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はてなキーワード: 性善説とは

2014-03-16

○○しても、相手にされないだろう。

○○かってにしたらいい。

という場合の大半ははったりで。

びびってる証拠である

少しずつそういう方向であせらずやったらいい。

例えば内容証明からはじめる。

あとは、まわりに相談した場合

事を大きくしないために

被害者をたしなめる場合がある。

確かに自身の恥にもなり時間的にも無駄な面があるが、

ある程度けじめは必要なので

しっかり加害者の方が悪いと主張することである

そしてできるだけ早い段階で動くということである

離れることが可能なら即はなれるのもいい。

おかし人間は、言動一端にその片鱗を見せる。

性善説のなかなか通じない時代

相手にするのではなく、適切に処理するといった

感じだろうか。

被害に会わないように。何も期待してはいけない。

彼らになにひとつ改善はない。

2014-03-15

http://anond.hatelabo.jp/20140314233406

学術的には卒論修論なんて価値が無いからなあ.

コピペ天国でもたいしたことは無い.いや,本当はダメだけどね.

教員も面倒だから指導はしてもそこまで熱心にチェックはしない.

そもそも性善説で動いている業界だし.

ジャーナル論文博士論文はアウト.

その辺の感覚修士修了生までは分からない人が多いかもね.

その辺までは学術界にいるようで,まだ足を踏み入れていない段階だから

http://anond.hatelabo.jp/20140315000238

  • 都バスの様に均一運賃にするのは嫌(それは単に会社方針か、1つのバスの最大距離の問題だと思うけど)
  • 後払い出来る様に整理券の発行機を付けるのは嫌(金がかかる)





ということから、先払いばらばら運賃、ってのは一番会社にとっては簡単で都合の良いシステム、ではあると思うけど。

大前提システムであり、自分のような地理不案内者は勿論、言語障碍者外国人などにも「優しくないシステム」だと思うのだが・・・

んなもんはバスに限らずいくらでも問題として出てくるのでそれだけでどうこう言う話ではない。

言語障害者外国人はその地名メモって置いて見せる、くらいのことするだろう、普段から、他の場面でも。



外国だと、それこそチケット外の自販機で買って誰も確認しないまま乗り込み降車が当たり前。

距離によって運賃が変わるものもあるけど、乗り込みスタンプがあるような物もあればないものもある。

基本、性善説で動いてる。その日本バスもね。

たまにチケット見回り人が来て見つかれば罰金だけど。

(でも、それでもチケット10倍とか20倍とかの金額なので、頻繁に使ってるならそれ、たまに払ってでも無賃乗車してれば安く付く、って事もあり得るし、そういうやつ普通に居る。。。)

2014-02-27

http://anond.hatelabo.jp/20140227232506

散々言われてるけど、投稿者不正することまで想定して見破ろうとすると、かかる労力が全く変わってくるから

性善説でやらざるを得ないんでしょ。

2014-02-22

性善説にたつひとたち

性善説側に立つ人たちの考えてる事は凄く浅い。

人は最初から善い事を知っている。だから法で縛るべきではない。

という考え方だけれども、善い事も悪い事も今ある社会が決める事なので誰も善し悪しなんて知り得ない。

事実、そうであるならばアフリカは何なのか。アフリカの人たちは民族間ではあるが殺し合って奪い合っている。

あれは「善い事」に対する概念が違うからだろう。普遍的な善い事は生きる事だけである。彼らは生きるための手段に殺したり奪ったりしているのだ。

ならば悪は貧しさなのか。

いや、悪は教育がなされなかった事である

教育をしていれば道徳観念や、何をしたら善くなるか、悪くなった原因はなんなのかが明確になり、そこに明を見いだした人間が複数集まれば現状の悪を覆す事ができるようになる。

まり性悪説である教育こそ行っていくべきで、教育が行き届かない人間んは法でしばるしか無いのである

抑止力として法を行使し、道徳を以て人を導くのである

一方、性善説に立つ側は事実が見えず、自らの作り出した幻想に取り付かれている。

彼らは「ぼくのかんがえるすばらしきせかい」であって欲しいと世界に対して強く想っている。

から美しき幻想が否定される事は、自分世界が否定されることにつながり、それが嫌でしかたなくて性悪説を否定するのだ。

今、日本にはびこっている左翼改憲反対派は得てしてこれで、自分の知っている狭い範囲から抽象化した美しき世界性善説を見いだしている。

そこには教育学習が行われていた事に気づかずに。

自らの知っている範囲の延長でしか考えられないのは右も左もだいたい一緒なのだが、最悪を想定できなかったり現実として存在する悪い方から目を背けて、教育を否定するのはやめてほしい。

左翼の君たちがいる世界には君らが言う程美しい人間達で構成されていないし、右翼の君たちが言っている世の中は悪い人間ばかりではない。

ただ朝鮮人の大半は社会的生物学的にも悪だ。(彼らには間違った教育がなされているし、遺伝的に悪い要素が多過ぎる。)

そして、教育なんて必要ではなく最初から善い事なんて理解しているとか言ってる性善説とその支持者も悪である

2014-02-18

なみ平さんが、性善説を担保していた。今は、愚か者が「権利」を行使する時代。相手にしても時間と労力のロスだから無視時代性悪説時代しかし本来は誰かが抑えないといけない。倍返し流行るのはそういう現象。

言動がおかしいなと思ったらすぐ離れること。それが離れられない(親子等)の場合は深刻だが、早い段階で見切りをつけて、広く助けを求めること。でないと深刻化する。基本的に被害等に遭う人間、あるいは、復讐したくなる人間は、性善説で人を見ている。しかし、それは数%しかいない。ネットを見ればわかる通り。半数もいない。

2014-02-10

ガッチャマンクラウズに見る正義

今更だけどガッチャマンクラウズ見たので感じたことを書きたい。(ネタバレ注意)

このアニメは登場する主要なキャラクターがそれぞれに異なる正義観というかポリシーみたいなものを持っていて、それぞれがいわゆる典型的ヒーロー像を象徴していたように思う。

今回はそういった個々のキャラクターは置いておいて、大筋のストーリーから勝手メッセージを読み取ってみる。

ガッチャマンクラウズには典型的正義観を持った2つの陣営が登場する。それはガッチャマン陣営と爾乃美家累であるガッチャマン陣営(はじめ除く)は各々の考え方の違いはあれど基本的には勧善懲悪的なスタンスである。一部の優秀な人間がその他多くの言ってしまえば愚かな民衆を導く必要があるという考え方を持っている。それに対して累はヒーロー社会必要ではなく、民衆全体の働きかけによってより良い社会を実現しようと考えている。しかしこの理想性善説的な考え方に大きく寄与している。

ここにはじめとカッツェといういわゆるジョーカー的な存在が登場する。2人はこれら2つの陣営にそれぞれの正義観に対する不備を突きつける。

はじめは何事に対しても先入観なくフラットに接し、自らの価値判断基準に則って行動することで今まで悪だと思っていた存在がそうでないこともあるということを突きつけた。一部の優秀な人間が舵取りを間違えたらあかんよねという事例である。カッツェは累に対してあえて困難な状況を作り出し、自らが与えた力を使わなくては結局民衆による正義など実現できないという矛盾を突きつける。更に後半はGALAXとNOTEを累から奪うことでクラウズを使って人間性悪説的な側面を増幅させる。これは民衆による正義は結局易きに流れる為不可能と象徴的に示しているといえる。

はじめとカッツェによる引っ掻き回しによって2つの陣営共に自身の正義観を変容させていく。ガッチャマン陣営清音を筆頭としてはじめを受け入れることで、一方的に先導するだけが正義ではないということを理解してく。累については人々の内発的な動機による助け合いではなく、社会の仕組みによって外発的に動機づけを行うことではじめて理想社会が実現できると考えを改める。以前の累は多くの民衆に対して自身の正義観を押し付ける側面が少なからずあった。それはHUNDRED No.26 梅田 光一を説得する場面からも読み取ることができる。人々が内に秘める助け合い精神を信じていた結果としてそのような正義押し付けにつながっていたといえる。それが最終的には各個人の考えを矯正するという発想をやめ、システムとして人を誘導するという発想に至る。「立川市で何をするかはみんなの自由」という発言は、人の性善説的な側面を無批判に信じて出たものではなく、民衆を正しく先導する覚悟を決めての発言であったんだと思う。

インターネットの普及、ソーシャルネットワークの出現によって今まで以上に群衆の声、力が大きくなってきた社会は、特定リーダーが多くの群衆を先導するには複雑すぎる。そういった状況の中で現代社会はどうあるべきか?それがこの作品を通して伝えたいテーマであると思う。

恐らくあのラスト表現したいことというのは、「荒らし」をするような人たちは規制や否定ではなくならないということ。(殺さない・殺せない)自分たちが世界の楽しみ方(ゲーミフィケーション等)をみせることでしか、変えることができないということではないでしょうか。

世界ポジティブに捉え、行動したほうが合理的と思わせるような体験を見せることでしか、変わらないということを言いたかったのではないかと思います

http://d.hatena.ne.jp/loki16185/20130929/1380428729

この疑問に対して作中での答えはゲーミフィケーションであり、人間本質的に易きに流れる生き物であるならそれを肯定し、社会全体としてより良くなる方向にインセンティブを与えることでボトムアップ社会運営していこう、という発想であるガッチャマン陣営と累がはじめとカッツェにそれぞれ自分たちの正義観の不備をつきつけられ、互いに価値観を共有し合ったことでこのような発想に至ったと考えられる。

しかし、この考え方には未だ危険も潜んでいる。インセンティブを与える基準、いわゆる「いいこと」の評価関数の決め方次第では結局正義押し付けになってしまう。この評価関数の決め方という部分まで踏み込んではじめてこれから社会正義のあり方という問題の答えになるのではないか?と感想を抱いた。

2014-02-04

CARNIVAL

胸が詰まる

死にたい、殺したい、死にたい、殺したい、死にたい、殺したい

掌には重さ100kgの石、凹凸激しく凶器となり得る

目の前には顔の分からないどこかの誰か

つの間に運び込まれたのだろうか

両手足は縛られ口には猿轡、顔はすべて麻袋に押し込まれ、身動き一つしない

「助けなきゃ」

―うるせえ、死ね

「そんな事をして意味がない、だれも得しない」

―じゃあ、代わりにてめえが死ぬ

「きっと殴ったら後悔する、殴った時の感触を何度も思い出すことになる」

―ここで殴らなきゃ、俺が俺でなくなっちまう


僕はその時、どうして暴力的になれるのか分からなかった

人を害しても、何も解決しないのに

それぞれがなんとか我慢して社会は成り立ってると思うから

そこから考えて、彼のやり方はどうしようもなく幼稚であるように思えた

でも、僕には彼の言うことも少しわかる気がした

殴られたら殴ってやりたい、罵倒されたら罵倒し返してやりたい

そう思ってしまうのは、もう、理屈なんかじゃなくて

世の中は僕の知らないルールが沢山あって

それらが複雑に組み合わされて出来てるんだなあ、って最近は思うようになった

から、彼がそう思うこと自体も、そのルールの一つで

でも、だからこそ、それをもっと

誰もが悲しまない方法でやり遂げられるんじゃないのかなあと思わけで

そういう時、決まって彼は

「お前のやり方は、どう考えても間違っている、自分を騙す理由が欲しいだけだろ?」

と指摘する

僕は、彼のその言葉だけには賛同できなかった

僕が本気で抵抗すると、彼も不承不承といった感じで僕の意見を受けれてくれる

彼はすぐに暴力に走る直情的な所があるが、それでも僕が本当に嫌だと思ったことはしなかった

それは。僕が彼とやっていける、大きな理由になっていた

そして何より、僕は彼と話したりするのがそれほど嫌ではなかったのだ

また今日も、顔の見えない人間が僕たちの前に運び込まれる

「やっぱり助けなきゃ。誰だって、こんなことは嫌な筈なんだ」

―またお前の甘っちょろい性善説

「攻撃したってしょうがないじゃないか。この人が何をしたのさ」

―お前も……いや、何でもねえ

「……?」

―とにかく、こいつを殴るのに理由なんか要らねえよ。殴らねえと殴られる。殴ったら気分が良い。それだけだ

「それは飛躍しすぎだよ。この人が僕たちをいきなり殴るわけでもないし、もし殴ったとしてもそれには何か事情があるんだよ」

―またお得意の"事情"が始まったよ。いいか、事情なんて関係ない。肝心なのは自分を守れるかどうかなんだ

「だから、守る必要なんてないじゃないか。仲良くする方法だって

―ないな。そんな甘い事してると、相手をつけあがらせるだけだ

「どうしてそう思うのかなあ。ちゃんと話し合えば、仲良くできるかもしれないのに」

2013-12-27

http://anond.hatelabo.jp/20131226201310

そいつのことを書いた増田だが

お育ち良すぎる人ってその辺の嗅覚がすげえなって思う。

自分と同じ世界の住人」と「自分と違う下等な世界の住人」を自然峻別してる。

こういうタイプも見たことあるけど

そいつ場合上流階級でもなんでもなくただの中流家庭なんだ。

相当レアなケースだと思うんだけどそいつは本当に育った環境に「嫌なやつ」がいなかったんだと思う。

(もしくは人の悪意にかなり鈍感だったか

子供のころは性善説を信じていても成長とともに悪意に触れて信じられなくなったりするもんだけど

そんな環境だったから信じたまま大人になった感じだ。

ストレスストレスだと認識できてなかったか

「誰かに話す」とか「息抜きする」ていう発想そのものが浮かばなかったらしい。

今は病気とか親の死とかあって人並みくらいには世間慣れしてるけどな。

2013-12-23

虚構新聞擁護派の@namihei_twitがひどい

虚構新聞社社主UK氏の深夜のつぶやき

http://togetter.com/li/605410 コメント欄より

不謹慎だ」と怒っていらっしゃる方々は、いったいどんな時に微笑むのでしょうか。何をしたら、笑ってもらえるのでしょうかねぇ。社主が大人しくなったら「ザマァ」とか言って笑うんですかね?それこそ不謹慎なんだけど、ブーメラン自覚ないんですかね。

namihei_twit 6 hours ago 4

(´-`).。oO(つまり、というか、むしろ、というべきか、言い訳開き直り、をしているのは、組織票で真っ赤な人達の方、であろう、と。)

namihei_twit 2 hours ago

ツイッターのTLを見てみると、どういう性質の人が虚構新聞を支持しているのかよく分かる

https://twitter.com/namihei_twit

なみへい

@namihei_twit

対処療法より体質改善。今、何をすべきか考えるのが好き。悪「者」

捜しは嫌い。■フォローはお気軽に。アンフォローもご自由に。こちら

も気分でフォローさせてもらってます。●固い呟きが多いですが、ユル

くお付き合いください。★突然のリプご容赦ください。

名古屋

以下、適当ツイート抜粋

@namihei_twitがRT

@namihei_twitがRT

@namihei_twitがRT

https://twitter.com/namihei_twit/status/411692962871910400から

2013-12-14

ごみ収集有料化日本人的な発想

だと思うんだけど、他の国ではどうなっているのだろうか。

パリニューヨーク等、欧米大都市では、歩道公園に、ゴミ箱がたくさんある。本当に至る所にある。

から基本的にゴミは捨て放題だ。

なぜか。

ゴミ箱を設置しなければ、そのへんにゴミをぶちまけるだろうという人間観があるからだ。

その点日本性善説

ゴミ収集有料化すれば、なるべく負担額を減らそうとして、結果的ゴミの量が減るはずだ、ぼくって頭いい~とか役所の人は考えるのかもしれないが、それをたとえばパリでやれば、ほんとうにいろいろな人がいるので、無料ゴミ路上にぶちまけるだけだ。

その点、日本人がしおらしくお金を払ってゴミを丁寧に捨ててくれるというのはいったいどういうことなんだろうか。

そういう性善説的な市民観を持てるっていうことは、幸せことなのかもしれないけれど。

2013-12-04

http://anond.hatelabo.jp/20131204182024

それ理想論現実デジタルデバイド世代は、自分パソコン使えるつもりでガンガン デバイドの感覚で口を出してくる。と思えばいい。

もしくは、教えてくれと聞いてくるとかな。が、聞かれたところで基礎知識をベースから応えるか?答えないよね。だからわかりやすい嘘を言うことになる。

でも、経営判断には、そのわかりやすい嘘が大問題になることがある。なぜなら、本気の嘘、だますための嘘と区別がつかないから、変なものを買わされたりする。

性善説じゃないからね世の中。

あとは、最大の論点は、 興味ないとかな。新しいやり方が出ているのに古いやり方をやり続ける。

デバイドのやり方でも更新し続けるならともかく、何年も同じやり方をやり続ける。聞く気もないとかな。

デバイド世代は、時間の流れ方もデバイド世代なんだよ。

意思決定が鈍亀。それでメリットあるならともかく・・・会議ばっかりやっていて、結果 人月ばかり消費する。それがデバイド。

会議やるにもお金がかかってるという意識がない。(まネイティブにもいるけど)

2013-12-03

ロジック・ロック・フェスティバル』は盗作なのか?

 先日ネット上にて、星海社から発売された『ロジック・ロック・フェスティバル』が古野まほろの『天帝のはしたなき果実』の盗作であるという疑惑が生じ話題となった。

 そして、その『ロジック・ロック・フェスティバル』が本日、晴れて全文公開された。

http://sai-zen-sen.jp/awards/logic-lock-festival/

 そういうわけで今日は本作が本当に盗作であるかというかのを考えていきたいのだが、その前提として知っておかなければならない事実として、「盗作」とは何かということである

 ここで日本盗作について一番詳しく書いている栗原裕一郎の『〈盗作〉の文学史から一部引用させていただこう。

 本文に先立ち、何を「盗作」と呼んでいるかをはっきりさせておく必要があるだろう。

 「盗作」にしろ剽窃」にしろ、いずれも俗語から、明確な定義は持っていない。

 したがって、「盗作であるか否かを区別する客観的基準というものも――明白な著作権侵害である場合を除いて――存在しない(中略)「影響」も「模倣」と捉えれば、広義には「盗作」と呼べないこともない。

 つまり何かが盗作であると断ずるには、著作権侵害レベルの一致がない限り難しいのである。そして、肝心の版元である星海社盗作の件について

今回の「盗作疑惑につきましては完全な事実無根であることを表明いたします。

 と、はっきりと否定。また、盗作された側である古野まほろtwitter

本歌取り日本の伝統、本格の伝統です。だから、もし本歌取りを「盗作」などと貶めるなら、それはとんでもない侮辱冤罪です。私は、元の和歌が分かるマナーのある本歌取りなら、むしろ嬉しく思います。逆なら悲しい。私は、話もせず真実も知らず、人を断罪することは、不正義だと考えます(古野)

 と言っており、両者の意見が「盗作ではない」と一致しており、晴れて『ロジック・ロック・フェスティバル』が盗作ではないことが確定したのである。パチパチパチ。

 しかし、それでは面白くない両者の意見をよく較べてみると、あらゆる面で一致しているわけではない。

 古野側は

ですから「類似点が多い」のはどうしてか。そして、これまで古野について一切、どこかで語ったり、書かれたりしていないのは何故なのか。これらがハッキリすれば、何の問題もないと思います。「盗作」は考えにくいから。もし本格の後継者でいらっしゃるのなら、古野とは仲間だから島津

 という具合に、盗作とは言わないが、こんだけ類似点が多いのは偶然で済ませられないだろと主張しているのに対し、星海社側はあくまで、

本作『ロジック・ロック・フェスティバル』においては小説を構成する主要素であるところのテーマプロットキャラクターおいて、先行作品との「盗作」に該当する類似点は一切ございません。

 と類似点なんてねーよと全ツッパ。

 ここで難しいのは、先ほども書いたように、「盗作」というもの定義がはっきりしていないため、星海社のいう『「盗作」に該当する類似点』というものがどういったものかわからないのである

 どこまでが、『「盗作」に該当しない類似点」であり、どこからが『「盗作」に該当する類似点』というのを言ってくれないと判断に困る。

 しかし、言ってくれないものは仕方ないので、こちらで勝手検証していく。

 さて、ではここで問題となっている両作品の類似点とはどういったものなのか。

 まず、読者の印象に大きく残る点として、全体のストーリーの流れが挙げられるだろう。

天帝のはしたなき果実

吹奏楽大会中に殺人事件が発生、それを主人公たちが発見する

  ↓

事件が発覚すると大会台無しになる、多数決でこれからどうするか決める

  ↓

これまで練習してきた努力無駄にしないために

一時的警察の介入を拒んで自分たちで犯人を見つけようとする

  ↓

捜査開始、推理合戦

  ↓

主人公真犯人を庇って偽の推理を披露する

ロジック・ロック・フェスティバル

文化祭最中殺人事件が発生、それを主人公たちが発見する

  ↓

事件が発覚すると文化祭台無しになる、多数決でこれからどうするか決める

  ↓

これまで準備してきた努力無駄にしないために

一時的警察の介入を拒んで自分たちで犯人を見つけようとする

  ↓

捜査開始、推理合戦

  ↓

主人公真犯人を庇って偽の推理を披露する

 2chからコピペだが、両者を読み比べた自分から見ても、この通りの展開が書かれていたし、印象もだいぶ似ていた。

 これに対して星海社は、

たとえば本作『ロジック・ロック・フェスティバル』にてテーマとなっている「学園での殺人事件」につきましてはミステリーを描く上では一大ジャンルを成すポピュラーなテーマであり、ご承知の通り、先行作品を枚挙することに暇はありません。また、文化祭殺人が起こり、その発覚によって学園祭が中止してしまうことを恐れて生徒達が独自に行動する、という本作のプロットには先行作品としてはたとえば『前夜祭』(角川書店刊/芦辺拓西澤保彦・伊井圭、柴田よしき愛川晶北森鴻氏らによるリレー小説)の存在を指摘することができると思いますが、こちらの作品に関しても前段となる殺人の状況と、後段となる推理と解決へと至るプロットには、本作との密接な類似点を見出すことはできません。

そして、「特殊場所への警察権力の介入を防ぐために居合わせ人間素人探偵となって活躍する」といった本作のプロットに関してはたとえば『水の迷宮』(光文社刊/石持浅海)などの優れた先行作品を指摘することができると思いますが、こういったプロットに関してもまたミステリー界においては極めてポピュラーなものであると言えるでしょう。 キャラクターに関しても、学園の生徒会やその周辺の個性にあふれた生徒たちが登場し、事件を解決するのはいわゆる「学園ミステリーものの常であります

 という形の弁明を行っているが、これはいささか詭弁臭い

 この理屈がありならば、「少年漫画おいて、探偵主人公というのは一大ジャンルを成すポピュラーなテーマであり、大人だった主人公子供になるという設定も手塚治虫の『ふしぎなメルモ』など枚挙に暇がなく、また主人公が知り合いの博士おもしろグッズを作ってもらうのも、偽名に古今東西有名人名前を使うのも決して珍しいケースではないので、本作『名探偵ドイル』は完全なオリジナル作品なのです!」などという無茶苦茶理屈もありになってしまう。

 問題となっているのは、別個であるはずの2つの作品でこれだけ似通った要素が複数に渡って存在してる点なのに、それを因数分解のようにバラバラにして、よくあるケースだと主張するのはいささか無理がある。

 もっとミステリなんてのは、『名探偵、皆を集めて「さて…」と言い』という言葉があるぐらい、ある種の流れが決まっているジャンルだし、このぐらいのストーリーの類似はよくあることかもしれない。だがそれ以外でも古野側が、

私はこれまで徹底して、著者の方の名誉と将来のため、具体的指摘を避けていました。また性善説に基づき、盗作説を断固否定した上で、類似点の多さを悲しみました。それすら非のない方への中傷と言われれば、非は私にあることになる。ならば、相当数あるうちの1つだけ、まずお示ししましょう(古野)

鷹松学園と勁草館高校学校の設定を比較対照してみて下さい。 やや時間を置いた上で、その具体的指摘も行います。 できればこれに止めたいですが、私に非があるとされている間は、二の矢三の矢を射ちます。極めて不本意です。私はこの段階でも、平和裡に解決することを強く、強く希望します(古野)

 と主張しているように設定面においても、両校の舞台が「藩校を前身とする名門校であり、地下に軍事施設がある」という一致を見せている。

 普通、ここまでの一致はなかなか見られまい。

 また『ロジック・ロック・フェスティバル』の応募時キャッチコピーが「学園ミステリー青春に捧げる供物である」というものだったのに対し、『天帝のはしたなき果実』に対する、ミステリ作家有栖川有栖氏の推薦文が「これこそ、虚無なる青春への供物。真正の本格にして破格のミステリ」となかなかどうして似通っている。

 それ以外にも両作品の最後の一文も綺麗に対称関係となっている。

 このまま順調にいけば、古野によって二の矢三の矢が射たれるはずなので、今後の展開を楽しみにしておきたい。

 ただ、個人的な意見を言わせてもらえば、『ロジック・ロック・フェスティバル』において、軍事施設の設定は必ずしも必要ものではなく別の設定でも代替可能だったはずである。だから、もし作者に本当に盗作をする気があるならば、こうした部分は真っ先に変更したはずである。それにもかかわらず、このような明白な形で残っているのだから、この一致は作者によるオマージュリスペクトの一種とみなした方がいいだろう。

 しかし、オマージュであれ、リスペクトであれ、このような類似点が多数ある以上、星海社側の「完全な事実無根」や「なぜ火のないところに煙の立つような今回の「盗作疑惑が起こってしまったのか」という発言はいささか苦しい。少なくとも根や葉や火種はあったわけなのだから

 『ロジック・ロック・フェスティバル』のあとがきによれば、本作は作者が初めて書いた小説らしい。

 その点を考えれば、こうした部分はむしろ若気の至りや遊び心と言えるし、前途ある新人に対して執拗に非難するべきではあるまい。

 問題はむしろ出版社側にあると言える。

 本作を受賞させるにあたって、星海社太田副社長座談会でこのようなことを言っている。

この人、ミステリーの手つきが本当にいいわけ小ネタからネタまで、80点以上のミステリーが次々とやってくるって感じ。飲茶おいしい料理が次々やってくる感じなわけね。しかもなおかつ、法月綸太郎的、佐藤友哉的な青春の痛みがしっかりとあるのよ。だけど生々しく「法月綸太郎が」とか「佐藤友哉が」みたいな感じでは出さないようにしてるんですね。

 …………まほろガン無視である

 また、さらにこのようなことも言っている。

うん、この人は新本格ミステリーの正統後継者だと思うよ。あの世にいる宇山さんにも読ませたいよね。そういう意味で言うと、「ありそうでなかった」っていう感じがする作品なんだよね。新本格はその誕生以来ずっと奇形化が進んでいったわけだけど、正統的な先祖返りというか……この人の作品は音楽で言うと「黒いジョン・レノン」と呼ばれたデビュー当時のレニー・クラヴィッツみたいな感じなんだよね。あるいは、とかくビートルズと対比されたデビュー当時のオアシスとか。とにかく、これまでにありそうでなかった青春ミステリー最前線、みたいなわくわくする感じがこの作品にはあるような気がするんです。

 ここで太田が読ませたいと言っている、宇山氏が生前最後に送り出した作家古野まほろをまたしてもガン無視である。「ありそうでなかった」人扱いである。まほろ存在歴史から抹消されている。預言書が燃やされたのだろうか?

 それとも『天帝のはしたなき果実』の文庫版が講談社からではなく、幻冬舎から出ていることと何か関係しているのだろうか?

 そして受賞作の発売に寄せてこのようなことも言っている。

……というわけでぜひみなさん、『ロジック・ロック・フェスティバル』を読んでください。綾辻行人さんや法月綸太郎さん、有栖川有栖さんたち、かつての「新本格推理小説ムーブメントは終わっていなかった、それが見事に証明される一作です。学園祭密室の妙に酔いな……!

 やっぱりまほろガン無視である

 そりゃまほろも怒る。

 明らかに古野まほろの影響を受けている作品に対して、他の作家名前ガンガン引き合いに出してるのに、肝心のまほろ無視しているんだからそりゃ激おこにもなるだろう。

 この場合考えられるケースは4つ。

1.選考に関わった全員が『天帝のはしたなき果実』を読んでいないor内容を忘れていた。

2.色々類似点があると気づいていたが、この程度大した類似ではないと考えた。

3.色々類似点があると気づいていたが、読者は類似に気づかないと考えた。

4.気づかれることを想定してのネットでの炎上狙い。

 イラスト大御所CLAMPを使っている時点で4番は無いだろう。考えられる可能性は残りの3つ。外野である我々にはどれが真実なのかを判別する術はない。

 ただ、やっぱり上に挙げた類似点を考えれば、作者が古野まほろを全く知らなかったというのだけは考えられない。

 そして星海社は普段から新人賞選考おいオリジナリティ重要視しており、以前の座談会ではこのようなことを言っている。

太田

次は岡村さんが担当した『MV ―Meteddo Vevaea―』。これは高校生

岡村

そうですね、高校生でこの枚数書けるのは素直にすごいです。

山中

何枚くらい?

岡村

400枚以上ありました。

太田

おお、それは確かに頑張ったね。

岡村

ただ、肝心の内容がまんま『IS〈インフィニット・ストラトス〉』なんですよね……。

山中

タイトルもそれっぽい!

太田

岡村さんもさらときついことを言うようになってきたねえ(笑)

岡村

いやいや、でも本当にそうなんですよ。架空兵器があって、それを使える男性主人公だけ……という設定で、何から何まで『IS』を連想させてしまう内容でした。これをそのまま出版したら、ちょっとタダではすまないだろう、と(笑)

山中

大変なことになりそう(笑)

平林

似た例は僕のところにもあって、『コトホギ』ってのがそうなんですけど。

竹村

コトホギ……?

柿内

タイトルが既に不穏だなあ。

平林

これ、舞台大正二十年、帝都女の子悪魔に襲われているところに、書生姿の男が助けに入り……と、ほとんど『葛葉(くずのは)ライドウ』です(笑)

一同

まんまじゃん!

平林

電波塔がうんたらとか、もうほとんど二次創作でした(笑)。これでライドウ連想しない人はいないだろうと。

山中

もう一つありますよ、『虚無の旋律』!

太田

まだあんのかよ! いい加減にしてくれよ(笑)

山中

主人公着物姿で武器は刀……式の性別を男にしただけ、まんま『空の境界』!

岡村

冒頭1ページ読んだだけでそれと分かる感じでしたね……。

太田

わはは、タイトルもそれっぽい(笑)

山中

よく星海社にこれを送ってきたな、という。度胸はあるのかもしれませんけど、酷い!

太田

みんな、頼むからちゃんと自分の作品を書いてくれよ(泣)!

 別に新人賞オリジナリティを重視するのはかまわない。むしろ当然である。既に市場に似たような作品があるのならば、多くの読者は新人ではなく実績のある作家の作品を選ぶだろう。

 だが、だとしたら『天帝のはしたなき果実』を連想させてしまう『ロジック・ロック・フェスティバル』を受賞させたのは失敗ではなかっただろうか?

 普段の座談会で大上段から応募作を切り捨てているからこそ、受賞作にはそれ相応のクオリティが求められる。さらに帯に『まだあった「新本格推理小説! 全ミステリファン注目の新人登場』なんて書いたらハードルの高さはそりゃもうウナギ登りでよっぽどの脚力が無い限り、足を引っ掛けて転倒は免れまい。

 先程も書いたように、『ロジック・ロック・フェスティバル』の作者である中村あきにとって本作は初めて書いた作品である

 そうしたまだ若き作者に対して、これほど高い下駄を履かせるのはどうなのだろうか。

 少なくとも「全ミステリファン注目」というのはいささか厳しすぎる。

 そういう意味では、今回『ロジック・ロック・フェスティバル』が受賞してしまったことは決して幸運などではなく、むしろ運が悪かったのかもしれない。

 身も蓋もない話、これが星海社からではなく別の出版社から刊行されていたら、ここまで話題になることもなかったと思うのだが……。

 何はともあれネットアイドル増田星海社中村あき先生古野まほろ先生を応援しています

2013-10-22

http://anond.hatelabo.jp/20131022183431

エスカレーター上の歩行を禁じる法律条例ってあったっけ?

エスカレーターのものに対するものなんてないと思うけど、無理やり当てはめようとすれば、

公衆に対する危険行為を防止する条例的な物があるからそれに該当するだろう。

(エスカレーターでずっと走って登ったり降りたりしてたらそういうので逮捕位できると思う)


性善説とかそういうことじゃないんだけど、バカなのか?

片側空ける、ってのもそもそも法律で決まってない。空けなくてもいい。でも何故か空けないと行けないような雰囲気がある。

それは単にそういう「文化」があるだけ。人の中でなんとなく勝手に決められてるもの

田舎道路を時速100㎞で走るようなもので。事故事例が多数あっても多分やめさせられない。

これと同じ。危険だといった所で実際に危険な物を見てないし感じてないし理解できなければ変わらない。

車の場合、単に危険、というのに加えて法律で制限されてるが、罰金免停をくらって罰を受ける事が身にしみれば理解できる人もいる。

だけど、エスカレーターはそのようなことが無いので、実際、目の前で事故が起こったり自分が転落するなりしないと理解できないだろう。

実際、どの程度危険なのかも分からない。

確率的には外で交通事故に合うより断然低いだろう。




後は、歩かない人とのバランス。歩かない人に取って歩いてる人はデメリットしか無い。また、片側を空けなくてはいけない、ということは何も強制されるものでも決まりでも無いのに、

東京大阪では空けてないと怒鳴られることすらある。そうでなくても物凄い目で見られる。

そういったおかし文化が無くなって、単に、急いでいる時に、他人に迷惑がかからなそうなら自己責任で歩く、程度になれば一番良いと思う。

今みたいに、ぎっしり片側に詰まってるのに片側が会いてる、なんていうキモイ状態は異様だ。

海外でも歩く人も居るし、なんとなく片側に寄る場合もあれば、片側に歩くマークがあったりするものすらあったりもする。

だが、そんな中でも東京大阪みたいに片側にぎっしり人が詰まった状態で片側を歩く、なんてことは有り得ない(まあ、そもそもそこまで人が居ることがあり得ないが。)

あの、異様な文化はなんとかならないかな、と思うんだけど、それも歩く派の人は否定するかね?

http://anond.hatelabo.jp/20131022182458

自分エスカレーター歩くな派だけど

エスカレーター上の歩行を禁じる法律条例ってあったっけ?

知ってたら教えて欲しい。調べたら出なかったか検索方法が悪いのかもしれないけど。

性善説を信じたい(たとえば、法律で禁止されてなくても、危険からエレベーターの中でジャンプしない。みたいになれば一番いい)けど

明確なルールがなく、かつ音声で「歩かないでください」と呼び掛けるだけでは全く意味効果もないと思う。

たとえ法律で禁じられていても、当人にとって目で見える危険がなければ(赤信号の「来てる車」に相当)たぶんやめないでしょう。

田舎道路を時速100㎞で走るようなもので。事故事例が多数あっても多分やめさせられない。

2013-10-17

生産性概念の欠如」のホントの話

誰も生産性なんて測れないか

……だけだとあんまりにもアレだから補足するけど、つまり成果主義じゃないんだよな

ちきりんの話(火元)

生産性概念の欠如」がたぶんもっとも深刻

http://d.hatena.ne.jp/Chikirin/20131015

どっちかってーと、追記のほうが本質ギュッと詰まってるからそこだけ読め

今日エントリに関して、「生産性を上げても、給与が上がるわけじゃないから(生産性が)上がらないのだ」という意見も多いけど、そうとは

思えない。だって生産性概念がきちんと根付いてる日本の製造部門だって生産性上げても給与はあがらないでしょ?

2013-10-15 09:25:16 via HootSuite

そうね。

なぜなら、製造部門の指標は誰が観ても判りやすく数値にできるからしかも同じ内容の繰り返しだし。

定性評価と定量評価の違いってヤツね。

1時間1000個製品作って、不良品は1個まで。って目標を立てれば

いま800個で不良品3個だから、どやったら不良品らせんの?どうやったら200個分底上げできる?って話がしやすい。

これは、1000個/時間ってのを、"生産性"として定義してるから

(もちろん、在庫管理から流通無駄に至るまで数字で出せるところは改善するね)

社畜の人の話(類焼)

生産性概念の欠如」はなぜ起こるのか

http://dennou-kurage.hatenablog.com/entry/2013/10/15/210039

ポイントは以下な。

生産性を上げた人を正しく給与面で評価しないと、そもそも人は生産性を上がる気になりません。

実は、ちきりんの追記とも矛盾しない。

製造部門は、給与面で評価はされない。でも、改善結果は目に見えてわかる。

少なくとも、治具の改良や工程の見直し、環境の安定から工員の習熟に至るまで、何やったらどうなるかがハッキリ判る。

から評価されるわけじゃなくても、目に見える。

800個/時間が、1000個/時間になれば、そりゃ嬉しいもんさ。

当然評価もされるしな。カネには換金されないことが多いが。

インターバル。「生産性」ってなによ?

働く時間ってのは判りやすいな。

同じ仕事内容なのに、働く時間は減った。

こりゃ生産性が向上したと誰もが思う。

じゃあ「同じ仕事内容」ってのは、なんだ?

例えば、ポスティング(チラシ配り)なんてのは判りやすいな。

1時間あたり、6000枚チラシポストに配る。相当効率いいな。

バイト初日は、600枚がイイトコだろ。10倍の効率だ。

じゃあ、高い成果ってのは、どうやって定義するんだ?

これはまあ、普通は「評価者」が評価した結果、だろうな。

派遣の人の話(炎上気味)

生産性を上げたら評価下がった話

http://colopon.hateblo.jp/entry/2013/10/16/185508

ポイントは以下な。

やること早く終わったら、暇人ってことで、正社員からの評価が下がるから仕事してる様相を出さなきゃいけないんだって

これに対するブコメスターまりっぷりが(現時点では)全てを表してるけど、

結局、評価者とか仕事フるやつが、日本場合機能してないのな。

製造部門と違ってさ、「早く仕事が終わったやつ」を評価する仕組みになってない。

ヘタすると「他人を手伝え」とか言われるわけだ。

なんで工員がそんなことしなきゃいけないんだ?

こういう職場で、効率が最も良いのは「他人に手伝ってもらう」だ。

この場合生産性は「お給料/やった仕事量」で定義されてるからだ。

効率よくお金を稼ぐ、という工員側から目線では、何も間違っていない。

管理はされてるのか?

例えば、派遣の人は「タスク」で管理されてるっぽく見える。

でも、実際には多分管理されてない。

「Aさん15個/日、Bさん16個/日、派遣の人さん20個/日。おお、派遣さんなかなか良いな」止まりだろ。

これが例えば、派遣の人が8個/日のタスクしかやってない(他の人の半分しかタスクを片付けてないか半日で終わる)なら、

当然「他の人に比べて生産性が悪いから、改善されないなら契約打ち切るけど」とかって話になってしかるべき。

逆に言えば、この管理方法管理しといて、半日で終わって暇だわ-って人は、給料分は仕事してるから遊ばせといていいはずなんだよ。

つうか、工場ラインではそうする。他の部品生産率に合わせずに、ネジばっか最大効率で作ったりはしない。

部署で「100個/日のタスク目標にする!」ってしてりゃ、管理者も眼の色変えて改善するよ。

少なくとも、派遣の人のやり方を、AさんBさんに展開して、同じ水準まで引き上げるだろ。

「Aさんの残りの15個を派遣さんにやってもらって、帳尻を合わせよう」みたいな話に、製造現場ではならない。

「終わったなら仕事を探してもらって、時間まで生産性を上げてくれ」みたいなトンデモを口にするってことは、真面目に改善する気がないって

ことだ。

まり目標値がない。

んじゃどうするよ

例えば「1時間で、1000枚の書類を片付けることを部署として目標にする」と言ったとするな。

んで、定時で全員帰る。残業はしない。なぜならば、部署として仕事をしてるから

から、1時間で800枚ならカイゼンカイギが行われるし、全員のボーナスに響く。

こうすれば、効率良くカイゼンされるよ。

デキない奴は出来るようになるまで徹底的にシゴカれるし、配置換えもクビキリアタリマエになるだろうな。

ま、そういう目標値を立てられないところに問題があるわけだ。

それが利益に見えない。

結局

生産性定義できないし、測定もできないから、改善されないんだよ。

「これだけの仕事をこれだけやったから、新しいポジションを寄越せ!」ってところは

外資だろうが日本会社だろうが、自分定義して測定してアピールするだろ。

ASAPだとか、時間内に出来るだけ、みたいな言い方して仕事するってことは、

昇進って人参ぶら下げて無限に働かせるにゃ向いてるやり方だろうけど、

上は詰まってて給料も先細りって状況じゃ、上手く働かないよ。

製造現場みたいな「目に見える目標値」をカイゼンする方向性いかないと。

工場だってな、別に目標値もなく現状維持で不満が出てなきゃ、とりあえず安全側に倒して運用されるぞ。

んで、なんで工場だけそんな目標値立つかって言うと、経営者利益を直接数字で見るからだ。

生産数と利益は、Excelの上で直接結びつく。

派遣OLタスクは、巡り巡れば利益になるんだろうけど、それが可視化されなきゃ無視される。

測定無くして改善なし。

知恵を出すのは現場の工員、現場改善するのは管理者で、管理者に目標を設定するのは経営者

経営者が設定できる目標がなきゃ、カイゼンはされませんがな。

ぶっちゃけ

ちきりんも、脱社畜の人も、性善説支持者なんだろうな、と思う。

ふたりとも「自発的に効率的に動こうとする人」の話をしてる。

かたや製造部門ではそうだと言い、かたや金が貰えなきゃ動かないと言い。

俺に言わせりゃ、自発的にカイゼンするのは職人だけだよ。

工場だってな、そんなこと考えるより事故なく仕事して早く帰ってビール飲みてぇが全てだって

改善させるヤツ」の有無が、その差の全てだって

2013-10-15

http://anond.hatelabo.jp/20131015183042

なぜか日本左翼は、中国北朝鮮も、「話せば分かり合えるはず」という性善説を他人に押し付けていくけどね。でも自分達がネトウヨ認定した人間に対しては、暴力を振るっても「問題ない」とするのも日本左翼である

2013-10-11

追記するけど釣りじゃない

ネット性善説表現する人もいるだろうし、性悪説で書く人も、その両方で書くって人もいるだけのこと

せっかくお奨めしてもらったから書こうかな+常々ネットで思っていた事をクラウズ見て言葉が流れ出しただけ

過去データって何処でこじらせたのか原因になったマジックワードをほどく手がかりになるとしても万能じゃないし、その人の過去の行動=現在のその人=未来のその人でもない

人は日々成長するものから煽り大好きのカッツエだって恋愛して就職して子どもが産まれたら攻撃性が丸くなる可能性も無くは無い

ダメ出しされている人でも経験値を溜めていけばそれなりには動けるようにはなる 悪意に囲まれていても息継ぎしながら泳ぎ続けるようになる

他人の人生を名指しで攻撃する為のデータ集めに金のために喜びのために奔走する人達もいるけど、ほら人って生涯を通じて正しい心だけで

人生五十年二十四時間生きていられる訳じゃないから 成長過程が気に入らないと子どもだけでなく大人まですぐ排除に走ろうとする

ネットの現状は何か違うような気がするー

言葉」って何の為にあるんだっけ? 

そんなことを考えながら一気に見終わったアニメでした 終わり

2013-10-07

http://anond.hatelabo.jp/20131007085318

監視を強化すればいいんだろうがそれも限度があるし、

ある程度は同列に見るしかない。性善説を前提に回ってるのが社会福祉ってもんだろう。

2013-10-03

http://anond.hatelabo.jp/20130930161955

こういう人が新興宗教にハマりやすい、というサンプルケースか?w

まぁ、毎日多種多様な人と接してるとケーススタディが蓄積されて、パっと見でその人がどんなタイプかって当てやすくなるんだよね。占い師しかり、マッサージしかり。

「人を見る目」と言い換えてもいい。魔法でも才能でもなんでもない、例えば膨大なデータベースを持つGoogle検索が他より優れているってのと同じ話だ。

その「目」を、人を騙したり抱き込んだりする目的で使ってるのがこれだな。その手口に、世間知らずで素直な人、性善説だけをベースに思考してる人ほどコロっといっちゃう。世知辛い話だけど。

そうやって色々と言い当てられたことは「おーよく見抜くなー、さすが接客業」と感心するだけで済ませればいいのに、加えてその相手が言うことは全て正しいみたいな錯覚に陥る人があぶない。あげく勝手自己啓発しちゃったりその相手を無条件に信用あるいは崇拝しちゃう人が危ない。優れたGoogle検索したサイトはぜんぶ善良で安全サイトだと思い込むのと同じ話だ。

人を見る目があることと、その人のアドバイスが的確かどうかは全く別問題なのにね。

2013-09-07

俺の寄付した4万円どこに行ったん?

俺は二年前に寄付した。多分みんなもいろいろいろいろ寄付したと思う。

総額何兆円??

そのお金正しく使えたら何ができた?

今回の事で思ったのは、世の中にはすげーーー悪い奴がいるってことだ。

性善説ダメだった。

輩がいるんだ。

輩に気をつけろ。

お前の隙を狙ってる。

お前が笑顔で出した舌を

シチューにしてペロッと喰らって平気な輩がいる。

今まで関わり合いなくやって来たけど

非常事態じゃそうもいかない。

輩に気をつけてください。

2013-09-01

http://anond.hatelabo.jp/20130901132441

 そう言った結果、石を投げるべきか聞いてきた人達が皆いなくなってしまったことからすれば、「お前らだって罪を犯しているんだから、あまり偉そうに人を断罪するようなことを言うな」という趣旨だととるのが素直だろう。

 そして、罪の無い(と、少なくとも後世のキリスト教では理解されている)キリストも女の罪を問わずに行かせたんだから、「罪の無い者であれば、石を投げるべき」という趣旨でもない。

この説で言いたいことはそういう事だということは分かる。

 ちなみに、キリストに「罪の無い者が投げるべき」と言われた後も、「俺は罪が無いから投げるぞ」と言う人という人が仮にいたとしたら、キリストは諭すか叱るかして退かせたんじゃないかね。キャラ的に。

「諭す」は「その罪がないものが投げるべき」で行っているわけで、

また、「叱る」は罪をとがめてるわけだから、石を投げる行為と変わらないのでは?

ある意味で、そこでは人間性善説的な部分を大きく持ちだして、その様に言えば皆分かってくれる、と言うのが前提になってると思うんだけども。

後、キリスト教では、イエスってのはやっぱり人間とは一歩違った、「罪のない存在」ってのはやっぱりそうなのか?

原罪すら無い、と?

2013-08-19

http://anond.hatelabo.jp/20130819173702

共産主義性善説すぎるので、人間という生き物が本質的に別の生き物に変わらない限り無理だと思う。

個人的には。

2013-08-04

http://anond.hatelabo.jp/20130804192403

ガッチャマンクラウズは、性善説的な状況が実現された世界からスタートしてる

現実ネットの分離もない、(ニートに限らず)誰もがネットをしている

それが、壊れていく

善意拡散する手段だったギャラックスが悪意を拡散する道具へと変わっていく

東のエデンがわりと抽象的な空気と国の形について描いたのに対し

ガッチャマンクラウズネットによって明確に可視化された人間の善と悪を描こうとしている

また、東のエデン滝沢ってのは、ガッチャマンクラウズでは「ギャラックスの力で世界アップデートしよう」というメガネ男の娘であって、脇役

そして、第4話では絶望のふちに落とされてしまった。テレビ東のエデンの滝山が失敗した世界が、これから展開されるわけですわ

まり、ここまではテレビ東のエデン現代風にアップデートしながら、その失敗を描いた

当然ここからは新しいテーマ踏み込むことになるんじゃないすか

最終的には、匿名ヒーローガッチャマン実名人間のはじめちゃんの二つの要素を使い分けながら

政治とは関係なく、人として、自分の中の善と悪についてどう向き合うべきか、という話になって来ると思う

似ていないとは言わないし、ノイタミナでやってきた中村監督東のエデンの影響は絶対に受けてると思うが

現在の状況を反映していることと、最終的に描こうとしていること、見せ方はけっこう違うんじゃないかと思って期待して見てる

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