁に出てくる。
・一方、女性ヒーローの作品には漏れなくヘタレ男が登場して主人公のかっこ良さを存分に引き立てる。
・女性=善、男性=悪。ファンタジー世界が舞台のRPGなどでも女神(女王)は正義、男神(男の王)は悪という配役が極めて多い。
・女性=優秀、男性=愚劣。既に書いたが優秀でカッコイイ女性を描く場合、高い確率で対比させるためのダメ男が登場する。
・女性は悪役として描かれる場合でも、実は同情すべき可哀想な事情があるという設定になることが多い。特に推理モノ。
・性別を逆にした場合は言うまでもなし。
・女性は成功のイメージ、男性は失敗のイメージ。ビジネスを題材にした漫画等の解説シーンに多し
・男性は加害者、女性は被害者。自動車教習所の教本とか笑えるくらい事故を起こすのは男、事故に巻き込まれるのは女だったりする
・そのわりに安全運転で感謝されるドライバーは女性で描かれる。
『紅一点論』とかも面白く読んだんですけど、取り上げてる作品が自分の世代と合わないせいもあってかピンと来ない部分も多々。
http://anond.hatelabo.jp/20110901132332
うちの近くのイオン
元々自動車教習所だった土地で、自動車教習所のコースの上にまるごと建物を建てた
いまではその教習所のコースがイオンの屋上にある、といえば大きさがわかってもらえるだろう
その大きな建物の幅を目一杯使って
レジが25レーン程あり、レジ一つに対してバーコード読み取らせる人と、清算する人
担当を二人に分けることで常に流してるのだが
それでも夕方頃にいくと全てのレーンが長蛇の列になっている
どれも満足してるしお店として不満はないのだが
しかし現行のレジというシステムであれ以上の効率化ができるとは思えない
建物をあれ以上大きくするのも
今の配置を崩さないでレジを増やすのも無理だろう
客を並ばせて、一つ一つ商品をチェックするという根本を変革しないと無理だろうと思う
10年後にはかごを持ってゲートを通っただけで清算が終わっているように
いや、かごに商品を出し入れしただけで終わっているようになるかもしれない
などと考えてると列に並んでいる時間も過ぎていくのだった
差別するようなバカは、差別されても仕方ないと思う。「差別をするバカ」と差別されて仕方ない。
それにしても、頭がいい人間が頭が悪い人間(彼らにとっては「人間」ではなく「ケモノ」なのかもしれないけど)を差別しても寛容なのはなぜだろうか?
ネットって言うのは自動車の教習所みたいだ、っていうエントリがあった。インテリもヤンキーもおたくもDQNもヨシモトもアキンドもゲイニンもいて混沌な場所だ、って言う話だった気がする。そのブコメに、ああいう場所(自動車教習所)は苦手だ、みたいなことを書いてあった人がいた。頭のいい人だ。
たとえば、DQNやヤンキーやバカが苦手で同じ場所(公共の場所)にいたくない、なんて、言っても拍手喝さいかもしれない、頭のいい人は。だけど、バカDQNヤンキーを朝鮮人部落知的障碍者変換したらどうなんだろうか。
わたしはあたまがいいっていうことを理由にいじめられた、そんなエントリがあった。まあ、そういうこともあるだろう。しかし、「わたし」以外のいじめの場合、圧倒的にあたまが悪いの方が多い(いじめの理由付けの一番は見た目だと思う。二番目がバカ)。でも、あたまのいい人は頭がいいということでいじめられたと共感する。
頭がいいって言うのは、頭が悪い人間にとってそれだけで暴力に近かったりする。コミュニケーションには暴力がいつも含まれている。だけど、頭のよしあしで立場(位置エネルギー)が違い、コミュニケーションによる暴力的な部分の運動エネルギーに変換されて、痛いんだよね。
子ども嫌いで、子どもとかかわらずに生きても文句を言われない社会ってとてもいいなあ、と思う。ぼくが子どもが苦手だからである。ロリエでもロリ絵でも猫耳メガネショタでも女装ぼくっこでもヌけるぼくですが、子どもは苦手だ。いままで童貞でこれからも童貞であろう貧乏なぼくは子どもを育てることはないだろう。まあでも、もし、自分の子どもができたとしても、苦手だろうなと思う。しかし、だけど、子どもと接さずに社会生活を送るって変だ。虐待親とか非難しても、なにかおかしい。
子どもとかかわらずに生きることができるって、子どもを壁の中に閉じ込めているってことじゃないのか?そういえば、子どものときは、ぼくはいつも、不自由で不機嫌だった。今も、不自由で不機嫌だけど、あのころよりはましな気がする。
それと同じ。頭がいいであろうあなたたちが、頭のわるい人を閉じ込めていない?ってはなし。いや、実際、とても不自由を感じるわけです。でも、頭がいい人は、そんなわけがない、平等だ、って言うんだろうかな。
頭がいい人はだいたい頭の悪い人が嫌いだ。そして意識的に無意識的に壁を作る。バカに入れない壁。そんなことをしていないとは言うが、言葉の暴力や知性で傷つけたり操ろうとしたり見えなくしたりする。
あと、大学って研究機関でもあるんだろうけど、教育機関なんだから、バカを落とすなよ、と、最後に低偏差値低学歴低IQのマスダは思います。
差別するようなバカは、差別されても仕方ないと思う。「差別をするバカ」と差別されて仕方ない。
それにしても、頭がいい人間が頭が悪い人間(彼らにとっては「人間」ではなく「ケモノ」なのかもしれないけど)を差別しても寛容なのはなぜだろうか?
ネットって言うのは自動車の教習所みたいだ、っていうエントリがあった。インテリもヤンキーもおたくもDQNもヨシモトもアキンドもゲイニンもいて混沌な場所だ、って言う話だった気がする。そのブコメに、ああいう場所(自動車教習所)は苦手だ、みたいなことを書いてあった人がいた。頭のいい人だ。
たとえば、DQNやヤンキーやバカが苦手で同じ場所(公共の場所)にいたくない、なんて、言っても拍手喝さいかもしれない、頭のいい人は。だけど、バカDQNヤンキーを朝鮮人部落知的障碍者変換したらどうなんだろうか。
わたしはあたまがいいっていうことを理由にいじめられた、そんなエントリがあった。まあ、そういうこともあるだろう。しかし、「わたし」以外のいじめの場合、圧倒的にあたまが悪いの方が多い(いじめの理由付けの一番は見た目だと思う。二番目がバカ)。でも、あたまのいい人は頭がいいということでいじめられたと共感する。
頭がいいって言うのは、頭が悪い人間にとってそれだけで暴力に近かったりする。コミュニケーションには暴力がいつも含まれている。だけど、頭のよしあしで立場(位置エネルギー)が違い、コミュニケーションによる暴力的な部分の運動エネルギーに変換されて、痛いんだよね。
子ども嫌いで、子どもとかかわらずに生きても文句を言われない社会ってとてもいいなあ、と思う。ぼくが子どもが苦手だからである。ロリエでもロリ絵でも猫耳メガネショタでも女装ぼくっこでもヌけるぼくですが、子どもは苦手だ。いままで童貞でこれからも童貞であろう貧乏なぼくは子どもを育てることはないだろう。まあでも、もし、自分の子どもができたとしても、苦手だろうなと思う。しかし、だけど、子どもと接さずに社会生活を送るって変だ。虐待親とか非難しても、なにかおかしい。
子どもとかかわらずに生きることができるって、子どもを壁の中に閉じ込めているってことじゃないのか?そういえば、子どものときは、ぼくはいつも、不自由で不機嫌だった。今も、不自由で不機嫌だけど、あのころよりはましな気がする。
それと同じ。頭がいいであろうあなたたちが、頭のわるい人を閉じ込めていない?ってはなし。いや、実際、とても不自由を感じるわけです。でも、頭がいい人は、そんなわけがない、平等だ、って言うんだろうかな。
頭がいい人はだいたい頭の悪い人が嫌いだ。そして意識的に無意識的に壁を作る。バカに入れない壁。そんなことをしていないとは言うが、言葉の暴力や知性で傷つけたり操ろうとしたり見えなくしたりする。
あと、大学って研究機関でもあるんだろうけど、教育機関なんだから、バカを落とすなよ、と、最後に低偏差値低学歴低IQのマスダは思います。
http://workingnews.blog117.fc2.com/blog-entry-2050.html (自動車教習所指導員だけど何か聞きたいことある? - 働くモノニュース : 人生VIP職人ブログwww)
自分でも情けないほどに、私は車の運転に向いてないと思う。まず、人よりもコツをつかむのが下手だ。アクションゲームとか繰り返しやらないと上手くいかないし、逆上がりも中3になって初めてできたくらい。力加減の調整もうまくできない。コツの習得に通じるものがあるけど、力が入りすぎたり、足りなかったりする場面が多い。あと、視覚による空間認識が多分劣ってる。特に奥行きの認識が多分うまくできてなくて、見た目での距離の判断とかできてない。
高校生くらいからこれらのことは自覚をしていたので、一番時間がある大学生の時は親や友人から「免許は?」と言われても「多分ダメ」と逃げてきた。しかし、社会人になって、世の中が身分証明書に厳しくなってきたのもあって、転職を機に免許を取ろうと決意して、教習所に通うことにした。
で、最初に受けた適正試験で、案の定、不適格と出て落ち込んだ。このことを、50にして免許を取った母に愚痴ったところ、「私も出たから大丈夫」と言われて励まされる。で、気を取り直して、初技能教習へ行くと、初老のおっさんの指導を受けることに。なんていうか、その時点で私の運命は決まっていた。そのおっさんは、良く言えば厳しい、悪く言えば立場のわきまえてないおっさんだったのだ。免許を取るために教習所に来た人間で、初めての技能教習ということは、ハンドルを握ったことがなければアクセル/ブレーキを踏んだこともないのが当たり前。なのに、口を開けば「なんでこんな簡単なこともできないの?」ばかり。気の小さい私は「できないから来てるんだ」という言葉を飲み込むばかり。1回の教習でかなりのストレスを抱えた私は、結局2度と教習所に行かなくなってしまった。
で、免許を持たない私は、次の転職の時に、入社前の時間を使って写真入りの住基カードを作った。まー、住基カードを作るのも免許があった方が素早くできるとか、SoftBankは住基カードを身分証明書と認めなかったり、と納得いかない部分はあるけれど、ある程度は認められているのでよしとする。
私立大の入学式ってのは残酷で、往々にして附属の奴らが固まっていて
田舎から出てきた俺が友達を作るすべなんてなかった。
学生証というなの身分証明書でTSUTAYAカードを速効作ってビデオをレンタルして暗い部屋で見続ける日々。
エヴァとかガンダムとかルパンだとかその辺は一通り見尽くした。
こんなんじゃいかんと思ったのが入学して5日目ぐらいだったか。
授業登録に久しぶりにキャンパスに向かうと新入部員の勧誘の嵐にあった。
だって友達が欲しかったから。
そこで俺は一生懸命しゃべった。
全力でしゃべった。
初めて美容院にいった。
非童貞のフリもした。
空気はひたすら読み続けた。
自虐ネタもかました。
後輩にはおごった。
彼女もできた。
就職活動でもそれが評価された。
結果、26歳の社会人4年目にして、年収は同世代よりはかなりもらっている。
彼女もいるし、それがステータスとしてどうか知らんけどマイミクは300人だ。
そしてこれが半端ないほどの負い目を俺にぶつけてくる。
地元では仲のいい友達なんていない。
喧嘩してるわけでもないが、連絡なんかとらないし連絡先も知らない。
するときは知り合いがいないことをいいことにそこそこイケてる奴だったと偽るだけ。
本当はひたすら暗かったし、イケてなかった。勉強がちょこっとできただけだった。
顔はアトピーでボロボロだったし、確実にむっつりスケベで階段の下でスカートが見えないかとチャンスをうかがっていたクズだ。
キミは今輝いている。
だからその輝きを地元に持ち帰るんだ。
恐れることはない、もうキミは変わったんだ。
そうしないと、本当のリア充にはなれない。
ガチは話、彼女との結婚を考えるとき、地元も友達を一切呼べない式になってしまうし
端的に言えばキミがいけてなかったことが存分にばれる。
その程度で離れていく奴ならこっちから願い下げだ!なんて言えるほど大学デビューの奴はハートが強くないだろう。
この負い目は本当にじわりジワリと心を侵食していく。
だから今とは言わない。
きっと田舎の奴なら夏休みに通う地元の自動車教習所で出会える。
そこを逃すんじゃない。
毎朝6時頃起きて、ラッシュが始まりかけた電車に乗り、専門学校に通う。
なんてことはもう出来なくなっていた。ラッシュが終わった頃にようやく目が覚める。
講義や答練はあまり受けず、いつも自習室で耳栓をしながら勉強した。
かつては何人かいた勉強仲間は合格したか、受験をあきらめたかで、今はいない。
だから日中は誰とも口を利かず、金がないから昼は毎日のように立ち食いそば。
今日はかけで済ますか、それとも何か具を入れるか。数十円の差が大きかった。
立ち読みの後はさすがに何か買ってから店を出た。缶コーヒーとか。
耳栓で耳の穴が炎症を起こしているらしい。床屋のおやじが驚いていた。
勉強に煮詰まると外に出て当てもなく歩いた。本当に何も当てがなかった。
こいつらよりいい学校出て、真面目に自分の将来のこと考えて勉強始めたのに。
そんなこと考えてた。
部屋に帰って、ラジオを聴いた。テレビは勉強を始めた頃に後輩に譲った。
たまに学生時代の友達から電話があると嬉しかった。でも、こちらには何も話すようなことはなかった。
週末には彼女と一緒に行った。
風呂から上がって、脱衣所に置いてある新聞を読んで待っていると、番台のおばさんが
お連れ様がでますと声をかけてくれた。でも、いろいろあって、その彼女とも別れた。
それからしばらくは、週末に一人で銭湯に行って髪を拭いていると、おばさんの目は
女湯の彼女を探していた。それが何回か続いて、おばさんも悟ったようだ。
布団に横になると孤独感に苛まれた。いつまでこんな日が続くんだろうかと思った。
砂を噛むような味気のない毎日だった。深海にいるようだった。
今、この前書きを読んでいる人の何割かが数年前の僕と同じような状況にあると思う。
この状況から抜け出す方法は二つ。合格するか、受験をあきらめるか。
でも、一度受験をあきらめて、また戻ってきた人からこんなことを聞いた。
自動車教習所の看板にある”公認”の二文字にいつもどきっとしたと。
もし気力が続くのならばなんとか頑張ってほしい。朝の来ぬ夜はないと信じよう。
平成1?年10月
教習官 「 【定員8人の車に、運転手の他、大人4人が乗車しました。さて、子供は何人まで乗れますか?】 という問題ねー。
さて、まず車に大人は何人乗ってますか?そこのあなた、答えてみて」
生徒A 「4人」
教習官 「4人か…。うん、じゃあ君、この文章を読んで車に乗っている大人の数は何人かな?」
生徒B 「4人」
教習官 「運転手の他、4人が乗車してるよー、大人の人は車に何人のってるかなー?じゃあ今度はアナタ、答えてみて。」
生徒C 「え?4人」
教習官 (諦めた様に)「運転手も大人の人だよねー、だから運転手と、乗車した大人4人を足すと5人だよねー、じゃあ次行くよー」
教習官 「12歳未満の子供は3人を大人二人として計算して少数以下は切り捨てだよー、じゃあこの問題を計算するよー」
「 (8-5)×1.5 は 3×1.5 だよねー、じゃあ 3×1.5 はいくつかなぁ? 君、答えてみて。 」
生徒D 「え、7.53」
色々と色々な事が心配でなりません。