はてなキーワード: 特異点とは
「非モテ男」ってわりとデカいんだよな主語が。それこそこの増田が体験したようなことも体験してる男だって「非モテ男」だし、単に奥手で透明化してる男も「非モテ男」だし、好きな人には好かれないけどどーでもいい女(クッソ失礼)にだけ好かれる、みたいな奴も非モテ名乗ってたりする。シンプルに俺は辛い私は辛いって言えばええやん。なんでわざわざ界隈ごと辛さを表明するのさ。この増田も非モテ女を主語にせずに「私」でええやん。
なんで界隈ごと引きずり込んで言わないほうがいいかっていうと、どう考えても一番辛いのはワイの属するアトピー&しゃくれ&ド近眼乱視の生きてるだけで多様性、デフォルトが不潔感満載クソキモ男界隈であって、アインシュタインの稲ちゃんとかいう特異点が出てきたせいで四肢欠損界隈の乙武と散々比較されて健常どもにゴミクソマウントとられ続けてたんだろうなっていう気持ちすらも理解させられてる、今をときめく期待の激ヤバ界隈なんですわ。どう考えてもうちの界隈が一番辛い。
全虐げられてる人類に同情する。顔が不潔で蹴られて当然で人として真っ当じゃなくて近くにいるだけで不快で、そんな経験をしてても卑屈になってはいけなくて卑屈だから嫌われててやっぱり人間として真っ当じゃない人かどうかもわからない俺の同情でよければ、いくらでもくれてやる。
公理から初めて論述によって命題を示すという手法は現代数学の基本
ユークリッド幾何学では厳密な論証を学ぶことができる
もしユークリッド幾何学を学ばなければ抽象代数学などが理解できなくなることは明らか
微分積分などだけを教えていると群論やガロア理論などが理解できなくなってしまう
ガロア理論では作図が主に扱われるからユークリッド幾何学応用になっている
ユークリッド幾何学はまず中初等教育において論述を教える題材として適している
代数などはただの計算であって厳密ではないがユークリッド幾何学は公理から始めて曖昧さなく命題を示す
これは現代数学の基本であって群論やガロア理論を学ぶ際に必要な能力
代数では多項式とは?集合とは?などが厳密に説明されていないがユークリッド幾何学には曖昧さは無い
ユークリッド幾何学が扱う題材は図形であって初等教育にも馴染みやすい
現代数学を厳密に展開するには公理的集合論まで遡らねばならないが
このような条件を満たす単元は他には無い
群論やガロア理論などの抽象代数学はユークリッド幾何学の考えを継承している
これらが確立されたのは18世紀であり微分積分などはそれよりも大分昔の理論だから厳密性がない
ユークリッド幾何学は現代数学のモデルであるから論述を教えることができる
群論やガロア理論は対称性を扱う数学で対称性とは回転や相似変換などの一般化だから
やはりユークリッド幾何学を学ぶことは群論やガロア理論を学ぶことに役立つ
特に群論では、群の正規群(特異点を持たない群)による商で対称性を分類する
この割り算にはユークリッドの互除法のアルゴリズムを用いることができるからユークリッド幾何学の応用になっている
群論の一部であるリー群ではユークリッド空間の回転である直交群を扱うからこれもユークリッド幾何学が直接役に立つ
ユークリッド幾何学では公理系から始めて命題を証明するがこれは現代数学の基本
群論やガロア理論もこのスタイルを継承していてユークリッド幾何学を学ばないと抽象代数学が理解できない
ガロア理論はユークリッド幾何学と同様に、対称性の公理から作図可能性を論ずる
これはいくつかの公理から始めて可能な手順の組み合わせを厳密に論述することで様々な図形を作図していく
ヒルベルトが提唱した円積問題などもこの応用であって、現代数学において極めて重要
ユークリッド幾何学は公理から始めて論述のみによって命題を証明する
これは現代数学の基本であってガロアの理論やヒルベルトの理論などがその手法を受け継いでいる
ユークリッド幾何学をやらないと抽象代数学などを理解できなくなってしまう
俺=世界。
俺は世界そのもの、というのはラリパッパな妄言のはずだけど、形而上学という考え方をかますと許されるんだから不思議なことだ。
例えば雷鳴。
雷が鳴る音を聴くとき、自然科学としては、雷鳴という「客体」があって、それを俺という「主体」が感じる、という構図になるはずだ。
しかし、と考えてみる。
もしも雷が鳴っているその場所に誰もいなかったら、果たして雷鳴がそこに「ある」と本当に言えるだろうか?
雷が鳴り、それを俺が聴いている、という関係の一方で、俺という存在こそが雷鳴を生じさせていると言えないだろうか?
さらに、もう一段飛躍する。もし、俺こそが雷鳴の原因となるなら、雷鳴と俺を分ける必要は、実はないんじゃないか?
「俺」が「雷鳴」を聴いている、のではない。
ただ「雷が鳴っている」。このとき、俺は俺であるとともに雷鳴そのものだ。
俺にとって、俺以外のすべての人間に自我があるかは証明できない。
周りの人々はすべて俺の作り出した妄想かもしれないし(「水槽の脳」)、もしかしたら、意思のない人形であってもおかしくはない(理屈上、ということで、本当にそうだと思っているわけじゃない)。
「俺」は違う。
他者の場合とは違い、そこに意思があるかどうか証明しようとして失敗するまでもなく、俺は自分に意思があることを理解している。我思う…ってことだ。
そして、そんな俺はなぜか、この時代に日本の男性の体に「生じた」。これが一番わけがわからない。
俺が生まれる前にも宇宙は当然存在していたし(一説には138億年前…)、俺が死んだ後も宇宙は当然続いていくが(こっちは一説には10の100乗年後に「終わる」らしく、厳密に言うと、あらゆる運動がそこで停止するので時間の意味がなくなるらしい)、特別な俺はなぜか、20世紀後半に生まれたいま30過ぎの日本の男性だった。
自分ってものについてラディカルに考えると、要は自分に関するこだわりを強くしていくと、逆説的に、肉体としての自分が何者であるかは価値を失っていく。
俺は別に、10年後にジンバブエの5歳の少女に生まれてもおかしくなかった。
(もしも)自分について俯瞰することさえ可能なら、アマゾンの猿でもよかったのだ。
でも、とにかく俺は日本の俺だった。たぶん理由はないんだろう。にもかかわらず、なぜ? という強烈な驚愕は消え去らない。
俺はこの世界において超超超…と超を100回重ねても足りない究極の特異点だ。
もちろん、俺以外の人たちだって、「彼らの世界」ではそれぞれが唯一無二のポイントになる。
でも俺はそれを、理屈ではなく想像で理解することしかできない。
他者を社会的に尊重することは当然だが、彼らが結局、俺という世界の一部でしかなく、彼らが死のうと俺の世界は終わらないが、俺が死ねば世界そのものが消滅するという事実は、それとはまったく別のことだ(一連のこの辺は、永井均『子どものための〈哲学〉』『西田幾多郎 <絶対無>とは何か』にくわしい)。
…
そして俺は、ずっと両親との関係で悩んでいる。
こんな観念的で、浮世離れした形而上学に果てしなくぶっ飛ばされたはずなのに、血縁のしがらみに何十年もさいなまれている。
仲が悪いわけじゃない。
ただ俺も、母親も父親も、うまいことお互いへの愛情を示せないでいるフシがある。
愛情がないのではなく、表現できないのだ。なんとなくだけど、バリバリのビジネスマンだった二人が、乳児のときから長いこと俺の横にいられなかった罪悪感みたいなものが原因っぽい気がする。
俺はもう30過ぎなのに…。
そんなの、もういいだろ…と思いながら、呆れている一方で完全に笑えないのは、たぶん俺もどこかで、彼らを許していないんじゃないか、という気がする。
もういいよ、父さん母さん、と言いたい。
というか、何も言わないでただ抱きしめてあげるのが正しい気もする。一度だけじゃなく、会うたびにそうしてやるのが正しい気がする。
そうしたいができない。俺たちの誰かが死ぬまでに、俺はそうしないといけないと感じる。
その一方で、三人でそろって食事しているとき、不意に、「この人たちはなんなんだろうな?」という気持ちになることがある。
話をしていて、特別難しいことをしゃべっているわけじゃなく、単純に俺と、頭の中を覗いてみるわけにいかない他者の間で、ちゃんと「会話」が成り立つことが奇妙でしかたがなくなる。
例えそれが両親であっても、「こいつらはなんなんだ?」 と思う。
俺の言ってることが、相手の言ってることが、お互いに本当にわかってるのかな? と思う。確かめようがない。なんとなくその場では笑って飯を食ってる。
…
形而上学と家族への愛情と、どっちかがどっちかへの反発なんだろうな、と思っている。
本当は家族の一員の息子としてキレイに収まりたいけど恥じらいと恐怖心で叶わないために、極端な哲学に走ってごまかしている。
あるいは、心の相性としては形而上学の世界の方が向いているが、どっぷり漬かるのが怖いせいで、家族に目を向けたくなる時がある。
若いときから、もう面倒だったから、どっちかに決定的に俺を方向付けてほしかった。
ベタベタしすぎるくらいまともな家族愛に包まれるか、SFチックなぐらい高純度な精神体になってしまいたかった。
どっちかになれると思っていたがどっちにもなれない。たぶんどっちにもなれないんだろうな、というのが、最近薄々わかってもきている気がする。
2年前くらいにFGOをDLしてから最近までろくにプレイしていなかった。
マギレコ民なので戦闘システムには馴染みがあり、気まぐれに遊んでみると楽しかったりするのだが、それがなかなか続かなかった。
理由としては、
1.強いサーバントを引けない
2.フレンドのマーリンや孔明でゴリ押しが出来なくなりメインを進めるのをさぼるようになる
3.そもそも弱いため育成のための周回が重い
4.終局特異点をクリアしていないのでイベントに参加できない、参加できても育成が追いついていないので途中で詰む
5.剣スロを初星5と勘違いして特別再臨を使い、ガン萎え(自業自得)
主にこの5つだ。
無課金の穀潰しなので文句は言えないが、石がたまった頃合いを見計らってログインしガチャを回すも爆死爆死&爆死というのは中々辛いものがある。
そんな私にもようやく運が回ってきた。5周年ガチャでキャストリア二枚引き、さらにロリンチまで引き当てるという謎の業運を発揮。テンションが上がり、それまで全クラス満遍なく使っていた種火をぶち込んだ。
この二人はべらぼうに強かった。編成しておけばバフは盛れるわ、NPはすぐ溜まって宝具は連射できるわ、敵の攻撃は無効化できるわで今までとは一転し無双できるようになった。加えて前述の剣スロが上手いことかみ合うため、滞っていたメインも進むようになりロンドンから一気にキャメロットまで行けた。ガウェイン戦あたりから辛勝が増えてきたので、また育成を進めないといけないが。
強いサーバント、弱いサーバント、そんなのはマスターの勝手なのかもしれない。しかし、強いサーバントは使っていて楽しい。
周りのオタク友達が楽しくプレイしているのにどうして自分はいまいちハマることができないのか。その理由は、強いサーバントが居ないからだった。
わからない。何がわからないのか、さっぱりわからない。ただ胸に大きな「わからなさ」が居ついていて、それがどうしてあるのかさえ、わからない。
みんな同じように「わからなさ」を抱えているのだろうか。だとしたらどうして、さも楽しげに街を歩いたり、学校に通ったり、仕事に励んだり、情事に耽ったり、新しい本を買ったり、美味しいものを食べたりするのだろう。もちろん、私もそうすると楽しいし、またしたいと思う。ただ、わからないものはわからないままだ。
逆に考えてみる。すなわち、さしあたって宇宙はわかるものなのか、意味のあるものなのかと。するとやはり、わからない。ビッグバン理論によれば、この宇宙はある一つの特異点から始まり、たちまち時空が広がった。だとしても、これは単に宇宙の生成の過程を説明したまでで、理由を述べるのものではない。なぜ、宇宙は生まれたか?それは永遠にわからないままだ。世界は宇宙レベルのクソデカい「わからなさ」に包まれている。なるほど、それはわからない訳だ。
最近、というかリリースされてからずっとだけど、Twitterでツイステに関する主義主張が流れてくる。反ツイステだったり反『反ツイステ』だったりと色々だが、それを見ていて自分も意見したくなったのでここに吐き出させてもらう。
タイトルにDオタと記載したが、Dオタにも種類が沢山ある。私の場合、共通年パ持ち、日本とフロリダのパークには行った、DisneyDELUXE加入済み、松屋銀座とかでやるディズニーの展示はそこそこ行ってパンフ買う、タイプのDオタだ。ディズニー作品とディズニーのパークの両方がそこそこ好きな人間である。
それとともに普通のオタク(?)でもある。FGOは終局特異点リアタイした。
つまり何が言いたいかと言うと、ディズニーの作品もパークも好きで、アプリゲームも好きな人間がこれを書いている、ということである。
・「本当のハッピーエンドを見せてる」
ツイステのキャッチコピーであるこの言葉が原作への冒涜ではないか、という話を聞いた。まあちょっとわかる。ただのゲームでもディズニー公式から出ている作品が「本当の」ハッピーエンドとか言ってしまったら、原作の否定になりかねないのではないか。ただ、現在公開されている範囲(4章)でこのキャッチコピーへの言及、あるいは想起させる描写はない。ハッピーエンドが何にかかるのかわからない以上、判断するのは時期早尚だと思う。ただ原作への冒涜だと思われるのは仕方ない。
あと原作の悪が肯定されてるのが無理、という意見には「ツイステッドワンダーランドなので」、としか言いようがない。鏡の向こうの世界が示唆されている現状では、原作の悪が肯定されない世界が存在する可能性あるし。
・男しかいない
原作には存在する女性のポジションを男性で塗り替えているのはミソジニーすら感じる、みたいな主張。言いたいことはわかるけど、これは単純にマーケティングの問題だと思う。女性をターゲットにするなら、登場人物は全て男性にした方がわかりやすいし売れるんじゃないだろうか。女性向けで恋愛ゲームではないものの、男性ばかりのゲームは沢山ある。原作があるのにそれを無視して女性の存在を消した、ということを問題視されているのはわかるが、需要があったからそうした、ということではないのか。
・パークでの振る舞い
これは正直私が1番危惧していることである。パーク内で痛バを持ち歩いたりグッズを出したりコスプレすることを危惧する人と、それのなにがいけないんだ、という人。がっつり二分化されているなと思う。
痛バもグッズも周りの迷惑になる(写真を撮るために場所を取りまくるとか)のでなければ、いいんじゃないだろうか。たまにディズニーに全く関係ない作品の痛バで来てる人とかいるし。
コスプレは絶対まずい。ソースはこちら(https://faq.tokyodisneyresort.jp/tdr/faq_detail.html?id=14148&category=&page=1)。仮装とコスプレはこの場合同義だ。公式で禁止されていることをやるのはあまりにも愚かすぎる。コスプレイヤーさんならご存知の方もいらっしゃるかもしれないが、とある作品のキャラのコスプレをしてパークを訪れた人達が話題になったことがあった。ぱっと見普通の普通の服装にウィッグとカラコンを着けていたため、エントランスで何も言われなかったか、あるいは言われても私服です、と言ったのだろう。まあアウトですよね。グレーゾーンの行為を行うのは、本人たちは楽しんでるかもしれないが、その作品が好きな人やパークに来てる人はそうとは限らない。
ツイステは間違いなくディズニー作品なんだしハロウィーン期間中ならいいだろう、かというとそうでもない…かもしれない。キングダムハーツのキャラクターは去年までは許可されていたので今年もできるだろう。だがツイステは新規作品のため、今年から仮装できるのかどうかわからない。ハロウィーンの告知が来れば対象作品も確認できるため、その時期にきちんと確認するかお問い合わせするのが確実だ。
あとこれは完全に私が被害妄想を働かせすぎたやつなのだが、一番パーク内で見たくないのは、パーク内でツイステをこすることである。例えばバンケットホールを見て「ハーツラビュル」、アラビアンコーストを見て「スカラビア」、ホーンテッドマンションを見て「オンボロ寮」、クルエラ様を見て「クルーウェル先生」、なとである。改めて言葉にしてみると被害妄想っぷりに唖然としたが、実際にホーンテッドマンションインスパイアのオンボロ寮寮服とか見てしまったりした(そういったイラストを描いた方を批判しているのではなく、ただ私の地雷だっただけです)。
ヴェネチアを見てメディテレーニアンハーバーと言ったり、エッフェル塔を見て東京タワーと言ったりする感じといえば伝わるだろうか。何言ってんの、と思うし、それではしゃいでたりするのを見るのがきつい。カスバでカレーを食べたいが、そこでスカラビアなんて聞こえようものなら二度と行かないかもしれない。
ちなみにここまで完全に想像でしかない。なぜならパークが閉園しているから。実際に行けないのでどうなるかはわからない。しかし再開したときに、今想定されているものが杞憂となることを願う。
正直ツイステに嫌悪感を抱くDオタといっても色々いるのだ。作品が好きだから嫌とか、パークが好きだから嫌とか、ファン層が無理とかもあるのではないだろうか。なので確執がなくすのはまず無理だろう。
ただ軽減することは可能だろう。きちんと棲み分けするとか、パークマナーを守るとか。
今騒がれているのは、ツイステが旬ジャンルであることも大きな要因であると感じる。過去の旬ジャンルは客が多い故に荒れていたように感じる。今の人気が少し落ち着いたころには、騒ぎ立てたいだけの人がいなくなってるといいなあ……。
メンタルクソザコナメクジお気持ちクソ野郎のインターネットネガティブうんこ長文だから読まなくていいです。
FGOを始めて1年と大分、ボックスガチャ位しか本気周回はしないどこにでもいるライトちゃん。歴史わかんねぇ神話わかんねぇ型月作品1つも見たことねぇ、インターネットで流れて来る二次創作と知人のプレイを見ただけで興味を持ってインストールしたクソにわかが、年末に二部五章をプレイした。
アトランティス、本当に面白かった、大好きだった。二部の中でも特に好きだった。
ストーリーの風呂敷が広がって、あんまり深く考えずにプレイしていたのもあって段々とスケールについて行けなくなって、シンもインドも楽しかったは楽しかったけどあんまり刺さらずにストーリーに対するモチベーションが下がり続けていた所に来たアトランティスで一気にFGO熱が戻ってきた。
ドレイクが好きだった、オリオンが好きだった、アルテミスが好きだった、マンドリカルドが好きだった、イアソンが好きだった、千代女が好きだった、バソロが好きだった、アキレウスが好きだった、コルデーが好きだった、パリスもまぁ好きだった、最後の最後でなんかポッと出たヘクトールは「え?」が先立ったけどまぁそれはそれでよかった。
イアソンが実装されて好きになって勢い余ってアルゴノーツも集めた。オケアノスのどうしようもないクズのイアソンが好きだったから、ストーリーに出たのがあの時の記憶のあるイアソンだったことが本当に嬉しかった。アトランティスの後でイアソンが評価されてるのを見る度に嬉しかった。クズのイアソンも好きだけど英雄のイアソンも好きだった。クリア礼装見た時本当に心臓が痛かった。
ドレイクが大好きだった。オケアノスからずっと推しだった、また一緒に船に乗りたかった。ドチャシコの新規絵一生見ていたかった、レアプリ10くらなら出すから霊衣実装して欲しかった。
フレンドのサポートを使って進める遊び方が好きだった。
表示されるだけの名前とサポートメンバーしか知らない相手の中には1年以上一緒に戦ってくれてる人が何人もいた。数えきれない位に助けてもらったし自分が助けになった時も少しくらいあったらいいなって思ってた。しょうもない一方的な感情を持つくらいに好きだった。
ストーリーのバトルでは話読んで出したいと思った鯖を連れて行くことが多かったからとにかく自分は戦闘効率が悪かった、それを補ってくれるのがありがたかった。実際のプレイング見たらどうしようもないゴミの自覚はあるけどおかげさまでこれまで楽しくやれてた。今こいつにこいつを殴らせてやりたいってのを叶えてプレイできてた。
オリュンポスの事前放送見て、アトランティスでのこと思い出しながらどうしようってワクワクしてた。
オリュンポスに繋げるために居なくなった奴らの仇を取ってやろうって思ってた、めちゃくちゃやる気で推し鯖並べて喜んでた。前の日いっぱい寝て備えた、実装日になった。
二部入ってからずっとそうだけど、大体は部分的にねじ込んでくるだけだったからまぁ許せた。タゲ集中があれば運用だってなんとかなったけど、そこすら殺してくる。マシュのこと嫌いじゃないよ、ここまでやってきてマシュのこと嫌いになんてならないでしょ、愛情試されてるのかって位にマシュを荷物として乗っけて来る、耐えられない、これがこれからキャメロットを映画にする奴らのやることか。
フレンド枠になんかいる、スタートメンバーに入れさせるな、なんで昔見た悪夢が再来してんだ、亜種特異点のクソゲーを蒸し返すな、評判良くは無かっただろ、なんで?1人ならともかくどうして2つも荷物を積むのか、荷もtwoってか、やかましいわ。
戦闘が辛い。難易度が高いのは構わないよ、でもこの難易度は人災、難易度を上げるために荷物で手数を塞がれてるだけ。マシュが置物で武蔵が邪魔なだけ、これはきっとその枠が空いていたら困らないレベルの難易度で、荷物で塞いでまで上げなきゃいけない難易度だったのか。喋れば喋るだけ無理になる、ストーリー上ここにはマシュと武蔵と時々ホームズしかいないからそりゃあ目に着く。戦闘終わってうんざりしてたらまた目につくのがそこだけで、アトランティスはあんなに楽しかったのにあんなにスクショ撮りまくってたのにただただ虚無。
一晩頑張ってたけど無理になった、プレイしてて泣いた、なんでこんなことやってるんだろうって思ったら本当につらくなった。ただアルゴノーツのみんなから繋いで貰った希望を成し遂げたかっただけなのに、5章を終わらせて終わったよって伝えたかっただけなのに、なんでここでひたすら荷物運びしてるんだっけ。
ただただ楽しくない、つまらない、いやになった。
ここの辺り越えたらなんとかなるよ話面白くなるよ頑張れるよ大丈夫だよって慰めてくれる人が周りに何人もいたけど後半が面白かったとしてもこの感覚は消えないんだよな。打ち消すくらい楽しいのかわからなくなった。
ドレイクの仇が取りたかった、アルゴノーツの皆が身体張ってくれてオリュンポスに来れたことに報いたかった。
難しいのはいいよ石割ったらいいから、もうちょっととか惜しいとか悔しいからとかなくてただ苦痛、話が面白くて先に進みたかったらいくらだって課金するけど、面白くないのにボコボコにされてるんだよな仕様で。よく比較されるけどガヴェインは強かったけどそういうものだったしそもそもキャメロットは敵のスペックが一気に上がったし話も山場だった、それこそフレンドの力を借りて殴るを覚えたのがここだった、後発だから言えるのかもしれないけどつまらないクソしんどいだけとは思わなかった。
武蔵が好きで好きでたまらない最推し鯖でドレイクやアルゴノーツのことが嫌いだったらオリュンポスとアトランティスの評価は真逆になったのか。武蔵のこと好きじゃない自分がいけないのか、逆境の中で一番良い方法を選べない自分がザコいのか、そもそもこのポジションが一番好きな鯖だったら喜べたのか。仮にここに最推しが来るんだとしても強制で枠潰して延々と入ってくる鯖になんてなってほしくない。
ゲームがつまんねぇならやらなきゃいいじゃん、自分もそう思う。嫌ならアンインストールすりゃいいじゃん、正論、そう思ったけど出来なかったダブスタウンコ野郎だからこんなお気持ちクソ長文書いてる。
今クソつまんねぇって思ってるだけでひょっとしたら一晩寝たら我慢できるかもしれない、こんなウンコみたいな泣き言言ってるけど明日にはなんだかんだでプレイしてるかもしれない、いややっぱオリュンポスめっちゃ面白かったわ神シナリオだったって笑ってるかもしれない、そうだったらいいのに、そうありたい。次のイベントの参加条件がオリュンポスクリアですって言われたら多分すぐにクリアするし、結局こんなのその程度のお気持ちでしかない。
アトランティスが大好きだった、本当に楽しかった、だから期待しすぎた。
オリュンポスの話が面白くてたまらない人もたくさんいるんだろう、だからマイナスの感想しか言えないクソゴミウンコ野郎は淘汰されてくれ、文句言うなら全部クリアしてから言うべきなんだろうけどもうしばらくやりたくない。デメテル突破してやっと面白くなるフラグが見えたのもとしれないけどもうつかれた、せっかくの自粛ムードなんだから早くボックスガチャ来ないかな。
ネズミが亡くなり、彼女が亡くなり、ワニの知り合い達はみな亡くなった。
ゲームをしても楽しめず、もう固くなった雲ぶの上で、独り過ごすことが増えた。
数千年が経った。
ワニの肉体も滅びたが、その魂は消えないままであった。
数十億年が経った。
気の遠くなるような時間を過ごしても、ワニは考えることをやめず、ただ仲間達のことを思った。
数百億年が経った。
宇宙は、熱的死には至らなかった。
膨張を続けていた宇宙は、収縮へと転じた。
限りない数の宇宙を経験したがゆえに、その中には、ワニ型の知的生命体が生まれた宇宙もあった。
「ヒト」と自称する、毛の少ない猿が覇権を握った宇宙もあった。
一切の知的生命体が生まれない宇宙もあれば、銀河帝国同士の抗争が発生した宇宙もあった。
ワニが経験した数多の宇宙の中には、「100日後に死ぬワニ」の連載が始まった、無数の宇宙があった。
その宇宙は無数にあったがゆえに、その中には、100ワニが世界的に大流行し、一切炎上しなかった宇宙もあった。
マンガが全くシェアされず、作者が連載を辞めてしまった宇宙もあった。
ネズミがタイムリープを繰り返し、ワニを救おうとする宇宙もあった。
マスクの買い占め・高額転売が露見し、社会的に死ぬ宇宙もあった。
作者が一切のグッズ化を拒否し、1円の利益も得なかった宇宙もあった。
心臓を止めて死のノルマをクリアした上で、ワニが生き返った宇宙もあった。
各キャラクターとワニが結ばれる、マルチエンド方式が採用された宇宙もあった。
100日後まで死なないことを利用して、ワニが人助けをする宇宙もあった。
ワニの着ぐるみで、円形になってダンスすることが流行った宇宙もあった。
週刊少年ジャンプに連載され、テコ入れでバトルトーナメントが始まった宇宙もあった。
ワニの後を追った自殺が多発して、パニックが生じた宇宙もあった。
ワニの彼女を崇め奉り、ありがたーがーる宗教が生まれた宇宙もあった。
ワーニーブラザーズが、バックス・ワニーのアニメを作った宇宙もあった。
100日間、キャベツを食べ続けるウニのマンガだった宇宙もあった。
クールポコ。が、決め台詞を少しだけアレンジした宇宙もあった。
その宇宙では、「100年後も死なないワニ」という二次創作も生まれた。
ほぼ全ての宇宙で、10年、100年後には100ワニのことを覚えているものはいなかった。
数少ない例外的な宇宙でも、種の絶滅と共にその記憶は失われた。
ワニのマンガの登場からその消失までは、永遠を生きるワニにとってはあまりにも一瞬で、彼は、ワニのマンガを巡るあれこれに気がつくことすらなかった。
彼女達の百合心ってその大半がリリアン女学園のスールという限られた関係性の中でのみ息づくものでしかない
もちろんリリアンを離れても友情は永久に続くと信じてるけど(百合豚心)
ガチレズっぽいのはガチレズ濃厚の聖様周りの人物を覗いて殆ど見当たらない
こういう女子校という特異点の中で育まれる特殊な関係性を百合として見ると儚いのよね
以前うちの母親が、「思春期の女生徒の中には自分がレズだと勘違いする(もしくはそういうロールを演じる)人がいる」と言っていた
中にはきっと霊感少女と同じ類いの中二病患者も含まれるんだろう
実際僕の記憶でもやけに同性のクラスメートにベタベタしてる女生徒はいた
かくいう僕もファッションホモ野郎だったので他人のことは言えないが
マリみてにおける百合描写は女生徒同士の特別な友情に近いものなんじゃねーかな
一部むしろ女性のホモソーシャルに近い異性排他的な描写も見受けられたし
近年は「同性愛は一過性のもので最終的に抗うすべなく異性愛に回収されまーす」的な描写は(ポリコレ的にも)好まれない傾向にあると風の百合豚に聞くが、マリみてでは特段世間的な異性愛を引き合いに出して作中人物達が想いを確かめ合うような描写はなかったのでこれには当てはまらないだろうな
しれっと子供作ってるし可南子は感動してるしで流石にあの回だけはビックダディ系大家族が醸し出すついていけない感に近い心的な隔たりを感じてしまった
可南子、強く生きて
従軍慰安婦問題をテーマに右派左派両方の論者にインタビューして構成されたドキュメント映画
以前巷でちょっとした話題になってた本作、上映期間中に駆け込みで見に行ったんだよな
その映画にテキサス親父っていう右派のアメリカ人論者のお爺さんが出てきた
現在言われてる従軍慰安婦の人数はデマで、強制性もなかった!っていう右派側の論者なんだけど、彼だけはこの映画の中で特異点だった
ケント・ギルバードみたいに日本で長らく商売やってる人間ではなくて、当然の様に英語しか喋れない
一応職業動画配信者で日本の右派にウケる政治的主張を載せた動画をコンスタントに投稿してるらしいんだけど、もちろん英語しか話せないから、傍らにいる変な日本人の右翼のおっさん達が日本語訳の字幕を作成してあげてて、そのおっさん達が他にも色々な日本向けの右翼ビジネスのマネジメントをしてあげてるみたいだった
で、作中にそのテキサス親父が日本国内の支持者と日本で落ち合うシーンがある。
どっかの空港(記憶が不確か)に集まった少数の日本国内の支持者達に歓迎されて満面の笑顔を浮かべるテキサス親父
なんかその情景が今でも焼き付いて離れない
それでさっきWikipediaで確認したら、このテキサス親父って人は定年退職後にシーシェパードの反捕鯨活動に対するアンチ動画を投稿したことから日本の右翼との縁が出来ていった人らしいんだよね
孤独な一言居士の老人が日本の右翼ビジネスに巧妙に取り込まれていった過程がありありと浮かんできたよね
日本国内の政治論争って、右派も左派も外国籍の人の意見を珍重する傾向にあるじゃん
テキサス親父!テキサス親父!って愛称で歓迎されたらそりゃ満たされるよな
つれーわ
いや、星5はいるよ
ちょうどスタートダッシュキャンペーンと重なってるから最初の石はちょっと多かった
ただ宝物庫とか種火の周回にはあまり多く時間が取れないからどうしても低レベル行軍になってしまうんだ
第六特異点あたりだと最初に出てくる目玉から全滅しちゃうぐらい低かったし、セラフ復刻の告知も既にされてたからなりふり構わず突っ込むしかなかった
第七特異点ティアマトあたりのイベントを流しでやらないといけないのは本当に残念だったぞ。ラフムで全滅するし。
最初の星5は青王で、年初のバビロニアピックアップでエルキドゥが引けた
それぐらいレベル差あった
第一部やセラフやってるときはまだ配布鯖のほうが戦力として相当期待できたんだよね
何より足りなかったのは時間
種火回収する時間が取れればもう少し余裕持てたんだと思う