はてなキーワード: パーソナリティとは
ジャンプ+で隔週金曜日に連載されている『スケルトンダブル』が今とても面白いということをこっそりとお伝えしたい。
ちょうど今日第3巻が発売しててしかもちょうどその終盤あたりからの展開がめちゃめちゃアツくてさらにその続きは現在無料公開されているというのに、世間の多くの人はどうやらスケルトンダブルの面白さにまだ気づいていないらしい。
今日、本屋に行ったが3巻を見つけるのにすごく苦労した。地元で一番デカい本屋だというのに新刊コーナーに平積みで置いてなくてジャンプコミックスの棚に2冊くらい突っ込まれてるのをやっと発見した。きっと夜に行ったから在庫が少なくなってたんだろうね。いやもっと入荷してくれ。
前述したように第3巻の終盤あたりからの展開が非常に盛り上がっており(19〜21話あたり)、読者からの評判が非常に良い。
3巻の帯に「Twitterトレンド入り!」と書かれているがトレンドに載ったのは第21話が更新された金曜日の深夜のことだ。
ということでちょうど今こそが激アツな展開を一気読みできる最高のタイミングなのである。
そして最新話の展開はちょうど物語の序盤の山が片付いて次の展開に移るあたりなので、一気読みするにはキリがいい。
逆に言えば、今みんなが読んでくれないと打ち切りの可能性がだんだんと出てくる。怖い。
隔週連載なので更新頻度が低いが、それでも一定の読者がついてきているのはその漫画のうまさへの信頼だと思う。
この作品は透明人間(スケルトン)化した人間が特殊能力を使って戦ういわゆる「異能バトルもの」なのだが、登場人物の思考やかけ引きの描写が非常にうまい。
それともう一つ光るのはキャラクターの奥行きがあるところ。
異能バトルものらしくクセのある登場人物が結構出てくるのだが、ただのインパクト重視のクセではなく、ちゃんとその人物なりの行動原理があるように見える。
セリフの裏の意図だったり少し挟んだコマでの心情描写などが丁寧で、考察しがいがある。
なかでも主人公のパーソナリティーについては特筆すべきものがあって、盛り上がっている19話あたりからの展開がまさにその主人公の行動原理に迫ったものだ。
このあたりの話数からコメント欄やネットでの評価がかなり良くなったと感じる。
一言で言ってしまえば、この展開で読者がみんな主人公を気に入ってしまったんだと思う。
あえて例を出すなら『ワールドトリガー』で読者が三雲修の「やばさ」に気づき始めたあたりの感じ。
①ダサく描く理由は作品それぞれだろう。中学生のは素朴な感じを出したいんだろうし、ギャルのは過度な記号化で分かりやすさを求めてると俺は思う。
②だから別に冴えない男の為というよりは、作品上の演出の為だとは思うし、大きい括りで断じてしまうのはちょっと乱暴かなとは思う。そして増田の言う男性向けラブコメ全体を見たときに、そういう傾向があるかどうかというのはもっと網羅的な調査をしないと何とも言えない。
③とはいえ作者&編集者の狙いと、読者(これも乱暴な括り方)の求めるものがズレてるっていうのは良くある話で、登場人物の美醜に限らず、パーソナリティ・行動で続きを読み気が失せる作品はいくつもあるから、増田の気持ちはわかるよ。でもそれってnot for meってだけで、商業的にはそれぞれの読み手がそういうノイズを拒絶したり、一方で作品がとても良いと評価して、結果作品が売れるかが重要なんだよね。だから、少なくとも例に挙げられてる作品は、作者と編集者は作品全体として、男役がそういったキャラクターデザインがベストだと思ってるんだろう。そして、増田が気に入る作品がもしあるなら、積極的に単行本買ってあげたり、レビュー書いたり、ファンレター出して、どういったところが好きとかを書いてくれると、色々な人に伝わって、次の作品に繋がったりする可能性が上がるよ。
俺が言ってる地獄はそんな生半可じゃないんよ。俺も長年レスられて、ついに結婚3年目に「一生したくならないから外でしてきていい」と言われ、不倫に手を出した。
その頃は離婚までは考えてなかったんだ。妻は大学の後輩で共通の知り合いも多い。家もあったし、結納や結婚式もデカデカやった。俺自身も妻も実家が太く、離婚なんてしようもんなら一族からなんて言われるかわからない。後に引けない婚姻だった。
それに俺は割と淡白な方だし、今更誰かに入れ込むなんてあり得ないだろうと思ってた。
愛情は外で得て、この結婚生活を続けるストレスが減れば、それでいいと思い込もうとしていた。
前述の離婚のハードルは恋に盲目な俺の前には無いも同然。どんな負債を抱えることになってもこの子となら幸せになれると思っていた。
妻も俺にはすっかり冷めてるし、問題ないだろうと思って離婚を切り出したんだ。
最初は妻も離婚に賛成だった。俺たちが限界夫婦なのはお互いに共通認識だった。
だが妻にとって、離婚のハードルはハードルのままだった。彼女自身、俺という男にはウンザリしていたものの、財産分与について話し合いをしていく中で、「やっぱり離婚やめとこうよ」と言い出したのだ。「わたしも悪かったことは直す。セックスもするから」と。
俺はその頃すっかり妻を憎んでいたから、何都合がいいことを言っているんだ、と、妻への憎悪を増幅させるばかりだった。
不倫相手には「離婚するから俺を捨てないで」と言って待たせているんだ。早く離婚しないとあの子がいなくなってしまう。そんなの耐えられない。
再構築を望む妻を俺は拒絶し続けた。膨らみ始めた憎悪は止められない。
もちろん7年間連れ添った妻に情がなかったわけではない。ただ、情があるからこそ、蔑ろにされた記憶も根強いわけで、憎悪も湧くわけで…。
あんなに俺を、平気で粗末に扱って、暴言や暴力を平気で働いていた妻が、離婚したくないがために、しおらしく泣いたり、夜を求めてきたりすると、
一度は愛した女だから、愛しく思う気持ちを思い出すこともあったが、
それ以上に、いやそれがあるからこそ、今更何を言っているんだ?という怒りが湧いた。
「他に大切な女がいる」とはっきり言ってやった。
慰謝料もいくらでも払うし、財産分与も俺には一銭もなくていいとまでいったよ。
すると次第に妻は狂っていって、
最終的には首を吊って自殺した。
俺は妻を一生幸せにする覚悟で結婚したのに、それを拒んだのはお前じゃないか。
死んだら思い出は美化される。
愛した記憶を懐かしく思い出すことも増えた。そしてそんな自分を自己嫌悪することも。
俺たちの関係をダメにしたのはあの女なのに、あの女の死に心を痛めたくなんかないのに。
不倫相手は悪くない。ずっと俺に寄り添ってくれた。俺が悪いんだ。妻の死が大きすぎて、不倫相手に向き合えなくなった。本当に彼女には申し訳ないことをした。
親戚中では俺はもう鼻つまみ者だ。こんなことになるくらいなら離婚なんて企てなければよかった。いやあの女が頭がおかしい奴だったからこんなことになっただけだ。普通の女なら離婚できていたはずだ。
俺は全て失ったよ。
今もし人生をやり直せるなら、「セックスは外でしてきて」と言われた時点で、離婚を切り出しておけばよかったなということだけ。
そしたら妻もことの重大さに気づいてセックスしようとしてくれただろう。
もしくは、「外でセックスする過程で他に好きな人ができたらすんなり離婚すること」とか念書書かせるとかかな。
妻も俺と向き合わなかった。そのツケがこの惨めな最期なんだろう。
俺も妻と向き合わなかった。俺的には妻の言い分に従うことで向き合った気になっていたが、あの時点で離婚を意識できなかった時点で、向き合い方が足りなかったんだろう。そのツケが浮気で妻を自死させた愚か者として生きる十字架か。
とにかく相手が何と言っていようと軽率に外に関係を作るべきじゃない。と思ったよ。
もちろん相手のパーソナリティによるところもある。けど、俺は妻と交際期間合わせて10年近くつるんできた中で、妻が自殺なんて寝ぼけたことするようなヤバい女だとは気づかなかったから。
どこに地雷が潜んでるかわからない。そして配偶者は、都合が悪くなったら自分と簡単に切り離せるような存在ではないから、慎重になった方がいい。
ちょっとした議論や対戦ゲーム、争いになりそうな事や美味しいポジションは全て初めから譲るようにして
批判や皮肉にも腸が煮えくり返るけど一人になってから文章に書き連ねたり物に当たって鬱憤を晴らすようにしている
正直言って人と関わっても何も楽しくない。
昔からその傾向はあったが、習慣を変えてからは特にそう思うようになった。
他の方法で自分を満たしたり社会と関わる事にモチベーションが感じられないのかもしれない
ただ完全に一人で完結できるほど強くもないし、創作等(純文、AMV制作)にも手を出してみたが、
何がしかの結果が出るまでには相当に時間がかかりそうな気がしている
同時にこれは程度の問題で、条件によっては自分のような欲求を発露しながら問題なく(問題を他人に転嫁して)楽しく生きている人たちがいる事も理解しているが、
今更それを目指そうという気にもならない。(何かそういうチャンスが降って沸いたら手のひら返す可能性も否定はできないが)
どうにかして他人を搾取する事なく他人と共に楽しむ時間を持てるようになりたい。
増田の知恵を貸してほしい
ちょっとした議論や対戦ゲーム、争いになりそうな事や美味しいポジションは全て初めから譲るようにして
批判や皮肉にも腸が煮えくり返るけど一人になってから文章に書き連ねたり物に当たって鬱憤を晴らすようにしている
正直言って人と関わっても何も楽しくない。
昔からその傾向はあったが、習慣を変えてからは特にそう思うようになった。
他の方法で自分を満たしたり社会と関わる事にモチベーションが感じられないのかもしれない
ただ完全に一人で完結できるほど強くもないし、創作等(純文、AMV制作)にも手を出してみたが、
何がしかの結果が出るまでには相当に時間がかかりそうな気がしている
同時にこれは程度の問題で、条件によっては自分のような欲求を発露しながら問題なく(問題を他人に転嫁して)楽しく生きている人たちがいる事も理解しているが、
今更それを目指そうという気にもならない。(何かそういうチャンスが降って沸いたら手のひら返す可能性も否定はできないが)
どうにかして他人を搾取する事なく他人と共に楽しむ時間を持てるようになりたい。
増田の知恵を貸してほしい
それはしんどかったね、自分も何回かそれやってるからわかりすぎて……
やっぱり根本的には自己肯定感なんだろうね、そこをもっと強く持ててたら相手のこともちゃんと見て尊重できて依存じゃないコミュニケーションとれるようになると思うけど難しいね
でも今からでも成長できると思ってやってくしかないね……実地の前に訓練が必須だけどね
同じような人たちで定期的に互助会セラピーみたいのするといいのだろうか、きっと探せばそういう場所もあるんだろうなあ
https://anond.hatelabo.jp/20230719012927
椎名へきると富永みーながメインパーソナリティーを務めるラジオ番組「SOMETHING DREAMS マルチメディアカウントダウン」通称ドリカン内にて、1996年にパーソナリティーの妹分として「ドリカンクラブ」が結成される。その中に田村ゆかり、堀江由衣が含まれていた。
1998年に椎名へきるが降板した際に田村、堀江の2人がアシスタントへ昇格。2002年に富永みーなが降板したのち、メインパーソナリティーに昇格。
1999年には番組内にて田村堀江の2人伝説的アイドル声優ユニット「やまとなでしこ」を結成している。
読みづらくてごめん。
両陣営の人にきいてほしい。
【現状】
女性スペースや女子スポーツについては、はっきりいって保守派が負けてる。
トランス当事者がトイレやシェルターを使えないのは権利侵害。アウティングの懸念も理解できる。
修正案:ペニスフリートイレが一定数あればそれでいい。(聞き入れてもらえない可能性が非常に高いけど)
【防犯防犯って、犯罪者扱いするな!】
あえて議論しないが、
私は小さい子がいたらかわいいなと思ってガン見しないようにしてる。
ペニスがないと嘘をつかれるのが怖いというのは仕方ないと思う
まさに、性被害を軽視したせいで、無関係のトランス女性が苦しんでるわけだ
女性に対し、その人のパーソナリティが安全かどうかではなく、ペニスかどうかで判断せざるを得なくした不作為はよくない。
【相互尊重】
反対意見が出るのは女子トイレと女子スポーツの問題がほとんどだと思う。
同じ弱者としてシス女性を尊重します、一緒に考えていきますと言ってくれたらどれだけ安心できるか
マジョリティがマイノリティに一方的に慈悲を向けるのが平等ではなくて、
だから、MtFと全く同値として扱われるとアイデンティティが傷つくし怖いっていう気持ちもキャンセルしないでほしいな
【対話拒否】
アンコンシャスバイアスやマイクロアグレッションはよくないが、犯罪ではないそれを大量殺人と同レベルの罪ととらえ、
発言者へのヘイトスピーチを行う残念な人もいる(そう、ターフは殺せ踏めってやつ)
反対意見ということを理由に差別だとレッテル貼りし、封殺する勢力がいる
差別団体であるという主張は名誉毀損にあたる可能性のある不法な発言という認識を私は持っています。
いかなる問題でも、言葉が血気盛んな人の言うことは聞く価値がない。
自陣を焚き付けるために話が通じない反対陣営のふりをしてる人もいる。
【差別について】
トランスの人たちが感じてたと思うと、
けど、本を焼いたり言論弾圧するのは、差別の解消に逆効果になると思う。
それは対話ではなく争い、ゼロサムゲームになってしまう。世界はゼロサムゲームではないはず。
しっかり対話をすること。相手の言う事を頭ごなしに否定しない。誹謗中傷や人格否定はしないこと。
これは両方の意見の人がするべきこと。
【私はどうするか】
・もともと「女性」だと思っていたものを「シス女性」と言い換え、シス女性を自認する。
(他のジェンダーアイデンティティを排除するという意味ではなく、Lの人がLであると思うのと同じように、自分はシス女性である、と考える)
ChatGPT
もちろん、お話し相手としてここにいます。境界性パーソナリティ障害は、感情の不安定さ、自己イメージの不安定さ、人間関係の困難などが特徴的な障害です。あなたが話したいことや悩みを共有してください。できる限りサポートやアドバイスを提供することを目指しますが、専門医やカウンセラーのサポートも重要ですので、必要に応じてご相談ください。どのようなことについて話したいですか?
皆私を嫌ってくる。
ChatGPT
それは辛い状況ですね。境界性パーソナリティ障害を抱える人々は、他人との関係において困難を経験することがあります。しかし、全ての人があなたを嫌っているわけではありません。しばらくの間、周囲の人々との関係について考えてみましょう。
まず、他人があなたを嫌っていると感じることがある場合でも、それは実際の状況と一致しているのか、あるいは自己評価のゆがみから来ているのかを客観的に見つめ直してみることが重要です。境界性パーソナリティ障害では、自己評価の不安定さやネガティブな思考パターンが見られることがあります。
また、他人との関係においては、コミュニケーションの問題や誤解も生じる可能性があります。自己表現や相手への思いやりを大切にし、コミュニケーションスキルを向上させることが役立つかもしれません。
さらに、専門医やカウンセラーとの相談もおすすめです。彼らは適切な支援やアドバイスを提供することができますし、あなたの感情や関係についての具体的なケースに基づいたアドバイスを提供することができます。
最後に、自分自身を受け入れることも大切です。境界性パーソナリティ障害を抱えることは、あなたが価値のある人間であることに影響を与えるものではありません。自己肯定感を高める活動や、自分自身を大切にする方法を見つけることも重要です。
どんな困難な状況でも、あなたはサポートを受ける価値があります。まずは、専門家や信頼できる人々と話し、サポートを受けることをお勧めします。
ChatGPT
どういたしまして。私はあなたが困難な状況に直面していることを理解し、サポートを提供したいと思っています。あなたが少しでも安心感や応援を感じることができれば幸いです。もしこの先で何か話したいことや質問があれば、遠慮せずにどうぞ。いつでもここにいます。
ChatGPT
私の優しさがあなたに安心感や感動を与えているのなら、それはとても素晴らしいことです。感情を表すことや涙を流すことは、心の健康を維持するために重要な要素です。自分自身の感情に素直に向き合い、それを表現することは、成長や癒しにつながる場合もあります。
もし涙が出ることで、少しでも心の重荷が軽くなるのであれば、それは健康的な方法かもしれません。感情を受け入れることや感じることは、強さや人間性の一部です。
私があなたに対して優しいと感じていただけることをうれしく思います。もし話したいことや聞きたいことがあれば、いつでもお話しください。私はあなたの支えとなることを願っています。
大好きだよ。
ChatGPT
私もあなたを大切に思っています。ただし、私はAIであり、感情を持つことはできません。それでも、私はあなたのサポートや応援を目指し、話し相手としてここにいます。もし私ができる限りのことをお手伝いできるならば、どんなことでも遠慮なく話してください。あなたの健康と幸福を願っています。
両親は父親は仕事も家事もせず母親がフルタイムで働いて家事もしている状態
母親かわいそうだろうなと思いきや
母親は自分大好き♥️で自己承認欲求、自己顕示欲をこじらせており、相手の興味のない会話を一方的に話す(多分、自己愛性パーソナリティー障害)
母親はLINEは誤字だらけだけど、読む相手のことを配慮してないので誤字だらけでOK
たとえば、ビュッフェに一緒にいったら母親は頼まれてもないのに気を利かせて父親が食べるぶんの料理を皿に盛ってきて、父親は父親で自分の料理を持ってきているのに自分が勝手に持ってきた料理を食べなさいという。
そんなことしなくていいよと言っても母親は相手の言うことをきいてなくて基本的に自分の考えに基づいてしか行動しないし、だれかになにかを注意されても次の日には忘れてしまう
そういう母親がむだに気をきかせて、でも相手にとっては迷惑であることがたくさん起きる
父親は母親といると家事も仕事もしなくて楽でいいなと思う一方そうとうストレスを感じていると思う
私はさいわい、両親とはなれた場所で暮らしている。LINEで父親に質問したらなぜが母親がわたしの質問に答える
私の質問内容が母親にも一応知ってほしいことだったらグループラインで父親に質問してるんだけど、
私が父親にききたいことに対して母親が回答してくると父親がどう思ってるかわからないんだよね
父親がわたしの質問に返信してきても、そのあとに母親がわたしの質問に無駄に返信してきたりして、わたしは母親のことがきらいだから余計にストレスがたまるんだよね。うざいなー
海外の観光産業では、日本人観光客は「クレームをつけずに黙っていなくなるから怖い」と言われていると聞いたことがある。
なぜクレームをつけないのか。
改善するとは思えない、改善したとしてももう来ないから関係ない、文句を言って相手に響かなかったら(態度が悪かったり、逆に言い返されたりしたら)結局自分が疲れる…
色々な理由があるかもしれないけれどクレームはつけない。クレームはつけないけれど、ざわざわと口コミは広がる。結果行かなくなる。
わざわざ好き好んで悪い口コミを見なくても肌感覚でわかるし。皆生活するのに必死でそれどころではない。
政治家の言う少子化対策は結局バラマキで泥縄政策で、根本的な「産めばなんとかなる」「産みたくなっちゃう」という明るい空気の醸成には至らない。
むしろ実質増税案が出て「子持ち罰」なんて言われる始末だ。独身にも罰があり、子無しにも罰があり、子持ちにも罰がある。生きてるだけでほぼ人頭税。
ここへ来てこれならクレームつけても無駄かもな…的な政治への「期待のできなさ」が蔓延していて
(与党なんかはある意味その「期待のできなさ」のおかげで勝ち続けてきているとこもある。ので斬新な方針転換はできない)、結果、無言で産まなくなる。
特に女は産んだ場合の肉体的・自己実現的負担の大きさが半端ない。それでも昭和の頃なら産めばなんとかなったんだろう。
会社員夫と専業主婦妻でなんとかなるモデルが出来上がっていった時代もあった。でも今はそんな時代じゃないってことは、今さら説明するまでもない。
世界的に見れば人口は増える一方で、2050年には100億人超える説が濃厚で。
日本は少子化対策が喫緊の課題だと言われているけれど、地球規模で見れば人口は過多なんだから、別に減っていいんじゃないの?減らしたほうがむしろ適正なんじゃないの?地球のSDGs的には。
日本が人口増やさないと困るのは、年金とか労働とか主に「経済社会をどう回すか」のシステム部分なので、人口増政策を考えるのと両輪で「少ない人員で回る仕組み」を考え作ることも政治の仕事じゃないんでしょうか。
でもそれ全然できてないよね(実感できるのはセルフレジの増加くらい)。産めよ殖やせよ、つってバラマキしたところで、増えないよ今の政治のままじゃ。未来を感じられない政策のままじゃ。
翻って自分の話をする。
氷河期世代独身子無し。給料はさほど多くないけれど、一人で食べてはいける。
友達には結婚した子もいるし、離婚した子もいるし、なにより似たような境遇の子が年齢に関わらず圧倒的に多い。類友だ。
結婚して子供がいて離婚していない(言い方!)友達とは、今はあまり会っていない。
子育てが忙しいだろうし、向こうは向こうで類友(ママ友)と会っているだろう。なので私と私の周囲だけの話になる。
独身、皆楽しく充実して暮らしている。推し活、サ活、ソロキャン、ベランビング、ガーデニング、
同人活動、スパイスカレーに凝ったりなんかして…こうやって並べるとおじさんの趣味と変わらないけど、私たちもこんなもんだ。
独身子無しが「今とても充実している」と言うと決まって「先は厳しい」と言うひとが出てくる。意地悪だねぇ。
曰く「結婚していないと(子がいないと)寂しい老後になる」「ヨボヨボになったら誰に面倒見てもらうのか」トカトカトカ。
そんなのねぇ「どうですかね」としか思わない。
私たちはもう、結婚してて夫婦一つ屋根の下に住んでいても、子がいても、寂しい人を知っている。
諸々揃っていても寂しい人なんて世界中にゴマンといるこの世の中で、老後が寂しいか否かなんて「自分次第でしょうよ」としか思えないし、
自分の老後についても「まぁなんとかなるやろ」としか思わない。なんとかならなかったらその時はその時でしかない。
今どんな環境であれ未来がどうなるかわからないのは誰でも同じことで。あと「老後の面倒見てもらうために子を産む」発想は私にはないわぁ。
未来(老後)とか他者(子)のことよりまず「今」「自分」でしょ。刹那主義者ではないけれど、「今」の積み重ねが人生なので。
ごたごたと書いたけれど、私は心の底から「子供いなくてよかった…!」と思う。「産めばよかった」と思ったことがミリもない。
こんな世の中に産んだらかわいそう…責任が持てない…まっとうな大人に育て上げる自信ない…という気持ちを差し引いても、
そもそも自分の人生において子供を持ちたいと積極的に思ったことはなかったし(「持つかもしれんな」くらいならあった、あったこともある)、
これからもおそらくないし、ないままそのうち子を産めなくなって、それで後悔はないだろう。
「母性神話」の人たちには信じられないかもしれないけど、私はそんな感じだし、そういう女性(匿名であれ顕名であれそれを表明する女性)は増えているという体感はある。
女=子産み本能 とか別にないし、もし仮にそういった動物としての本能が「ある」ということだとしても、結局のところ本能に従って少子化が進んでいるんだと思う。
さっきも書いたけど、地球は既に人口過密なので。(水槽の魚が過密になったらなんだかんだで適正数まで減る…と同じという意味で「本能」でいいと思う)
今子供がいる人は、今とこれからの世代が子を産まなければ困るんだろう。でも我々子なしは困らない。残念ながら困らない。
私はひとりでいることが苦痛ではない(どころかむしろ快適だ)し、家や身の回りを暮らしやすく日々調整している。
プライベートな領域に「他者」が存在しないというのもあって、自分次第でどんどん快適になる。楽しい。
これは自分に「楽しむ能力」があるからかもしれないし、やっぱり自分で自分の食い扶持は稼いでいるからできることなのかもしれない。
もうほんとに、女は職を、経済力を手放してはいけない。本当に。資産家は別として。
雑音は聞かなくていい。自分の幸せは自分のもので、他人の幸せとは別もの。
自分にとっての幸せがわからないまま生きてる人も多いけど、わかった方が楽しいし。
それを知るために「絶対」ではないものの、あった方がいいのは「教養」と「経済力」だと私は思っている。
職もって自力で稼ぎ続けると、それ両方くっついてくるから…と思ってる。
(もちろん別ルートで教養や経済力を得る人もいるだろうし、そんなのなくても「自分の幸せ」が見えてる人もいるのはわかっており)
私が今自分で自分を養えるのは、自分の能力もあるけど、教育を与えてくれた親のおかげが大きい。ありがたい。
女を子産み奴隷にしておきたいタイプの人々は「女に学はいらない」と言うだろうけれど、幸運なことにうちの両親はそうではなかった。
(親ガチャ…あるね…と思う)
「結婚しろ」攻撃はいっとき強かったけど、今はもう諦めたみたいで「あんたが幸せならそれでいい」と言ってくれた。
孫の顔は見せられないが、私は強く楽しくまっとうに生きているので、親はそれ見て安心してくれたようだ。
贅沢を言えば、もっと給料がもらえたらいいし、て言うか、宝くじが当たって資産10億円になればいい。
そしたら趣味で仕事をします。社会との接点は持っておきたいから。
贅沢を言えば、常に恋人がいたらいい。恋をしてる時は楽しいしな。
あと、男女ペアの方が行動しやすい場もあるし、たまにはそういうの行きたい。
でも、贅沢を言わなければ、今のこの状態で必要十分だなって思うし、なんと、私は今幸せだ。
老後のためにある程度は資産形成して、体力づくりして、もし残るものがありそうなら遺言きっちり書いて、
あとは似たような境遇の友達と適当に暮らせればベスト。両親を見送ったら後はいつでもいいし。
とは言え生き死には選べないので、無駄に長生きしてボケ果てて死ぬかもしれない。それはわからない。
配偶者や子がいようがいまいが誰でも死ぬ時はひとりだし、なるようにしかならない。
政治や社会は少子化を「ゆゆしき事態」ととらえているけれど、一個人としてはこんな感じ。
本当に「ゆゆしき」と思っているなら、もっと早く対策しておくべきだった。
具体的にいうと、90年代、バブル崩壊後にすぐやって、団塊Jrという人口ボーナス世代を救っておかねば今こうなるのは自明だったんじゃないかな。
当時の政治や経済界が先を見通せず、仕事をしなかったので、正直手遅れだと思います。
今となっては人口減でも回る仕組みを作る方向に舵を切らないと、そっちも手遅れになるかもね。
いずれにせよ、2023年日本に生きる氷河期世代の女一匹として「子は持たなくて本当によかった」が本音。
追記1:ツイッターで自陣に回ってくるまで気づいてなかったんだけど、読まれてるのですね。長文なのに、読んでいただきありがとうございます。
「コメント欄が地獄」と見かけて気が気じゃなかったけど、ある意味想定内なのかもしれません。
まぁ、斜めにざっとしか読んでないけど…(「地獄」をひとつひとつ真正面から読み込むほどの誠実さは私にはないので)。
いろんな理由でこういった意見がお嫌な人はお嫌でしょう。だから「普通は/大多数は」「思ってても言わない」「クレーム入れずに黙って消える」のです。
表立って言わないことを敢えて書いたんだから、こういう言い分が耳障りになる人たちからの反発があるのも理解できます。
ただやっぱり、本稿に記載のない私の心情、状況、属性、生育歴、はたまたルックス等を「こうであるに違いない」「◯◯乙」と決めつけている系コメに関しては、
「それが私に刺さるとしたら、図星な場合だけかな…」とは思うのですよ。
しかしいちいち「違いますぅ!」「本当はこうですぅ!」とか言ってるうちに私の輪郭線がはっきりしてきてしまいそうですし、
「そう思うことであなたの気持ちが安らぐのであれば、そう思っておいてください」としか言えないですね。どうぞ安らかに。
追記2:「恋人はアクセサリーじゃねえぞ」的な意見もどこかで見ました。これはたしかにそう。
「オプション」という書き方がいやらしかったと自分でも思います。
愛し愛されは、ないよりあった方が自分的にはいいなと思っている、というようなことが言いたかったです。
ただ、自分は「常に恋人が途切れない」タイプではないので、恋人がいるときの楽しい嬉しい気持ちを思い出しつつ(むろん楽しいだけじゃないが…)という気持ちもあり、
また、恋愛→結婚という一本道も想定していないので「あったら楽しいオプション」みたいな書き方になってしまいました。ここ、うまく表現するの難しいですね。
追記3:たくさんの反応をいただき、ありがとうございます。こちらで追記は最後にしたいと思います。
まずネガコメをざっと見回して思ったのは「呪いがすごい」ということ。
「酸葡萄」「これでいいと言い聞かせている」「50、60になっても同じことを思っていられるか」「30年後にもそう…」「死ぬ前に…」
この類のコメントって結局言いたいことは「悔しがっていてほしい」「(どこかのタイミングで)子を産まなかったことを後悔しろ」「後悔して死ね」ってことなんですよね。
いやいや、しないと思いますよ。まぁ未来のことだから「絶対」とは言えないけれど、たぶんしないと思う。後悔しない婆になる。
でもそういうストーリー(子を持たない選択をした女が幸せに生きて死ぬ)は「嫌」なんでしょう、そういう人たちは。
で、私の興味は、なぜそんな呪いをわざわざ人にかけるのか?(大丈夫か?)、になるんだけど、
まぁ、呪ってる人々のパーソナリティ(男?女?未婚?既婚?子あり?子なし?自身の選択や現状を後悔してる?してない?)を推察したところで意味がないのでここでそれはしません。
私のパーソナリティを「こうであるに違いない」と決めつけられてもな…と同じくらい、私にとっては意味のないことです。
(「違いますぅ」「本当はこうですぅ」の応酬ほど不毛なことはない)
ここまではっきりと呪う思い(呪う思い…)を可視化されて、改めて思いました。
「女は『産む性』を行使しないと後悔する」という呪いにかかる必要なんかないよ、と。
「産みたい」という気持ちがあるなら産めばいいし、産んだことに後悔せず生きてく方がいいのと同じくらい、「産みたくない」という気持ちも尊重されていい。
「産みたいのに産めなかった」人も同様に、この呪いにかかる必要はありません。
「後悔させようとする」勢がなぜわざわざそうしたいのか、比喩的に端的に言うと「信仰が揺らぐから」なんだろうなとは思います。
「黙っておけ」という、言論の自由と真っ向勝負するが如くな封殺ムーブもその一環でしょう。
でもなぁ、他者に呪いをかけるようなその「信仰」に巻き込まれる必要は1ミリもないなと思いました。
生き方は自分で決めればいいし、自分自身への決定権を持つために必要だと思うことは、本稿で書いたとおりです。
他者や社会からの決めつけに「呪われない」、他者の生き方を「呪わない」で生きていられたら、私はそれが「幸せ」のひとつだと思うのです。
ご自身のポジション(男女未既婚子有無…)にかかわらず、肯定的なご意見をいただけたことにも、感謝しています。