はてなキーワード: 落選とは
萌え絵、水着撮影会を批判している人は反対派であって弾圧はできない。
法的には一般人だが、知名度や党内での影響力を考慮すれば、迂闊に発言するのは望ましくない。
地方議員が批判するのは表現規制になるだろう。たとえ少数の共産党員でも。
DJ SODA氏の過激な水着で駅にポスターを貼れば批判はされるだろう。
当初、共産党の地方議員団は水着撮影会そのものを批判していた。
その後、水着撮影会そのものではなく、未成年がいたのが問題との論が主流に。
撮影会そのものを批判している人と未成年部分を批判している人は違う。
中にはこっそり論旨を変えた人もいるかも知れないが、私は調べていないので分からない。
客体と主体の線引きはどこにあるのか
主体と客体の話になれば2次元イラストは永遠に主体になれない。
DJ SODA氏は主体的だが萌え絵広告は客体だからダメとの主張は本当に良いのか?
DJ SODA氏が経営者であれば完全にセルフマネジメントなので主体的と言えるが
芸能事務所と契約している場合は、企業が性的な商品として売っている側面は否定できない。
故に、客体的であると言えなくもない。
客体なんて言葉を使ったことがないので、使い方があってるかは分からない。
自己責任論
直近のニュースを例に出す。
https://anond.hatelabo.jp/20230817095200
◯選ってするとむずくね?
戦う少女
ロリコンを量産した
海外人気という点において
戦う少女その2
入れるか迷う、グロいのにとんでもない人気
・マイメロ
キャラ人気がエグい
影響度が限定的
同様
・ゾンビランドサガ
名作ではあるが影響度が足りない
・ウマ娘
同様
・無職転生
同様
同様
同様
・ぼっちざろっく
同様
・呪術廻戦
同様
おしい、入れるか迷う
おしい、これも迷う
これもおしい
3 持ち家か賃貸か論争
7 昔のインターネットの思い出話
9 トランスジェンダーの扱い
16 ヴィーガンをめぐる論争
19 論文に関する記事に対する、擬似相関ではないか、という指摘
21 反出生主義に関する話
25 男女を逆にして考えてみる話
26 生成AIに関するお気持ち表明とそれに対する更なるお気持ち表明
32 主語が大きいという指摘
33 また髪の話をしてる…という話
44 うなぎを食べるべきではない、という主張
45 ブラック企業に勤める人に対して、いますぐやめろ、というアドバイス
46 モラハラやDVの配偶者に悩む人に対して、いますぐ離婚しろ、というアドバイス
47 問題のある友人への対応に悩む人に対して、いますぐ縁を切れ、というアドバイス
50 ブコメ非表示のウェブサイトをホッテントリ入りさせるべきではない、という主張
53 体育の授業に関する恨みつらみ
54 ちくわ大明神
58 句読点も改行もない長文に対し、読みやすくてスゴい、との絶賛
60 カブトムシ
61 いまこそ、はてなハイクを復活させるべき論
63 漏らした体験談
65 非モテに関する論争
66 下着を汚しただけなら漏らしたうちに入らない、という意見
67 メタブタワーの上層階まで来る人、レスバの当事者以外にいない説
69 トップコメは変わるかもしれないから「トップコメ」と呼ぶな、という話
70 なぜ人をコロしてはいけないのか論争
71 単著もないのに、という指摘
75 これだからブクマカは、と書いてる人もまたブクマカである問題
76 カブトムシ
78 三大〇〇、あと1つは?のネタフリで、既に3つ(以上)書いている、という指摘
79 三大〇〇、あと1つは?の時は3つ(以上)書くのが通例なのに2つしか書いてない、という指摘
80 カブトムシ
82 いつになったらグラフィーは完成するのか
83 落選を悲しむべきか、「また落選」と言えることを喜ぶべきか
85 トゥギャッたんは本当は何歳なのか
88 獣を檻に入れておくべきか
91 増田のやべーやつ番付の作成者自身を番付の上位に載せるべきか
93 2段ジャンプか、手から無限にからあげの出る能力か、どちらを選ぶべきか
94 カブトムシ
95 睡運瞑菜を実践したいが、あの人みたいにはなりたくない問題
96 再投稿は甘えか否か
97 斉藤巧は甘えか否か
第五人格の現場には何度も行っていて、大会場も小会場も慣れていた。一部人気チームがあるとはいえ、落選祭みたいな話は聞いたことがなく、狭い界隈だから細かい云々かんぬんはあるとはいえ平和だったと思う。
それが、今季に入って全落という声がちらほら聞こえるようになった。
そもそも会場のキャパが狭いので倍率が高いのはわかる。それもチケットが安い。一日通して4000円ちょっと。この円高で何故か値上げしない。席がクソとはいえ、eスポーツの臨場感が知れて、推しチームが多ければ多いほど会いに行ける感覚になり、ゲーム自体もスポーツ性が見出しやすく、ファングッズも持ちやすい。選手はTwitterや配信もこまめで身近に感じられる。とても魅力的な現場が、1日通して4000円。だんだん多くの人に知られてしまったのがいけなかったのか、なんなのか。
黎明期から支えてきたような古参は追い出されて、軽い気持ちで応募した新規がぽっと入るような場所になってしまった。第五人格そのものをしている、好き、そういう人が入るなら全然理解できるし、嬉しい。でも第五人格そのものもやってない、ルールも知らない、ライブ感を味わいたいだけ、メセボ持ちたいだけ、うまくいけば選手とコミュニケーションできるから…そんな層が行くようになりつつある。もちろんそういう人は、一部の人気チームが見れたら帰ってしまうことが多い。 通し権だから途中帰宅するとそこは空席になる。でもその空席に座りたかった原作ファン、ゲームプレイヤー、チームのファンの人は大勢いる。
チケットを購入したのだから、途中で帰る権利がある。そう主張したくなるのもわかる。でも行きたい人が行けない現場になってしまってるのだから、途中で帰るくらいなら申し込まないでほしい。
やる気はまったくなくエージェントに言われるがままに面接に行った。
あとになって調べたら年収300万ぐらいのゴミ企業だった。当時働いてたところより100万もダウンするゴミを進めんなカス
受かっても行く気しない企業のオリジナル適性試験はマジで地獄だった。
なんか給料よかったし受けに行った
もちろん志望動機はない
今受けたら確実に受かる気がする
なんか有名だったから受けに行った
志望動機はもちろんない
2年目だし経験不足は仕方ない。
こだわりとか気持ち悪いよ
コミュニケーション云々で落とされてるけど、多分落ちたのは志望動機をまったく考えていなかったからだよ
毎回その場で志望動機を考えてたよ
売れないkpop系アイドルのファンをしていた。そして、たった今そのファンクラブをやめた。どうしてやめてしまったのか、自分の思考の整理のために書こうと思う。
まず第一に、私ら人気のあるものが好きだ。人の目を気にする性質もあってか、人気のあるもの=いいものだと認識している。いわゆるミーハー。熱しやすく冷めやすい。一つのものをずっと愛し続けてる人に憧れはあるが、どうしても続かないので仕方ないのだと思っている。
そんな私が売れないkpopアイドルを応援していたのは、オーディション番組で推しを見つけたからだ。そのオーディション番組というのは例により流行っていたから見てみたのだが、番組に出ていた一人にハマってしまった。だが、残念ながら推しはデビューに至らず、落選者の集まりであるセカンドグループに所属することになった。これが売れないアイドルグループを応援するはじまりだった。
推しも推しのグループもデビュー組に比べたら勿論人気がなかったが、私はそれでも好きだった。だから推しの所属するセカンドグループがもっと大きくなってほしかったし、CDも買ったし、Twitterで宣伝活動もした。
供給はそれなりにあって、最初は推しが見られるだけで楽しかった。だがいつまで経っても人気は出なくて、デビュー組との差はどんどん開いていった。
私にとってはこんなに素敵なグループなのに、どうして売れないんだろう。こんなに応援してるのに、ファンの数が増えないのはどうしてだろう。もっと宣伝しなきゃ。頑張らなきゃ。動画も回そう。フォロワー数増えないな。あっちは人気があっていいな。どうしたらもっと人気になってくれるんだろう。
ただの一ファンである自分の無力さを思い知ると同時に、楽しかった応援が苦痛へと変わっていった。
「今は売れないって言われることもあるけど、必ず大きくなります。だから応援よろしくお願いします」
うん、そっか。頑張って応援するね。推しくんの努力はすごく伝わってるよ。でも今は売れないって本人も思っちゃってるんだね。無力でごめんね。これからほんとに売れるのかな。ただでさえアイドルは若い方が売れるのに……。
要は、私が推しを信じきれなかった。絶対売れるって信じてあげられなかった。アイドルの応援は楽しいことのはずなのに、売れないことが自分にとっても辛いことだと認識してしまった。そして思ってしまった。こんな辛い思いやめてしまいたい、と。
私情だが私はリアルの方でも生活が上手くいかなくなっていて、それでいて「娯楽」であるはずのアイドルの推し活が辛いものになってしまうことに耐えられなかった。今でも推しのことが好きだけど、「好き」の気持ちより「売れさせてあげられなくてごめん」の気持ちが大きくなってしまった。ただのファンが何様?って感じだ。売れないのは私だけのせいではない。でも、人気のないグループを応援する自分に我慢できなくなってしまった。
もっと人目を気にしない性格ならよかった。自分の好きなものは好きと言える性格だったらよかった。そしたら、人気もフォロワー数もライブ会場の埋まり具合も気にせず、ただアイドルがくれる幸せを享受していただろう。でも私はやっぱり人気グループを応援したい。ファンが痛々しく盛り上げようと頑張るグループじゃなく、頑張らなくてもどんどん人気になってくグループがいい。気付いたら大人気グループになってて欲しかった。ごめん、私そこまで頑張れない。
かくして、私はファンをやめた。
決して嫌いになったわけじゃない。けど、しばらくは離れようと思う。
チケット名義と実際に入場・着席した人物が一致しているかを劇場スタッフが確認し、着席の可否がその場で判定されることを本人確認と呼ぶ。
本人確認は所謂、高額転売にへの対策の一つでチケット申込みの際に『本人確認をする場合がある』と注意書きされる場合、または公演日が近づいた時点で公式が実施すると言えば、入場者は容易に拒否出来るものではない。
そもそも、なぜ観客は入場チケットの入手経路の如何を問われなければならないのか。
偽造したチケットでは無ければ、
高額転売だろうが定価以下で購入したチケットだろうが一枚のチケットを買っている事には変わらない。
しかも昨今のチケット販売の形態の多くが座る席を選ぶことが出来ず、抽選によりランダムに座席が決定される。
最前列のど真ん中だろうが、一席隣は見切れ席だろうが、2階席だろうが同じ金額で販売されることは少なくない。
末席でも最前列でも同じだというなら、積極的に後ろに行ってくれ。なんなら当日末席の人間に声を掛けて『私はどこでもいいのでこの最前に座ってください』と声を掛ければ二つ返事で席を変わってくれる人間は必ずいる。
そもそも観客の大半は金額に見合った席を選んで購入しているわけではないのだ。
公式が金額に納得できる席を選んで買わせてくれないとなれば、個人間取引により席の価値に見合う売買の市場が生まれてしまうのも必然ではないだろうか。
高額転売というと昨今、2.5次元作品舞台・若手俳優多数出演舞台ではやたらと目の敵にされやすい。
そもそもの売り方がアコギだから、観客同士が価値を決め取引をする市場が発生しているというのに、何故か客が客を目の敵にする事態も多く見られる。
席により価値が異なることを理解し、資本主義に則り価値に見合う金額で取引をしようという客がいる一方で、兎にも角にも『公式プレイガイドでの購入・定価(+手数料)』に強く拘る客というのもまた存在しているのだ。
そしてこの定価に拘る客というのは何故か高額で取引されていることを強く非難する。自分がその取引市場を利用し、不利益を被るわけでもないのにだ。
この層が信仰している説の一つが『転売ヤーが購入しなければ自分が買えていたはず』という説だ。
これは全く論理的ではなく、根拠もない説なのだが根強い支持を受けている。
自分が落選・購入出来なかった事と別の人間が当選・購入出来ることは別だ。
チケットに当選・購入を果たした人間がその後 チケットをどうするかは当選・落選とは更に全く別問題であるはずだ。
しかしなぜか、『転売ヤーが当選するから自分たちが購入出来なかった。高額転売する者からチケットを購入するものも悪である』と飛躍した論理で価値に見合った個人間取引を行おうとする者たちを激しくバッシングする。
参加しないのであれば無関係を決め込み、関わらなければ良いだけなのに。
ここで掲題の『本人確認』に戻る。
個人間取引によりプレイガイドから購入した人間とその人間から購入した人間が存在することで『実際に入場する人間が購入者ではない』という事態になる。
これを問題としていない(というか、問題にはおもっていても特に手を打っていない)2.5次元作品舞台・若手俳優多数出演舞台は多く、チケットもぎりの際にその名義を確認しない作品の方が主流だろう。
当然だ。
チケットが正規のものである以上、入場を拒む理由は本来は無いだろう。
チケットの高額転売自体は裁かれるべき罪である。しかし、『それは罪だ』と司法の場に出して始めてお裁きとなるのだ。
興行のチケットを入場時に提示することが出来れば、入場させた方がスムーズだ、興行に変なストレスが発生することもない。
入場時に本人確認を行うとなれば、本来は1秒で終わる入場の為のチケットもぎりにじっくり時間をかけますということになる。当然、開場から開演までにそのような時間を十分に取るのは現実的にほぼ不可能だ。
本人確認に十分な時間はとれなかったとしてもチケットを持っている観客は『チケットを持っている』ので入場の権利及び開演時間までに着席する権利がある。
その権利を脅かすことはチケット代金の価値を削ることになり、不利益と与えたとされる可能性をとしてはリスクが高いだろう。
そんな要らぬリスクを負いたがる運営の方が珍しいのは必然である。
しかし全員は無理でもランダムに人数を絞って行うということは可能だろう。
そしてたまたた該当の『購入者と入場者が異なる』観客を排除することに成功すれば、見せしめとしての効果も高い。
これをやたらと喜ぶのは前述の『転売ヤーが購入しなければ自分が買えていたはず』論者に多い。
よくぞやってくれた!と運営を褒め称える。
全く解せない。
なぜ入手経路の如何により公式の販売した『正規のチケット』を提示しているのに入場を拒否されなければならないのか。
本人確認という命題のもと、個人情報を見ず知らずの他人に見せなければならないのか。
転売ヤー許すまじという正義感を満たす以上の何を為しているというのか証明をして貰いたい。
悪を断罪しているというなら入場を拒否したチケット保持者を裁判所へしょっ引くだけの責任は果たしているのか?何も為していないなら、その幼稚で雑な行為は改めて貰いたい。
入場時の本人確認による入場拒否は高額転売を無くすことはできない。
チケットの価値が適正でない以上、売る者は売り、必要な者は買う。
高額転売において劇場キャパシティと需要の不一致による入手困難による転売価格の高騰もまた問題ではあるが、これも結局のところ必要としている者と購入者が異なり、チケット代金以上の価値が生まれてしまうという点では同じなので割愛する
2.5次元作品・若手俳優多数出演舞台作品において、今後中売りという行為が先に主流になるか、本人確認リスクを負うことを運営が現状維持となるか今後が楽しみではある。
果たしてその炎上に見合うだけの作品なのだろうか、甚だ疑問である。
これは個人の主張であるが、座席ごとチケットの価格、販売方法を設定して欲しい。
先ずは納得できる商品を納得して買うという当たり前のことを整備して欲しい。
その上で入場者が『納得して購入した人間』であることを確認して欲しい。
また別の問題ではあるが、入場を拒否されてもチケット代が2、3,000円ならまだ溜飲が下がるかもしれない。
この一億総貧困社会で、一万円はシンプルに大きな金額だ。火を灯して灯りにするには勿体ないというのが一般的な価値観だろう。
更に、そもそも果たして本当にその作品に一万円以上の価値はあるだろうか。
価値を見出す、という意味では観客本人の満足度である程度はチケット代金分をペイすることが出来るだろう。
しかし、パフォーマンスレベルだけで推し量った時、この世に数多溢れるようになった2.5次元舞台はそのいくつが一万円の価値がある作品だろうか。
パフォーマンスレベルが水準を満たさない場合ほど、推しに少しでも近い席や見やすい席、ここに座って推しを見たいという拘りが生まれ、チケット定価では量ることが出来ない『価値』は生まれてしまうのだ。そこでやっとペイすることが出来るのだ。