ガッチャマンクラウズは、性善説的な状況が実現された世界からスタートしてる
現実とネットの分離もない、(ニートに限らず)誰もがネットをしている
それが、壊れていく
善意を拡散する手段だったギャラックスが悪意を拡散する道具へと変わっていく
東のエデンがわりと抽象的な空気と国の形について描いたのに対し
ガッチャマンクラウズはネットによって明確に可視化された人間の善と悪を描こうとしている
また、東のエデンの滝沢ってのは、ガッチャマンクラウズでは「ギャラックスの力で世界をアップデートしよう」というメガネの男の娘であって、脇役
そして、第4話では絶望のふちに落とされてしまった。テレビ版東のエデンの滝山が失敗した世界が、これから展開されるわけですわ
つまり、ここまではテレビ版東のエデンを現代風にアップデートしながら、その失敗を描いた
当然ここからは新しいテーマに踏み込むことになるんじゃないすか
最終的には、匿名のヒーローのガッチャマンと実名の人間のはじめちゃんの二つの要素を使い分けながら
政治とは関係なく、人として、自分の中の善と悪についてどう向き合うべきか、という話になって来ると思う