はてなキーワード: うごとは
ゴドフロワーッス
本日は世界都市計画の日、日本ではボイラーデー、いい歯の日、刃物の日です。
歯って大事ですね、まぁ今では詰め物したりインプラントしたりラッパーだったら敢えて金歯作ったりして色々やってるみたいですけど。
それでも食事の楽しみ方が変わってしまうのはいただけませんね、私が人生においての楽しみが食事ぐらいしかないと思い込んでるところもあるのでしょうけれど
まぁ老いていけばいくほどに感覚は衰えていくのですけどね、それでも少しの手間で防げたかもしれないのなら‥.と思わなくもないです。
「BE:FIRSTが大嫌いになりました!」V6ファン、Twitterの“タグ”に「バカにしないで」と不快感あらわのワケ
https://www.cyzowoman.com/2021/11/post_365644_1.html
「音楽チャート・Billboard JAPANのサイトで発表されるランキングでは、Twitterのツイート回数などのデータも順位に反映されるといいます。BE:FIRSTファンはTwitterを通してグループを宣伝しつつ、Billboardにもランクインしようと意気込んでいたのでしょう。そんな中、『Gifted.』のMVが解禁となる11月1日は、V6が解散する日でもあるため、一部ファンは『Twitterのトレンドに乗せるよりも、ここは配慮してMVの再生に注力したい』『V6さんにトレンドを埋めていただきたい』と発信。V6のためにBE:FIRSTに関する投稿は控えようと呼びかけたんです」(ジャニーズに詳しい記者)
その後、11月7日頃になって、あるTwitterユーザーがBE:FIRSTファン(BESTY)へ“お礼”をしようと投稿。V6の解散日にツイートを控えてくれたことへの感謝とともに「#V姉さんより感謝を込めて」とのタグをつけたところ、リツイート数は3,000件を超えた。
これをきっかけに、一部V6ファンが「V6最後の日へのお心遣いに泣いた。お礼に『Gifted.』もダウンロードしました! #V姉さんより感謝を込めて」「BESTYさん配慮いただきありがとうございます。デビューおめでとうございます。#V姉さんより感謝を込めて」「V6とV6ファンのためにご配慮いただきありがとうございました。BE:FIRSTデビューおめでとうございます #V姉さんより感謝を込めて」と投稿する動きが見られたが、ほとんどのV6ファンは困惑していたようだ。
「そもそも、V6ファンの間で『V姉さん』なる呼び名は浸透してないので、反発の声が上がったんです。『V姉さん、って何? 勝手にタグ芸するのはいいけど、巻き込まないで』『#V姉さんより感謝を込めて、ってタグ、気持ち悪い。V6ファンがいいように使われてる。バカにしないで』『タグ芸によって、「V姉さん」とかいうワケのわからない架空のファンネームが広まったのがしんどい』など、ネット上では不快感をあらわにするコメントが続出しています。なお、『#V姉さんより感謝を込めて』タグの発起人はV6ファンかと思われていましたが、アカウントを削除したようで、10日時点で『このアカウントは存在しません』と表示されてしまいます。おそらくBE:FIRSTファンが、“ツイート数稼ぎ”のためにV6ファンになりすましたのでしょう」(同)
「BE:FIRSTが大嫌いになりました!」と怒りあらわ
Twitterのツイート回数はBillboardのランキングに反映されることから、「V6ファンに恩を売って、BE:FIRSTのことをツイートさせようとしたってことね。Billboard対策か! BE:FIRSTが大嫌いになりました!」「“お礼”と称してビルボ対策でタグ芸してきたのか。そのためにV姉さんなんて名前まで作らないで」と、“からくり”を推測し、怒りをあらわにするファンも見られる。
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/echo-news.red/Japan/Nitos-hatred-driven-67-reports-tremble-by-heart
・日報ならこんなもんでは。全員にPC支給とかできないだろうし。
・なぜ複数人で書いてたらダメ感出してるのか知らないが、前例に倣って作文したらこんな感じになるんじゃねーの。何でこんな拙い作文で通るのかといえば、行政的には上3項目が有れば足りるからでは。
・企業なら有り得ないだろうがNPOかつ毎日の日誌系ならどこもこんなもん。年度末にだす全体報告書がこれだと流石に呆れるが。この手の支援事業は儲からないから委託の受け皿が少なくなりがちで行政も選ぶ余地がない
・ こう言う重箱の隅突かれるのは今までの言動で敵を作っただけだから自業自得。ただ、指摘する側も彼女の活動を評価するとこはちゃんと評価しなければしっぺ返しに会うよ。
・こういう確認しようのないものより会計の数字とかを見た方がいいと思う。
・ わからんけど、屋外でクリップボードみたいな安定しないものの上に紙を置いてその場でペン書きしてれば字も覚束ないものになるとは思った。
・これを見る限り活動自体は熱心だと思うが税金を貰うには値しないって感想。Colaboは莫大な寄付も貰えてるのでそれで活動していただいて、税金しゃぶるのをやめたら暇空茜に指摘されるような隙もなくなるし良いのでは?
私はこのくらいの温度感。
・これで都は成果物として受け取ってるの?本当に?と疑問視したくなる内容。国自治体問わず仕事で役所と付き合ったことある人は似たような感想になるんじゃないかな
・自治体相手の報告でこんな雑なのが通るわけないので通るように都議から職員に圧力かかってるんだろうな
・おれんときは自治体のチェックすごい厳しかったんだよ。1円未満は切り下げだの切り上げだのってレベルで。だからこれで金がもらえるってことは都もグルなんだろという感想になってる
・「買春者が40〜50人位」「スカウトが200人」どうやって数えたんだろうか?そっちの数は数えられるのに何で肝心のカフェに来た女の子の数は数えられないんだろうか?
・スカウトは判断つきそうだが売春者って判断基準が難しくない?
・買春者が50人ぐらいいる、ってあんまり想像できないんだが。立ちんぼが30人ぐらいはいないと需要と供給が成り立たないのでは? 都会にはそんな場所があるの????
・もし数人が分業で書いているとすると、その全てに売春者への言及があるあたり、組織内で日常的に売春関係者への憎悪を組織内で語り合っているのだろうと感じる。精神的に健全な環境には到底なり得ない気がするよ。
・ブコメにもあるけど、若い女が繁華街歩くだけで売春を誘う男がわらわら寄ってくるんだよ。存在知らずに生きてこれるのうらやましいくらいだ
・繁華街苦手な芋っぽい私でも20代の頃は売春のお誘いがそれなりにあったから、20歳前後のギャル系の子は、そりゃあ、たかられるでしょうな。保護活動の苛立ちがその手の男達に向いたとしても、それは仕方ないのでは。
・熱心に活動しているんだなと好印象が強まった。手書きだの平仮名だのはみ出しているだのむしろ現場優先で活動している証では。
・ 逆に現地で本当に活動してる証左だなと思った。これを事務所に戻ってPC立ち上げてWordで打ち込んで印刷?深夜まで活動した後に?そんなことする暇あったら他の活動したいだろう。
T1といえばもちろんご存知Faker!LoLの生ける伝説!LoLそのもの!
近年はチームの成績も自身のパフォーマンスも振るわずもはや全盛期は過ぎたとの声もあった中
今年はここまで素晴らしいパフォーマンスを見せて6年ぶりの決勝の舞台にたどり着いた!
対するDRXの注目はなんといってもDeft!
Fakerとは同学年でプロの同期、そしてなんと同じ高校の同級生!
日焼けした肌を手でなでるとピリピリするのと同じ感じ
じんましんとかしっしんとかみたいな見た目の変化もない
週初めは手の甲とか親指と一刺し指の間の股の部分だけだったけど、だんだん左腕のおもて面ぜんたいに広がってきた
あと左の脇もさわるとピリピリ感と違和感がある
いろいろぐぐって片腕がうごかないとかだったら脳梗塞とからしーけど、
なんかどうも適応障害っぽいきがすんだよなー
神経がばぐってる感じのやつ
きのう祝日だったけど丸一日ほんとに寝ててトイレでおきる以外なにも食べ中ttあくらいだし
からだふいたりボディソープをからだになすりつけてごまかしてる
まじでしごとのためにいきてるかんじでほんとしにてえわ
いがいと体も敏感に症状だしてくれてんだよな
思い込みだけじゃなくて
人間は、どうして一日に三度々々ごはんを食べるのだろう、実にみな厳粛な顔をして食べている、これも一種の儀式のようなもので、家族が日に三度々々、時刻をきめて薄暗い一部屋に集り、お膳を順序正しく並べ、食べたくなくても無言でごはんを噛みながら、うつむき、家中にうごめいている霊たちに祈るためのものかも知れない、とさえ考えた事があるくらいでした。
生きてる意味が あるとかないとか結構ながいこと言われててその時々の解釈が変わってはいても結局「意味はある」みたいな事になってるよね
実際体感として意味あるのかって考えたら「無い」って現実とのギャップに真理を探求してみるけどふつうにしんどいからやめちゃったりもするよね
まず最初に「生きる意味」なんだけどこれは表現的には形容で行程的には「道具」に位置する部分なんじゃないかな
意味が「ある」から「そのために」生きるという文章になるとまるで意味というのが最終地点に存在する目的かのようだけど実際は道具
出発地点から目的地があってそこに行程があるんだけどその到達までの経過に必要なのが本人と道具と燃料 その燃料や道具の部分が意味なんだよね
意味があるからないから 何々をするわけであって 意味のために何々をするではないよね
そこで目的がないから意味自体の意味 燃料や道具を使う必要性がなくなって 結局人生って何なのだって話なのだけど その道具や行程からして見れば生きるってことは容器みたいなもの
範囲であったり状態であったり行程そのものが「生きる」ってことなので いまはただ生きてるだけなんだよね
生きようとして頑張ってるわけでもないし 死のうとしてるわけでもない ほっときゃ生きてる状態が今
なんにもしないと死ぬわけだけど 死にたくないから生きてる 食べたり寝たりしてる それをやめたら生きてなくない状態になっちゃうからね いわゆる死んじゃう
生きてる中が中空でがらんどうだから何いれてもいいわけ それが生きるってことだね
私たちには生きるしか選択肢が与えられていないし 生きる事しかできないから生きてるだけ
選択しなくなったり行動しなくなったりすれば生きていない状態にはなるかな
食べる意味とか寝る意味とか歩く意味とか歩かない意味とか今日も一日お部屋からでない意味だってみんな生きる意味になっちゃってる
人生ってそのからっぽの容器にいろんなものを入れていくと せっかく入れたのだから出したくない 入れたはいいけど出す先がない とか基本プレイ無料のゲームで始めたのに溜まってきたアイテムがもったいなくて課金しちゃう感じ
最初はみんなゼロだったんだよ 無くしたとしても というか貰ったり借りたりしたものしか中にはいってない 生きようが死のうが別になんの問題もないし価値もない
じゃあなんで生きたり集めたりするんだって話だよね 生きてるっていいなとか大事だなとか思っちゃうんだろうなって話だよね
それは瓶にいれた粉をとんとんしたら目の粗いものは上に偏ったり細かいものは下にいったりするのと同じ 物理法則みたいなものなんだ
たった一つの何かだと何かのままだけど 二つになると関係性がうまれてくる 親だったり友だったり双子だったり相対だったりいろんな風に言えるよね
それが三つだったら 四つだったら どんな定義になるんだろう それはもう秒単位でかわるよね 幾千幾万の関係性が常にうごいてる 動いてる量は熱で測れるよね
何ワットだったり何度だったり何キログラムだったり何キロメートルだったり 何時間だったり 誰々だったり そういう単位なんだ
きみの人生 というのは このビーカーの100ml という表現とベクトルは同じ そのビーカーの100mlとかどのビーカーの100mlとか かつてビーカーだったものの100mlとか
AさんBさんの人生とか 巨匠の人生とか 貧しい人の人生とか そういう単位 そこに砂や小石をひろっていれましょうって話なんだ
場所や状況や条件で入れる砂とか小石は種類が異なるし量も質もかわってくるかもしれない でもかならずみんな100mlなんだ
詰まっていてもスカスカでも軽くても重厚でも1秒を100秒で過ごしたり0.5秒だったという人はいない
そこに絶望だけが詰まっていて1年間だけとか 30年も繰り返してきてこうなったとかこんな程度でしかなかったとかもある じゃあ量が違うんじゃないかって気になるよね
でも同じなんだ 年とか量とかでくらべると違うっておもうから違うわけで 一生っていう一個の単位 命だったものとして単位をつけたら 一個だよね
それが濃ゆいとか重いとか大切とか小さいとか軽いとか またほかの人の人生の行程の中でそれを入れていく これはもうただの動作なんだよね
人生に意味とか重さとか言うのは 100mlって重いの?軽いの?貴重なの?意味は?って事と同じじゃないかな
そういうものなんだと思うよ
生きていたことが他の人の人生という入れ物の中に入っていく限り その連鎖はとまらない
土や水や木とか いろんな生き物とか物質とかが変化したり移動したりしていくうちに近いものや仲間 それを取り込むものなんかが出てくる
関係性が増えたり変化したりするんだね
人間に限って言えば もしそんな生き方をしたらどんな人生になるのか という経験値をためていくために生きて増えるんだね
たくさん増えてたくさんの選択肢からたくさんのサンプルがそれぞれ個別に違うことを経験していくんだ
その中からつづけて変化を継続させたいものが同種を産んで増えてさらにいろんなパターンをあつめてく
じゃあその先になにがあるのとか どうしてそんなしくみになったの っていうのはわからない なんかそういう仕組みなんだ
その根本的原因を探ってもいいし きにせずなにか目先のことにとらわれてもいい
もちろんなんにもしなくても なんにもしないっていう他の人にはない独自の行程がたまっていくからね
人間のつくった人間社会の対価をもって交換するシステムでいえば 食べて寝るだけのなんにもしてない人生には意味がないとかいわれるかもしれない
それは社会が独自の目的と独自の動作をもっているからね 人間の社会ではそれが定義されていないから 未定義のそれには名前がないということを意味がないと言われる
社会になにか求めるのであれば社会的なことをするといいかもしれないね
生物的になら 自分の生命の意味とか価値を大自然に問うてもいいかもしれない キャンプとか旅とかそんなものを使ったりできる
運命について意味があるのかないのかなら 宇宙の根源とかなぜ物質は変化するのかとか ビッグバンの前は物質は1だったのかとか考えてもいい
とりあえずはなんかぼーっとしてたいけどやばいきもするからグダーってしてるのをシャキっとしてパッとした人生に意味がほしいとか思うなら とりあえずはなんか音がうるさい所に出かけてお金をつかえばいいと思う
社会の中ではお金がないとなんにもできないのでなにするにもお金 でも仕事もしたくないしできないしお金がないから意味がないんじゃないか と思うのならばその社会の範疇にないものなら社会が必要とするお金がなくてもいいよね
機微な人間関係とか自然や物質的なものは 社会の範囲は権利か損害かしか定義してない
パトロンを探すとか深い関係性でかせいだお金を使わせてくれる人をさがしてもいいし おちてるもので取得してもいいものを価値あるものとして社会に流し込むみたいな商売してもいいし 加工技術をもってその成果を売ってもいいんじゃないかな
人に迷惑かけなければ社会の仕組みにしばられていきていく必要もないからね 実際社会の範囲内でも縛られてない生き方を最大限発揮してる人はいるんじゃないかな
生きるってことはその空きスペースである人生の中になにか入れていくものだ って話なんだけど そんなの意味なくねってやっぱり思うよね
それは自分がすることについて自分がみても 自分がどうしてそういうことをすることになってしまったのかわからないし わからないことをわかろうとしたり意味をつけようとしても わかんないよね
自分とは何なのか 自分はだれなのかとか意味はとか考えても 自分はわかんない 自分の目から見えて自分で考えられるのは自分の視野にはいる部分だけなんだから 自分を形作ろうとする手段とか材料しか見えないんだよね
ビーカーを入れるビーカーはあっても それはそのビーカー自身じゃないし ビーカー自身は自分のことをビーカーとはいわない
場所や用途によってはジョッキやグラス 植木鉢やえんぴつたてと言われてるかもしれないし そういうものだとしてあるかもしれない じゃあビーカーがビーカーだと言っているのは本人だけで その場のみんなはそうは呼んでないわけだよね
ビーカーはえんぴつたてだ グラスだ 植木鉢だ って「意味」を持たせてるのは 関係性をもった自身以外のだれかや何かだよね
意味っていうのは 自分で自分にもてるものじゃないんだ 他の人の中につくられるものなんだ
長い箸の使い方が天国と地獄で違うって話があるんだけど 天国ではすんごい長いお箸でご飯を食べろといわれて自分の口には入らないから他の人にあげて その人から自分はご飯をもらうんだ
地獄では自分でたべようとしてうまく口にもってこれないから誰も食べれないって話
自分が自分で自分に意味をもって自分を自分で生かせたら 別にこの世に存在しなくてもいいんだよね つまり存在しなくていいから 存在してない
この世にある物はあるものとして確認できて触れて移動できてなにかしらの関係性を築ける ただ存在するだけでも存在するだけという意味をなしてる
存在するものが存在するということを「意味」といってるだけなんだけどね
存在しないものが存在する世界に1点でもあったら そこに存在するものが接触したら存在しなくなっちゃうよね どんどん吸い込まれて無になっちゃう そうはならんやろ
この世が存在するためにどんな端々の小さな粒ひとつでも 存在させるために存在してる
何か反応が返ってくるところにいて 反応が返ってくるというだけでもかなり大きな意味を示して実感するとおもうんだ
それが君の道具であり燃料であり理由であり意味なんじゃないかな
他の人と比べて何々 みたいなことも思っちゃうだろうけど 計測基準の差だよ 仕事してようがしていまいが 遊んでいようがいまいが 比べて勝ち負けを示したいなら示そうが示すまいが とりあえずそこが無でないならそういうものだと思うよ
そういう意味を踏まえて 本当に無が存在したら めっちゃ怖いよね
意味のない人生という人なのか時間なのか現象なのか存在なのかわからない黒い一点に触れたらみんな消えちゃうの
こわくない?
こんなにパパママに熱望されて産まれてきたお子さん、世界一の幸せ者でしょう。
両親は人生経験があるぶん、私に沢山のことを教えてくれました。母は周りの若いママが羨ましかったらしいですが、私は母が自慢でした。知識と経験があって、他人の悲しさや悔しさを心から理解して寄り添ってくれる母が。
なんか最近増えてない?
先日とある記事がバズって、多くの人がその記事に触れたと思うんだけど、
そこに「学習障害の一種じゃない?」ってコメントがついててそこそこ星を集めていることに仰天してしまった。
ツイッターでも同様の指摘を含んだツイートが千何百とRTされていたのを確認している。
これは一体どういうことなの?
いや、なんらかの障害や発達過程の差異をポジティブに捉えようという向きが近年確かにあって、
記事の人の突出した才能を賞賛したいという思いからそういう風に言ったんだということはわかるよ。
当事者やその家族らの苦悩は分からないから決して軽はずみなことは言えないけれど、障害を個性とする考え方にももちろん賛同できる。
また障害が才や個性の有無でジャッジされることなく、ありのままを受け入れる社会と自分でありたいとも思う。
でも障害をポジティブに捉えることと他人が他人の断片的な情報だけを見てラベリングすることの間には大きな隔たりがないか?
と思うんだよね。医者でもなければ家族でもない、その人にとって誰でもない人間が無邪気に判断していいことじゃない。
ていうか医者が診察もなしにネットの記事だけ読んで「この人は〇〇の傾向がありますね」って言ってたら絶対信用しないほうがいい。ヤブだから。
また、たとえ障害をもつ当事者やその家族が記事の読み手に大いに共感して共属意識を持ったのだとしても、
赤の他人をいきなり「学習障害の一種だと思う」なんて言っていいのか?
発達障害とかって、複数の専門職がカウンセリングや問診を重ねて慎重に診断を下すものじゃないの?
それを本人が意図しない場所でなんの資格も専門知識もない人間が勝手にやっていいの?
対戦ゲームや掲示板で悪しざまに疾病や障害を罵る行為は論外だけど、
知りもしない他人を一方的にラベリングする行為も同じくらい野蛮で無神経であるということを肝に銘じておかないといけないと思う。
さまざまなご意見を頂きありがとうございました。私自身、思い至らなかったことも多々あり反省しきりです。
他者のアドバイスが実際に早期治療に繋がったであるとか、事者本人が自らの特性に気づいたことで日常生活にゆとりができた、というケースが
また当事者やごく近しい人が障害についてなんらかの困難感を抱えており、他者からのアドバイスを切実に求めているといるといった場合であれば
医療機関の受診を勧めることも重要でしょう。そのご指摘に関しては全く異論がありません。
障害の認知が進むことで相互理解が生まれるといったメリットについても僅かではありますが本文で触れたつもりです。
私が疑問に思っているのは、記事の趣旨と全く関係のないところで近しい人でもなんでもない他人が一方的に「診断」を下すのはどうかという一点だけです。
よく知りもしない相手の断片的な情報だけを拾って「この人はこういう特性があるから、こうなんじゃないか」と心中で粗雑に紐づけてしまうことはあっても、
それを名指しで公に晒すことに違和感を覚えるというそれだけの主張です。
海外の作品をろくに見もせずに露骨に見下し、都合の悪い情報から目を瞑って被害者を気取ってクールジャパンの妄想で自慰行為にふけるのはライオン・キングやアトランティスの頃からずっとそうだよ
里中:私は「大変、似通ってはいるが、これは偶然の一致かもしれません」とまで言いました。後から「ジャングル大帝」を読んで、「ライオンキング」の真似だと思った子供が、アメリカにいたのです。これだけは避けなければいけないと思いました。
「手塚治虫なんて知らない。「ジャングル大帝」なんて見たことない」ということを、撤回していただきたい。当然、アニメに携わる人だったら、全米で放映された作品は知っているはずで、敬意を表するくらい言ってほしいということだったのです。
だから、「こういう文面でディズニープロにもの申したいのですが、手塚プロの方はどうですか」と、松谷さんにお伺いしました。「手塚プロとしては、そういうことはできない」というご返事でした。
ただ、このまま放っておくと、ファンから、「手塚プロは何をやっている、抗議しないのか」という声がすごく出てきているので、個人として行動したのです。
http://nippon.zaidan.info/seikabutsu/2001/00082/contents/00003.htm
ってな感じで手塚治虫なんて知らないととぼけているディズニーを許すなって言説が長年続いているわけなんですが、実はディズニー側がキチンと回答してるって事実はあまり知られてないんだよな
手塚眞:これは実はテレビで放送されていた『ジャングル大帝』のイメージです。本当の原作、手塚治虫の漫画には似たような場面はほとんどありません。嘘だと想うならぜひ漫画を読み返してみてください。つまり真似だと言われている部分は、テレビ番組の一部なのです。
その演出は手塚治虫本人ではなく、山本暎一さんという当時の虫プロの監督のものです。ですから本来は山本監督が訴えるべきなのです。しかし山本さんご本人は「いいよ、気にしないよ」とおっしゃっていたので、それ以上の話の発展はありません。
この騒動はどのように収束したかと言えば、里中満智子さんが日本の漫画家の代表として、ディズニー・プロに手紙を出しました。「真似をしたのですか?」と彼女は問いただしました。ディズニー側からはていねいな返事が届き、
そこには自分たちは決して真似をしたつもりではないが、手塚治虫さんの業績についてはよく知っているし敬意を表している、といったことが書かれてありました。それを公的な場所でも言ってほしかった。
そもそもこのネタを振りかざすのはエセ著作権でだってことをもっと自覚するべきなんだよな
ディズニー社は、確かに権利侵害に対して毅然とした対応を取る傾向がある。しかし、それは相手が確実に権利侵害をしていた場合の話である。小さな罪でも「黒」は見逃さないという意味での厳しさだ。
(中略)一方、作品の設定が少々似ているだけというような合法行為に対して、エセ著作権を振りかざすことはほとんどしていないのではないか(少なくとも表立っては聞かれない)。
(中略)正確な知識を身に付けることなく、「著作権は大事」「特にディズニーは厳しい」という思い込みだけを強め、その結果、合法な表現行為まで過剰に自粛してしまっているのだ。
もちろん、自己判断で自粛するのは勝手だ。だが同じレベルの自制を『ライオン・キング』に求めるというなら逆恨みも甚だしい。「こちらはここまで自粛しているんだから、自粛をさせたお前も自重しろ」と言っているのと同じである。
ディズニー社からしたら、お前が勝手にした自粛に、何故付き合わなきゃならんのだ、といったところだろう。
──有利昴著 エセ著作権事件簿: 著作権ヤクザ・パクられ妄想・著作権厨・トレパク冤罪 (過剰権利主張ケーススタディーズ) p68~69より引用
明け方、自宅で陣痛らしきものを感じ始めた時、寝ている夫を起こしてその旨を伝えたところ「えっ、ぼ僕はどうしたらいい?」と発言後、すこしだけ慌てた様子を見せたと思いきやそのまま二度寝をしていた。
陣痛がきたらやることリストを既に渡していたのになんて頼りない人なんだろう、とほんのり絶望しながら、入院の準備を一人で進めた。
その後陣痛が本格的に痛くなってきた頃、私のうめき声に気づいた夫が危機感を抱いたのか起きてきて準備を始めてくれた。
コロナ禍での諸々の制限のため、病院まで送ってもらったものの玄関前で夫とはお別れをした。
私は無痛分娩を選択していたのだが「無痛」といえど全く陣痛を経験しないわけではなく、ある程度身体の準備が進んでから麻酔を入れることになっていたため陣痛室で2〜3時間ほど痛みに耐えた。
子宮口が少し開いてきた頃ようやく処置室に移動し背中に管を入れ麻酔を注射(点滴?)した。
数分後にはそれまで感じていた規則的なお腹の痛みは嘘のようになくなり、下半身に保冷剤を当てられても冷たさを感じることさえできなくなった。
併せて、お腹にバルーンを入れたり、陣痛促進剤を打つなどしてお産を進める準備をした。
処置後再び陣痛室に戻り、軽い食事を摂ったり、持参したおやつを食べたり、スマホをいじったり、仮眠をとったりしていた。
麻酔が切れてくると痛みで何もできずうめき声をあげるだけの存在になってしまうので、度々ナースコールをして麻酔を追加してもらった。
途中からポンプを繋いで自動的に麻酔が入るようになり、そこからは一度も痛みを感じることはなかった。
麻酔を入れていなければとてもじゃないが眠れる痛みではないらしいので、無痛分娩を選択してよかったなと思った。これが12万円の追加費用の価値だ。
ただ、麻酔の副作用もゼロではなく、陣痛はないものの身体のいたるところが猛烈に痒くなった。
掻いても麻酔が効いているせいで掻いた気にもなれず苦しい。冷やした濡れタオルをかゆい箇所に当て気を紛らせていた。
麻酔を入れ始めてから約7時間後、子宮口7センチで破水し、分娩室へ向かうこととなった。身体に痛みはないものの、ほんの数メートルの距離だが車椅子に乗せてもらい移動した。
そこからあっという間に子宮口9.5センチまで進んだので夫を自宅から呼び寄せ病院の駐車場で待機してもらうことになった。
しかし子宮口9.5センチからなかなか進まず、結果的に夫は駐車場で4時間待機することになった。
私は、分娩台に乗ってからもおやつを食べたり、眠ったり、待ちぼうけの夫には悪いがかなりリラックスして過ごしていた。
しかし時間が経つにつれ徐々に吐き気を感じるようになり、分娩台の上で4〜5回ほど嘔吐した。ただ、吐いた後はスッキリするのでさほど辛くはなかった。
この吐き気が麻酔の副作用だったのか、陣痛中よくあることだったのかは聞いていないため分からない。
時折、身体の中から何かが出てきそうな、便意や痛みに似た妙な感覚があり辛かった。助産師さんにその旨を伝えると肛門のあたりをギューと押してもらうことでかなり楽になったのでやはりプロはすごいなと思った。
子宮口全開大になってからもなかなか赤ちゃんが降りてこず、お産を進めるために破膜することになった。
破膜後30分程でようやくGOサインをもらったので夫に連絡を入れた。
夫が分娩室に到着するタイミングでちょうど吐き気の波が来ていたため、入室するやいなや下半身丸出しおっぴろげ状態で桶を抱えてゲロゲロしている姿をどーんと見せることになってしまい少し恥ずかしかった。夫にとっても、かなりショッキングな光景だったように思う。
吐ききってからはお産に集中した。夫は私の隣に立ち、とても真剣に励ましたり応援してくれたり、たまに水を飲ませてくれたりした。
しかしいくら応援されても赤ちゃんは出てこない。陣痛がないため、いきむタイミングやコツががつかめなかった。
お医者さんが「介入しますね」と言い、私の腹部に全体重をかけるようにしてグイグイ押し出してくれた。それに合わせていきんでみたものの結局自力で出てくることはかなわず、会陰を大きく切開しての吸引分娩となった。
お産が終わればそのような言葉をかけられるものだと思っていたが、期待していた言葉は聞けず、分娩台に横たわる私のすぐ隣で赤ちゃんへの心臓マッサージが始まった。
お医者さんと助産師さんたちがよく分からない言葉で会話をしていた。どこかに電話をかけ、よく分からない言葉で説明をしていた。電話の相手はどうやら小児科の当直医のようだった。
コウノドリ読まなきゃよかった、と思った。当直医が呼ばれるシーンはろくなことが起きないからだ。産休で暇な中、ちょうど漫画アプリで全話無料だったから読んでしまっていた。
不安で不安で仕方がない中、そのまま会陰の処置をされた。かなり縫われたようだが、それを気にする余裕はなかった。また、これも麻酔のおかげで痛みはなかった。
分娩台の上からだと、隣で処置をされている赤ちゃんの様子がよく見えなかった。赤ちゃんに繋がれた機械に、SpO2 85の文字が光っていた。
SpO2って95%以上が正常値じゃなかったっけ。新生児は80台でも問題ないのかな。そんなわけないよな。死んじゃうのかな。いやきっと無事だよな。でも死んじゃったらどうしよう。
そんなようなことをグルグル考えて、出産の余韻に浸ることはできなかった。
後に夫とこのことを振り返ったが、この時の私は「このままショック死するんじゃないかと思った」と言われるような表情をしていたらしい。
しばらくして私服姿のおじさんが分娩室に入ってきた。さっき電話をしていた小児科の当直医らしかった。
あまり慌てた様子はなく、助産師さんたちに状況の確認と指示を出していた。
検査へと連れていかれる直前に短時間ならカンガルーケアができるよと言われたものの、その数分で何かが手遅れになるのが怖かったので拒否をした。家族3人の写真を数枚だけ撮り、そのまま赤ちゃんを見送った。
赤ちゃんと共にお医者さんも助産師さんも分娩室から出て行き、夫と二人きりになった。
その時夫とあれこれ会話をした。夫は私を労ってくれていたような気がするが、赤ちゃんのことが心配なのと、疲れ果てて眠いのとで頭がいっぱいいっぱいで、今となっては何を話したかあまり覚えていない。
しばらくして助産師さんが戻り、立ち会い終了の旨を伝えられた夫は分娩室から出て行った。
私はそのまま分娩台の上で気を失うように寝落ちした。
2時間ほどで起こされ、車椅子に乗せられ、個室へと連れていかれた。
部屋についてから入院に関するあれこれの説明を受けたものの頭がぼんやりしていたため何を言っているかさっぱり分からず、とりあえず分からないことがあれば聞けばいいやと思いナースコールの番号だけ覚えて眠ることにした。
2〜3時間後に目が覚めると、下腹部と会陰の傷が信じられないほど痛かった。
しばし耐えてみたものの、もうだめだと思いナースコールをかけると、枕元にロキソニン置いてるってさっき説明したよと言われた。そんなの覚えてません。
ロキソニンを飲みしばらくすると少し痛みが引いてきたので再度眠りについた。
翌朝、朝食が部屋に運ばれてきた。ご飯が美味しいと評判の産院を選んでいたため、朝からかなり豪華な食事だった。
しかし食事の豪華さ以上に、妊娠中に感じていた味覚の変化が元に戻っていることにいたく感動した。美味しいものを美味しいと感じられることはとても幸せなことなのだと思った。
その後ハミガキをした際、妊娠中ずっと悩んでいた舌の白さが軽く磨くだけで綺麗になることに気づき、これにも大変感動した。
たった1日でこんなにも身体の状態が変わることが不思議だし、面白かった。
お昼頃には赤ちゃんが保育器から出ることができた。すやすやと眠る元気そうな姿を見て、ほっとして涙があふれた。無事で本当によかった。
産後は母児同室がメインなのだが、「ママの休息と回復が最優先」と言ってくれる助産師さんたちの言葉に甘えて、ほとんどの時間をナースステーションで預かってもらった。
入院中には、だっこの仕方、おむつの替え方、ミルクの与え方、沐浴の仕方、産後の過ごし方などを教わった。
事前に育児本やYouTubeで勉強していたものの、座学と実践は全く違う。下半身の激痛に耐えながらふにゃふにゃの新生児を相手にするのはとても大変だったが、愛おしく、充実した時間だった。
最終日、チャイルドシートを搭載した車で夫が迎えにきてくれた。素晴らしい秋晴れの退院日和だった。
分娩・入院費用で既に42万円を支払っていたものの、諸々の処置や薬代等で追加費用が6万円ほどかかった。一時金の直接支払をあわせて、計90万円也。共働きでよかった。でも、出産も保険適用にしてもらえると嬉しいです。
帰宅後、お祝いのケーキを夫が買ってくれていた。妊娠中に食べられなかったお寿司も出前をとってくれた。お寿司とケーキを、ベビーベッドで眠る赤ちゃんを見ながら夫と二人で食べた。
出産の思い出をインターネットの海に流していつまでも見返せるようにしておこう、あわよくば誰かからおめでとうと言ってもらおうというよこしまな考えで書いたものでしたが、思いのほか多くの方に読んでもらい、お祝いの言葉をいただけて大変嬉しいです。
まだ退院から1週間も経っていませんが、少しずつ新生児との生活にも慣れてきました。
分娩直後はどうなることかと思いましたが、赤ちゃんは元気です。今日もたっぷりとミルクを飲んでたくさんお昼寝しています。
たまに悪魔のように泣き喚いてどうにもならない時もありますが、元気に泣いてくれる方が嬉しいよねと自分と夫に言い聞かせてほどほどに奮闘しています。
昨日ようやく命名ができたので、今日は出生届等の書類を用意しています。確定申告のことは何も考えていなかったので、ちゃんと調べます。ブコメでのアドバイスありがとうございました。
また、冒頭で少し夫の愚痴を書いてしまいましたが、つわりの酷かった妊娠初期から今現在まで、ずっとフルパワーで支えてくれている最高の夫です。
陣痛開始時の二度寝は、100点満点中10億点取っていた中での減点マイナス10点で9億9999万9990点になったくらいなのであまり気にしていません。
♡..Happy Birthday..♡ () ♡ () ┏┻┻┻┓ ┏┛★★★┗┓ ┃ ♪・ *・ ・* ・♪ ┃ ┏┛ ∧⑅⑅∧. ┗┓ ┃ ☆ (๑• ω •๑).. ☆ ┃ 祝