はてなキーワード: 逆差別とは
おおむね同意。
増田の言うように性別によって向き不向きがあるのは事実だけれど、機会を平等にする「だけ」では現状の不公平の是正に時間がかかってしまう。なにしろ現状は「多数派(男性)の都合のいいように建てつけられた社会の仕組み」が多すぎる。
なので、いったん「数合わせ」からでもやりましょうというのがアファーマティブ・アクションで、たとえば「女性活躍推進法」といって従業員301人以上の企業は女性管理職の比率を公表することが義務付けられている。
アファーマティブ・アクションはれっきとした逆差別だし、実際に「女性であれば同じ能力の男性より先に管理職になるので社内ではすこぶる評判が悪い」などといった話も聞くね。
よく女性活躍うんたらで実力もないのに祭り上げられていい感じを醸し出している人を、ガラスのショーケースに入った見世物などと言ったりするが、どうもそうじゃない。同じような悩みが検索してみてもどうにもピンと来るのが出てこなかったので、愚痴の吐出しがてら少し書いてみようと思う。
私自身おそらく祭り上げられた方の人で、男性の多い業界のそこそこの企業で、平均より割かし早くに肩書きが付いた。 ただし、見世物にするのではなく、肩書き相応や肩書き以上の働きを求められ、できなければ責められる。 立場上当然と言えば当然で、ある意味筋は通っている。 ただし昇進が、本当に実力に見合った適切なものであれば。なのですが。
女性管理職を増やしたいだの、いろんな思惑があるのは分かる。 ただ、なんだか、隙あらば女を上にあげようという外圧が凄いのだ。 多少力が足りてなかろうが、ある意味逆差別的に優先させてでもお立ち台に上げてやらせる。 実態は見世物には変わりないかもしれないが、ショーケースのような小奇麗なお飾りではない。 その結果潰れるようなら、そこまでの奴だったとなる。正直、キツい。 私以外にも、やはり最速出世で○○長になった女性とか社内初の女性○○長とか、お立ち台に上げさせられた女性はみなヒィヒィ言っている。 そして、(転職でもすれば別ですが)自ら降りることも基本的に許されない。 次の昇進試験も絶対に受けさせろという、経営幹部クラスからの「要請」があったと、上長からは聞いている。
その上長も混乱しているようで、実力も実績も評価されたから昇進させたんだと言ってみたり、お前は女補正ゆえに期待や評価が別格なんだと言ってみたり、なんだか話が一貫しない。 私の実力が立場にかみ合っていないせいもあるだろう。最近は申し訳なくてちょっとかわいそうなくらいだ。
特に女性総合職の頭数が少ない業界における女性は、その中の全員ではないにしても、一度目をつけられてしまったら、女であるが故に、強制的に謎のスパルタ出世街道を望む望まざるに関わらず歩かされる場合がある。 うちは女性がお飾りではなくきちんと活躍してます!と少しでも高いところから世の中に宣伝したいがために、女性が活躍できる、ではなく、無理やりにでも女性を活躍「させる」。 女だからちやほやされるとか、もうそんな時代じゃない。
女性専用車が逆差別だとか言ってるカテゴリの男は気がついた方がいい。
男の大多数が、男らしさや男の沽券やプライドにこだわっているうちは、
専業主夫を増やすことを始めとして各種の社会的な男性の責任論の緩和は、男側の問題でできないだろう。
多くの男性は、女より上に立つことを当然と思ってる節がある。
親に教育された、「男なら〜なくてなはらない」という教え以外にも生物としての性質でそうならざるおえないだろう。
男は女にいいところを見せて尊敬されたいという本能があるようだ。
一説によると、マンモスを追いかけていた頃からその傾向があるらしい。
それによって利益を得ている強者や、その環境を望む層が一定数以上いるので
いつまでたっても、はてブの皆さんが望んでいる形の男女平等にはならない。
これは、ファミが男性側に望む「本当の男女平等」とやらが達成できない理由でもある。
女の場合も、女性が男性に庇護される立場を維持することで利益を得る層が一定以上いるからだ。
同じ性の側の別な性質のグループに自分の側の生き方を強いることになる。
ハラスメントだのLGBTだのファミだの逆差別だの、全部権力闘争なのにな、と思って。
結局のところ、権力闘争だ。
より権力を持つ者、上司とか、性的ノーマルとか、男とか、女性専用車両に乗ってる女とかがいる。それが気に入らないから、権力弱者に「ハラスメント」みたいな概念武装を持たせてパワーバランスを取る。パワーバランスの変化に気づかない鈍感な元権力者は、立場を勘違いしてハラスメント行為を行い、概念武装で殴られて死んでいく。
ポリコレ棒、とかいう言葉発明したヤツは、マジで見る目とセンスがある。ポリコレなんて、弱者が強者を殴るために発明された概念武装そのものだ。他人を殴らないポリコレなんて、切れない剣より意味がない。
この権力闘争を推し進めると、平等で誰もが幸福な社会が来るのか? いいや、そうは思わない。俺たちに身につくのは、平等主義ではなく、銃弾飛び交う権力の戦場でどうにか生き残る術だろう。
セクハラをしないのは、女性を尊重するからではなく、戦場で死なないためである。彼はセクハラをしないとしても、我が身を犠牲にして女性を——権力闘争の敵を——救うこともまたあるまい。友が不用意にも銃弾に倒れれば、あるいは無能な味方のミスで自身の不利益が起これば、ハラスメントコードなんか吹き飛ぶ。隠蔽ぐらいするさ。我が身が大事だ。友を見捨てて被害を最小限にするような、戦場のリアリズムが身についてるヤツばかりじゃない。早稲田大で起こったのはそれだ。死に値する無能だったが、人間らしい行動だった。
かような権力闘争の渦中にあって、我が子に平等主義を教え込むような者どもは愚かである。世界は平等ではない。平等を求める社会運動の行き着く先ですら平等ではない。我が子には、権力闘争の渦中で生き残る力こそを与えよ。自分の不利益にNOを言える精神を、暴力を振るわれたら殴り返せる筋肉を、他者の信頼を得るためのリスペクトの言葉を、なによりそれらを自分のために使うための勝負勘を。
ネオリベとか自己責任論とかいう思想は、社会全体の衰退をもたらすという意味では間違っているが、個人が持つべき現状認識としては完全に正しい。ポリコレ棒で概念武装した者共は、権力闘争の自由化を今後ますます推し進めるだろう。大岡越前が絶対な権力で闘争を調停してくれる世界は、もう来ない。
それにつけても、クッソくだらない。
ポリコレ棒を持った者共には、権力闘争をしている自覚すらない。平等と呼ばれるパワーバランスの実現と引き換えに、社会全てを戦場にした自覚がない。
その自覚の無さは、いつかより強い権力が現れた時に、致命的な被害を生むだろう。……ああいや、もう産んだか。安倍なりトランプなりが、より強い権力だ。
ハラスメントだのLGBTだのファミだの逆差別だの、全部権力闘争なのにな、と思って。
結局のところ、権力闘争だ。
より権力を持つ者、上司とか、性的ノーマルとか、男とか、女性専用車両に乗ってる女とかがいる。それが気に入らないから、権力弱者に「ハラスメント」みたいな概念武装を持たせてパワーバランスを取る。パワーバランスの変化に気づかない鈍感な元権力者は、立場を勘違いしてハラスメント行為を行い、概念武装で殴られて死んでいく。
ポリコレ棒、とかいう言葉発明したヤツは、マジで見る目とセンスがある。ポリコレなんて、弱者が強者を殴るために発明された概念武装そのものだ。他人を殴らないポリコレなんて、切れない剣より意味がない。
この権力闘争を推し進めると、平等で誰もが幸福な社会が来るのか? いいや、そうは思わない。俺たちに身につくのは、平等主義ではなく、銃弾飛び交う権力の戦場でどうにか生き残る術だろう。
セクハラをしないのは、女性を尊重するからではなく、戦場で死なないためである。彼はセクハラをしないとしても、我が身を犠牲にして女性を——権力闘争の敵を——救うこともまたあるまい。友が不用意にも銃弾に倒れれば、あるいは無能な味方のミスで自身の不利益が起これば、ハラスメントコードなんか吹き飛ぶ。隠蔽ぐらいするさ。我が身が大事だ。友を見捨てて被害を最小限にするような、戦場のリアリズムが身についてるヤツばかりじゃない。早稲田大で起こったのはそれだ。死に値する無能だったが、人間らしい行動だった。
かような権力闘争の渦中にあって、我が子に平等主義を教え込むような者どもは愚かである。世界は平等ではない。平等を求める社会運動の行き着く先ですら平等ではない。我が子には、権力闘争の渦中で生き残る力こそを与えよ。自分の不利益にNOを言える精神を、暴力を振るわれたら殴り返せる筋肉を、他者の信頼を得るためのリスペクトの言葉を、なによりそれらを自分のために使うための勝負勘を。
ネオリベとか自己責任論とかいう思想は、社会全体の衰退をもたらすという意味では間違っているが、個人が持つべき現状認識としては完全に正しい。ポリコレ棒で概念武装した者共は、権力闘争の自由化を今後ますます推し進めるだろう。大岡越前が絶対な権力で闘争を調停してくれる世界は、もう来ない。
それにつけても、クッソくだらない。
ポリコレ棒を持った者共には、権力闘争をしている自覚すらない。平等と呼ばれるパワーバランスの実現と引き換えに、社会全てを戦場にした自覚がない。
その自覚の無さは、いつかより強い権力が現れた時に、致命的な被害を生むだろう。……ああいや、もう産んだか。安倍なりトランプなりが、より強い権力だ。
https://piro.sakura.ne.jp/latest/blosxom/topics/2018-06-22_women.htm を書いた人です。
概ね認識に相違は無いと思っていますが、正確を期したいと感じた部分があったのでコメントします。
「かわいい声の女性エンジニアがいさえすれば問題にはならなかった。かわいい声で癒してくれる本物の女性エンジニアがいてくれればそれが一番いいのに」
とあるが、ここでいう「かわいい声の女性エンジニアがいさえすれば問題にはならなかった」を、私は「かわいい声の女性エンジニアがいれば、Y氏はこのようなソリューション自体作ろうと思わなかった」という意味に解釈した。
ここは「彼はそうは思わなかっただろう」ではなく「彼が言った事は、裏返すとこういう事になる」という、彼の発言の危うさに対する指摘のつもりで書いた部分です。
悪意というと「こいつを悪者に仕立ててやろう」というようなニュアンスを感じますので、そういう意図は否定しておきたいです。
ただ、こういう意味にも取れる、ああいう意味にも取れる、という中の一つとして「元発言に否定的な感情を抱いたケースでの解釈」であるという事は否定しません。
自分は「差別性が見え隠れする、差別性に無自覚な発言」と感じました。差別というのは基本的に、する側の意図や目的ではなく、される側に与える影響の方によって定義づけられる物だと自分は考えています(平たく言えば、される側が差別と感じたら差別、という話なのですが、そう言いきると無根拠な言いがかりも正当化されてしまうため、敢えて回りくどい書き方をしてみました)。
「誤解」というと自分は「差別性が無い物に無理矢理差別性を見出している」というニュアンスを感じるので、この点は明確に自分とは考えが違うと思っています。
なので、例えば私のような人間がチェックをした場合、「差別発言をしていないが、炎上しそうなので却下」という理由でリジェクトすることになる。これは逆差別と捉えられかねないし、また別の問題を生みそうである。
そうですね。なのでもし仮にそういう時があったら、「炎上しそうなので」というフワッとした理由ではなく、自分が書いたような解釈がありうるのでここはこう改めるべき、と明確な指示を出すための材料に使ってもらえれば本望です。
この記事は Y社のエンジニア炎上について思ったこと -「女性エンジニア少ない問題 の続きです。
ありがたいことに、よくまとめられた記事を書いてくれている人がいる。
こっちが匿名で反論するのはフェアではないのは承知で、この記事に関しても私の意見を述べていきたい。
この記事はどちらかというとY氏批判側の記事で、私のどちらかといえばY氏擁護派とは異なった立場の記事であるので、できれば元記事を読んでからこの先を読んでほしい。
冒頭の記事に限らず「女性エンジニア」という言葉が使われる場面で一定数観測される代表的な問題が、「女性であるというだけでのコンパニオン扱い」です。技術職の専門家として雇われているという点で男性エンジニアでも女性エンジニアでも差はないはずなのに、
(中略)
どうでしょう。身に覚えはありませんか(無いならあなたは幸せ者です)。最初の1回2回は頼られて嬉しいかもしれないけど、それが何度も続いて、その都度自分がやりたい事を中断させられたり予定を狂わされたりすると、そして大した報酬も出ないとなると、ウンザリしてきませんか。「PCを普段から使っている」というだけの事で何故そこまで諸々押しつけられ背負い込まされないといけないのか。面倒臭い。そうです、その面倒臭さと同じ物なのです。
ここまでは同意する。
「それは藁人形論法だろ。件の発表では『女性の声』という所にフォーカスしていて、声聞かせるだけだったらべつにええやろ」と思う人もいるかもしれません。ちょっと待ってください、低い声の女性もいればガラガラ声の女性もいますよ。演技としてかわいい1オクターブ上の声を出す事はできても、いつもその声で喋れるとは限りません。そういう人達に「やる気が上がらない声だ」「もっと気合い入れてかわいい声で喋ってよ」なんて言うんですか? 思うだけなら自由ですが、言ったら駄目でしょうそれは。
確かに、そういう人たちに対して「やる気の上がらない声だ」「もっと気合い入れてかわいい声で喋ってよ」なんて言う奴は嫌なやつだ。しかし、今回の話とは関係ない(Y氏はそのような主張はしていないし、そのようなソリューションでもない)。
あと、ここで「例の発表の内容は『だから機械学習を使って技術で解決します』という話で、面倒さからの解放を謳ってるんだから何も問題ないじゃないか。実際の女性エンジニアが楽になる話なのに、何が悪いんだ」という反論・擁護が出てくるかもしれません。はい、繰り返しますが、「それを技術で解決する」事それ自体は問題視していないのです(少なくとも僕は)。
何が問題なのかは、こう言い換えれば分かりやすいのではないでしょうか。「今回は技術で問題を解決したけど、かわいい声の女性エンジニアがいさえすれば問題にはならなかった。かわいい声で癒してくれる本物の女性エンジニアがいてくれればそれが一番いいのに」。はい、一気に嫌らしくなりましたね。悪意に取りすぎでしょうか? いいえ、悪意に取ったのではありません。「無邪気な発言」は、こういう嫌らしさと表裏一体という事なのです。
「かわいい声の女性エンジニアがいさえすれば問題にはならなかった。かわいい声で癒してくれる本物の女性エンジニアがいてくれればそれが一番いいのに」
とあるが、ここでいう「かわいい声の女性エンジニアがいさえすれば問題にはならなかった」を、私は「かわいい声の女性エンジニアがいれば、Y氏はこのようなソリューション自体作ろうと思わなかった」という意味に解釈した。
この部分には反論をする。きっと、かわいい声の女性エンジニアがいても、作られたと思う。なぜならかわいい声の女性エンジニアは多すぎて困ることはないからだ。
「かわいい声で癒してくれる本物の女性エンジニアがいてくれればそれが一番いいのに」という部分は反論しない。そのとおりだと思うからだ。そのとおりで、現実はそうでないから、Y氏は機械学習で解決を試みたのだ。
「悪意に取りすぎでしょうか? いいえ、悪意に取ったのではありません。「無邪気な発言」は、こういう嫌らしさと表裏一体という事なのです。」
という部分に関しては、「表裏一体」という部分のみ同意する。つまり、Y氏の「女性の声で挨拶されたらやる気アップ」みたいなソリューションは、「かわいい声の本物の女性エンジニアがいてくれればそれが一番いいのに」という願望が見え隠れするという部分に同意するという意味だ。
しかしわざわざそのように解釈するのは、悪意がなければそうならないと私は思う。
(なので、仮に件の発表に「かわいい声の女性がいると実際男性も女性もやる気が出ます。でもそのためだけに『かわいい声の女性エンジニア』を増やすというのは本末転倒です。技術職の人に求める話ではありません」というような一言でもあれば、また話は違ったのではないかと僕は思っています。)
この部分は同意する。つまり、女性エンジニアに「かわいい声」を求めるなということである。
話を整理するが、Y氏は「女性エンジニアが増えれば男性エンジニアのやる気がアップする(だろう)」と主張して、「だからといって女性エンジニアを1から育成したり新たに雇うのは現実的ではない」として、「男性を女性にする」というソリューションを打ちだしたのだ。
女性エンジニアをかわいい声にしようとはしていないし、そうすべきだとも主張していない。
印象的な部分を引用する。
「そんな事を言いだしたらどこにも足の踏み場なんか無いじゃないか、言って安全な事なんて無いじゃないか」そう反論したくもなるでしょう。残念ながらそうなのです。
この章で書かれてあることも、多くは同意する。
ただ、
また、チェック機構が働いていたにもかかわらず見過ごされたのであればなおさら問題です。それはつまり、チェック機構になるはずだった周囲の人達もまた前項で述べたような点についての意識が薄いという事であり、また同じような事が繰り返されかねないという事だからです。
私はY氏が差別発言をしたとは思っていなくて、「センシティブなテーマが拡大解釈/誤解されて炎上した」と思っている。なので、例えば私のような人間がチェックをした場合、「差別発言をしていないが、炎上しそうなので却下」という理由でリジェクトすることになる。これは逆差別と捉えられかねないし、また別の問題を生みそうである。
よって、炎上した手前チェック機構には責任はあるとは思うが、そもそも拡大解釈/誤解をしないでくれ、と私は世間一般に望む。
共感する。
私も熱くなってしまった。
ツイッターでつながってる友達(女)のリツイートに、いわゆる「ツイフェミ」「クソフェミ」系のツイートが混じり始めた。もともとそういうのと親和性高そうな人だなとは思ってたけど、「ああ捕まったな」と。失望とも無力感とも違う、なんとも言えんやりきれなさがある。
俺もまっとうなフェミニズムとクソフェミを自信を持って区別できるほど理解してはいないけど、「女ばかりがこんないやな目に遭う(だから男ももっと苦しめばいいのに)」みたいな負の公平を振りかざすやつとか、そもそも女尊男卑の意識が明白なやつとかは顧みる価値のないクソフェミだと思っている。
そういう意見はたいてい日常の身近な出来事や些細な不平不満を題材にして主張されることが多いので、無知な女性の共感を得やすく、背後にある男性嫌悪を意識しないまま拡散されやすい。ギリ子某とかマルクス某とかみたいな、落ち着いて読めば即座にクズとわかる白ハゲマンガが大量RTされるのは、熟慮せずに雰囲気で拡散する斜め読みユーザー(つまりおっちょこちょい)がツイッターの大多数だからだ。
おそらく件の彼女のタイムラインにもそういったおっちょこちょいが多くて、一見女性の権利を代弁しているようでいて男性を逆差別しているだけのクソを喰わされまくった結果、徐々に影響を受けていったのだろうと思う。彼女は残念ながらフェミニズムという思想体系をアカデミックに咀嚼するだけの教養がある人ではないので、このままいくと無自覚なままミサンドリーに染まっていく気がしてならない。というか、内心はすでに堕ちていてオトナの理性で黙っているだけなのだろう。
そんな女性に対して男性から「その思想はヤバイで!やめとき!」と助言するのは地雷原でタップダンスするようなものだと思うので、できれば聡明な女友達の口から「それはフェミニズムじゃなくて男性蔑視だよ」と伝えてあげるのがいいと思うのだけれど、まあ期待できそうもないな。
ツッコミたいこと。
増原さんと東さんが社会影響考えて離婚するかしない相談してた時期がどれくらい長かった分からないけど、そこさっぴいても不倫の期間あったんじゃない?とか。
増原さんと東さんで子ども欲しかったときの精子提供者への態度とか。
祝福してる人たちはLカミングアウトした人だから、勝間さんだからってフィルターかかってるんでないの。そういうあれこれ、周りの知ってる人に置き換えたら、えーーーってならないの。想像力働かせれば。まじかよって気持ちに少しなりませんか?
でもブコメはLGBT公表してすごい!みたいな祝福ムードいっぱいでえーーーってなる。差別しないように意識しすぎて逆差別になってるみたいな。
LGBTが本当に浸透してたら"異性愛"の有名人カップルと同じようにディスられてたと思うんだよ。
でもまだ時代がLGBTを受け入れよう!っていう段階だから。まだ上から目線で助けてあげようっていう段階でしかないから。
そういう時代において、勇気をもって有名人が公表することに意味があるんだろう。
きっと時代が進む一歩になってるんだろう。
そして時代が進んでLGBTもすっかり普通になったら、普通に、いやいやあんたら交際期間かぶってませんか?みたいにやっとツッコミいれられるんだろう。
しかししかし、もうこの現代においてもワイドショー的な、週刊誌的な、人の恋沙汰にあれこれいうのは野暮だしダサく前時代ということになっている。ベッキーほっといてやれよってなる。私もそう思う。
だから結局この増原さんと勝間さんには今も未来も何も言えない。ツッコミは入れるべきじゃない。
もちろん、ミサンドリーは決して容認してはならないものだし、最初に炎上した絵師RODが男性相手の商売をしておいて男性叩きのRTをしていたのは理屈がおかしいことくらいは理解できる。
この書き方に何か既視感を覚えると思ったらあれだ
「もちろん痴漢は絶対に悪いが、被害者の方にも一抹の責任があるのではないか」と一緒なんだ
メガリアがやってることは明らかな人身への攻撃であって、明確な悪であるにも関わらず
それに対して文句を言っている男たち「だけ」の責任をあえて問う書き方はセカンドレイプを彷彿とさせる
しかも兵役ってこの世で最も大切な人命が関わってくる問題なのにサラっと流しているし
男の人生設計に多大な影響を及ぼしていて男が差別されている多大な要因であるのに関係ないと知らんぷり
挙句の果てに「逆差別」ときたもんだ それ逆じゃねえから。明確に「差別」だろ まるで女は差別の加害者ではないと言いたいようだ
趣旨は上の通り。
自分がオタクだと自認するようになってからこっち、10年以上にわたって、オタク差別けしからんと言い続けてきた。
ここ数年、なんとなくそれに違和感を感じることが多くなってきたけれど、それでもやっぱり言い続けてきた。でも今回はっきりわかった。
オタク差別批判とか、ただの害悪でしかない。もうやめたほうがいい。
差別というのは、権力構造に根差すものであるという話をだいぶ前にツイッターで見た。
つまらない約束事のように映ったけれど、まじめに考えるとこれを踏まえないから、差別を相対化して見せては矮小化や言葉遊びにふけるような態度が出てくるのである。日本人ヘイトだの専用車両は男性差別だの在日韓国人による逆差別だの、差別者以外にとってはおもしろくもおかしくもない大喜利パズルでここ何年かでいったいどれだけ無駄な足止めにいそしんでいたというのか。ちゃんとベースを踏まえてこそ、くだらない袋小路にはまらないで済む。これはちゃんと物理を学んでいない人がブルーバックスくらいだけに目を通しただけで「矛盾」を発見し、相間さんと化すときに似ている。
今まで自分が存在していると思っていたオタク差別は、多分差別ではない。それは、いじめであり、パワハラであり、DVである。
そう視点を変えた方が、いろんなものが整合性をもって見える。中学校時代よくいじめにあっていた同級生は、オタクじゃなかった。正確に言うとオタク「も」いた。
でもそれは、そいつと俺が割と仲が良いから知っていた話で、きっかけは別のところにあった。運動音痴だから足手まといだという扱いだったり、成績がよくて生意気だという扱いだったり、DQN憧れの男の子の彼女だからだったりした。
もちろんきっかけが「オタクだから」というケースもあるんだろう。でも、それはこういったきっかけのワンオブゼムでしかない。それを、民族差別や女性差別と並べるのは、視野が広い人間ではなくただの雑な人間だ。
「差別じゃない」というのは、多分そういうことなのだ。そして、差別じゃないから批判の対象にする必要はないという話では、たぶんない。別の枠組で批判すればいい。
なのにもかかわらず、熱心にじゃああれは差別じゃないんだーという大喜利ばかりをしているツイートばかりが「オタク」から流れてくる。いや、どうしてもそこのところをわかりたくないのかもしれない。
わかりたくないのか、わかろうとしないのか、本当にわからないのか、どれなんだ。
いろいろ、「オタク差別の事例」というのが流れてきた。前なら、そうだそうだと怒りをぶちあげたであろうものがたくさんある。でもそれはどれもこれも、オタク差別の事例ではない。
そういうものを引いて行って、ある程度確実にあったんじゃないかと思えるのは、「マスコミを通じたもの」だと思う。特にバラエティやニュースを通したもの。
それで思い出すのだけど、俺の中高時代はあんまりオタクがいいとか悪いとかいう意識を持つことじたいあまりなかった。今思えば自分の机でいつも小説を読んでいて、たまたまホームページの話になったとき「私も持ってる」と言ったのでURLは?と何の気なしに尋ねたらそれはちょっと……みたいに返してきた女の子なんかはオタクだったんだろう。自分だって漫画は好きだったしオタクだったはずだ、今にして思えば。
じゃあ、そこにどうやってオタクキモイみたいな「偏見」の存在を知らされたかっつーと、漫画だったりインターネットだったり、そして「オタク自身の言説」からなんだよね。
だって、バラエティ番組なんて中二病まっさかり(高校になっても中二だったので)でほとんど見てなかったし。ニュースといってもこの手の話ってだいたいワイドショーである。やってる時間は学校にいるんだから見るわけがない。
金田一少年の事件簿には、小太りですぐキレ気味になる、「オタク」が登場した事件があった。こち亀で、美少女フィギュアを専門とする「色白でアニメ好き」なオタクが登場して、硬派フィギュアマニアのつもりな両津が逃げ出すという展開が「オチ」として機能していた回があった。名探偵コナンのホームズフリークの回は……さすがにこの文脈で語るものではないか(でも動機の酷さは「オタクなんてそんなもんだろう」という共通認識が背後にあるような気がする。知らんけど)。
テキストサイトが一世を風靡していたころ、オタクやオタクに向けられたコンテンツは叩かれる「べき」もの扱いだった。非オタク向けの、スポーツとかファッションを語るページに迷い込んだら叩かれたという話ではない。漫画の感想サイトや、漫画やゲームをメインで扱う日記サイトでの話である。
何を言っているか分からない人もいるかもしれない。例えば、ラブひなやいちご100%やBLACK CATは、軟弱な頭の弱いオタクのためのコンテンツであり、あんなものにゲヘゲヘゆってるオタクマジキモイ。ホイッスルやミスフルやテニスの王子様は腐狙いコンテンツであり、あんなものに(ry そういう話である。この範囲は結構広くて、らんま1/2やH2ぐらいでもオタク向け扱いされることがあった(もちろん、当時これらが連載されてたわけではない。あれってオタ向けの駄作だったよね―みたいな扱い)。
もちろん彼らが持ち上げるコンテンツというのもあったのだが、この文脈で実例を挙げるの風評被害でしかないので避ける。俺の好きな作家や作品も混じるし。
テキストサイトだけではなく、2ch(当時)もそんな感じだった。少年漫画板とかそのへんをよく覗いていたのだが、まあ当該作品のスレは愛読者が集まるのでそうでもないこともあるのだが(そうであることもある)、総合系スレでのオタクコンテンツ叩きはかなり強固だったし、漫画とか関係ないジャンルの板だとなおさらだった。
そういうものにどっぷりつか……もとい接しているうちにオタクというのは叩かれるべき存在であるのだなというぼんやりとしたイメージが自分のなかで出来てきた。これにもう一つ後押しするように影響したのが、自分はオタクだと称する人が、迷惑行為や触法行為のようなものを自慢しながら、「ホラ俺たちオタクだからさ」みたいに語っている文章に接する機会があったのも、ああそういう人がオタクなんだなと認識させられた。
ちょっと話はずれるけれど、当時は、オタクとマニアの違いなんていう言い方があって、オタクはそういう迷惑なものを抱えた側の人間やハマりすぎて社会に順応できなくなっている人間、というような線の引き方もあった。
これは、あくまで俺の話である。だから、他の人がどう偏見を植え付けられたかは、また別の話があるかもしれない。でも、オタク差別を煽ったものとして、「漫画」「インターネット」「オタク自身」という声を、この話でオタク差別に怒っている人の口から出てくるのを見ないのだ。
ここで挙げたのは、知る人ぞ知るみたいなのじゃなく、だれもが知る有名漫画、リドミで上位常連の大手サイト、オタク文化人として今でも名前を出せば通じる、みたいなのばかりを念頭においている(まあ当時のインターネット文化がそもそも、知る人ぞ知るなものでしたけど)。みんな、俺とは違う漫画やインターネットを見ていたんだろうか。ワイドショーやバラエティばかりを見ていた「オタク」がそんなにたくさんいたんだろうか。
本当に不思議なのだ。あそこでこんなオタクへの偏見に満ちた報道があったんですよっ!というようなツイートは大量に流れてくるのに。
これが本当に、ここ数年で疑念として大きくなった末に、今回愛想がつきた一番のポイントなんだけど。
オタクが差別を受ける構造が、あったとする。それは、ネットで語られているほどは大きくないかもしれないけれど。
それで、今、オタクってなんなんですか、と。特にネット上では、強者、抑圧する側、差別を行使する側の「集団」として機能してませんか、と。
腐女子叩きは昔からあったけれど、女叩き、中韓叩き、などは当たり前のように横行している。時々流れてくる、弱者の権利をなんとかして奪ってやろう、人権思想じたいを矮小化してやろう、という意気に満ち満ちたツイッター漫画は誰によって大量RTされているのだろう。俺のところにはだいたいオタクさん経由で回ってくるんだけど。
趣味、という切り口でみても、オタク文化を愛好する人が自分たちと関係のない趣味なら平気でdisる光景というのはそんなにたぐいまれだっただろうか。インスタ蠅なるイラストが回ってきたことがある。そもそもインスタに投稿するのが趣味になっているような女性を叩くようなツイートが回ってきたことがある。鉄オタは「池沼」「ガイジ」であるなんて言い方もある(「」内は原文の表記を尊重)。ゴルフや車などを老害の趣味だとバカにしていたりもする。そうそう、スイーツ(笑)なる言い回しはいったいどこのどういう人によって流行したんだろうか。「リア充爆発しろ」というフレーズに何げなく込められた、自分と関係ない集団への軽視に、どれだけの人が気づいてたんだろか(だって「爆発しろ」だよ。あの連中、有明に15万人集まったタイミングで奴等爆発四散しねえかなーって非オタな人が言ってそれがそっちの界隈で大好評を博したら、インターネットな皆さんの間でどういう反応が起こるか考えてみたらいい)。
そんなオタクばかりじゃないというのは分かる。というか俺がこういう文章を書いてる時点で分かれ。でも、個の話じゃないのだ。集団としての性質の話である。あれだけ、全共闘や学生運動について冷笑ぶって叩く人が追いのに、そこに気づかないってどうかと思う。あとリア充爆発しろは使ってましたすいません。
それに、そういったところで、こんなふうにちゃんと抵抗して、こんなふうに批判して、中から自浄する動きを作りました、このコンテンツからは離れましたと胸を張って言える事例、どれだけあるんですかね?俺が、ノットオールオタクと言い続けたところで、結局「自分を批判の対象から外してくださいあいつらは関係ない」と逃亡する以外に何の役回りも果たせなかったから、言っているのだ。この記事は違うよなあ~こういう作風は好きじゃないなあ~こういう物言いはよくないよなあ~と個別の案件に不満ごちてみせ、自分は違うと思う、もっというなら思ってみただけで、肝心なところからは目をそらしていたんじゃないか? そう思うんである。
逆に、そこに自覚的になったんだろうな、と思える人も何人か知っている。そういう人は、結局C.R.A.C.やツイフェミのようなところに接近し、そのやり方すべてに同意はしないまでも、見解や思想に共感するようになっていく人がほとんどだ。おそらく今回「オタク差別」に怒っている人は、この人たちを敵であり、オタク仲間と認識していないと思う。
つまり、オタク文化の加害者としての側面を見ないふりするか、オタクに勘定してもらえなくなるか、二つに一つということだ。
C.R.A.C.の野間氏は個人的には大嫌いだし、たぶん単にオタクが嫌いなんだとは思う。でも今回ツイートの応酬を見ていて、残念ながら主張にそれなりに同意せざるを得なかったのは、こういう背景について理解できてしまったからだ。そこで突然くっちゃべられる「オタク差別」。真面目に反差別を考えている人にとっては(多分そこは真面目なんだと思う。この人)、筆算の横棒がミニ定規で引かれていないから×、レベルの見当違い感があったんではないか。野間氏の真意など知らないけれど。
そういえばその昔、本田透の「電波男」に感銘を受けながら読み進めていて、後半のほうで腐女子やフェミニストについてはずいぶん切り捨てたような言及の仕方なのに疑問を持ったことがあった。いや、フェミニストがオタクを差別している、という文脈で批判してるなら理解できるんだけど、そうじゃなかったから。権利意識を持つ女性自体が許せなさそうだった。その後「電波大戦」で喪女についての話題が出たとき、対談相手の竹熊氏がわりと真面目に実態について話したりしているのに、「困ったモンですね」で終えているのを見て、クジャクヤママユを盗み出した同級生を見る眼つきになったのを覚えている。だってそこで語られてる喪女、本田氏が救済しようとしてやまない喪男と違わないのに。
そのあとしばらくは新刊も買って真面目に読んでたの、それもどうよって話だけど。
10年くらい前に、俺たちの麻生なるムーブメントがあった。別に政治家を持ち上げること自体は好きにすればいいんだけど、そこでは当人が積み上げた迷言失言差別発言をすべからく許容し、批判したマスコミへの叩きが横行していた。正直、あの政治家のどこがいいのかさっぱり分からなかった。
当時はオタク系個人ニュースが全盛期。そういったサイトの管理人は、麻生氏を擁護するまとめブログエントリを紹介しては、叩かれていて困ったものですねぇ、正論なのに、というようなコメントをこぞってつけていた。オタク気質の知り合いなども、熱心に自ブログで擁護していた。
あれから10年たった今も、麻生氏は差別発言や侮蔑発言を繰り返している。あれを見ていて思うのは、この人は息を吸うようにハラスメントをする人なんだな、ということだ。それは、昔も同じだった。だから、どこがいいのかさっぱり分からなかったのだな、と腑に落ちたのだが、同時に当時持ち上げていた人たちにとっては、「だから良かった」んだろうかしら、とぼんやりと邪推してしまう。
今回オタク差別について怒っているツイッター主の中に、表現規制反対などをめぐっての発言をしばしばしているアカウントがいくつかいる。いずれもその界隈ではそれなりに大物だと思う。そして、俺のチェックしている反対派がぼんくら揃いなのかもしれないけれど、ヘイトスピーチの言論の自由を唱え、ポリコレで何も言えなくなることを憂い、自分に関係ないところでの言論の自由に興味がないかむしろ規制されることを望み、性差別についての提起が出てくるとそれについて考えるより先に提起者の揚げ足を取って袋叩きにするような人たちが勢ぞろいである。さすがに全部きれいに当てはまる人は少数だけれど。そんな反差別運動(別にあの界隈に限らず、そういう発想自体)が大嫌いな人たちが、当然のように主張しだすオタク差別批判、いったいなんなのか。ただ、差別社会の中で特権階級になりたいだけじゃないのか。
そういえば、これはある程度年配のオタクということになるけれど、昔(主に90年代くらい)のバラエティはこんなにおおらかだったのに、今はポリコレがうるさいせいでつまらなくなった、というような声が時々ある。なぜか、そういうつぶやきをしている人が「昔はオタクをバカにする表現に寛容でよかったなあ」と語っている声を聴かない。今回オタク差別が話題になって、バラエティなどでのオタクの扱われ方という話はけっこう出てきているのに、いない。どこへ行ったんだろう。
オタクと差別、という組み合わせでオタク文化っぽいものを思い返してみると、そんな案件ばかりが、思い出されてくるのだ。
反差別のために立ち上がったオタク、というのはそれなりの数知っている。そういう人はオタクかそうじゃないかを越えたところのつながりで、反差別をやっている。でも、オタク差別けしからん以外の「反差別」がオタク文化の中心的な動きとしてあったところを、見たことがない。差別を煽り、偏見を煽り、強者に諂い(自分たち以外の)弱者を嘲笑する、そんな動きならいくつも思い浮かぶのだけど。
あ、一つ思い出した。(反差別とは少し離れるかもだけど)フリーチベット、フリー東トルキスタン。
残念ながら、反中のダシ以上のものであった記憶はないけど。ああいうの、真面目なチベットや東トルキスタンにおける人権運動家に失礼だったんじゃないか。
こんな「オタク差別批判」に大真面目に同意したところで、反差別には一ミリもつながらなさそう、むしろ後退させる役割しか果たせなさそうである。メディアを通した差別はもうかなり減ってるといわれるし、それ以外のものはオタク差別というくくりより別のくくりで論じた方が有意義でより広い被害を論ずることができるようだ。となるとオタク差別なるものに拘る理由はない。
もしかしたら、こんなことは本田透の2冊目の著書におかしさを感じた時点で、たどり着かなければならなかったのかもしれないけれど。
モアナと伝説の海やズートピアは弱い男キャラを強いヒロインが受け止めて癒す物語だったように思う。
モアナは強い意思を持ちマウイから何をされても中々めげないのにマウイの精神は弱くて脆くてすぐ折れるしコンプレックスも強い、やがてそんなマウイの弱さを理解して癒す強いヒロインと回復して強くなるマウイ。
マウイを信仰する人々から反発があったのも頷ける感じのキャラ付けだった。
ズートピアのヒロインは酷い差別をされ狐から暴力も受けてトラウマがあったけど、ヒロインはそれらを乗り越えてその差別には誰も謝罪しない。