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2016-09-25

Re:ゼロから始める異世界生活のどこが面白いの?

Amazonプライム会員なので、各所で好評なRe:ゼロから始める異世界生活を見てみた。

死ぬセーブポイントまで戻る異世界転生系ラノベ原作らしい。

プライムにある24話まで見てみたのだけど、コレの何が面白いの?

確かにエミリアやレムはかわいいけど、強くてツンデレテンプレラノベキャラだし、

敵を前にして延々悩んでるし、魔女教の司祭?は敵を前にして喋って無駄な動きしまくってるし。

あんだけ無駄な動きしながら悪行の限りを尽くしても捕まらないって、官憲とどんだけ実力差有るんだよと思ってしまう。

何よりも、死んだらやりなおせる話で、一々絶望してる主人公って何なの?

序盤では積極的に死んでやりなおしたり、かと思えば終盤では死んで延々レムに愚痴ってるし。

死ぬのは苦しいだろうが、死に戻りを口にすると魔女にアレされるのも慣れていってるし、あんだけ死ねば慣れるだろ。

批判的な事ばかり書いてるけど、マジで何が面白いのかよくわからんので、教えて欲しいというのが本音だ。

クリエイティブ系の仕事をしているので、流行ってる物が全く理解出来ないと不安になる。

Re:ゼロを楽しんで見ている人たち、あの作品のどこが面白いの?


死ぬ事に慣れることは無いと思うんですが……。死んだ事もないのに慣れるって判断できる増田はすごいな。


現実に死んだ事が無いか判断出来ないというなら、ファンタジー世界に転生した事が無い人が論評するのもおかしくなりますね。

と、一行で終わるブコメですが良い機会なのでもう少し続けます

何度も繰り返せば、どんな事でも慣れるのは、生きていればわかるかと思います

Re:ゼロから始める~の主人公は何度もやっていて、しかも死に方を見ると喜々として崖から飛び降りたりしてますよね?

あと、死ぬほど厳しそうな死に戻りを口にすると魔女にアレされるやつ、どんどん慣れて、囮になる為に自分からやったりしてますよね?

主人公死ぬ事や魔女にアレされる事に明らかに慣れている描写散見されます

慣れるだろという指摘は、演出が後押ししていると思いますが、いかがでしょうか?

さて、ここまで読んだ上で、どうして慣れているという判断をしてはいけないのか?根拠が有るのでしたらご教授下さい。


「喜々として崖から飛び降りたりしてますよね?」自分が見ているアニメとは違うアニメのようなので言及できなかった。いつこんなシーンがあったのだろう。


第七話 ナツキスバルリスタートです。殺されるのではなく、初の自殺をするシーンですね。

絶対に助けてやると叫びながら死に戻るのが当然といった風情で崖から飛び降りています

死に戻って当然と、ほんの少しも疑わずに飛んでいますね。

死に戻りが不明確説は、この七話で崩壊していると感じています

白鯨戦後の死に戻りでセーブポイント発言がありますが、恐らくこの辺りで、すでにセーブポイント認識が有ったのではないでしょうか?

2016-08-21

価値ものを「テーマ」とは言わない

少しだけ真面目に言うならテーマというのは「主題」なわけ。「主」って言葉意味はわかるよね。中心であり核心であり、即ち価値なわけ。価値があるから「主」というので、なければ単なる一部分にすぎないの。そんなものを「テーマ」とは言わないですよ。

からテーマを論じたらそれはマウンティングなっちゃうわけ。少なくとも優勝劣敗が存在するわけ。そんで「作品に込められたテーマを探す競争」が人々の中二心をくすぐったりもしたし、作者すらそれに乗って崇高で深遠な「テーマ」を探す競争とかしてたわけ。でもあなたが言うとおり「テーマが主なら、作品は従か?」って疑問が当然出てくるわけ。「いやいやテーマ作品は不可分一体だよ」とか言ってごまかしてもダメなわけ。たかだか数行にまとめた「テーマ」が主なら、二時間映像はいらなくて、最初からテーマだけでいいでしょって話になる。おかしいよね。なんでそんなことになったのか?

そもそもむかしむかし「作り手・受け手」の関係において「受け手」は弱者だったわけ。「作り手」は神の代弁者司祭シャーマンまり天才」。受け手はただの虫けらで、神の子の手で一喜一憂し転がされ泣かされ笑わされ搾り取られるだけの存在だったわけ。でも「批評」という行為によって革命が起きたのが近代という時代だったの。書き手さえ気付かぬ作品のシンの価値発見確立する創造行為としての批評、それが近代的なあるべき作品受容の姿となり、そこで発明された批評家武器がすなわち「テーマ」なわけ。「この作品のシンのテーマは…」とかしたり顔で語る連中は、、ことごとくこの時代に生まれた連中のしっぽなわけ。

それに対して、受け手100%権力を握るべしとした20世紀過激主義者エンタメ派なわけ。どんな作品であろーが、オレたちが楽しめればいーじゃんていう。オレたちが楽しんだ事実けが重要なのであって、作品テーマとかそんなもんあってもクソ、みたいな考えは、一方で作品の質みたいなものを果てしなく劣化させてく危険思想でもあったのだけど。まあそんなことは昨今のアニメを見てる連中ならうすうす気付いていることだとは思うけど。萌え豚だって自分らが萌え狂ってる作品が、50年後100年後まで人類熱狂させるHOTコンテンツだなんて欠片も思っちゃいないでしょ? まあでも、「批評主義テーマ主義」ってしょせんはインテリ玩具であって新しい階級主義だったわけ。それより、萌え豚の方が「ぶひー」言ってればいいか楽しい多数派なわけ。急進派は多数派に敗北するのが歴史必然なわけ。んなわけで、萌え豚が「テーマ=悪。エンタメ至上」という旗印の下に批評家オタク駆逐していったわけ。

そんなわけで、この件についてはどちらが正しいってことも別にないわけ。「それぞれの時代における流行りの作品受容の在り方」でしかないわけ。いずれもその時代なりの必然があって生まれスタイルなわけ。

それより、そういうエンタメ派全盛な脈絡の中であえて「いかにもテーマ的に論じられそうなコンテンツ」をぶっこんで来た所が庵野のタチ悪さだったわけ。つまりテーマを論じる批評という行為自体を巧妙にエンタメ化したわけ。わかりやすく言えば萌え豚という民衆の手にテーマ論という権力解放したということで、これはまさしくアナーキズム可能性の中心なわけ。これがゼロ年代オタク概念の飽和を生んだ庵野革命だったわけ。そして今回は、ゴジラ震災政治、なんつーメジャーコンテンツを使って(政治ももはや萌え豚の旗の下に果てしない劣化を始めていたというタイミングもあって)

一般人までまんまとそれに狂わされてるわけ。そこが庵野の手腕ですげーとこなわけ。だから増田増田やお前増田や俺増田がこうやってネットであーだこーだいうところまでひっくるめて、全部庵野計算したとおりのエンターテイメントなわけで、つまり「やっぱり『シン・ゴジラ』すごいわ」というのがとりあえずの結論なわけ。

というわけで、これがライト左翼の語る「シン・ゴジラ」論なわけ。

http://anond.hatelabo.jp/20160816124615

(追記)ブクマに回答

id:tick2tack 批評オタクが「駆逐」されたのはなんでなのかな?エンタメ派が増えようが批評を続けることに問題はないように思える。単に注目・承認欲求が得にくくなったためとか?

承認欲求と言えばそうですね。すごそうな「批評」に感心してくれる人が減ったら批評やりがいがない。エンタメ派によって「今時『テーマ』とかムキになって論じちゃう批評ってイケてない」というイメージが広まりましたしね。あと、積極的駆逐しなくても、エンタメ楽しい、と一動作に対して批評=考える+論じるの二動作後者は前者にどうあがいても敵わぬ理屈ッ(成る程っ!)、みたいな。「楽で楽しい」方向に流れるのは時代歴史必然でもあるように思います

2016-05-10

http://anond.hatelabo.jp/20160510015409

戒律を守る人々同士のコミュニティは強化される

そして、他と差別化される

刺青とかコミュニティ帰属するか否かの分かりやすスティグマ

ソレ以外の人から見ると、それだけで忌避するに足る

戒律コミュニティが大きくなると複雑化し戒律専門家必要となる

司祭のような職業宗教家誕生

その反動として、既存宗教家を廃して新しい信仰に流れるのもまたいつものことで

由緒正しい神社仏閣をパワースポットと称する文脈無視フリーライド精神

エルサレムユダヤ教キリスト教イスラム教共通聖地となる過程を追体験しているかのよう

宗教の成り立ちにおいて、教義よりも宗教的聖地の方が先に存在するのだ

廃仏毀釈が一番激しかったのは鹿児島だそうで、寺がかなり迫害されたが

墓も墓参りの習慣も残っている

日本は、仏教儒教神道ちゃんぽん言うなれば日本教信者

そこから逸脱した言動をするものものすごい勢いで排斥されるのに

その教義不文律でその場の空気を読むしか無いという

結構無理ゲーをなんとかこなしているように見える

2015-10-11

中学高校ときか忘れたが、

グローランサ年代記は半分以上は読んだと思う。

人文地理学みたいな部分が多かったような。

その前にソードワールドワールドガイドは連載でも読んだが、

暗黒司祭の話あたりからかなあ。

なんかファラリスってニーチェとかミルとか

キリストあるいは非キリストみたいなのが混ざってる感じだ。

2015-05-28

http://anond.hatelabo.jp/20150528161428

あと、ハンバーガー司祭っていうの調べたけど女性監禁して子供を産ませた犯罪者らしいね

とうとう弱者男性の子供を持ちたいという願望は犯罪扱いになっちゃったんだね

違う。

子供を持つことが社会保障範疇でもいいくらいだという発想を犯罪者扱いしてる。

女に自分の子供を産ませる当然の権利があると、その権利が得られないなら社会が与えるべきであるということではないか。

それが恐ろしい。

女の腹は男の所有物じゃない。

子供を当然の権利として欲しがるのと、金を当然の権利として欲しがるのが同じだと思うか?

選択権は女性にあるから

http://anond.hatelabo.jp/20150528153849

その通りだ。

女が欲しい金が欲しいじゃないんだよね。

家庭が欲しい、子供が欲しいなんだ。

だけどその選択権は女性にあるから

男性仕事こそが大変で価値があると専業主婦妊娠出産を軽んじてきた社会では彼らは孤独絶望の中死ぬしかない。

女は生きる手段を得た。

からこそこうやって女をあてがえと、女の腹を借りる権利自分にあるという異常者が怖い。

日本でもハンバーガー司祭生まれる。

選択権は女性にある。

2014-12-27

宗教者のロリコン率の高さは異常

あのキリスト教カトリック系ですらも仏教ですらもヒンズーは・・・元々だけどイスラム教・・・その最たるものだけど

基本的に18歳未満の少女レイプしたり無理やり結婚したり子供産ませたりを宗教的拘束によって為されているのは純然たる事実

そういう奴らが宗教彼女たちに肩入れするのは何故かと思う。

ニュージーランドのある孤島では14歳までの少女が父親かそれ以上の世代男性たちにレイプされて孕まされるというのが慣習的に行われていた、

という歴史的事実があった。これはその社会での宗教観念であった。

しかし、後にイギリス人女性警官によって暴かれたという事件

近年ではローマ教皇だったベネディクト16世による司祭ロリコン事件のもみ消しがあまりにも有名

新興宗教では大阪ネットワーク地球村辺りも有名だと思う。

宗教に属する年端もいかない女の子が何で教祖に身を捧げるのか(家庭の事情環境もあるだろうが中世ではないはずなので)不思議でならない。

教祖もまた本来彼らの信じる正しい道に彼女たちを導いてやらなくてはならないのに、

宗教的にはセックスを神との交わりだとか断じている宗教者も多い。

それなのに実際事件になり問題になり、という事が割と日常的に発生しているのを見ると、

やはり道徳的にも倫理的にも可笑しい事だと思われる。

宗教者のくせに少女性愛、ないし少女趣味性質を持つ人間が多すぎる。

これは言わずもがな宗教者は元来ロリコンしか成り立たない職業なのではないか?

最近はこう思うようになっている。

2014-07-24

文章うまいへた

 暇だからむちゃくちゃ書く

 いきなり浅田次郎の『お腹しませ』の跋から引用するんだけど「貴き母国語司祭たる小説家は、その記す言葉の一句一行に責任を負わなければならぬ」って、これなかなかカッコイイこと言ってるけれども、浅田次郎文章だってたいがいひどいときはある。語彙は豊富だけど脂っこすぎるから格調が損なわれちゃって、なんだか下品だなーって思っちゃう瞬間も多いよねってわりと共感してもらえると思うんだけどどう?

 で、こういう話をしてると必ず横から口を出してくる手合いがいて、言うことには「最近小説家文章レベルが低すぎる」。こういうやつには気をつけなきゃいけない、なにしろこいつはそんな侮蔑的なことを言いながらむかしの小説をあんまり読んでないからだ。たしか百田尚樹はおそろしいくらい下手な文章を書くし、現在まで残ってるむかしの小説家作品の多くはたしか文章が上手くて、そのうえたとえば川端とか百閒とかの異常な怪物がぐーんと平均値を上げちゃってるもんだから勘違いする。ひどい文章を書く作家作品は当然のように消費されただけで現在まで読み継がれてるものは本当に少ないってことくらい考えればわかるんじゃないの? 面白いことは否定しないけど、三十年後の子供が『永遠の0』とか『ビブリア古書堂の事件手帖』とか『容疑者Xの献身』とか読んでるわけないじゃん。だいたい残ってるひとでいってもひどい文章作家ってのは残念ながらちゃんと存在していて、ほら太宰治とか田山花袋とか小林秀雄とか超ひどいじゃん。あ、でも内容は面白いと思うよ、田山花袋以外の2人はね。

 まあ浅田次郎は「小説家なら上手な文章を書け!」とは言ってなくて、素直にちゃんと読むと「小説家文章日本語を使うひとにとってはお手本なんだから、せめて間違いのないように書かなきゃいけないなあ」って意味しかないんだよね。だから話はもうとっくに逸れてるんだけど、なんか言いたいこと思い付いたか文章うまいへたの話を続ける。

 そもそも無機的な文章小説文章うまいへたってぜんぜん別問題で、都市伝説レベルの話で好きなんだけどさ、三島由紀夫ってもともと官僚だったんだけどすぐ辞めたのね。ちゃんと東大出てたくせにぜんぜん仕事できなかったんだって。なんでかっていうと三島の書く文章がかっちりしすぎてて、官僚にとっての必須スキルである「余地を残す」文章を書くってことがまったくできなくて、まあ言ってみれば文章がうますぎて向いてなかったんだってさ。これはさすがに誰かが作った伝説というかいたずら話だと思うんだけど、三島文章って異常に人工的でみっちりしてるから何となる「あーわかるー」ってなっちゃう。改めてなかなか好きな作り話だ。

 たとえば誰だろう、最近でいうと朝吹真理子って年齢のわりに文章がうますぎてサラブレットってこういうことかあって感心するんだけど、このひとがふだんの小説エッセイで使ってる文章で書いた報告書ってたぶん読みにくいよね。いや、なんでそこでひらがなつかうんだよって苦笑いしてる上司の図ってめっちゃ想像できてかなり笑える。だいたい文章文学)ってのは芸術なんだから美しくなければ嘘でしょう? ってみんな大好き古井由吉先生松浦寿輝との往復書簡でさらって書いてたけれど、まあそこまで大上段からカッコイイことは言えないけれども、まあ言ってることはわかるじゃん?

 芸術なんだから判断は割れちゃうんだよ。日本人フェルメールが好きってよく言われるし、高校生はなぜか「はしか」のようにラッセンを好きになっちゃう時期を迎えるものだけど、美醜の基準なんてひとによって違って当たり前なのよ。モーツァルトサリエリの格付けは「アマデウス」がしちゃったけど、ヴェートーベンシューベルトのどっちが上って難しくない? って書くと「おまえさっき太宰が下手だって言ってたじゃん!」とかひどいのになると「山田悠介! 山田悠介!」なんて連呼されちゃうんだけど、山田悠介うまいへたじゃなくて「間違ってる」からダメだよ。とかいうと「保坂和志! 保坂和志!」って返ってきそうでキリがないのでいいわけをやめる。

 何が言いたいかって実はまったくの逆で、それでも文章うまいへたって、きっと存在してるんだよね。いや少なくとも自分のなかでは間違いなくあるんだよ。同じことを何回も言わないで済ませられるかとかね。何気ない言葉の選び方とか、リズムとか句読点の位置とか改行のタイミングとか語順とかセンテンスの長さとかほんといろーんな要素が絡み合いすぎてて、たとえばリーダビリティって文章のうまさに入るのって言われちゃうともう答えはまったく出ない。でも個人的には入らないと思ってるって結論だけはちゃんとあるんだ。

 そろそろみんな気付いてると思うけれども自分なりにうまい文章を書きたくて書きたくて、読み返して「わあ、おれって文章うめーじゃん!」って思いたくて自分なりに努力してきたんだけどまったくダメで、下手でどうしようもない文章なんだけど文章を書くのは好きで、だから深夜にこんな下らない長文を書いてストレスを発散しているんだけど、まーまず間違いなくこの文章は読み返さないよね。ひどいから

 文章書くのってなんていうか心地よい行為だと思うし、こんなところに文章書いてるくらいだからみんなもきっと文章を書くことが好きで、だからさー、なんていうのかな、小説家とか関係なくってこうやって日常的に文章を書いているおれたちなんかはさ、上手な文章を書きたいなっていう欲求を誰しも持っているんじゃないかって思うし、その欲求には忠実になってもいいと思うんだよね。

 あー、文章うまくなりてーなー。

2013-11-16

http://anond.hatelabo.jp/20131116014840

そりゃ、世の慈善活動家が「貧しい子供のために」「絶滅しそうな動物のために」をお題目に金をもらってるんだからイメージと違うことをしたら嫌われて当然だろ。ドイツじゃ、(特に法を犯したわけでもないけど)贅沢したという理由だけで、キリスト教司祭が首になってるし。

「この内、この割合は私の懐に入れます。ちなみに、私たち職員の給与は○百万円です」ときちんと周知しながら募金活動してたら、誰からも文句は言われなかった、むしろ正直な人たちと称賛を受けたことだろう。

2013-11-13

ゲルマン人もご先祖天国にいないので洗礼やめるっていう

<blockquite> すでにお話しましたようにゲルマン人たちは死後も彼岸で現世と同じような生活が続けられると考えていたようです。キリスト教最後の審判という考え方を教えて後も死後の世界というイメージは簡単には崩れませんでした。あるゲルマン族長洗礼を受ける段になって、「洗礼を受けても死後に入る自分親族あの世で会えるか」と聞き、司祭が「あなた親族洗礼を受けていないか地獄にいるでしょう。しかし貴方は洗礼を受けるから天国に入るので会えないでしょう」と答えたところ「では洗礼をやめよう」といって受けなかったといわれています。死後の世界はそれ程重要だったのです。

source="阿部謹也ヨーロッパを見る視覚』(岩波書店、1996) p275 L9(第五章 キリスト教伝統社会)"

阿部謹也の本を読んでいて、例の有名なコピペエピソードと似たのがあったので上記に貼り付け。

有名なエピソードは、 『聖書と「甘え」 (PHP新書)』土居 健郎

「神が天地を創造し、そんなに情け深い存在だというなら、なぜ地獄などというものがあるのか、これは大矛盾であると。キリストを信じ、神の洗礼を受けなければ救われないというならば、自分たちの先祖はどうなっているのだ。洗礼を受けていない先祖は、やはり地獄に行ったのか」、

と聞いたといいます

ザビエル

先祖であろうが、地獄へ行った」

と答えました。

それを聞いて、日本人は非常に悲しんで泣いたといいます

まとめ:やっぱり未開の地には似たようなエピソードがあるもんだ。

(消化不良):『ヨーロッパを見る視覚』は講演録なので出展は明記されていなかった。

2013-09-23

なぜフランス革命は分かりにくいのか

フランス革命は、平民(第三身分)が旧体制を打破した革命である

のように説明されることがあります。この説明は間違っているわけではありませんが、「平民」という均質な集団一丸となって何かをしたかのような誤解を与える点で、フランス革命の内容を分かりにくくもしています

平民(第三身分)は、農民都市の下層住民を総称した民衆と、民衆よりも裕福な中間層であるブルジョワからなります(職人を雇わず家族だけで仕事をしている親方や店主ぐらいが下層のブルジョワ民衆との境界層です)。しかブルジョワ民衆意識の上でも利害的にもあまり仲がよくありません。

ブルジョワ民衆は協力関係にあるよりもむしろ敵対しており、それぞれ自律的に行動していたととらえる方が、フランス革命の動向が分かりやすくなります

実際にフランス革命の流れを追ってみます

革命が始まるまで

普通フランス革命の期間は、バスティーユが襲撃される1789年7月からロベスピエールが処刑され恐怖政治が終わる1794年7月までの5年間、またはナポレオン総裁政府軍事クーデターで倒す1799年11月までの10年間とされます

しかしその当時フランス社会構造がどのようなものフランス革命が始まるまでどのような進展があったを知っていた方が、フランス革命の推移もわかりやすくなります

わかりやすくなるのですが、ここではバッサリはぶきますブルジョワ民衆がそれぞれ自律的な勢力であるという複合革命論の考え方を前提にして書かれた

などを読んでみてください。

またもっと伝統的な、革命の精神を称揚するタイプの解説として

があります。こちらのタイプの説明の方が分かりやすいという人もいるでしょう。

革命の始まり(1789年 5月~10月)

(ヴェルサイユで開かれた全国三部会は、第三身分強硬姿勢により憲法制定の議会に変身し、バスティーユ襲撃後の国内混乱を利用し封建的特権の廃止に至ります)

1789年5月5日ヴェルサイユ(パリから約25キロ)で始まった全国三部会は、採決形式でもめ審議に入らないまま紛糾します。第三身分強硬姿勢を崩さず、特権身分の中にも第三身分への同調者が出たこともあり、7月9日に憲法制定国民会議として再出発します。

しか7月11日に第三身分に融和的な財務長官ネッケルが罷免され、これがパリが伝わるとパリ市民は王の軍事行動が近いと恐れ、自衛のための食料調達武器調達に動き、焼き討ちや略奪が発生します。富裕市民政府軍隊への対抗と秩序維持のため常設委員会を設置し民兵組織します。

7月14日にはバスティーユの要塞に武器の引き渡しを求めて民衆殺到し、バスティーユ内で交渉が続くさなか襲撃が始まりバスティーユは陥落します。市庁舎まで連行された司令官ドローネーは群集に引き込まれて殺され、市長フレッセルも射殺されます

新たに組織されたパリ市当局ブルジョワ民兵(国民衛兵)を国王政府は追認せざるをえず、他のほとんどの都市でもブルジョワが市政の実権を握ることになります

一方バスティーユ占拠の報を受けた農村では、貴族が浮浪者を雇って報復をおこなうという噂が広がり、その恐怖から各地で領主の館の襲撃が行われ、「大恐怖」と呼ばれるパニック状態になります

自由主義貴族だけでなくブルジョワ議員の多くも地主であるため民衆の騒乱は早急に鎮める必要がありますが、正規の軍隊に頼ることは王や保守貴族の立場を強めることになるのでできません。そうしたなか8月4日の決議が行われます

8月4日閉会後の夜に抜き打ち的に再開された議会で、自由派貴族によって領主特権の廃止が提案され、熱狂的興奮のなか課税特権の廃止など諸特権の廃止が次々と宣言されます。大恐怖の圧力を利用して封建的特権の廃止に成功し、農民の騒乱も沈静化していきます

これで憲法の議論が進むようになり、8月26日には人権宣言が採択されます

しかし王は特権廃止の法令人権宣言批准せず、9月末には治安維持名目ヴェルサイユ軍隊を集結させます

10月5日食糧危機を訴えるパリ民衆ヴェルサイユに行進し国民衛兵がそれに続き、民衆は窮状を訴え国民衛兵は王に圧力を加えます。王は法令人権宣言批准、翌日には王一家はパリのテュイルリ宮に移されます。続いて議会パリに移り、ここから憲法と法令の議論が本格化していきます。一方で亡命する貴族が増えていき、国内政治分裂も本格化していきます

91年憲法の制定まで(89年末~91年9月) (革命勃発後1年目、2年目)

(91年半ばまではフランス革命期としては平穏な時期ですが、この時期に国内の対立が進んでいきます。また国王の逃亡未遂が発覚するヴァレンヌ逃亡事件(91年6月)によって王の威信が失墜し戦争を望む声が高まります)

議会パリに移り、諸特権廃止の内容や具体的な法律が決められていきます。ヴァレンヌ事件が起こるまで比較平穏とされる時期ですが、国内にさまざまな対立が生じていきます

1789年後半から91年にかけて、議会外に政治組織が形成されていき対立の構図ができていきます

また各地で反領主騒乱が発生していますが、そうした騒乱は徐々に革命反革命かという政治的な枠組みで解釈されていくようになります

さらに聖職者民事基本法をめぐって宣誓拒否問題が起こりますカトリック聖職者の多くは革命には好意的でしたが、叙任式における宣誓義務に対して大多数が拒否をします。議会からの警告が出されますが、地方によって大きくバラツキがあるものフランス全体で約半数の司祭が拒否します。教皇ピウス6世が民事基本法を否認したこともあってカトリックは内部分裂する事態になります。宣誓拒否司祭とそのもとにあるカトリック民衆は「反革命」に押しやられ、のちのヴァンデの反乱(ヴァンデ戦争 1793年3月~)の原因の一つになります

91年6月に国王一家がパリから逃亡し途中で発見されるというヴァレンヌ逃亡事件が起こります

これを受けて、外国支援された亡命貴族が攻めてくる、外国侵略が始まるという考えが広がり、国王救出を目的とした外国人が侵入してくるという予想から国民衛兵による警戒体制しかます

7月には主要な政治組織であるジャコバンクラブが、王の廃位共和制要求する請願書をめぐって分裂し、多数派の穏健グループはフイヤン・クラブとして分離します。

8月にオーストリアプロイセンが、フランス国王のために武力介入もありえるとするピルニッツ宣言を出したため、亡命貴族陰謀説にさらに拍車がかかり、外国との戦争を望む声が高まっていきます

そうしたなか9月3日立憲君主制にもとづく1791年憲法が制定され、9月30日に憲法制定国民議会は解散します。

開戦、王権停止(1791年10月~1792年8月) (革命勃発後3年目)

(インフレ物価上昇により食料問題が悪化し民衆の不満は増大していきます国内の多数が開戦を支持するなかオーストリア宣戦布告し(92年4月)、続いてプロイセンとも戦争状態になりますが、フランス軍の劣勢となります軍事的危機と国王への不満が積み重なり、パリに集結していた連盟兵やパリ民衆恐慌的な敵意が王に向けられ、王の廃位要求され、8月10日テュイルリ宮が武力制圧されます(8月10日事件)。これを受けて議会王権の停止を宣言し、新たな憲法制定のための国民公会召集を決議します)

憲法制定議会が解散した翌日91年10月1日に、9月までの選挙で選ばれた議員達による立法議会が開会します。再選が禁止されたため全て新人議員で、貴族がほとんど選挙に立たなかったため議員ほとんどは裕福なブルジョワです。立憲君主制を守りたい穏健派フイヤン派議会の最大勢力、共和制を主張するジロンド派(ジャコバンクラブのこの頃の多数派)がそれに続きます

なお同業組合や団結を禁止したル・シャプリエ法(91年6月)に抵触する恐れがあるため、政党存在しません。そのため、どの派でもない、審議内容ごとに立場を変える中間派(平原派)が、この時期に限らず常に議員の多数を占めます。そのため派閥議員数だけでなく、中間派の動向(またその動きに影響を与える議会外の動向)が重要になります

また議会内の各派の勢力数自体も確定したものではなく常に流動的で、各勢力をどう呼ぶかにかんしても文章によって違うことがあります

議会の中心的課題は、周辺諸国からの脅威にどう対処するかです。(それと穀物価格の上昇に対する価格統制の要求に対して、革命後の基本原則である自由主義あくまで守るのか、民衆要求を受け入れるのかも問題になっていきます)

これに対してジロンド派は、国内の不満をそらして(インフレにより物価が上昇し各地で食料暴動が発生していた)政治イニシアティブを獲得するために「自由の十字軍」などの言葉対外戦争あおります民衆の多くも「外国と共謀する亡命貴族」への脅威と愛国感情の高揚から戦争を望んでいました。

92年3月、フイヤン派大臣が王によって解任されジロンド派内閣が成立し、4月にオーストリア宣戦布告、数週間後にはプロイセンとも戦争に入ります(戦争ナポレオンが二度目の失脚をする1815年まで中断もありつつ続くことになります)。

しかし緒戦から敗戦が続き、「反革命」者へのより強力な措置を求める声や宮廷への不信から共和制を求める声が高まっていきます。またセクション(区)の政治活動を通じて民衆政治的組織化されていきます

そうした流れが最終的に民衆と連盟兵による8月10日のテュイルリ宮の襲撃に行き着くのですが、この事件偶発的に起こったバスティーユ襲撃とは異なり王の廃位を求めての組織された行動だったにもかかわらず、そこに至る決定的な原因があるわけではないので要約しづらく、フランス革命の大きな転換点の一つのわりに説明しにくい事件です。

ここでは事件の結果だけ述べると、立法議会は蜂起側の勝利がはっきりした後、王権の停止を宣言し、新たな憲法を制定するための国民公会召集を決議します。これでフランス共和制に向かうことが確定します。また国王一家はタンプル塔に幽閉されることになります

王の処刑、戦争の拡大、ジロンド派の没落(1792年8月~1793年6月) (革命勃発後4年目)

(戦争フランス軍の劣勢から優勢に変わり周辺領土占領します。93年1月には国民公会裁判結果により国王が処刑されます。周辺領土占領国王の処刑を原因として周辺諸国の多くと戦争突入し、さらに国内ではヴァンデ地方を中心に大規模な反乱が起こります議会ではジロンド派山岳派の対立が深まっていき、国内外の諸問題への対応のまずさからジロンド派民衆の支持を失い、93年6月ジロンド派逮捕議会から追放されます)

8月10日王権が停止しますがフランス軍が劣勢の状況にあることは変わりません。義勇兵がつどわれ前線への準備がなされる一方、反革命裏切り者排除する空気が広がり、家宅捜索がなされ多くの反革命容疑者逮捕されます。さらにパリへの侵攻の脅威が高まり義勇兵が出発したあと反革命者がパリ住民を虐殺するという噂も流れ出します。

そうした不穏な情勢のなかヴェルダン要塞陥落のニュースパリに届きます。これをきっかけとして、囚人の多くが殺されるいわゆる九月虐殺が発生します。

この事件の結果、内の脅威が消えたと民衆が大挙して義勇兵に参加し兵数万を増やすことになります

一方、この事件国外からの印象を非常に悪いものします。宥和政策を取っていた隣国スペイン首相宥和政策撤回せざるをえなくなり、またフランス革命開始時には革命好意的だった知識人たちも国王一家の幽閉と九月虐殺で決定的に革命嫌悪に転じます

戦況にも変化が生じますフランス軍はヴァルミーの戦いで勝利し、戦況が優勢に転じていきます。なお多くの本でこの勝利はフランス兵の志気の高さによるものと説明されていますが、志気が影響するような戦いではなく兵と砲台の数の差によるものといった指摘もあります(たとえば『近代ヨーロッパ情熱と苦悩』)。

そのヴァルミーの戦いと同日、国民公会が開会します。

普通選挙でしたが投票率は悪く、ほぼブルジョワ議員で占められていますフイヤン派出馬していないので議会におらず、共和制穏健派ジロンド派共和制急進派の山岳派、それに中間派という構図です。(ジロンド派ジャコバンクラブを脱退していくので、山岳派=ジャコバン派とも呼ばれます)

ジロンド派経済的政治的自由主義を維持し議会主導で政治をおこなうという近代的な原則あくまで重視し、山岳派革命の推進と防衛のためには民衆要求も受け入れ民衆運動の利用もありと考える現実路線です。

……とまだまだフランス革命の時期は続いていくわけですが、予想外に長くなったので中途はんぱなところですがここまでとします。

93年1月に国王が処刑され、6月ジロンド派の追放で山岳派一党独裁(ただし基盤の脆弱独裁)になり、恐怖政治の時代が翌94年7月まで続き、ここで一区切りとなります

2013-07-09

http://anond.hatelabo.jp/20130708235244

(1)証拠がまったくないことを真実のように語るのは悪←時と場合による。例えば人が「死後の世界」の概念に縋りながら死んだ場合、個人の幸福という観点からは必ずしも悪とは言えない。多様なケースが考慮されておらず、そもそもこの主張自体に確固たる論理保証が無い。

(2)宗教はそれらの課題にもがき苦しむ現存在の本来的な営みから目をそらす商売だ←存在の知覚をどのように成すかという点でどちらも変わらない。そもそも宗教概念自体は商売に本質を置いているとはいえない。宗教より形成された倫理さらに苦しむ場合もあるため、目をそらすという言い方は適切ではない。

(1)倫理はそれぞれの個人が徹底的に追求することでしか本当の姿を見せない(だからずさんな倫理放言するのは不道徳な悪だ)←論理保証が無い。倫理ミームの集合体ならば「本当の姿」など個々人によって無限にあるとしか言えないし、本質が違うという訳でもない。倫理放言するのが「悪」であるという主張もケースバイケースとしか言えない。

宗教が持ち合わせる文化的、社会的な功績

1:今日の基盤となる倫理を作った事。共同体が維持していく要素に正当性を付与した事で、今日では違法とされている殺人窃盗等を禁じたので、結果として人民の大部分に利益が齎された点もある。

2:司祭階級が集まった金で芸術建築物を建造した事や、今日宗教画モデルとなった事により、素晴らしい文化遺産を生み出すのを手伝ってくれた事。

3:安全や恐怖のミームを求める欲求に応えた事。不安な時に祝詞を唱えたり、死後の世界概念で平安末期の人民精神ストレスを緩和、消化してくれた事等。

4:欲求や経済を統制し、放埒かつ無秩序な欲求を纏めあげてくれた事。倫理であったり、寄付からの金の流れでもある。

2011-11-30

http://anond.hatelabo.jp/20111130080924

ヨーロッパのあるところに一人の青年がいて、己の罪を深く悔いていた

教会告解して許しを得、己の身を恩寵で満たさなくてはならないが、自分の罪があまりに深いので司祭さまはお許しにならないだろう、

こんなひどい罪を犯したものバチカン大司教でもお許しくださらないだろうと思うと恐ろしくてとても告解に行けなかった

自分地獄行きなのだとずっと恐怖していた

ある日青年誕生日を翌日に控え「大人の証」として酒を振る舞われた、しかし酔って帰った青年を母はとがめた

青年の父親は稼いだ金をその日に飲んでしま人間で、一家は飢えと寒さに苦しんできたのに、それを知っていながらその酒をお前も飲むのかと

青年は母に言い返した、母の恥ずべき罪深い秘密自分が知っているとほのめかし、自分はそれよりマシだと言い、青年は母を打った

最低の気分で翌朝目覚め、坂を登っていくとその先に聖人のまつられている教会があった

聖人青年守護聖人だった、彼の名前はその聖人にちなんでつけられた

彼は入り、聖人にむかって恨みごとをぶつけた

あなた自分を助けてくれなかった、あなた自分愛する人を苦しみから救ってくれなかった、

あなた自分愛する人地獄に行くのを防いで下さらなかった

自分彼女地獄に落とすのを止めて下さらなかった

あなたにとってはちっぽけな自分大罪を犯して地獄に行こうとどうでもよかったのだ

するとその教会司祭が現れ、涙を流している青年告解を勧めた

青年はやっとのことで母を打ったことを告げ、司祭は「恐ろしいことだ。しかし主はお許し下さるだろう」と言った

他にも告解することがあると感じた司祭はなおも告解を勧めたが、青年は己の罪深さを恐怖し、高貴なる主がとても自分をお許し下さるとは思えないと言った

司祭は「では聖人さまに告解しなさい、聖人さまになら罪を告白できるだろう、わたしはお前が告解する間そばに居て、主と聖人さまの耳となる。それでよいかな」

そして青年告解を始めた


告解が終わると司祭青年に幾種かの祈りを三度ずつ唱えるよう言い、それで神は彼をお許しになるだろうと言った

「主は己の罪を心から悔いている全てのものをお許し下さる。主は今お前をお許しになった。

主がお前をお許しになったのだから、お前もお前を許さなくてはならない。

主がお前を愛してくださるのだから、お前もお前を愛さなくてはならない」…

こんな話を聞くと「神」がステキ装置に見えてきますね。自分がどんなボロカスクズに思える時も、そこから再起動させてくれる装置

ニーチェが殺したのはひょっとして早まったんじゃないかと思うくらいに。

2011-10-20

アゴタクリストフ悪童日記』の各章の章題(タイトル、目次)まとめがなかったから作った

おばあちゃんの家に到着する

おばあちゃんの家

おばあちゃん

労働

森と川

不潔さ

体を鍛える

従卒

精神を鍛える

学校

紙と鉛筆ノートを買う

ぼくらの学習

ぼくらの隣人とその娘

乞食の練習

兎っ子

盲と聾の練習

脱走兵

断食の練習

おじいちゃんのお墓

残酷なことの練習

ほかの子供たち

郵便配達夫

靴屋さん

万引き

恐喝

非難

司祭館の女中

入浴

司祭

女中と従卒

外国人将校

外国語

将校の友人

ぼくらの初舞台

ぼくらの見世物スペクタクル)の発展

芝居

警報

"牽かれていく"人間たちの群れ

おばあちゃんの林檎

刑事

訊問

監獄

紳士

ぼくらの従姉

宝石

ぼくらの従妹とその恋人

祝福

逃走

死体置場

おかあさん

ぼくらの従妹の出発

新しい外国軍の到着

火事

終戦

学校再開

おばあちゃん、葡萄畑を売る

おばあちゃんの病気

おばあちゃんの宝物

おとうさん

おとうさんの再訪

別離

2011-05-24

http://anond.hatelabo.jp/20110524125903

そういう人って、「科学的思考」を信仰してるというよりは、「科学者という司祭」や、「科学言説という聖典」を信仰してるんだよね

2011-01-29

Wizardry 狂王の試練場のパーティ

1.スカルダ:人間、戦士 → 侍に転職

2.ディードリットエルフ、戦士 → 君主転職

3.ドワーリン:ドワーフ、戦士

4.フロドホビット盗賊 → 忍者転職

5.(そのときの気分で):ノーム僧侶 → 司祭転職

6.D.S.:人間魔術師

5の名前には何を入れるべきか、いつも悩む。

他の5人は固定。

http://anond.hatelabo.jp/20110128224126

魔(素早さは16-18くらい)を司祭転職させると転職時に能力値が初期値まで戻ってしまい,素早さ11司祭になってしまう.

これは非常にまずい.

司祭の役割はカティノやディルトをガンガン使っていくことなので

素早さは絶対に18 でないといけない.

そういうわけで旧来の魔法使いは永年待機メンバーにして

新しく素早さ18の司祭を新しく作るしかない.

P.S.

種族や性格については 特に持論はないです.

オーソドックスな構成で遊んでます

2011-01-28

http://anond.hatelabo.jp/20110128224126

魔を司祭転職、でしょ。

あと、性格と種族をどうするかも聞きたい

これ, Wizardry の定石 な.

戦戦僧盗魔魔

序盤はこれが最強のパーティ構成.

魔を2人 入れる事で序盤の火力不足を補う.

こうすることで 序盤の立ち上がり が上手くいってLvがすいすい探索が進む.

中盤になると,次の2つの理由により火力が急上昇する.

Lvが6になると戦士と僧侶たちの攻撃回数が2回になる.

魔法使いがマハリトを覚える.

そうなれば,魔をパーティから外して

新しく 司祭を作って6番目の正式メンバーとして育てていくとよい.

2010-09-07

冷酷で残忍な日本国家は早期に滅亡させねばやばい

日本には平等に悪が偏在するとか言ってる馬鹿

ちゃんと黒幕はいて、しかもそいつは司祭者的ではなく武人的。つまり官僚よりも警察検察小泉毅は官僚を殺したけど、本当は検事総長警察庁長官を殺すべきだった。ここまで冷酷で残忍かつ自分から悪に近づいて悪に染まろうとする人種はいない。

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■極悪なのは日本政府

やはり殺されるべき人間というのは確実にいる。

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自分日本ではないと思いこんでいる馬鹿政府

お前が何よりも日本だろう。彼らは長じてから警察権や検察権を行使し、日本人犯罪者執拗なまでに追い詰めているが、まず自分らが日本人の罪人以上の罪人であることを想起すべきである。

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日本を支配しているアメリカ国連に死ぬほど感謝したい

現在日本政府アメリカ国連監視化で絶対的に支配されている。こんな冷酷で残忍な国家が国際先進国に支配されることは願ってもないことだ。もし諸外国国連がなければ日本という国は何をするか分かったものではない。日本人アメリカに実効支配されていることは喜ばしいことであり、アメリカに抑圧されているなどとはどこの馬鹿が言ったのか。

Permalink | トラックバック(0) | 13:40

日本くらい最悪な国は早く滅ぼさないとやばい

日本には国はないとかトップがいないとか言われているけど国はあるしトップもいる。今で言えば警察庁長官か検事総長日本国の親分だろう。基本的にとんでもない罪人で、日本はそういう罪人に暴力で支配されている。こいつらは子供の頃に学校意図的に苛められることで憎悪を涵養し、長じて社会を冷酷かつ残忍な方法で支配する。社会的に不要な人間はあの手この手で自殺に追い込み、嘲笑している。こんな最悪な国はない。いますぐ原爆を投下して滅ぼさないとやばい

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日本の正体

外から見えるところでは人々が平和に暮らしているように見えるが、建物の中に暴力組織があって、たいてい幹部だの社長だの校長だの署長だの総長だのと呼ばれている奴の部屋に行くと、ヤクザの親玉がふんぞり返っていて、暴力恫喝ごり押しし、話は通じず、警察庁長官銃撃事件のようなものでも起こさないと、この国はどうしようもないと考えさせるような国。ところが、たいてい、悪いのはそういうヤクザであるとともに、力さえあればいつでもヤクザになりうる日本人そのものなので、現在ヤクザをやっている奴が悪いのはもちろんだが、その辺にいる被支配民が必ずしも被害者とは言い切れない点。今ヤクザやってる奴が悪いのはもちろんだが。

日本には平等に悪が偏在するとか言ってる馬鹿

ちゃんと黒幕はいて、しかもそいつは司祭者的ではなく武人的。つまり官僚よりも警察検察小泉毅は官僚を殺したけど、本当は検事総長警察庁長官を殺すべきだった。ここまで冷酷で残忍かつ自分から悪に近づいて悪に染まろうとする人種はいない。

2010-06-28

http://anond.hatelabo.jp/20100628020830

最初一神教の神を発明したのは、BC1300年頃のモーゼたん、もしくはその何代か前あたりのユダヤ民族司祭誰かさん

キリスト教イスラム教も信じてる神様ユダヤ教と一緒。キリストを神の預言者として認めた人たちが立てたのがキリスト教キリストに加えてムハマンドも認めてるのがイスラム教。実は「唯一神」というのは史上ただ一度しか発明されてない、かなり変わった発想。

古代エジプトで一時流行った太陽神信仰一神教として認める異説あり)

2010-04-08

http://anond.hatelabo.jp/20100408141640

あさましい欲望って(笑)

増田はどこまでもフェアネス希望する人なんだね。

誰にでもやさしくしなさいって言われて、それをかたくなに信じて、そのまま育った人なんだろうなぁ。

まあ恋愛方面に限定するとして、自分が特別に思われてるというのを感知したとき、

自分も相手を特別に思っていますよ、というのは伝えないんだよね?

特別扱いはみっともない、良くない、悪いことなんだもんね?

他人を巻き込んだらきちんと完結できていない人間なんだもんね?

そんなわけない(笑)

世界とは言わないが、自分のまわりだけでも、付き合い方ってそれぞれに違うでしょう?

同性同士だって、親友、いつもの仲間、クラスメイト、顔見知り。全員に同じ対応をしてはいないでしょう。

そういう扱いの差もあさましいかな?

もしも増田がそれをよしとしないのであれば、おそらくある程度以上の親しい人間関係はつらいだけだろう。

だって、親しいからこそ出てくる差ってどこにでも絡んでくるもの。

そこまで徹底しているのであれば、それを生かして、司祭牧師になるといいと思われる。

博愛万歳! 人ラブ! フェアネス

2010-02-22

http://anond.hatelabo.jp/20100222001626

結局、日銀リフレ政策をとらなかったわけで、ブランシャールがリフレ政策を否定するような根拠はないということですよね。

えっと、何故そう思うのかをもう少しちゃんと説明して頂けないでしょうか。直前のエントリで私が書いたのは司祭様の下りであって、ブランシャールの解釈の話に特に変更はないのですが。ブランシャールの解釈の方に対して異論がおありであれば、そちらに直接お願いします。

そもそも節のタイトル(これも過去形)の"What we thought"も含めて、今否定されているか同かに関係なく、ある時点の事を記述しただけですよね。

その件は上のエントリでしつこいくらいに説明したので、反論はそちらに直接お願いできますか。なぜそう考えるのかの説明も含めて。

2010-02-18

http://anond.hatelabo.jp/20100217215359

非常に論理的かつ説得力にあふれた議論だと思うけれども、最後の「司祭」云々はいただけない。それまでの議論と全く異なる話にねじ曲げてるじゃないか。日銀が実際にコミットメント(注:単なる約束ではなく、法的な結果責任を伴う約束)を実行する能力あるいは意思に欠けていたというのが、Eggertsson and Woodford (2003)で示された事実だろう。実際、日銀コミットしてないよね。したか?何か結果責任を問われたか? 全くないよね。これは英文解釈とか学説の問題ではなく「事実」だ。

つまり、「日銀は、標準的な処方箋を実行しなかった」が事実なのに、なぜか司祭の出てくる喩え話では「実行したのに効果が無かった」ことにねじ曲げられてしまっている。現時点で量的緩和をいくらやろうと無効だというのは、まさにWoodfordらをはじめとするリフレ派の帰結じゃないか。コミットメントこそがインフレ目標によるリフレ政策の鍵だし、ブランチャードも金融緩和自体じゃなくコミットメント重要性を度々強調しているにもかかわらず、そこを無視してリフレ政策が効かなかったという事実があったかのように書いている。

これは、ちょっと余りにひどいんじゃないのか?

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