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京大がタテカン撤去で守りたい「景観」とは何なのか?提訴した職員組合の高山教授が語る「表現の自由」
https://news.yahoo.co.jp/articles/c41b28b8970c4b6d3e58f8aa227c512dffacbb27/
京大周辺で、学生や職員組合のタテカンがあったとしても、京大の景観を形成しているだけで、ほかの歴史的建築物が見えなくなったり、景観を害したりするわけではありません。
タテカンを撤去しても、垣根や柵が見えるだけです。そこには守るべき景観がなく、むしろ、タテカンこそが京大らしい文化的な景観だといえます」(高山教授)
そういう問題じゃない気がするんだが。
垣根や柵があるだけだから景観を害していないって主張は奇妙に感じる。
だいたい景観って歴史的建築物が見えるとか大自然が見えるってだけの問題じゃないし住宅街でも対象だし。
景観法
(基本理念)
第二条 良好な景観は、美しく風格のある国土の形成と潤いのある豊かな生活環境の創造に不可欠なものであることにかんがみ、国民共通の資産として、現在及び将来の国民がその恵沢を享受できるよう、その整備及び保全が図られなければならない。
2 良好な景観は、地域の自然、歴史、文化等と人々の生活、経済活動等との調和により形成されるものであることにかんがみ、適正な制限の下にこれらが調和した土地利用がなされること等を通じて、その整備及び保全が図られなければならない。
3 良好な景観は、地域の固有の特性と密接に関連するものであることにかんがみ、地域住民の意向を踏まえ、それぞれの地域の個性及び特色の伸長に資するよう、その多様な形成が図られなければならない。
4 良好な景観は、観光その他の地域間の交流の促進に大きな役割を担うものであることにかんがみ、地域の活性化に資するよう、地方公共団体、事業者及び住民により、その形成に向けて一体的な取組がなされなければならない。
5 良好な景観の形成は、現にある良好な景観を保全することのみならず、新たに良好な景観を創出することを含むものであることを旨として、行われなければならない。
調和って書いてある。
それの何が偉いのか、私には分からない。
今日は延滞の常連のヤツがいるので電話をかけた。施工屋のオッサンだ。
「分かったよ!返せばいいんだろ。ったく、いちいち訛りやがって、うっとうしい」
接客という職業柄怒鳴られるのには慣れている。延滞のことででかい声を出されるのなんか日常茶飯事だ。
だが、「訛っている」というのは聞き捨てならなかった。この一言で私の殺意は頂点に達した。
延滞の電話がしつこいとキレられるならまだしも、私の話し方と延滞は何の関係もないではないか。全く関係のないことで愛する故郷を貶められるのは納得がいかない。今すぐ腹を三段に捌いて詫びてほしかったし、殺人罪に問われないのであれば首の骨をバールでへし折りたかった。
訛っていることに対しては謝らなかった。理不尽な怒りに対して謝る必要がどこにあるのだろう。私は必要な事柄を伝えるという仕事をしただけだ。その伝え方が相手にとって気に入らないものであろうが、そんなことは私にとっては関係ない。
しかしやはりこの客は気に入らない。全くもって気に入らない。
いくら私の故郷が夏はくそほど蒸し暑くて冬は凍える程に寒く、観光に来るところであって住むような街じゃないと罵られようと、スーパーで買い物をしようと歩道に自転車を止めていたら5分で市役所に迷惑駐輪として撤去されるようなところでも、この十年で観光に来るのが修学旅行生ではなく外国人観光客になり、個人旅行客で市バスがパンクして歩道にバス待ちの客が溢れるくせして四条以外の歩道の幅が全く広がらなかろうとも、わけのわからない景観規制のせいで中途半端な高さの格好のつかないマンションしか建たなくとも、私にとっては四季の色づく愛すべき街だ。愛おしい街だ。大切な故郷だ。
それをたかだか現在の主要都市である関東に生まれついたというだけで、見下し踏み躙るのか。東の田舎者風情の癖に、随分とまあ偉そうだこと。
半ば本気で、そう思った。
もちろん私は、こちらの言葉を尊重してくれる関東の人に「東の田舎者風情が!」と思うことはない。無分別に刀を振り回しているわけではないので、そこは分かってほしい。
「東京からきはったん?関東訛りが抜けてはらへんから、すぐ分かったわ」
と言われたら、腹が立たないか?ということを考えてほしいだけなのだ。
日本という国のくくりからすれば、標準語は関東地方の一方言に過ぎない。それを「標準」などという偉そうな冠を被せたから、標準語が故郷の言葉というだけで特権意識を持つ頭のいかれた輩が出てくるのではないか。
そんなことで特権意識を持っている輩は私からしたら、やっぱり理解不能だ。
他に誇るものがあればそれを誇ればよいものを、生まれつきの何かしらしか誇るものがないのだろうか。そんなところにしか縋るものがないから、それで人を見下さなければ自分を保てないのだろうか。
己の手で掴んだものが何もないからと生まれつきのもので他者を嘲り踏み躙るのは、あまりにも惨めで格好の悪いものだということが分からないのだろうか。
閑話休題。
とりあえず、標準語話者で他の方言を「汚い日本語だ」などと見下している人は早急に考えを改めてほしい。私にバールで頭を殴られる前に。あなたの言葉など、京都出身の私からすれば『関東訛り』でしかない。
他の方言のことも同じ重さを持つ言葉として見てくれている標準語話者のあなた、ありがとう。どうかそのままでいてほしい。
そしてできたらでいいのだが、方言を馬鹿にしている人がいたら「そういうのは良くない」とたしなめてほしい。人のアイデンティティを貶めるのは、誰に対しても許されない行いだから。
おわり。
これって、公式ページに「日本橋川に青空を」と書いてあったけど、要は日本橋に首都高の高架が覆い被さって景観が悪いから、
って理由で首都高を地下化するためのものなんでしょ。個人的には、東京駅も近い利用者多数の首都高出入口を2つも廃止するほどの話なの?って思うが。
でも私としては、あの光景が大好きだった。三越前駅でわざわざ銀座線を降りて見に行くぐらいに。
なぜなら、現代の技術による首都高の高架が、過去の技術である日本橋を乗り越えるという象徴的な光景であり、
技術による人間生活の進化みたいなものを信じさせてくれるという意味で、むしろ励まされるように感じたからだ。
自分も技術屋のはしくれであり、その仕事の社会的意味をこれでもかというダイナミックさで示してくれるように思ったからだ。
まあ、ある年齢以上の方が日本橋のかつての景観を求めるように、
私も今ある首都高の景観の維持を求めるというだけだから、議論しても平行線になるんだろう。
工事して逆に不便になるの?と素朴には思うけれど、工事を中止させるほどの強い論拠など持ってないし。
そうじゃなく老朽化対策がメインなんですとでも言われれば、代替案もすぐには思いつかないし。
だから、中止を求めての一文というわけではない。
ただ、今のままの光景を望んでいる(※)人間が少なくともひとりは居る、ということをいつか始まる工事の前に書き残しておきたかった。
高架に囲まれ都市化された現在の景色は、江戸時代の牧歌的な光景に決して劣るものではないと思うのだ。
まぁ多分女の子が馬と同じノリで走ったら面白いんじゃね?だろうし
プロデューサーだったかの説明では「エルフ的なものだと思ってください」だったしな
それを応援する我々は人間で男女問わずに応援してるしつの丸なんか全裸で応援させてたじゃん
馬時代にあった雌雄は短パンとブルマへ 配合は継承へ委ねられる訳
時速60キロ以上出すとかそのまんま全速力で一キロ走るとか三キロ走るとか人間には無茶だし
だけどトレーナーはただ早いだけのウマ娘達の出来ることを見極めなくちゃならない
見極めて、指示して、時にはウマ娘と同じスピードの機械に乗って檄を飛ばさなきゃならない
馬じゃないから
その成長を見守られた訳でもないから
大きくなった時に更に高い金を出された訳ではないから
騎手達のように毎日自分の体重管理を厳重にやってる訳ではないから
青春の時間を馬に乗って走る為だけに使って、見事それを勝ち取った訳ではないから
そこは違う。
彼らみたいに命を賭けてる存在とは違う。
そこに「エルフみたいなもんだ」って理由付けがあったら尚更「そうだそうだ」と思ってしまう
そうやって男女一緒になって騎手とか、馬とか、ウマ娘とかを応援するんでしょ。
そこで逆に性別が一つの方がって思ってる方が性差別な感じするけどね。男だって馬を育ててぇよ。
景観がどうこうじゃなくて、愛馬を育てるアツさの片鱗を感じたいよ。
近所の景観のいい場所に散歩に行ったら、2人組の観光客がその景観が一番いい感じに撮れる写真スポットで撮影しており、その様子を同じようにそこで撮りたいのであろう人達数組が第三者の自分から見ても察するほど 待ってますよ、という態度で見ていた。
休憩がてら観察していたが、その2人組は写真を何枚も何枚も撮り(シャッターきってるように見えたので多分動画ではない)、5分程経過しても全く動かず周りに写真を撮りたそうな人が行ったり来たりとウロウロしても尚撮り続けていた。
その後その場を離れたのでどれほどの時間写真スポットを独占していたかは分からないが、自分の目にはマナーが悪いように見えてしまってモヤモヤーーっとした。実際マナー違反かは知らん。
発売日当日までワクワクしながら待って、ネタバレしたくないから情報もあまり見ないようにして、日付が変わって蓋を開いてみたらこの有り様。
ロード面はいいよ別に。いやよくはないけど適宜修正していってくれれば。
そんなことよりもバグが多いし住民はサイコだしなんでこんなクソみたいな所で牧場()してるんだ?って気持ちになる。
折角買ったんだから……と思ってだましだましプレイしてたけど、動物はあらぬ所に行くし主人公とかは地面に埋まるし、いつまでたってもロード出来ないから再起動せざるを得ないし。
牧場の装飾をすると重くなってカクつくしフリーズするし。プレイデータもフリーズですぐ消えるし。
確認してないのかな?
財布落としたから海に入って拾ってくれよって後ろから右だ左だと指示を出されて主人公が溺れかけた挙げ句、助けに来てくれた(落としたやつとは別)人に服着たまま海に入るなって怒られるし。
いや何これ?
話しかけても「こんにちは!」しか話さないbotに毎日通って好感度あげて発生したイベントがこれだよ。
なんで好感度あげて殺されそうになってるの?
もう住民には期待しないと思ってたのに突然早朝六時に玄関前で待ってたよって言って、唯一の癒しである可愛がってた牛に虐待されそうになるし。
牛にカレー食わせてカレー味のチーズ作ろう!ってどんな発想?殺す気なのかな?
選択肢にあるかわいそうを選ぶと頭が固いな!って逆ギレされる。え?私の感性がおかしいの?
君のおじいさんにはお世話になったから親切にするね!って言われた次の日にはこの町にも活気がほしいなあ~よろしくね!だし、町に出たら住民に殺されそうになるし、建物のすぐ前にしかけられた小動物用の罠にひっかかった主人公に「気をつけて歩いてくれ」って言うしこんなの……いじめじゃん!!!
人間関係がこれならもう牧場やるしかない……と思っても、メーカーで場所が埋まって景観が悪いし、そもそもカクついてまともに歩けない。品評会もなくなったから、動物の品質あげたところで……ね。
なにもしなくても品質が上がっていくのは便利かもしれないけど、それなら主人公必要なくないですか?
牧場物語ってなんだっけ?って思ってもうSwitchから消しちゃった。お金も時間も戻ってこないのにね。
合わないから買わなきゃよかったなってゲームは何個かあったけど、こんなにも売上功績を与えたくないから返金してほしいと思ったのははじめてだよ。
未完成品でバグまみれだし優良誤認で景品表示法とかならないかな。むりかなあ……消費者庁とか……
修正してもたぶんやらない。改善できるレベルにすら達してない。
正直そのくらいしてもいいと思ってるよ。
就職でなんとなく日立市に流れ着いて永住することになりそうな身として、淡々と生活の感想を書いてみる。
中核市でも農村でもない、日本中に沢山ある人口20万人弱の地方都市の一生活者の記録です。
3年ほど前に建売4LDKを購入。
働き方改革が始まる数年前までは残業して帰る時間に空いている店も少なく、娯楽が少ない環境で、他に使い道もなかったので、20代で新築する夫婦は同期の中で珍しいほうはなかった。
掛け捨てのアパート代よりマシぐらいの気持ちで35年ローンを組む。
マンション…はJR駅の近くに新築分譲マンションが1棟ぐらい出ていたが、駅の近くに何もない街並みなので、価格ほどの魅力は感じなかった。
でも某H社の関係で転勤族や単身赴任の人も多いので、マンションは主にそういう方に需要があるのだと思う。
客間が在宅勤務の仕事部屋になり、将来の子ども部屋は物置部屋になっている。
もともと私は物を増やす性質で、夫は物持ちが良くあまりものを増やさないので、ほとんど私の荷物で占領しているのはいちおう申し訳なく思っている。
アパート暮らしのときは電子書籍一択だったのが、紙の本を買えるようになって嬉しい(ほとんど漫画だが)
徒歩5分圏内には、コンビニと24時間営業のチェーン系飲食店が1件。
決して充実はしていないが、孤独を感じるほど何もないわけではないのが良いなあと思っている。
10分歩くと砂浜。
生まれ育ったところは海まで2~3時間の盆地だったので、移住したての頃はどこまでも続く水平線に結構感動した。
今ではすっかり見慣れてしまい、インドア人間なので夏でもいちいち海に行ったりはしないが、それでも晴れの日は通勤中に海が見えるとちょっと爽快な気持ちになる。
オーシャンビューな感じのカフェにもたまに行く。
国道沿いにはスーパーとかホームセンターとかニトリとかチェーン系のファミレスが一通り揃っているので、日常的な買い出しはそこに車で行く。
たしかに車がないとかなり不便。
うちは夫婦ともバス通勤なので、車は1台で充分なんだけど、うちも含めて周辺の物件には3~4台の駐車スペースが確保されている。
私は元々かなり運転に苦手意識があったのだけれど、前職を辞めて1年ほど在宅パート生活をしていた期間があり、時間に余裕があって必要にも迫られていたので、生活に困らない程度には運転できるようになった。
あと、夜でも気兼ねなく出かけられるのは、特に女性にとってはかなり大きなメリットなんじゃないかと思っている。
市内に娯楽施設らしいものはないが、最近話題の公立動物園はなかなか立派なものがあり、子どもが出来たら連れて行ってあげたいと思う。
今にも逃げだしそうなゆるい囲いのカピバラと近距離で触れ合えるのと、珍しいヘビとトカゲがいっぱいいる。
週末何してるかというと、夫はゲームかラズパイ開発か資格の勉強してるし、私はネットか漫画か知り合いのサイト開発などしていて、自宅を謳歌している。
たまには30分ほど海沿いを運転して隣の市のショッピングモール(withシネコン)に行く。
あと、土曜の夜は隔週で、やっぱり30分ほど運転して絵画教室に通っている。
先生が昼は喫茶店のマスターをしている気軽な教室で、デッサンも楽しいが、半分くらいは先生と高校生たちの明るい雑談を聞きに行っている気分。
数年前、インドア人間のくせに、思い立ってSUP(スタンドアップ・パドルボード)に行ったことがあった。
独身時代に住んでいたアパートの近くに、体験プランをやっているショップがあったのだ
ちょうど今くらいの季節で、めちゃくちゃ寒かった。
そのときは海じゃなく流れが穏やかな川で、インストラクターに促されてボードの上に仰向けに寝そべってみると、川の上に寝ている感じが心地よかった。
川で獲れた(?)という鮭のイクラ載せ放題の昼食と、1日SUP体験合わせて5千円。
かなり満足度の高い体験だったが、当時は趣味に投入する色々な(主に精神的な)リソースが足りていなくて、続けるには至らなかった。
でもまあ、その気になればそういうウォータースポーツができる環境もあるし、釣り好きな人には最高の環境だと思われる。
車に乗れない人や学生は遊ぶところがなくて寂しさを感じるかもしれない。
私はこの町で青春を過ごしておらず、余計なお世話ではあるのだが、そのあたりの寂寥感は日立市出身の人気ラノベ作家ヤマグチノボル氏(ゼロの使い魔で有名)の著作からも伺えた。
若くして亡くなった氏の作品には衰退しつつある故郷への愛が込められていて、よそ者の私が後から読んでも、何というか非常にしんみりしてしまうものであった。
これも隣のひたちなか市だけど、邦楽好きとしてROCK IN JAPANに気軽に行けるのは最高。
ネモフィラとコキアも良いのだけど、最近は人気で人が多すぎてあまり行っていない。
某H社様のおかげで市内の同業種求人はいつも需要が供給を上回っている印象。
全部歩いても45分くらいなので、気が向いたら音楽を聴きながら歩いて帰る。
バスは、2005年に廃線になった日立電鉄の線路跡をバス専用道路にしたBRTというものが開通して、かなり便利になった。渋滞に巻き込まれないバスは良いものだ。
(ローカル線好きとしては、電鉄に残ってて欲しかった気もするが)
BRTは自動運転の試験運行も始まったりしていて、ちょっとワクワクしている。
雇用がある町は強いなと思う。私は地元がかなり好きだけど、就きたい仕事の枠が無くて地元を出たので。
正直最初に越してきた頃は、工業都市特有の無機質な景観と沿岸部らしい雨風の強さに冷たい印象も受けたのだけど、ここは働くための町なんだと思う。おかげで図書館とか病院とかも新しくて綺麗。
子どもの興味と合致したら将来は茨城大か茨城高専か筑波大に行ってくれたら経済的には嬉しいかな、ぐらいには思っている。
東京に出たとしても、週末気軽に行き来できる距離なのは良い。特急で片道1時間半、高速バスで片道2時間半。
最高に頭が混乱し、最低のグッドトリップをした経験を、忠実に、正確に、有意に脚色を加えて書き残す。実に珍しいことだと感じたので。
12月9日午後12時35分、就寝。男は一晩中寝ていなかったらしい。漫画を読み、充足感と不足感のままに乱暴に寝た。夢は見なかったそうだ。
12月9日午後6時18分、起床。外は暗い。男は電気を点け、あまりの明るさに愕然とする。どうせやることもないし、このままもう一度寝てしまおうか、とも考えたが、蛍光灯とブルーライトにやられた目と脳は閉じることを拒んでいた。
男はなにも考えていなかった。なにも考えられなかった。夢と現実の狭間に迷い込んだかのようだった。外の暗さと部屋の明るさに、矛盾した鬱憤をかかえながら、ただ時間を過ごしていた。とりとめもない文章を連ね、他人に送りつけたりしていた。46億の人々の生活を消費し続けたりしていた。孤立していた。
12月9日午後7時24分、男は世界が一つではないと気づいた。その瞬間、目に映る文章、天井のライト、部屋の景観、今までのすべてが、文章となって脳になだれ込んだ。あまりにも煩かった。慄いた。これまでの自分にあった全てを悔い、取り消そうとした。しかし気づいている男は、そんなことができないことにも気づいているのだ。どうしようもなく時間は早く進む。不可解な理解から逃げ出したかった男は、もう一度布団にくるまった。
12月9日午後7時48分、逃げ出した男は、なにかに縋った。とにかく狭間に帰るべきだと考え、今の自分がいかなるものかを他人に伝えた。まるでそれらが自分ではないように。なにもない狭間になにかを忘れてきたかのように。男にとってそこは、唯の狭間ではなかった。すべてを満たす無に安堵を覚えていた。凪の水面に落とされた水滴、もとい大雨は、大きな波紋を広げ、自己を顕示する力を生んだのだ。
12月9日午後7時57分、男は気がついた。ここにはなんの変化もない。
12月9日午後7時57分、私は気がついた。ここにはなんの変化もない。
何も起きていなかった。安堵した。凪の水面は存在しなかったのだ。あわやヒトという環に取り込まれそうになった私は、なんの問題もなく生活を取り戻した。システマティックに組み込まれたひとは、再び運動を始め、するすると抜け落ちた狭間の快楽に気づくこともなく回り続けている。
男達は偽物だったと思うことにした。
あのさあ、そこまでいうならその土地を引き受けてくれる覚悟あるんだよね?
あのパネルが敷き詰められた山や荒れ地はね持ち主は手放したくてしょうがないんだよ
林業もオワコンだし農業だって立地が悪けりゃだれもやりたがらない
そんな土地は手放そうにも手放すことができず持っている限り税金を無限に払い続ける単なる呪いのアイテムでしかねーんだよ
金も出さねー癖に気まぐれで来るような外野が景観が良くないだの環境破壊だの
黙れやまじで
環境を守るために俺たちが黙ってなんの生産性もない土地に税金払えってのかよ
ならただでくれてやるからお前が引き取れよ
果名温泉の泉質は硫黄泉で酸性度は高く石膏分を含み、典型的には乳白色の湯を湧出し、皮膚疾患や自律神経不安定症、冷え性に効くとされる。現在の果名温泉にあたる場所で湯治が行われはじめた正確な時期はわかっていないが、戦国時代には国衆の松影氏と配下の武士が戦闘時に受けた傷を癒すために東屋を建て、熱した岩に湯をかけて出た蒸気を浴びる療法を行った記録が残っている。
旅館の立ち並ぶ温泉街が発展を始めるのは果名駅が完成し鉄道が停まるようになった大正初期以降で、大正年間には山形屋、鳳萊館、飛雲閣、梅風館、寶山閣が温泉旅館として営業を開始している。昭和初期には湯治客の増加に伴い、月風荘のように高層化した木造建築の旅館が現れた。昭和10年発行の果名温泉旅館協同組合名簿には27件の加盟旅館が記載されている。
温泉街は一大経済圏を形成し、湯治客のみならず温泉での働き手を引きつけた。特に昭和の恐慌時には各地の農村から子女が年季奉公で旅館に送り込まれ、仲居あるいは酌婦として住込みで働いた他、「即席御料理」の看板を掲げた曖昧屋も複数存在していた。
温泉街でありながら閑寂な山居の趣を味わいうる果名温泉は多くの芸術家たちを魅了した。志摩名護也の「果名にて」や葛西前後の「波浪」といった小説は果名温泉の旅館で執筆されており、当時の果名温泉での生活を垣間見ることができる。作曲家和賀英良の名曲「疑問」は、鳳萊館の露天風呂で着想を得たとされる。
戦時中には物資の統制や倹約の奨励で温泉旅館の営業は一定の影響を被った他、温泉街は疎開児童の集団受け入れの場となった。終戦直後の乏しい物資供給を乗り越え温泉街の旅館は営業を続けたが、高度経済成長期には急峻な地形に鉄筋コンクリートの高層ビルを建てにくかったことから果名温泉は団体旅行の受入地とはならず、鄙びた温泉地の形態を留めた。
今世紀に入って旅行者の嗜好が変わるにつれ、果名温泉街の伝統的な景観と旅館の木造建築が再び脚光を浴びている。経営者の高齢化、湧出量の維持といった課題を抱えながらも、温泉旅館協同組合が主な担い手となり、地域の産業振興策と一体となった新たな温泉街の魅力づくりに取り組んでいる。平成10年には青年会により温泉街で第1回オメガラーメンまつりが開催され、果名村が発祥とされるオメガラーメンを温泉とともに楽しんでもらう行事が現在に至るまで毎年秋に行われている。
近くに小学校と公園あり。高層マンションや綺麗にしている一軒家も多い。
現状:
うちの近くに、おそらくもう営業していないであろうお店(スナック?)がある。このお店の前にはビニール製のひさしのような飾りがあり、いわゆる看板の役割を果たしている。ビニールには店名や「カラオケできます!」と言ったような案内が書かれている。大きさは幅4メートルで高さが1メートル程度。店の入口全体にかかっている。色は既に褪せており白っぽい。
問題はそのビニールが破れ非常に景観を損ねていること。荒廃した印象を強く受ける。入り口付近には直径50cm程の鉢が並び、これまた茶色く枯れた植物が入っている。
このスナック店の古びて破れたビニールと枯れた植物が植えてある鉢を何とかどかせないか。近隣住民が「見た目が悪いから」という理由だけで行政に訴えても解決にはならない。そもそも自分勝手だし。
大したことは書かない。寂れた郊外に住むおっさんだかクソガキだかわからない生き物のふわっとした戯言だ。
コロナ禍で引きこもり生活をはじめてから、スーパーに買い物に行こうとほぼ寝巻きのような格好で外出した時に、ふと考えたことがある。
もしこの状況が文明が未発達な時代に起きていたら、間違いなく”神の仕業”と言われていたのだろうなと。
どこかの国では、人間が外出を控えたおかげで自然の景観が戻ったみたいな話も聞いた。
コロナの影響は、増加の一途を辿っていた人間の数の減少、そして自然の回復。
ジブ○じゃないが、人間たちの自然破壊に憤怒した神が人に与えた罰と考えると、ストーリーとしては出来過ぎなくらい綺麗だもんなあと思ったのだ。
でもそうだった場合、何を基準に淘汰する人間を決めるのが一番神らしいのかを考えると、やはりそこは心の善悪だろうと思う。○ブリならそうだろうと。
自粛要請を長く続ければ(これを考えたのは自粛要請期間だった)、中小企業などの”経済的弱者”が淘汰され、自粛要請を解けば、老人や持病のある、”身体的弱者”が淘汰される。
ああ、やっぱり世の中は弱肉強食。どんなに文明が発達しようと結局強いやつが生き残るのだ。
この先の人生はまだ短くないし、生き残るために勉強して武装すっかーと思ったところでスーパーについた。
おしまい。