はてなキーワード: 大原簿記学校とは
毎朝6時頃起きて、ラッシュが始まりかけた電車に乗り、専門学校に通う。
なんてことはもう出来なくなっていた。ラッシュが終わった頃にようやく目が覚める。
講義や答練はあまり受けず、いつも自習室で耳栓をしながら勉強した。
かつては何人かいた勉強仲間は合格したか、受験をあきらめたかで、今はいない。
だから日中は誰とも口を利かず、金がないから昼は毎日のように立ち食いそば。
今日はかけで済ますか、それとも何か具を入れるか。数十円の差が大きかった。
立ち読みの後はさすがに何か買ってから店を出た。缶コーヒーとか。
耳栓で耳の穴が炎症を起こしているらしい。床屋のおやじが驚いていた。
勉強に煮詰まると外に出て当てもなく歩いた。本当に何も当てがなかった。
こいつらよりいい学校出て、真面目に自分の将来のこと考えて勉強始めたのに。
そんなこと考えてた。
部屋に帰って、ラジオを聴いた。テレビは勉強を始めた頃に後輩に譲った。
たまに学生時代の友達から電話があると嬉しかった。でも、こちらには何も話すようなことはなかった。
週末には彼女と一緒に行った。
風呂から上がって、脱衣所に置いてある新聞を読んで待っていると、番台のおばさんが
お連れ様がでますと声をかけてくれた。でも、いろいろあって、その彼女とも別れた。
それからしばらくは、週末に一人で銭湯に行って髪を拭いていると、おばさんの目は
女湯の彼女を探していた。それが何回か続いて、おばさんも悟ったようだ。
布団に横になると孤独感に苛まれた。いつまでこんな日が続くんだろうかと思った。
砂を噛むような味気のない毎日だった。深海にいるようだった。
今、この前書きを読んでいる人の何割かが数年前の僕と同じような状況にあると思う。
この状況から抜け出す方法は二つ。合格するか、受験をあきらめるか。
でも、一度受験をあきらめて、また戻ってきた人からこんなことを聞いた。
自動車教習所の看板にある”公認”の二文字にいつもどきっとしたと。
もし気力が続くのならばなんとか頑張ってほしい。朝の来ぬ夜はないと信じよう。
平成1?年10月