はてなキーワード: 新生とは
原発なんか廃止すればいいだけのことで、きわめて容易な問題だ。廃止しても生きていけるのだから、廃止すればいいだけのことだ。こんなことで騒いで争っていることがくだらない。同じように、タバコにしてもパチンコにしてもさ、廃止すればいいだけのことだ。多くの地域では、ここ数年にわたって爆発原発から流れてきている放射能よりも、例えば副流煙のほうが健康被害の点でヤバい。ずっとヤバい。
「安全が確認されていない」、もっと言えば「安全ではない」というものは世の中にたくさんある。
本当にヤバいのは、例えば「遺伝子組換」だとかトランス脂肪酸だとか人工甘味料だとかだ。
結論から言えば、本当にヤバいのは、食糧危機に対してどう取り組むかという問題だ。いま世界的に深刻な食糧危機にあって、さらにひどくなるのは目に見えている状況で、どうやってこの膨大な世界人口を支える食糧を確保するのか。
「遺伝子組換」というのはその解決案でもある。だが、ご承知の通り「安全が確認されていない」し、また生物を作り替えるというキモいことをしていて、生物の虐待でもあるし、また新生物をつくりだすことで環境破壊につながる(生態系を壊す)。それでも我々自身の食糧がないとなると、おそらくほとんどの人は、遺伝子組換でもなんでも、悪魔に魂を売ってでも、生きようとするだろうね。
廉価に大量に生産したりロス率を下げたり(歩留まりを上げたり)するには、「遺伝子組換」でも、農薬や肥料でも、トランス脂肪酸や人工甘味料や保存料などでも、使っているわけだ。
多くの人は、「安全が確認されていない」という理由で、例えば食えなくて、自分が死ぬということになるのならば、危険を冒すだろう。だが、自分一人や自分たちや人類が生きようとして危険を冒した結果として、かえって人類が絶滅したり、世界生物が滅んだりする危険性がある。本当に難しい問題はそこにある。それに比べれば、原発ごときは廃止すればいいし、我々が省エネを徹底したらいいだけだ。実にくだらない。
私は最終回見てモニョッた人間なのですが、何故自分がモニョッたのか原因がはっきりしなかったので
アクターズスクールっぽいところに俳優や歌手、アイドルを目指して頑張ってる
遙、凛、真琴、渚が居て、凛の提案で発表会か大会みたいのに4人で出て
それが最高のステージだったけど、凛が歌の勉強のためロンドンかどっかに留学したため解散。
しかし、高校になって既にダンスでそれなりに評価されてた怜をスカウトし
新生Free!として復活。しかし、怜は音痴だった…でも、努力してご当地アイドルの大会かなんかで
勝ち上がってついに地方大会決勝!これに勝ったら全国大会!ってなったら
凛が今活動していたグループの選抜メンバーから外されて個人での結果も散々、歌うのをやめると言い出す。
で、Free!の怜以外のメンバーが動揺、センターの遙が歌えないとか言い出す。
もうそんなこと言われたら、怜が凛にポジションを譲るしかない。で、譲る。
最高のステージ、再び!ルール違反!?そんなの関係ねぇ!!やっぱ初代Free!最高だぜ!!
もちろんグループは失格、でも新生Free!の絆もSMK48(鮫柄48)の絆も拗れていた初代Free!の絆も深まったぜ!
~終~
…なわけねーだろ!!
てめぇ、怜や怜ヲタの気持ち考えてみろよ!第一、SMK48の凛ヲタの気持ちも、新生Free!ヲタの気持ちも考えろよ!!
(どうでもいいですが、Free!はSPEEDをイメージしました)
「ハルちゃんのソロが終わった後ステージ上でハルちゃんに抱きついて泣いてて可愛かったー!」
なんて書き込んだら炎上どころじゃありません。もう担降り祭り、リムブロ祭りですよ
Free!のメンバーも続々とブログに意味ありげに「皆さん、すいませんでした。怜、ありがとう」みたいなことを書くのです。
そして怜ちゃんがブログに
「応援してくださっていた皆様には本当に申し訳ないことをしました。でも僕は後悔してません。
これはFree!が本当のFree!になるために必要だったことです。」なんて書いちゃうんですよ。
で、5人での写真を掲載するんですよ…
と、ここまで妄想して何故か勝手に自分の中で昇華しちゃってるんですが
結局、私が言いたかったのは、
いくら追い込まれてても替え玉なんて普通しねーし、第一するにしてもちょっとは考えろよとか
なんか来年も…みたいな雰囲気になってるけど不正しちゃったから来年は無理だろうし、再来年は真琴と遙いねーよとか
テメーら運良く次の大会出られて1位じゃなくても最高の景色見れなくても「やっぱ怜じゃ…」なんて絶対思うんじゃねーぞとか
色々あるんですがまとめて言うと
「視聴者なんて関係なくピッチピチの男子高校生が短く儚い青春に自分たち中心の世界で色々やっちゃうアニメが見たい」と思ってたが
ホント、女は面倒くさい
これだけ情報も溢れ、環境もどれを選ぶか難しいほどの状態になってしまっているのだ。
もはや、プログラムを勉強するには、必要以上のものが用意されている環境にあるといっても過言ではない。
がんばってください。
http://anond.hatelabo.jp/20130725111658
もはやプログラムを学ぶための障壁は無いに等しい。
それは「絵を描く」でも「小説を書く」でも「音楽をやる」でも「動画を作る」でもほぼ一緒なのだ。
そしてそれが何をもたらしたかというともちろん新生の作者たちだ。安価にまなべる環境で技術を磨いた年若い綺羅星のようなクリエイターたち。
と、それに加えてその数千倍の数の失意の若者達。
「障壁」はいままで才能のない者たちを大事に守ってきたのだ。赤ちゃんのおくるみのように。
40歳で結婚するとダウン症の確率1%と書いてあるけど、それってさ100組に1組で、100組に1組って40才以上が何組結婚してると思ってるんだ?という話だし
いやいや、実数がどうであれ試料数が十分であれば問題ないでしょ。
次に、女性のダウン症の割合については書かれているけど、男性の精子劣化の割合には書かれていないだろ?変化量がもともと小さいから変化することはするけど、割合が大きくないから書けないんだよ。大本のその話が流行った時にはちゃんとそう書かれている。
ダウン症は女性の年齢の影響が強いけど、自閉症等は男性の年齢の影響が強いんだってさ。
ところで引用した部分にはダウン症のことは一切書いてないのに、なんでダウン症の話を持ってきたのかな?
んでこんな記事も見つけた。
母親の年齢が高くなるほど、ダウン症のような染色体異常のリスクが高くなりますが、自閉症や統合失調症のような精神障害についての遺伝リスクはほとんどは卵子ではなく、精子の染色体異常に起因するものだということです。
子供の自閉症リスクは、親になった年齢が20~24歳の男性に比べ、40~44歳の男性で1.45倍、45~49歳の男性で1.83倍、50歳以上の男性で2.26倍と、年齢層が上がるにつれて上昇した。母親の出産年齢で見ると35~39歳で1.11倍、40歳以上で1.26倍となっており、男性ほどの強い関連は認められなかった。
アイスランド、デンマーク、英国の共同チームは、親の遺伝子にはないゲノム配列の変化を見つけるために、両親と子どもの親子3人計78組と対照群数百組のゲノム解析を行った。その結果、遺伝子に起こる新生突然変異の発生率の増加は、要因の97.1%が受胎時の父親の年齢にある可能性が示された。一方、新生突然変異の発生率の増加と、受胎時の母親の年齢には関連は見いだされなかった。
論文の分析部分を執筆した米ミシガン大(University of Michigan)のアレクセイ・コンドラショフ(Alexey Kondrashov)氏によると、現在の新生児は平均して約60の小規模な新生突然変異を持って生まれてくる。父親が20歳の場合、新生突然変異の平均数は25だったが、40歳の場合では65だった。
研究によると、新生突然変異が起こる確率は受胎時の父親の年齢が上がるほどに上昇し、父親の年が16歳違うと発生率は倍になった。つまり20歳の父親に比べて36歳の父親のほうが、子どもに新生突然変異が起こる確率が2倍になるということになる。
http://www.afpbb.com/article/environment-science-it/science-technology/2896795/9399085
読んだ。
医療保険が要るか要らないかについて未だに議論している人がいるので驚かされる。
まあテレビをつければガンガンCMが流れてくるし、雑誌では根拠不明な特集やランキングばかりやっているので惑わされるのも仕方ないが、
それでもやっぱり無駄金を使うことになるので考え直すことをお勧めしたい。
こういう話をすると、保険会社に何か恨みでもあるのか等と聞かれるが、別にそういう訳じゃない。
ただ自分は、2005年~2007年に明るみになった例の不払い事件を忘れていなくて、あれから保険会社が悔い改めたとはとても思えないのだ。
たとえば、特約の請求の仕方。
なぜ特約の請求は一つひとつ個別にしなくてはいけないのか理解に苦しむ。
女性が女性疾病特約を追加していて、乳がんで入院した場合、女性疾病特約で上乗せされるはずの保障は、基本の入院保障とは別個で請求しなければならない。
特約が一つだけならまだしも、あれこれ特約を付けている人(保障太り)からすれば、ややこしいことこの上ないと思うのだがいかがだろうか?
だいたいこのシステムは、特約がきちっと出るとか出ないとか、保障されるにしても約款の定義が意地悪だとか、そんな次元の問題じゃない。
ただ単に消費者を面倒くさがらせているとしか思えないし、もしや特約を追加したことを覚えてない人の「請求漏れ」を期待しているのではないのか。
さすがにそこまでコスい連中ではないと思いたいが、そのように邪推されても言い訳できないと思う。
あんな、消費者のすべてを敵に回すような不祥事を業界全体で起こしておいて、誰もこの仕組みに異を唱える者はいないのだろうか。
では、そうした請求の仕組みだとか、組織体制を変えてくれれば医療保険を見直すのかと問われれば、「それでもまったく要らない」と言って退けたい。
自分は勝つ見込みの少ない「保険ギャンブル」をする気がないからだ。
月々数千円の保険に何十年も加入して、支払った保険の総額よりも多くの保険金を受け取る可能性はどのくらいあるのだろうか。
毎月3000円の保険に30年入ったとしたら、払込総額は108万円だ。
高額療養費があるおかげで、一般所得者1ヵ月の医療費は8万円か9万円ほどで済むことになっている。
1ヵ月の入院を10万円と多めに見積もったとしても、108万円の元手を取るには計10回以上の入院が必要になる。
しかも高額療養費制度は、1年のうち4回申請するとそれ以降の医療費は一律4万円4000で済むので、実際はもっと入院しないと保険料はペイしない。
そう考えると、ほとんどの人の保険料が保険会社の懐に消えていることが分かるのだ。
がんだってそうだ。
保険会社は、「日本人の2人に1人はかかる」という国立がん研究センターの統計をもとに不安を煽っているが、
それは高齢者も含めて計算した生涯罹患率の平均で、50歳までの罹患率はたった2%。
では、この数字トリックを知っていながら、なおかつがん保険やがん特約に加入し、がんになって保険金が降りたとしたら、ギャンブルに勝ったと言えるだろうか。
答えはノーだと思う。
なぜなら、がんは「治療期間」は長引くかもしれないが、保険で保障される「入院期間」は他の病気とそう変わらないと思ってよいからだ。
つまり、やっぱり保険料の元は取れず、結局は貯蓄で対処するしかないことが分かる。
それに、がんは未だに軽度のもの(上皮内新生物)は給付対象でない商品も多い。
がんが発覚するのはほとんどが上皮内新生物のときであるのに、この意地悪さだ。
このように、不足の事態に大した助けにならず、結果的には足を引っ張りかねない保険商品なら、すべての余剰金を貯金に回した方が賢明ではないだろうか。
この業界を立ち寄ったことがある。
その上で感じたことをまとめてみた。
もし今自分が各種アプリケーションの操作方法を極めたという自信をもっていたとする。アイデアもあったとする。
各種資格も取り、大抵のことはそのへんの人よりも素早く対応できるとする。HTMLはもちろん、各種プログラミング、DB関係、ネットワーク知識、ハードウェア知識、Office関連のソフト、Adobe系のソフトも覚えたよ!
って膨大な知識だと自負するだろう。これだけがんばったのだから、しばらくは行けると思うだろう。けれどもこういうのはすぐ時代遅れになる。そういう態度でいるとあっという間に置いていかれる。
ユーザサイドとしてはバージョンアップにはそれなりのお金がかかり、しかも改訂後ドラスティックにUIが変わっていることもあるうえに不安定なことも多く、みんな混乱する。
みんなで混乱って言うだけだと楽しそうだけど、仕事の締め切りの当日にこれを強要されたらどうだろう。間に合わなかったときは?
例えば、Officeがリボンを採用した時、縦狭モニタのノートパソコンがビジネス機の主流だった。多くの人が作業領域の狭さにつらい思いをしたのではないだろうか。
で、だったら旧バージョンでいいじゃないかというとそういうわけにもいかない。みんなでそうなっている以上合わせるしかない。自分以外の多くの人が新しいものを使用していて、やりとりが発生しても互換性がない状況がせまってくる。結果「ファイル開けない」という無用のトラブルに泣くことになる。
なおこの混乱の際に蓄積したノウハウは近いうち別のバージョンアップで埋め立てられ、思いついた本人でさえさっさと忘れ去る。諸行無常の鐘も鳴る。
でも、仕事なのだから、古きも新しきも覚えていなくてはいけない。それぞれのジャンルは、枝分かれを繰り返しながら日進月歩、エキサイティングな状況である。知識とノウハウをずっと二乗していける超人になればいい。総員四六時中勉強しろ。飲みに行くなら上司か業界関係者以外禁止。仕方がない。
熱い志を旗印に、世界中で新しいサービスが筍のように生まれ、シェア争いを繰り広げ、多くはそっと消えていく。
こういったことを細かに面白く教育してくれる会社は少ないのだと思う。それでも、この業界の人間はたいてい一人で楽しく勉強し、観察し、楽しんでいる節がある。実にファッショナブルでまぶしいなと思う。
こういう潮流の温度を知らない人間、忘れてしまった人間は「そんなことも知らないのかよ」とさげすまれる傾向があったりする。大御所の方が「これだから……」と陰でさげすまれてしまうことも珍しくない。
それではいけない、そうならないためにも最先端のデバイスを、流行を、業界動向を追いかけていこうとして、どんどん新生、枝分かれするものをすべて拾っていたら、現場の動向を追いかける時間が取れようはずない。結果肝心の持ち場が火を噴く結果となる。そこでバランス感覚が必要となるが、どこでとるかというのも悩ましい問題だったりする。
バランスをとるというのは、どこかを立ててどこかを捨てることなのだから仕方がない。でも精一杯勉強して苦渋の選択の結果いま不要だと思ったものは捨てる。怒られても捨てる。そうでないと、いくら時間があっても足りない。
これはWeb関係者に限った話ではないし、SNSアカウントを持っていないWeb関係者も時にはいるけれど
・メールの返信も可能な限り早く
職場の人間関係が及んでいるSNSアカウントを持っていたら当然同様の同調圧力が存在する。
よって疲れていても、忙しくても家族が病気でも定期的にその世界でイイネ!しなくてはならない空気をまとって生活している。
そのため100%プライベートに集中する時間を作ることが難しくなってくる。いちいち「事情があってイイネ!できなかったのだろう」という憶測をする人間が存在することもありえる。鬱陶しくも、それが普通の社会人生活。日本人は古来よりお互いを監視して自らを律して繁栄してきた。その結果、日本人はときどき海外の人に高いマナー感覚を褒められたり驚かれたりする。そういった意味でSNSは日本人精神に相当マッチしているのではないだろうか。こういう湿気がみな大好きなのだから仕方がない。
返信がいくら遅くてもいいような偉い立場の人々はまた話が違ってくるかもしれないけれど、どんな偉い人にもその上のさらに偉い人のもとで働いている。社長だって株主や大手取引先には頭が上がらない。しがらみのない人間なんていない。
みんなで、自分がお世話になっているコミュニティに、自分はきちんとコミットしているという態度を見せなくてはならない。職場がらみのSNSってこんな感じだ。そしてSNSは不眠不休で運営されている。深夜に同僚が仕事しているのを窺わせるポストに「イイネ!」して、自分は布団にくるまって安眠できるほど神経太くない。
言いたい事は分かるけど、それだと議論の舞台が「じゃあ何を以て人間に近いとするの」って所に移るだけだよ。
人間とどれだけ慣れ親しんでるか? それなら犬や猫が真っ先に挙がるだろう。
遺伝子的に人間に近い物? それだとチンパンジーを始めとした類人猿だね。
意思の疎通が出来るような知能がある物? そうなると、イルカや一部の鳥類なんかも候補になるかもしれない。
でも元増田が本来したい議論は、きっとそんな事じゃあないよね。
次のレスも同じ元増田の意見だと思ったからここに書くが、私はそもそも
>人間なら法律を守れるから、自分の行動に責任を取れるから、勤労納税して社会に貢献することができるから
この仮定に賛成していない。
話が分かろうが分かるまいが(むしろ世界的に見れば分かり合える事の方が珍しいのだし)、最低限人として扱うと言うのはこういうことだ、というラインが基本的人権なんじゃないの?
それとも、どこかに元増田の言うような理由が明確に挙げられている? もしそうだったら、私が完全に間違っているので謝ります。
生憎と社会学には疎いので、基本的人権という概念の成立がどういう経緯で起こったものか、あまりよく知らないんだ。すまない。
しかし「人間にだけ付与される特別な権利」という発想は、人間中心主義的ではあるよね。元増田の拘っているのはその点?
個人的には私もそういうのは好きじゃない。他の生物だって敬愛を持って接するべきだと思う。
でも、基本的人権として考えられるような事全てを、他の生物にも適応するのは無理がある。だからどこかで線は引かなきゃいけない。
それが人間とその他の生物の間、というのは、まあ妥当なんじゃないかな。
それとも元増田が問題にしたいのは、話の通じない人間を人として扱うべきか、という点だろうか。
これも難しい話ではある。過去に同様の議論が何万回と繰り返されてるのは疑いないね。
そしてその度に、このツリーで他の人が挙げているような点(小さな子どもは? 回復するか分からない植物状態の人は? 難しい法律は分からなくても日常生活を送れる程度の知能障害は?)について、意見が交わされている筈だ。
その結果として、「人間であれば全て人として扱うべきだろう、やっぱり」というところに落ち着いているんだと思う。
一か所でも穴を作れば、エクスキューズを付けて気に食わない奴を締め上げるのは、簡単になってしまうから。
それに、そういう人達の基本的人権は尊重されるべきだが、話の分かる大人と全て同じ権利が認められている訳じゃあない。
例えば選挙権や自己決定権なんかは、日本では子供に認められてない。
子供にとっての保護者に当たる物を、意思決定に問題のある大人につけるような、成年後見人制度なんてのもある。
しかしまあ、何度でもこういう議論は起こっていいものだろう。何も考えなくなる方がよほど拙い。
この議論はどう決着するのか、見守ってみるのも面白いかもしれないね。
追記:
もし本当にそういう事が起きたら、人権の概念、いや人間の概念をもう一度ゼロから再構築する必要があるだろうね。
喧々諤々の議論が何十年も続けられるに違いない。戦争だって起きるかもしれない。
恐らく、多くの人はそれが何となく分かっているから、人間を材料とした実験には非常に慎重になるんだろう。
http://vivace.main.jp/Auction/05-shittoko/0503-05.html
2005年6月8日頃、北海道警旭川東署などに逮捕されたとのことです。
【手口】液晶テレビ・家電製品「ディスカバリー通商」の名義←『朝日新聞』の記事より
http://nagatsuki07.iza.ne.jp/blog/entry/175010/
インターネットの競売サイトを利用し、落札者から代金をだまし取ったとして詐欺罪に問われた
元通販会社経営浜田博志(はまだ・ひろし)被告(39)の判決公判で旭川地裁は30日、 懲役6年(求刑懲役7年)を言い渡した。
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/game/2995/1106548212/
7年の刑期を終え、2011年出所し、詐欺師として再活動
http://user.auctions.yahoo.co.jp/jp/show/aboutme?userID=m_cary_kazu
ddiscovery 通商 浜田 _志 となっております 北海道旭川市神楽_条9丁目2-35 2,_ハイツ1F TEL 0166-__-____ FAX 0166-__-____ 新生ディスカバリー通商の new ID discovery_tsusyou5965 からの 出品がでるまでは こちらよりの出品となります まずは お電話にてご確認下さいませ
http://web.archive.org/web/20050212115927/http://www.pureweb.jp/~targest/sl_ha.htm
(扇原博_の名前でも一部行動中。
過去の 共 犯 者 と逃亡か?
http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20121019-OYT1T00969.htm?from=ylist
自業自得だし、男でも協力者や詐欺で結婚して相手の籍に入ったら姓を変えれますよっていう
協力者?
それは、画面の中だけでなく、リアルにおいてもだ。公演、ライブはもちろん、握手会など近い距離でも、僕らは彼女らを感じられる。
日常をただ、平々凡々と暮らしていたのでは出会うことさえ、許されなかった弩級の美少女に。
僕は、彼女に憧憬を好意を覚える。彼女らは資本主義世界でプロダクトされた理想の美少女で、彼女らはマスプロダクトされた彼女らについてのプロダクトを以て、僕に彼女らを伝えてくれる。
好きだ、大好きだ。愛してる。
まるで、この世の理、万有引力に導かれるかのように。不思議な話だ。
現実世界では、近づくことさえ、許されなかった彼女らに、恋することが許される。
彼女らがアイドルになってくれたおかげで。彼女らは僕らの想いを拒絶しない。
しかし、彼女らのファンは残酷な真実に気づくだろう。画面の中で、ステージで、輝く彼女らを見て。
いや、むしろ、無数にいる彼女らのファンや握手会で自分の後ろに立つ係員を見て気づくかもしれない。
もっと、自然に、もっと、普通に。例えば、クラスメイトのように、近くで出会えればよかったのに。
でも、僕は気づく。もともと、彼女らは特別で、本当は、出会えなかった。
だから僕は、彼女らがアイドルでいてくれたことに感謝しなくてはならないのかもしれない。
【秋元康の罪】
今や、過熱したアイドル業界を牽引するAKB48を始めとする48グループ。
古くはおニャン子クラブの時代から、アイドル業界を手のうちに収める彼には、その業界を発展させたという功績がある。
そして、罪もある。
AKB48の最新曲『真夏のsounds good!』でその罪について検証しよう。
この夏を代表するであろうこの曲のPVは彼が指揮したらしく個性的な設定が付与されている。
その最高指揮を執るのが、彼、秋元康だ。
軽快な曲、爽快な歌詞とは裏腹にPVの物語性にはダークなものが感じられるだろう。
AKB48を卒業することが予定されている前田敦子を助けようとする渡辺麻友。
「もういいよ行って。行きなってば先に。私たちは私達が変わるためにここに来た」
次々に倒れていくメンバー。
そんなダークな情景を見せたあとに、PVは青空の下で彼女らが踊るものになる。
真っ白な水着。真っ青な海と空。清々しいほどに爽やかで、それが先ほどの情景と対比される。
これほどまでに綺麗な未来が、つまり、新生AKB48が生まれ得るのだと期待させる。
それはPVの終盤、渡辺が前田を連れていくシーンだ。行く先は、先程、白い水着を着て、砂浜で踊っていたメンバーの下。
生まれ変わるなら、彼女らは前田を迎えるべきではないし、前田はそこを目指すべきではない。
渡辺もそれを助けるべきではないし、助けているということは、前田が抜けた後の新生AKB48の可能性を否定しているとも言える。
前田もAKB48を抜けた後の自分の可能性を否定しているのかもしれない。
つまり、秋元氏は彼女らに新生AKB48の可能性を彷彿とさせるPVを提示しながら、その可能性をPVの中で否定しているのだ。
アイドルグループは予定調和でなく、突き進んだ結果であるべき、ジャンケン大会のようにガチであるべきだという秋元氏の思想とは反するようにも思える。
しかし、よく考えて欲しい。
私にはそうは思えない。
彼は、凋落したことのない、紛うことなき、この時代の寵児であり続けたし、今ではその世界の重鎮だ。
彼に単なる根性論など通用しない。
努力だけではだめだと、成功するには運も必要だと、グーグルプラスで語った彼には美辞麗句に賭された、文字通り飾り物の世界ではなく、本当の世界が見えている。
だから、単純にがんばれば、努力すれば認められるというメッセージを発さないのだろう。
それは、彼の信念に反するから。
そう、彼の思想はこの世界を精緻に写しだしたものであるように思えるし、それに僕は同意する。
だが、この思想が彼の罪を生んだ。
つまり、それは、その一種リアリティ溢れる思想、イデオロギー性を伴った作品を彼女ら、世界で認められうる美少女らに歌わせ、演じさせてしまったというところ。
僕らは、アイドルに夢を見ている。
小難しいことを、批判めいたことを歌ってほしくはない。
社会批判。その歌詞、そのメッセージ性は痛いほどに、僕の胸に届く。
しかしそれを彼女らに歌わせることで、彼女らは政争の具のような体裁を見せてしまう。
なんの色付けもされていない、ピュア=純真な女の子を僕は見たいのにも関わらず。
別の例では、秋元氏は純真な、つまり、彼女らが思っていることを彼女らが歌っているという構図の作品を生み出すことに成功している。
それが、SKE48(KⅡ)の『お待たせsetlist』だ。
選抜総選挙で高柳明音は、秋元氏にこう叫んだ。「私達に公演をやらせてください」と。
彼女らは、それまでリバイバル公演(他のチームの公演楽曲で公演する)ばかりを行い、自分たちのオリジナル公演が行えなかった。
だから、彼女らSKE48(KⅡ)とファンの思いを高柳は秋元に代弁した。総選挙の会場で熱を込めて語った。
秋元氏はそれに呼応するように公演楽曲を書き、オリジナル公演を与えた。
『お待たせsetlist』には、SKE48(KⅡ)の思い、そして、ファンの思いが込められている。その歌詞は秋元氏が書いたものだが、聞く者にとっては、彼女らの気持ちそのものが歌われているように感じられる。
僕は、彼女ら=色付けされていないプレーンな彼女らを望んでいるのではないか。
そこには、如何に崇高な思想やイデオロギーであっても介在するべきではないのではないか。
だからこそ、僕らは秋元氏が秋元氏の思想、イデオロギーを彼女らに歌わせ、演じさせることに強烈な違和感を覚えるのである。
さて、散々彼の罪を述べてきたが、彼の功績は大きい。夏に控える前田敦子の卒業に関して、彼はこのように述べている。
「相変わらず表現は下手だが、その分、ストレートに伝わってくる。時々見せるはにかんだ表情は、あの頃の“あっちゃん”のままだ」と。
彼女につまり、この世界で美少女と認められたアイドルにバイアスをかけることなく、アイドルというひとつのステージを卒業させる。
そのことには頭が下がる思いだ。
さて、そのようなイデオロギー性の濃いアイドルの対極にハロープロジェクト系列のアイドル、モーニング娘。やスマイレージといったアイドル勢がいる。
一時程の勢いはないが、それでも業界内で存在感を放っている。そんな彼女らはイデオロギー性から解放されたアイドルといえる。
彼女らの歌う曲の歌詞や、日常を何の疑問も持たずに歌いこなすものであり、楽曲名からさえ強い思想は感じられない。『プリーズミニスカ ポストウーマン』(スマイレージ)『ピョコピョコウルトラ』(モーニング娘。)といった曲名からは、いわゆるおバカな空気さえ感じられる。
純粋な気持ちを歌っているかどうかで言えば、アイドルを眺める視点では、こちらの方が、彼女らの気持ちが歌われていると想像できる。
まさか、つんくがうぶな乙女の気持ちを持って生活しているとは思うまい。
【つんくの罪】
そんなつんくにも罪はある。
それは、作品そのものではなく、それらを歌いこなす際の彼女らについてである。疑問に思ったことはないだろうか。
彼女らの楽曲は、つんくが曲詩ともに担当する。48グループの秋元氏が詩のみの担当であることとの差がここに出ているのかもしれない。
よくよくハロプロメンバーの歌い方のくせを聞いていると、そのくせが似たものであることに気づくはずだ。
そう、つんくの歌い方のくせに似ている。と。
つんく自体、アーティスト時代の歌い方のくせは強いものだった。
それ自体はなんら問題がないのだが、その歌い方のくせを彼女らに楽曲提供することで一種押し付けているのではないか。
ピュアな彼女らの、女の子らしい歌い方を黙殺してしまっているのではないか。そう感じられて仕方ないのだ。
ここでも、僕らは嘆くことになる。彼女らの気持ちを彼女らの歌いたいように歌っているものが欲しいのに。本当の彼女らが欲しいのに。
資本主義に浸け置きにして、彼女らの骨を抜くのはもうやめてよ!そんな不自然な美少女見たくないよ!
そんな思いにかられて、すべてに思想やくせのないアイドルを探す。いることはいるのだ。
例えば、SUPERGiRLS
例えば、YGA
天下のavex、そして吉本興業のプロデュース。資金力も申し分ない。ルックスも申し分ない。でも、なかなか売れないのだ。
吉本興業に至っては、NMB48という48グループの力を借りて、アイドル事業に参画する始末。
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今回の訪台では気合いを入れて台北觀光護照 (Taipei Pass) なるものを購入してみた。バス・捷運に乗り放題で5日間有効券の場合700NT$。台北は市内交通が安いので、ぶっCHAGE元を取るためには相当ヘビーに使い込まなくははらずそれほど割安ではない。しかし悠遊卡のように残高を気にする必要がなく、また一日票のようにバスが別件バウアーになったりしないので精神的に楽だろうと思っていたのだが、後から振り返るとそれは大いなる間違い・セザールであった (後述) 。
台北の原宿 (ホントに地元の人がそう呼んでいるのかは知らない) ・西門町に来てみたが、時間が早すぎたのか店は開いてないわ人はいないわと散々だったのでスタバで休憩しただけで引き上げてしまった...
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読めないんだけど、WiFi充実してまっせ的な
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アニメとかゲームが充実しているヲタショップビル。ビルは開いていたが、各ショップはほとんどが開店準備中だった。早すぎたんだ... っ!!
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余談だが台北のスマフォ普及率は異常。もはや誰もフィーチャーフォン (笑) なんぞ使ってなかったと云ってもいいくらいで、ほとんどの人はHTCかアップルを使っている。Xperiaもよく見かけたが、Galaxyを使ってる人を見たのは6日間で2人だけだった
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USと同じくメニューにはトール 〜 しか掲載されていないが、頼めばショートも出してもらえる。60NT$。日本より安いがUSより高いんだNE
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なんか見覚えのある看板
どう考えてもバスで行くべき場所にあるんだが、観光スタート直後でまだ若干ビビッていたため捷運の忠孝新生站から15分近く歩いて到着
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コテコテなプランだが鼎泰豊に来てみた。人が多く、入店したい旨どうアピればいいのか解らずビビるが、なんのことはない、入り口にいる店員さんに声をかけると「ニホンジンデスカ? 」と云われるので満面の笑みでハイッと応えればおk。写真付きのメニューと伝票を渡されるので、自分の順番を待っている間にじっくりと喰いたいものを選ぼう。
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テキトーに選んでみた麺
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小籠包。メニューには10個入りと記載されていたが、半分にもできますと云われたのでそうしてもらった。味は新宿髙島屋で喰うのと変わらんw
ちなみにテーブルを担当してくれたカワユスな店員さんが歯列矯正していて超絶に萌えた (私は歯列矯正フェチである) 。この後気づくのだが、台北では実にたくさんの人が歯列矯正しているようで、体感遭遇率は東京の数十倍以上。フェチにとっては天国であった
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やっぱり東京より安いですね。あと、サービスチャージがかかるんだNE
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御手洗は二階にある
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鼎泰豊からすぐのところにある永康15。マンコかき氷が美味いらしいので来てみた
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キウイとイチゴとマンコのかき氷をチョイス。写真では解りにくいと思うが、量が尋常じゃない (丼に入ってるくらいの大きさをイメージしていただきたい) 。こんなに喰えるかボケー級の憤りを感じなくもないが、食べ始めてみると常軌を逸する美味しさにザクザクと食が進み、結局 完食してしまうのであったw
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喰い終わったのでバス停への道すがらパチリ。台湾はNexus Sも売ってるしWP7も選べるしでスマフォ天国でございますね
さて、九份へ出発するタイミングでいよいよ、ビビッていてもしょうがないのでバスを使い始めることにした。バスを避けていてはどこへ行くにも捷運の駅を基点に移動しなくてはいけなくなるので非効率である。どのバスに乗るかの判断はiPhoneのマップに任せればよい。現在位置から目的地までを経路検索すれば乗るべきバスの番号までガイドしてくれる (都市によってはバスの時刻や料金まで表示されるが、台北ではそこまで詳しくは出なかった) し、乗車中も現在位置を表示しつづけられるので「どこだここわ」状態にならず心強い。これから海外各都市へ旅行される諸兄においては、事前にその都市内の2地点間で経路検索してみて、どこまで詳細に表示されるかを確認しておくことをお勧めする。
台北のバスで当初解らなくて困ったのは、乗車時に支払う (もしくは、カード探知機にピッとかざす) のか、降車時に支払うのかの区別の仕方である。旅の後半でやっと気づいたんだが、運ちゃんの頭上に「上車収票」もしくは「下車収票」と表示されていて (上下車収票と書いてあって、上下の文字は片方のみが点灯している) 、上が乗車時、下が降車時であった。これを発見するまでは他の乗客の真似をしていたのだが、ジモティーですら間違えるくらいだったのでけっこう困った。
そして、ここで台北觀光護照の問題が出てくる。これ、バスも乗り放題だから小銭用意しなくていいぜイエーイなどと驕り高ぶっていると、対象外区間でテンパることになる。今回の旅だと九份へ行くバスと、淡水でのバスは対象外であった。で、台北觀光護照が使えないならいくら払えばいいんだ、という話になったときに運ちゃんとコミュニケートしなくてはいけない。大事なことなので何度も云うが、バスの運ちゃんに英語が通じたらラッキーである。結論としては、悠遊卡を残高に余裕を持たせて運用する者が勝ち組である。
http://maps.google.com/maps?f=q&q=25.110092,121.845276%20%28224台湾新北市瑞芳区瑞金公路%29
目指す地点はここ。経路検索で指示されたとおり、捷運の忠孝復興站近くのバス停から1062番に乗り込む。上記のとおり台北觀光護照が通用せず、いくら払えばいいか解らずテンパるが、運ちゃんが料金表の102という数字を指さして教えてくれたので、110NT$を投入 (お釣りは出ないし両替機もないので硬貨の持ち合わせがないと悲劇。悠遊卡を使う方が圧倒的に楽である) 。
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1062バスの車窓から。高速を降りると町並みがどんどんアニメみたいになっていって期待が高まる
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なんだか知らないけどそこかしこでジブリ音楽のオルゴールCD的なの (千尋に限らず) が流れている
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豎崎路をいったん通り過ぎてさらに進むと展望台みたいに開けたところに出る。この眺めを見ながらの告白であればフラれても悔いはないだろう
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ごちそうを味わいます
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〜 つづく 〜
ポーランドで、ナチスドイツによるユダヤ人虐殺を研究したところ、ナチスによる村への攻撃を恐れた村人がユダヤ人を虐殺していた事実が明らかにされた事例がある。
良心の呵責に耐えかねた当時の村人たちが、ナチスの命令により殺人を実行したと言う嘘の記憶を作り上げることで辛うじて正気を保ってきたものだった。
戦後五十年を経てこの事実を暴かれてから、村では精神を病む老人が続発し、誰も幸せにならなかった。
ドイツでは研究が許されないため、このような事例でもナチスが実行したという認定が歴史的事実となる。
事実関係を争わずすべてナチスの責任として引き受けるのがドイツの責任の取り方。
ドイツのやり方は歴史の歪曲でもあるし、ナチスを切断処理して加担者が罪を免れている。
第壱話 痒み、襲来
第弐話 見知らぬ、薬
第参話 とどかない、背中
第四話 皮膚科、逃げ出した後
第伍話 ステ、使用したむこうに
第七話 医師の造りしもの
第八話 キンカン、来日
第九話 瞬間、汗疹、重ねて
第拾壱話 静止した、鏡の前で
第拾参話 雑菌、侵入
第拾四話 キュレル、保湿の座
第拾伍話 乾燥と軟膏
第拾六話 死に至る病、そして
第拾七話 四人目の同病者
第拾八話 治療法の選択を
第拾九話 男の戰い
第弐拾話 皮膚のかたち、人のかたち
第弐拾弐話 せめて、人間らしく
第弐拾参話 涙
第弐拾四話 最後の投薬
第弐拾伍話 終わる通院
第弐拾六話 世界の中心で脱ステを叫んだけもの
新劇場版 序 YOU ARE (NOT) ATOPY
第壱話 HTML5、襲来
第弐話 見知らぬ、ブラウザ
第参話 鳴らない、Audio
第四話 WAI-ARIA、逃げ出した後
第伍話 Safari、心の向こうに
第七話 WWWの造りしもの
第八話 Chrome、来日
第九話 瞬間、Canvas、重ねて
第拾話 セクションダイバー
第拾壱話 静止したACID3の中で
第拾弐話 先行実装の価値は
第拾参話 バグ、混入
第拾四話 Firefox、魂の座
第拾伍話 バグとハック
第拾六話 死に至る非標準、そして
第拾七話 四人目のECMAScriptエンジン
第拾八話 DTDの選択を
第拾九話 ベンダーの戰い
第弐拾参話 IE
第弐拾四話 最後のCSS
第弐拾伍話 終わるXHTML2
第弐拾六話 世界の中心でセマンティックを叫んだけもの
22億円が小沢氏団体に 新生、自由党解散時の残金
小沢一郎民主党幹事長が党首などを務めていた新生党や自由党が解散した際、両党に残っていた資金の大半に当たる計約22億8000万円が、小沢氏関連の政治団体に移されていたことが、関係者への取材や政治資金収支報告書などから分かった。
両党の残金には政党助成金などの公金が含まれており、解党のたびに小沢氏が多額の公金を自身の管理下に置いてきた格好。政治資金力がなお、ものをいう政界にあって、「壊し屋」とも呼ばれる小沢氏の資金調達の一端がうかがえる。
政治資金収支報告書や政党交付金にかかわる報告書などによると、小沢氏が党首だった自由党は2003年9月、民主党との合併により解散。自由党には、政党助成金約5億6000万円を含む約15億5000万円が残っていたが、解散当日に約13億6000万円が自由党の政治資金団体だった「改革国民会議」に移された。
1994年12月には、小沢氏が代表幹事を務めていた新生党が新進党に移行した際、党本部と支部に残っていた資金の大半の約9億2000万円が政治団体「改革フォーラム21」に移されていた。このうち約5億円が、議員の調査研究に国から支給される「立法事務費」だった。改革国民会議と改革フォーラム21は、小沢氏と関係の深い人物が代表や会計責任者を務め、現在も小沢氏の個人事務所と同じビルの同じフロアに事務局がある。
小沢氏の公設第一秘書大久保隆規容疑者(48)の西松建設事件の初公判で、検察側は改革国民会議について「小沢氏から会計責任者に指示して、随時、小沢氏の関連政治団体へ資金移動されており、小沢氏の財布の一つ」という元秘書の供述調書を読み上げた。
改革国民会議は94年に設立。新生、新進、自由党の政治資金団体だったが、自由党解散後は一般の政治団体となった。改革フォーラム21は92年に一般の政治団体として設立された。解党時の資金移動について、両団体の役員らは本紙の取材に「就任以前のことなので承知していない」としている。
政党助成法では解党時に残った公金を返還する規定があり、国会でも「返還逃れでは」との批判の声も出ている。政党交付金の他団体への寄付を禁じる改正法案が今国会に提出されている。
よくゲームなんかでは、アイテムを分解とか解体とかするとレアな別のアイテムがゲットできたりするんだけど、そういう感覚なんだろうか。
つづき書いた
http://anond.hatelabo.jp/20100813005210
16万というのはあくまでも個人的な例で。もっと少なくてもうまくやれば可能でしょう。
家賃はよく言われる「手取りの3割」に則って5万円としておきます。
下記のすべての口座を作ってください。どれもネットで開設できます。
毎月3回まで無料なので3回分セットしておきます。また給与25日払いを例に考えます。
日付 | 金額 | 振込先 | 内容 |
---|---|---|---|
26日 | 50,000 | 既存口座 | 家賃を大家に振り込む or 既存の引落用口座に振り込む |
1日 | 72,000 | 新生銀行 | 衣食住のうち「衣」「食」の部分 |
2日 | 8,000 | スルガ銀行 | VISAクレジット決済用 |
家賃と新生銀行振り込みの間に日が開いているのは、ここにクレジットカードの引落日が入るからです。休日とかが入ると、後ろにずれ込むこともありますから。
水道やガスなども、極力クレジットカードにまとめましょう。銀行引落でもいいのですが、たいてい引落日がバラバラなので残高不足になりがちです。
額はライフスタイルによって異なるでしょうが、余裕を見て2万円としておきます。
自動振込みをセットしても、肝心の収入が別口座では意味が無いですので。
8000円くらいであるみたいです。ぐぐってください。
楽天、アマゾン、Y!ショップなど。既存のクレジットカード登録をすべて抹殺してVISAデビットカードに切り替えましょう。iPhoneにハマっているひとはiTunes storeも忘れずに変更しましょう!
財布には「新生銀行キャッシュカード」と「スルガ銀行VISAデビットカード」のみ入れておきます。他のキャッシュカード/クレジットカードは家庭用金庫にいれて、鍵は親にでも預けましょう。特に住信SBIネット銀行は自動振込みしか使いませんので取り出す必要はありません。
新生銀行からお金を下ろすときは千円札のみにしましょう。週の頭にATMから二回9000円下ろして、それで一週間すごすようにすると個人的にはちょうど良いです。
ええ、この方法だとスルガ銀行残高の毎月8千円までしか買い物できません。足りない人は調整してください。
VISA加盟店であれば、決済の際にVISAデビットカードで決済できます。デビットカードというと店の人も「?」な顔をするので、普通のクレジットカードとして堂々と使いましょう。支払いも聞かれたら「一括で!」
便利ですけどね。使いすぎてしまいますので使わないでおきましょう。
ここまでの方法を使った場合の収支をまとめますと
日付 | 内容 | 収支 | 移動額 | SBI残高 | 新生残高 | スルガ残高 |
---|---|---|---|---|---|---|
25日 | 給与 | 160,000 | 0 | 160,0000 | 0 | 0 |
26日 | 家賃振込み | -50,000 | 0 | 110,0000 | 0 | 0 |
27日 | クレジット支払 | -20,000 | 0 | 90,000 | 0 | 0 |
1日 | 生活費 | 0 | 72,000 | 18,000 | 72,000 | 0 |
2日 | VISAデビット費 | 0 | 8,000 | 10,000 | 72,000 | 8,000 |
例:楽天で散在 | -8,000 | 0 | 10,000 | 72,000 | 0 | |
生活 | -72,000 | 0 | 10,000 | 0 | 0 |
残った!一万円残ったよー!
住信SBIネット銀行の自動振込み機能とスルガ銀行のVISAデビットカードを使って、なるべく無理なく無駄遣いしない方法を紹介しました。
あとは王道の積立定期とかも組み合わせると最強ですね。
遠く異朝をとぶらへば、台の水扁、韓の武鉉、露のボリス、米のジョージ、これらは皆、旧主先皇の政にも従はず、楽しみを極め、諫めをも思ひ入れず、天下の乱れんことを悟らずして、民間の愁ふる所を知らざりしかば、久しからずして、亡じにし者どもなり。
近く本朝をうかがふに、天正の光秀、明治の隆盛、大正の奎吾、昭和の角栄、これらは猛き心も奢れる事も、皆とりどりにこそありしかども、まぢかくは前内閣総理大臣麻生太郎と申しし人の有様、伝へ承るこそ、心も言葉も及ばれぬ。
というのはまあ単なる釣りで深い意味はないんだけれども、雪斎先生の引用している平家物語で言うなら王莽はちょっと違うんじゃないかと。
むしろ、当初は有能だったのに栄華を極めるにつれて堕落してきたのは自民党の方だと思う。そういう意味で自民党を平家になぞらえてみたい。そうすると、平家が都落ちしてきたときに入京したのは木曾義仲ということになるが、これがむしろかなり当てはまっているのではないかと思える。
木曾義仲は入京当初は熱狂的に迎えられたが、皇室への介入や京市内の秩序回復の失敗、そればかりかむしろ部下の乱暴狼藉によりたちまち民心を失い、放逐されることになる。この、一瞬のカタルシスと、それに次ぐ無能力への急激な幻滅は現在の民主党政権とどこか相通ずるものがあるように思えてならない。義仲と行家の関係も、小沢と鳩山のそれをどことなく彷彿とさせる。
そこで妄想を敢えて続けさせていただくと、次に政権を取ったのは源氏は源氏でも頼朝一門であった。頼朝は関東以東を勢力下に入れ、西日本を新たに支配下に治めた朝廷と緊張関係にありながら、鎌倉時代を通じて日本を二分支配していくことになる。
これを現代流に読み替えると、民主党は今後党内クーデターが起こり小沢・鳩山らが放逐され、世の半分を支持基盤として確立。一方で、自民党はやがて消滅するも、同じ支持基盤に支えられた保守勢力がやはり世の半分を荷っていくことになる。
即ち、遠からず新生民主党と保守系新党による二大政党が確立するという予言ができることになるのである。いうまでもなくこじつけに過ぎないが、希望的観測をこめていうと、案外ありそうなシナリオではないだろうか?
最近マークアップエンジニア志望の若者と話す機会が多いのだけれど、そこで気づかされるのは、彼らの中に過去のHTML(特に90年代以前の仕様)を読んだことのあるという人が、驚くほど少ないことだ。
例えば「マーク・アンドリーセンをどう思う?」と聞くと、「アンドリーセンって誰ですか?」という答えが返ってくる。「ヨスケの独自要素で何が一番好き?」と聞くと、「見たことがありません」と言われてしまう。「ではきみは、昔のHTMLを見たことがあるの?」と聞くと、たいていが「とほほでやっていたものくらいなら……」という答えしか返ってこない。
今の若い人の間では、HTMLを体系的にとらえようという人は少ないようだ。見るのは専ら近年の話題仕様ばかりで、歴史を辿ってみたり、系譜をひもといて標準化団体ごと理解しようとする人はほとんどいない。
これは、ちょっと由々しき問題だと思わされた。HTMLは、もう長いこと(90年代の早い時期から)インターネットの王者としてあらゆるWeb関連技術の上に君臨してきた。だから、Webを作ることを仕事にしたいなら、何をするにせよ避けて通ることはできない。
HTMLは、表・画像・フォーム・音楽・デザイン・フレーム・動画など、さまざまな分野においてその時代々々に達成された最新の成果を持ち寄るようにして作られてきたところがある。だから、HTMLを読まずして現代のインターネットは語れないと言ってもいいくらいだ。
もし何かクリエイティブなことをしたいのなら、HTMLを読むことは欠かせない。また、単に読むだけではなく、それを包括的・体系的にとらえることも必要だ。なぜなら、HTMLを包括的・体系的にとらえることによって、現代のインターネットそのものを、包括的・体系的にとらえられるようになるからだ。そしてそうなれば、Webを作ることの道理や筋道が理解でき、何かクリエイティブなことをする上で、大きな助けとなるからである。
そこでここでは、昔のHTMLをほとんど見たことがないという人や、あるいはHTMLそのものもあまり見ないという人のために、これを見ればHTMLを体系的に理解でき、現代インターネットの成り立ちや実相までをも包括的にとらえることができるようになる、7本の仕様を紹介する。
ここで紹介するHTMLは、いずれも後のWeb業界に決定的な影響を与えたものばかりだ。これらが、HTMLという標準のありようや方向性を決定づけた。この7本を見れば、HTMLというのはどのようなきっかけで生まれ、どのような変遷を辿って、どのような足跡を残してきたかというのが、体系的に理解できるようになる。そしてそれが、世界のインターネット利用シーンにどのような影響を及ぼしてきたかということも、知ることができるようになるのだ。
まず最初は、ちょっと強引かも知れないけれど、第一次ブラウザ戦争前のHTMLをひとまとめにするところから始める。
80年代末にティム・バナーズ=リーの発明したHTMLというメディアは、その後『HTML 1.0』(1993年)『HTML+』(1994年)『HTML 2.0』(1995年)などの仕様で次第にそのスタイルを確立していき、マーク・アンドリーセンが一大産業として発展させた後、『HTML 3.0』に行き着く。そして幸運なことに、ここに集大成されるのだ。
ブラウザ戦争前のHTMLは、これ1本だけ読めば良い。このHTMLに、戦前のHTMLの全ての要素(属性)が詰まっている。このHTMLを見れば、HTMLのインターネットの王者としての風格、スターという存在の大きさ、作者以上にブラウザが重視される「産業」としての側面、お尻Pから終了タグ省略可へ・文字情報から画像付きへと移り変わった技術革新の変遷など、戦前のHTML史やWeb業界のありようが全て分かるのだ。
このHTMLの魅力は、説明し始めるといくら紙幅があっても足りないので、ここではその一端を紹介するにとどめておく……といっても、気の利いたことを言えるわけではない。『HTML 3.0』の魅力を知るには、まずは読んでもらうこと――これに尽きるからだ。そして、もし一度でも読めば、その魅力はたちどころに理解できるだろう。
『HTML 3.0』を見て驚かされるのは、現在のHTMLと比べても全く遜色ないところである。破棄されてから14年の時が経過しているが、現代人の読解にも当たり前のように堪えうるのだ。それは、逆にいえばHTMLというものは、今から14年前、つまりこの『HTML 3.0』が作られた時点で、様式として一つの完成を見たということでもある。
『HTML 3.0』は、HTMLという標準が到達しようとした一つの極みである。それゆえ、HTML史というものは、『HTML 3.0』以前と以降とで分けられるようになった。これ以降に作られたHTMLで、『HTML 3.0』の影響を免れたものはないからである。
iモードが世界のHTML史に与えた影響というのは、一般に理解されているよりもはるかに小さなものである。日本人というのは、「日本の技術が世界に影響を与えた」というと、なぜか鼻高々と聞いてしまうところがある。「日本はガラパゴス」という言葉は聞いたことがあっても、「それって日本人が過小評価しているだけじゃないの?」と、眉に唾をしてとらえるところがある。
しかしiモードは、真に日本のHTML史を塗り替えたサービスの一つである。特に、このサービスの後世に与えた影響には、本当に計り知れない大きさがある。
iモードは、ドコモのメインストリームだったポケットベルが、それまでの栄華の反動で深刻な低迷期に陥っていたPHS流行後すぐの時期、そんなポケットベルに取って代わって、日本で最も輝いていた携帯サービスであった。それゆえ、広末に見蕩れた世界のHTMLファンたちは、iモードのWebサイトを見ることによって、失われかけていたWeb制作の魅力を再発見することにもなったのである。
iモードは、没落したHDMLに変わってモバイルWebの命脈をつなぎ止めた、言うならば救世主のような存在であった。海外のモバイル陣営が営々と築きあげてきたそれまでの栄光を切り捨て、日本の後代へと引き継いだ重要なリレー第一走者としての役割を、HTML史において担ったのである。
そして、そのバトンを受け取った日本の若きWebデザイナーたちが、2000年代に入って雨後の竹の子のように現れたことで、モバイルWebは鮮やかな発展を遂げる。だから、もしiモードが存在しなければ、HTMLの様相は今とは違ったものになっていたかもしれないのだ。
そんなiモードHTMLのバージョンはいくつもあるのだが、中でも特に多くのHTMLファンを――取り分け日本の若きWebデザイナーたちを魅了したのが、この『Compact HTML』である。この仕様の一番の魅力は、なんといってもその大胆に構築されたW3C Noteであろう。HTML史において、これほど拡張多く適当なディテールで構成されたNoteは他にない。そのためこのNoteは、これ以降無数に手本とされ、真似され、拡張されることとなるのである。
正字正仮名の影響を受けた日本の若き日記書きたち――言うなれば「CSSコミュニティ」――が頭角を現す直前のW3Cで、HTML史に乾坤一擲の巨大な爪痕を残した1本の仕様が誕生する。
この時期、情報技術の進歩によって、HTMLにもさまざまな新しいテクノロジーがもらたされていたのだが、それらを十全に取り入れたばかりではなく、縦横に駆使することによって、これまでとは全く違った国際化、全く違ったアクセシビリティ体験を生み出すことに成功したのが、この仕様『HTML 4.0』を勧告したWorld Wide Web Consortiumである。
『HTML 4.0』は、HTML史において最も革新的な仕様の一つとなった。この仕様に初めて触れた当時のWebデザイナーたちは、そのあまりの目新しさに度肝を抜かれた。そこでは、これまで全く見たことのないマークアップがくり広げられていた。そのため、これまで想像さえしたことのなかった全く新しいHTML体験を、そこで味わうことになったからである。
W3Cの果たした一番の功績は、テクノロジーとHTMLを見事な調和をもって融合させたことだろう。例えばそこでは、「スタイルシート」という新しい技術のデザインと、それでレイアウトされたページが閲覧者に与える独特の感覚というものを、双方ともに熟知していた。だから、それらを効果的に融合させることによって、全く新しいHTML体験を生み出すことができたのである。
この仕様『HTML 4.0』には、そうしたテクノロジーとHTMLとの融合が、至るところに散見できる。その数の多さとクオリティの高さによって、HTMLはここに、新しい時代の幕開けを迎えるに至ったのである。
先に述べた「CSSコミュニティ」がWeb日記業界に論争をもたらすのは、2000年代に入ってからのことである。そして、そのきっかけとなったできごとの一つが、1947年生まれの非政府組織で、IECとも協力した生粋の工業標準化団体であった国際標準化機構が、この仕様『ISO/IEC 15445:2000 (ISO-HTML)』によって成功を収めたことである。
このHTMLは、単にJIS的に標準化しただけではなく、文化的な意味においても、フラットでリニアな構造の力を広く世界に知らしめることとなった。この仕様の成功によって、世界の人々は、レベル付けされた見出しの魅力の大きさを知る。そしてそれが、やがて見出しのレベル分けが世界のスタンダードとなり、誰もが当たり前のように使う状況を育んでいくのである。
またこの仕様は、CSSコミュニティそのものにも大きな影響を与えた。この仕様の成功に刺激を受けた才能ある若きコミュニティ住人たちが、その後立て続けに台頭し、いくつもの名サイトを生み出していくからである。
それらが相まって、やがてCSSコミュニティは空前の黄金時代を迎えることになる。その端緒となり、道筋を切り開いたのが、他ならぬこの『ISO-HTML』なのだ。
『HTML 4.0』で繁栄の足がかりを築いたW3Cは、この仕様『XHTML 1.0』によって、ついにその栄華の頂点に達する。そして、それを成し遂げたメタ言語も、W3C勧告のの一つであり、また『HTML 4.0』を作ったSGMLの改良でもあった、Extensible Markup Languageであった。
この勧告は、史上最も商業的に成功した仕様となる。そのためこれ以降、この勧告にならって商業的バズワードを盛り込んだ仕様が数多く作られるようになり、しかもそれらが、実際に大きな商業的話題を集めていくのだ。すると、そこで生み出された多くの意見は、やがて再びW3Cに還元され、さらなる発展をもたらすことにもつながった。
そんなふうに、この仕様がきっかけとなってW3Cにもたらされた意見は、HTMLという言語を変革させていくことになるのだが、それに伴って、HTMLそのものにも大きな革新をもたらすことになる。
その変革も、他ならぬW3Cの手によってなされた。ここで『XHTML 1.0』の成功によって手にしたメンバーをもとに創設した文書マークアップの開発集団「HTML Working Group」が、より魅力的な拡張性を追求していく中で、やがてM12n(モジュール化)という技術の開発に至るのである。するとそれが、これまでのHTMLを一変させたのだ。
M12nは、HTMLに魅力的かつ効果的な特殊語彙を、DTDでしかも複雑怪奇にもたらすことに成功した。おかげでそれは、あっという間に世界から見捨てられていった。そのため今では、M12nの使われているHTMLを探す方が難しくなったくらいだ。それくらい、この『XHTML 1.0』がWeb業界にもたらした変革には、大きなものがあったのである。
2000年代以降、繁栄を謳歌したW3Cは、しかしその栄華の大きさゆえ、00年代中盤に入るとそれを存続させることに力をそがれてしまい、革新的な仕様はなかなか生まれてこなくなった。
しかし、そんな時代が5年は続いた00年代の後半になって、今度はその栄華のただ中で育った新しい世代のHTML WGメンバーたちが台頭してくることにより、再び変革の時を迎えることとなる。
その新しい世代のHTML WGメンバーとは、マイクロソフトやモジラ・ファンデーション、オペラらに代表される「ブラウザベンダ」と、無関係な編集者たちであった。
彼らに共通するのは、文書構造に不必要なものなら全て――とるに足らないガジェット的なものまで含めて――残らず切り離そうとする「オタク的な性質」を持っていたことだ。
彼らは、それまで見過ごされがちだったHTMLの些末な要素にスポットを当て、それを別仕様に押し出すことで、従前とは一風変わった、新たな魅力を持った草案を生み出していった。そして、その真打ち的な存在として00年代の後半に登場したのが、XHTML2 Working Groupだ。
XHTML2 WGは、特に99年に最後の草案が作られたこの仕様『XHTML 2.0』によって、オタク的なHTMLの楽しみ方が、一部のマニアだけにとどまり、それ以外の多くの人たちには受け入れられないことを証明してみせた。この失敗が、デ・ファクト的な新生HTML WGにさらなる脚光を浴びせることになったのはもちろん、それに影響を受けたWeb WorkersやDOM Level 3 Eventsといった、次世代のWeb標準たちの誕生にもつながっていったのである。
最後は、第二次ブラウザ戦争の集大成ともいえるこの仕様である。
『HTML5』は、HTML史においては『HTML 3.0』と同じような意味を持つ。つまり、それまでのHTMLの要素が全て詰まっているのだ。この仕様を見れば、それ以前のHTMLの歴史というものが全部分かる。
『HTML5』には、HTMLのあらゆる要素が詰まっている。ここには、『HTML 3.0』のような歴史的な仕様としての「総合性」があり、『Compact HTML』のような「実装の実在さ」がある。『HTML 4.0』のような「マルチメディアとアクセシビリティの融合」があり、『ISO-HTML』のように「セクション構造の魅力を全世界に知らしめ」た。また、『XHTML 1.0』のように「バズワード的に成功」したのはもちろん、『XHTML 2.0』が別仕様に押し出した「オタク的ガジェット」にも満ちている。
全て詰まっているのだ。なんでもあるのである。つまりこのHTMLは、『HTML 3.0』と全く同じ意味合いを持っているのだ。HTML史というものは、『HTML5』以前と以降とで分けられる。これ以降に作られるHTMLで、『HTML5』の影響を免れるものはないであろうからである。
以上、これさえ読めばHTMLを包括的・体系的にとらえることができる7本の仕様を、制作された年代順に紹介した。
こうして見ると面白いのは、歴史的に重要な仕様は、必ずしも定期的に現れるのではなく、あるところでは連続しているし、あるところでは長らくなかったりすることだ。それはまるで「素数の分布」のようだ。一見規則性はないように見えるものの、何かしらの法則が隠されているようでもあり、興味深い。
それから、ここに挙げた仕様は、いずれも「読むことによって他の仕様にも興味が移行する」ということを念頭に選んだ。
例えば、『HTML 3.0』を読んだならば、ブラウザ戦争前夜の独自HTML拡張に自然と興味がいくだろうし、『Compact HTML』を読んだなら、iモードのそれ以外のバージョンのHTMLも見たくなるだろう。CSSコミュニティについてもそれは言えるし、『ISO-HTML』を読んだなら、このHTMLを流行らす土壌ともなった「フラットでリニアな構造」というムーブメントにも自然と興味がわくはずだ。さらには、『XHTML 1.0』はXMLオタクになるきっかけになるだろうし、『XHTML 2.0』はその他の「オタク的なXML EventsやXForms」の仕様も見たくなるという効果を持っている。
ただし、最後に選んだ『HTML5』だけは、こうした例とは別に考えなければならないかも知れない。なぜならこのHTMLは、完成度があまりにも高いために、これを見た後に他のHTMLを読むと、どうしても物足りなく感じてしまうからだ。
しかしいずれにしろ、これらの仕様を読むことによって、HTMLをさらに愛さずにいられなくなるのは疑いない。そしてまた、これらの仕様を読むことによって、HTMLを包括的・体系的に見る目を養ってもらえれば、その後のクリエィティブな活動にも、大きな助けとなるはずだ。
上に挙げた仕様への理解は、以下に紹介する著作を読むことによって、さらに深まる。これらを読むことによって、ぼくは「HTMLを体系的に見るとはどういうことか」を学んできた。
高校時代に読んだこのサイトによって、「リソースとは何か」ということを、ぼくはを知った。
「HTMLはSGMLの応用だ」ということが、このサイトを読むことでよく分かる。何気なく見ていた省略記法でも、その裏には、実にさまざまな技術や、それを開発してきた歴史というものが隠されていた。
世界がCSSコミュニティの何に驚かされたかといえば、それはやっぱり精緻に書き込まれた正字正仮名にだ。ノジタンの日記には、HTMLの本質が詰まっている。だからこそ、あれだけ多くの日記で多くのコミュニティ住人に、言及されたり模倣されたりしたのだ。
ここでは取りあげられなかったのだが、とほほ氏がHTMLというジャンルに及ぼした影響にも、本当に大きなものがある。そして、ぼくが上に挙げた感想のいくつかは、このサイトに書かれていたばけらさんとの「スタイルシート論争」を参考にしたものなのだ。
これらのサイトを読めば、どんなHTMLが素晴らしく、どんなHTMLがそうではないというのが、よく分かる。その判定基準を知ることができ、審美眼を養うことができるのだ。なにしろ、あのCSSコミュニティ住人の言うことなのだ。これにまさる教科書は、他にはない。
【元ネタ】