はてなキーワード: 勢力とは
(中略)党は、この状況を打破して、まず平和で民主的な日本をつくりあげる民主主義革命を実現することを当面の任務とし、ついで社会主義革命に進むという方針のもとに活動した。
(四)第二次世界大戦後の日本では、いくつかの大きな変化が起こった。
(中略)第二は、日本の政治制度における、天皇絶対の専制政治から、主権在民を原則とする民主政治への変化である。この変化を代表したのは、一九四七年に施行された日本国憲法である。この憲法は、主権在民、戦争の放棄、国民の基本的人権、国権の最高機関としての国会の地位、地方自治など、民主政治の柱となる一連の民主的平和的な条項を定めた。形を変えて天皇制の存続を認めた天皇条項は、民主主義の徹底に逆行する弱点を残したものだったが、そこでも、天皇は「国政に関する権能を有しない」ことなどの制限条項が明記された。
この変化によって、日本の政治史上はじめて、国民の多数の意思にもとづき、国会を通じて、社会の進歩と変革を進めるという道すじが、制度面で準備されることになった。
(中略)国民主権の民主主義の流れは、世界の大多数の国ぐにで政治の原則となり、世界政治の主流となりつつある。人権の問題では、自由権とともに、社会権の豊かな発展のもとで、国際的な人権保障の基準がつくられてきた。人権を擁護し発展させることは国際的な課題となっている。
最初に社会主義への道に踏み出したソ連では、(中略)レーニン死後、スターリンをはじめとする歴代指導部は、社会主義の原則を投げ捨てて、対外的には、他民族への侵略と抑圧という覇権主義の道、国内的には、国民から自由と民主主義を奪い、勤労人民を抑圧する官僚主義・専制主義の道を進んだ。「社会主義」の看板を掲げておこなわれただけに、これらの誤りが世界の平和と社会進歩の運動に与えた否定的影響は、とりわけ重大であった。
(中略)
いかなる覇権主義にも反対し、平和の国際秩序を守る闘争、核兵器の廃絶をめざす闘争、軍事同盟に反対する闘争、諸民族の自決権を徹底して尊重しその侵害を許さない闘争、民主主義と人権を擁護し発展させる闘争、各国の経済主権の尊重のうえに立った民主的な国際経済秩序を確立するための闘争、気候変動を抑制し地球環境を守る闘争が、いよいよ重大な意義をもってきている。
(中略)
(一一)この情勢のなかで、いかなる覇権主義にも反対し、平和の国際秩序を守る闘争、核兵器の廃絶をめざす闘争、軍事同盟に反対する闘争、諸民族の自決権を徹底して尊重しその侵害を許さない闘争、民主主義と人権を擁護し発展させる闘争、各国の経済主権の尊重のうえに立った民主的な国際経済秩序を確立するための闘争、気候変動を抑制し地球環境を守る闘争が、いよいよ重大な意義をもってきている。
(中略)
日本共産党は、労働者階級をはじめ、独立、平和、民主主義、社会進歩のためにたたかう世界のすべての人民と連帯し、人類の進歩のための闘争を支持する。
(一二)現在、日本社会が必要としている変革は、社会主義革命ではなく、異常な対米従属と大企業・財界の横暴な支配の打破――日本の真の独立の確保と政治・経済・社会の民主主義的な改革の実現を内容とする民主主義革命である。それらは、資本主義の枠内で可能な民主的改革であるが、日本の独占資本主義と対米従属の体制を代表する勢力から、日本国民の利益を代表する勢力の手に国の権力を移すことによってこそ、その本格的な実現に進むことができる。この民主的改革を達成することは、当面する国民的な苦難を解決し、国民大多数の根本的な利益にこたえる独立・民主・平和の日本に道を開くものである。
(一三)現在、日本社会が必要とする民主的改革の主要な内容は、次のとおりである。
1 現行憲法の前文をふくむ全条項をまもり、とくに平和的民主的諸条項の完全実施をめざす。
2 国会を名実ともに最高機関とする議会制民主主義の体制、反対党を含む複数政党制、選挙で多数を得た政党または政党連合が政権を担当する政権交代制は、当然堅持する。
3 選挙制度、行政機構、司法制度などは、憲法の主権在民と平和の精神にたって、改革を進める。
4 地方政治では「住民が主人公」を貫き、住民の利益への奉仕を最優先の課題とする地方自治を確立する。
5 国民の基本的人権を制限・抑圧するあらゆる企てを排除し、社会的経済的諸条件の変化に対応する人権の充実をはかる。労働基本権を全面的に擁護する。企業の内部を含め、社会生活の各分野で、思想・信条の違いによる差別を一掃する。
6 ジェンダー平等社会をつくる。男女の平等、同権をあらゆる分野で擁護し、保障する。女性の独立した人格を尊重し、女性の社会的、法的な地位を高める。女性の社会的進出・貢献を妨げている障害を取り除く。性的指向と性自認を理由とする差別をなくす。
7 教育では、憲法の平和と民主主義の理念を生かした教育制度・行政の改革をおこない、各段階での教育諸条件の向上と教育内容の充実につとめる。
8 文化各分野の積極的な伝統を受けつぎ、科学、技術、文化、芸術、スポーツなどの多面的な発展をはかる。学問・研究と文化活動の自由をまもる。
10 汚職・腐敗・利権の政治を根絶するために、企業・団体献金を禁止する。
11 天皇条項については、「国政に関する権能を有しない」などの制限規定の厳格な実施を重視し、天皇の政治利用をはじめ、憲法の条項と精神からの逸脱を是正する。
(一四)民主主義的な変革は、労働者、勤労市民、農漁民、中小企業家、知識人、女性、青年、学生など、独立、民主主義、平和、生活向上を求めるすべての人びとを結集した統一戦線によって、実現される。統一戦線は、反動的党派とたたかいながら、民主的党派、各分野の諸団体、民主的な人びととの共同と団結をかためることによってつくりあげられ、成長・発展する。当面のさしせまった任務にもとづく共同と団結は、世界観や歴史観、宗教的信条の違いをこえて、推進されなければならない。
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一番の理由は暴排運動の失敗や脱ヤンキー化運動の失敗なんじゃないかな
アジアの恐怖支配的な部族社会の国を欧米が民主主義化させたところで新たな恐怖政治勢力による支配が起きるだけといったようなものか
自由と自律性を維持しながら、政府はどのように私たちの意思決定を支援することができるか?
自由な社会には選択の自由が不可欠である、という主張がある。しかし、政府が人々の選択を支援する行為はどの程度まで許容されるのか。政府は国民が世の中をうまく切り抜けるために必要な道具をすべて与えるべきなのか。同時に、国民が自分で選択し、失敗したときは責任の所在が証明できなければならない。
ナッジは、行動経済学を使って市民をより良い選択をするよう促す方法を詳述しているが、人々を操作することと同じではないのか?どのように自由が保たれているのか?おそらくナッジとは、選択肢を禁止したり経済的インセンティブを大きく変えたりすることなく、予測可能な方法で人々の行動を変える、選択設計のあらゆる側面を指すのだろう。ナッジとみなすには、介入を避けることが容易で安価でなければならない。ナッジは義務でも強制でも同調圧力でもない。
ナッジは「押し付けがましくない」という理念にもかかわらず、効果があることが示されているらしい。例えば健康関連のナッジが、より健康的な食事と栄養の選択を増加させるとか、オプトアウトシステムが決定についてストレスを感じなくなるとか、そういう話はある。選択設計で、より多くの人々が考えることを減らし、なおかつ社会や自分自身にとって良い選択をすることができるとされる。
では、政府が人々の行動に影響を与えるためにナッジ理論を用いることと、自由主義は両立するのか?政府が国民にとって何がベストかを知っていることを前提にしているのではないのか?
ナッジの要点は、選択の自由を維持することである。医者が「精神状態が悪すぎるので精神科に入院しなさい」といっても、患者は自由を保持し、その後押しを無視することができなければならない。多くのナッジは本来、情報の開示、警告、リマインダー、といった教育的なものである。
例えば消費者が十分な情報を得た上で選択できるように、燃費やエネルギー効率についての情報を開示することは、自由と矛盾するものではない。だが、明らかに行動経済学は、パンデミック時の政府の封鎖対策に影響を与えている。
この運動が行き場を失っていることを示唆するのは、行動科学は問題を単に個人の誤った選択の結果とみなす習慣に陥っていることだ。一方、ナッジ理論の肯定派は「政策の世界では行動科学者は構造的な問題にほとんどの時間を費やしてきた。タバコ税は構造的な問題に対処するもので、人々が将来の自分自身に課す害を削減しようとするものである。」などと主張している。
「ナッジ」といいつつ、特定の思想や行動へ誘導することで政治的な優位性を確保しようとする勢力が常に潜んでいることは注意すべきことだ。そのような意図がなくとも、誘導する必要のない方向へ一度舵を切れば、後戻りが難しくなることがあると考えたほうが良いだろう。
「裕福な世界とその指導者たちが、グローバル・サウスのフラストレーションや怒りの程度を真に理解しているとは思えない」とグテーレス事務総長はスピーチで述べた。
植民地支配の歴史だけじゃなくて、その時代から現代まで続く固定された格差のせいだ。
インターネットで誰でもそれを見られるようになって、よけいにヘイトは高まってる。
先進国に住む自分たちより圧倒的に裕福な人たちがジェンダーだの労働者の権利だのを世界の終わりのように叫んでいるのを、先進国に住むわれわれがこの国に生まれてよかったと声高に言うのを彼らはどういう気持ちで見ているんだろう。
人種による格差、性別、職業、IQ、学歴、ルックス、世界にはいろんな格差があるけど、どこの国で生まれたか、国籍による格差はいちばん大きく、そしてほとんど踏み込まれていないゾーンだ。
近年、権威主義体制になる国も増え民主主義の敗北などいわれて久しいが、先進国に押し付けられた価値観を受け入れても何十年もメリットがなく後進国は永遠に後進国だったんだから、彼らが世界を変えたくなるのは当然だ。
こんなこというと、先進国は後進国に多額の援助を行ったとか、いくら支援しても無駄だったとか、彼ら自身のせいという人もいる。
でも後進国がずっとこの序列を変えられなかったのは彼らのせいではない。
民族内、あるいは民族間で対立を煽って支配しやすくするというやり方を過去に先進国が世界中にばら撒いたし、現在もまだやっているせいだ。
強い政治家が現れれば先進国諸国は最初は利用するが、力をつけて邪魔になれば、それに対立する少数勢力を正義として扱い、軍事的経済的に支援をして、邪魔者の力を削ぐ。
どれだけ残虐非道なならず者集団でもテロリストでも敵の敵は味方。
今のウクライナも大国の狭間で双方の干渉を受けて分断された結果だ。
EUは“グリーン”という大義名分を掲げ独自の規制を作ろうとし、アメリカもまた同盟国以外をEV市場から締め出すなど、経済をどんどん閉鎖的で排他的にしようとしている。
ブロック経済は世界をさらに分断し、それはいずれ戦争につながると、二度の大戦を経てもなぜかまだ分からない。
アメリカが正義面して中国を目の敵にしてるのも、この序列を変えられるゲームチェンジャーの出現に恐れ苛立っているだけだ。
急速な経済成長を遂げる中国に環境汚染がひどいと批判するアメリカの人々は、一人当たりの温室効果ガス排出量がアメリカは中国の倍以上だとは知らない。
過去100年、地球を人間が住めない星に変えてきた先進国が、なぜそう偉そうなこと言えるのか、不思議でならない。
アメリカの言うことを真に受けて、日本も台湾も韓国も、中国の力を削ぐための少数勢力として自分から利用されようとしてる。
第二次世界大戦以降、資源のために(次はおそらく半導体のために)世界でいちばん戦争を仕掛けて人を殺してきた国がウクライナという白人国家が困ってるときだけ正義のヒーロー面してるバカバカしさに、多くの国は白けている。
イスラエルがパレスチナに、今のウクライナへ侵攻したロシアのように(あるいはもっと不条理に)侵攻を始めて50年以上、パレスチナを虐げ続けているのは私たち先進国だ。
パレスチナを国家として承認している国は138か国、人口でいえば世界の8割以上を占め、対して承認していないのは日本やアメリカ、韓国、カナダ、EU諸国、オーストラリアやニュージーランドといった先進国がほとんど。
ダボス会議でのグテーレス事務局長のスピーチを先進国はかみしめなければいけない。
中国とアメリカの対立も、ロシアによるウクライナへの軍事侵攻も、もちろん大きな問題だ。
でもそれだけじゃない。
あれがなければ世界は幸せだったなんて、絶対に思っちゃいけない。
世界にはずっと虐げられ飢え殺し合い嘆き憤っている人たちがいた。
この国に生まれてよかった。
このことばの後ろにある部分に目を向けなければならない。
なぜよかったと思うのか、よかったと思えない人たちの存在を想像できているからだ。
この国に生まれてよかったということばの向こうから、無数の目がこっちを見ている。
私も日本人だし、日本がこちら側にいることを批判するつもりはない。
実際しがみついていたほうがメリットが大きいうちは、しがみついているべきだ。
ただ誰かにとって自分たちが悪かもしれないという事実は認識していようよ。
覇権を狙うことすらできないほとんどすべての国がそうであるように、日本は一国で独立を保つことは難しい。
大国の狭間で、右を見て左を見て、どちらに対しても駆け引きをしながら、どちらに対して多少の妥協が求められる立場だ。
でも、一方の正義を盲信し、尖兵として利用されるだけの存在で終わってはいけない。
アメリカか中国かインドかEUか今後どの大国が覇権を得るかは分からない。
明智光秀の実在性は疑いないであろうが、本能寺の変の3年後に生存して馬に乗っていた(「麒麟がくる」)とは認めがたい。
当人が埋葬から3日目に復活してしばらくして昇天しただとか伝道の最中でさまざまな奇跡を起こしただとかは史実として認めがたいにせよ、2000年ほど前にガリラヤ周辺でイエスを名乗り、標準的ユダヤ教教義からは異端とみなされるであろう布教活動を行い、当時のローマ帝国ユダヤ属州総督ポンティオ・ピラトにより刑死させられた人物の実在性は確かである。
推古朝の政治にどれだけ主体的に関与した(十七条憲法や冠位十二階を制定した「聖徳太子」なる政治家がいた)かには疑問を挟む余地があるにせよ、用明天皇の嫡男であり斑鳩の地に一定の勢力を有し、それゆえに嫡男山背大兄王が蘇我入鹿に滅ぼされることになった有力皇族厩戸王の実在性についても疑問を持つ者はほぼいない。
欽明天皇の3代前である継体天皇以降の天皇の人物としての実在性はほぼ確実といってよく、例えば天武天皇と持統天皇が叔姪婚をしていることはほぼ疑う余地はない。
千石杏香
@Sengoku_Kyouka
同性婚の問題は、もはや左派諸勢力の「乗り物」になってしまいました。
私なんぞ強硬な同性婚反対派ですが、賛成派の方と話すうちに、「憲法改正した上で、異性婚と別枠なら選択としてアリ」くらいには考えが変わったのですが――そんなふうに、「相手を説得・納得させる」てことが左派には無理ですね。
民主主義の国で物事を変えたければ、絶え間ないプレゼン闘争を経て賛同者を集め「民意」として認められる必要があるんやな(逆に言えば、「民意」の無い改革を権力者が実行するのは民主主義的ではない)
いただけねえのはおめえだよ。立憲が先に政策を提言していたことを評価しろよ。なんでしないの?
単純におめえが立憲嫌いだからだよね?
ああおめえは政策じゃなくて感情で投票崎選んでるんだろうなって思ったよ。野党は政策提言もできてるって今回証明されたし、自民のやることにはなんでも反対なんてレッテル張りでしかないんだよね
おめえみたいなやつがフェアに政党を評価しねえんだから恨み節を言うのは当たり前だろ
おめえみたいなやつがジャップランドに大勢いる結果少子化対策10年遅れたよね?どう責任取るの?
それを実現させるには政権交代しかありませーん。おめえに自民党の人事権があるわけねーだろアホくさ
怖い(笑)ママに泣きつけよ。怖いという感情で投票先を決める坊や
野党のやることには何でも反対坊やばっかりだから日本は没落しているんだよなあ…まあジャップの自業自得だよね。おまえって自分が少子化対策遅らせた勢力であることに関してどう思ってんの?
リベラルは男性差別を認めないだけではなく、さらに男らしさも出せとか二律背反丸出しだもんな。
しかもマスキュリズムは右翼とな舐めたこと言うやつもいるくらいだし(定義のすり合わせ位しろよ無能どもが)。
男らしさというものを出してくる保守的な人間のほうが合わないと思うが、なんぼかフェミニズムっぽいところも受け入れしている部分もあるからマスキュリズム的なものも受け入れている。
実際に共同親権や表現の自由(主に男性向けの表現について)でも協力する人もいるくらいだし。
ほんの少し包摂しようとするだけでも、保守連中のほうが優しいんだよな。
そういうパラダイスみたいな場所は兵力が超強い勢力が占領して領主が独占するから、
2022年の秋頃からツイッター上で大きな話題となっている暇空茜氏を中心とした一般社団法人Colaboの騒動と従来の青識亜論氏を主体にしたツイフェミvs.表自の違いをざっくり考えた。
筆者は平等主義者であり、自由主義者である。長々と自語りするのも無駄なので、この二点から私は第一波から第三波までのフェミニズムを支持するフェミニストであると主張する。
特に私は極まった自由主義者ゆえ、刑罰というペナルティを承諾するならば犯罪と呼ばれる行為を行うことさえも他者には拘束しようのない自由だと宣うこともある。それを前提に、表現の自由は権利として保障されるべき事柄だと指標する表現の自由戦士と揶揄される側の人間でもある。
余談だが権利・自由の概念はあくまで他者の権利と比較均衡の上で与えられる。その点では「見たくないものを見ない権利」などと言う他者の自由を踏み躙ってまで主張される特権志向は、自由主義者故に唾棄する。公共の場においてプライバシーの保護は希薄にならざるを得ず、受忍範囲は当然ながら広くなる。この前提を拒否してツイッター上でキャンセルカルチャーを繰り返す輩……ツイフェミやジェンダークレーマーと揶揄される輩が第四波フェミニストを名乗るであれば、ツイフェミの主張する第四波フェミニズムは否定する。ツイフェミの主張では狭量な自己を中心として、異なる意見の女性には名誉男性のレッテルを貼って阻害することを良しとする。これは歴代のフェミニズムで獲得された平等と自由を侵害する行為である。故に、歴代のフェミニズムを志向する以上はツイフェミの語る第四波フェミニズムとは対立する立場を取らざるを得ない。
加えて、この様にインターネット上でフェミニズムを志向する行為自体は、第四波フェミニズムにあたる。つまり私は派閥違いの第四波フェミニストでもあるのだと主張できる。
閑話休題。私というn=1の話ではあるが、フェミニズムは本来、表現の自由と衝動する様な概念ではないと言うのが分かって貰えると思う。
しかし、colabo騒動以前からツイフェミ対表現の自由戦士の対立構造と衝突はツイッター上で日常的に起きている見せ物であった。
この衝突は互いに様々な思想・勢力が入り混じる有象無象を「ツイッターでフェミニズムを語る人たち」と「表現の自由を守る人たち」という極めて大雑把な括りでまとめて、互いに見当違いの場所を殴り合うというものである。
ただし、ツイフェミも表自も強固な思想共同体ではない。それどころかフェミニズムの皮を被ったミサンドリスト、表現の自由に見せかけて女を殴るミソジニストが混ざり込んでるのだ。当然、人によってツイフェミや表現の自由戦士の定義・認識が異なる。
さて、colabo騒動以前からこの界隈で主に絶えず旗頭を担って来たのが青識亜論氏だ。他にも何人も主要人物は居るが、本件では割愛する。
青識亜論氏はVS.ツイフェミという点では知らぬ人は居ないだろうと思う。当人は対話を志向しており、石川優実氏との対談なども行った人物だ。
石川優実氏の概要も省略するが、「kutoo という素晴らしい活動を行ったが、ミサンドリスト的な発言やkutooの活動でも味方となり得る革靴を強要された男性は対象じゃないと述べて対立構造を作り、フェミニズム特有の上下関係から来る意固地な態度で忠言を拒否していた人物」と私個人は認識している。そして、上記の点から石川優実氏を第四波フェミニスト兼ミサンドリストと評価するならば、女性の自由を否定しない青識亜論氏は表現の自由主義者兼フェミニストと評価出来るはずだ。
青識亜論氏をわざわざフェミニストと評価したのには意味がある。このツイフェミ論争は、フェミニズムという文化に対して正の効果を持つからだ。より正しくは「やばい言動を繰り返すツイフェミの主張を、このままにして良いのか。フェミニズムとは何ぞや?」と啓蒙する効果くらいは期待出来る。フェミニズムは第一波から始まり、大きな女性差別を解体してきた。そして現在は社会生活上での個人的な女性差別を対象とする。故に社会運動的なフェミニズムよりも個々人が、フェミニズムについて知見と理解を持つことの方が現代社会ではより重要になるのだ。
第四波フェミニスト同士の衝突と考えた時に、彼らのレスバは無関心の徒に対して、フェミニズムに関する啓蒙の役割を強く持てる。
現在colabo騒動で中核を担う暇空茜氏は、青識亜論氏を酷く嫌悪している。一方で青識亜論氏は和解点を探るべきだと宣いもする。
まず第一に、これはフェミニズム闘争ではない。フェミニズムを冠した利権疑惑と、用途不明で消えた税金に対して説明を求めるものであり、訴訟なのだ。
暇空茜氏にとっては動機こそミサンドリストへの反感である。しかし、彼個人は女性を嫌悪する男たちと表自界隈の次の旗頭 ポスト青識亜論になるつもりははいだろう。何なら表自界隈が好む対話……ではなく、レスバと副次的な啓蒙にも訴訟には何のプラス効果もない。
暇空茜氏がブロックを繰り返しているのを見ても、どちらかと言うとその主旨は訴訟目的の純化に見える。表自界隈の様に多層化してしまえば、どこかで誰かが失言をして揚げ足を取られる。その点では暇空茜氏の行動は効率的なのだ。
総括しよう。表現の自由とフェミニズムは本来であれば対立する概念ではない。しかし、男性嫌悪・女性嫌悪が絡むと当然対立する。対立した状態で異性への嫌悪やそれに由来する特権意識を表に出せば、それらの意識を持たない人たちには殴られる。
従来の青識亜論氏が旗頭を務めた表自界隈とツイフェミ界隈は、こうして1人一派の人々が集まって出来たものだ。問題への意識は共有するが、それを実行する力には欠ける集団である。集団が入り乱れてツイッター上で殴り合いをしてるのだ。仮にレスバに勝っても報酬で得られるのは顕示欲くらいのプロレスごっこである。社会に対する影響はフェミニズムに対する啓蒙の一点につきる。
一方で暇空茜氏の訴訟は、日常的な指摘や話題を風化させないための騒ぎ方などはあるが裁判や役所が動かなければ進展がない。勿論、話が進めば面白くなるだろうが、観客としては時間単位での動きがレスバより少ない分、口プロレスよりも熱くなれない。しかし、訴訟内容を考えれば、NPO活動を見直す現実的な働きかけを有し、言うまでもなく税金の用途やNPOの活動、女性の福祉に関する啓蒙とレスバと比較にならないだろう。
私個人は両者とも好きではないし、ツイフェミは一緒くたに女性嫌悪だと騒ぐだろうが、暇空茜氏と青識亜論氏のスタンスは見事に異なっている。
そして、暇空茜氏が強く支持されると言うのは、ツイフェミと女性に対する社会の関わり方が変わる一つの潮目なのではないかと思い、今後の趨勢を見守りたい。
https://www.jiji.com/jc/article?k=2023012800171&g=int
かつて社会の中で喫煙は、現在の飲酒と同程度かそれよりも許容されるものでした。
しかし、健康被害をお題目として喫煙習慣は社会から弾圧され抑制されるものとなりました。
その弾圧勢力のなかには飲酒を愛好する人々も多く含まれていると考えられます。
今から30〜40年くらい経つ頃には、ヴィーガン勢力が今よりずっと力をつけていて、肉を食うのは野蛮人!みたいな雰囲気になってる可能性って、結構ある気がしてならないんだよな
俺自身はぜんぜんヴィーガンじゃないんだけど、それはそれとして、今のうちにちょいちょいヴィーガンフードとか食って、肉なしの暮らしに慣れといた方がいいんじゃないか?って気もしている
まあ、合成肉とかもあるんで、ホントどうなるか分かんないけど
でも、ヴィーガン思想ってマジで共感できないから、嫌なんだよなあ!
・動物が苦しむ
・環境に悪い
→それはよくないけど、それを言うなら大抵の労働環境はEvilだし、やっぱ人類が滅ぶしかない
しかし、全然共感できないからこそ、ヴィーガンフードなんじゃないかとも思う
50のオッサンになってから、全然共感できない思想のために肉を断つのはキツそう
今のうちにちょくちょく断っておいて、いざ肉はもうダメっすよとなったときに、ああOK OK、うまいよね野菜、みたいな感じでサラッと流せるのが理想
でもヴィーガンフードって高いんだよな その割にたいしてうまくないし
難しいぜ