はてなキーワード: jraとは
なんか誤認のひどいブコメがついてた。ミスリード狙ってるのか?
id:nowa_s 「キャラクター並びにモチーフとなる競走馬のイメージを著しく損なう表現」って書き方で、"健全"な表現(二次創作/ファンアート)と、馬ファンや馬主やJRAを不快にさせる表現の区別はやはり了解可能なんだな、と思った。
これではまるでウマ娘にフェミが「不健全」と判断する系統の二次創作がないかのように読める
実際は全くそのようなことはない。
pixivをウマ娘で検索するだけで、所謂宇崎ちゃん的なボディラインの強調された全年齢イラストから、陵辱系のエロ絵まで幅広く存在していることがわかる
あれを描いてる作家たちが公式側の要求をどう認識しているのかは不明だが、
https://twitter.com/hyougenmamoru/status/1365097389405560833
まず法的に無形物としての競走馬にはパブリシティ権がない(無断使用しても不法行為に当たらない)。
参考:https://legalus.jp/internet/copyright/ed-601
参考:https://monolith-law.jp/reputation/publicity-right-on-things
なので実在の競走馬を擬人化したゲームを出しても不法行為にはならない。しかしウマ娘公式は1頭1頭許諾を得ている(https://umamusume.jp/news/detail.php?id=news-0106)。初期PVにいたディープやオルフェが実装されなかったことからもこれはまず間違いないところだと思う。それはJRAや馬主や競馬ファンと仲良くしたいからだろうし、馬事文化へのリスペクトという面もあるだろう。
参考:https://www.bunkatsushin.com/varieties/article.aspx?id=3229
参考:https://kai-you.net/article/54553
ちなみにJRAはかつて『ウマドンナ』というギャルゲをリリースしたことがあり、この手のジャンルにまったくの無理解というわけではない。
参考:https://nlab.itmedia.co.jp/nl/articles/1112/11/news010.html
つまり競走馬自体にパブリシティ権はないが、ウマ娘公式はウマ娘の著作権(キャラクターデザイン他)の有しているのであって、それに基づいて「キャラクターならびにモチーフとなる競走馬のイメージを著しく損なう表現は行わないようご配慮いただけますと幸いです」と注意喚起している。
なぜ「お願い」の体裁かというとコンテンツを広げていくために健全な二次創作は歓迎してるからだろう。デレマス、グラブル、プリコネRを運営してるサイゲがそれを分かってないはずがない。ただ上記がゆえにエロはマズい。なので通すべき筋の一環として注意喚起をした経緯がある。
先日エヴァでも似たような注意が公式から出たけど、それに対しても特に反発は出ていなかった。著作権は親告罪なので、いずれも権利者からアナウンスが出たらそれに従う、という話でしかない。特にウマ娘に関しては特殊な事情があってマジで訴訟沙汰になりかねん、というのもあって自粛傾向は強めに出てるだろうけど多分誤差。
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/twitter.com/hyougenmamoru/status/1365097389405560833
一部コメが「オタクはお気持ちで態度を変える」という話に持っていきたいようだが、いや著作権者から注意喚起が出たら従うのは普通だから。中には従わない人もいるだろうけど、著作権者から訴えられるリスクを背負うことになるわけで、そこまでブッちぎれる人は少数だと思う(アナウンスされていようがいまいが訴えられるリスクがあるのは同じだが、アナウンスされるとその可能性が上がると解するのが一般的だろう)。
・新型コロナ感染拡大以降も中央競馬は無観客で開催されており、新型コロナの影響は無い
・調教助手は各厩舎の調教師に雇用されており、月給制度なので基本的にはサラリーマンと同じ仕組み
・但し調教助手は自分が担当している馬がレースで好成績を残すと賞金の一部が貰えるので、結果として給与の変動が激しい
そこを悪用して昨年と比べて所得が減った(担当している馬が活躍してないだけでコロナは一切関係ない)と申請して給付金を不正受給
・調教助手たちにそういった手法を指南し申請をサポートしたのは関西在住の税理士 競馬界に深く入り込んでおり、騎手や調教師等の確定申告を手広く行っている
・しかもこの税理士は馬主の資格も持っており、菊花賞を制したG1馬なども所有している
少し前に地方競馬(笠松)で騎手が馬券購入してたって問題があったけど、今回の件も結構やばいぞ
不正受給金額は総額1億円超らしいので、かなりの人数が関わってる案件
関わった人たち全てを処分しちゃうと厩舎の運営に支障をきたしてJRAの開催にまで影響が出かねない(競走馬に調教をつける人たちが居ない状態)
高知競馬が、この5開催日連続で、売上10億円超え。JRAとの交流競走 (黒船賞) でもない、勝てず、怪我して走れずで高知に "流れ着いた" 馬達のレースで。12年前のどん底期は、年間の売上が38億しかなかったのに。
どん底期は1着賞金9万で、5着に入っても5000円しかもらえなかったのが、今では同じ条件 (C3)で50万円、5着で5万円。ビッグレース、高知県知事賞の1着賞金は、どん底期の135万円から、今年度 (20年12月31日) は1200万円!
「座して死を待つよりは、出て活路を見出さん」の言葉通り、あえてどん底期にナイター設備に投資し、勝利を目指してレベルを高め合う、というスポーツの原則に反した勝てない馬たちを集めた「一発逆転ファイナルレース」を企画し、ゲートに電飾を設置して、現地よりもネットでの見えやすさを意識する。売上が上がれば賞金が上がり、賞金が上がればレベルの高い馬が入ってくる。以前はヨソで頭打ちになった馬が高知で5連勝、10連勝当たり前だったのに、今は、転入馬でもおいそれと勝てないようなレースレベルになった。
高知県競馬組合のある程度以上のポストの人たちは公務員なので、いざとなれば潰して元の組織に戻ればいいだけだったのに、挑戦して、立て直した。競馬で「稼いだ」金を自治体に配分して、地域に役立てられる公共事業になった。
みんながみんな、頑張れば報われるなんて思わないし、高知競馬の復活まで耐えられずに去っていった人馬もたくさんいるのだろうけども、それでも、1つの明るいモデルケースとして、広く知られればいいなぁと思う (この前のNHKの番組で、相当知られたと思うけど)。
うちの父は競馬のG1レースがある度に友達の家に行って飲み会をする。競馬を酒の肴に飲み会をやっているわけである。よく考えてみると70歳を越えているのにそんな飲み会をやって新型コロナウイルスに感染したらどうするのだという問題もあるのだが、父からそういう楽しみを奪うと家でゴロゴロして動画を見ているだけのYoutube廃人になってしまうので、とりあえずここではその問題はおいておくことにする。
が、父は全然競馬に詳しくない。まぁ付き合いで馬券を買っているだけなので、下手にのめり込まれるよりましかもしれないけど、年1回だけ「優駿」(JRAが出している競馬雑誌)を購入し、ときどきG1レースをテレビ観戦するだけの私のほうが詳しいとはどういうことだ。昨日実家に行ったので、「有馬記念とはファン投票で選ばれた馬が出場するレースだ」と言ったら、「へぇ、そうなんだ」と感心していた。ある程度競馬好きな人が主催しているんだろうに、お友達もそんな基本的な情報を知らないんだろうか。今日も有馬記念を酒の肴にするために出かけているはずだが、いったいどんな馬券を買っているやら。
それなのに、WIN5とかいってレース5本の1位を当てないといけない馬券を買って、「当たらなかった…」と凹んでいるので呆れる。そんなもん競馬予想のベテランでもそう簡単に当たらないし、それだからこそ当たった場合の払戻金が大きくなるわけだけど、なぜ大した知識もないのに、そういう大当たりを狙うのか。それだったらそれぞれのレースで1番人気から3番人気までどれが勝っても多少払戻しがある馬券を買った方が良くないか。
競馬のオッズは何だかんだ言って競馬ファンたちの知恵の集合体だ。自分でパドックの馬たちの様子を見て「今日はコイツの調子が良さそうだ」とか判断できる玄人以外にとっては、ある程度信じる価値のあるものだと思う。一番人気がレースに勝つとは限らなくても、2位とか3位に入る可能性は極めて高い。知識がないなら大人しくオッズに従い、それにプラスして自分の好きなジョッキーや馬がいればその馬券を買えばいいと思うんだが、父はなぜか大穴を狙う。玄人が自分の目を信じて他人と違う馬券を買うのは自由だと思うけど、素人が真似をすると馬券が全部紙くずになるのが落ちだ。たぶん一番人気とかを買うと、100円が120円になったりするだけで儲かった気がしないのでつまらないのだと思うが、ろくに知識もないのに大当たりを狙おうとするのがおかしいと思う。
父は株もやっているが、ときどき謎理論を発明してそれに基づいて売り買いをする。大人しく証券会社の担当者のアドバイスを聞くときもあるが、平日に暇があるとチャートに張り付いてやたらと売り買いしているらしい。父は「信用買いだから大丈夫なんだ」と主張し、私は信用買いというものがよく分かっていないしいちいち父の取引に付き合いきれないので聞き流すことも多いが、「この欲深老人が、いつか大損するのではないか」というのが心配でしょうがない。現役時代はそこそこ名の通った会社で管理職をしていたので、それなりの収入があったはずだが、今もその感覚でいられては困るのである。まったく困った年寄りである。
https://anond.hatelabo.jp/20201206114053
日本競馬史上の重要事件並びに記憶されるべき事件(画期となる出来事)
1-1 「競馬の歴史(日本)」、「日本史の出来事一覧」その他各種記事
1-3 「日本調教馬の日本国外への遠征」、「繋駕速歩競走」、「騎乗速歩競走」、「招魂社競馬」、「居留地競馬」、「勝馬投票券」、「単枠指定制度」、「インタグリオー」、「小岩井農場の基礎輸入牝馬」、「サンデーサイレンス」、「馬政局」、「馬政第一次計画」、「馬政第二次計画」その他各種記事
3 JRA「JRAのあゆみ」https://jra.jp/company/about/outline/history/
4 JRA「競馬用語事典」https://www.jra.go.jp/kouza/yougo/index.html
https://anond.hatelabo.jp/20201219095651 ソース・参照資料等
https://anond.hatelabo.jp/20201206114053 1854-1980
https://anond.hatelabo.jp/20201219091651 1981-2020
https://anond.hatelabo.jp/20201209174430 競走馬時代区分(私案)
https://anond.hatelabo.jp/20201206114053
(出来事)
1981 ジャパンカップ創設(メアジードーツが第1回の勝馬となる)
天皇賞秋の距離短縮(距離短縮後、ミスターシービーが最初の勝馬となる)
カツラギエースが日本調教馬として初めてジャパンカップを制覇する
ハッピープログレス(及び翌年のニホンピロウイナー)が本年からG1に格付けされた安田記念を勝利し、短距離路線の名馬として評価を受ける(短距離路線の確立)
1985 プラザ合意
ニホンピロウイナーが1983年以来3年連続で最優秀スプリンターを受賞する
1987 皇太子夫妻(現・上皇上皇后)が東京競馬場に行啓し、天皇賞秋を観戦する(台覧競馬。勝馬はニッポーテイオー)
タマモクロスが史上初の天皇賞・春秋連覇(史上初の天皇賞2勝)を達成
オグリキャップが中央競馬に移籍し、好成績を挙げ、国民的人気を集める(1990年の有馬記念優勝を最後に引退)
東京優駿(日本ダービー)施行当日、196517名の中央競馬史上最高入場者数を記録(勝馬はアイネスフウジン)
社台ファームが種牡馬サンデーサイレンスをアメリカより輸入する
1991 降着制度導入(初の適用は1991年1月5日、中山競馬第8競走におけるミヤギノフジ(13着→15着)
メジロマックイーンが天皇賞秋において、1位に入選するも、進路妨害によって、18着(最下位)に降着(プレクラスニーが1着繰り上がりとなる)
1995 阪神淡路大震災
この年からJRAクラシフィケーション(旧フリーハンデ)がインターナショナルクラシフィケーションに基準を合わせることになる
1998 シーキングザパールがモーリス・ド・ゲスト賞を制し、日本調教馬として初めて海外G1を勝利する
タイキシャトルがマイルCSを連覇し、昨年のマイルCS以来、短距離G1を5連勝する
1999 エルコンドルパサーが日本調教馬として初めて凱旋門賞2着に入る
エルコンドルパサーが国内未出走ながら、選考委員会により年度代表馬に選出される
2000 チャンピオンズカップ(ジャパンカップダート)創設
テイエムオペラオーが年間無敗、重賞8連勝、古馬主要G1全勝(グランドスラム)を達成する
JRAによる企画「20世紀の名馬100」がファン投票により選出される(1位ナリタブライアン、2位スペシャルウィーク、3位オグリキャップ)
2001 アメリカ同時多発テロ事件
2002 中央競馬において馬番連勝単式馬券(連単)並びに馬番三連勝複式馬券(三連複)の発売開始
小泉純一郎内閣総理大臣が東京競馬場に来場し、東京優駿(日本ダービー)を観戦する(勝馬はタニノギムレット)
2003 シンボリクリスエスが2年連続で年度代表馬に選出される
2004 中央競馬において馬番三連勝単式馬券(三連単)の発売開始
この年限りで、抽選馬の抽選会における配布制度が取り止めとなる
天皇皇后が東京競馬場に行幸啓し、天皇賞秋を観戦する(天覧競馬。勝馬はヘヴンリーロマンス)
2006 ディープインパクトがIFHA発表の「トップ50ワールドリーディングホース」で125ポンドの評価を受け、日本調教馬(かつ日本生産馬)として初めて首位に立つ
2007 日本、ICSC(国際セリ名簿基準委員会)のパート1国に昇格
デルタブルースが日本調教馬として初めてメルボルンカップを制覇する
ウオッカの東京優駿(日本ダービー)を制覇(牝馬による東京優駿(日本ダービー)制覇はクリフジ以来64年ぶり)
皇太子(現・天皇)が東京競馬場に行啓し、東京優駿(日本ダービー)を観戦する(台覧競馬)
2008 ダイワスカーレットの有馬記念制覇(牝馬による有馬記念制覇は、トウメイ以来37年ぶり)
2011 東日本大震災/東京大賞典が地方競馬のレースとして初めて国際G1に格付けされる
ヴィクトワールピサが日本調教馬として初めてドバイワールドカップを制覇する
2012 天皇皇后(現・上皇上皇后)が東京競馬場に行幸啓し、天皇賞秋を観戦する(天覧競馬。勝馬はエイシンフラッシュ)
ロードカナロアが香港スプリント(G1)を連覇(また同年、安田記念を制し、昨年のマイルチャンピオンシップ以来、短距離G1を4連勝する)
2014 ジャスタウェイが日本調教馬(かつ日本生産馬)として初めてロンジンワールドベストレースホースランキングにおいてレーティング1位を占める
皇太子(現・天皇)が東京競馬場に行啓し、東京優駿(日本ダービー)を観戦する(台覧競馬。勝馬はワンアンドオンリー)
ジェンティルドンナが2012年以来、2度目の年度代表馬に選出される
2016 日本中央競馬会が仏・凱旋門賞において、日本国内で初めてとなる海外競馬の競走における勝馬投票券発売を実施する
モーリスが安田記念・マイルチャンピオンシップ・香港マイル・チャンピオンズマイルといった短距離G1(マイルG1)を4連勝する
2017 ホープフルステークスがG1に昇格する
コパノリッキーが東京大賞典に勝利し、G1級競走(GI・JpnI競走)の勝利では歴代最多となる11勝目を挙げる
2918 令和改元
https://anond.hatelabo.jp/20201219095651
(出来事)
1856 日米修好通商条約締結
1860 横浜の外国人居留地において、競馬が行われる(居留地競馬)
1869 戊辰戦争終了
1870 東京招魂社(現・靖国神社)において、初めて洋式競馬が行われる(招魂社競馬。1898年まで)
1874 台湾出兵
1877 西南戦争開始~終了
1894 日清戦争開始
1905 日露戦争終了
桂太郎内閣による馬券発売の公認(黙許)(公認競馬。中央競馬のルーツ)
馬政第一次計画の制定(第一期:1906年~1923年、第二期:1924年~1935年)
帝室御賞典(東京)創設
1907 小岩井農場が種牡馬インタグリオーと20頭の繁殖牝馬(小岩井農場の基礎輸入牝馬)をイギリスより輸入する
1910 韓国併合
改正競馬規程(閣令)を根拠として、産牛馬組合による競馬が開催されるようになる(地方競馬のルーツ)
主要競走に騸馬(せん馬)が出走不可に。芦毛、月毛、河原毛が出走不可に(毛色の制限は1928年まで)
帝室御賞典(阪神)創設
1911 優勝内国産馬連合競走(連合二哩)創設(ラングトンが第1回の勝馬となる)
宮崎競馬場において、商品券付き勝馬投票が実施される(事実上の馬券)。1914年までに全ての競馬倶楽部が実施するようになる
1914 第一次世界大戦開始
1918 第一次世界大戦終了/シベリア出兵(1922年まで)
1922 帝室御賞典(札幌)創設(1937年秋まで。1922年~1924年は春のみ。1925年~1937年は秋のみ)
帝室御賞典(福島)創設(春のみ。1922年春~1937年春)。帝室御賞典(函館)創設(秋のみ。1922年秋~1936年秋)
1923 関東大震災/旧競馬法制定(馬券発売再開)/馬政局廃止
帝室御賞典(函館)創設(春のみ。1923年春~1937年春)。特殊ハンデキャップ競走創設
1925 濠抽混合創設(当初の名称は各内国抽籤濠州産馬混合競走。1932年より目黒記念)
下総御料牧場が2頭の繁殖牝馬(種正・稙道)をアメリカより輸入する
1928 横浜特別創設(1943年秋まで)/連合二哩(牝馬)創設(1928春~1941秋)
1931 満州事変
下総御料牧場が3頭の繁殖牝馬(星旗・星若・星友)をアメリカより輸入する
1932 東京優駿創設(1950年より「日本ダービー」の副称が付く。ワカタカが第1回の勝馬となる)
下総御料牧場が3頭の繁殖牝馬(星濱・星谷・星富)をアメリカより輸入する
1934 中山大障害創設
1936 二・二六事件
1937 日中戦争開始
天皇賞(帝室御賞典)創設(連合二哩並びに各競馬倶楽部で行われていた帝室御賞典を統合。当初秋2600m、春2700mで施行され、第3回からは春秋共に3200mで施行。ハツピーマイト(ハッピーマイト)が第1回(1937年秋・東京)、ハセパークが第2回(1938年春・阪神)の勝馬となる)
連合二哩はこの年限りで廃止。各地の帝室御賞典はこの年春限りで廃止
菊花賞(京都農林省賞典四歳呼馬)、優駿牝馬(オークス)(阪神優駿牝馬)創設
1939 皐月賞(横浜農林省賞典四歳呼馬)、桜花賞(中山四歳牝馬特別)創設(五大クラシック競走が成立)
1941 太平洋戦争開始/セントライトが初のクラシック三冠を達成
1944 競馬開催の一時停止。この年の競馬は能力検定競走として施行される(戦前の競馬はこの年限りで終了)
2歳(旧3歳)競走が競走体系に加わる
1949 朝日杯3歳ステークス(1991年から牡馬及び騸馬(せん馬)限定のレースとなる。現・朝日杯フューチュリティステークス)創設
阪神3歳ステークス(1991年から阪神3歳牝馬ステークスとして牝馬限定のレースとなる。現・阪神ジュベナイルフィリーズ)創設
1951 中央競馬における重勝式馬券の発売(1961年廃止)
トキノミノルが無敗で二冠を達成
日本中央競馬会(略称は1986年までNCK。1987年からJRA)発足(国営競馬時代の終了)
啓衆社(競馬予想紙を発行)が啓衆賞を設け、各年に活躍した競走馬を表彰することを始める(1972年から『優駿』(日本中央競馬会の機関紙)の主催による優駿賞、1987年から日本中央競馬会の主催によるJRA賞となる。最初の年度代表馬はハクリヨウ(ハクリョウ))
1955 日本中央競馬会が英国ジョッキークラブとの間に騎手に対する制裁の相互実施協定を締結する(国際交流の始まり)
東京大賞典(秋の鞍)創設
1958 ハクチカラが戦後の日本調教馬として、初めて海外に遠征する
1956 有馬記念(中山グランプリ)創設(メイヂヒカリが第1回の勝馬となる。八大競走成立)
1963 中央競馬において8枠制が導入される
メイズイとリユウフオーレル(リュウフォーレル)の2頭が年度代表馬に選出される
1965 シンザンが天皇賞秋・有馬記念を制覇し、五冠を達成(当時牡馬が出走できる大レースを全て制覇)
1967 栗東トレーニングセンター開場
1968 中央競馬における繋駕速歩競走はこの年限りで廃止される
1970 大阪万博
スピードシンボリが初めて有馬記念を連覇し、1967年以来2度目の年度代表馬に選出される
1971 ニクソン・ショック
貿易自由化に伴い国内生産者への保護政策が実施されたことにより、持込馬が有馬記念を除く八大競走への出走権を失う
トウメイが天皇賞秋・有馬記念と連勝し、牝馬として初の年度代表馬に選出される
1972 沖縄返還
地方競馬における騎乗速歩競走はこの年限りで廃止される(中央競馬では戦前限り廃止)
ハイセイコーが中央競馬に移籍し、好成績を挙げ、国民的人気を集める(1974年の有馬記念2着(勝馬はタニノチカラ)を最後に引退)
1974 単枠指定制度の導入(1991年10月5日廃止。最初の指定馬は同年の皐月賞におけるキタノカチドキ。最後の指定馬は1991年のセントライト記念におけるレオダーバン)
1977 テンポイントが有馬記念でトウショウボーイとのマッチレースを制し、年度代表馬に選出される(3着はグリーングラス)
1978 美浦トレーニングセンター開場
話は3週間前に遡る。
Fastgrowとかいうサイト主催で、ベンチャー界隈で活躍しているビジネスパーソンを招いてパネルディスカッションをしてくれるイベントがあった。
テーマが「事業開発、BizDev組織のあり方」みたいな内容だったので、現業に通づるところもあるだろうと思い参加してみた。
イベント1部はラ○スル、シ○テル、キャ○ィというBtoBプラットフォーマーの3社のCxOと、それら企業のBizDev部門の長が話をしてくれて、期待通りの内容だった。
2部は軽食が出されてCxOと1対1で話が出来るとのことで、私はラクスルのCOOと話すべく並んでいた。
その時、ヤツが後ろに並んでいた。
ヤツ(以後Aと呼ぶ)は、脱税徳井のCMでお馴染み、某家計簿ルーツの経費精算のSaas企業に勤めていた。
その場は名刺交換をして当たり障りのない会話をしただけだった。
ラ○スルCOOと話した後、シ○テルのCEOとも話がしたかったので並んでた際、他の数名とも名刺交換をした。その中にBがいた。
Bは、特許を簡単に審査できる、的な内容でベンチャーを立ち上げていて、よくわかんねぇけど面白そうで、
特許という古い慣習が残っていそうな業界の課題を解決してくれるようなベンチャーだった。
グイグイ系でコミュニケーションを取ってくるので、ヤベェ奴なのかなと思ったが、話が面白かったのでその日は閉場するまでBと話し込んでいた。
面白そうな事業をやっているとはいえ、惰性で名刺交換をしていた中の1人だったので、3日くらい放置していたのだが、
他の通知処理をしてる際、うっかり承認すると、いきなりメッセージが来た。
「せっかくああいう場で知り合ったし、今度飯でも食いながら話しようよ!」
ベンチャーとしてネットワーク作りたい系のやつか、もしくはリクルートの一環か、そんな程度に思った。
「全然いいですよ!ぜひ!」
まぁ暇なときに飯奢ってもらうかと、適当に2日おきくらいでメッセージをやり取りして日程を決めたのだが、
祖母が亡くなって帰省しなければならなかったこともあり、リスケされ、ようやく飯を食いに行けたのが今日だった。
この間のメッセージも全力のタメ語で、おや?と思うところも多々あったが、初対面からグイグイ系だったBのキャラも相まって特に気にしていなかった。
待ち合わせは大崎。
18時45分。早い。
Bが来た。
「お久しぶりです」
「???」
あー、ほんとに飯なのか、飲みじゃ無いのか、まぁそんな事もあるか、大戸屋とか久しぶりだなぁと、ゲートシティの大戸屋へ向かった。
「事業の調子はどうですか?この前の特許の話面白かったんで飯屋ついたらもっと教えてください!」
「え?なんのこと?俺マ○ーフォ○ードだよ」
「???」
不覚。Aだった。
確かにマ○フォの人とも名刺交換した記憶が微かにある。ただ、マ○フォの人とはそんなに話してないぞ。
まぁしょうがないか、マ○フォも拡大路線だからリクルーティングされる感じかなー、だりぃなぁー、と思っていたら大戸屋に着いた。
着いてからは飯を食いながら、私のいる広告業界の話や海外どこ行ったことあるかという話、サウナの話、と他愛の無い話をした。
着いてから30分、飯を食い終わるまであまりに生産性の無い会話しかしてなかったので、こんな話で良いのかなと思っていた。
この人は何が目的で俺を飯に誘ったのだろう?
友達いないのかな? 変な人だし、いなさそうだな。。。
広告業界に憧れてる系の人なのかな?
ここで帰っても良かったのだが、どうせリクルーティングするつもりだろうと、
どんな感じでリクルーティングするのかも興味があったので、こちらからキャリアの話を持ちかけてみた。
(大して悩んでないし、そもそも初対面の人にそんな話しない)
『カチッ』
Aのスイッチが入る音が聞こえた。
「増田くんは人生で成し遂げたい目標とかある?キャリアを考えるなら目標から考えなきゃ」
「特に無いですねぇ、強いて言うなら馬主ですかねぇ、JRAの馬主資格を取るには最低でも年収1700万を2年続けなきゃいけないんで、まずはそこが目標っすかね….」
「それってサラリーマンじゃ無理だよね? もっと何がしたいとか、世界にこんなインパクトを与えたいとか、そういう目標は無いの?」
Aのスイッチが更に入ったのを感じた。
「自分の人生の夢とか目標を言うときに冗談を言うのは良くないよ。
人生における目標をしっかり立てる、そこに向かってしっかりと計画を立てる、計画通りに行くために弛まぬ努力をする、それが大事なんだよ。」
何だこいつ、初対面なのにうぜぇ。怯んでいる間にAは続ける。
「なんとなく増田くんが変わりたいって思っているのはすごく感じる。
どこの業界でどんな仕事をしたいとか、転職したいとか、そういうのは無いの?」
「今の部署はすごく成長できる部署だと思っているので、あと2年位勉強して、その間に考える感じですかねー。
業界変えて同じく事業開発的なことをやるのもありかなーと考えてますね。」
「旅行に行く時を考えてみてよ。JALに乗るかANAに乗るかを先に決めないよね?
まずどこに行くかを決めるのが重要だよね? それと同じでまずは自分の人生で本当に成し遂げたいかを考えてみようよ。
一緒に考えてあげるからさ。」
「そ、そっすねー ^^」
何だこいつ、初対面なのにこんな説教たれてくるとかおかしいだろ、頭沸いてるだろ、
マ○フォ今後絶対使わねぇ、マネーツリーにする!とか考えてたらAの自分語りが始まった。
「俺も25歳のとき悩んでて。当時ヤ○ハに勤めてて浜松に居てさ。
その時ちょうど出張で東京に来ることがあって、友達と飲んだんだけど。
その時、その友達がすごく面白い先輩がいるから是非一緒に飲もうっていうもんだから一緒に飲んだんだよね。
そしたらその先輩がすごくて。会社辞めて自分で事業を3つもやっていて。
フリーでコンサルやってたり、ベンチャーにアドバイザーとして入ってたりしてるらしくて。その時その先輩にすごく感化されちゃってさ。」
「へぇ。」
「その時、その先輩と一緒に初めて自分の人生の目標を考えたんだよ。
そしたら人生が一気に開けた感じがしたんだよね。
今3社目だけど、全部目標に必要なスキルを身につけるためにあえて在籍してるんだよね。」
「そ、そうですか。」
ピュアな子なのかな?
良いこと言ってるのは分かるし、正しいこと言っているとも思うが、初対面の人にする話では無いだろ。
構わずAは続ける。
目標を立てられる人もごく少ない。
「そ、そうですね。」
少なくともお前はまだ結果出してないし、サラリーマンだろうがww
「増田くん本とか読むの?」
「読みますよ。マーケティングとかファイナスとかアカウンティングとか事業戦略とか仕事関係の類が多いっすね。」
「若いなー。俺も25歳にその先輩と出会う前はエクセルとかパワポを使いこなす本ばっか読み漁ってたよ。」
構わずAは続ける。
「その先輩から教えてもらった3冊の本で俺は人生が変わったんだよね。(無言)」
そこは勝手に喋ってくれよ…
こっちが聞くの待つんじゃねぇよ…
「なんの本ですか?」
「知りたい(‾◡◝)?」
(゚Д゚)ウゼェェェ
もはや苛立ちを隠せていなかったと思うが、
この3冊を聞いたら速攻帰ろうと心に誓い、相手をしてやる。
「知りたいです。」
「しょうがないなぁ。1冊目は3冊の中でも本当に僕の人生の中で一番変えてくれた本なんだ。
キタ━━━ヽ(∀゚ )人(゚∀゚)人( ゚∀)ノ━━━ !!!
キヨサキは人にすすめる本じゃない、たいていみんな一回はどこかで通ってるよ…
笑いをこらえるのに必死だった。が、なんとか持ちこたえて答える。
「ふっ。もちろん知ってますよ。キヨサキっすよね。大学時代に読みました。本棚のどっかにあると思いますわ。」
構わずAは続ける。
「そうなんだ、読んだことあるなんてスゴイね。
まぁ日本で400万部くらい売れたらしいからね。読んでるよねー。
2冊目もすごくいい本なんだけど、『キャッシュフロー・クワドラント』って本。
お金が稼げるか稼げないか、自由を得られるか得られないかは、職種によってすでに決まってるって内容なんだけど、
これを読んで俺はビジネスオーナーにならないとだめだな、って思ったんだよね。」
自己啓発系の本かと思ったら、意外とまともな本出してきたな、ググるか。
「キャッシュフロー、、、何でしたっけ?」
Amazon「キャッシュフロー・クワドラント 著:ロバート・キヨサキ」
キタキタキタキタ━━━(゚∀゚≡(゚∀゚≡゚∀゚)≡゚∀゚)━━━━!!
3冊出すのに2冊同じ著者は卑怯www
もはや完全にツボに嵌り、笑いを必死に堪えていたので、3
冊目も熱心に話してくれていたが記憶に残っていない…
見ず知らずの人に説教をされ、
ロバート・キヨサキの2頭出しという素晴らしい持ちネタを披露され、
帰り際にはウワサの先輩との3人でのメシも誘われるなど、
波乱万丈・奇々怪々・奇想天外・びっくり仰天なディナーが終わろうとしている。
「別々で!」
\\\\٩(๑`^´๑)۶//// オゴレヤ ━━━━!!
ここで皆さんに質問なのですが、彼は一体何者なんでしょうか?
(もちろん会うつもりはまったくない)
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賛成の市民もいるんだから、市民全員が反対みたいな偏向報道しないでほしいなぁ。市長は英断だと思うよ。山下ふ頭の港湾業者なんて、どう考えたって利権守りたいだけでしょ。
今、みなとみらいの玄関口になっている桜木町駅は、陸側の方は数百メートル以内にJRAの場外馬券売り場や大型パチンコ店があって、遠くから電車で来てくれる馬券客やパチンコ客で集客している街なんだし、今更、カジノ反対って言ったってねぇ。そりゃ、山下町にはパチンコ屋はないかもしれんが、近隣の長者町とか伊勢佐木町とか関外に行けばパチンコもスロットもゴロゴロあるわけで。あっちの方がよほど品が悪いのでは。
カジノなんて品格のないものをうんたら、とか、歴史的経緯が云々いう人は、もともと、横浜スタジアムのある横浜公園に何があったか知ってて言ってるんでしょうね…あそこは、開港当時の外国人向けの遊郭(港崎遊郭)の跡地ですよ。ちょっと調べればわかるけど、尊王攘夷運動のあった幕末には、外国人にできる限り居留地に閉じこもってもらって街の外でトラブル起こさないように、遊郭とか競馬場とか、エンターテイメント施設を、全部日本側が作ってあげたり大きく支援したりして作ってたんですよ。
山手に洋館ありますよね?あれ、全部、関東大震災で外国人居留地が壊滅して、逃げちゃった外国人になるべく横浜にいてもらうために作ったモデルハウスみたいなものですよ。
そうやって、外国人にできるだけいてもらうために街を作ってきた経緯を考えれば、むしろ、山下町にカジノがあってしかるべきなんじゃないですかねぇ。
結局、旧外国人居留地だった山下町・山下ふ頭近辺に対する変な幻想が市民の中にあって、それを利用して港湾業者が利権を守るために騒いでいるだけにしか見えないんですよねぇ。ギャンブルは全部、横浜っぽくない近隣の地区に押し付ければいいっていうのが透けて見えて、いけ好かないんですよねぇ。