はてなキーワード: 自動車教習所とは
上京して何年経つだろう?
私は、車の運転ができない。
免許はある。
浪人した時に親に言われて、
お母さんは30過ぎて自動車教習所通って苦労したからねー」と。
言われるがまま教習所に行き、
初めて車の運転をした時はとにかく怖かった。
それはもう20年前か。
免許取得後に親の車に乗ったけど、
隣で母親が「ぎゃーーー!」と叫んで、途中で代わってもらった。
友達が「運転してみる?」と言うので、デカい車の運転をしたら、
割り込まれ「ぎゃーーー!」ってなった。
運転したのは、その2回だけだな。
私は運転にむいてない。怖い。イヤだ。イヤだ。
なんであっちもこっちもみれるんだろう?
浪人した末、東京の大学に合格し、上京したが、運転する事は一度もなかった。
車の運転をしなくてもどこにでも行ける事だと思う。
幼少期からどんくさく、
出会った男性や地元の女性が車を運転できるだけで「すごい!!!」と思ってしまう。
ごめん。本当にごめん。車なしじゃ暮らせないもん。ごめん。
https://anond.hatelabo.jp/20200101232410
はてな村で好まれそうな話題だなとは思って投稿したものの、想定以上に反応があって驚いてます。
酔った勢いで書いたものであるので、文体が一致してなかったり論理が破綻してたり誤字脱字がひどいですね。
結果、説明不足だったり変な文章だったりが原因でいくつかこれは補足しておきたいなと思ったコメントがあるので補足させてください。
解説本を読むことで原典にあたった際の新鮮な驚きが減るのは確かと思います。ネタバレ効果というか。小説系では顕著と思います。
また、解説者の解釈が固定化されるという懸念も確かにあるかと思います。
しかし、私の記憶では「これは私の解釈だが」「多数の説の中で、私が支持するのは」など、
俺の解釈が絶対だという態度で解説してた解説者はいなかったし、異説も提示していることが大半でした。
ここまでやってくれたらあとは受け取る側のリテラシーかなぁ、と思います。
また、100分で名著の解説で実施していることは「あらすじ」+「執筆背景解説(作者の人生の中で著作の占める位置など)」+「解説者の解釈解説」と思っていますが
この内「執筆背景解説」が一番の目玉であり、知識のつながりを作ってくれるところで、この部分は原典だけ読んでも絶対に得られない補助線です。
私は持久スポーツを趣味にしていますが、例えばフルマラソンなら当たって砕けろでもまぁ、レース中の数時間もがき苦しみ、暫く足がまともに動かなくなる覚悟があればゴールは出来るでしょうが、
ウルトラマラソンとか、アイアンマンになると当たって砕けろではまぁ無理で相応の準備がなければ、失敗したという経験を経験値に変えることも出来ずに敗退すると思っています。
特に古い思想書は知的作業としてウルトラマラソン級だと思いますし、かつ何かを求めて読むわけでしょう。
ウルトラマラソンで周りの景色も何も見えないぐらいつらい状態になって、制限時間オーバーで失格になっても兎に角意地になって歩き続ける人がたまにいて、マラソンならそれでもいいかなと思いますけど、
古典を読む場合最後のページにたどり着ければよい、というものではないですよね。
途中の景色を楽しむためには相応の準備というものが必要なのではないかな、よほど読書体力に自身があるのでなければ、背景を知識として持っておくのは良い方にしか働かないのではないか、と私は思います。
100分で名著の一番の強みは「TV番組であること」であり一番の弱みもまた「TV番組であること」であると思っています。
強みとしては、インタラクティブな解説(動く図形とか、アニメとか、俳優の朗読とか)が可能になること
弱みとしては「解説者の準備期間、解説時間に制限がかかること」「番組上では注釈を実質的に挿入できないこと」「月に1冊のペースでしかラインナップを増やせないこと」ですね。
特に月イチのペースでしか増やせないのは大きな制約で、解説本の中で出てきた関連本に解説が欲しくても、100分で名著で解説される可能性は極めて低いと言わざるを得ません。
そういう意味で、名著巡りの入り口にしかならないといえばならないのだと思います。
100分で名著をメインに追いつつ、他にも手を出してみようとは思っています。
私は実は番組はあまり見ていません(3割くらいかな)。毎週火曜日この時間にTVに向かっていることが難しいからです。
理想は両方こなすことだと思いますし、伊集院光さんのリアクションは時々ハッとさせられることもありますが、私はどちらかを取れと言われたら解説本だけ読みます。
番組が「あらすじ」+「執筆背景解説」+「解説者の解釈解説」で割合が2:2:6~1:5:4まで変動するとしたら
解説本は執筆背景解説に一律+3、解説者の解釈解説が一律-2って感じです。
(逆に、あらすじだけ知りたい場合100分で名著は重厚長大で、もっと手軽な選択肢があると思います。)
そりゃ、番組の中で解説にちらっと出てきた著者の友人の来歴とか、著書とか、いちいち全部触れられないですよね。
つまり、私が元投稿で言った「本の解説で繰り返し取り上げられる要素(人名、思想、歴史上の出来事など)があることがわかった」現象は
番組を見るより解説本を読んだときのほうが顕著に起こると思われます。
なので、もし元投稿を見て「知識がつながるって面白そう」という点に興味を持っていただけたなら、解説本の方をメインにされることを私はお勧めします。
頑張って読んだ、という感覚はありませんでした。
おそらく、原典には「頑張らないと読めない」ものもたくさんあると思いますが、解説書の段階では頑張らずに済みました。
正直、興味をそそられたかどうかにはレベル差があるので、結局読まない原典もあると思います。
古典名作だと聞いて読んでつまらなかったら被害甚大ですが、水際で食い止めてくれたことになると思います。
読みたくない本、という感覚もなくて、どちらかといえば「知らない本は読めない」ですね。
恥ずかしながら「エチカ」だとか「夜と霧」だとか「全体主義の起源」なんて知らずに生きてきたので
まず読みたくないかどうかも解説書読んで判断しようと思ってました。
食わず嫌いよりは、試食コーナーの匂いで避けた、の方がまだマシかなと言う感覚です。
シャワーを使う際には、本はタオルにくるんで蓋に挟んで防水します。
このスタイルで読書して2年位になりますが、多少湿ることはあっても、問題になるほどビシャビシャになったことはないですね。
以前スウェーデンに出向していた友人から聞いた話ですが彼の国では大学とは必ずしも高卒すぐ入るものではなく、
暫く働いてから勉強したいことを見つけて入る人も相当にいるらしいですね。
その彼が聞いた日本との違いを顕著に表しているセリフが「高卒のガキに大学教育はもったいない」「日本人は高校生の時職業決めるんでしょ?すごいね」です。
後者は嫌味なのかな?と言う気がしないでもないですが、前者は今本当に身にしみています。
大学教育をきちんと受け止められる18歳って、そんなに多くないですよね、、、
以下私の勝手な解釈です。見当違いのことを言ってるかもしれないですが、、、
私と趣味が合いそうだなと思ったら、まずは以下をお勧めします。
スペシャル版なのでちょい分厚いですが、これが私の一押しです。
日本の大乗仏教諸派の成り立ちと違いについて、今まで何度か教わったし読んだはずなのですが全く頭に入ってこなかったのがすらすら入ってきました。
読了後は、まるで自動車教習所に通ったあと今まで目にも入らなかった交通標識が急に意味を持ち出したような感じで、街中のお寺から情報を取れるようになりました。
私自身が茶道やってる事が大きいかもしれませんが、日本人が外国人に、英語で日本文化を説明する起点として最高と思いました。
実際、ボストンで友人とあったとき(作者の天心はボストン美術館の東洋部部長です)なんと役に立ったことか、、、
全編、声に出したい日本語だと思いました。言葉がやや古いのですが、原典も薄くて読みやすいです。
維摩さんというレジェンド級のアマチュア(在家信者)がプロ(菩薩軍団)をやり込めまくる話です。
「煩悩は湧くに任せよ、とらわれないことが大事だ」というフレーズがとても頭に残っています。
一番実践しやすい仏教な気がしました。アメリカの方で流行っているzenとかsatoriってこれを目指してるのかな?と思っています。
↓と思った記事
https://aishinbun.com/clm/20181218/1888/
人間は自己愛ゆえに苦しまねばならぬ、というのがメインの本と理解しました。それだけでも納得感あるのですが、
本人的にはキリスト教最高!で異教徒を折伏するために書いた本らしいのに仏教が目指してるところと同じっぽいのが面白くて読んでました。
原典が思いっきり重そうなのですが、いつか読みたい本の一つです。
いろんなことを言ってるわけですが、
私は趣味を持て、幸せになれるぞ?という本だと理解しました。ラッセルさんの趣味の定義とは「~を収集すること」らしいです。つまりスタンプラリーですね。
何かに対して情熱を持ってスタンプラリーしてるうちは人生に飽きない、ということかと思いました。
解説本読破もそのノリでやってやらぁと思ったのを覚えています。
正確には100分で名著シリーズではないのですが、この「一週間で資本論」が成功したので100分で名著が始まったらしいです。
資本家の行動原理が今とぜんぜん変わらず、ギグ・エコノミーとかも19世紀の理論で説明できることに驚きました。
経済を理解するためというよりは自分の身の振り方を考える上で有用だなと思った本です。
リストがほしいというコメントをいただいたのでリスト載せます。
趣味が合いそうだなと思ったら、参考にしてください。
(抜け漏れあったので追加。まだ何冊か忘れてる気がする、、)
・点と線
・かもめ
・人間失格
・斜陽
・三四郎
・こころ
・茶の本
・奥の細道
・昔話と日本人の心
・死者の書
・銀の匙
・世論
・ペスト
・ゴルディアスの結び目
・1984
・苦海浄土
・夜と霧
・野火
・ソラリス
・マクベス
年末年始休みは読書もはかどり、新たに買った原典も既に8冊終わりました。
今のところ、全て期待通りの内容でとても充実した休みになっており今年ずっとこの調子で読み勧めていけたら、、、(無理だろうけど)と思ってます。
どういうふうに仕事の本を差し込んだら、自分の中の読書熱にうまく歩合出来るかを考えるのが今年の課題かな。
動物本とか、読んでて飽きることがあるんですよね。
なお、私が100分de名著を知ったきっかけは単身赴任中の父がずっと見ており、解説本を纏めて実家に持って帰ってきたのがきっかけでした。
私も読み出して以来、お互いの話題の共通点も増え、お互いの読書の幅も広がって、
初めて父と同等の視点で知識交換をできるようになったような気がしており、その点でもこの番組には深く感謝しています。
(私の専門のITのことでは以前から教える立場でしたが、これとはなんとなく異なる現象のような気がしてます。)
良い1年を!
新雪 降ったばかりのパウダースノー グリップも効き楽しいウインタードライブが楽しめる。雪は軽い。
↓
圧雪 新雪をたくさんの車が踏みつけて圧縮された状態 凍結路に近づきグリップしにくくなる。
↓
凍結路 圧雪が気温の低下により凍結した路面。昼間の往来で圧雪になり、夜間に凍結路に変化する。凹凸がなく、平滑であれば大丈夫。チェーンで凍結路に凹凸を刻まれると40km/hくらいまでしか加速できなくなり、振動がひどい。
↓
シャーベット状の雪 圧雪や凍結路が昼間の気温上昇で、水と雪が混ざり合った状態になったもの。重い。厚さがあるとハンドルを取られる。チェーンは効かない。
と変化する。
雪国では、夏タイヤともいわれるタイヤ。普通のタイヤです。騒音が静かとか溝が少なめでグリップ性能がよいとかは、今回のお話ではほとんど関係ありません。
ノーマルタイヤで雪道は走れるのかというと、他の車がいなければ走れるという答えが正解です。これまた、付帯条件が付くのですが、車両最低高より積雪がなく、降ったばかりの新雪であり、気温が0度以下で、できればより寒いほうがよく、新雪の下はアイスバーンではなく舗装道路であることが条件です。加速は3速固定、減速は2速のエンブレで行います。ブレーキは使っちゃだめです。
つまり、今頃の時期にほかに誰も走っていない峠で、急に雪が10㎝くらい降ってもなんとか無事に走れるということです。
これ以外のときは、ノーマルタイヤでの走行は、だいたい事故ると思います。この条件が変化したときは、付帯条件を満たさなくなるため、危険です。たとえば、ほかの車が増える時間帯になれば、雪質が新雪からシャーベット状に変わり、ノーマルタイヤの溝では車をコントロールできなくなります。
雪国で冬タイヤと呼ばれるタイヤ。柔らかめのゴムが使われており、細い溝がたくさんついている。ゴムの中には各社の秘伝の成分が配合されている。細い溝は、シャーベット状の雪対策と氷面での排水対策、ゴムに混ぜた秘伝の成分は氷面では摩擦を増やして止まりやすくしている。
ノーマルタイヤとの違いは、シャーベット状の雪に強いことと氷面で止まれること。これのおかげで、11月下旬から3月の上旬までの3.5か月間のほとんどの日ではこれで走れます。
この期間の中で暖冬の年では2回、寒冬の年では4回くらい除雪が間に合わない日が出てきます。2時間で30㎝降ったとしたら、除雪は間に合いません。そんなときはどうにもなりません。
雪面で動けるけど、止まる性能は、2WD車と同じという特性を持ちます。そうじゃないと言いたい四駆乗りの人から反論が来そうですが、田んぼに落ちている車は、パジェロとかハイラックスサーフとかジムニーが多いです。慎重に加速しなければならないところで雪がない路面のように加速できるため、スピードが出すぎて、止まらなくてはならないところで止まれずに自爆することが多いのでしょう。
2WD車では入れない除雪していない駐車場に突っ込むとか除雪するのが面倒なので、4WDと馬力で雪を乗り越えるという物臭な使い方もあります。あと、田舎の農家に多いのは、公道に面した敷地の入り口から自宅までの私道に行政の除雪がこないので、仕方なく4WDに乗っているという人もいます。多分、小型の除雪機も持っているのだろうと思います。4WD車を選ぶときは、ホイールベースが短めの車にしましょう。ホイールベースが長いと腹をこすって動けなくなります。
鉄製のチェーンは、バスかトラックくらいしか使っていないです。凍結した路面では、チェーンを付けている車だけがなんとかなる感じです。何でトラックやバスがチェーンを使っているのかというと夏タイヤのままだったりすることが多いように思います。冬タイヤでチェーンを付けている車はかなり意識高い系です。
スピード出せないことと、積雪路面と除雪された路面が交互にあったりすると困る。除雪された路面でチェーンは足手まといになってしまう。たとえば、関越自動車道の関越トンネルの前後では、チェーン規制されるとスタッドレスタイヤ装着車は、そのまま行けるが、ノーマルタイヤ車は、下牧PAでチェーンを装着して、関越トンネルの入り口の谷川岳PAでチェーンを外して、関越トンネルを走行、関越トンネルの出口にある土樽PAでチェーンを再び装着してチェーン規制区間が解除になるまでチェーンを付けたまま走行となる。実際のところ、この運用で雪道を走っている車は一見のスキー客くらいで、ほとんどの人はスタッドレスで通過している。規制がかかると土樽PAでのタイヤチェックが行われている。
チェーンを付ければ、どんな雪面でも走れるのかというとそうではなく、除雪は間に合わないようなときは意味がないということになります。
今後困るのは、「チェーン規制」という言葉が、これまでは「普通タイヤ+チェーンもしくはスタッドレスでOK」という意味だったので、高速道路の電光掲示板で、「すべての車チェーン装着」などに変わるのでしょうか。文字数が限られているので大変そうです。
チェーンを持っている人はほぼいないと思います。自動車教習所でもチェーンの装着の練習は省かれました。普通タイヤで乗り切ることにしたトラックを持っている事業所くらいしかチェーンを所持していないと思います。
県境の峠道が対象と思います。普通に生活している分には、あまり関係ないのかもしれません。(実際に区間が発表されてみないとわかりませんが)
とのことなので、冬の県境越えの際は、気象の急変に備えてチェーンを載せておかないといけないことになります。
国道で立ち往生がしばしば発生するのは、高速道路のほうが先に閉鎖するからです。これまでの経験では、高速道路を降ろされて国道でひどい目にあったことがほとんどです。
磐梯山のふもとのあたりや妙高方面、裏日本の平野部でも急に降ると先に高速道路が通行止めになります。通行止めになると国道に交通が集中し、にっちもさっちもいかなくなることが多いです。
不思議なことですが、道路幅の広い高速道路が先に閉鎖され、道路規格が低い一般道にゆだねられることになります。高速道路の管理者も事故を起こされたら、なぜ規制しないのかと批判されるので、早めに通行止めにしてしまうのかと思います。
どうすればいいのかというと、雪も災害として認めて、一定以上の積雪が降ったら、会社や学校を休みにするとか、荷物の着日指定は無効になるとか、裏日本の冬の消費税を免税するとかルールを変えて、雪の中で無理をしなくてもいいようにしてほしいです。
パブリックコメントも送っておこうぜ。
https://i.imgur.com/etSqn9p.png
https://i.imgur.com/yIftKKn.png
自動車教習所はもう詰んでる
若い奴ほど都市部へ移住してて、都市部ほどクルマなんて要らんしクルマは負債だからアホしか持たないし免許取る時間もカネも無駄だからそのぶん他の資格取ったりするのが賢い選択肢になる。
クルマ必須の田舎は高齢者と過疎で明るい未来なんてみじんもない。
https://i.imgur.com/yIftKKn.png
https://i.imgur.com/AbeiqyF.png
・田舎もコンパクトシティだの自動運転で免許不要で暮らせる環境整備推進
・クルマは40年間で3000万円以上も無駄になる馬鹿しか買わない負債
最近は横暴な自転車に対する風当たりも強いし、生真面目な性格なのもあって、わたしはなるべく道交法や市の道路交通規則を守るように意識しています。
ただ、ちゃんとしたルールがまぁ一般にことごとく浸透してなかったり、守らない人が多数派になっているのが現状で、法律上正しい運転をしていると却って危ない目にあったりすることも多いです。
なので法律上正しい動きをしている「まともな自転車の動き」の中でも、特に知られていなさそうなことをざっくりとまとめてみました。
少しでも多くのドライバーさんが「そういう動きをする自転車がいる(本当はそれが多数派になるべきなのでしょうが…)」ということを気にかけてもらえたらと願っています。
※「信号を守る」とか「一時停止で止まる」とか見て当然、当たり前に分かるのようなものは省きます。
信号のない横断歩道についての停車条件は自動車と同じで、明らかに人がいない限りは減速しますし、横断しようとする人がいる場合は停止します。
わたしはふだん車道の左端を走っているので、自転車が変なところで急に止まったと思ってクラクション鳴らしながら右脇を追い抜いていく車が多いですが、
安心して渡ろうとした歩行者と接触する可能性がありますし、そもそも横断歩道前で停止している車両(自転車含む)を抜く際は一時停止する必要があります。
これはちょくちょくネットでも話題になっているのでご存知の方も多いと思います。
二段階右折するような自転車乗りは大体ちゃんと手信号を出すので、右折指示を出していたら「渡った先で止まるんだな」くらいで考えてもらえば大丈夫だと思います。
よく危険を感じるのは丁字路で「丁」の横線部から縦線部に曲がるときでしょうか。
十字路と違って待機時に退避する先がないので、後続車両との間隔と速度、手信号を理解していそうかを加味して、危険そうであれば丁字路に入る前くらいから十分に時間をかけて減速するようにしています。
また、道路の左端は信号待ちの間に自動車をすり抜けで追い抜こうとするバイクに突っ込んでくる場所でもあります。
(実際に何度か突っ込まれかけた)
横断歩道とよく一緒に設置されている自転車横断帯が交差点の付近にある場合は、そこを通るようにして交差点を直進します。
大概の自転車横断帯は少し交差点を曲がった部分に設置されているので、自動車から見れば「自転車が一瞬左に曲がったかと思ったら急に道路を横断しだした」ように見える動きになります。
わたし自身は左折する際は左折の手信号を出すようにして、なるべく直進なのか左折なのかを区別できるようにはしていますが、それでも自分が(横断帯に向かうため)左折しているところを後続の自動車が交差点内で追い越そうとしてきて、横断時に横から接触されたことが何度かあります。
そしていずれのドライバーの方も、「左折だと思っていて、急に直進するとは思わなかった」と仰っていました。
自転車は原則として最も左端のレーンを走る規定があり、レーンごとの進行表示(左折、直進など)の影響を受けません。
そのため、左折する場合、直進する場合、(二段階)右折のために直進する場合、すべて左端のレーンを走ります。
組み合わさると厄介なのが、歩道橋のある大型交差点に見られる「左折のみ信号なし交差点」や、赤信号の左折青矢印です。
自転車が走っている左端のレーンはおおむね自動車の左折レーンであることが多く、「直進したいが赤信号に従って停止する自転車」と「停止せずそのまま交差点を左折したい自動車」が同じレーンに同時に存在することになります。
わたしはなるべく路肩に寄って、後続の左折車が通れるスペースを空けるようにして停車しますが、そもそも自転車が停止することを予期していない自動車も多く、クラクションを鳴らされたり、怒ったように急加速していくのをよく見かけます。
車道を走っている自転車は基本的には車道の信号に従いますが、歩道に設置された信号に「歩行者自転車専用」の表示があるときだけ歩道のほうの信号に従います。
歩車分離信号だったり、歩道と車道の青→赤のタイムラグが大きいと、こちらも交差点で停止する自転車と、交差点を通過したい自動車の衝突するリスクがあります。
ただ、このルールはそれだけではなく「歩行者自転車専用」の表示が見にくいという致命的な欠陥があります。
多くの交差点の歩行者信号は交差点の奥まったところに配置されていて、見通しの悪い交差点は停止線近くまで来てはじめて「歩行者自転車専用」の表示が見えるようなケース、交差点の手前側角の街路樹で表示が死角になるケースなども頻繁にありますし、そもそも夜間はほぼ見えないことも多いです。
そのため普段走りなれている道ならともかく、知らない道では青信号であっても交差点手前で減速せざるを得ませんし、そのうえで停止することもあります。
代表的な「自転車の分かりにくい/ドライバーに勘違いされやすそうな動き」を紹介してみました。
ただ、だからといって「ドライバーは全員自転車に気を遣え」というつもりは毛頭ありません。
こういったイレギュラーな判断も正確に迅速に行えるような自動運転が普及してくれるのが一番の理想ではありますが、さすがにそれが実現するのはまだまだ先の話として、どちらかというと、正しい動きをする自転車乗りが増え、自然とドライバーがそれを目にして、「自転車はああいう動きをするのだな」と普通に判断できるようになるのが順序としては正しいのでしょう。
こんにちは。id:lispmemo です。
いまごろ2ヶ月以上も前のエントリを話題にするのもアレかもしれないけど、らくからちゃ(id:lacucaracha)さんが妙ちきりんな簿記(というか、仕訳)の解説をしてますね。話題にならなかったので、気づいていませんでした。
今回のエントリでは、おそらく簿記3級を学んでいる方向けに仕訳の話を書きたかったのでしょうが、複式簿記のシステム上ありえない図(勘定)が出てきます。(簿記の教師役がこのミスを犯すのは非常に恥ずかしいというか、まあそれ以上は言いませんが)
他にも、
と、挙げればいろいろあり、いずれも恥ずかしい間違いですが、最初に挙げた点はとんでもない間違いです。タイトルから「仕訳の理屈」を説明したいのでしょうが、これでは理屈が通らない。もし理屈を完全に理解していれば、書いている途中で間違いに気づくはずなので。
簿記を知らない方に向けて喩えて言うならば「自動車教習所の教官が『左側通行です』と言いながら(日本国内で)右側通行するようなもの」です。いくらなんでも無茶でしょ?と思いませんか?
というわけで、簿記3級を今学んでいる方はぜひ↑のURLの説明を読んで「どこが間違っているか」を考えてみてください。少ししたら修正されて正しくなっているかもしれませんので魚拓を見たほうが良いかも。良い思考訓練になるでしょう。2級やそれ以上の方はすぐにわかるはず(たぶん)。
簿記を全然知らない方はわからないと思いますので、「間違っている」ことを前提に置いてならば読んでも良いかもね。
それでは。
今から20年ほど前の1990年代であれば、街中セダンタイプの車ばかり走っていたよね。
カローラ、カリーナ、コロナ、スカイライン、クラウン、マジェスタ、セルシオ・・・。まだ思いつく。
あれから20年が経過したけど、道路にはセダンタイプの車をほとんど見なくなってしまった。
セダンタイプの車を見なくなった代わりに、ミニバンやハイブリットカー、電気自動車のリーフ、軽自動車ばかりが走り回っている。昔は軽自動車に乗っているというだけで恥ずかしい、という風潮だったけど、今はそんな風潮は完全に無くなった。
別にアルファードやプリウスの車も格好いいとは思うけど、セダンタイプのような格好よさではないんだよね。
まあ、セダンタイプの車も全く無くなったわけではない。警察のパトカーや自動車教習所の教習車、タクシー、ハイヤーはまだセダンタイプの車を見かける。
近所に自動車教習所があるんだけど、最近になってトヨタのカローラ・アクシオという新型のセダンカーが30台ばかり納入された。半分がATで、もう半分がMT仕様になっている。今時、MTのセダンなんて久しぶりに見た気がする。
普段は、街中でミニバンや軽乗用車ばかり見慣れているから、その新型のセダンばかりが並んでいる教習所内がすごく新鮮な世界に見えたわけだよ。
逆に言えば、そういった事業用の車の世界でしか、セダンタイプの車は生き残ることができないということなのか。警察やタクシー業界なども、今までずっとセダンタイプの車を使い続けてきたのが「伝統」になってきているから、今更変えられないのかもしれない。・・・アルファードのパトカーがあったとしても、犯罪者や暴走族にバカにされそうだし。
パトカーに採用されているトヨタの最新型クラウンをよく見かけるけど、ミニバンや軽自動車に駆逐されているとはいえ、セダンカーのデザインだってしっかりと進化している。おそらく、2010年代のクラウンのデザインは、歴代クラウンの中で一番洗練されているのではないか。