はてなキーワード: 作品とは
残念ながら、どんな内容の作品をつくるかを決められる権限を持っているのは
TV局や大手映画配給のPなどごくごく少数の人間で、そういった人間でなければ作品を一つ成立させるだけでも
たいへんな金集めが必要なんだ
ラストオーダーとか、無印以外は作画力は凄いけど、無印の頃の面白さには敵わんと思ってる
無印銃夢はラストの打ち切りへの早急感、絵柄の変化が否めないが、急いで話を畳むことになった割には、あれはあれで普通に面白く思ってる
まあ、途端に紙芝居っぽいというか、プロット書き並べた感は否めないが
木城ゆきと作品は過去の読み切りの時点で自分には天才だと思える漫画家のひとりなのだけど、
自分が一番最初に木城ゆきとの漫画を読んだのは、地元の田舎の本屋で買った雑誌の「宇宙海賊少年団」だったと思う
あれを読んだ感想としては、絵は凄いんだが、物語の対象が雑誌の読者の年齢層よりちょっと下に設定されてる感じ、
悪く言えば物語が幼稚というか子供が対象になってる感じがして、自分もその雑誌の読者層の年齢だったので、物語はあんまりに思ったのだけど、
それでも、それから銃夢を知るまで、ずーっと印象には残ってて、
ビジネスジャンプで銃夢初めて読んで、夢中になって、あの「宇宙海賊少年団」の作者だと知って、あー、画力は間違いない、
でも、掲載紙であるビジネスジャンプの読者層である年齢向けにちゃんとなってるどころか、
スナッフビデオ撮影する殺人鬼は出てくるわ、でも、その殺人鬼の人生の悲哀に泣いてしまうわ、
主人公が愛する人のバラバラ死体が箱詰めになって出てくるわ、ビジネスジャンプのビジネスとは?と思ってしまうぐらい、ぶっ飛んだネタもあって面白かった
なんとなくであるが、木城氏は普段からネタ帳みたいなのを書いているとか、ネタを集めていて、
銃夢は屑鉄町とかモーターボールとかザレムとか、バラバラに漫画として描いても面白いんだろうけど、
そのバラバラの話を~編みたいにして、主人公のガリィで串刺しにする感じで描かれていて、当然ガリィの旅とか成長としても描かれるわけで、
話がバラバラの短編だったとしても十分面白いのに、ガリィの話として無理なく統一されてる感じがして、そこも非常に良かった
初めて嫌いだなと思うカップリングが出来た。地雷とはまた別。嫌い。キャラは二人とも好きなのにカップリングになると嫌いになる。おそらく組み合わせや解釈の問題ではなく界隈に対する気持ち。
ジャンルは世界一有名な漫画の一つだと思うくらい人気な某漫画。カップリングの組み合わせはどちらかというとマイナー寄り。
なんかね、平成初期の名残がすごいの。
そのカップリングのキャラがどちらも初期から登場しているので、マジで平成初期からキャラ解釈とか描写とか書き手さんたちの嗜好が変わってないのかもしれない。連載開始が平成初期だから辻褄は合う。
原作では主人公の憧れで仲間や友人を大切にする強キャラが何故か、受け大好き大好きハァハァ受けにちょっかいかける奴は許さねえ(殺)みたいな、受け至上主義変態化セコム化腹黒化闇化の平成初期オンパレードの攻めになってる。今時そんなことある?
原作でそんな描写ないのにしょっちゅう受けのところに行ってて受けから「帰れ!」て拒絶するところから始まる作品がとんでもなく多い。そういうテンプレート配布されているの?ってくらい多い。攻めは拒絶されてもヘラヘラして「素直じゃねえなぁ♡」みたいな感じでグイグイ行く。原作でそんな描写ないのにどうして全員がそういう解釈なのか分からない。
あとビックリするほど攻めの仲間に対する描写がない。あっても「やれやれ」って攻めに付き合ってる。主人公の仲間の父親が攻めの仲間にもいるけど、その仲間は妻の死に目に会えてないのに。そんな仲間つれて自分は好きな人のところにグイグイ行くのやばくないか。
どういうキャラ解釈してるの?それとも本当にテンプレートが配布されてて皆それを使わなきゃいけないとかルールでもあるの?村八分にされるとか?
受けもなんか平成初期のツンデレ受けをイメージしたら多分それがそのままその界隈の受けになる。攻めをキモがりつつなんだかんだ受け入れて抱かれてる。平成初期の受けと違うのは喘ぎ方くらい。最近の喘ぎ声って「お゛♡♡♡♡」みたいな汚気味でハート乱舞だよね。そこは今時だった。
原作ではどちらかというと敵キャラなんだけど主人公と協力したこともあって、キャラクターとして可愛げもあるから憎めない人気キャラだと思う。
でも正直「BLでは珍しいタイプの受けを推してる私♡♡」勢と「ティーンズラブによくある冴えないヒロインが何故か有能でイケメンな男に溺愛されててヒロインは気付いてないor相手にしてないラブコメ」に自己投影してる勢がいる。偏見だけど。
受けにハァハァしてる攻めも実際は書き手が受けにハァハァしてるのを攻めに代役させてるだけの人も絶対にいる。偏見だけど。
ツンデレかどうかは原作だけじゃ判断できないけど白痴はわわ系にしてないだけ誠実かもしれない。まだツンデレツンギレお前のことなんか好きじゃねーんだからな!フン!てしてる方がキャラの方向は合ってる。
ここまで書いて気付いたけどもしかして受け厨が多いのかもしれない。だから攻めのことはどうでもよくて変なキャラ崩壊させているの?え?俄然嫌い。
ぶっちゃけ映画きっかけでそのキャラたちの二次創作読んだから目につきやすかったのかもしれないけど、攻めが救えなかった少女も、受けが一緒に居たら救えた!みたいなif多くてびっくりしてた。
そんなわけなくない?どんだけ攻めに興味なくて攻めsage受けageしたいの?
そんなことしなくても受けはおいしいキャラだし最高なのに。かわいそう。書き手の技量がないと誰かを貶めないとキャラの良さを出せないのね。大変だなあ。
数行前に受け厨って書いたけど受け厨でもないな。「自分が考えた最強の推しキャラ」を当てはめる枠に受けを選んだだけで受けにもそこまで愛はないのかも。
「自分が考えた最強の推しキャラ」≠受けだから、原作より性格良くして、戦闘力も上げて、色んなキャラに愛されてるように捏造する。逆行とか成り代わりとかまさにそれだもの。原作キャラを借りずに一からキャラを作れ。
二次創作検索して人気順に読んで判断しちゃったけど、最近の界隈の作品はまた様変わりしているかもしれない。長寿ジャンルだし人気順だと10年前の作品とかも出てくる。
諦めるのは早計だと思うけど、でももう無理。嫌いになっちゃった。
令和だよ?って言葉も嫌いだけど、流石に思う。令和だよ?
変態化セコム化暗黒化闇化って女体化とか年齢操作並みに特殊設定なのになんで界隈では常識ですって扱いにされているのか。無理すぎる。それが広まって受け入れられている民度。やば。
なんで平成で終わらなかったんだろう。本当に当時から一定の書き手さんがいてずっと続いているなら凄い。でも平成初期の産物は平成で終わらせて欲しい。アップデートって言葉も好きじゃないけど流石にアップデートしろよって思う。そういうセンスってやっぱり年代には勝てないの?
ハマりそうだったのにハマれなくって悔しいし勿体ない。平成初期のカップリング解釈とか王道が合わないことはまったく惜しくないけど。そのカップリングにハマれなかったのは惜しい。
でも今の王道や考え方もいつかは令和初期(笑)と倦厭されるのかもしれない。私もいつかこんな風に嫌われるのかな。時代を越えられなくなる前に消滅したいね。
【追記 07.06.01:30】
一応書いておくが「ICを入れない方法を考えた」という発言をした監督を俺は全く擁護していない。
あのテーマの原作を撮っておきながら、どうしてあんなに無神経な発言ができるのか。
【追記以上】
みんな今知りたい話題だろ?
そしてインティマシーコーディネーターの起用の有無について意見ができるぐらいの立場の職種だ。
俺は日々、撮影現場でありその準備であったりと「作品」の制作に関わり、また他の現場の話題も常日頃耳にしている。
そんな俺が、「今、日本におけるインティマシーコーディネーターはどう受け入れられているか」を皆に共有する。
まず大前提として、
インティマシーコーディネーター(以下IC)という職業ができたことを疎んでいるスタッフはほとんどいない、
ということをまずは明らかにしておきたい。
「ICなんて不要だ!」なんてことをハッキリ言うような人間は、
ICという概念が日本に紹介されてからのここ数年間で、俺はまだ一度も見たことがない。
もしかしたら昭和時代の頑固オヤジスタッフとかはどこかで言ってるのかもしれないが、
TV曲や配信で流れるような作品の制作においては、制作過程においてもそれなりに常識が求められるし、
どのスタッフも、世間の空気感への感度はある程度はちゃんとあるのだ。
脚本〜撮影準備のどこかの段階で、一度は一応、誰かが話題には出す。
(プロデューサーか監督か、助監督か、事務所の人間か、キャスティングあたり)
と。
そして、今の時点では、だいたいの場合の応答はこうなる。
「そうですねえ・・・・以前、同じようなシーンがあった作品では、インティマシーいなかったですが特に問題が起きたことはないです」
「そうですねえ・・・・・インティマシーの人を入れると、撮影がインティマシーの人のスケジュール合わせになっちゃって進行がハマらないんですよねえ・・・・」
そう、ほとんど場合はいなくても具体的に表立って問題が起こったことはほぼない。
(ただし、俳優が気づかれないように我慢している可能性についてはもちろんあると思う。)
日々、たくさんの映画・ドラマがつくられるなかで、たったの2人。
ドラマ制作陣がTVerでのランキングを重視するようになってから、サムネイルでのインパクト争いになっている面もあって、
(よければTVerのドラマランキングを一度のぞいて見てくれ)
ドラマのテーマは不倫、セックスレス、など性にまつわるテーマはむしろ多くなっているのだが、
インティマシーコーディネーターは、たったの2人。
現状で、インティマシーコーディネーターの方々は精力的に活動されているが、
それでも制作される作品の数に比べれば、圧倒的に数が足りないのである。
そうするとどうなるのか?
撮影がインティマシーコーディネーター合わせにせざるをえなくなるのである。
通常、日本において、作品の撮影スケジュールは、忙しい俳優のスケジュールに合わせてつくられる。
そして全てのスタッフが、そのスケジュールに合わせるのが当然、これは監督でも同様である。
そして、だいたいは予算不足なので、撮影期間はギリギリ撮りきれる最低限の日数だけ確保される。
そんな状況で、一職種のスタッフのスケジュール合わせでスケジュールを切る、
誤解しないでほしいのだが、これは、決してICを軽視しているわけではない。
撮影候補期間は、どのスタッフも全部スケジュールをガラガラにあけて作品に参加し、
俳優のスケジュールを軸にして最も効率の良い撮影スケジュールを、チーフ助監督が組み立てるのが普通の日本の現場において、
撮影に必ず立ち会うべきスタッフのスケジュールがそもそも全然空いてない、
そんなことは当然、我々スタッフこそ毎日身に沁みて思っていることであり、
しかし、現実に、たった今取り組んでいる作品の納品は差し迫っていて、
となると、どうしても、どの作品もICの起用に対して消極的になっていってしまうのである。
それで、どの組でも
「まあ、今回はICは入らないということで、私達で充分に気をつけてやりましょう」
みたいな会話がかわされ、ICの入らない性的なシーンのある作品が今日もつくられていくことになる。
誰も悪気がない。
みな、なんとなく「このままでは駄目だよな」と思っている。
そうこうしてるうちに撮影期間が終わる。
問題が起きなかったのでなんとなく考えるのをやめる。
ということを繰り返しているのである。
俺はこういった状況は誰も悪気がないとは思っているが、
擁護もできないと思っている。
どうすれば人数が増えるのかのアイデアは俺にはない。
●
あの絵コンテがもっとも宮崎駿の脳内を再現したものであって、アニメになると他人の手が加えられてしまう、
というか、長編アニメをひとりで作る体力は流石の御大にもないし、
絵コンテ以上のものを御大以外のアニメーターが、庵野のドロドロ巨神兵とか、魔女の宅急便のラストのスピーダーバイクとか、宮崎以外がやってるわけで、
アニメ作品としての完成度は上がっても、宮崎駿の脳内そのものではなくなってしまうわけで、
つまり、指示書であるべき絵コンテが、最終的な正解となってしまって、そうなると宮崎氏以下アニメーターは宮崎の脳内を再現するための装置に過ぎなくなってしまう
俺の脳内通りに原画を描け、正解は絵コンテにある、みたいになってしまって、アニメーターそれぞれの自主性とか、機械設計とかに敢えて含む余裕みたいなのがなくなってしまう
その結果なのか、庵野氏は逆に走ってしまって、俳優の女子高生たちに適当に喋らせたりアドリブ演技させたものを撮りためて編集するとか、
シンゴジラ、シンエヴァもプリプロ、プリビズが重視されて、絵コンテはなくなり、その場その場で変更もできる簡易的なCGになったり、
仮面ライダーも偶然性みたいなものまで重視するようになって、NHKのドキュメンタリーでは現場を困らせていた?みたいになってたけど、
なんか、宮崎駿というか、アニメ制作こうあるべし、みたいな世界にどっぷりいたことへの反動なんだろうね
脚本こそがアニメ監督の脳内を一番再現できてるというパターンもあるんだろうな
富野のガンダムとかの小説、あんま読んだことないんだけど、富野小説で作品の本来の意図が分かったという人は多いので、読んでみるべきなんだろうな
今回、別にR18表現をしたわけでも、R18商品を宣伝したわけでもなく、単に昔R18作品の演者だった人、ってだけだからなぁ
なんもわかんなくてもワイは楽しいぞ
美術館が楽しい人 | 美術館が楽しくない人 |
造詣が深い人・芸術職・デザイン職の人 | 常識的な知識はあるが、特別興味がない人 |
なんもわからんが、人が並んでるの見たら並ぶタイプ ↑ ワイはこれ | 行くからには作品と向き合おうとする真面目な人 |
ループがノベルゲー、特に美少女片っ端からドラマチックに殺しまくれるエロゲに向いている設定だからとか?
それはそれとしてまどマギ、ハッピーデスデイとか普通に沢山あるよね。
pixivのループ物の所にあった作品貼っといたから女の子がループしてる奴は何作品あるか数えといて。
https://dic.pixiv.net/a/%E3%83%AB%E3%83%BC%E3%83%97%E3%82%82%E3%81%AE
■ゲーム
Undertale
インフィニットループ 〜古城が見せた夢〜
グノーシア
惨劇RoopeR
Death End re;Quest
永遠の七日
Fate/hollowataraxia
マジカミ
アメイジング・グレイス -What color is your attribute?-
3days〜満ちていく刻の彼方で〜
パンドラの夢
新しいきみへ
一ノ瀬家の大罪
運命の巻戻士
EDENSZERO
サマータイムレンダ
ノスタル爺
火の鳥異形編
Persona4_the_ANIMATION
魔法少女まどか☆マギカ
魔法陣グルグル
めぐる未来
UQ_HOLDER!
SSSS.GRIDMAN_NOVELIZATIONS
七回死んだ男
槍の勇者のやり直し
ループ7回目の悪役令嬢
仮面ライダー4号
仮面ライダー龍騎
仮面ライダーディケイド
最高の教師-1年後、私は生徒に■された-
ハッピー・デス・デイ
https://anond.hatelabo.jp/20240703191053
https://anond.hatelabo.jp/20240704181200
岡田知子&調邦行 訳「現代カンボジア短編集2」(カンボジア)
早速だが大同生命がやってる“アジアの現代文芸”シリーズはマジですげえよ。インドネシアとかスリランカ、ラオス、イランみたいな東南アジアから南アジアくらいまでの、日本じゃ見過ごされがちな国の文学しか訳してねえんだから。しかも電子書籍として無料で読めるしな (https://www.daido-life-fd.or.jp/business/publication/ebook) この「現代カンボジア短編集2」なんかクメール・ルージュ以前から90年代生まれまで、ガチの現代作家の短編しか入ってねえ。マジでこんなん読んだことねえわ。将来、浪漫主義とかフランス現代思想とかじゃなくて「アジアの現代文芸に影響を受けました!」って新世代の小説家、現れねえかなあ。
キンキントゥー/斎藤紋子「短編集 買い物かご」(ミャンマー)
同じく大同生命の“アジアの現代文芸”シリーズからなんやが、今も大変な状況にあるミャンマーの文学もこのシリーズでは10冊くらい読める。特にオムニバスの短編集がかなり出てて「ミャンマー現代女性短編集」やら「二十一世紀ミャンマー作品集」やらオススメなんだけども、より読みやすくかつ俺が一番最初に読んだって意味で思い入れあるこの「買い物かご」薦めたいね。市場って空間と買い物って行為を通じて、ミャンマーに生きる市井の人々の息遣いを知れるんだ。ニュースの報道見ると同時に、こういう文学を読むのも重要やね。
カルロス・フランス/富田広樹「僕の目で君自身を見ることができたなら」(チリ)
これはアレや、男と男のチンコ比べ本や。そしてその男と男ってのがドイツ人画家のヨハン・モーリッツ・ルゲンダスとイギリス人生物学者のチャールズ・ダーウィンで、それだけでもスゲーのに、そのチンコ比べでチリ大地震まで起こるから超壮大や。体長の何倍もデカいペニスを持つっていうフジツボまで出てきて、近年稀に見るほどのチンコ本だよ、コイツは。正直ミソジニーキツくてそういう意味じゃアカンけども、流麗華麗な文体で男たちのチンコ比べが描かれる様は一読の価値ありや。読んでどんな思いを抱いても責任は持たんけどな。
この人はどっちか言うと、サスペンス小説の方向性で受容されてるんだが、俺はこの本を“ドン・デリーロが書かなかった最良のドン・デリーロ作品”みたいに思ってる。テロリズム、パラノイア、不条理……訳者の上岡伸雄、実際デリーロの訳者だしね。デリーロの「墜ちてゆく男」とエイミー・ウォルドマンの「サブミッション」と、この「ザ・ゼロ」で上岡9.11三部作や。中でも娯楽作に舵切ってるからこれがいっちゃん読みやすい、分厚いのにリーダビリティ満載や。だが「美しき廃墟」以降、ウォルター作品が訳されてねえ。
レーナ・クルーン/末延弘子「スフィンクスか、ロボットか」(フィンランド)
レーナ・クルーンの本はね、読んでると涙ちょちょぎれちまうのよ、これが。この子供たちに向けて書かれた本なんかは少年少女の瑞々しい姿を描いていて微笑ましい一方で、俺ら大人が読むと、こう大人になるってこと、成熟するってことで失われる何かについて思いを馳せざるを得なくなってさ、それで俺、涙ちょちょぎれるんや。3つの短めな中篇が入ってるんだが、中でも表題作の「スフィンクスか、ロボットか」が一番いい。ラスト、マジ残酷すぎやろ。読んで言葉失っちゃったよ。
にしても児童文学ってのは扱いがムズいよ。児童文学ってのは何よりも子供たちに真摯に向きあうからこそ生まれる素晴らしい存在だが、その児童文学って括りが大人にとって読むに値しないように思わせる。かといって、例外的に大人がその素晴らしさを語る際に「これは児童文学以上に“文学”だ!」とか言いそうになるが、こりゃ結局児童文学を下位のカテゴリーに入れてるからこその物言いだよな。児童文学の出版に関わる全ての人々、そして何よりも子供たちに礼を欠く態度や。俺はこういうのに陥らんように、児童文学オススメしていきたいよな。
http://iuraichiro.com/perkthim.htm
あとイスマイル・カダレ、とうとう死んじまってこれまた泣けたよ。そんな今だからこそぜひともアルバニア文学翻訳者の井浦伊知郎のサイトを見てくれ。カダレの自伝小説「石の町の記録」や代表作「大いなる孤独の冬」の翻訳がこっから読める。他にもカダレに並ぶ大小説家ドリテロ・アゴリの「裸の騎士」とかアルバニア文学の名著がめちゃ置いてある。マジで信じられねえよ、これは。
Twitterをダラダラ眺めてたら、有名なデザイン賞を獲った自慢をしてるポストが流れてきた。
なんか見覚えがある名前だったんだけど、思い出したぞ。
高校の時に同級生だった男で、当時美術部で結構イケイケだった俺をライバル視してたやつだ。
キョロ充を絵に描いたようなやつで、あちこちに顔出しては誰も聞かない自分語りをするやつだった。
卒業が迫ってきて、自分は芸術系の大学に進むことになって、そいつはどっかの大学が決まって「俺も運がよければ同じ大学行ったのに」とか言ってきた。
卒業文集のレイアウトとか表紙を先生からお願いされてて準備してたんだけど、そいつが「俺にやらせてくれ」って勝手に先生に直談判して、先生も俺がOK出したものと勘違いしてそいつが全部担当することになった。
結果、まぁそれは酷いもので、なんでこんなものを作ったんだレベルだった。
挙げ句の果てにクラスのページではそいつが写ってる写真ばかり載っていて、俺の写真は一枚もなかった。
まさかTwitterでたまたま見ることになるとは思わなかった。
過去のポストを見ても、謙虚そうに見えてめちゃくちゃ自慢してる感じは当時から全く変わっていない。
その仕事の成果はお前だけやった成果じゃないだろう、って突っ込みたくなる。
でも作品を見ると、悔しいことに結構いい、というかめちゃくちゃいい。
マジで悔しい。
やっぱり、人の仕事とかあんまり他人がどう思うかは関係なく自慢した方が、次に繋がる世界なんだろうか。
俺も今同じような仕事をしているけど、明らかにそいつの方が上を行ってるのは間違いない。
ああ悔しい。
クドカンの新ドラマ、はてブでもよく見るなぜか経営者や医者の側に立って弱者を見下したりしたり顔で決めつけるあの謎感覚やら自己責任論やら命の選別はしてもいいしすでにされているしだからするべきなのだというような考え方やり方へのどストレートなアンチテーゼって感じでよかった
しかしそこから生まれたいま現在の混乱や混沌やその渦中にいる人々、すなわちそこでがんじからめになっている人、追い詰められた人、助けたくない姿をしている人、異邦の人、愚かな人、泥にまみれた人、どうしようもできない人……たちを切り離して見下すんじゃなくて自分も同じくそこに含まれている違わない世界のこととして受け止めたり愛したりしたいのだなという感じでそれは季節の無い街でも不適切でもそうで、やっぱりこういう形で怒りや愛を持ってる作家の作品が好きだなと思えた
『俺は全てを【パリイ】する〜逆勘違いの世界最強は冒険者になりたい〜』は、
孫・ラスダン村・勘違い系にアレルギーがなければ勧めたいけど、作品に思い入れがない人が見て面白いかは謎
サガシリーズのような戦闘観の異世界で、有用なスキルが一切閃かず(授からず)、山に一人で籠って低スキルを十数年ひたすら鍛え続けた主人公の話
この作品のオリジナルフレイバー(独自要素)は、『こんなの余裕ですけど?』『本気じゃないんですよね?』ではなく、
主人公がいつでも本気でギリギリで死にかけているところ。主人公は常にギリギリの戦いを繰り広げているが、何故か周囲からは大物・余裕そうに思われてしまう
そして、必ず『信じられないな。これが世の冒険者にとっては雑魚扱いとは。とても信じられないが目の前にあることが現実だ』と主人公が戦慄し、
『俺は○○にすら死にかけるのか。もっと鍛錬しなければ』と主人公がなるオチがつく
この系統にアレルギーがない人には万人に勧めたいけど、『俺は○○にすら死にかけるのか』のギャグ部分がアニメ版では少し弱いのよ
例えば、主人公はミノタウロスのことを都会の巨大な牛だと思っていることが、原作を見たことがない人にこれ伝わったかなー・・・ってなった
この後、ゴブリンエンペラーや黒死竜と戦ってギリギリで勝つけど、主人公はただのゴブリンや食材用のカエルだと思っているところが、
わかりやすくてテンポのいいギャグになってるといいなぁ・・・・
何も持たざる者 何も得られぬ者
指先に残った かすかな炎
与えられないなら 動くだけ
逃れらんない理不尽と 逃したくないチャンス
「僕なんて」を「僕だって」と言い続けて
誰もみない夢を みたいだけ
擦り剥き 汚れて ふるえてる手足
這い上がるんだ 明日のために
抗えよ ひたむきに叫べ
唯一の終わりなき “才能”さ
「僕にしかできないこと」探す旅
まっすぐに歩いていこう
悔しさだって 乗り越え
どこまでも行こう
失敗だって 愛せると 知ったよ
僕は進み続けるよ
信じた軌跡が 味方する
太陽を知り 月を誇れたら
輝き 満ちゆく光
弾きだせ 閃きに懸けろ
「僕なんて」を「僕だって」と言い続けて
まっすぐに踏み出せ
ノーギフテッド
何いってんだこいつw
例えば映画なら一般人の反応は「おもしろかった」 「つまらない」くらいのもんだろ
映画のことなんか1ミリもわからないド素人を楽しませるために作品を作るのが監督
そんなの、漫画だろうがワインだろうがラーメンだろうが全部同じだ
安易にダサいとか言うな!ちゃんと説明しろ!失礼だろ!とか言うのなら、「プロ」同士で勝手にデザインの見せ合いっこでもしてなさい
世に作品を放つってことは何も分かっていない人から評価をされるってこと
こんな当たり前のことすらわからん自称デザイナーがオナニーをした結果、わかりにくくてテプラ貼られちゃうデザインが誕生するんだろう
大量のカロリーを接種してるけど肥満や通風になっているわけじゃない。
糖尿病まっしぐらの食生活に見えるけど健康診断で怖がっているのは絶飲食の部分。
あくまで今のところに過ぎないけどもちづきさんは健康体なんだよね。
リアルのオッサンやオバサンをベースにしたドカ食い気絶部は大体通風とかを患っているけど、もちづきさんにはそういう穢がない。
健康に悪いのに食べてしまう異常者ではなく、周りの目を気にしておいて結局奇行に走る異常者なんだよ。
異常者としての方向性が今までの不健康食生活漫画とはちょっと違う。
https://x.com/info_amagoi/status/1808877483611337162
>えっと私事ですが、いくりは2024年7月1日よりエクランふうと別の家庭の人になりました☺️
>自立したくて離婚してはみたけど名字変えてないし家もひとつしかないので住所も名前も同じです、つまり何も変わっていない
前々から息子(はるかぜちゃん弟)が、両親の関係悪化について愚痴っていたがとうとうきたか
はるかぜ母は、はるかぜちゃんが有名になる前に2ちゃんねるに専スレがあった
母アンチがそのままはるかぜちゃんアンチに移行したというか、はるかぜちゃんの背後にいる母親へのアンチ活動を続けて新規アンチも入っていきながら今に至る
当時のことは過去ログを見て知るのみだが、若い時期のはるかぜ母は芸能活動しており、ビデオ販売イベントで知り合ったビデオ店店長と結婚
夫は年下でかなり若く、母の方が頼み込んで結婚した
ツーショット写真も残っていたが、若い二人は美形カップルだった
また、母は家庭の事情でコロコロ苗字が変わったため、カワイイ苗字の人と結婚してずっとその姓を持ち続けることに憧れており「春名さん」はドンピシャだった
契約途中で急に結婚して芸能から足を洗おうとしたため事務所の怒りを買い、もうやめたかった嫌な仕事を最後にもう一回やらされ、ラストのその作品は取り消しもできずU-NEXTで今も配信されている
仕事のこと歳の差のことなどで夫婦は平等ではなく夫の方が立場が上で、息子を妊娠中に不倫されても、怒るどころか捨てないでくれと下手に出て頼み込むような関係だったという
その時に夫が言ったのが「お前のことはもう愛してないが、子供のことは責任があるから大人になるまでは別れない」