はてなキーワード: 法律とは
ちなみに全く関係ない話だけど、スワッティングは罪にとえるけど、過激な宗教を意識して「○○がその聖典燃やして教祖を馬鹿にした」と言って、その結果として○○が過激派に殺されたとしても、言った人間を教唆に問うことはできないよねと思う。
その結果を狙ったことだとしても、またどんなに発言と結果に相当の蓋然性が認められたとしても、結局はその蓋然性での「信者側の自由意志の結果」でしかないんだからな。
ひとりで仕上げた作品を1ページ毎に買い取りでリテイクとかさせないとかなら
『嫌なら売るな』で終わりでいいと思うんですけど、
だからこういうことやらかすんだと思うわ
海外なら児童ポルノ・児童虐待判定される作品を平然と肯定したり垂れ流す
そして日本という社会はそれを誰も咎めないし、むしろ売れれば何でも良いとばかりに腐女子を応援しちゃうノリだ
具体例をあげたらキリが無いが、近年のジャンプで言えばBLを題材にした『腐女子除霊師オサム』
ポルノ作品でも社会派作品でもないのに差別的なポルノファンタジーであるBLを題材にする時点で既にヤベーのだが『どっちが受けか攻めか』なんて公式アンケートを無邪気に取ったりする
https://twitter.com/shonenjump_plus/status/1411894677385613319?s=21
ちなみにBLの受け攻めとは『どっちがちんこ入れる方か?』であり、単なるポルノの嗜好の話である
しかも『腐女子除霊師オサム』の中でポルノファンタジーの対象になっているキャラクターは"未成年"である
これをインディーズ(独立系)出版社が・・・でなく、日本を代表する出版社の編集部がやらかした上に自らSNSで拡散しているのである
海外ならフツーに担当者なり役員なりの首が飛ぶレベルの話だと思う
さっぱり分からなかった時「この人がいいよ」と
教えてくれたのが友人だった
してある日、そう言えば前に友人が勧めた人はどうなったのかなと調べてみた
すると、差別発言でもう辞職していた
友人に言ったら「そんな奴は知らないよ。それよりここの政党がおすすめで…」と全く名前の知らない政党を勧められた
そして、私は選挙の前に調べに調べた。
ニュースサイトも過去や現在の新聞も議員のことも税金とか法律とかのことも
だから友人に「NO」をつきつけた。
だけれども投票は友人の為じゃなく私のため
「どうして??」と言われて
あの時つきつけた「NO」が正しかったのかは未だにわからない。だけれど、あのまま友人の操り人形になっていたら私はどうなっていたんだろうと少しだけ怖い
こんなこと言ったら今の時代炎上してしまいそうだけど言わせてほしい。しんどすぎる。
私は現在20代で性別は女(なんかこの性別がっていうのも叩かれそうだな、まぁいいか)、散々多様性のことを言ってるくせにどちらかと言うと多様性よりの職業に就いている。
最近テレビでも新聞でも携帯でも、ついには先日読み始めた小説にも「今は多様性の時代」という言葉が出てくるようになった。
あまりにも多様性多様性言われるので正直うんざりしているのだけれどそんなこと言ったら炎上してしまうから言えないが、ここでは書くことを許してほしい。
「今時の若いもんは」「俺たちの若い頃は」、いわゆる昭和の人間と言われる人たちがそう言うと私たちの世代は途端に眉を顰める。「また始まったか」「もう時代遅れなんだよその理論」そんな感情だろう。
私は自分がどちらかと言えば今時の若いもん、に当てはまることを知っているしそれを自覚してもいる、典型的なゆとり世代的思考だと思う。
結婚はしたくないし子どもも欲しくない、人と関わることが苦手すぎてお茶出しさえまともにできず、社会に馴染めないことを自覚して今はフリーランスで仕事をしている。
そんな自分がこんなことを言うと矛盾してると言われてると思うが言わせてほしい、とにかく多様性の押し売りがしんどいのだ。
もちろんいい時代だな、と思うことはたくさんある。私は幼稚園から高校まで通ったが、その間一度も学校を楽しいと思ったことはないのにその自分の感情を押さえ込んだ結果ストレスが原因の難病にかかった。
その時の私は「学校に行かなくなったら終わりだ」「世間ではまともに生きていけなくなる」そう思っていたからだ。だから身体を壊してまでも学校に行っていた。
でも今の時代は必ずしも学校に行かなければいけないという雰囲気ではない。私の親戚の子が学校に行くのをやめて数年、高卒認定だけは取り、今はネイリストとして海外で元気に毎日楽しそうに活動してるのを見ると素晴らしいなとも思う。
周りにも学校に行かなくていい、という言葉を聞いてホッとしたような顔をして自分の好きなことに没頭して夢を見つけて、今はその夢に向かってる人も大勢いる。それを経て確かに思う、いい考え方だなと。
ただそれはちょっと?と思う考え方もある。
典型的なのがLGBTQ(以下のカテゴリはここでは一旦省かせていただく)の問題。
少し前に聞いた話だが、心と身体の性別が一致しない方達の主張。私が聞いたのはトイレや温泉の話だったと思う。
少数派の意見も聞こう、というのは大変素晴らしいことだと思う。この場所のように少ない考え方の人間の話を聞いてくれる場所は必要だとも思う。
では世の中の法律や規定をその少数派に合わせるのか、そうなると話は変わってくる。
学校でも議会でも会社でもなんでも基本的に何か困ったら多数決を取ることがある。それはなぜか、通常意見が多い方が優先されるからだ。
たとえば会社でAという案とBという案があるとして多数決では今回はAに決まった。ただBがダメだというわけでは全くない、だが何かしらの理由があって大多数の人がAがいいと思った、ではAを弊社の意見にしよう。
ここまでが今までの流れだ。ただ最近は「じゃあ少数派の案からこちらにも使えるものを少し取り入れよう」とこうなる、正直これはものすごくいいことだと思う。
人間はどうしても白黒つけたがる、これがよくてこれが悪いと考えがちだがそんな中いいところを見つけてよりよくしていく、素晴らしいことだと思う。
正直最初に多様性の話が出て来た時、私はすごくワクワクしていたのだ。いい方向に変わりそうだぞ、このままいけば、そう思っていた。
ただ、このままではいかなかった。
そのうち出て来た意見は「私はAの案は好きではない、少数派ではあるがB案を好きだと言ってる人はいる、だからB案を採用しろ」これである。
先ほど出したトイレや温泉の話はこれに近いものがあると思う。少数派の意見に合わせろと。その結果何が起きたか、それを逆手に取った犯罪だ。
もちろんLGBTQを全ての人がそうだとは全く思わない、人々の必死の主張を逆手に取る奴らが悪い。それはわかっている。ただこういったことがあるため、感情だけではどうにもならない問題なんだと言うことをわかってほしい。
心には形がない、定義もない、だから何にでもなれるし逆に何にもならない事もある。それはとても素晴らしいことだと思うし、大事にするべきことだと思う。
ただそう言った考え方が恐らく少数派であり、明確な定義ができないということを考えると、それを世論としてしまうにはあまりに危ういと思う。
これは逆の立場でも言えることだ。
どちらか一つの意見を世論にするのは非常に危険だと思う、だからいろんな意見を聞いてそれらをまとめる必要がある。
ただその際に少数派の意見を世論にしてしまうと上記に書いたことが起こったりしてしまうのだ。
ここから少し話は変わるが私はいわゆるバイセクシャルと呼ばれるものに該当して、恋愛対象が一つの性別には限られない。ただ別にその話を誰かにしようとは思わないし、知ってほしいとも思わない。
性別とか恋愛とかそう言ったことに対して隠さないといけない人がいるのはおかしい、という意見も聞くがはっきり言わせてもらう、私はどちらかというと隠させてくれと思うタイプの人間である。
一度飲みの席で「バイなんですよね」という話をしたら、いわゆるそう言った偏見がないとされているバーの店長から「そのこともっとアピールしていこうよ!」と言われた。
なぜ、なぜわざわざそんなことを言わなければならないのだろう。カミングアウトしたい人はしたらいい。同性婚と言われるものも全然いいと思う、ただ全ての人が自分に当てはまるように権利を主張したいとは思わないでほしい。
最初に言った昭和の人のお決まりのセリフ、これは今の時代にも当てはまると思う。
「今はもうそういう時代じゃない、多様性の時代だから」「もう古いんですよその話」私がもし令和よりももっと後に生まれた人間ならばきっとその言葉を聞いて思うだろう、出たまた始まったよ多様性の話、と。
昭和の人間には自分たちの考えを押し付けるなと言うくせに、結局昭和の人に自分たちの意見を押し付けているではないか。
正直、昭和時代を見ていれば同性同士が恋愛をしたり結婚をしたり、何か干渉すれば○○ハラスメントと囃し立てられたり、お笑い番組で体を張ったことをすれば暴力だと言われたり、
そんな時代が受け入れられないことは普通だと思う。だってそれが所謂普通だったんだから。
今の時代にそぐわない考えが理解できないのはわかる、ただだからと言ってその人たちを馬鹿にしたり揶揄したり、それは結局私たちがゆとりだと言われて来たのと同じことをしてるのではないだろうか。
普通という言葉が嫌いなのに自分も普通という言葉を使ってしまっている、こうして私も今嫌ってる人間みたくなっていくんだろうな。
そして結局何が言いたいかわからなくなるまでダラダラ話してしまった、これを見た人は言うだろう「これだから今時の若いもんは」と。
浅草にて4歳児を毒殺した疑いで親が逮捕されたというニュースが入ってきた。原因物質は向精神薬のオランザピンとエチレングリコールだという。
https://news.yahoo.co.jp/articles/4c24987b00e6f7158af489f1cb7a7747f3033e52
このエチレングリコール、自衛隊の車両整備所で部下に飲ませて中毒、入院というニュースも何度か耳にした事がある人も多いかと思う。これに対してイジメだ!と批判が湧くが、実はそうとも言い切れない。
また、エチレングリコールは幼児が誤飲しやすい危険な罠があるのである。
という訳で、自動車や機械整備などに縁のない人にはよく分からない物質、エチレングリコールについてちょっとだけ解説するよ。
因みに結構身近にあるもので、あなたのキッチンにもあるかもしれないので、幼児がいる家では意識してそれらを幼児の手が届く所から排除しないといけない。
自動車のエンジン冷却水は鉄むき出しの冷却水通路を通すからただの水は使えない。
更に水だと冬に零度以下になった時に凍ってしまう。水は凍ると体積が膨張するから鋳鉄で出来たエンジンは割れてしまう。
そこで氷結温度を下げる為にアルコールを入れる。昔はグリセリンが使われたが、現在専ら使われるのはエチレングリコールだ。自動車メーカーはLLC(ロングライフクーラント)原液を使用油脂に指定していてそれを水で割ってラジエーターに入れる。
でだね、このエチレングリコール、甘いのだ。ネットや化学の本だと「甘い」だけ書いてあるが、実際に舐めてみると、赤玉パンチやサングリアのような葡萄系のフルーティな味がするんである。
因みに赤玉パンチは味付けした赤ワインで、昭和初期に赤ワインの渋みとか複雑な豊潤さは受け入れられないだろう、という事でフルーティに味付けして販売したものである。昭和末期~平成初期で日本人の洋食関係の好みは変わり、バブル以前の洋食というのは甘かったのである。
あともう一つネットにも本にも書いてないのは、整備工場などではこの「甘くてフルーティ」を体験させるというのが半ば儀式化してるのだ。先輩が新人に「舐めてみな、甘いワインみたいだろ」とやるのだ。もうこれは必ずと言っていい程やる。
そして毒なのだが指先で舐めるぐらいではどうという事にもならない。
故に、陸自の整備所で中毒事件とかの事件群は、虐めじゃなくて先輩や教官がアホウであった可能性が高い。
普通は舐めるだけなのに飲むと言えるくらいまで(10cc以上とか)飲ましたんだろなというのが想像できるのだ。
実はエチレングリコール自体には毒性はない。皮膚についても大丈夫だ。
だが飲んでしまうと肝臓の働きに拠って毒になる。肝臓はアルコールと似た物質なので同じ手順で分解してアセトアルデヒドや酢酸を作っているつもりだが、分子構造が違うので猛毒のシュウ酸が生成されてしまう。
シュウ酸は体内のあちこちを破壊するが、一番ダメージを受けるのは腎臓で、シュウ酸結晶(シュウ酸カルシウム)が腎臓細胞を詰まらす&破壊してしまう。これは後に慢性腎障害として後遺症となるが、腎臓の機能が停止すれば当然尿毒症になるから急性症状としても危ない。
とにかくエチレングリコールを飲んでしまったら急いで病院に行かねばならん。
飲んでしまった患者の治療にはホメピゾールという薬品があって、これはアルコール→ホルムアルデヒドの触媒酵素を阻害する物質だ。肝臓はアルコール→ホルムアルデヒドのつもりでエチレングリコール→シュウ酸をやってるからシュウ酸の生成も阻害されて止まる。
でもこの薬が無い場合や軽度な場合はアルコールの静脈注射が行われる。これは肝臓への飽和攻撃だ。
いや、なんで飽和攻撃と言うかというと増田はレトロゲーマーでアタリマニアなんでミサイルコマンドで説明したくなる為だ。ミサイルが一度に大量に来ると迎撃が間に合わなくて殆ど撃ち漏らしてしまう。
これと同じでアルコール静注だと消化器を通らないのでアルコール濃度が一気に上がって肝臓は分解処理が飽和してしまう。サチってしまう訳だ。
この時にエチレングリコールの分解→シュウ酸も行われているがその割合は少なくなる。
一方で腎臓は余計なアルコールはジャンジャン捨ててるので、肝臓をサチらせてその間、腎臓頑張ってくれ!という方法だ。
って事でエチレングリコールを少量飲んだ患者はベロベロに酔わされるという目に合う。
ここまで聞いて、エチレングリコール中毒は整備工場や殺人犯絡みで、普通の生活には関係が無い、と思った?ところが家の中には至る所にエチレングリコールがあるんだな。
夏に使うだろう、氷枕、最近のものは密閉されたビニルパッケージに入っていて、冷凍庫で冷やしてもカチカチに凍らないので使い勝手がいい。
そのカチカチに凍らないのが問題だ。コレにはエチレングリコールが使われているのである。エチレングリコールと水を混ぜた溶液を高分子吸収体(おむつとか匂いビーズとかのあれ)に吸わせてある。パッケージが破れると中身がしみ出すが、それはエチレングリコールだ。
ケーキとか、冷凍宅急便とかに使われる保冷剤。あの保冷剤で凍らしても柔らかいままのものはエチレングリコール入りだ。モノを冷やすのに便利なので捨てずに取ってある人もいるかもしれないが、幼児やペットがいる家では止めた方がいい。事故のもとだ。
他にも「氷点下に冷やしても凍らないもの」にはエチレングリコールが入っていると思った方がいい。
更に重要なのが、「舐めるとフルーティで甘い」という点だ。幼児やペットが好んでしまうのだ。
と言いたくなるかもしれない。でもエチレングリコールは工業会ではかなりポピュラーな物質なのだ。
まず使用量が大変多いPET樹脂の原料だ。PETの原料という事はフリース線維の原料でもある(フリースは廃PETからも作れる)。
更に水性塗料の溶媒とか化粧品のつなぎとか、用途が大変多い中間材料なので大量に作られ、それ故安い。使い捨ての保冷剤にぴったりだ。電子デバイス界でのCMOSやARMみたいなものだ。
厄介なのがクール宅急便用の冷却材なんかは食品関係の法律が影響されない。それはたんに輸送用の風袋だから。
なので、今回の事件でもエチレングリコールを与えられた子供は美味しくて喜んで飲んでしまったのではないかと想像する。その後は尿毒症でとても苦しい死に方だったのでは。
それから革製品のなめし(変性処理)にはお茶にも含まれるタンニン酸とクロム酸を使い事が多いが、エチレングリコール酸も使われる。今回の事件の親は皮革商だったとのことなので自動車用LLCじゃなくて商売道具の可能性もある。
という訳で、自衛隊の整備所とか殺人事件とかで耳にするので危ないが遠い場所にあるモノという感じがするが、身近な場所にあるのでちゃんと理解して管理しないと危ないよという事だ。甘い液体で更にフルーティなんだよ。更に高分子吸収体に吸われた状態なら、それはフルーツグミと変わりはない。子供は喜んで食べたり吸ったりしちゃうよ。
因みに魚毒性が高いので下水に流すのは厳禁。埋設処分となる燃えないゴミに出すのも良くない。アルコールで燃えるので燃えるゴミに出して下さい。
ネットがなかったとしてもいまだに無修正解禁してないだろどうせ。
三次元で抜けるやつだけが合法的に恋人婚姻関係やソープ()で三次元の裸体を見ることができる。
二次元の裸体は微妙だが結合してるシチュは修正なしには見られない(ことになっている)。
これはおかしい。フィクトセクシャルを迫害してるとしか言いようがない。
なぜわいせつ物陳列罪だというのか。なぜわいせつ物頒布罪だというのか。
「公然わいせつ」の言葉の通り、公然でないわいせつは存在する。
ようするに我々自身はみな歩くわいせつ物であって、衣服を着ることによってその公然性をなくしているだけだ。
(公然と局部を露出した一点で公然わいせつ罪で裁かれた判例があるのがいい証拠だ。局部はそれ自体わいせつであってそれを持ったわれわれは元来わいせつなのだ。)
ではその程度で公然性が否定されるのなら、わいせつ物にあたるエロ漫画だって、ゾーニングしっかりしたうえで包装もして買わないと中が見れない、表紙等もともと見える部分にはわいせつにあたる表現がないようにしてるなら、違法性がないようにすべきじゃないか!
なぜ、人間が服で裸体を覆うことと、エロ漫画をわいせつではない表紙で覆うことを、同等として扱わないのか?そこ論理的に説明できるのか?できねーだろ?
はっきりいって、わいせつ物頒布なんかと比べちゃえば、セフレという関係のほうがよっぽど公序良俗を乱してるだろ。恋愛関係の先のセックスというわけではない、抜くためだけのセックスを堂々としてるなど、それこそわいせつだろ。
俺の姉は前科一犯の犯罪者だ。無免許運転で刑務所にぶち込まれたと聞いている。
それだけならただの前科者だが、姉は警察に捕まった時、自分の妹の名を騙ってその場をしのいだらしい。
妹は普通に免許を持っているので、免許不携帯の減点だけで済む、というわけだ。
これだけでサイコパスの異常性が見えてこないだろうか。
妹は特に違反もなく免許更新を迎え、当然ゴールド免許になると思ったら違反の履歴があって、そこで事件が発覚した。
いずれ必ずバレる嘘で警察を欺く短絡的な性質、普通の人間ではありえないだろう。
妹は勝手に名前を騙られた被害者だ。当然、姉には自首してもらい、妹自身が違反しているという間違った状態を解消してほしいと主張した。
父親は家族を警察に突き出したくないと、サイコパスの姉の肩を持つ態度だった。
母親は中立だが、この状況で中立なのは意味がない。結局のところ声が大きい父やサイコパスの姉の意見に追従していた。
4人の家族会議で、本人含め3人が犯罪者の側に立ち、被害者の1人に対して「家族なんだから目をつぶってやれ」と迫る構図だった。
地獄だ。
俺は家では引きこもりみたいな立場だったので、最初はそんな会議のことも知らなかった。
家族と言葉を交わすのも稀だったが、この状況にたまらず妹が状況を打ち明けてきた。
当たり前だが俺は妹の側に立って会議に参加していく。
やはり地獄だった。
話し合いとは何と意味が無いことかと痛感した。
妹は当たり前の主張をしているだけだ。
それに対してサイコパスの姉は「お腹に子供がいる」だのと、とにかく刑務所行きを回避するためだけに泣き落とししようとするだけだ。
「自首してくれ」
「見逃してくれ」
絶対に相容れない2つの主張を、話し合いで解決するのは不可能だ。
仕事で疲れて帰ってきて、家では出口のない話し合いを毎日続けていた。
まだサイコパスの姉をサイコパスだと思っていなかった、話し合いの意味を信じていた当時の俺は、言葉は悪いがこれが好機だと思った。
自分のせいで無実・無関係な妹が罪を着せられ、追い詰められてうつ病にまでなってしまったのだから、さすがに自分が悪いと思って反省するだろうと。
まったくの無駄だった。
「自分に非があるから相手の言い分を聞こう」という、当たり前の感覚が存在しない。
あるのはただただ「自分」だ。自分が助かりたい、自分が得したい、そのために他人がどれだけ不利益を被ろうが傷つこうが、そこで引け目を感じるような思考回路は持ち合わせていない。
俺の必死の説得もサイコパスの姉には何の影響も及ぼさず、何も変わらなかった。
そうして、俺も心療内科に行くことになった。確かうつ病か何かだったと思う。
どうも父親も心療内科に行っていたらしい。周りの人間の精神を、人生を破壊していくのがサイコパスだ。
そんな状態だったから、最終的にどう決着をつけたのか、よく覚えていない。
ただ結果としてサイコパスの姉は自首して、刑務所行きになったと聞いているので、妹と俺の主張が通ったことになる。
「自首しないなら通報する」と迫ったような気もするが、本当に記憶が封印されたかのように当時のことが思い出せない。
たぶん、誰もが出口のない話し合いに嫌気がさしていて、とにかく状況を終わらせたかったんだと思う。
ただ、サイコパスの姉は例外だ。結論が出なければそれだけ自分が逮捕される日が遠のくのだから、ずっとこの状況が続いてほしかっただろうなと、サイコパスを知った今ならわかる。
このおまけのおかげで、サイコパスとはどういうものなのか本当に理解したと思うので、もう少しだけお付き合いいただきたい。
あなたがこのサイコパスの姉の立場だったとして、妹をはじめ家族を散々振り回した挙句、自首から数年経って出所したとき、その家族にどういう言葉をかけるだろうか?
俺は、「迷惑をかけてごめんなさい」から始まるものだと思っていたし、許すか許さないかはその時に考えようと思っていた。
甘かった。
そんなものは通常の人間の感覚に過ぎず、サイコパスに当てはまるわけがないのだ。
サイコパスの姉から数年ぶりに届いたメールは「久しぶり~!またランチとか一緒に行こうね!」というようなものだった。
この時ようやくサイコパスの姉の本質を理解した。こっちの当たり前が通じない存在なんだと。
もう終わったことだと、水に流してなかったことにしようと判断するのは、迷惑をかけられた側である俺だと思っていたが、それは通常の人間の感覚だ。
サイコパス的には、懲役刑をくらったからチャラだという感覚なのだろう。
…いや、もっと最悪な想像をすると、「お前(俺)のせいで逮捕されてムカついたけどまあ水に流してやるわ」という感覚だったのかもしれない。
いずれにせよ、関わっても良いことは一つもない、悪いことしか起こさない疫病神みたいなものだと理解したので、今後一切関わるなと言って、メールアドレスごと消した。
その後どうしているのか全く知らないが、何がきっかけでまた迷惑を被るかわからないので、知らないところで死んでいてほしいと心から思う。
この話から得られる教訓は、「サイコパスを同じ人間として接するな」ということに尽きる。
あなたの周りにはいないだろうか。借りた金を返さないとか、迷惑ばかりかけてくるような存在が。
あなたが「借りたものは返すのが当然」と思っている一方で、その存在は「細かいことでしつこく催促してきて、何て迷惑な奴なんだ!」と本気で怒っているかもしれない。
一連の事件で本当に胸糞悪い思いをしたが、まだ若いうちにサイコパスの姉と縁を切れたのだけは良かったと思っている。
この本質に気づかず、高齢になってもだらだらと付き合いが続いていたら、それこそ金を貸せだのなんだのと迷惑をかけてきたであろうことは容易に想像できるから。
幸いなことに、日本は法治国家だ。話し合いが通用しない相手は、厳密に法律に基づいて裁いてもらうのが一番、というかそれしかないということを、サイコパスに悩まされている人に伝われば良いなと思ってこれを書いた。
もし人生をやり直せるとしたら、俺はこの事件のときに即座に警察に通報して終わらせたい。そんな後悔を抱えて生きていく人が一人でも減りますように。
具体的には、成人するまでの間はすべての子供はランダムに割り振られた家庭のもとで一週間(うち2日を移動日及び休日として含)過ごし、家庭についてのレポートをまとめ報告する義務を課す。
交通費は送り先の親と受け入れ先の親で折半。ランダムなので交通費による格差はトータルでは生じない。発生した交通費はその親が「良き親としての振る舞い」に応じたグレードで評価され、優秀な家庭は国から補填が受けられる。
裕福な家庭に生まれた子が網走の家庭に送られる可能性もあるし、逆もまた然り。
親は良き親であるための義務として他人の子供だからと愛情を抜いた対応をすることを法律で禁ずる。
子供から送られたレポートをもとに厚生労働省外局のスタッフが問題と思われる家庭に指導をし、親としての質を高めるコーチングを行い、場合によっては刑罰に処す。
すべての子供は不均質な現行日本の家庭環境を均質にするためのかすがいとなり、格差を是認してきた資本主義に染まった上級国民どもに鉄槌を下すのだ。
黒も白になり、日本の文化や慣習、法律を無視したり破壊してでも白人欧米基準にしろって言うフェミリベパヨチーンが、白人欧米がサルはサルらしく虫でも食ってろって言われた時に発狂してるのなんだかなーと思った。つい数十年前はイナゴや蜂の子を食ってた後進民族の分際で。
原作者は神ではない
漫画においてはその世界も登場キャラクターも全ては一人の作者が創造主として作り上げたものであり、山田杏奈というキャラの肉体も精神も環境も運命も全ては神により決定されたものです。
原作者は神ではありません。
正確に言うと作品を作っているときは確かに神で創造主なのですが、作り終えて作品を誰かに見せた途端に人間になります。神通力が消えて人間としての力(法律など)しか残りません。
さっき読んだ別の増田で思い出したんだけど、リトル・マーメイドのアリエルの黒人化に文句を言っていた人たちも、当時相当いたよね。アニメで白人だった人魚のアリエルが実写で黒人になったのはまさしく原作の意思なのに。
「原作という神がアリエルを黒人にしたのだから文句をいうべきじゃない」と人々が考えてるなら、黒人化への異議なんて出なかったはずだ。誰だろうとクレームを入れる権利はある、それが表現の自由だと考えてるからこそ、不満の声が表出したんだろうに。
法律でレギュレーションを決める必要は、まぁ、あるのかも知れないが
前住んでた会社借り上げの賃貸アパートに同じ会社の派遣数人も住んでたんだけど
ある日、気持ち悪いナヨナヨしたオッサン(恐らく派遣)にごみ捨て時いきなり「スミマセンちょっと良いですか」と、話しかけられた
身内にも頼れない
なので、アパート借りれないからしばらく同居させてくれませんか?
当然というか、無理すぎるから秒で断ったら、「何で?何で?」とか食い下がられた
親しくもない云々とか以前に、容姿年齢関係なしに野郎と同居する趣味はないから
「そういうのは差別だよ」
と逆ギレしだす始末
キモすぎてお前ってホモ?と聞いたら、否定せずに「だからそういうのが差別だ!」とかキレだす
「頭おかしいんじゃない?」
と面倒くさいから去ろうとしたら、話が終わってない的に服を掴んできたから、思いっきり殴り蹴り飛ばしてやったら流石に黙った
頭おかしすぎるしキショすぎる
見ず知らずの人に絡んでカミングアウトするとかLGBTはやはり脳に障害あるよな
いわゆる池沼
当該Wikiも含めしばし被害者なき犯罪の議論で欠けるのは、法は直接的な被害だけではなく
被害者なき犯罪の例示で売春がよく使われるけど、確かに当事者だけ見れば被害者はいない。
売春防止法の第一条に立法目的が書かれてる、法律というのはたいていは第一条に立法目的や趣旨が書かれる。
売春防止法には
「社会の善良の風俗をみだすものであることにかんがみ、」との一文があり、保護法益の一つは当人の保護だけではなく社会の善良な風俗、なの
町中で公然とそこら中で売春が行われてる環境は嫌だ、鬱陶しい、当人だけの問題ではない、ってのがこの法律の趣旨であり守りたい文化なの
日本は民主主義なのだから多数派が望めば科学的、論理的、あるいは倫理的にも間違った法律でも作ることができる。
憲法の歯止めはあるが、それは別の話で議論が広がるので置いておく。
保護法益が設定されてない法としてよく例示される。珍しいんです。
立法時の国会議事録を読んでもわかるが身体有害性などを議論して立法されたのではない。
(本音は、敗戦国日本が国際社会に復帰して主権を取り戻すには米国主導の条約には片っ端から加盟するしか無かった、保護法益の議論どころではなかった)
しかしこういう法があっても構わんのです
立法裁量の憲法議論を避けるために科学的エビデンスがあることは望ましいが、とはいえ慣例的なもので憲法上明瞭にエビデンスの提示は規定されていない。
究極的には国民が納得合意すりゃいいんです、民主主義なんだから
(極端に言えば、なんらか新法が憲法に抵触したとしても国民は憲法改正の権利も持っているのだから後から憲法も変えて適合させちゃえばいいんです、違憲立法審査権はその法律ダメですよ、という提案と平行しもう一つ、憲法と整合しないから憲法の方も変えてね、というアドバイスも含まれる)