はてなキーワード: 性善説とは
俺自身は、長い目で見て性善説でいきたいと思っているけど。
しこたま痛い目を見たからな。競争主義の人の価値観も理解はした。って話さ。
あと、俺も長い目で見るべきだと思うけど。言われたことの中で1つ違うと思ったのは。
10代の100万円と50代の100万円は価値が違う。ということだ。
10代で100万円かして50代で100万円かえってきても大抵の場合は損だ。
つまり、若いころの得と 年取ってからの得 得の量が同じなら若いころのほうが価値がある。ということは評価につけくわえなくちゃいけない。
ぶっちゃけ、若いころのほうがセックスするにも体力があるし、旅行行くにも体力がある。 年取ってからセックスしても旅行しても自分の体が持たない。
http://anond.hatelabo.jp/20140509110752
性悪説に立って全てチェックするとなると、かかるコストがとんでもないことになってしまう。だから、大多数の人は「善人」であると信じるしかない。
この部分とか特に甘え。
そこはコストをかけてしっかりとやらなければいけない部分だ。
アメリカなんかはそういう機関設けてるけどな。マニュアルの考え方も向こうの方が上だよ。日本はまだまだ隙が多い。
それに神様を雇うだって?どうしてそこまで話を大きく飛躍させるんだw
今メディアで報道されているような”だれでも考えつく”確認をしていればよかっただけじゃないか。
もちろん、楽天の便乗値上げの件もな。神様社員を雇わなくてもきちんと規約作って指導すればよかっただけ。現に他社はそうしてる。
その通り。では本題に戻ろう。元増田が「モラルがぶっ壊れている人間にあたったら避けようがない」とある。しかし、俺は「知らなかったから」で逃げられたらどうしようもないと書き、だからこそ物やサービスを提供する側は「事前にきちんと説明しろ」と指摘したわけだ。元増田は性善説で語っているが、俺は性悪説で語っている。
相手が実際に悪意をもって”モラルを欠落させた”事をどうやって調べる?それこそ「知らなかった」と言われたらお終いだ。だからこそ、最初から「モラルが欠落している人間が居る」という前提で対処しろ、と俺は言いたいんだよ。どっちをどうカテゴライズさせるかなんて関係ない。予測される結果に対してどう対処するのか怠った提供者側(理研)にも責任があるだろ?と言っているわけだ。
クリエイティブ業界に勤めていたことがあるならわかると思うんだが、盗作や著作権侵害などのモラルが欠如している人って、決して「事故に遭うぐらい少ない件数」ではないぞ?下手すりゃ、石投げたらぶつかる程度の多さではある。
なぜそうなのか?理由は簡単で、「知らない」からなんだよ。今回の小保方もそうだと思うが、コピペや引用が盗作になることを知らない奴がかなり居る。知っていても「みんなやってるからいいじゃん」てな思考が働いたりな。
だから、そうならないために物を提供する側、あるいは上に立つ側が警告するんだよ。「こういう事をしちゃだめだよ。これは盗作だから認められないよ」って。小保方さんの場合で言うなら、理研がきちんと事前に確認・調査・提示していないのも悪いんだよ。もちろん、盗作した本人が一番悪いけどな。
お前さんはそもそも「大人だから知ってて当たり前」とか性善説を元に論理を組み立てすぎで、「人間はそれほど優秀ではない」と言う事をまるで認めようとしていない。だから、そういう認識になるんだ。
「まともな教育を受けてきているのを前提としてる」ってことでしょ。
「性悪説的な世界で性善説を支持した」と仮定するなら、性善説はすなわち、他者への排斥、ひいては自己否定に繋がります。
なにより、人間にとって必要な欲求そのものが、社会において悪とされる。
自分にとって利益なことは、他者にとって悪とされるのですから。
その上で悪を否定すれば、自分自身の生存が危ぶまれかねません。
人間には善悪両面あるとしても、性悪説は一定の説得力を持ちます。
だいたいの宗教って性悪説を前提にしてるので、古来から悪が支配的だと見られていたのではないかと。
性善説というのは、キリスト教や神道、一部の民俗信仰などから、解釈の過程で生まれてきたものではないかと思っております。
楽観的・性善説は危ない。
悲観的・性善説は苦しい。
悲観的・性悪説は悲しい。
医者:次の方、どうぞ。
医者:どんな症状なんだい?
患者:最近、ずっとある事ばかり考えて何も手につかないんです。
医者:ほう、ある事?
患者:はい、TVなどでも話題になってるあのOさんの事件についてです。
医者:なら何故Oさんの事件についてそんなに気になるのだい?
患者:はい。なんというか、衝撃だったんです。あの衝撃的なねつ造に加え、
髪をバッチリと巻き巻きにして、涙を流す為にあえてマスカラをつけないで登場した記者会見、
そして嘘の上にさらに嘘を重ねられる、自動車のタイヤよりもはるかに分厚い強靭な心臓。
どれをとっても僕には衝撃的過ぎたんです!
患者:ダメなんです。世の中の見てはいけない部分を見た気がして。
僕はこの先、人生をまともに生きられる自信がなくなったのです。
医者:それは少し考えすぎだよ。
患者:いえ先生、僕が言ってるのはそこだけじゃないんです。もっと本質的なところにも関わってくるんです。
例えば、あの彼女の会見によって、僕のまわりに彼女を擁護する人がたくさんいたんです。
たまたま同じクラスの女の子にその話をしたら、何て言ったと思います?
「みんなで彼女を責めて、いじめみたいだったね。S細胞があるのかわからないのに、何であんなに責められるんだろう」って!
僕は信じられませんでした!同じ知性を持つ人類として、信じられなかったんです。
嘘を見抜けない同じクラスの子もそうですし、嘘の上に嘘を塗り重ねる行為でも肯定されうる、この社会全体に!
医者:確かに我々医師から見ても、彼女は「科学的」じゃないと感じたよ。
でも、そのクラスの女の子の感想も、ある種の人道的な意見のひとつなんじゃないかな?
患者:いえ先生、お言葉ですがこれは違うんです。これは「浮気がばれた芸能人」の謝罪会見じゃないんです!
科学者の記者会見だったのに、「S細胞はとくにかくある」、「不勉強と不注意が原因」、「具体例は出さない」など、
ありえない会見だったんです!
そして、明らかに嘘をついている。成功回数200回ですよ、200回!
TVの中ではその嘘を誰も「嘘だね」とはっきりと言えない空気が流れている。それを言わせない空気が社会には流れているんです。
「100%の嘘だと証明できない事に対して嘘だと思うのは禁ずる」って社会が言ってるんです。
証明されない限り、それは嘘ではない悪魔の証明がそこには含まれているんです。
そして、嘘を常習的についている人間は、世の性善説を利用して「悪魔の証明が必要な嘘」をついて世を渡っていくんです!
これから社会に出なきゃならないのに、あんな人間を相手に仕事をするなんて、僕には到底できない。
まだ家に引きこもっていた方がましだと思うようになったんです!
医者:きみは少し嘘に対して潔癖なところがあるのかもしれないね。
こう考えてごらん?
もしかしたらOさんの頭の中では本当に200回の成功を見たのかもしれない。
細胞の数が200個だったのを、間違えて200回と言っただけかもしれない。
でも、違うんです。僕には「わかる」んです。
Oさんは間違いなく常習的に嘘をついており、それで世を渡ってきた。
性善説な世の中をいいことに、「証明の難しい嘘」をついて勝ち抜いてきた。
そもそも、あの受け答えを見ていると、僕みたいなFラン大学生でも常識でわかる「やってはいけない不正」を、不勉強で知らなかったわけがないんです!
知らずにねつ造をするわけないんですよ!上司の教育の問題とか、そもそもそういうチャチな次元の問題じゃないんです!
「科学のルールを知らなかった彼女の責任じゃない」などと、茶番な台詞を言ってる世の中に吐き気がするんですッ!
教育不足のせいで不正が起こった?いえ、違います!環境のせいではない、この女は生まれついての悪だッ!
医者:こら!何てことを言うんだ!決めつけはよくないよ。真実なんて、誰にもわからないからさ。
きみの思い込みのせいで、誰かを傷つけるかもしれない。
患者:わかります。先生から見たら僕も誰かを傷つける「悪」になるかもしれないんですよね。
ただ、この世の中は、あまりに生きにくいことがこの事件でわかったんです。
医者:きみが少し疲れているのかもしれないね。今3回生?なら就職活動中なのかい?
患者:はい、時期的にはそうです。ただこの事件で全然はかどっていないのですが。
医者:ふむ、無理をしない程度にやりなさい。おくすりを出しておくから、これを飲んでがんばりなさい。
患者:ありがとうございます。言いたいことを吐き出したら、少しスッキリしました。
医者:さぁ、これを飲むんだ。今すぐに!ほれ!
患者:あ・・・なんだか・・・カラダが・・・ほてってきちゃった・・・
とっても熱い・・・
あらヤダ、僕・・・いや、わたし・・・あたし、どうしたのかしら☆
医者:ほら、鏡を見てごらん
患者:!!! あたし、あたし・・・この顔・・・まさか・・・あたしは・・・
医者:そう、きみはS細胞を飲んで、今日からO氏32号となった!31号は記者会見で体力を使い果たした。これからは32号のきみが跡を継ぐのだ!
患者:あたしっ!あたしはあたしになったッ!こうしてはいられないわっ、早く「新しいノート」を作らなきゃっ☆
医者:見事だ、Oよ。4、5冊のノートが完成したら、これから徹底的にR研やマスコミたちと戦うぞ!
fin.
シャーレの中に、細胞が見つかった。
これはね、すべてOさん1人の責任だ。
もちろん、チェック体制が機能していなかったという部分では、私らにも責任はあるので、
その点については反省しなければならないと思っている。
だけど捏造そのものについてはOさん個人の独断でやったもので、
悪意のある捏造だと断言できるね。
真夜中、ピカピカって緑色に光って、あぁ私夢でも見てるのかしらって、
ピカピカって、ピカピカって、ね。
いや、Oさんみたいな、ああいう女いるんだよね。
俺もね、昔そういう女に振り回されたんだよ。
本当に酷い女だったね。だから女は嫌いなんだよ、まったく。
社交性は人並み以上にあるので、普通に接しているぶんにはまず気づかない。
なんというのか自然すぎて、「ナチュラルサイコパス」と私は呼んでますがね。
特に、そういう人は不利になると必ず悪魔の証明に持ち込んでくるんですよ。
たとえばね、
「S細胞が見つかった」って言われて、証拠を見せてと聞くと、
「でも証拠はないよ」って言われると、普通は嘘だと思うでしょ?
そこで「うそでしょ!」って攻めると、泣きながらこう反論してくるわけ。
「あなたはS細胞が100%無いって、言い切れるの?!」ってね。
それは悪魔の証明だ。UFOが絶対に無いことを証明できないのと一緒だ。
「もしかしてS細胞はあったのかもしれないし、責めている自分は悪者なんじゃないか」
信じない自分が悪く、疑って人を傷つけた自分が悪人であるという考えになった時点で、
あなたはナチュラルサイコパスのコントロール下におかれてしまう。
え、本当にそんな人いるのかって?
やだなぁ、疑ってくるなんてなんてヒドイ人だ!
ナチュラルサイコパスが居ないって、あなた証明できるんですか?!
あたしが何細胞ですかって?
そんなのあたしが知る由もないわ。
前の記憶なんか持っていないので当然でしょう。
ただ、光ったのは認めますわ。
あたし、光りましたわ。
あたしはぴか、ぴかと光ったのは真実ですの。
思い出しても、ちょっと、はずかしいくらい光っておりました。
あたしの意志に反して、激しく光り続けて、んもう、誰か止めて欲しいっ、
ああ、思い出すだけでも、恥ずかしい・・・!
とにかく尖ったナイフみたいなオンナでしたよ。
我々みたいな研究者の大体はね、社会において「羊」なんですよ。
そんな中、そのオンナがやってきたんです。
我々みたいな「羊」の群れに突入してきたんです。
そのオンナはしもべの女子を数人引き連れ、
ユニットリーダーにまで登り詰めた。
私も最初は反対だったんですがね、実績もない奴がこんな地位にいるのがね。
でもとある日、なんといいますか、いわゆる、お、おっぱい、を、
私の腕にくっつけたりする事件があったりしてですね、
なんというか、研究所へ行くのが楽しくなってしまったのは事実でして。
それはもう完全に「中毒」でしたね。
怒られたい。縛り上げられたい。踏みつけられてボコボコにされたい。
毎日そんなことばかり考えておりましたよ。
そんなわけで、正直私に非がないとも言えないのですよ。
割烹着?あれを普段着ているのは私ですよ。
■結末
なんというか、あたりは酷く混沌としていた。
どうまとめようにもまとめられないカオスな状況で、全てが腐敗しかかっていた。
この中で誰が嘘をついているのかー・・・
いや、嘘など誰もついていないのだろう。
嘘というのは各々の頭の中で正義となり、事実と化するものであるから。
暗く濁った神戸の闇が、だんだん、だんだんと街全体を覆い尽くしていくー。。
完
最近、従軍慰安婦問題を中心とした歴史修正主義が大手を降って表通りを歩く様になって来ていてまったく嘆かわしい限りだが、要するになんでこんな馬鹿げた嘘つき連中に騙される善良な市民がいるのかと言うと、それはヘイトスピーチがその定義に「出自やアイデンティティに関わる属性などによって差別する」という意味があるのも知らずに、「差別をしたら罵倒された。これはヘイトスピーチに対するヘイトスピーチだ」などという滅茶苦茶な主張に騙されてしまうのにも似た、まあ一言で言えば「言葉の定義を語感でなんとなくしか捉えない」国語力の低下に起因するものであろうと考えられる。残念ながら、「歴史修正主義」という言葉を前に「歴史は仮説に過ぎないのだから、見直すのは良いことなんじゃないの?」というような自分では冷静に考えたつもりであろう意見は、単なる無知の成せるわざと断ぜられる。なんとなれば、簡単に歴史を「見直せる」と考えること自体が、疑似科学ならぬ疑似歴史学とでも呼べるような間違った発想だからだ。
歴史は元々、矛盾を内包するものである。それはどういうことかというと、普通どんな定説が作り上げられる過程にも矛盾した史料と言うのは必ず存在するということである。現存する矛盾した史料を全て集め、突き合わせ、読み込むことによって、「少なくともこの出来事はあった/なかった」をひとつひとつ確定していったものが歴史の定説なのである。この過程を史料批判と言い、要するに文書と言うものはどうで執筆者の主観、立場、その他もろもろの事情から切り離せぬものなのだから、そこを考慮して信ずべきところとそうでないところを選り分けるという作業である。特に言えば、官僚の作成した政府資料などと言うものはときの政府の都合に合わせきった単なるプロパガンダと見るのが当然であり、そんなものは歴史に限らず今のご時世だって政府発表の資料や説明をそのまま鵜呑みにするのは馬鹿のすることだとまともな大人ならわかることなので、「当時の政府は悪いことはしてないと発表している。だから悪いことはしてないはずだ」などと言う幼児のごとき論理は真っ先に排除される。
矛盾する史料を付き合わせて組み立てられた歴史の「定説」は、当然ながら、仮に今新しい、何か定説と矛盾するところのある史料が発見されたとて、そう易々と覆されうるものではない。本当にそれが未発見の新史料とでも呼べるものであったのならば、それまであった他の史料と同じ様に読み込まれ、史料批判を行い、もしかしたら定説に多少の修正が見られる可能性もないではないが、殆どの場合それほど影響をもたらさない可能性の方が高いであろう。言うまでもなく、「ここに新たなる史料の見つかった。これは定説と矛盾するからして、定説は見直されるべきである」などという歴史修正主義によくある主張は純粋にナンセンスである。歴史学は、人の書いた文章の嘘を見抜くのがその手法の重要な部分を占めている学問である。嘘をつかない自然を相手にしている自然科学とは違い、単純にひとつの事象を観測して、その観測に勘違いがなく、その上で定説や既存の理論と折り合わないようであれば十分な反証が得られたと考えるような、いわば性善説にでも則ったような発想はしないのである。
以上が、原理原則から歴史修正主義の疑似歴史学性、それが如何に歴史学的な主張として正当を欠いたものであるのかの説明であるが、もっと現実的な処世術として持っていると便利な視点は、歴史修正主義とはためにする運動以外の何ものでもないと言うことだ。歴史修正主義者は常に結論から全てを考える。結論に合わせて史料を探し(多くの場合彼らのいわゆる「新史料」は実は史料批判の終わっている既知のものである)、求めるものから逆算して史料を読み、ときにその史料が結論を裏付けてくれるものでないと知れれば、あっさりとそれを捨て別の史料に根拠を求める。こういったやり方が史料批判という歴史学的な手法に反しているのは言うまでもないが、残念ながらこの恥知らずな姑息さこそが、善良な素人をして歴史修正主義に理ありと錯覚させることもある要因となっているのも否めない。素人目に一見正しそうに見える主張をしている手合いにこそ、その「正しそう」に見える部分が何か狡猾な手段から来たものでないのか、学問的な手順の不正によるものではないのかと疑うことが必須である。
歴史修正主義は疑似歴史学である。それが用いるロジックは一言で言って詭弁であり、歴史を簡単に見直し、修正することが出来るかの様に喧伝する議論は学問的にまったく正当性がないのみならず、不見識な素人を騙すためならなんでもする詐欺師にも似た卑劣な活動に他ならない。昨今の日本の歴史修正主義の台頭は、国外から戦後体制に対する反逆と見られるのみならず、こと21世紀に至ってもまったく成長の見られない日本人の論理的な思考力の弱さ、都合の良い結論への飛びつきやすさ、畢竟ためにする勢力のプロパガンダに如何に簡単に騙され流されるかという知的な脆弱さを露呈しているのである。
あの博士論文のイントロ、もし文章がそのままだとしたらあり得ない。
そもそも、参考文献が全くないイントロなんてあり得ないわけで。
後は、その学生が英語の論文書いたことあったりすればその癖と、
少なくとも他の章と比べて明らかにおかしいとか、読んだら普通に分かる。
これだけ画期的な、新しい結果、さらにNatureに投稿、と言うレベルになれば、
身内としては、まず、徹底的に疑う、ということから始めるでしょう。
嫌な意味ではなく、間違ったものを出すわけにはいかない時に、間違ってるということを前提であら捜しをする、というのは当たり前の話。
その上で、アヤシイところが1つもなくなった時点で初めて外に出せる。
今回、もし、若山さんとかが本当の事を言ってるんだとしたら、
彼の所では、100%矛盾点がない、と確信できていた、ということでしょう。(どうだか分からんが)
身内同様、まず、疑ってかかる。
少しでもおかしな所があればツッコミ、全部明らかになるまでやりとりする。
勿論、研究者としての経験から、データがおかしいと思えば突っ込むけど、
上の、身内、の場合と同じ。まあ、必要なければそこまで突っ込んだりしないだろうけど、ある程度、査読して、みたいに頼まれたらまず疑う、と言う姿勢。
素直に読むけど、勿論、新しいものに関しては、おかしいな?と思う点があることはいくらでもある。
だからこそ追試をするわけだし。
実は自分は哲学の学部卒で、ああいう世界になると、「実験結果」「実証データ」は乏しくて、でっち上げどころか、妄想すれすれの論文が掲載されることもしばしば。最近は医療現場での臨床哲学などもあったりするので、必ずしもデータがない訳ではないけど、良い所、文章の出所をはっきりさせるくらいしかない訳です(あの本の何ページ、みたいな)。あとは、コピペを見抜くとか。不正と不正でないものの境界は必ずしも明瞭な訳ではありません。
いや、明らかでしょ。文章そのままパクったりして参考文献もなければ不正。
データなんかを持ってきて、それをさも自分で作ったかのようにしたら不正。
ソーカルの場合は、ポストモダニストたちが、数学や理論物理を、さも理解してるかのように取り入れた偉そうな論文を沢山書いてて、
でも、どう見ても理解してないだろ、と言う思いから(哲学的な思想に結び付けてる部分に関してはソーカル自身は門外漢だから指摘することが出来ないので)
それらの業界の人間は数学や物理を理解してるのか?ということを暴くためにデタラメ論文を投稿した。
その際、実は雑誌には査読の精度がなく、素人編集者がただ載せてただけなので、その雑誌自体が実はどうしようもないもので、ポストモダニスト自体を完全に否定できたものではない。
もし、査読者が居たら、その人はポストモダニストのエキスパートなはずで、その人が見逃したら明らかに数学を知らないやつらだwwwと言えたわけだけど。
つまり、研究者なら一瞬で分かるはずの間違いを投稿したわけ。一瞬で見抜けないような細かい捏造の様なことをしたわけではない。
今回の様な捏造は、いま、実際、それが捏造だった、とわかった所で、逆に誰もそれを証明することは出来ないわけで
(他の写真と一致した、と言う証明はできるけど、その写真がSTAP細胞ではない、とは言えないんでしょう、言えるとしたらそういう話が出てるわけで)
将来的に、全ての文献がデータベース化され、スキャンしてコピペ発見を確実に出来る、とか、にならない限りこんなのは性善説に頼るしか無い。