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2021-06-27

イメージで覚えられるスマホアプリ

自身英語力で、最もダメなのが単語

とにかく知らない単語が多すぎて、一番の障害になっている。

文章しろ言葉しろ大事なのは文脈で、文脈というのは単語の並びから想像するしかない。

から単語を知らないことは言語理解において、大きな障害の一つになるわけで。


そっから単語を覚えようって話になるんだけど、自分単語に限らずあらゆる物事イメージ記憶するタイプ

それこそ頭の中で具体的なイメージできないものは、どんなに簡単物事でも一切覚えられないし、理解できない。

その意味では数学物理の数式も、DNAからRNAが~みたいな話も地獄のように難しいと。

まあ数式は解法パターンイメージできるレベルまでならどうにかなるけど、そっから先は全くダメ


英語の話に戻すと、英単語で例えばhumidだったら「う~ムシムシする~!」というイメージとセットでインプットするわけ。

それが一番頭に入りやすいというか、単語日本語訳ペアを何度も眺めるとか、何度も単語を書き取るとかいった他の方法では時間がかかり過ぎて実質「身につかない」に等しい。

「そんなん覚えるまでやるんだよ」というが、時間は有限なので限界があるって話。


というわけで、今はろくに英語理解できない移民おっさんでも読めるレベルの、「ピクチャーディクショナリー」ってやつを買って、気が向いたときに読んでいる。

それでも単語帳や書き取りに比べたら、明らかに脳に定着する速度が違うので、今の所これが一番効率が良かったり。


ただ…甘ったれたことを言っている自覚は大いにあるが、「ディクショナリー」と銘打ってるだけあって、コイツは本としてはデカい上に重い。

これを引っ張り出して読めというのは、百科事典さえスマホPCで、ウィキペディア英語版を自動翻訳して読めばなんとかなるこのご時世、ちょっとしんどい

からこう、せめてスマホアプリ英単語イメージ記憶できるやつってありませんか?という話でタイトルに戻ると。

いや、マジでなんかない?

2021-06-17

国語文章喚起するべきイメージをないがしろにしてはいませんか?

国語辞典ブリタニカのような写真ではなく字が主体百科事典動植物あるいは衣服等の説明は分かりづらいものです。

あれはそもそも現物を見たことがあることを前提にしているような解説になっているようにみえます

辞書の主な使い方の一つとして、文章に出てくる具象名詞がどういうものか分からいから引いてみることがありますが、この場合現物を見たことがないことも多いはずです。

ですから解説写真を用いないならば実物と相違ない像がありありと浮かんでくるような文章説明されていなければある意味本末転倒なのです。

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試みにあなたが知らない植物を何か一つ引いて、その説明を読んで図に描いてみてください。そしてネット画像検索比較してみてください。

いかに実物からイメージがずれていたかかると思います

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今はAIがありますからより科学的に辞書事典記述妥当性を検証できると思います

写実的な絵を描くことに定評がある人達から同じ植物の絵を集めて、模範的な絵として学習させたら、同じような人たちからその植物をまだ知らない人たちを選出し、辞書説明だけを頼りにその植物の絵を描かせます

次のパターンとして、絵は全くの素人という人たちに実物を見せてその絵を描いてもらったら、既に学習させた模範的な絵との比較で、両パターンの近似度の平均をそれぞれ算出します。おそらく全くの素人が実物を見て描いたものの方がまだ高い近似度を持っていることでしょう。

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広く捉えればこれは国語教育問題かもしれません。つまり国民全体において辞書から正しいイメージが得られないというのが平均的な水準として示されるならば、それは個人によつ勉学の怠慢という自己責任ではなく、教育制度側の過失といえることになります

PISAではごく単純な論理パズルのような説明文を読ませて正答を導かせるようなことを行ってきていますが、一度、文章からそれが示す物体やその配置に関する図を選択させる問題も出してみるべきだと思います

数学には取って付きのマグカップドーナッツを「同型」とみなすようなトポロジーという学問がありますが、そのような緩い制約の下ですら構造的に異なるような一群を選択肢としても、なお正解を選べない人がごまんと出てくる結果となるかもしれません。

そうだとすれば小説の情景描写もまたまともに機能していないかもしれません。自覚のないあきめくらが読者かもしれませんから

しかし読者にその責任はないでしょう。

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本をたくさん読めば読解力が身に付くという考えが横行しています。この根性論のような考えも問題です。

PISA等で国民文章からイメージ自分の頭に形成する力の低下が判明したら、文章とそれが一般的に指し示す図の対応ということに焦点を当てた学習法をぜひ初等教育に取り入れるべきでしょう。

やみくもに本を読んでれば読解力が上がるというのは、読書に慣れるとか、知らない単語発見することで知識を埋め合わせる機会が得られるということが考えられるのである意味で正しいですが、しか言葉イメージ還元する力の育むに際しては根本的に、原理的に無力だと思います

我々の脳よりもはるかに高い処理能力を持つAIでさえも、一部の学習に際してはフィードバックという一定の手順を必要するのです。

我々が文章から正しいイメージを得るようになる過程についても同じことが言えると思います

「そのイメージで合ってるよ」「そのイメージは間違ってるよ」と教えられることによるフィードバックがなければ、自分の読みが修正される機会がなく、何かを読んでもトポロジー的にすら間違ったイメージを展開していくようになるでしょう。

あるいはそれは教育されなかった「ヒト」としての自然な姿なのでしょうけども、それはそれとして。

話を戻せば、するべきことは、文と図との基礎的な対応表を作って、九九のように叩き込ませることです。

これは一見根性論めいているかもしれませんが、無計画多読よりも遥かに効率的でしょう。

基礎的な表がクリアできたら、もう少し複雑な文や文章でも作成しておいた対応表へと移行していけばよく、方式としても構造化されていて明快です。

結局これは数学において基礎をおろそかにすれば応用問題で容易につまづくようなこと、たとえば掛け算ができなければ割り算はできないとか、微積分の原理が分かってないのでは微分方程式は解けないということと同じです。数学に取り組むのとある意味で同じ態度で国語学習にも臨まれるべきだと思います

2021-06-14

anond:20210614120029

学べる内容はものすごく増やせるからそっちでコスト回収出来ているのでは?百科事典1セット分より安い価格なのに。

2021-06-08

anond:20210607234817

満寵

出典: フリー百科事典ウィキペディアWikipedia)』

満 寵(まん ちょう、? - 242年3月)は、中国後漢末期から三国時代の魏の武将政治家。字は伯寧。兗州山陽郡昌邑県の人。子は満偉・満炳・満氏 (司馬榦の妻)。孫は満長武・満奮。『三国志魏志「満田牽郭伝」に伝がある。

目次

1 生涯

1.1 酷吏として出世

1.2 軍人として活躍

1.3 呉との攻防

2 三国志演義

3 脚注

生涯

酷吏として出世

身長は8尺(約190cm)あったと伝えられる。18歳の時に県の役人(督郵)になった。郡内で私兵を率いて乱暴していた李朔という人物は、二度と乱暴しなくなったという。高平県令を代行した際、督郵張苞張飛の子とは別人)の横暴を見てこれを逮捕し、その場で拷竟(=拷問致死)した上で、そのまま自ら官職を捨てて帰郷したという逸話を持つ。

その後、曹操に仕えた。曹洪配下の将が曹氏の権勢を笠に着て略奪を行った時、満寵は速やかにこれを逮捕した。そして曹洪から曹操への働きかけがあった事を知ると、直ちに処刑した。この行為曹操に大いに賞賛された。

楊彪逮捕された際、荀彧孔融に手心を加えるよう頼まれたが、満寵は規則通り(注によると、笞打ち)に訊問した上で、曹操に「処罰するなら罪を明確にすべきである」と直言した。このため曹操楊彪赦免した。

これらの事からわかるように、満寵は于禁と同様に誰に対しても公明正大で法に厳しかったが、傲慢ではなかったので人からまれることはなかった。

軍人として活躍

官渡の戦いの時期には、袁紹郷里である汝南太守を務め、袁氏与党の軍を滅ぼし、農耕に従事させた。

曹操荊州征伐に従い、曹操が帰還すると奮威将軍兼務し当陽県に駐屯した。

孫権国境に攻め入ると、曹操は満寵を召し還して再び汝南太守とし、関内侯の爵位を与えた。

後に、曹仁参謀として樊城に駐屯した。219年、劉備軍の関羽が攻めて来た時は、救援に来た于禁ら七軍が洪水により壊滅し、樊城も水没して崩壊しつつあった。ある人が曹仁降伏を進言したが、満寵は「山の水は引くのが速く、この状況は長くは続かない」と反対した。曹仁は満寵の意見を良しとした。徐晃の援軍を得て関羽撃退されると、満寵は安昌亭侯に進封された。

呉との攻防

曹丕(文帝)の時代には揚武将軍となり、三方から呉を攻撃したときも、それに従軍した。呉との江陵での戦いで功績を挙げて伏波将軍に任命され、新野に駐屯し仮節鉞となった。半年曹真・夏侯尚・徐晃張郃・文聘らとともに朱然交戦したが、戦死者も数多となり、江陵を攻められなかったので撤退した。また、曹丕の南征に従って、敵の夜襲を見破り散々に打ち破ると、南郷侯に進封されたが、最終的に魏軍は呉に敗れた。224年には前将軍に昇進した。

曹叡(明帝)が即位すると昌邑侯に進封された。

228年、曹休司馬懿・賈逵が揚州荊州豫州雍州涼州の五軍の指揮を執り、石亭・江陵・濡須東関三方から侵攻した。満寵は賈逵の軍に胡質達と共に監軍として従軍し、武昌を目指し進撃していたが、揚州方面の軍の指揮を執っていた曹休孫権の計略にかかり大敗したため、犠牲者も数万人以上となり、敗れている(石亭の戦い・「賈逵伝」[1])。また、司馬懿張郃らも江陵を攻め落れずに退却した。

同年、曹叡は濡須東関に賈逵・満寵らを命じて再び攻めてきたが、陥落させることができずに負けた[2]。

曹叡は呉・蜀漢に対して完全に専守防衛に行い、賈逵の死後に豫州刺史兼任し、曹休の死後に都督揚州軍事となった。揚州への転勤の際、汝南の民や兵士の多くが満寵を慕って勝手についていったため問題になり、詔勅により親衛兵千人を率いていく事が許され、その他一斉が不問とされた。

230年には征東将軍となった。冬に再び孫権合肥に攻め寄せる気配があったため、兗州豫州の軍を召集する事を上奏し侵攻に備えた。孫権撤退する気配を見せたので、こちらも撤退するよう詔勅が下ったが、満寵は孫権撤退偽装と読み、引き続き備えを怠らなかった。孫権10日ほどしてから再び来襲したが、合肥を攻められなかったので無事に撤退した。

231年、呉の孫布という武将投降を申し入れてきた。王淩がこれを出迎えたいと申し出たが、満寵は投降偽装と読んだため、王淩に自重を求めた。偶然入朝する用事ができたため、留府長史には王淩が兵士要求しても与えてはならないと厳命しておいたが、王淩は自らの督将軍に僅かな手勢だけを与えて孫布を出迎えに行かせた。王淩は呉に敗れ、孫布の夜襲により兵の多く失うことになった。

満寵と王淩はこれ以前から対立しており、満寵が召喚されたのも、王淩の息のかかった者が満寵を老いと疲れにより耄碌していると讒言たからであった。満寵と目通りした曹叡は、満寵が壮健なことを確認できたため[3]、任地に返そうとした。しかし満寵はこのまま朝廷に留まることを願った。曹叡は満寵を馬援・廉頗に準え鼓舞した。

232年、呉の陸遜が廬江に侵攻してきた。部下達がすぐに救援に赴くよう勧めたが、満寵は落ち着いて対処すれば良いとした。軍を整え、陽宜口まで赴いたところで呉軍は既に撤退した。

233年、孫権は毎年のように合肥侵攻を企てていた。合肥城は寿春の遠く南にあり、江湖に近接した位置にあったため、過去の攻防戦においては呉の水軍の機動力の有利さが発揮されやすい展開が多くあった。満寵は上表し、合肥城の立地の欠点を指摘した上で、北西に30里の地に新たに城を築くことを進言した。蔣済がこれを弱気作戦であり、味方の士気を削ぐことになると反対したが、満寵は重ねて上奏し、兵法道理を引きながら築城長所を重ねて主張した。尚書の趙咨は満寵の意見を支持し、曹叡の聴許を得た。こうして合肥新城が築かれた。建設に莫大な費用がかかることもあって、合肥城ともども廃れていった。

同年、孫権合肥に攻め寄せたが、合肥新城が岸から遠い場所にあったため、敢えて上陸しようとしなかった。しかし満寵は、孫権武威を振るっているので、必ず陸に上がることに違いないと判断した。伏兵として歩騎兵を6千用意したところ、果たして孫権上陸したため、伏兵により百人の首を斬った。

234年、孫権は十万の軍勢である呼称合肥新城に攻め寄せてきた(「明帝紀」)。蜀漢諸葛亮の北伐(五丈原の戦い)は孫権呼応して(「満寵伝」)、二十万の軍勢である呼称し祁山に攻め寄せてきた。合肥魏軍が苦戦に陥り、これを恐れていた満寵は合肥新城放棄し寿春へ撤退する作戦を願い出たが、曹叡に拒絶されている(「明帝紀」)。満寵は、合肥新城へ救援に赴き、数十人の義勇兵を募り、松と麻の油を用いて風上より火をかけ、呉軍の攻城兵器を焼き払った上、さら曹操孫権の甥孫泰を射殺した。張穎達とともに力を尽くして戦ったが、呉軍は依然として頑強に猛攻した。魏の中央大軍が迫ったので、孫権は大損害を受ける事を避けて、曹叡の援軍が到着する前に撤退した(合肥新城の戦い)。

235年春、孫権江北に兵を送り屯田を始めさせた。満寵は、収穫の時期に屯衛兵達が各地に点在し、陣が伸びきったのを見て、これを襲撃すべきと判断した。また各地の県長に軍を率いて東上させた。さらに各地の屯衛を撃破させ、穀物を焼き払った。詔勅により軍功が称され、鹵獲品は全て将兵恩賞とされた。

曹叡が没し曹芳(斉王)の時代になった238年3月[4]、老年のため中央召喚され太尉となった。家には余財がなかったため、詔勅により特別物資が下賜された。加増による領邑は9600戸になり、子と孫2人が亭侯とされた。

242年3月[5]死去した。景侯の諡号を贈られた。

子孫の満偉(子)・満長武(孫)・満奮(孫)もまた、身長が8尺あったと伝わる。満偉は人品に優れており衛尉まで上り、満長武は満寵の風格を有していたという。しかし、司馬昭に疎まれ殺害され、父の満偉もまた失脚し、平民に落された。満奮は満偉の弟の子であり、やはり満寵の風格があったという(『晋諸公賛』)。西晋時代尚書司隷校尉となった。

また、満寵のもう一人の子満炳は別部司馬となった[6]。

三国志演義

小説三国志演義』では、劉曄の推薦を受けて曹操の家臣となり、楊奉配下だった旧知の徐晃曹操陣営に引き入れることに成功するなど、物語の初期においては弁舌の士という描かれ方がされている。

2021-05-21

anond:20210520182114

クソな親だなと思いつつも

もし自分の子供が百科事典で見た知識などをひけらかしつつ親をちょっとでも小馬鹿にするような態度を取ったとき

その知識否定するような態度を絶対に取らないと保証できるかというとちょっと難しいかもしれないなと悩む36歳KKOなのでした

おはようございます

2021-05-10

anond:20210510135949

オタク」のような現代的なスラングだと(紙の)辞書は後追いになるからむしろ参考にしないほうがいいぞ。

たとえばオタクが集まるコミュニティの一つであるピクシブ百科事典には

アニメ漫画玩具映画コスプレゲームアイドル……。さまざまな大衆文化があるが、そのような特定趣味対象および分野の愛好者、ファンを指す語として使われる。

と書かれているぞ。これは私の説明とほぼ合致していると思うぞ。

2021-04-20

私をフィクションにするな

フィクションキャラクター定番属性の一つに『極端な低身長天才』というものがある。

実年自体が周囲より低い場合もあれば同年代にも関わらず異様に身長が低い場合もあるが、どちらの場合も非現実的存在フィクション性の高い存在としてキャラクタライズされているケースがほとんどだ。

何故非現実的存在として扱われるのか。フィクションと異なり現実日本教育制度は年齢主義であり、優秀な生徒の飛び級存在しない事も理由の一つとして挙げられるだろう。しかし、本質はおそらくそこにはない。

天才』『極端な低身長』という属性がそれぞれ独立している状態なら「身近にはいなくても、一つのパラメータが極端なだけなので現実の延長線上で想像がつく」が、『天才かつ極端な低身長』ともなると「極端なパラメータ複数あるので人となりを想像出来なくなる」、これが本質ではないだろうか。

ゆえに、フィクション性を纏わされる。謎のひみつ道具を持ち歩かされ、こんな事もあろうかと用意周到が過ぎる人物にされる。

だが、私はそのようにフィクションを纏わされる『極端な低身長天才』達に、親近感を覚える。

何故なら、私がそうだからだ。

私は極端な低身長だ(った)。

「成長ホルモン分泌不全低身長症」、これが私の健康診断票にいつも書き込まれていた病名だ。

症状は文字通り。原因は分かっていないらしい。

治療法も、成長ホルモン製剤の注射という対症療法的な物だ。極度の低身長という症状が明確に現れないと発覚しないものから身長一般的範囲に盛り返すまで時間がかかった。故に少年時代チビショタだった。治療を終えた今でも、身長は低く童顔な方だ。

毎晩の成長ホルモンの皮下注射というものは、子供心に結構辛かった。自分けが遭わされる不条理というものと隣り合わせで育ったものから、随分世の中は不公平ものだと絶望してしまった。

あと注射をしていたケツと太ももが心なしかデカくなった。安産体型ショタだぞ、抜けよ。

そして、私自身これを自称するのは鼻について好きではないが、少なくとも周囲から評価総合すると、私は天才だそうだ。

個々人の積み上げた好奇心歴史研鑽努力と熱意を不可視化し、天からギフトなどと矮小化する天才という単語はこの世で最も嫌いな単語なのだが、はてさて秀才ではつよそう感がイマイチ足りないので仕方なく天才という単語を使う。

3歳の時には、お遊びでジグソーパズルを裏面を向けたまま完成させて大人を驚かせたそうだ。私自身、出来そうだと思って挑戦し実際に成し遂げて満足した記憶がある。

看板から成分表まで活字があれば何でも読み込む子供で、よく迷子になっていた。漢字自然に覚えたため、小1の時点で小6の教科書漢字含め読めていた。

大人しくさせるために買い与えられたマンガ百科事典国語辞典の類は、それはもう食い入るように読み込んだ。寝食を忘れて読み込んだ。寝食忘れの自己最高記録は、確か留守番中に叩き出した27時間連続だったか中国の8日間絶食読書兄貴には敵わないが、中々な記録だろう。勿論それが健康に悪いことも理解していたので、以降は気をつけるようにしたが。

全国模試でも算数理科で何度か1位を取った。満点なのだから当然同率1位だ。中高以降は恩師のおかげで現代文も得意になったので数学現代文物理経験した。

そんなんだから、大した勉強もする事なく通学圏内最高峰、数十年東大学者首位開成中学校に受かった。なんか受かったから行くわ!wが正直な感想だった。

真剣受験勉強をしていた、しか活字中毒などの変態性はなかった学友が残念ながら麻布東邦まりで(勿論これも十分凄いのだが)、この時に適性の無い者へも無意味な苦難を強いる学歴社会への明確な嫌悪感を覚えた。

開成同級生は大きく3タイプに分けられた。勉強する事が大好きで大好きで仕方がない変態と、私のように勉強は好きでも嫌いでもないが活字知識にのめり込む気質のある変態と……学歴の威光に取り憑かれた愚かな親の犠牲者となった、凡人だ。

学歴主義を刷り込まれた凡人達に、私は恐怖と憐れみを感じた。真面目に勉強した事もなく学校や塾も寝がちだった私にとって、青春を擦り潰して校外でも毎日8時間勉強するという価値観理解出来なかった。

そこまでして一体、一体何になるというのだ。毎日1時間、1ヶ月ほど勉強するだけで適当資格は彼らなら余裕で取れるだろう。職に困らないために学歴を取る、なんてのはおよそコストとリターンが釣り合っていない。

私は彼らが怖くて、大学は全く関係ない某美大学歴パンチで進学した(ここを詳細に書くとマジで特定されそうなので勘弁してくれ)。そもそも私の夢自体漫画家とかゲームクリエイターとかのクリエイター方面だったし。

私が開成に通った途端に学歴に取り憑かれた金だけしかない親には美大進学は猛反対されたが、教育虐待警察に駆け込むと脅したら反対しなくなった。中高当時に親から受けていた拘束を思えば、実際駆け込めば成立していただろう。

ここまで見て分かるように、私の『極端な低身長属性と『天才属性に、一切の因果相関関係はない。だからこの属性が偶然重なる確率は非常に低い。

開成中学合格者数は一年ごとに400人弱、当時の小6男児日本人口約60万人で割ると1500分の1。そこに成長ホルモン分泌不全低身長症の15000分の1を掛けると2250万人に1人となる。ちなみにそこに、『開成高校から私の行った美大にいく変人』の数、大体3年間……1200人に1人ぐらいらしい?を掛けると270億人に1人だ。地球人口こわれる!

2250万人だか270億人だかはもう大差ないし、スキーn級とか小4?だっけ?で夏富士登山完遂(同級生の平均よりも遥かにちっこい身体でだぜ!すごくね?)とか付け足せばいくらでも数字を伸ばせるのでもうどちらでもいいが、まあとにかく私は客観的に見れば超激レアキャラだという事になる。オラッ喰らえ世界に一つだけの花パンチ

ただ、これらは全て私の大事アイデンティティの一つだ。私にとってのそれらは見たことのない激レア属性ではなく、いつも自分自身と隣り合わせのアイデンティティだった。

どんなに希少な属性が重なっていようが、偶然の悪戯が起こればSSRキャラクターはこの世に生を受けてくる。アフリカの貧しい子供達にもたまたまマックにいた桜蔭JKにも想像を及ばせられない、二つ要素が違うだけです〜ぐ想像出来なくなるインターネッツ愚か者共に嘘松呼ばわりされようとも、激レア属性たまたま重なった私は今ここに間違いなく存在している。マックにも行くし高校生時代時代遅れな価値観のオッさんに物申した事もある。喝采ってほどじゃないけど周りの人本当に拍手してくれるんだね。

だというのに、ロリショタ天才達は常にフィクション上の、架空存在として扱われている。

ならば、ここにいる私は一体何なのだ

私はフィクションなのか?匿名増田ですらない、完全なる架空存在なのか?

有り得ない嘘松だけの存在として、想像力の埒外にいなければいけない存在なのか?

ただのゲームきな子供だった私はここに、この世に存在してはいけない存在なのか?

なあ。答えてくれよ。

長くなったが、言いたい事は一つだ。少しの想像力を働かせてほしい、これに尽きる。

そこの道を歩いているくたびれたオッさんは、もしかしたら自由研究で賞を取った事があるかもしれない。そんなちょっとたかもしれない運転が、他者への敬意を払う第一歩となる。勿論何も前提無しに他者歴史人生に敬意を払えられれば、それが一番だ。

空腹を感じた時には、アフリカの貧しい子供はいつもそれ以上の飢餓に苦しめられている事に思いを巡らせてほしい。そして思い出した時にでも、コンビニ募金にお釣りを入れてくれればいい。

レア属性天才や奇才たちと接しても、更なる激レア属性の……私含めた疾病や障害を抱えた天才や奇才たちと接しても、たまたま希少な属性を引いただけの、ごく普通のありふれた存在として接してほしい。

本人が殊更に主張しているケースでも無い限り、恐らくわざわざ言い出したりはしたがらないはずだろう。傷に触れないであげてほしい。天才たちは目立つこと、特別扱いによる疎外にもういい加減ウンザリしているだろうから

というか私の知人の天才たちは大体皆そうだった。そして私もそうだ。もう、奇妙奇天烈見世物小屋人外として扱われるのは沢山だ。

目の前にいる相手雲の上の存在ではなく、マリオポケモンが好きだったり、でんぢゃらすじーさん爆笑したりしていたかもしれないただの人間だと思って接してほしい。

フィクションの箱に押し込んで、相手を遠ざけることをしないでほしい。ロリショタ天才を、フィクションだと思わないでほしい。

私をフィクションにするな。

私をフィクションにするな。

私をフィクションにするな。

2021-02-19

anond:20210219133626

昭和だったら「百科事典で調べろ」で終わってた

結構な家に訪問販売とかで買ったような百科事典があったからな

それなかったら「国語辞典で調べろ」でもまあ仕方ない

「この本(映像)を見てみろ」とか指定できるのはカッコいいけどパッと言える大人なんか専門家以外いないからな

ネットで調べろ」は親に質問するような年齢の子どもに返す言葉じゃないな

ネットにつながない電子百科事典は今でも必要だな

2021-02-06

今の日本ネットって国益になってなさそうなのに、よく放置されてるよね

百科事典的に、単なる調べ物に使っている時代はよかったけどさ。

毎日多くの人が、政治やら、晒しやらに多くの時間を費やしている。


みんなドンドン馬鹿になってると思うんだよね。

バカを叩いていたら、いつの間にかミイラ取りがミイラになったんじゃないかな。


もう日本語圏のネットなんて、検索してもちょっと難しい知識になると解決しないかプログラミングのように一部の分野に偏っている。

ネットはもうダメだと思って、書籍に戻ったとしても、もう売れているのはネットで出てる酷い部分を集めたようなもので、

長期的に参考文献として使えそうな書籍は、いつ消えそうかといった状態だ。

金と労力がかかっている情報より、無料で見える方が広まって強いのだ。


アメリカ反知性主義」で起こっていた、信仰ビジネス化の悪い部分を輸入してしまっているのではないか

2021-01-31

Wikipedia引用した上でマトモな論文にする思考実験

Wikipedia引用した論文は全て無価値」みたいな言説を見て、どうにかしてWikipedia引用してるのにマトモな論文を構築したくなったので考えてみた。

前提:Wikipedia引用するのは何故論文として良くないのか

ひとえに、Wikipedia記事自体には新奇性がない、あるべきではないから。記述根拠が示されていても、それは元となる論文か何かがあるはずで、その論文にあたるべき。孫引きNG。仮に記述に新奇性がある部分があったとして、それは独自研究個人見解であって、引用元として信頼性がない。そして独自研究個人見解Wikipediaルール的にも注意書きが付与、または根拠不明として削除される。つまりWikipedia記事は「引用元として不適当なのだ

さて、前提でかなり高いハードルをこさえてしまったが、飛び越えられるだろうか。

案1:Wikipedia自体研究

Wikipediaという誰もが編集できるweb百科事典の最大手しかも多言語研究対象としては価値があるものだろう。しらんけど。Wikipedia自体研究Wikipediaのページを全く引用しないというのは現実的ではない。少なくとも「Wikipedia:五本の柱」は間違いなく引用されるだろう。

ただ、これは反則技に近いので、Wikipedia自体研究以外で、Wikipedia引用したい!というゴミみたいなモチベーションで考えていく。

案2:誤解伝搬に対する研究

クソみたいな例えで申し訳ないが、例えば「明らかに間違ってるのに10年間訂正されずにWikipedia記事に残り続け、その誤りが割と浸透してしまった」みたいなパターンに対する研究。これならWikipediaは少なくとも誤りが広まった要因の一つとして考察に入るだろう。考察に入るなら引用される。これは情報伝達に関する学問的な面白さもあって、良い論文になる可能性がある。

案3:一般的意見としての引用

これは多分きびしい。ある事象に対して「一般的にこういうふうに捉えられている」という根拠として、Wikipedia引用することはできるだろうか。自分編集できちゃうから厳しそう。

面倒くさくなってきたかおしまい

2021-01-14

anond:20210114103109

持ったところで意味なんかないぞ

そんなことを言うなら昔は百科事典一家に一式買ってたらしいが、それをいちいち活用していたなんて話は聞かない

2021-01-12

ここ40年ぐらい人の役に立った記憶がない

増田が生まれたのは今から40年と少し前である

両親はアラフォー公務員で、腐りかけた遺伝子を混ぜ合わせて産まれ一人っ子として、親からは大切に、周りからは生まれついての気狂いとして疎まれて生きてきた。

子供の頃は、頭はいいが運動が出来ず空気が読めない、からかうには面白いが一緒に遊ぶとつまらない奴として、いつもクラスで浮いていた。

大学まで行ったはいいが、趣味と呼べるもの天職は見つからず、自分サラリーマンとしての適性も、経営者としての適性もないことを感じて、親から受け継いだ特性を信じて公務員になった。

それから20年間、社交辞令として感謝を受けたことはあっても、本心から感謝を伝えられた記憶は一つとしてなかった。

子供の頃から振り返っても、カツアゲ同然にゲームソフト漫画を取り上げられた際に皮肉として感謝を伝えられたことぐらいしか自分感謝を受けた記憶がない。

口で感謝は伝えられずとも、実態として役に立っているならいいのだが、増田は結局の所どこまでも空気の読めないハグレモノであり、仕事の遅い給料泥棒であった。

冬の連休明けなどの、心に隙間が空きやすい時期になると、増田はふと考えてしまう。

自分が世の中にいることで、誰が得をしているのだろう、と。

増田にとって生きることは苦痛である

持って産まれ性質社会と噛み合わず、かといって特別な才能はない。

子供の頃に勉強が出来たのは、単に親が増田にそういった環境を与え続けただけで、増田自身の脳の作り自体は貧弱という他なかった。

親がクリスマスプレゼントとして渡してくる百科事典を読むより、小遣いを貯めて買ったテレビゲームの方が面白いことに気づいた頃から、みるみる増田の成績が落ち込んでいたこからそれは明らかだった。

増田にあるものといえば、四肢健康に動くことぐらいだが、その動きすら、ステップ一つろくに踏めないことを40年笑われ続けるような出来損ないである。

感受性を育てることに失敗したのか、何をしてもどこか乗り切れず、人付き合いはただしているだけで頭の後ろを棘が這い回るような苦痛があった。

増田には何もない。

だが、増田日常にはたしか苦痛がある。

社会に馴染めモノの苦痛がいつもそこにあった。

増田が生きることは、増田幸福をもたらすことはなかった。

増田が生きることは誰のためにもならない。

だが、市の不可逆性だけが増田を踏みとどまらせていた。

生きててよかったの裏返しとしての死ねばよかったがあるように、生きることも不可逆だが、死より劇的ではない。

それだけが増田が今でも生きている理由である

2021-01-09

卒論修論を提出するときは参考文献くらい書きなよ、という指摘

日大学院修論発表会があって、先生方にボコボコ問題を指摘されていた学生がいた。

(学生はいっても、社会人割合の多い大学院で、彼は会社員をしつつの研究だった模様)


どのような内容でボコられていたかというと、おおよそ以下の通りだ。

いずれも、基本的な指摘だとは思う。※基本的だけど、必ずしも容易だと言うつもりは無いです

貴方の提出した修士論文には参考文献の記述が全く無いが、関連研究に関する調査はしたのですか?

そもそも参考文献の記載も無いような体裁では、修論として受理しかねる場合もあります

・先行研究課題などを明確にして、どう改善していくかとか、新しい視点貴方の考えを提言していくとか、そういうのが大事ですよ



それらの指摘に対する件の学生の反応は下記のような感じだった。

(1) 文献などの調査はしたが、関連する研究は無かった

(2) そもそも勉強研究は違うものであり、先行研究提示したところでそれらは所詮他人の真似事であり、本なり文献の紹介にしかならない



「あー、基本的な考え方が出来ていないのにプライドは高いタイプ・・・(私のような人間が指摘するのも何だが)正直、

卒論ならまだしも修論でこのレベルはまずい」というのが率直な第一印象だが、何故この人が(1),(2)のような発想を

してしまうのか、原因を分析してみようと思う。


まず(1)についてだが、件の人は、フォーカスしている視野が狭いなと感じた。

(おぼろげな記憶だが)ドラえもんの話で、「宿題くらい百科事典で調べなさい!」と怒られたのび太が、

いくら調べても、どこにも"今日宿題"なんて載ってないよ~」と嘆くシーンがあったように思えるが、

それに近い現象が発生していたかなと(宇宙完全大百科の話だったかな、確か)。


(2)についてだが、よく言われるように「勉強研究は違う」のは確かだが、自分研究位置けが適切に

なされていないために発生している考え方のように思えた。

あとは「巨人の肩の上に立つ」ことが腹落ちしていないのかなとも思う。



ただ、それらの問題差し置いて、彼の最大の難点は「何か指摘されると真っ先に口答えをしてしまう」ところかなと。

結局、他のゼミ学生が見かねて「こういう調べ方をすると良いですよ。関連研究提示しないと、せっかくの研究

もったいないですよ」みたいなフォローをする始末。


勝手に人の人柄を推測するのは無粋なのかもしれないけど、上司やお偉いさんに何か言われると、

発言趣旨を飲み込む前に口答えが先に出てしまタイプなんだろうな…

2020-12-06

anond:20201206033233

いつだったか百科事典で「女給」を調べたらそんな風な説明が書いてあったっけな。

2020-09-21

信頼における百科事典無料のやつはないのか > ない

2020-09-03

anond:20200903204247

この図に対して「じゃぁ資料を出せ」「参考元を出せ」という人もいた。いいでしょう、参考元を出しましょう。WikipediaPixiv百科事典ニコニコ大百科である。誰でも書き込めるネット百科事典だ。信憑性ざまぁみろ。あとは、自分も性暴力被害者大学教授パメラさんが書いた「9人の性的加害者」も参考にしているし、BBC番組でも苦悩する犯罪傾向のないペドフィリアを扱っている。他にもいくつか英語資料は読んだ。ハーバード医療学校サイトとかニューヨークタイムズとか。ただこれらはWikipediaに書いてあることの確認程度である

段落ごと引用するとこんな感じ。

ペドフィリア社会的責任」というゾッとする言葉 その2 について

参考元を出しましょう。WikipediaPixiv百科事典ニコニコ大百科である。誰でも書き込めるネット百科事典だ。信憑性ざまぁみろ。

ソース出せと言われてこれはない。

2020-08-23

anond:20200823093537

子供システムエンジニアに適性あって、興味をもってPCであれこれ遊んでITの基礎を身につけてくれる可能性があるから、置いておいた方がよい

必要必要いかというより、子供選択肢を与えるのが重要

百科事典パソコンも両方置きましょう

家にそんなパソコン必要か?

パソコンの普及率が下がって来ているとか、

授業以外の家庭でパソコンを触った触ったことがない子供が増えてるとか言われているが、そんなパソコン必要だろうか?


SNSしてゲーム以外、一般的な家庭で使わないだろう?


プログラマーの家庭だったら、そりゃ親が子供に教えるのに与えるのだろうが。

子供のためなら百科事典おいといた方がよくないだろうか。

2020-08-02

平凡社百科事典(1965年)で描写された日本自動車社会の将来

自動変速機(AT)についての描写なし

自家用車エンジン性能が向上し、変速機は2段(1段:発進用/2段:高速用オーバードライブ)になる。

高速道路網が日本の津々浦々まで整備される。日本のどの地方であっても自宅から10分以内に高速道路に乗れるようになる。

・故に変速機は発進用と高速用オーバードライブの2段で問題ない。

オートマ?2速しかないのにオートマいらないだろ。

よい見識といえよう。

2020-07-31

anond:20200731073648

読む気なかったけど気になってググったら概要あったぞ

https://dic.nicovideo.jp/a/%E3%81%8A%E3%81%91%E3%81%91%E3%83%91%E3%83%AF%E3%83%BC%E4%B8%AD%E5%B3%B6

百科事典に細かく書いてあったけど理解放棄した

同人メンヘラの話ってだけ理解できれば良いのだと思う

2020-07-30

anond:20200730220736

めまいがしそうだからこれからも知る気・読む気ない

オケケだかなんだかは知る気ないって書いた途端に

無性に気になってニコニコ百科事典概要を見たが

これに関してはタイトルからして無理

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