はてなキーワード: 無人島とは
ちげーよ改心させたいだけだ
その過程で絶望が発生してしまうのは対象の問題であって、主題じゃない
そうと知らずに犯罪組織の手先となっていた慈善事業団体の顔がいい広告塔なんて、もう登場した瞬間に展開が分かるキャラじゃん
まず、力を持ちつつも団体の理念を理解しない主人公を教化しようと付き纏うでしょ
それで、その団体の陰謀に巻き込まれて主人公と二人きりで無人島に取り残されて、
えっちなハプニング付きの交流で相手の言い分にも理があることを理解するでしょ
んで、その無人島に団体の手先が来て、丸腰の主人公相手に冥土の土産で団体の裏を教えてくれるから、
「そんな…… 私は今まで何のために……」って隠れてた広告塔が出てくるやつじゃん!
後は手先が今まで傀儡としてよく働いてくれた知ってしまったのなら仕方がない死んでもらうとか言い出して、
主人公が何か格好いいこと言って助け出して惚れられるやつだろ
ごまんと見たわ
本稿の著作権・著作人格権は完全に放棄する。無断での利用・転載はむしろ推奨する。
○第1章『序論』
p.10 子供を産むことの決断には様々な理由があるだろうが、そこに存在することになる子供の利害が含まれているはずはない。
●『誰がそんなに幸運なのか?』
p.12 「生はあまりにも酷い。生まれてしまわない方がよかっただろう。誰がそんなに幸運なのか?」(ユダヤ人の格言)
「決して誕生しないことは、死ぬ運命にある人間にとっては最善の事柄だろう。しかし、このことは十万人のなかの一人の人間にだってほとんど生じない」(フロイトのジョーク)…「非同一性問題」→私たちはたしかに非存在がよりよい状態にあるとは言えない。しかし、存在するものについては、存在することは当人たちにとって悪いことだと言える。「これは哲学的なゲームでも冗談でもない」
p.15 生殖をするカップルは、苦しみを生みだす氷山の頂点にいる。遺伝的な起源の責任。=デレク・パーフィット「起源説」
p.16 反出生主義の偏見…子供嫌い、子供を持つことによる自由と財産の制限
p.17 出生の偏見…子供をもたないことは利己的で未発達→①子供は別の人間なのだから、子供をもつ動機は利己的でしかありえない。②(1)子供をもつことはしばしば不注意の結果でしかない。(2)生殖の衝動は原始的なものである。
p.19 全体主義者の政治団体は軍事的な理由で生殖を奨励する。民主主義国家も、つねに生殖を支持する層が勢力の大半を占めている。…あらゆる国家は移民より生殖により人口が構成されている方が正当化される。
●『本書の概要』
●『読者への指針』
●『存在してしまうことが害悪であるということがあり得るか?』
p.27 「非同一性問題」「未来の個人のパラドックス」…(ex)遺伝性の障碍
p.29 非存在は存在と比較できないため、存在することがしないことよりも「より悪い」と言うことはできない。…存在の害悪は単に「悪い」というだけで十分だ。
…誰かが死んだ方がマシだと考えるとき、自分の状態が良くなると考えるわけではない。存在しなくなる方が良いほど人生が悪いものである可能性と同じく、はじめから存在しない方がいいほど人生が悪いものである可能性はある。
p.31 誰かが存在していることとしないことを比較するのは、2つの状態を比較するのではなく、まったく別の事態を比較することだ。…障碍が耐えがたいにしろ人生を生きるに値しないものにするほどではない場合は、そうでない場合より難しいと考えられている。=生きるに値する人生において、存在するよりしない方がいいというのは矛盾だ。→これは「生きるに値する人生」という表現の多義性が原因だ。
p.32 「生きるに値する人生」は実際には「生き続けるに価する人生」だ。だが、問題は今はまだない人生であり、これに「生きるに値する人生」という表現を使うことはできない。「始めるに値する人生」を始めない方がいいというのは矛盾だ。
p.34 道徳的な問題に関わる意味で、人が存在するようになる過程は長く、段階的だ。
p.40 非存在に苦痛がないことはいいことだと言える。可能性において存在する誰かの利害で判断することができる。我々は、自分たちについて存在しなければよかったのにと仮定することができる。
p.42 人々を幸福にする積極的な義務があると考えている人でも、幸福な人々を存在させる積極的な義務があると考える人はほとんどいない。
p.44 非対称性は思考実験「遠く離れた(異国の住民の)苦痛と、無人の場所(無人島・火星)」(…非対称的な判断)で実証できる。
p.46 積極的な功利主義者は幸福を増加させようとする。そこにも①人々を幸福にすること、②幸福な人々を生みだすこと、の違いがある。①は倫理の要請だと言える。しかし、②を倫理の要請だとすると、個人の価値は幸福の価値から派生することになり、人々を幸福を生みだす手段だと見なすことになる。
p.52 つねに健康な人と、病気がちだがすぐ回復する能力をもつ人を比較すれば、存在しないことの利点がつねに勝ることは明らかだ。回復するのは手段的な善であり、内在的な善ではない…という批判は成立しない。実在する人物について善がないことに「奪われていない」という判断ができるのは手段的な善のみだ。この区分は意味がない。
p.54 楽観主義者の快楽と苦痛の費用対効果分析…は「存在しない」場合との比較でなされていなく、無意味だ。…快楽に苦痛の2倍以上の値がある場合、「存在する」ことの費用対効果分析は成立する。しかし、QOLを決定する快楽・苦痛の割合、苦痛の下限の問題がある。何より、思考実験「つねに健康な人と、病気がちだがすぐ回復する能力をもつ人」はつねに相対的に前者が勝る。
・『別の非対称性』
p.59 シフリン:より大きな害悪を防ぐために小さな害悪をもたらすことはいい。しかし(純粋な)利益をもたらすために害悪をもたらすことは悪い。よって、生殖は悪い。存在が利益をもたらすとしても、あらかじめその存在の承諾を得ることは不可能だ。また、その仮想上の承諾を想定することもできない。…①存在しなければ害悪を被らない。②存在することの害悪は耐えがたいものでありえる。③人生という害悪を逃れるには大きな代償を支払わなければならない。④仮想上の承諾はその個人の人格を無視している。…そもそも、出生が利益をもつことはない。
p.63 出生された人物の権利を生殖が侵害するということは、その権利を請負う人間はその時点で存在していないためにありえない…という議論は生殖の特別な特徴を無視している。害悪を被り「得る」ということで、特別な権利を認めるべきだ。なぜなら、存在しない権利がないということはありえない。…自律していない存在(=子供)にはより大きな利益をもたらすために害悪を与えていいというパターナリズム的な議論…は、子供とまだ生まれていない子供は異なり、出生は絶対に悪いということで否定できる。
p.64 フェーイゲ「反失望主義(antifrustrationism)」:選好が充足した場合も選好がない場合も等しくいい。悪いのは選好が充足しない場合だけだ。よって、出生は悪い。
p.68 自らの人生を楽しんでいるという理由で、存在してしまったことを良いことだと考える…もし存在してしまわなかったら、その楽しみを逃す人はいない。しかし、存在してしまわなかったことで、苦しみがなくなるのは良いことだ。
p.69 存在して良かったかどうかを間違うはずがないと考える…存在してしまった当人の存在が良い/悪いということは、存在してしまったことが幸福/不幸ということと同じではない。
p.72 人生の良さと悪さの差は、順番、強度・頻度、人生の長さ、閾値、で人生の質とは変わってくる。
p.75 ①ポリアンナ効果:楽観主義。人生の質を改善するらしく思われる要因のほとんどは、人生の質の自己判断にあまり影響を与えていない(例:体の各症状に対する自分の健康状態への判断がほぼ一致するのに、幸福への判断とはあまり一致しない)。②適応。③比較:幸福の自己判断は、実際は相対的な指標による。
●『人生の質に関する三つの見解のどれをとっても人生はうまくいかない理由』
・『快楽説』
p.81 人間は人生の大部分をマイナスの精神状態で過ごす…空腹、渇き、便意・尿意、疲労、ストレス、暑さ・寒さ。前述の3つの心理学的効果で無視されているだけ。さらに…持病・加齢:痛み・苦しみ、眠気、挫折感。災厄:アレルギー、頭痛、挫折感、苛立ち、痒み、寒気、生理痛・閉経後の火照り、吐き気、低血糖、発作、罪悪感、恥、退屈、悲しみ、憂鬱、孤独、無力感、喪失感、その他、被害感情全般。
・『欲求充足説』
p.84 精神状態について判断を間違うことはなくとも、欲求については間違うことがありうる(単に快楽を追求している場合は除く)。…欲求は当然、満たされていない時間の方が長い。また、欲求が満たされるのは一時的で、そもそも、欲求が満たされないことも多い。現状維持の欲求さえ、実現は不可能だ(老い、死)。
p.86 マズロー「つねに新たな欲求が生じる」。イングルハート「人間が永遠の幸福を得ることができるなら、何ら行動しなくなる」。マズローは人間はおおむね幸福で、不満足は病的状態だと言うが、ショーペンハウアーは不幸こそ人生の当然の状態だと言う。
p.88 欲求の充足までに困難があった方が、あるいは充足の過程そのものが良いという議論…は明らかに不条理だ。
p.92 「客観的リスト」は「永遠の相のもとに」ではなく「人間の相のもとに」構成されている。…40歳で死ぬことが不幸だとして、90歳でそうでないのは何故か? 「色んな芝生に生えている草を数えることに人生を捧げている男」(ロールズ)の人生は無意味だが、その視点と人類の視点は大差ない。
p.93 人生の質は「人間の相のもとに」判断すべきである、あるいは、具体的な背景に応じて判断すべきであるという議論…は明らかに不条理だ。
p.98 害悪に満ちた人生を、①すでに存在している人のためでなく、②功利主義的な目的でなく(また、そうであっても)、生みだすことはできない。人生の質の判断は当てにならず、よって、人生を続けるに値するかは別論だ。
●『子作り』
・『子作りの義務はない』
p.103 子作りの義務…①射程:子供を(1)何人か、(2)できる限りたくさん、持つ。②正当化の理由:(1)存在させられる人々の利害関心、(2)その他(他者の利害関心、功利性、信仰、等)。…存在させられる人々の利害関心によれば、子作りの義務はあり得ない。それ以外の理由ならあり得るが、それにしても相当に疑わしい。とくにできる限りたくさんの子供を持つべきだという場合は。
p.105 生殖衝動、子作りへの関心…「性交への関心」「親になることへの関心」と「子作りへの関心」を分ける。前2者に子作りは必要ない。
p.107 他者の関心…両親、部族・民族、国家。しかし、こうした他者の利益を適えることは、それによる当人の利益を適えることと表裏一体だ。
p.109 子作りへの関心は…これまでの議論から権利を制限されるべきだ。
p.113 子供を持つべきでない道徳的義務があるなら、子供を持つ道徳的権利はあり得ない。よって、子供を作る権利は(愚行権を含む)法的権利だ。
p.114 法的権利は道徳的義務と対立する場合、そうした方が良いという仮説を必要とする条件付きのものとなる。そして、阻却可能条件(子供を作るべきでない)がつねに適合する場合、その法的権利は妥当ではない。
p.115 政府が子供を持つべきでない道徳的義務を認めると、施策としてあり得るのは①権利を与えず自由放任する、②禁止する、のどちらか。①は権利を与えず容認するというのは矛盾で、いずれも積極的な②を包含する。②はその道徳的代償が子作りの禁止による利益を上回ることはないと思われる…非最大化主義的非帰結主義者の見解。
・『子どもを作る権利を意見の相違があるということに根拠付ける』
p.116 法的権利とその正当化にはこのことだけで十分だ。危害原理の必要条件:ある行為が害悪であるかどうか意見の相違がある場合は、危害原理の射程の外にある(例:人工妊娠中絶)。…ただし、奴隷制のように、ある行為が害悪か議論の余地があるだけでは許されないものもある。
p.118 危害原理の例外となる意見の相違は妥当/無条件のどちらか。奴隷制やアパルトヘイトは明らかに妥当ではない。
p.120 少なくとも反出生主義が最も優れた反論と比較して十分に検討されるまでは、妥当な判断のできる理性的な人々によって、意見を妥当に違えることができるかは結論付けられない。
p.121 少なくともリベラルな社会において子供を作る法的権利が撤回されるのには長い時間がかかり、そのときにはその意見は広く認められているだろう。それまで、新しい人間を存在させてはならない道徳的義務を認めつつ、子供を作る法的権利を認めることはできる。…実際、テイサックス病やハンチントン病のような遺伝性の病気、エイズのような感染病など、他の場面では許されないほどの害悪を与えることが、子供を作る場面では容認されている。
p.123 障碍…障碍は社会に構成されたもので、実際には障害(disability)ではなく不能(inability)だ。また、障碍の出生前診断は政治的に悪いメッセージとなるという「表出主義者」の議論…障碍が不能ということは、「より悪い」ということを否定するものではない。健常者と同じQOLを持つ障碍者も、さらなる障碍についてはQOLを低く見積もる。また、反出生主義はむしろ平等主義だ。
p.132 ロングフルライフ…訴訟は①子供を持つ法的権利に関する妥当な意見の相違。②QOLの評価は個人的なものだ(とくに現在のロングフルライフ訴訟は代理人によることが多い)。もし判例ができれば、もうQOLの評価は個人に独特なものではない。の2点の課題がある。
p.135 セックスは子作りの目的でなされる場合のみ道徳的に容認されるという多くの反論がある見解(オーラル・アナルセックス、レイプ、不倫、不妊症)を、反出生主義は「性倫理の反生殖的見解」として完全に退ける。
・『誕生の悲劇と婦人科学(gynaecology)の道徳』…『悲劇の誕生』と『道徳の系譜(genealogy)のもじり。
p.140 1人の子供を救うために新たに子供を持つという場合は…(a)自分たちの関心(interest)を満たすため、(b)今存在する子供に弟妹を与えるため、(c)家族、部族、民族、種族を大きくするため、(d)何の理由もない、という場合よりはるかに良い。これらは、他人を手段として扱ってはならないというカンティアンの命題によりいっそう当てはまる。
本稿の著作権・著作人格権は完全に放棄する。無断での利用・転載はむしろ推奨する。
○第1章『序論』
p.10 子供を産むことの決断には様々な理由があるだろうが、そこに存在することになる子供の利害が含まれているはずはない。
●『誰がそんなに幸運なのか?』
p.12 「生はあまりにも酷い。生まれてしまわない方がよかっただろう。誰がそんなに幸運なのか?」(ユダヤ人の格言)
「決して誕生しないことは、死ぬ運命にある人間にとっては最善の事柄だろう。しかし、このことは十万人のなかの一人の人間にだってほとんど生じない」(フロイトのジョーク)…「非同一性問題」→私たちはたしかに非存在がよりよい状態にあるとは言えない。しかし、存在するものについては、存在することは当人たちにとって悪いことだと言える。「これは哲学的なゲームでも冗談でもない」
p.15 生殖をするカップルは、苦しみを生みだす氷山の頂点にいる。遺伝的な起源の責任。=デレク・パーフィット「起源説」
p.16 反出生主義の偏見…子供嫌い、子供を持つことによる自由と財産の制限
p.17 出生の偏見…子供をもたないことは利己的で未発達→①子供は別の人間なのだから、子供をもつ動機は利己的でしかありえない。②(1)子供をもつことはしばしば不注意の結果でしかない。(2)生殖の衝動は原始的なものである。
p.19 全体主義者の政治団体は軍事的な理由で生殖を奨励する。民主主義国家も、つねに生殖を支持する層が勢力の大半を占めている。…あらゆる国家は移民より生殖により人口が構成されている方が正当化される。
●『本書の概要』
●『読者への指針』
●『存在してしまうことが害悪であるということがあり得るか?』
p.27 「非同一性問題」「未来の個人のパラドックス」…(ex)遺伝性の障碍
p.29 非存在は存在と比較できないため、存在することがしないことよりも「より悪い」と言うことはできない。…存在の害悪は単に「悪い」というだけで十分だ。
…誰かが死んだ方がマシだと考えるとき、自分の状態が良くなると考えるわけではない。存在しなくなる方が良いほど人生が悪いものである可能性と同じく、はじめから存在しない方がいいほど人生が悪いものである可能性はある。
p.31 誰かが存在していることとしないことを比較するのは、2つの状態を比較するのではなく、まったく別の事態を比較することだ。…障碍が耐えがたいにしろ人生を生きるに値しないものにするほどではない場合は、そうでない場合より難しいと考えられている。=生きるに値する人生において、存在するよりしない方がいいというのは矛盾だ。→これは「生きるに値する人生」という表現の多義性が原因だ。
p.32 「生きるに値する人生」は実際には「生き続けるに価する人生」だ。だが、問題は今はまだない人生であり、これに「生きるに値する人生」という表現を使うことはできない。「始めるに値する人生」を始めない方がいいというのは矛盾だ。
p.34 道徳的な問題に関わる意味で、人が存在するようになる過程は長く、段階的だ。
p.40 非存在に苦痛がないことはいいことだと言える。可能性において存在する誰かの利害で判断することができる。我々は、自分たちについて存在しなければよかったのにと仮定することができる。
p.42 人々を幸福にする積極的な義務があると考えている人でも、幸福な人々を存在させる積極的な義務があると考える人はほとんどいない。
p.44 非対称性は思考実験「遠く離れた(異国の住民の)苦痛と、無人の場所(無人島・火星)」(…非対称的な判断)で実証できる。
p.46 積極的な功利主義者は幸福を増加させようとする。そこにも①人々を幸福にすること、②幸福な人々を生みだすこと、の違いがある。①は倫理の要請だと言える。しかし、②を倫理の要請だとすると、個人の価値は幸福の価値から派生することになり、人々を幸福を生みだす手段だと見なすことになる。
p.52 つねに健康な人と、病気がちだがすぐ回復する能力をもつ人を比較すれば、存在しないことの利点がつねに勝ることは明らかだ。回復するのは手段的な善であり、内在的な善ではない…という批判は成立しない。実在する人物について善がないことに「奪われていない」という判断ができるのは手段的な善のみだ。この区分は意味がない。
p.54 楽観主義者の快楽と苦痛の費用対効果分析…は「存在しない」場合との比較でなされていなく、無意味だ。…快楽に苦痛の2倍以上の値がある場合、「存在する」ことの費用対効果分析は成立する。しかし、QOLを決定する快楽・苦痛の割合、苦痛の下限の問題がある。何より、思考実験「つねに健康な人と、病気がちだがすぐ回復する能力をもつ人」はつねに相対的に前者が勝る。
・『別の非対称性』
p.59 シフリン:より大きな害悪を防ぐために小さな害悪をもたらすことはいい。しかし(純粋な)利益をもたらすために害悪をもたらすことは悪い。よって、生殖は悪い。存在が利益をもたらすとしても、あらかじめその存在の承諾を得ることは不可能だ。また、その仮想上の承諾を想定することもできない。…①存在しなければ害悪を被らない。②存在することの害悪は耐えがたいものでありえる。③人生という害悪を逃れるには大きな代償を支払わなければならない。④仮想上の承諾はその個人の人格を無視している。…そもそも、出生が利益をもつことはない。
p.63 出生された人物の権利を生殖が侵害するということは、その権利を請負う人間はその時点で存在していないためにありえない…という議論は生殖の特別な特徴を無視している。害悪を被り「得る」ということで、特別な権利を認めるべきだ。なぜなら、存在しない権利がないということはありえない。…自律していない存在(=子供)にはより大きな利益をもたらすために害悪を与えていいというパターナリズム的な議論…は、子供とまだ生まれていない子供は異なり、出生は絶対に悪いということで否定できる。
p.64 フェーイゲ「反失望主義(antifrustrationism)」:選好が充足した場合も選好がない場合も等しくいい。悪いのは選好が充足しない場合だけだ。よって、出生は悪い。
p.68 自らの人生を楽しんでいるという理由で、存在してしまったことを良いことだと考える…もし存在してしまわなかったら、その楽しみを逃す人はいない。しかし、存在してしまわなかったことで、苦しみがなくなるのは良いことだ。
p.69 存在して良かったかどうかを間違うはずがないと考える…存在してしまった当人の存在が良い/悪いということは、存在してしまったことが幸福/不幸ということと同じではない。
p.72 人生の良さと悪さの差は、順番、強度・頻度、人生の長さ、閾値、で人生の質とは変わってくる。
p.75 ①ポリアンナ効果:楽観主義。人生の質を改善するらしく思われる要因のほとんどは、人生の質の自己判断にあまり影響を与えていない(例:体の各症状に対する自分の健康状態への判断がほぼ一致するのに、幸福への判断とはあまり一致しない)。②適応。③比較:幸福の自己判断は、実際は相対的な指標による。
●『人生の質に関する三つの見解のどれをとっても人生はうまくいかない理由』
・『快楽説』
p.81 人間は人生の大部分をマイナスの精神状態で過ごす…空腹、渇き、便意・尿意、疲労、ストレス、暑さ・寒さ。前述の3つの心理学的効果で無視されているだけ。さらに…持病・加齢:痛み・苦しみ、眠気、挫折感。災厄:アレルギー、頭痛、挫折感、苛立ち、痒み、寒気、生理痛・閉経後の火照り、吐き気、低血糖、発作、罪悪感、恥、退屈、悲しみ、憂鬱、孤独、無力感、喪失感、その他、被害感情全般。
・『欲求充足説』
p.84 精神状態について判断を間違うことはなくとも、欲求については間違うことがありうる(単に快楽を追求している場合は除く)。…欲求は当然、満たされていない時間の方が長い。また、欲求が満たされるのは一時的で、そもそも、欲求が満たされないことも多い。現状維持の欲求さえ、実現は不可能だ(老い、死)。
p.86 マズロー「つねに新たな欲求が生じる」。イングルハート「人間が永遠の幸福を得ることができるなら、何ら行動しなくなる」。マズローは人間はおおむね幸福で、不満足は病的状態だと言うが、ショーペンハウアーは不幸こそ人生の当然の状態だと言う。
p.88 欲求の充足までに困難があった方が、あるいは充足の過程そのものが良いという議論…は明らかに不条理だ。
p.92 「客観的リスト」は「永遠の相のもとに」ではなく「人間の相のもとに」構成されている。…40歳で死ぬことが不幸だとして、90歳でそうでないのは何故か? 「色んな芝生に生えている草を数えることに人生を捧げている男」(ロールズ)の人生は無意味だが、その視点と人類の視点は大差ない。
p.93 人生の質は「人間の相のもとに」判断すべきである、あるいは、具体的な背景に応じて判断すべきであるという議論…は明らかに不条理だ。
p.98 害悪に満ちた人生を、①すでに存在している人のためでなく、②功利主義的な目的でなく(また、そうであっても)、生みだすことはできない。人生の質の判断は当てにならず、よって、人生を続けるに値するかは別論だ。
●『子作り』
・『子作りの義務はない』
p.103 子作りの義務…①射程:子供を(1)何人か、(2)できる限りたくさん、持つ。②正当化の理由:(1)存在させられる人々の利害関心、(2)その他(他者の利害関心、功利性、信仰、等)。…存在させられる人々の利害関心によれば、子作りの義務はあり得ない。それ以外の理由ならあり得るが、それにしても相当に疑わしい。とくにできる限りたくさんの子供を持つべきだという場合は。
p.105 生殖衝動、子作りへの関心…「性交への関心」「親になることへの関心」と「子作りへの関心」を分ける。前2者に子作りは必要ない。
p.107 他者の関心…両親、部族・民族、国家。しかし、こうした他者の利益を適えることは、それによる当人の利益を適えることと表裏一体だ。
p.109 子作りへの関心は…これまでの議論から権利を制限されるべきだ。
p.113 子供を持つべきでない道徳的義務があるなら、子供を持つ道徳的権利はあり得ない。よって、子供を作る権利は(愚行権を含む)法的権利だ。
p.114 法的権利は道徳的義務と対立する場合、そうした方が良いという仮説を必要とする条件付きのものとなる。そして、阻却可能条件(子供を作るべきでない)がつねに適合する場合、その法的権利は妥当ではない。
p.115 政府が子供を持つべきでない道徳的義務を認めると、施策としてあり得るのは①権利を与えず自由放任する、②禁止する、のどちらか。①は権利を与えず容認するというのは矛盾で、いずれも積極的な②を包含する。②はその道徳的代償が子作りの禁止による利益を上回ることはないと思われる…非最大化主義的非帰結主義者の見解。
・『子どもを作る権利を意見の相違があるということに根拠付ける』
p.116 法的権利とその正当化にはこのことだけで十分だ。危害原理の必要条件:ある行為が害悪であるかどうか意見の相違がある場合は、危害原理の射程の外にある(例:人工妊娠中絶)。…ただし、奴隷制のように、ある行為が害悪か議論の余地があるだけでは許されないものもある。
p.118 危害原理の例外となる意見の相違は妥当/無条件のどちらか。奴隷制やアパルトヘイトは明らかに妥当ではない。
p.120 少なくとも反出生主義が最も優れた反論と比較して十分に検討されるまでは、妥当な判断のできる理性的な人々によって、意見を妥当に違えることができるかは結論付けられない。
p.121 少なくともリベラルな社会において子供を作る法的権利が撤回されるのには長い時間がかかり、そのときにはその意見は広く認められているだろう。それまで、新しい人間を存在させてはならない道徳的義務を認めつつ、子供を作る法的権利を認めることはできる。…実際、テイサックス病やハンチントン病のような遺伝性の病気、エイズのような感染病など、他の場面では許されないほどの害悪を与えることが、子供を作る場面では容認されている。
p.123 障碍…障碍は社会に構成されたもので、実際には障害(disability)ではなく不能(inability)だ。また、障碍の出生前診断は政治的に悪いメッセージとなるという「表出主義者」の議論…障碍が不能ということは、「より悪い」ということを否定するものではない。健常者と同じQOLを持つ障碍者も、さらなる障碍についてはQOLを低く見積もる。また、反出生主義はむしろ平等主義だ。
p.132 ロングフルライフ…訴訟は①子供を持つ法的権利に関する妥当な意見の相違。②QOLの評価は個人的なものだ(とくに現在のロングフルライフ訴訟は代理人によることが多い)。もし判例ができれば、もうQOLの評価は個人に独特なものではない。の2点の課題がある。
p.135 セックスは子作りの目的でなされる場合のみ道徳的に容認されるという多くの反論がある見解(オーラル・アナルセックス、レイプ、不倫、不妊症)を、反出生主義は「性倫理の反生殖的見解」として完全に退ける。
・『誕生の悲劇と婦人科学(gynaecology)の道徳』…『悲劇の誕生』と『道徳の系譜(genealogy)のもじり。
p.140 1人の子供を救うために新たに子供を持つという場合は…(a)自分たちの関心(interest)を満たすため、(b)今存在する子供に弟妹を与えるため、(c)家族、部族、民族、種族を大きくするため、(d)何の理由もない、という場合よりはるかに良い。これらは、他人を手段として扱ってはならないというカンティアンの命題によりいっそう当てはまる。
海なし県に生まれ育ったものだから逆に海へのあこがれが強い子供になった。小学生の頃は無人島にめっちゃ行きたくてサバイバルの本を読みあさったりした。結局行けてないけど。
だから他の県、海に面している県の人と仲良くなるたびに海の話や島の話を聞いてきたのだけど、意外にもみんな自分の県の島のことを全然知らないのだった。もちろん佐渡島や隠岐や伊豆大島みたいな有名どころについてならそれなりに話にはなる。でもそれ以外の島のこととなると何も知らないに近い。俺としてはその県の人しか知らないマイナーな島の話こそが聞きたかったのだが。
小学校社会科の地理で地元のことを勉強するじゃない。そのとき島についても扱うのだろうなと俺はずっと思ってきたのだけど、どうもそうではないようだ。じゃあ自分の県の島のことってどうやって知るというのだろう。海辺に生まれなければ島など身近に感じないのだろうか?
※追記
不安をぶちまけた箇条書きに、トラバやブコメで沢山のアドバイスや励ましの言葉を頂戴し、感激しました。(全て読んでます)
取り急ぎ、今後は不安に思ったことはネット検索ではなく主治医に確認します。
本当に勇気付けられました、ありがとうございます。
★★★★★
毎日、これまでの人生で経験したことがない程、やる気が出なくて苦しい。
なんか無人島の波打ち際の小さい石みたいな1日の過ごし方をしている。
引かれそうだし、心配されそうだし、もしかしたら怒られるかもしれないから誰にも相談できない。
でも吐き出したいから書く。
・欲しくて欲しくて堪らなかった赤ちゃんがやっと来てくれたのに、思っていたほど幸せな気分になれていない
・まだ妊娠初期だから今後どうなるかわからないのが不安なのはある
・でもここへきて本当に子供を産みたいと思っているのかわからなくなった
・旦那と2人の生活は本当に楽で幸せで楽しかったのに、赤ちゃんが生まれて3人の生活になったら何かが変わってしまいそう
・ママ友が怖い
ネットを漁りまくった結果、髪を染めることは胎児に影響はないと言っている医師が大半だったが、胎児に影響があると不安を煽る記事もたくさんあった。
影響があるとは考えづらいが、全く影響がないと証明する実験や論文もないので、やめておいた方が無難という感じらしい。
そういうことを踏まえて、自分のおしゃれよりもお腹の赤ちゃんの健康を優先して、あえて妊娠初期にブリーチなんてしないという判断のお母さんが多いらしい。
にも関わらず私はやってしまった。
世のお母さんたちが当然選べる安全なルートを私は選べなかった。
・赤ちゃんの心拍が確認できた日、嬉しくて好物のステーキを食べてしまった。
生肉は食べない方がいいとは知っていたけど、焼いてあるから大丈夫だろうと食べた。
でも切ってみると真ん中の方は赤かった。
よくよく火を通してくださいと言えばよかった。
もしくは食べるのをすぐ止めればよかった。
でもお腹がすいていたし、すごく美味しかったので全部食べてしまった。
生肉でトキソプラズマに感染した場合治療する術があるらしい、よかった
レモングラスは妊娠中良くないと書いてある記事があったので、飲むのを止めてカフェインレスのコーヒーを頼んだ。
・つわりで一日中気持ちが悪いので、カモミール の香りのリップクリームを買った。
・私が怠け者大王になってしまって、家事もろくにせずに寝てばかりいるので、旦那が出張から帰ってきて疲れているのに、洗濯をして溜まっていた食器も洗ってくれた。
・旦那の両親は神の子を授かったと大喜びで安産のお守りを送ってくれた
・旦那もそれぞれの両親も前向きに陽気に励ましてくれるのに、私は何が不満でこんなに自堕落な生活を送ってるんだろう
・周りの人に恵まれても、今赤ちゃんは私のお腹にいて、赤ちゃんの命運は私にかかっているというプレッシャーだろうか
・お母さんがあんぽんたんなばっかりに、やっと歩き出した子供を自分の車で轢いてしまうかもしれない。
地元の人でも泳がない川で泳がせて溺れさせてしまうかもしれない。
公園で自分の子供が他の子供を傷つけるのを止められないかもしれない。
色々書いてすっきりしてきた。
多分考えすぎだ。
もうやめよう、家帰ってカレー作って食べよう。
今日はジムに行かないで、会社帰ってからずっとメッセージのやり取りに時間を費やした。
やり取りしてるだけで楽しい子もいるから、そういう子とは友達になればいいのかもしれないと思った。
ただの友達でもいいと思えると、気が楽になる。
男女の間に友情は成立するかというと、俺はずっと成立しないという立場を取っていた。
無人島に2人で放置されても友達のままでいられるのかと考えてみれば一発だろうと。
確かに究極にはそうかもしれないが、そこには効用という観点が抜けている。
要は、男女の友情は成立すると考える、表明している方が、いろいろと楽なのだ。
話していて楽しい異性を繋ぎ止めるのに、友達というのは便利な言葉だ。
本音では友情など成立しないと思っていても、建前で成立すると言っておけば、近くで友達としてチャンスを伺うこともできる。
コミュニケーションにおいて、まじめに自分の考える真実を表明する必要などないのだけれど、ある種のまじめさを持ち合わせてると、誠実であろうとしてしまう。
コミュ障にはいろいろなパターンがあるが、変なまじめさに囚われるのもパターンの一つだなとか、そんなくだらない思念に耽る午前1時をお届けします。ポーン。
ッパキャァァァーン!
なんで抑制されてんのにこんな音なるんだよ。
静かに響くって何だよ。
そもそも「サイレンサー」なら分かるが「サプレッサー」だとわかんねぇよ。
序盤しか読んでないが。
ッパキャァァァーン!
島には地響きのような音もしており、銃声に気付いた者は少ない。
無人島といっても、現在は、デスゲームの参加者がひしめいている場所だ。
その島の長い歴史の中でも、こんなに多くの人口を誇ったことはなかったであろう。
能力のデメリットは、《俺だ俺だ俺だった》アウクと組むことで解消した。
彼らは、銃器を独占し、1人、また1人と、せっかく増えた島の人口を減らしていった。
「ねえねえ、グロッグ?」
尋ねるのは、いかにも気弱そうな顔をしたアウク。
「どうした?」
「さっきも言ったろ。俺達は、カシュレイを探さねえと」
そして、他の奴らを全員撃ち殺す。
そのあと、カシュレイとアウクを殺せば、俺が優勝だ。
「ねえねえ、グロッグ?」
「何だよ、しつけえな」
「カシュレイと組めたとしても、生き残れるのかな?」
「俺についてくりゃ大丈夫だっつってんだろ」
「でもでも……もしも、グロッグが……裏切ったら?」
このお人好しに、そんな発想があるか……?
チームを組んでもらえなかったら?
ねえねえ?ねえねえ?」
アウクは矢継ぎ早に尋ねる。
グロッグが気付いた時には、既にアウクから銃口を向けられていた。
ッパァーーンッ!
動かないグロッグを見て、動揺するアウク。
(撃ったのは……俺だ。俺だ。俺……だった……)
彼は茫然として動けず、ただ泣きじゃくることしかできなかった。
他方は、大胆に近付いて、より強度の不安を惹起させ、短時間で倒す方法である。
一気に距離を詰めていった。
しかし、誰かに操られたという直感が、彼の思考を一瞬にして正解へと導いた。
「おまえかぁぁぁーーーー!!」
さきほどまでの号泣が嘘のように、アウクは雄々しい声をあげて、ゼロムへと銃口を向ける。
アウクが発砲する前に、2人を雪崩が襲った。
それが人の背丈にも達するような濁流となって流れてきたのだ。
2人は、一瞬のうちに山盛りの雑誌の下敷きとなった。
雪崩の原因はテンチョウ。
《便利屋店長》で手から無限に雑誌を放出し、高台から雑誌の雪崩を生み出したのだ。
一方その頃、島の反対側。
結果は、サキュバス。
To be contibued...
見てないのもそこそこ
一覧はアニメイトのサイトが便利(https://www.animatetimes.com/tag/details.php?id=5806)
春で面白かったのは いせかる、ぼっち、フルバ、青ちゃん、八十亀、ストパン 好みがわかるね!
クレーム歓迎、以下順不同
https://earofrice.hatenablog.com/entry/20190811/1565450856
荒ぶる季節の乙女どもよ。
とはいえ絵のレベルは高いし、展開も面白いっちゃ面白い…ので脚本も含めて物好きにオススメ
うちの娘の為ならば、俺はもしかしたら魔王も倒せるかもしれない。
絵が00年代のアニメって感じ、森で拾った魔人の子を可愛がる話
萌え豚するには他でもいい
安定性はピカイチか
かつて神だった獣たちへ
1話で合う合わないハッキリ出る
暴走する遺伝子組み換え部下をしばいて婚約者を殺した奴を追うぞ!っていう
彼方のアストラ
絵はちゃんと綺麗、話もそこそこ
1期のあのまま
要は冴えカノ的なハーレム
絵がフワフワしてる
2話の最後が綺麗かつ次へ次へ繋がってて好き
結構面白いんだけどファンタジーの造語がわかりにくくて勿体無い
しっかり見たい人にはオススメできる
ソウナンですか?
暑いならまずはブレザーとかカーディガン脱げば?とか思っちゃいけないやつ
jk4人が無人島で生き延びようとするやつ
まーた不穏オブ不穏だよ
異世界転生モノなんだけど…親同伴で親が美人で巨乳で息子大好きで強いっていう
もし見るなら無心で見よう
手品先輩
もうねこういうのが大好き
アホなギャグアニメとしてこれはかなりいいんじゃないでしょうか
いつもの
転生ばっかの中でいいSF
こっちがジャンプでやってるらしい
なんだこれ…?
BEM
そしてそこそこ面白い
金かかってんな〜って感じ
まちカドまぞく
萌え豚的に100点満点
こういうのが溢れてた時期もあったね
ダンスシーンでウネウネ動く
ロード・エルメロイⅡ世の事件簿 -魔眼蒐集列車 Grace note-
面白い、しかしFateを見てないから細かいところがわからない
2話はFate本筋からの導入?だったからなんもわからんかった
異世界チート魔術師
オーバーロード*転スラ÷0って書いちゃいけないのはわかるけど見るだけ損だぞ
キャロルアンドチューズデイ
ようじょが見たいならこれ
深夜に見ると腹減るやつ
映画まで見て自分の中で完結してしまっていて忘れてたけど再放送してるんだった
1話をそもそも見ないと話の根幹がわからなくなるのでなんとかして1話から追って欲しい
ギャルゲーっぽいっちゃギャルゲーだけど正妻の麻衣さんが強すぎる、あとopも良き