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2015-02-15

ピケティアベノミクス否定なんかしてない」とか言ってる小心者

ピケティ左派の星であることは明白だ。

フランス社会党のブレーンだというし、『21世紀資本』の主張自体リベラルのものとしても極端な部類だ。

それなのに保守新自由主義に与しているくせにピケティの威光にあやかろうとしている連中がいる。

例えば竹中平蔵とかね。言わずと知れた小泉政権下での新自由主義の実行者。

この男が週刊ダイヤモンド(2015/2/14)のピケティ特集で『21世紀資本』の支持率70%だという。

ピケティのいう格差を、自らが作り出した正規・非正規の格差に読み替え、だから正規社員もなくしてしまえ、と。

こう書いてしまうと噴飯ものだが、竹中は口がうまいから、これまでやってきたことや政治的立場を考えないと一瞬まっとうなこと言ってるのかと思わされてしまう。

正規・非正規の格差問題なのは確かで、リベラル寄りの飯田泰之も上位6割と下位4割の戦い、みたいな言い方をしているしね。

でも竹中はただただ企業に利せようとしているだけ、実際はピケティとは正反対のところに立っているわけだ。

ピケティ安倍的なるもの(なんて言い方をしたら喜んで噴き上がるのがいそうだが)に対して批判なのは政治的立場から明らかだ。

でも一応アベノミクスについてはどうか、と考えてみる。

アベノミクスで実行されたものの中で大きなもの金融緩和消費増税だろう。

消費増税収入が少ない層の負担が大きいため、ピケティは反対の立場だ。

消費増税を決めたのは民主党政権だが、自民党も賛成していたし、反対の声が大きい中で実行を決めたのは安倍政権から責任は当然大きい。

ただ、格差への影響以前にせっかく表面上よくなっていた景気が予想を超えて後退してしまったため、10%への引き上げは先送りにした。

金融緩和についてはどうだろうか。

ピケティインフレ自体については肯定的な言い方をよくしている。

ピケティアベノミクス否定していない」とする人たちの論拠はここにある。

でもインフレ金融緩和ではないでしょう。

「富の集中? もっと重要な問題がある!」:日経ビジネスオンライン

 我々経済学者日本経験アベノミクス注視していますが、「お金の創出」を増やすことだけでインフレの「再創出」に果たして十分なのか、確信が持て ません。消費者物価におけるインフレを生み出そうというなら、一番有効なのは恐らく賃金を上げることでしょうね。まずは公的セクターから賃上げをすること です。

週刊東洋経済(2015/1/31)51ページより

日本はどちらかといえば金融政策に頼りがちです。アベノミクス資産バブルを誘発しています

ピ そのやり方は間違いだ。われわれは税務政策に比べ、金融政策に対してあまりに高い期待を持っている。日本にとっては、欧州米国と同じように、金融政策は魅力的だろう。何十億円もの紙幣印刷するのは簡単だからだ。一方で税制を変えるとなると、計算表を作る作業が膨大で富裕層の反対も受けるし、事態はより複雑になる。だが税務政策が最も透明性が高いといえる。紙幣印刷しても、何らかの利子率を下げたりすると、特定セクターバブル化したり、必ずしも富ませるべきでない人を富ませることになったりする危険がある。

まあインタビュー記事を切り出しても説得力に欠けるかな。

21世紀資本』ではどう言ってるんだろう。

ピケティ21世紀資本訳者解説 v.1.1 http://cruel.org/books/capital21c/APPikettylecture.pdf の21ページで

ピケティの一押しは「グローバル累進資本税」

とした次の22ページで

•実は、過去(20世紀半ば)に効いて今後も使える手法は、もっと挙がっている。

経済成長

技術の普及と技能向上(つまり教育

インフレ

–累進所得税

相続税

資産接収/国有化

社会保障などの移転

•困ったことに本書は「グローバル累進資本税と比べるとこれは欠点がある」と言って、他の手法有効性を認めた次の文でかなり徹底的にdisってしまう。だからそれが否定されているように見えてしまう。

・多くの論者は流し読みしかしていないので、肯定部分と否定部分の好きなほうだけつまみ食いしている!

インフレ」とかなってるけど徹底的にdisられたのって金融緩和のことでしょ。

否定されているように見えてしまう」っていやdisってるんでしょ笑

やらないほうがいいとまでは言ってないって意味だと思うけど、累進資本税の代替としてのそれは否定してるんじゃん。

からピケティ金融緩和策については懐疑的、少なくとも不十分と何度も言ってるわけ。

まり金融緩和策その他の方法に頼って累進資本税なんて到底やる気がない各国政府スタンス政策に対しては当然批判的ってこと。

アベノミクス好意的なわけはないよね。

「好きなほうだけつまみ食いしいてる」って笑

山形翻訳者のくせに自分の都合の悪い部分を黙殺してるんじゃねーか。

好意的に見れば山形クルーグマン信者から金融緩和政策過大評価しているがゆえにピケティの置く重点をとりそこねている。

でもまあ普通に考えればポジショントークの歪曲でしょ。本業大手シンクタンク研究員らしいし。

ピケティが重視する具体的な財政策による再分配に消極的ってことは安倍が明言した。

東京新聞:首相、ピケティ氏意識 格差是正へ「再分配」より「機会の平等」:政治(TOKYO Web)

首相ピケティ氏の考えに対し、一月の衆院予算委員会でも「分配だけを考えればじり貧になる」と反論している。施政方針演説では、ピケティ氏の名前や主張には言及しなかったが、その考えにはくみしない立場を明確にしたといえる。

再分配の比率を上げた結果、景気そのものが後退してしまえば結局分配される量が減ってしまう。

この理屈はなんだかんだでいまだに説得力がある。

安倍を支持するわけなんかないけど、この言い方だけとってみれば「ピケティアベノミクス否定してない」とか言うよりはよっぽどまともなんじゃん。

個人的にはピケティグローバル向けの汎用的な処方箋が仮に実現したとしても、日本にどこまで効くのかなと思ってる。

物質的に行き渡った社会に対して新しい価値が生み出せないっていう日本の弱点は90年代にすでに顕在化してしまっていた。

少子化年金地方その他の問題についてすでに手遅れになってしまってもなんの手も打とうとしない、この先送り体質も日本特有のものなんじゃないかな。

でも、自分のようなど素人経済について考える土壌をピケティは作ってくれたんだ。

2015-02-11

人類の虚しさ

ISISだとか移民だとか、21世紀にもなって人種宗教で揉めているのバカバカしすぎると思いませんか?

パイロット殺されたからって空爆するのとか、ハンムラビ法典以下の状態じゃん。人類は結局進歩していない。

結局本質的にはクロマニヨン人ネアンデルタール人滅ぼしたみたいに、強い奴が弱い奴を利用したいだけに過ぎない。

技術進歩けが目覚ましくて、人間は種として成長してなさすぎるんだよ。牙だけ進化しすぎたサーベルタイガー状態。

2015-02-02

ライトノベル構造的に馬鹿にされる宿命にある

ライトノベルに限らないが、構造的に「馬鹿にされる」場合がある。

定義曖昧で、玉石混交で、定性的評価されるもの全般のことね。

すると、自分感性で都合良く石だけピックアップして馬鹿にできる。

定量的に計測できたって、好きに時系列を切り出して、定義付けを恣意的にすればなんとでもなる。

そして、「なんとなくこういう批判がある・こういう擁護がある」と藁人形を用意すれば、

その架空人形サンドバックにするのは、とても簡単だ。

そこで、馬鹿にするのはどういう人か、何が批判足りえるのか、振り返ってみよう。

まず、ライトノベル批判否定形から追い込んでいく

「無い」事の証明は難しい。

から「有る」もので「ライトノベルで無い」モノを追いだしていこう。

表紙がアニメ絵である

太宰治ライトノベルか?

表紙がいわゆるアニメ絵柄かどうかは、絶対的な要因ではない。

から、「絵が恥ずかしい」というのは、表紙絵に対する批判であって、ライトノベル批判とは違う。

(勿論、「アニメ絵は恥ずかしい。太宰治もあれじゃ買い難い」とする批判はあるが、ライトノベル批判とは別軸)

キャラクター小説である

京極夏彦京極堂シリーズは、ライトノベルか?

キャラ立ちという意味で、ホームズを超える名探偵は出てきただろうか。

から、「類型的なキャラクターが出てくるだけ」というのは、その手の小説批判であって、ライトノベル批判とは違う。

(以後省略するが、そういう批判は当然あって良いが、ライトノベルとは独立

子供ティーンエイジャー)向けである

ハリー・ポッターは、ライトノベルか?

ファンタジーSFミステリから哲学に至るまで、子供向けに書かれた本を読む大人は多い。

から、「子供向けに書かれた小説を大人が読むのは」というのは、その手の読者批判であって、ライトノベル批判とは違う。

設定が稚拙である文章が頭悪そう

これに関しては、まさに定性的な(感性の)話になるため、具体例は省略したい。

ここでは、スタージョンの法則(啓示)を引用するだけにしよう。

SF(science fiction)の90%は、ゴミカスでクソだ。

同じ基準を使って、映画文学、民生品等々の90%がクソだと示せる。

からSFの90%がクソだという主張(または事実)は、究極的には何も意味しない。

なぜなら、SFは、他の全ての芸術形態品質と同じ傾向にあるという意味しかないからだ。

http://en.wikipedia.org/wiki/Sturgeon's_law

から、「ライトノベルの大部分はクソだ」という批判は、何の情報量も無く、ライトノベル批判とは違う。

馬鹿にする、と、批判する、との違い

ここで映画バトルシップ」を持ってこよう。

ハワイ沖で行われる海軍の多国合同軍事演習さな宇宙人侵略してきて、自衛官海兵隊員が反目しながらも撃退するという

まあ、インディペンデンス・デイと戦艦ミズーリを足してブリトーで割ったような映画だ。

素晴らしく面白い愛すべき馬鹿映画だが、批評家からは当然のように酷評されている。

何が言いたいかというと、批評家評価と、馬鹿であるかどうかとは、分けて考えられている。

ビール片手にゲラゲラ笑いながら見るような「ジャッカス」みたいなのを「馬鹿だ」と言うのは、批判ではない。

それは賞賛なのだ

馬鹿にしているのは誰だろうか

さっき言ったように、「馬鹿であることは、比較独自の軸になる。

その上で、馬鹿にしているのは、例えば「パンチラの絵を付けて恥ずかしくないジャンル馬鹿にされて当然」のような、

ライトノベル」を「小説の一ジャンルとして、格下である」とする主張しか、残念ながら観たことがない。

比較的、嫌悪感忌避感のようなものだ。

これは、BL趣味とするのは気持ち悪いだとか、サラリーマン通勤中に漫画雑誌を読むのはガキっぽいとか、そういった類の主張だ。

好悪の主張であって、それはそれで、仕方がない面はある。

雑誌の表紙に水着女性を持ってくれば売上部数が上がるが、職場休み時間に読むのはどうだ?というレベルの話だ。

批判としてありうる話

ワリと珍しいのだが、硬派なSFライトノベルSFとが全く同じ題材を描いているものがある。

アーサー・C・クラークの「楽園の泉」と、野尻抱介の「ふわふわの泉」だ。

(まあ、内容的にはチャールズ・シェフィールドの「星ぼしに架ける橋」のもじりの方が相応しいとは思うのだが)

両者とも、「ロケット以外で宇宙に進出するための、巨大構造物を作り上げる人物」が主人公だ。

ポイントは、「楽園の泉」がハードSFか否かであるとか、「ふわふわの泉」がラノベかどうかではなく、

この両者を比較して、「どちらが低俗か」を論じる意味あるかないか、だ。

「どちらがより高尚か」や「どちらの方が格上か」でも良い。

ここまで題材が同じだと判りやすいのだが、

「大人なら、『ふわふわの泉』ではなく、『楽園の泉』を読むべきだ」

とは、ならないだろう。

だって、違う作品なのだもの。それは批判ではなく好悪の主張だ。

逆に言えば、作品の質についての批判なら出来るはずだ。

「『楽園の泉』は、建築家の名声について拘りすぎて主張がボケている、『ふわふわの泉』の方がSFとして良く出来ている」

なんていうのは、馬鹿にしているのではなく、(正しいかどうかは別として)SFを軸にした批判になる。

真っ当な批判は可能なのか?バカにする方の品性を疑うべきか?

例えば、俺TUEEEE系と言う価値基準において、

アレクサンドル・デュマの「モンテ・クリスト伯」と、司馬遼太郎の「梟の城」と、佐島勤の「魔法科高校の劣等生」とを、

一緒に並べて比較して、「魔法科高校の劣等生を読むのは馬鹿だけだ」と言うことに、意味があるだろうか?

俺TUEEEE系の源流をたどって、湖の上を歩く男の話まで遡ったり、本邦においては勧善懲悪の仮託先であるとか、

そういった論文を描くことは意味があるかも知れないが、「馬鹿にする」というのは比較的には品のない行為だと思う。

例えば、今話題ピケティの「21世紀資本」を読むのが大人で、百田の「海賊とよばれた男」を読むやつが馬鹿にされてもしょうが無い、みたいな言い方はしないだろう。

現代ソマリア海賊を描いた「キャプテン・フィリップス」を見て「『パイレーツ・オブ・カビリアン』を見るとか馬鹿にされてもしょうが無い」みたいなことは言わない。

というわけで、馬鹿にする方の品性を疑うべきだと言うのが、オレの意見になる。

補足として:ただし、ラノベに出来の悪いものがあることを否定するものではない

どんな作品でもファンは居て良いと思うし、蓼食う虫も好き好きと言う。

例えば俺はバトルシップが大好きだが、蛇蝎の如く嫌う批評家が居るのも否定はしない。

アナと雪の女王よりはベイマックスの方が面白いとは思うんだが、GoGo好きなだけだろと言われれば否定はできない。

というように、主観的な好悪と、その技芸における比較批評、そのジャンルでの売上高なんてのは、全て独立の話だ。

そう言った点で、ラノベの中に上手い下手、エロに寄り過ぎだとか構成稚拙だとか、そういった批評はあって良いと思う。

ただそれは、作品単位、出来ても作家単位の話であって、「ラノベ全般に広げるのは主語が大きすぎて乱雑に過ぎる。

9割のクズを観てそのジャンル否定するのが愚かであることは映画絵画においては一般的なのに、ラノベがそうでないのは不幸なことだと思う。

2015-01-24

平家物語』巻11 「那須与一」~「弓流」に関するわだかまり

平家物語』の名場面、那須与一が扇の的を射抜くシーン。問題はこのあとだ。

平家方に、那須技量に感極まった50ばかりの男があり、舟上で舞を踊りはじめた。

大任を果たした那須与一のところに伊勢三郎がやってきて「命令だ。あの男も射よ。」と伝える。那須は男を射殺す。

これが昔っから納得いかねえ。そこまですることねえじゃん。

これは何も21世紀平和時代に私が生きているからそう思うばかりではない。

平家物語』にも、この一件の後「無情だ」と言う者も多かったとある

やっぱそうじゃん! 絶対おかしい。

射るのを命じたのは、名前は出てこないけど順当に考えて源義経だろう。

扇の的を射るよう命じたのも義経だしね。

俺は義経のこういうところが嫌いだ。

美しい「扇の的」のシーン。春風に乗って射られた扇がひらひらと一舞、二舞…なんてノリのあとに、突然戦争・抗争の現実を突きつけられるようだ。

戦争なんだから仕方がないんだけどね。死ね義経

2015-01-14

睡眠カプセルが欲しい

寒いんだよ、エアコンもったいないんだよ

カプセルホテルの部屋みたいなやつを個人の部屋でやれないかって話なんだけど

あれだけ狭いと、寝るのに快適な温度湿度を管理するのも簡単だし、省エネにもなると思うんだよね

更に空気まで管理されたら最高だね

21世紀、なんかそういうの出来たらええのにって思う今日のこのごろ

2015-01-06

書き込みテストです。

私のいる時代の話をします。

何時というのは書けませんが、少し先の話です。

21世紀初期にはSNSと呼ばれていた色々なサービスが、その後、統一されました。

幾つか残っているものもありますが、メジャーではありません。

今は、オンライン書き込み実名義務付けられていますので、一昔前に、匿名投稿できる日記サービスがあったと知って、驚きました。当時の人たちには、匿名ということにそれだけ需要があったのですね。

私は学校課題で扱う題材を探していて、オンライン匿名性について知り、とても面白いと思いました。

一番興味深いのは「釣り」という行為です。匿名性ならではの行為で、釣る人も釣られる人も、「釣り」を想定してコミュニケーションをとっています暗黙の了解を前提としていて、高度な文化だと思いました。

匿名性のおかげで、私たち過去のスペースに投稿することができます

将来を変えてしまうような事件の予告や固有名詞を出さなければ、大抵のことは「釣り」として扱われるだけで済んでしまうからです。

未来から投稿といって予言をしている人もいますが、信じられるものではありません。なぜならそれは禁則行為からです。

未来から予言という投稿ほとんどは嘘を書いて楽しんでいるか、fakeを混ぜています

私の文章も、釣りだと思っていただけると幸いです。

さて、今日は私が好きなSNSの話をしようと思います

とは言っても、SNSという呼び方は、この時代呼称です。

日本語義務教育ですが、私に不足があるかもしれません。でもSNS匿名性が面白いのは、やはり日本だと思いますので、日本語で書きたいと思います

私は毎朝起きると、まずオンラインニュースをチェックします。

ニュースにはGenuineのApplicationからコメントをつけることができますが、ここで私はThird PartyのApplicationを立ち上げます

このSNS日本発祥の老舗サービスです。

コメント投稿しているユーザー実名に紐付いたニックネームで表示されます

ですが、その実名ユーザーの半分が実際には存在していないというのは有名な話です。

その企業が開発したAlgorithmにより、複数の仮想ユーザーを作り上げて、ニュース記事につくコメント自動投稿しているというのです。

ConservativeからProgressive、FeminineからMasculine、LeftからRightと、思想グラデーションによって仮想ユーザーを配置し、このユーザーならこう答えるという投稿自動化をしているのだそうです。

それには、その企業21世紀初期の匿名時代に大量に投稿されたコメントを蓄積していたことが、大きな貢献となっているようです。

過去匿名性ならではの過激なコメントや忌憚のない意見が、自由人間くささを持ったコメント投稿する仮想ユーザーを作り出したのです。

それは私たちのような実名ユーザーよりも、活発な議論を促します。

21世紀前半は人工知能が大変に飛躍した時代でした。

私はこのSNSコメントを毎朝楽しみにしています。けれども、それがAlgorithmによる自動投稿だと知った時には、がっかりしました。

ちょうど、この時代の人たちが「釣り」と知っていて楽しめるように、今では私もそれなりに自動投稿されたコメントを楽しんでいます

もちろんその中には、私のように存在するユーザーもいます

私たちは、そのSNSコンピューターの作り出す議論ゲームに過ぎないことを知っています

私は毎朝起きると、ニューストピックスを流し見しながら、気なる記事コメントをチェックします。そうして仮想ユーザーコメント意見を返したりします。

私たち実名ユーザーコンピューターの作り出した概念議論を交わすのです。

それはとても楽しい体験です。ですが、生身の人間ニックネームの向こう側にいて議論しあっていた2010年代という時代を知って、信じられない気持ちになりました。2010年代投稿には粗野なコメントも多いですが、無知には発想の自由があります

次に私がアクセスする時に詳細な日時が指定できないため、この投稿の結果を確認することができません。

今日のことを知人に話すと「2010年代は1日あたりの投稿量がすごいから埋もれるよw」と笑われました。(草と呼ばれるこのslangも好きです。)

でも私の日記2010年代匿名投稿の海に紛れて漂うのも悪くないと思います

以上、投稿テストを終わります

2014-12-27

おせち料理って、一昔前なら、日常的に作られていたお料理ちょっと豪華にした感じ(=ハレの日ようにお砂糖どっさり?)

だったのかもしれないけれど、私個人でいうと、あんま作らないめにぅばっかりで気が抜けない。

失敗したら誰がたべんだおい…

新たに由来をつくりだし、21世紀バージョンおせちとかあってもおもしろそうだよね。

ようは、口述伝達ってことでしょ?(おせちの具の意味

2014-12-10

http://anond.hatelabo.jp/20141210075617

左巻きどもは資本主義の本当の恐さを分かってないし、そもそも頭が硬くて古いから高度成長期モデルから脱却できてない

庶民は変化を嫌うし既得権益絶対に手放したくない

そもそも労働運動系の左派日本ではほとんどが基幹産業メーカー主体運営されてきたか

高度成長期モデルから思考が脱却できないのも仕方がないのかもしれないが、

21世紀感もすっかりも定着した昨今はどこもすっかり斜陽産業になり下がってるしな


個人的にはマイナンバー法が上手く転がって、失業保険生活保護が正しく再分配されるようになれば正規雇用にはまったくこだわらないのだが、

現実問題として、その辺のセーフティネット整備にまったく期待できないので、既得権は手放したくないと思っている

2014-12-09

思うに、従来、善意機能してくれていたお見合い斡旋オバチャンってのは、

でたらめに紹介していた訳ではいないと思うんだ。

個人の特性を把握した上で、当時なら家柄や、教養などの無形文化資産などの保有ぐあいも含めて

バランスのとれた相手を紹介していたはず。

(でないと長続きしない実例をたくさん見てきているから)

21世紀の今、ネットでそれを体現しようとすると、SNSでは無理が出てくると思う。

SNSのまずい所は、世界規模で、巨大なド田舎を作り出している所にある。

失敗ができないからだ。

2014-12-07

http://anond.hatelabo.jp/20141207214956

1.政治宗教経済など

小室直樹の本。これほど分かりやすい説明はないと思う。

岩井克人の本。21世紀資本主義論。

ジャレド ダイアモンド。銃・病原菌・鉄。

2.人間とは

前野 隆司。脳はなぜ「心」を作ったのか「私」の謎を解く受動意識仮説

金子邦彦。生命とは何か 複雑系生命科学へ。

藤田一照。現代坐禅講義

3.すべてを含むマンガ

宮崎駿風の谷のナウシカ

源氏物語とか古典理解出来るようになりたいが…

http://anond.hatelabo.jp/20141207214956

ゴールデンボーイ―恐怖の四季 春夏編

 短編刑務所のリタ・ヘイワース

  一気に悪や理不尽をやっつけるものでない「強さ」や「希望」という価値観が心に根付いた


・パワーシフト21世紀へと変容する知識と富と暴力

 技術社会の形を変えるという予想に心が躍った。あと、富も暴力も「力」にすぎず、それ自体善悪はないということで、かなり金に対する見方フラットになった。


貧乏人の経済学 - もういちど貧困問題を根っこから考える

 貧困や無力が自己責任かという事に対して、考えが大きく変わったし、自分が力を及ぼせる無学に奉仕しようという考えをいまでも根っこで支えてる。

2014-12-03

http://anond.hatelabo.jp/20141203110329

まさか21世紀の今になってもまだ社会契約説とか通用すると思ってる系?

国家だって、他の国家の間で利害調整およびぶんどりあいしてるだけだよ。そんなん今に始まったことじゃない

2014-11-30

集合的無意識インターネットを使って俺を殺そうとしている

いま何か努力してモノにしないとこの先生き残れないことがわかっている。しかも今の自由な期間に期限があるということもわかっている。

それにも関わらず、俺が部屋から出ずに何もしないのは、自分の部屋に閉じこもる居心地が良すぎるからで、さらに言えば俺に何かをしたいという動機がかけているからなんだけど、それにつけても俺は何かをしなければならない。

しかし何もしない。いや、正確には好奇心に基づいた何かをしようとする。とりあえず目の前のテキストを読もうとする。タスクを消化しようとする。

しかスマートフォンが普及した現在、頭を使わなくていいコンテンツが止めどなく更新され続けるようになった現在においては、我々クソワナビ集中力の持続は困難を極めた。

一頁読みすすめるうちにスタミナが回復し、アプリを起動し、30分溶かしたのちに忘れてしまった一頁をもう一度読む。これを何度か繰り返せば図書館が閉館する。さらにこれを数百回繰り返せば一年は消滅する。

ところで、俺が思うに、ヒューマニズムにもとづいた自由社会に向かう現代においては、自律した生産能力のない人間・与えられた課題を50点でこなすことしかできない人間生き方は虚しい、という価値観が広く共有されつつあるように思う。

虚しいのはよくない。そしてできればそういうものは無くなって欲しい。

そういう集合的無意識産物こそが、インターネット上に無数に存在する、永遠に時間を潰すことが出来るコンテンツであるのではないだろうか。

Makerブームの本とか読むと、インターネットやいろんな機器発明によって誰もが好きなものを手軽に作れるようになった現代は最高みたいなことがかいてあると思うんだけど、それは現代の一側面でしかない。誰もが手軽に好きなものを作れる一方で、誰もが手軽に人生を棒にふることができるようになったというのが正しい。

自分意志自分人生を決めることが出来る人間けが高度な技術でそれを実現し、そうでない人間は高度な技術によって時間を潰し酔生夢死に陥る。そうすることによって無生産人間社会的に低い地位へ流れていき、粗末な人生を送る。とうぜん子孫は残せない。

こうすることによって21世紀も後半に差し掛かる頃には、生産能力のない人間は淘汰されきるだろう。

そういうことを考えて、人生が粗末なのは嫌だな、と思ったので、俺はもがくことにした。

しかしそれはいまのところ失敗し続けている。なぜか、それは俺が生産活動を行うためのツール、つまりパソコンなんだけど、これが時間を潰すためのツールでもあるからだ。

たとえばブラウザ上で動くものをつくりたいと思ったときweb上の気になるサイトの要素を右クリックすればインスペクタでそれがどのように記述されて実現されているのかがしれたり、Ctrl-kを押した後に作りたいもの入力すれば過去の事例や体験談ソースコードがすぐに見つけられたりするんだけど、それとほぼ同じ動作でTwitterを開いたりdアニメストアを開いたりxvideosを開いたりすることが出来る。そしてほとんどの場合、1時間後にはソースコードを読む気力を全て失った人間デスクの前に座っている。

ブラウザで何を入力するのかということに俺の人生がかかっていて、今のところそれに失敗し続けているということがわかる。

そもそも俺は何かをしたいのか、何もしたくないのか、ということを考える。

当然俺は何かをしたい。できるだけ面白いことをしたい。そしてそれを実現するための方法は広い意味での創作活動しかないように思えて、そのための一番身近なツールPCであることもわかっている。しかし俺はそれを活かすことが出来ない。何も出来ない自分に苛立つ、しかし結局何も出来ない。

こうして踏まえてみると、俺が何かをしたいとか創作活動をしたいと思っているという最初の欲求自体が間違っていたのではないかと思えてくる。そうなのかもしれない。

俺はできるだけ何も考えたくなくて、インターネットエロコンテンツを眺めて過ごしたいだけなのかもしれない。しかしこのように明文化してみると、さすがにそれはないだろと思う気持ちもある。

堂々巡りするばかりで、何も決まらない。助けてください。

2014-11-27

浜矩子大先生同志社大学教授)の御著書をこの増田は読むべき

良い記事だ。しかし、まだまだ甘い。天衣みつだ。http://anond.hatelabo.jp/20141125174047

この増田は、まず、同志社大学教授 浜矩子 大先生の著書を読んで勉強すべきだ。ついでに、高橋乗宣先生の御著書も読め。

2014年 戦後最大級経済危機がやって来る!: 高橋 乗宣, 浜 矩子
2013年 世界経済総崩れの年になる!  高橋 乗宣, 浜 矩子
2012年 資本主義経済 大清算の年になる 高橋 乗宣、 浜 矩子
2011年 日本経済ソブリン恐慌の年になる! 高橋乗宣、 浜 矩子
2010年 日本経済 ―「二番底不況突入する! 高橋 乗宣、 浜 矩子
    世界恐慌の襲来―日本経済は「最悪の10年」に突入する 高橋 乗宣
2007年 日本経済―長期上昇景気に陥穽あり! 高橋 乗宣
2006年 日本経済―日米同時崩落の年になる! 高橋 乗宣
2005年 日本経済世界同時失速の年になる! 高橋 乗宣
2003年 日本経済 世界恐慌突入の年になる! 高橋 乗宣
2002年 日本経済21世紀恐慌最初の年になる! 高橋 乗宣

ほら、何一つ当たってないでしょう。

2014-11-25

北方謙三

21世紀になっても、童貞拗らせてる奴には割と有効メソッドなのかもと思った。

「ソープへ行け」

2014-11-05

反転教育

最近、反転教育なんて言葉をよく聞く。今までは学校講義を受け、家で演習などを行うというスタイルであったが、これを反転させて家で内容を予習してきて学校で演習なりグループワークなりをインタラクティブに行う、というものである。そして、この反転教育の方が身につくから効果的!だとかなんとか言っているのである

いやはや、本当に21世紀なのだろうか。反転教育の方が効果的だなんて、当たり前じゃないか。

ちょっと勉強ができた人ならすぐに分かると思う。講義なんて聞く価値ほとんどなく、教科書を読めばだいたいのことは分かる。本当に必要なのは教科書を読んで分からなかったことを質問できる場であったり、議論できる場なのだ特に高校までの科目なんて授業の価値ほとんどないだろう。そんなこと、何十年も前から賢い人なら分かっていたはずだ。なぜいまさら大仰に名前を付け騒ぐのか。なぜ今までそういう風にしてこなかったのか。なぜ今まだそうなっていないのか。

本当に、教育者というものバカの尻重ばっかりである

2014-10-28

私はロリコンである

私はロリコンである子供が好きだ。発達途中のあの体躯がたまらない。私は男で異性愛者だが、男の子女の子も好きだ。

さて、足立区に「ギャラクシティ」と呼ばれる公民館があるのをご存じだろうか。

http://www.galaxcity.jp/

足立区こども未来創造館と西新井文化ホールとの複合施設で、近年、博物館設計の雄「丹青社」のプロデュースによりリニューアルされた。

ここの企画がすごかった。

企画段階から子どもをかなりの部分で参画させている。

子どもの描いたデザイン施設の壁を彩ったり、子どもたちが作った文字フォントが今でもパンフレットなどで使用されている。

施設が出来る前から、内部の遊具などを出張設置して子どもの目をひいたりなどもしていた。

まり子ども目線で、子ども実質的施設をつくる大人も一緒に成長していける施設設計を果たしたのだ。

現在でも「つくる」「あじわう」「しる・まなぶ」「かなでる」「からだをうごかす」など様々なイベントが行なわれている。

私はロリコンだが、勿論「ノータッチ」だ。

先日娘とこの施設を訪れた。

周りにいる子どもたちには目もくれない。そういう次元ロリコンとしてすでに通過後だ。

興奮したのは、施設子どもの手が多く入っていることだ。

先ほど言った通り、施設のたくさんの場所子どもたちが作ったもの、作り上げたものが在る。

その「モノ」が、私に、たくさんの子供たちの姿を想像させるのだ。

子どもたちの手技から非実在子ども想像させ、それが私をたまらなく興奮させるのだ。

この施設が完成するまでに、一体何人の子どもが参加し、体験し、何かを感じ、成長できたのだろうか。

子どもたちはこの21世紀をどう生きて行くのだろうか? そんなことを考えさせられ、ついドキドキしてしまう。

ご存知の通り、足立区というのは治安が悪い、教育水準が低い、などのイメージがある。

ネット上でよくバカにされる地域だ。

足立区ではこのイメージを何とか払しょくしようと懸命な努力が続いている。

パトロールなんかはよくメディアでも取りざたされる。

そして今回話してきた「ギャラクシティ」も大きく言えばこの一環なのだろう。

子どもや、子どもを持つ大人に、興味関心の惹起や体を動かせる施設提供した。

まさに21世紀公民館だ。

まだまだこれからなんだろうが、足立区の挑戦に、丹青社企図に、まずは敬意を表したい。

2014-10-14

匿名しか書けないノーベル賞真実

そろそろ書いてもいいよね?

日本中が青色LEDノーベル賞を喜んでるところに水を差すようでごめんね。

だけど、21世紀の照明にLEDが使われることはないんだ。

21世紀の明かりは有機ELが主導していくんだ。

そりゃ、10年とか20年とか、始めの内はLEDが使われるかもしれない。

だけどそれだけだ。

やがて有機ELに取って代わられる。

なぜかって?

そりゃあ、有機EL映像を映すのに使えるからだよ。

照明器具って言葉死語になるよ。

なんでわざわざ、明かりのためだけの電化製品を用意しなきゃいけないんだ。

壁紙の代わりに超薄型有機ELパネルを張ればいいじゃないか。

それで全ての用途に利用できる。

照明はもちろん、テレビモニタープロジェクターインターフォンなんかが必要に応じて壁紙ポップアップするようになるんだ。

最高にクールだろ?

ま、LED電灯は社員食堂有機ELは高級レストランってところかな。

2014-10-09

共産趣味者ってのはさあ!

共産趣味者ってのはさあ、なんつーかさ、思想的に非常に悪い意味ステイブルニュートラルだよな。

すげえ自分安全なところから左翼的な部分に言及する。思想的に安全なところからさ!

「私はノンポリでぇ~す!!左翼的ものとは元来は関係ありまっせーーんッ!」って。臆面なく言えちゃう。だから共産趣味者を標榜できる。

思想というものを求められないからこうなる。

自分ブルジョワジーなのか、プロレタリアートなのか。

そんなものを一切考えなくてもいい。21世紀現代はな。そんなものを考えなくても生きていける。

もちろん、貧困格差はある。だがそれをブルジョア的、プロレタリアート的、あるいは階級闘争と引きつけて考えなくなっている。

からこそ、ふわりと共産趣味者が現れる。ブルかプロか? の埒外からの「観察者」が現れる。

共産趣味者でも、こうした構造自覚的な者はまだわかる。というか趣味者を生産的にこなせている。

しかしこうした構造にあまり無頓着共産趣味者を標榜する人間、すなわに勉強全然してない表面的な語彙的面白さで趣味者をやっている人間が多すぎる。

そうした姿勢は、趣味者として、左翼的ものに近いようで、最もかけ離れた姿勢なのだ

2014-09-27

キラキラネームは悪じゃない

苺愛と書いて”べりーあ”!? 2014年上半期キラキラネームランキング発表 | ニコニコニュース

http://news.nicovideo.jp/watch/nw1248452?ver=video_q

火星 じゅぴたー

さすがにこれはどうかと思うけどw

何度も言ってることだけど、キラキラネーム嫌悪する風潮がセカンドレイプを生み出してることにいち早く気づくべき。言葉狩りバカの三大特徴の1つだが、名前狩りも言葉狩りの1つだかんな。

セカンドライフが良い例だ。セカンドライフはなぜ一時期しか話題にならなかったのか?一方セカンドライフに類似したマイクラは何故こんなにも人気があり愛されてるのか?

そしてセカンドライフ社がマイクラパクリゲーを作っても売れなかったのはなぜか?すべての答えは「セカンドレイプから」で説明できる。

話を戻そう。DQNネームには悪魔ちゃんのような子に対する愛の感じられないものは確かにあるさ。記事にある黄熊(ぷう)も愛がないと解釈する余地がある。たとえ愛があっても名前とは一人歩きするもの。誤解の余地あるネーミングは悪だとプログラミング先生は言っていた。

でもさなんで苺愛(べりーあ)や七音(どれみ)まで非難する人がいるの?またキラキラネームバカDQNと結びつけたがる奴が多いのもなんなん?w

世の中を動かすのはいだって頭がよくて金があって世界俯瞰的に見れる一部の特権階級人間、というのは過去の話さ。今は多数派の衆愚の力が強すぎる。だからどげんかせんといかんのですよ。

21世紀美術の世紀なんて言ってたアーティストがいたけど、アート作品の類いのものでは世の中では動かない。運が良くても一時的に消費されるだけ。

話を戻そう。いわれの無いキラキラネームに対するイメージダウンによってネーミングの自由が失われている。アタマのカタイ世の中だなと思いますよ。

なるほどキラキラネーム批判自由だが、「他者自由侵害する自由」もあるが、それが数の暴力と結びついた場合は話が違ってくるのです。

われわれは寛容の心をもってキラキラネームを受け入れねばならないステージに来ているんですよ。今の人類が直面している時代とはそういう時代なんです。

あ、言い忘れたけどこれも何度も言ってることだけど、自分が親ならキラキラネームなんてつけませんよ。絶対に。

2014-09-25

http://anond.hatelabo.jp/20140925221440

おおこんなところでいきいきごんぼの話をする増田がいるとは。

個人的はいきいきごんぼは21世紀マカロニほうれん荘だと思ってる。

技野と今木が本当にいい感じだし、うんこもパワーインフレが起こっているようだし(北海道に住んでるから明日にならないと今号はまだ見れないが)、両方に突き抜けてほしいものだ。

2014-09-23

そろそろ、プロキシ住所サービスみたいなの(うまく表現できない…)を、公的に取り入れてもらえないかな…

(いつだか無職の時に、ECサイト更新タイピングできればOK!)みたいなアルバイトに応募してみたら、実は怪しい会社だったトラウマ…)

最近の流れみてたら、いろいろ怖すぎる。

明治時代の住所制度には敬意を表しつつ、21世紀の住所制度必要なんじゃないだろうか…と、無職の戯言ではあります

(※有料の民間サービスなら、もう既にあるので、それを利用すれば良いのだろうけれどね。いまいち信用しきれない自分がいます。)

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